2014年2月9日日曜日

雪かきコミュニティ

何十年ぶりの大雪ということで、雪かきを行った。
実は、昨日降っている最中にも長男坊と一緒に雪かきを40分程度行ったのだが、今朝見ると全く昨日の雪かきの意味がなかったくらい雪が降り積もって痕跡を消していた。

隣の戸建てのおじいさん(我が家を始め、近しい人たちは敬意を込めて「ジジ」という愛称で呼んでいる)が家の前の雪かきを始めたので、我が家も遅れじと9時半頃に長男坊と参加。
最初は、マンションからは我が家だけだったので、人が通れる「筋」を作ることに専念。

しばらくすると、マンションの親父どもがバラバラとやってきて参加。
今日はたまたま休日だし、大雪は前から予報されていて「特段の事情がなければ外出は控えたし」との警報もでていたので、親父軍団は家にいたようだ。
マンションの理事長さんもやってきて、マンションの催しではないのだが、指示命令系統が何となくできてくる。
日が当たってそのうち溶けるであろう範囲は後回しにし、日陰でいつまでも溶けずに残る範囲を優先的にやろうという戦略のようなものまでできあがってくる。

人出が増えてくると人が通れる筋だけでなく、車を通す範囲まで雪かきを行おうと作戦範囲を拡げることになってくる。

道を挟んでアパートがあるのだが、そのアパートの住民も参戦。普段はあまり交流がなく、どちらかと言うとお互いに胡散臭く思っていたりしたのが嘘のように共同戦線を張っている。
自分は参加できないアパートのおばちゃんから、感謝の意を込めて日本酒が渡されたりして、何か昭和の人情の世界が展開される。

マンション敷地外の近傍の駐車場に停めていて、明後日は車で出勤をしなくてはならない主婦向けに、マンションまで車を避難させたりということも協働で行った。


大雪のような自然災害はいいモノではないが、そういう「共通の敵国」が現れることで普段はコミュニケーションがない近隣住民が共同戦線を張り「味方」となるという効用があるのが分かった。
そういう意味で、自然災害を克服しようとして却ってそのボラティリティを上げてしまうのではなく(山火事なんかは統計的にもそうらしい)、頻度が多少上がってでも災害のボラティリティを下げ、小さな災害を時々受け入れるようにした方が健全なのかもしれない。

また、管理に関する規約等がある訳ではないが、「道」というのが近隣コミュニティにとって重要な共有物であるということを強く認識した。
「道」がピンチということであれば、その共有物に恩恵を受けている関係者は協働して戦うことになる。
マンションとアパート、そして「ジジ」の戸建てが共有する「道」については、共同戦線により雪かきを行ったが、「道」は当然つながっていてその先の道が雪かきを行っていなければ結局困るということになる。


午前中いっぱいを雪かきに費やし、すぐ風呂に入り、ビール。
これもまた楽しからずや。