2015年11月22日日曜日

『99.996%はスルー』

サブタイトルで「進化と脳の情報学」。
竹内薫氏、丸山篤史氏の共著。
「99.996%はスルー」という話しは佐藤尚之さんから聞いてから、話しのつかみとして使わせていただいたネタだった。
「逆に言うと0.004%しか発信した情報をキャッチしてもらえないのが今の世の中。1万球投げた球を1球キャッチしてもらえるかどうか。それをキャッチしてもらうためにはどうしたらいいと思いますか?それは・・・」
という感じに使わせてもらっていた。

それを竹内薫氏が進化と脳科学に絡めて書いているとなると、もう買って読まざるを得ない感じ。


情報量の増加

21世紀に入ろうとする直前、西暦2000年のこと。
カリフォルニア大学バークレー校のピーター・ライマンとハル・R・バリアンは、世界に存在する情報の量を計算してみようと考えた。
彼らが集めたデータから推計したところ、有史以来1999年までに世界中でストックされた情報を全てデジタル化したとすると、その総量は2〜3EB(エクサバイト。エクサは10の18乗。) 1TB(テラバイト)の外付けハードディスクが200万〜300万台分ということ。
ところが、彼らの計算によると、1999年から2000年の1年間に、有史以来1999年までの情報総量と同じ、2〜3EB強のデータが増えた。つまり人類の記録した情報量は、たった1年で倍になった計算になる。
さらに彼らは2003年に再報告していて、2002年の1年間でも3〜5EB強の情報量が増えたとしている。
しかし、この程度で驚いていてはいけない。
アメリカIDC社の調査によれば、その翌年2003年には情報量の合計が32EBに、さらに2007年には281EBにまで増えた。
その後もデータは増え続け、2011年のデータ総量は1.8ZB(ゼタバイト。ゼタは10の21乗)に達してしまった。 IDC社の予測だと、2020年には40ZBに届くとされている。。

平成23年度の『情報通信白書』によると、2009年度の日本では、年間約950EB(9.5×10^20B)という巨大な数字の情報量が流通している、という計算結果が弾き出された。(この数字は「流通量であって、蓄積量ではない」ので、2011年の世界のデータ総量が1.8ZBなのに、その半分が日本で流通しているというのは整合しない訳ではない。)
それでは実際に情報は「消費」されているのだろうか。
結果はショッキングなものとなった。2009年度、我々は年間約36PB(3.6×10^16)の情報を消費していた。つまり、我々は、流通する情報量のうち、たったの0.004%しか消費していなかったことになる。身の回りにある情報の99.996%を我々はスルーしていたのだ。
実は流通情報量の増加に比べて、消費量そのものは、数年来ほとんど変わっていない。
つまり、我々が消費できる情報量の増加は流通量の増加に全く追いついていないのだ。


シャノンの『情報理論』

情報の大きさを数学で表す「情報理論」はクロード・シャノンが創始した。
シャノンの「情報量」の定義。まず第一に情報の意味はどうでもいい。
「何か」の起きる確率をP(0<P≦1)とするとき、情報量を
—logP
で表す。(底は何でもいいので省略してある)

「情報の大きさ」の指標である情報量とは、貴重さのことで、確率の低さのことで、確率の桁数で表す、ということ。

これはエントロピーの式と同じ形をしている。プラスマイナスが違うので、ネガティブエントロピー=ネゲントロピーと呼ばれたりする。
式が同じだけではなく、情報量とエントロピーは同じ概念として考えることができる。

エントロピーと情報に関係があると気づいたのはレオ・シラード。彼はルーズベルト大統領へ核開発を促した「アインシュタイン=シラードの手紙」でも有名。(連名になっているけど手紙を書いたのはシラードで、大統領に読んでもらえるように超有名なアインシュタインの名前を借りただけ)

具体的な事例として、情報量がネゲントロピー(負のエントロピー)であることについて、ある空間における気体の様子を考えてみる。
まずネゲントロピーが低いときは、気体分子が乱雑に飛び回っている。つまり空間内の気体分子の一は空間一様に広がって存在するといってもよい。この時、空間内のどこでも気体分子が一定に存在するということは、空間内のどこでも気体分子が存在する確率が高いということだ。つまり空間内の気体分子の位置に関して情報量が少ないことを意味する。
次に、そこからネゲントロピーが増えると、徐々に気体分子は凝集する。つまり空間内の一点に気体分子が「あるかないか」の確率は下がる。つまり、気体分子の位置に関しての情報量が増えることになる。
まとめると、「どこにでもある、一様に存在する」というのは(位置に関して)情報量が少ない。逆に「どこかにある、偏って存在する」というのは情報量が多いのだ。


人間の脳が1秒で処理している情報量

◯入力される感覚の情報量は、毎秒千数百万ビットであり、意識が処理している情報量は、毎秒たった数十ビット。知覚した情報量の、100万分の1程度しか、瞬間の意識には上がっていない。言い換えれば、意識は、99.9999%の感覚情報をスルーしている。
◯ドイツの生理学者、ディートリヒ・トリンカーは、「真っ暗闇の舞台」が無意識で「狭いスポットライト」が意識だ、と喩えている。
舞台の上(無意識)には、大勢の役者や舞台装置(情報)が並ぶ。しかし、何も見えていない(意識されない)。そこに意識というスポットライトが、わずかな範囲の舞台を照らす。舞台の上に照らされた、小さく明るいスポットライトの中だけが、その瞬間における「意識の情報処理」なのだ。
なるほど真っ暗な舞台では、見えないながらも芝居が進んでいるのだろう。言ってみれば、パソコンのモニターに現れないバックグラウンドで、ユーザーに思いのまま操作させるため、様々なプログラムが動いているようなものだろう。
◯よく「木を見て森をみず」と言うが、実は、しっかり木を見ると森が見えてくる。
我々の持つ、こうした能力に、物理化学者にして科学哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知」と命名した。
暗黙知は、「下位の構成要素にフレームを設定して、上位層を生み出す能力」。無限にある可能性から結論を象る能力と言ってもいいかもしれない。


ヒトの遺伝子

◯遺伝子は、次世代に情報を伝えるだけではない。普段から、生命の仕組みに関わっている。遺伝子の制御によって、必要なたんぱく質が、必要なタイミングで、必要なだけつくられる(発現する)。
◯「発生」とは、受精卵(1個の細胞)から一つの生命体(多細胞)に成長することである。 体重60kgの成人男性の場合、およそ200種類の、合計60兆個に分裂した細胞が、身体の各組織や臓器をつくっている。
最初の受精卵は全ての細胞に分化できる能力(可能性)を持っている。これを分化全能性という。 受精卵は分裂を繰り返しながら、少しずつ分化して「細胞の運命」を決めていく。
実はこの時、分化が進むたび、使う予定の無くなった遺伝子をスルーしていくのだ(勝手に発現しないようにブロックする)。
◯遺伝情報は、生物にとって、ある種の初期条件と考えるべきなのかもしれない。
◯生物は、生き続ける限り、次から次へと自分自身の情報量を増やし続け、限りなくネゲントロピーを増大させていくのだ。
◯ヒトの遺伝子数は4万1000。実はヒトゲノム計画が終了した2003年にはヒトの遺伝子数は約2万6千個と報告されていた。しかし、ヒト遺伝子の研究が詳細に進む中で、これまで意味が無いと思われていたDNAの配列に機能があることが分かってきたのだ。
◯電子媒体の情報量の単位はバイト(byte)で表すことが多い。1バイトは8ビット(bit)。2進数8桁の情報量で、256の可能性を表すことができる。
ゲノムを構成する物質は核酸のDNAである。さらに、DNAを構成する塩基という物質には、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類がある。従って、核酸は塩基の違いで4種類あり、4つの数字にあてはめ記憶することができる。ということは、核酸を一つ記憶する2ビットあればよいことになる。
ヒトゲノムは約31億塩基対である。塩基対とは、核酸の配列を数えるときの単位と思えばよい。要するに、ヒトゲノム全体で、およそ31億対の核酸が並んでいるということだ。
つまり、ヒトゲノムや約62億ビットであり、約7.75億バイトになる。ただし、ゲノムは個体を形成するための染色体の最小セットだ。大半の生物は染色体を2セットずつ持っている(2倍体という)。人間は両親からゲノムを1セットずつもらって、合計2セットを持っている。従って、人間一人分のゲノムは約15億バイトである。
一般的なDVDーRの情報量は4.7GB、つまり47億Bである。1枚のDVD-Rには約3人分のヒトゲノムが記録できることになる。



情報大洪水時代を客観的な数値で認識させた後、『情報理論』という情報量の数値化の話し、そして脳の発達が昨今の情報量の増大に追いついていないこと、その結果スルーは当然であることを納得させる。
いや、むしろスルーする能力が高さ(≒集中力の高さ)とIQの高さは相関があるとまでしている。

確かに、昨今の情報量の多さを考えると、昔は情報をつかんでいる人間にアドバンテージがあったが、今や適切な情報を取捨選択する能力の高い人間にアドバンテージがあるようになってきている。
ではその基準をどう設定するのか、その設定によりその人間の能力の発揮度(コンピテンシー)が変わってくるように思う。

2015年11月10日火曜日

『「最強組織」の作り方』

本の本当のタイトルは『米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方』。
L・デヴィッド・マルケ艦長によるサンタフェ乗船時の試行錯誤の物語である。


以前まとめた『リーダーは最後に食べなさい!』(サイモン・シネック著)に、米海軍 デビッド・マルケ艦長による次の言葉が載っていた。
「委譲できない自分の権限は3つしかない。自分の法的責任、人間関係、知識を委譲することはできない。だが、他のことに関しては全て、部下に責任を持たせることができる。」
この考え方で素晴らしく、また重要なことは、責任の「委譲」はできなくても、「共有」はできるという点だ。
「リーダーの役割は、命令を下すことではない。リーダーは、方針と意図を示せばいい。目標を達成するには、何をどのようにすべきかを、当人に考えさせるのだ」

この引用があって、「委譲出来ない自分の権限」という考えについて深堀したくて読んでみた。(3つ目の「知識」は委譲できる気がする。委譲出来ないものがあるとすると「経験」なのではないかと思って読んでみた)


サンタフェの物語は、潜水艦版『頑張れベアーズ』だ。
ダメ艦との烙印を押されたサンタフェに艦長として乗り込んだマルケ艦長が、実は乗員個々人のやる気と能力がない訳ではない、と看破して、様々な取り組みにより部下に自主的に任務を遂行させるような仕組みを作っていく物語である。


リーダーシップは権限を付与する技術だ。
部下に委ねるリーダーシップの中核には、「誰もがリーダーになれる」という信念がある。
リーダーシップを、限られた人だけが持つ特殊な資質だと思うのは間違いだ。人間なら誰もが持ち合わせている。それを仕事のあらゆる面で発揮させるのだ。


マルケ艦長がサンタフェに乗艦して最初にヒアリングしたのが士官や上等兵曹。
会社で言うと、役員、部長ではなく、課長、係長レベルにヒアリングしたということだ。
彼らの部屋へ出向いていって、彼らの話しを聞いたのち、質問したのは次のような項目。
◯私に変えて欲しくないと思っていることは何か。
◯秘かに私に変えてもらいたいと思っていることは何か。
◯サンタフェの土台とすべき良さは何か。
◯もし私の立場だったら、何から手をつけるか。
◯この艦の業績が上がらない原因は何か。
◯この艦に配属中の個人的に成し遂げたいと思っている目標は何か。
◯職務まっとうの妨げとなっているものは何か。
◯この艦を配備に間に合わせる上で最大の難関となるのは何か。
◯この艦の現状で最も苛立ちを覚えていることは何か。
◯艦長として、私に一番やってもらいたいことはなにか。

新部署に異動した時には使える質問項目だ。


早めにチェックする
◯「岩から遠く離れた所で少し舵を切る方が、岩の近くで何度も舵をきるよりよほど良い」
艦長がチェック段階から関わることを快く思わない者もいた。チェック工程から関わってしまうと、艦長としての公正な判断ができずに、それをダメにして一からやり直すことに抵抗を感じるかもしれない。
◯「早めに短く言葉を交わす」というのは、部下に命令するという意味ではない。一足早く問題解決の進み具合を報告する機会をつくっているのだ。そうすることで、引き続き部下の責任で問題解決にあたってもらえる。それに、そういう機会を通じて、成し遂げたいことを部下にはっきりと理解させることも出来る。
言葉を交わすのは、たいてい30秒ほどで済む。それで何時間もの時間を無駄にせずに済むのだ。
◯委ねるリーダーシップを実現するためには、「〜だと思うのですが」「これは想像ですが〜」「〜の可能性があるかもしれません」、そういうことこそ口にしないといけない。要するに「思っていることを口に出す」ことが大切なのだ。思ったことを口に出すことで、より柔軟な対応ができるようにするのだ。


権限委譲に必要なこと
権限を下に委譲するにつれ、あらゆるレベルの乗員に技術的な知識があることが重要になる。技術的な知識がないのに主導権を与えては、混乱が生まれるだけだ。
「我々はいつどこでも学ぶ者である」
我々の行動はすべて、この「学ぶ」という基本的なことに一元化できるように思えた。
◯部下や社員が参加したくなる研修をしたいなら、次のことに意識するとよい。
・研修の目的を、研修を受ける者の専門的知識を高めることとする。
・専門的知識が高まった部下や社員に、決定権を委ねる。
・決定権を持つと、自然とその部下や社員の勤勉さ、やる気、自発性が増す。
これらを意識すれば、生産性も士気も効率も、大幅に改善する。
◯権限を下の立場の者に委譲するほど、組織にいる全員が組織の目標を正しく理解していることが重要になる。
この「正しい理解」が「優れた技能」と併せて支配からの開放を実現するのに必要となる2本目の柱である。


「説明」ではなく「確認」を
◯我々は事前の説明をやめた。これからは、説明ではなく「確認」を行う。
◯確認と説明は違う。確認は、責任者が関係者に質問をする。
確認の最後には、これから開始する任務を全うする準備ができているかどうかを判断する。確認中に必要な知識が十分に身に付いていないと分かれば、その任務は延期すべきだ。
◯「準備ができていない」と判断するのは高くつくが、失敗することに比べればマシだ。
◯確認という行為には、参加する者にも事前に準備をするという責任が発生する。つまり全員にとって能動的な行為というわけだ。
説明という受け身の行為から能動的な「確認」に変えたことで、乗員の態度が変わった。質問されると思うと、人は事前に自分が担う責任について勉強するようになるのだ。
(☞学習における「反転授業」の考え方に似ている)


幹部の責任
◯幹部の責任とは、部下に「当事者意識」を芽生えさせることだ。
ビジネスの世界の言葉で表すなら「エンプロイー・エンゲージメント(自分の仕事に熱心に取り組んで組織の利益に貢献する姿勢)の充実を図る」となる。
幹部は、近々完了させないといけない任務に加え、自分が受け持つ部下一人ひとりが担う役割まで把握していないといけない。



マルケ艦長がサンタフェで取り組んだことのまとめは以下の通り。
<艦全体を支える三つの理念>
【支配からの開放】
・支配構造の遺伝子コードを見つけ出して書き換える
・態度を変えることで新しい考え方をもたらす
・早めに短く言葉を交わし、仕事の効率を高める
・「これから〜をします」という言い方を導入し、命令に従うだけだったフォロワーを自発的に行動するリーダーに変える
・解決策を与えたい衝動を抑える
・部下を監視するシステムを排除する
・思っていることを口に出す
【優れた技能】
・直前に確認する
・いつどこでも学ぶ者でいる
・説明するな、確認せよ
・同じメッセージを絶えず繰り返し発信する
・手段ではなく、目標を伝える
【正しい理解】
・ミスをしないだけではダメだ。優れた成果をあげよ。
・信頼を構築し部下をおもいやる
・行動指針を判断の基準にする
・目標をもって始める
・盲目的に従うことなく疑問を持つ姿勢を奨励する


マルケ艦長の自著なので、「委譲出来ない3つの権限」についての記載があるかと思ったら、この本には記載が無かった。
でも「リーダーシップという権限委譲の技術」のノウハウ本としてだけでなく、読み物としても十分楽しめる本であった。

2015年11月7日土曜日

『英雄の書』

どういう訳だか、休日都内に出るのに、電車が来るまでの間に本屋にちょっと寄って、パッと見て決めて購入した本。
なのにスゴい当たりの本で、自分の考え方に非常に近いことが脳科学に基づいて書かれている。

人生という冒険において英雄になるための心構えが書かれている。


失敗

◯イタリア人は、試合や試験に挑む人へ、こう声をかけるのだそうだ。
In bocca al lupo!(インボッカアルルポ!)
狼の口の中へ、という意味である。
例えば、サッカーで1点先取していながら、1点を取り返された時。
イタリア人は「やっとゲームが始まった」と高揚し、「狼の口の中へ」飛び込んでいくのである。
ゲームもレースも、挑む本人が「失敗した」と感じた瞬間に終わってしまう。人生だって、同じだ。
日本人が「失敗」と呼ぶ事象のほとんどは、「人生をドラマティックにしてくれる、神様の演出」なのである。同じ事象を、「失敗」と呼ぶのと、「やっとドラマが始まった」と思うのでは、天と地ほども違う。
◯「失敗」は、脳の成長のメカニズムの一環で、必要不可欠な頻出イベント。
英雄を冒険に駆り立てるのは、好奇心しかない。
優先順位がしっかりついている脳は、つかみが良くて、勘がいい。だから運がいい。
では、どうしたらそんな脳になれるのだろうか。
実は、日々の暮らしの中で、失敗を繰り返すしかない。
無駄な回路を捨てる、成功への基本エクササイズこそが「失敗」なのだ。
◯脳を進化させるための3つの掟
1.「失敗」は誰のせいにもしない
他人の失敗さえも、自分の糧として脳に書き込めて、後にリスクヘッジに使えるだけでなく、他人の失敗をも、自分の責任の一端として受け止める言葉は、周囲の敬意を自然に集めることになる。
「正しく出力した」からと言って、「正しく伝わる」とは限らない。ベテランとはそれを知る人たちだ。
2.過去の「失敗」にくよくよしない
この行為は、せっかく切り離そうとした失敗回路を、もう一度つないでしまうからだ。
指導者は、ネガティブな若者を放っておいてはいけない。「失敗はたくさんしていい。失敗したら、潔く反省すること。ただし、くよくよと思い返してはいけない」と教えよう。
3.未来の「失敗」におどおどしない
失敗を想定しすぎると、必ず失敗する。

◯幼少時に、「失敗」を回避してもらって生きてきた若者たちは、「失敗」を恐れるから、「失敗」から要領よく逃げる。つまり、周囲の空気を読んで気を遣い、そつなく動く。
◯15歳から28歳までの脳は、世間を知り、生きるコツをつかみ、自分らしさを確立していく「社会的自我の確立期」にあたる。この時期に、どんな色合いの英雄になるかが決まるのである。
ヒトの脳は、生まれて最初の28年間は、著しい「入力装置」である。 特に15歳から28歳までの単純記憶力のピーク時には、脳自体が執拗に世の中のありようを知ろうとしており、勉強をしても、仕事をしても、恋をしても、趣味に没頭しても、なにをしてもがむしゃらになれる時。そうして、30歳の誕生日頃までに、自らの世界観を確立していく。
30歳は、世の中のありようの全てが見通せるようになり、「世の中、こんなもん」と見切ったような気持ちになるとき。確かにそうなのだが、安穏としていられる時間は意外に短い。人生は片時も止まらない。ここから、「自分にしかできない、新しい世界観を生み出す旅」が始まるのだ。
その旅の最初の10年間、すなわち30代は、「失敗」適齢期でもある。
ここからは、要らない回路への電気信号を減衰させ、重要な回路に何度も電気信号を流すことによって、脳の個性を創りあげていく28年間だ。その前半の10年間が30代にあたる。 洗練のための28年の果て、56歳からの28年間は、脳が最大の出力性能を示すようになる。本質を瞬時に見抜き、勝ち手しか見えない脳になる。なにせ、余分なものが見えないから、悩みが少なくて助かる。
◯失敗を怖れないことと、勝ちに行かないことは大きく違う。
「納得のいく仕上がりでないのに、勝負に挑まなければいけないこと」は、誰にでもやってくる。そんな時は、全体で勝たなくてもいい。自分の「今日の勝負どころ」を決めて、その勝負に挑むことだ。
全体にあきらめたまま、漫然と負け試合をしてしまったら、脳は失敗だと自覚してくれない。
「失敗」を怖れない。そして勝負は投げない。
この二つを守れれば、驚くほど遠くへ、驚くほど高くへ行けることになる。


眠り

脳は持ち主が眠っている間に進化する。
起きている間、脳は、認知や思考や、その結果の出力に忙しくて、新しい知識の整合性を確かめ、回路に定着させる暇などないからだ。しかし、脳の持ち主が眠ると、意識領域の信号が沈静化し、表立った仕事がなくなる。そうなると、やっと脳は手が空いて、新しい知へと触手を伸ばすのだ。
具体的には、起きている間の体験を何度も再生して、そこから知識や知恵を切り出す。過去の知識と引き比べて精査し、知識ベース全体の質も見直す。古い知識と統合して抽象化し、センスもつくり出す。
つまり、頭は眠っている間に進化するのである。
◯眠りの質をあげるためには、「闇の中で寝て、朝日と共に起きる」こと。
真夜中の電子画面の凝視は、脳と心と身体に大きなダメージを与える。
電子画面の光は、自然界にない特性を持っているため、視神経を通して脳を無駄に刺激する。本来なら闇の中にいるべき時刻に、網膜(目)が不自然な光にさらされると、自律神経が乱れ、眠りの質が劣化し、明日の記憶力や発想力が削がれ、男として(女として)の魅力も減衰する。
なぜなら、視神経の後ろには自律神経を司る視床下部があり、それに隣接して、さまざまなホルモンの分泌を担当している脳下垂体があるからだ。これらは、夜のうちに働いて、脳神経系の進化を促すと共に、皮膚や骨や筋肉の新陳代謝を促し、生殖ホルモンの分泌も促す。 男性ホルモン、テストステロン(女性ホルモンはエストロゲン)は、身体と生殖行為における男らしさをつくり出すホルモンだが、「闇の中で寝て、朝日とともに起き、一日の尾張に適度な肉体疲労がある」と、毎日明け方頃に自然に分泌すると言われている。


自分を信じる

◯自分を信じること。
超一流の場所で成果を出すための、絶対条件である。
自分を信じるためには、「どのような窮地に立たされても、必ず打開策を見いだせる。その策にたとえ失敗しても、次への知恵に変える機知が自分にはある」と思える状況を、自らの脳につくり出すこと。
◯この境地に達するために必要なのは、基礎力と戦略力だ。 基礎力を淡々と鍛えることは、当然抜きにはできない。
そして、戦略力こそ、失敗なしには鍛えられないのである。失敗を乗り越えた数だけ、機知の回路ができあがる。
上手にエリートになってしまって、機知の回路が少ないまま人の上に立つものは脆弱だ。◯自分を信じろ。その言葉は、躍進が止まって頭打ち状態だった錦織圭に、新任コーチのマイケル・チャンが繰り返し言い続けた言葉でもある。
テニスでは、ピンチの時に前に出る勇気が、チャンスの時にあえて下がる度量が試されるという。
「反射神経上の予想外」こそがきみを英雄にする。


孤高

◯人は社会的動物で、厳密には他人と連携しなければ生きていけない。しかし、一方で、脳は「孤」の時間を持たないと、世界観がつくれない。
◯左脳は顕在意識と直結して、言葉や数字を操り、現実的な問題解決を行う領域。
右脳は潜在意識の領域を主に担当し、外界の様々な情報を、脳の持ち主も知らないうちに収集し、イメージを創生し、世界観を構築する場所。
この2つの半球をつなぐのが、脳梁と呼ばれる神経繊維の束だ。
脳梁は、右脳がつくり出すイメージを記号化して、顕在意識にあげる。「感じたことを顕在意識に知らせる通路」 女性脳は、脳梁を行き来する信号が豊富で、男性脳の数十倍から数百倍と言われる。女性脳は男性脳に対し、脳梁が20%ほども太く生まれついている。
◯一方で、脳内に豊かな世界観を創り上げるには、ある程度、右左脳連携を寸断して、右脳や左脳の隅々にまで信号を行き渡らせる必要がある。
右脳が、その豊かな世界観を創生するには、感じたことを言葉や記号にしないまま、ぼんやりとする時間が必要不可欠だ。
さらに、その裏側で、左脳の隅々にまで信号が行き渡ると、世界観が理念になっていく。このとき、脳梁を介する右左脳連携信号はほとんど起こらない。というか、そこに電気信号を使う余裕がない。
この状態のとき、すなわち、世界観を創生し、理念を創りあげている時間、脳の持ち主はただただぼんやりして見える。
天才と呼ばれる人たちは、家庭の中で使い物にならず、ただの愚図だと思われていることが多いのである。男女関係では、相手のことをあまり見ていないので、愛情や誠意を疑われるタイプだ。
脳梁が細い男性脳は、基本、この天才脳型なのである。
おしゃべりをしながら、周りの変化を察して動く現実対応型の脳と、現実世界とはまた別の世界観を作り出す未来創生型の脳。この2つがなければこの世は動かない。 現実対応脳と未来創生脳のハイブリッドこそが、英雄脳なのである。


他人思い

◯孤高の時間をもち、独自の世界観を創る脳に変えたら、次は直感力。直感力を鍛えるためには、右左脳連携信号をとっさに強く行うエクササイズが大事だ。
それは、右脳のイメージにあるものを、左脳の顕在意識に持って来て恣意的な出力に変えること。その最たる訓練が、ダンスやスポーツ、芸術や「術」「道」と呼ばれるものを嗜むこと。
もう一つ、徹底した「他人思い」の癖をつけることだ。
◯ヒトは、自らを滅して、徹底して他人を思うとき、右左脳連携が激しくなる。他人の思いや事情をイメージ化し、顕在意識につなげるからだ。
◯徹底した他人思いと、他人の思惑を気にすることは180度違う。「他人の思惑を気にする人」は、結局の所、ただの「自分思い」なのだ。
◯人に嫌われても、信じることを言い切る力。それは、他人思いの者しか持ち得ない。
◯徹底した他人思いが、直観を鋭くする。孤高の時間を持ち、右左脳連携エクササイズの趣味を持ち、徹底した他人思いになり、好きでたまらないものを見つける。
誰かを案じる時、ヒトは免疫力が高くなる。
2010年、チリで起きた落盤事故。33人の作業員が地下600mに69日間も閉じ込められ、全員が生還した。地下の狭く暗い空間で、いつつぶれるかも分からない恐怖心と共に、33人が引きめき合って過ごすストレスは半端じゃない。心疾患で死ぬものがあってもおかしくないし、重篤な神経症が発生してもおかしくない事態だった。
注目すべきは、33人がお互いを見守りながら過ごしていたことだ。
33人は、11人ごとに3グループに分けられた。グループは3つの仕事を交代で順繰りにこなしていった。
「休憩(睡眠)」「活動(身体を動かしたり、食べたりする)」「見守り(他者を見守り、変化があれば声をかけ、話しを聞いてやる)」の3つである。
この3つめの「見守り」が秀逸であったと、NASAの危機管理の専門家は言う。
人は自分の不安と向き合うと耐えられない事態でも、他者を案じていれば強くなれる。免疫力が上がる。危機にある時ほど、他者を思うべきなのだと。
◯世の母が強いのは、自分より子供のことを案じて生きているからだ。 大切な誰かを守ること。それ以上の使命感はない。
そもそも使命とは、自分のためじゃなく、誰かのために何かを成し得る覚悟。自己犠牲をも厭わない気持ちのことだ。英雄達に不可欠のセンスである。


面白かったのが、写真家の白川由紀さんのいう「リーダーの条件」。
彼女は若き日にアフリカ大陸で各地を放浪し、様々な集落で晩餐に招かれたのだと言う。
「どの集落にもリーダーがいる。ある集落では長老だったり、別の集落では若かったり。身体が大きかったり、いっそ小さかったり。着飾っていたり、いっそ質素だったり。
一見なんの類型もないように思えるのに、不思議と私は、紹介される前にリーダーがわかった。そしてそれは外れることはなかった。
それは、その人が入ってくると、その場の人が嬉しそうな笑顔になるから。
人を笑顔にする力。
それがリーダーの条件じゃないかと思う。」
幸せだから笑顔になるのだろうが、笑顔でいるから、さらなる幸運も呼ぶ。
使命をもって、道をゆく人は、自然に人の先頭に立つことになる。
リーダーとして最も楽な手段は、常に嬉しげな表情でいることだ。


語りかけるような文調で書かれている、子供達にも読ませたい本だ。

2015年11月3日火曜日

『真田三代』

ここのところ、歴史物を読んでいなかった。
書店でふと手にして購入した本。
著者の平山優氏の史実に基づいた解説は、時に詳細すぎるきらいもなくはないが、歴史考証とはこのように考えながら進めるのか、というのが垣間みれて面白かった。


信濃国真田を発祥の地とする真田氏は、戦国時代を生き抜き、近世を通じて信濃国松代藩主として繁栄した大名となったことはよく知られている。
その礎を築いたのは、真田幸綱(幸隆)、昌幸の二代である。
そして彼らの実績を引き継ぎ、昌幸の子信幸(信之)と信繁(幸村)兄弟も豊臣時代を大いに活躍する。
関ヶ原の合戦が勃発した時、兄弟は袂を分かち、兄信幸は祖父と父が興した真田家をいっそう繁栄させ、江戸幕府のもとで大名家として存続する道を歩み、弟信繁は戦国の遺風を引き継ぎ華々しく散華する道を選ぶことになる。

この本は、本領真田を敵の攻撃で失い、失意の亡命生活を余儀なくされ、すべてを失いゼロから再出発した男・真田幸綱、武田信玄に寵愛され秀吉・家康を刮目させた小信玄・真田昌幸、負けることを承知で豊臣氏最期に寄り添った悲劇の武将・真田信繁の3人を主役として述べたものになっており、歴史上「勝者」となった真田信幸のその後については述べられていない。

◯真田一族とは

そもそも真田一族が武田信玄に取り立てられて大名となっていたことを知らなかった。
真田昌幸というと、煮ても焼いても喰えない「表裏比興之者(ひょうりひきょうのもの)」というイメージだったが、実は武田家に対しては真摯に忠誠を誓っていた感じがある。

◯真田幸村

真田十勇士等で有名な真田幸村だが、実は「幸村」という名前は史料では見られないらしい。

◯境目の人々

境目の人々は、領主であろうと百姓であろうと、武田氏に忠節を尽くしながらも、敵勢力圏に存在する大名や国衆らと接触することが社会的に容認されていた。
境目では両属が容認されることについては、例えば境目の郷村が、敵味方の両方に年貢を半分ずつ納めることで、双方からの乱取りなどを回避し、中立的な立場を保持することが可能な「半手」「半納」が戦国社会の慣行であったことが想起できよう。
その上で、どちらに奉公の比重を置くかは、境目の領主の判断に委ねられていた。
勢力地図や境界があやふやなのは、こういうグレーゾーンを許容するシステムがあったから。

◯真田昌幸

真田昌幸は信玄のもとへ人質として送られたが、信玄の奥近習衆(信玄の側に仕え身辺の世話などの雑務をする者)に抜擢された。
やがて、他国衆出身の武将としては異例の出世を遂げることになる。昌幸の飛躍の基礎には、武田信玄の人の才能を見抜く鋭い眼力と、その寵愛があったことは間違いがない。
信玄は昌幸を武田家の将来を託すべき柱石の一人と考え、育て上げようと考えていたとされている。
ローマ帝国においても、征服した国の有力者の子供を人質として預かりつつ、自分の子供の良き友として一緒に教育し教導した上でまた領地に帰すということがあったようである。
出自に関わらず、優秀な子供を教育し将来の柱石とする発想はサステナブルな組織には必要不可欠な考え方である。

◯武田氏滅亡

武田氏滅亡って長篠の合戦(1575年)で大敗してというイメージがあるが、実際に武田勝頼が死亡するのはそれから7年も後で本能寺の変の3ヶ月前。実は浅間山の噴火も武田氏滅亡に一役買っているというのが面白い。
1582年、浅間山が噴火。当時、甲斐・信濃などの東国では、異変が起こると浅間山が噴火すると信じられており、今回の噴火は信長に勝頼を守護する神々が全て払われてしまった結果であって、一天一円が信長に随うようになる前兆だと噂された。
甲斐・信濃の異変と、東国の政変を告げる浅間山の噴火は、まさに武田勝頼没落と信長の勝利を告げる天変地異として受け止められた。
ただでさえ低下していた勝頼の求心力は、織田・徳川連合軍の侵攻とともに浅間山の噴火で雲散霧消してしまった。
実は浅間山の噴火は飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長の行く末を予兆したものだったのかもしれない。

◯犬伏の別れ

真田というと関ヶ原の前に、昌幸、信幸、信繁の3名で合議し、信幸は徳川方、昌幸・信繁は豊臣方とに別れ、いずれが勝っても真田のいずれかの血脈が残るようにした、という話しが有名。
実際にはそんな損得ずくの話しでもなく、微妙な機微はあったようだ。
犬伏で別れた後、両者は互いが追ってとなって襲いかかってくることを恐れ、昌幸・信繁父子は上田への道を急ぎ、信幸は全軍に警戒を厳重にさせたというから、早くも敵味方として相手を見ていたことになる。
上田への道を急いでいた昌幸父子は、上野国沼田に辿り着き、沼田譲に立ち寄り入ろうとした。これは秘かに沼田城を乗っ取り、徳川方や信幸を動揺させる狙いだったという。
ところが留守を守っていた信幸夫人(家康重臣本多忠勝の息女)は厳しくこれをはねのけ、もし無理に城に入ろうとするなら舅といえど容赦せぬと武装して対峙する構えを見せた。さすがの昌幸もこれには閉口し、何らの意趣なくただ孫の顔を見たいのみだと伝えると、信幸夫人は子供らを連れて城外に出て昌幸に孫の顔を見せ、沼田を去らせたという。
しかし、上田城攻防戦において早速信幸と敵味方となった昌幸・信繁父子は、堅城戸石城をあっさり放棄してまでも信幸との直接の戦闘を回避している。


◯昌幸臨終

1611年、九度山での幽閉生活のまま死去した真田昌幸は、臨終にあたって信繁にこう告げたという。
大阪方が勝利するには、まず大阪方の軍勢を率いて尾張を奇襲する。これで東海道・中山道の出口を押さえ徳川方の出方を待つ。そうすれば家康は驚いて関東・奥州の諸大名を動員して反撃して来よう。こうして時間を稼ぎ、時期を見計らって兵を近江に引き、瀬田橋を落とし、次いで京都の宇治橋を落として防備を固めて家康を威嚇し、その間に二条城を焼き払って大阪城に籠城する。
後は緊張を強いられる徳川軍に対して、夜討ち朝駆けを繰り返せば、士気が落ち、疲弊が蓄積され、諸大名の中でも動揺や不満が広がり、大阪方屁応じるものも出始めるだろう。
その結果、家康は大阪への攻撃を継続できなくなり、引き上げざるをえなくなる。こうして天下は再度豊臣に向いてくるであろうと。
しかし、昌幸は次の言葉を付け加えることを忘れなかった。ただし、自分があと三年生きて大阪へ入城できれば、の話しである。
家康を二度も打ち負かした実績をもつ自分でなければ、大阪方の総大将として全権を掌握できないことを昌幸は見通していた。
そして、その予見通りの展開となる。
大阪冬の陣、夏の陣において、大阪方は数としては決して負けることはない戦力をもちながら、統制のとれない指揮命令系統により敗北するのである。


真田昌幸という人に対して、喰えない、こずるいイタチのようなイメージを持っていたが、この本を読んで、実は武田信玄(そして武田氏)に対しては忠誠をもっていたのではないかという風に変わった。
小国故の立ち回りのため、あるときは上杉につき、あるときは北条につき、またあるときは徳川、そして豊臣と節操なく動くのであるが、これは戦国時代という混乱期において自らの領土は何人たりとも侵させないという意志の表れだったのではないか。
そのあたりは幕末の長岡藩において、倒幕側にも幕府側にもつかなかった河合継之助の考え方と似ている。
また戦わせればピカ一だったことが、戦国時代という動乱の時代において権力者から一目おかれ、度重なる造反にも関わらず、最後は許しを得ることができ生き残れた秘訣なのだろう。
ただし、平時であれば、これだけ無節操に離反を繰り返したらどこかで権力者の誰かにつぶされているであろう。
「狡兎死して走狗烹らる」である。


久しぶりに歴史系の本を読んでみて、やはり昔実在した人に思いを馳せるというのは非常に楽しく気付きの多い時間であることを再認識した。

2015年11月1日日曜日

『パナソニック人事抗争史』

「読み物として面白い」と勧められて読んでみた本。

「ポケットマネーで50億円用意するから、(女婿の)松下正治(二代目社長。当時会長)に渡し、引退させた上、以後、経営には一切口出ししないよう約束させてくれ」
創業者の松下幸之助は三代目社長山下俊彦にそう言い渡した…

自らの手で引導を渡しきれなかった名経営者、松下幸之助の逡巡がその後の松下電器にどう悪影響を与えてきたかを書いたドキュメント。

所感をいくつか述べる。

①社長が現役でいたくて、院政を敷くための後継を選びはじめると、合コンにおける「幹事MAXの法則」と同じことになる。

合コンにおける「幹事MAXの法則」とは、幹事が合コン時に主導権を握られる(自分以上にチヤホヤされる)リスクをおかしてまで幹事以上に可愛い(格好いい)人間を連れてくることは望めないため、声をかけるのは幹事の主導権を脅かすことのない(自分以上にチヤホヤされることのない)メンバーを選定するため、幹事がMAX(一番可愛い)となるという法則を言う。(←多少違うかも)
合コンにおけるメンバー選定権が幹事にあると同様、「人事」という権力は会社組織においては社長にあるのが一般的。
社長が会長になっても権力を振りかざしたい(社長に自分の権限を脅かされたくない)と思うと、優秀な後継よりも従順な後継を選ぶようになり、会社にとって必要な「優秀なリーダー」が社長になるとは限らない、ということが頻繁にあるということだ。
これが数代続くと、どんどん器の小さな社長へのバトンタッチとなってしまうということだ。

②人事権(権力)は人を変える。

この本の中だけでも色々なケースが出てくる。
真面目で人当たりの良かった人間が、社長になった途端、人が変わったように周囲に厳しくなる。
今までは人事権に怯えていたのが、そのたがが外れることで人が変わってしまうケース。
また、失脚し人事権を失ったものは見向きもされなくなるというケース。
人事権が誰にあるかで、あからさまに乗り換えられてしまう…こういうのを、身近で見れば見るほど「権力を失いたくない」という恐怖に囚われ、必ずしも「会社のため」にならない人事が横行することになる。

③中途半端な反逆は命取り。

冒頭の遺言とも言える内容を松下幸之助は3代目社長山下俊彦に言い渡すのだが、山下は正治に引退の引導を渡すことをせず、4代目社長の谷井昭雄への引き継ぎ事項とした。
4代目社長に就任した谷井はその大役を果たそうとしたが、創業家の反発(松下家は女性が強い)や正治の執拗な反撃、不祥事の発覚等が重なって、逆に谷井が社長の座を追われることとなった。
その際、引退の引導を渡しにいったメンバーは全員松下正治から引導を渡されることとなっている。
戦国時代に、敗者の大名を一族根絶やしにした、というのは非常に残酷ではあるが、なまなかな措置のままであると、後に禍根を残す。
それがまだ権力を保有している過去の権力者であれば尚更である。


それにしても、色んな関係者の知っているちょっとした情報を集約してみると、ここまで全体像が明らかになるものか、とビックリする。
過去の話しだから言えるのだろうが、今現在でも似たようなことが起こっていると思った方が正しい認識だろう。
クワバラクワバラ。