2009年5月31日日曜日

カルティエ展

上野の東京国立博物館で行われている『カルティエ展』に行って来ました。
普段、宝飾、高級時計の類いにはほとんど縁も関心もないので『カルティエ』に関してもあまり興味がなかったのですが、仕事の関係で”展示の見せ方”が非常に参考になると言う話を聞いて見に行きました。
5月31日ということで、この『カルティエ展』の最終日だったりしたのですが、上野公園周辺は『ルーブル美術館展』なんかも同時にやってたりして(なんと140分待ち)すごい人出でした。
『カルティエ展』については待ち時間が表示されてなかったので、(隣接してやっていた『国宝 阿修羅展』の方が60分待ち表示)隙々かと思いきや甘し。
館内には各展示(要は宝飾)にビッチリくらいついて鑑賞している人だかりで移動もままならぬ感じ。
行く前には「もしかして、宝飾バリバリのパーティ仕様の格好で来る人ばかりで、普通の格好していったら場違いになっちゃうのでは?」なんてちょっと怯えてたりもしたのですが、行ってみるとみんなふつーの格好の人ばかり。

あまりの人だかりなのと、そもそも宝飾系に興味がないこともあり、”斜め読み”ならぬ”斜め見”鑑賞でしたが、1カ所、宝飾のメイキングビデオが流れているところがあって、その映像にはひとつひとつの宝飾作品が丁寧かつ綿密に作られている様子が映されていて、そこは食い入るように見てしまいました。
やはり、でかいダイアモンド使ってるだけではないことがよくわかりました。(っていうか作品みてわかれよって感じですが、正直スワロフスキーと違いわからずってなもんでした。)

それにしても、上野公園周辺のすごい人々、マスクをしている人はほとんどいませんでした。
東京エリア、本当に大丈夫なのか豚インフル!?

ペタンク

先日、柏の葉UDCKで行われた”Kサロン”に参加してきました。
各種まちクラブの方々のクラブ説明のほか、日本ペタンク協会の方々が来て、ルールの説明の他、実際にデモンストレーションを行ってくれました。
2010年の千葉国体で柏市ではテニスとペタンクが開催されます。
というわけで柏市ではペタンクの普及に力をいれています。




フランス発祥のこの球技、簡単にルールをいうと地面でやるカーリングです。
フランスでは4大スポーツの一つ(1.サッカー、2.サイクリング、3.テニス、4.ペタンク)だそうです。
7〜8cmの金属球を投げて、目標物に近い方に自分の玉をたくさん残すと勝ち、というものです。

特段使わない特殊な筋肉を使う訳でもなければ、筋力を必要とするわけでもないので、老若男女とっつき易いスポーツです。
それでいて(多分)奥が深そうにお見受けしました。
柏市でどれだけ普及するのかは未知数ですが、”柏のスポーツ”として受け入れられたらいいですね。

日経新聞にマンガ

昨日の日経新聞にマンガが載っていました。
別冊ではなく、本紙の方です。
しかも左肩の4コママンガといったちょい載せではなく、見開き含む丸々3ページでした。

マンガが市民権を得てから久しいといわれています。
日本においては首相がマンガファンを公言してはばからなくなってますし、マンガやアニメは”Cool Japan"の代名詞になっていたりします。
活字(本)が学習としても推奨されているのに対し、活字本と異なりマンガは「想像力がつかなくなる」「内容が低俗」と言われ、ことに教育筋の方からは敬遠されてきました。
とっつき易さ、ビジュアルで描かれている情報量の多さは活字本の比ではないということで『まんが日本の歴史』などの学習ものでは活用されていたのが例外的な事例でしょうか。

仮面ライダー考でも述べましたが、最近は登場人物(キャラクター)とストーリーが必ずしも一致しないのが漫画⇔アニメ⇔実写(更にはこれらから派生した活字においても)では当たり前となってきましたので、「マンガを読むと想像力がつかなくなる」という弊害は大分軽減されてきているんだと思います。
実際に、週刊マンガなんてのは「来週は一体どんなストーリー展開になるのだろうか??」などと頼まれもしないのに想像力を発揮してしまいます。

「内容が低俗」というのも、活字⇔漫画⇔アニメ⇔実写というのがメディアミックスで発信される今日では「マンガだから低俗」と言い切る方が難しくなっています。
実際、マンガならではできる表現というのも確実に存在していますし、哲学的なテーマを扱ったマンガはいくらでもあります。

一方取っ付き易さを活かした事例では、元素周期表を萌えキャラでとっつくやすくした(?)本が出てたりします。
本来とっつきにくい学術的な内容を、親しみ易い形で興味を惹くというのはマンガならではのお家芸といえるでしょう。








マンガから”憧れ”をもってその世界が好きになるということは往々にしてあります。
サッカーでは日本の中田英寿、フランスのジダンなどが「キャプテン翼」を読んでサッカーを志したというのは有名な話ですし(多分にリップサービスもあるという話もありますが)、バスケットボールも『スラムダンク』で更なる人気スポーツになりました。


また、『コミックスメモ』といったメモが最近売られているようです。
これはマンガの吹き出し部分をメモとして活用できるようになっているメモとのことですが、こういう新しいコミュニケーションツールが出てくるとマンガ文化の裾野も拡大し、さらなる高みへ昇華していくのかも知れません。

マンガファンとしては今後が楽しみです。

2009年5月30日土曜日

ワークショップセット

ワークショップのファシリテーションをやらせたら日本で何本かの指に入るのではないかと思っているプラス・サーキュレーション・ジャパンの中西紹一さんと打ち合わせをする機会があった。
今日はいわゆるワークショップではなかったのだが、ワークショップ風に打ち合わせを進めた方が良いという判断だったのか、”ワークショップセット”なるものを持って来ていただいた。
A1版の画用紙が入る大きな図面ケースに、A1版、A3版の画用紙、色マジックペン、両面テープ、セロテープが装備されていた。
このセットをもっていくと、大抵のワークショップには対応できるそうである。
この日も打ち合わせは中西さんのファシリテーションのもと、様々な斬新なアイデアが出された。
会議のやり方というのも非常に大切なノウハウである。











4クール目終了

妻の服薬4クール目が終了した。
今も時々お腹の調子では一喜一憂しているが、今クールも大きな副作用は出なかった。
次の最終クールまでのインターバルは2週間あくらしく、妻は喜んでいる。
いずれにせよ、次の最終クールで終了だ。
長く思えた半年も過ぎてしまえばもう終わりが見えて来た。
こんな調子で5年間何もなく過ぎてくれればありがたい。

2009年5月24日日曜日

『頭がよくなる照明術』 結城未来


住宅に住んだ後からも、住んでいる人が自分の考え方やライフスタイルに合わせて変えていける要素として、照明はとても重要だと思っています。
この本の中には、その照明にまつわる色々なヒントが書かれています。

人間生理学に基づいても述べられており、人間の体内時計が約25時間で1日である(サーカディアン(概日)リズム)ことをベースに各々の時間帯に脳が得意とする内容を分類しています。

○午前中・・「クリエイティブ脳」午前中は色々なことを創造する業務が適している。
○昼休み・・「エネルギー充電脳」昼寝は有効だが20分まで。コーヒーを目覚まし代わりに飲んで寝るとよい。
○午後・・「筋肉脳」スポーツをしたり、人と会ったりに適した時間帯。
○夜・・「記憶脳」記憶しておきたいものは、睡眠時間に近い夜に。

これを完全に実行することはできませんが、頭に入れながらスケジューリングをすることで効率的に仕事がすすめられそうです。

何と言っても大切なのはちゃんと朝日を浴びること。朝日をしっかり浴びて、睡眠ホルモンとも言われる”メラトニン”の分泌を抑える(メラトニンは日中太陽光をしっかり浴びることで夜スムーズにでるそうです)。これが1日のリズムを整える大切な決め手とのことです。
(逆に、夜勤の人は日中の光を眼にいれないように昼間はサングラスをするといいそうです)

視力を落とさないために簡単で効果的な方法、実は簡単、ランプ交換。
蛍光灯は時間が経つにつれ明るさが落ちてくるので気がつかないうちに照度不足になっていたりするようです。

昼光色や昼白色の蛍光灯のように明るくて青白い光のもとでは、人は比較的味覚に敏感になり、白熱電球や電球色の蛍光灯のようにオレンジ色の光では,味覚の感度が上がらないそうです。
なので自宅の場合、キッチンでは青白い蛍光灯のもとで、味を確かめながら調理し、ダイニングでは電球色の光でリラックスしながら食べるのがよろしいようです。

エコの観点からは、調光器利用がおススメ。
調光器で、明るさを落として使っていると、電気代の節約や電球の延命につながります。
明るさを半分に落とすと、消費電力は25%ダウン。寿命は約10倍に延びるそうです。

その他にも「昼光色と電球色では体感温度が1度違う」など、頭がよくなるかどうかは別として、”使ってみたくなる照明知識”が満載の本です。

2009年5月23日土曜日

『風の中のマリア』 百田尚樹

日経新聞に「ちょと難しいかと思いつつ子供達に読ませたところ、昆虫嫌いの子供達が虫に対するアレルギーがなくなった」という話が載っていて、どんな本なのか興味を持ち読んでみました。

”ヴェスパ・マンダリニア”・・いわゆるオオスズメバチのマリアの一生を物語風に生き生きと描いたものです。
昆虫界の頂点に君臨し、その獰猛性、攻撃性から大体”悪役”として扱われることが多いオオスズメバチ、よく蝉は羽化してから2週間足らずしか生きられないという話を聞きますが、何とオオスズメバチも30日あまりしか寿命がなく、しかも天寿を全うするのは1割もいません。(ちょっとビックリ)
他の昆虫やその巣を容赦なく襲うのは、幼虫段階の彼らの妹(基本的に生殖に関すること以外の働き蜂”ワーカー”は全てメス)を養育するためで、外界には百舌やオニヤンマ、オオカマキリなど、オオスズメバチの天敵ともいえる生物がいるなかで、ワーカーは文字通り命がけで狩りを行います。

物語の中で他の昆虫との会話があり、他者からみたオオスズメバチ観や、その他昆虫の生態についても描かれるので、否応無しに昆虫の世界にはまっていきます。
例えば、ミツバチにはセイヨウミツバチとニホンミツバチがいて、同じミツバチでも習性が大きく違うことが描かれています。
日本古来のニホンミツバチはオオスズメバチと長い間野山で共存してきたので、オオスズメバチの撃退法を知っています。しかし、セイヨウミツバチはそのような歴史がないのか、オオスズメバチに巣を狙われた場合には、保護者である人間が介在しない限りまず助かりません。
その一方で、ニホンミツバチはセイヨウミツバチが巣に乗り込んできて蜜を盗んでいく(盗蜂)行為に関してはまるで無力でなすすべもなく餓死してしまうのです。
1匹の大きさがまるで違うオオスズメバチに対し、ニホンミツバチが編み出した撃退法というのも神秘的です。
当然、格闘では敵わないので、48℃の高熱を出しながらオオスズメバチを取り囲むことにより熱死させるというものです。


冬になるとオオスズメバチの女王蜂候補生は一つの巣から300匹程度飛び立つようですが、無事に交尾を終えて、越冬し、自らの”帝国”を気づけるのはこのうちの1匹程度とのことです。
絶対強者に見えるオオスズメバチも、弱肉強食の生態系ピラミッドの中で一生懸命に生きていることがわかります。
この本を読むと、今まで他の昆虫を襲う残虐非道の悪役だったスズメバチを見る目が変わります。
大人にももちろんお勧めの一冊です。











それにしても、マリアとオオカマキリの戦いの時のセリフ
「早くそれを手放さないと痛い目に遭うわよ」
「悪名高いスズメバチの一族があたしに命令するの?」
「悪名高いのはお互い様よ」
といったやり取りのとき、マリアの声が攻殻機動隊の”少佐”の声(田中敦子女史)に思えるのは何故でしょうか?

2009年5月16日土曜日

『冒険者たち』 斎藤敦夫

先日の日経新聞で「児童文学もあなどれない」という記事があり、その事例の最初に載っていたのがこの『冒険者たち』でした。
その昔、「ガンバの大冒険」としてアニメで見ていて親近感があったこともあり、何の気無しに本屋で見つけて購入し読み始めたら、確かにあなどれない!
むさぼるように読んでしまいました。

作者が八丈島で美しいイタチをみてインスピレーションを得たあとは勝手に登場人物(登場動物?)が動きだし、2ヶ月の短期間でこの本を書き上げてしまったそうです。


「小学校4,5年〜」と書いてあるのでブックカバーしないとちょっと恥ずかしかったですが、下の子供にあげたら、これまた大喜びで読んでいます。
世代を超えて楽しめる本です。

2009年5月12日火曜日

『人生の地図』 高橋歩


素敵な写真と心に響く言葉がひとつになった本。
写真も素晴らしいものが多く、ぬるま湯状態から脱却したい時にはお勧めの本。
マクドナルドのクオーターパウンダーの”Big Mouth!!"の宣伝にぐっとくるような人には超お勧めです。
色々な素敵な言葉があるのですが,
「必要なのは勇気ではなく、覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める」
がお気に入りです。


それにしても、写真は全て海外のもの。
日本の写真(人物・風景)では、夢を鼓舞するようなものができにくいのでしょうか。
海外、未知なるものへの”憧れ”が必要だからでしょうか。
いつか、日本の写真で同じような素敵な本ができたらと思います。

『バッテリー』 あさのあつこ


1000万部を超えるベストセラーとはつゆ知らず、子供の課題図書が『バッテリー』の第1巻で、家に転がっていたのを何気に読み始めたら止まらなくなり、続編(全6巻)も大人買いしてしまいました。
主人公達のほぼ1年間を瑞々しく描いたものですが、あさのあつこさんはこれを書き終えるまでに10年を費やしているそうです。
情景がいやでも目に浮かんでしまうような分かり易い表現と、色々な人間模様にみるみる引き込まれてしまいます。
あさのあつこさんのことはよく存知あげませんが、作者は相当ねちっこい人なんだと思います。でなければ伝わらないような登場人物への思い入れを端々に感じます。
最後のシーンは本当に目に浮かんだ気がしました。

2009年5月10日日曜日

千葉県西部防災センター

子供のビーバースカウトに付いて千葉県西部防災センターを見学して来ました。
建物の隣に素敵なシロツメクサの敷き詰められた庭があるのですが、これは防災時にはヘリコプターのホバリングスペースになるそうです。














入ってすぐのところに大きな地球儀があって、世界の震源地になったところが点描されていました。
みると日本が地震大国であることが一目瞭然です。
プレートが分かれている感じやら、お隣の中国にはあまり地震がないということもよく分かりました。












ここでは、秒速30mの風体験やら、煙の立ちこめる廊下を姿勢を低くして避難するコーナーやら、防災関連の色々な体験ができます。
震度7の揺れを体験できるコーナーもあったのですが、大人はパイプにつかまっていれば立っていられないことも無い程度で(ちょっとひどい運転士のときの常磐線+αくらい?)、震度4でもちょっとおっかなく感じる実際の地震の揺れとの感じ方に違いがあることに気がつきました。
これは”通常揺れるはずの無い”ものが揺れている恐怖心と、モノが散乱したり、ガラスが割れたりする音による恐怖というものが,揺れを一層大きく感じさせているということではないでしょうか。
(”そういうもの”だと思えばこそ、幼稚園のジェットコースターなんかは耐えられますが、実際の高速道路で車があんな状態になったらもう観念しちゃいますよね)

面白かったのは、防災備品でサランラップが役に立つという話。
○水が無い場合、お皿の上に引いてポイ捨てできる。
○グルグル巻いて保温に利用。
○怪我したときにグルグル巻きで圧迫し止血に利用。
○煙等の時に、頭にまいて、簡易ゴーグルとして利用。
など、色々活用方法があるそうです。

2009年5月6日水曜日

『ゆる体操 超基本9メソッド』

高岡英夫という人の書いた本です。
「自分が何かというと色々あって何と言えない」と著書に書いてしまう位なので、”運動科学者”というような一つの肩書きでは嫌なんでしょう。
その辺りの過去自慢話系を見る(読む)と正直、”ばったもん臭い”のですが、書かれている内容については結構うならされるものがあります。
高岡氏については、新浦安で「ゆる体操」の実演会があった時に見に行って、本にサインをもらって握手してもらったりしたこともあります。


内容については氏のライフワークである『ゆる体操』についてなのですが、サラリーマン向けに「ローコスト(低カロリー、低疲労、低ストレス)」であることを主眼とした体操に厳選されているのが今回の本の特徴です。

就寝前に寝ながらできる「寝ゆる黄金の3点セット」として
「腰モゾモゾ体操」「すねプラプラ体操」「ひざコゾコゾ体操」の3つが紹介されています。
名前だけ見ると、馬鹿にしてんのか、という感じですが、一つ一つ体操の医学的な意味も書かれているので納得感があります。
人を馬鹿にしたようなネーミングについても、その理由が書かれています。擬態語を使うと脳が、言語野だけでなく、運動野、感覚野と言った部分も使われるため、脳の総合的に活用につながるのだそうです。
何と言ってもローコストでできてしまうので、続けられそうなのが素敵です。

ステージⅡとして、椅子を利用した「椅子まわり3点セット」、ステージⅢとして「わざゆる3点セット」が紹介されてます。
この「ゆる体操」はステップアップメソッドなので、ステージⅠがクリアできないと次には進めないそうです。
(というほど難しくもない気がするのですが。。)

先日の柏の葉「はっぱっぱ体操」コンテストを見て思ったのですが、男女問わず”素敵な人”は体操も上手でした。
たかが体操とあなどらず、日々『ゆる体操』と『はっぱっぱ体操』に励みたく思います。



2009年5月5日火曜日

谷根千散策

谷根千散策に行って来ました。
”谷根千”とは谷中、根津、千駄木の頭文字をとって森まゆみというエッセイストがつくって発信していった名前だそうです。
谷中は台東区、根津・千駄木は文京区、日暮里脇はもう荒川区と、放っておくと行政区の隙間に落ちてポテンヒットをおこし、地域おこしがしづらかったであろうエリアのポテンシャルを救い上げて発信したのは慧眼と言わざるを得ません。

昨日は3月に放映されたアド街ック天国を再度みておさらいをしました。
朝早く行こうと思っていたのですが、なんやかんやで結局昼過ぎ到着となってしまい、お目当てにしていた釜竹の釜揚げうどんのランチは行列で2時間待ちとのこと。あえなく断念。














根津神社の近くの定食屋さんでランチをしてから、すぐ隣の『根津のたいやき』へ。
できたての薄皮たいやきが美味しかったです。個人的にはもうちょっと甘みが少なくてもいいかも。












その後金太郎飴を買いに。棒状のも、切ったモノも売り切れていたのですが、「まだ固まってないものでよかったらあるよ」と言って奥から出して来て売ってくれました。この辺りが個人商店の魅力です。














谷中銀座に向けてプラプラ散策開始。
途中、結構おなかはいっぱいなるもの、芋甚のアイスモナカを購入。
アド街で「シンプルだけど他に無い」と評されていたのが、分かった気がします。
小雨降りしきる天気だったのですぐに買えたのですが、晴れてて暑かったら並んでいても不思議ありません。











明治創業の丁子屋でウインドウショッピング(?)してからへび道を通ってよみせ通りへ。
へび道では色んなところにポツポツとおしゃれなお店が並んでいて、散策はとても楽しいものでした。
「へび道」には道路境界の杭なんかは見当たらなかったのですが、幅員から考えると建築基準法42条2項該当のいわゆる”2項道路”なんでしょうか。
まっすぐ碁盤の目という面白くない道路計画ではなく、複雑に入り組みそれでいて迷子になる心配のないエリア設定(周囲には不忍通り、言問通りなどの大通りに囲まれているので、最悪大通りに出てしまえばよい)されているのが散策していて安心できて気持ちいい秘訣なのかもしれません。
そういえばヨーロッパの街並も通りは碁盤の目ではありません。
碁盤の目は京都のようにわかりやすいかも知れませんが、散策するならちょっと変化が欲しいところです。(京都は町家の店(見世)の間があることで単調な碁盤の目を緩和していると思いますが。)
新しい街づくりでは、実はこうした小さな小気味の良い店舗が立ち並ぶ”通り”を作ることが非常に困難です。
福岡伸一教授が『動的平衡』で「”生命と機械の違い”は『時間』の概念があるかどうか」と述べていたのと同様に、都市についてもパーツ(施設)を用意しただけでは機能せず、『時間』(すなわち『タイミング』であると福岡教授は言っています)の概念が必要なのかも知れません。
だとすると”都市”とはひとつの”生命”ともいえます。
歴史をもてるような長い時間を必要とせずに街を新たに創るということは、新しい生命を人工的に誕生させることに近いのかもしれません。


それから最後に谷中銀座へ。
ちょっと狭めの商店街で、その規模感がいい感じなだけでなく、『下町コンシェルジュ』を設けたり、お店の看板についても一定のトーン&マナーで統一したりと細かいところにも配慮が行き届いているのが人気の秘密なのではないでしょうか。
「肉のすずき」か「肉のサトー」でメンチカツをがっつきたかったのですが、すごい行列となっており、これまた断念しました。
また食べに来るぞー!
















日暮里駅に向かう途中でショコラティエ イナムラ ショウゾウでケーキとチョコを購入。
美味しかったのですが、濃厚すぎてケーキは一気に丸々一つは食べれない感じでした。

2009年5月4日月曜日

ヴィレッジヴァンガード

ヴィレッジヴァンガードの外においてあったガチャガチャを子供がやったらお金が詰まってしまいました。
店員さんを呼んだら若いお兄さんが出て来たのですが、「詰まってますね。すみませでした。」と謝罪した後、
「お詫びにどれでも選んでいいですよ」
ご存知の通りガチャガチャは何がでてくるかで価値は桁違い。
子供は大喜びでお目当ての品をゲットしてました。
ヴィレッジヴァンガードは店ごとに仕入れやらPOPに裁量を持たせていると聞いています。
細かいようなことですが、店員が裁量を与えていなかったら単にお金のつまりを直して終了だったと思います。
従業員全員に20万円までの裁量権を持たしているリッツ・カールトンに限らず、ヴィジョンを共有した自律的な組織であれば、現場が裁量権を持つような組織づくりは大切だと思いました。

ちなみに、その後ヴィレッジヴァンガード店内で。
色々とネタ元に難ありということで回収が始まっているディズニーランドの心温まる話集の『最後のパレード』のPOP。
さすがです。
思わず購入してしまいました。

柏の葉 マルシェコロール

昨日に引き続き柏の葉へ。
イベントを見て来ました。

駅前のUDCKではマルシェコロールが行われていました。
谷根千のアド街でも紹介された『あめ細工 吉原』の吉原孝洋さんも実演できてました。
谷根千行ったら寄ろうと思っていたら、柏の葉で会えたのでちょっとびっくりしました。
http://ame-yoshihara.com/index.html
80℃の飴が冷める前に色づけ、カタチ形成を鋏ひとつで行う技は正に職人芸!
目の前でリクエストを聞いてから作ってくれます。
お聞きしたら、1日に100個くらいつくるそうです。1個約3分位(お客様にお出しするのは冷ますの入れて5分)なので毎日300分位は飴と格闘していることになります。
飴作りもデリケートな作業なので、露天だと風の方向は飴が冷めてしまうので、室内と違って難しいとのことでした。













柏の葉ハチミツクラブの方によるハチミツのテイスティングがあって、季節ごとの柏の葉ハチミツと市販のハチミツの比較ができました。
柏の葉ハチミツは季節ごとにソバ、クリなどの花の香りがするのに対し、市販のものは甘いのですがコクがない感じでした。
「私たちも特段養蜂に詳しい訳ではなくて、ハチミツなめたさにやってるんですよ〜。是非いらして下さい!」
と勧誘されました。
土曜日11:30〜@柏の葉フューチャーヴィレッジ。行こうかしら。



2009年5月3日日曜日

柏の葉 はっぱっぱ体操コンテスト

ららぽーと柏の葉で行われた、『はっぱっぱ体操』コンテストを見に行きました。
この『はっぱっぱ体操』、柏の葉発の体操ということで地域に根付くための運動を行っているものです。





○監修された小林寛道先生がおっしゃってましたが、この『はっぱっぱ体操』、(実は)体操でもなければダンスでもない(当然、踊りでもない)新しいジャンルの運動です。

○結局グランプリは3歳児を含む年少グループと還暦前後のシニアグループという、柏の葉の『老若男女が主人公』というテーマを体現したような結果でした。
3歳児の年少グループにはどうやって教えたんだろうと思って見ていたのですが、彼らは通常の左右逆に体操してました。(通常全ての動作は右からなのが左から)これは、DVDをみて鏡と同じ動きをした方が覚え易いということではないでしょうか。(自分も練習用DVD見て自宅でやるのですが、斉藤美音子センセイと左右逆にやるというのが実は非常に難しいです。)
鏡写りバージョンもあると良いのではないかと思いました。

○コンテスト1年目だったにも関わらず、どのチームも自分たちなりのアレンジを加えていました。
このはっぱっぱ体操は、アレンジを加えて良い部分が用意されているのですが、その他の部分でもアレンジを加えているチームが続出でした。ちょっと「いじっていいんだよ」って要素を盛り込んでおくだけで、(ある意味勝手に)自分流にアレンジしていくリテラシーの高さを皆がもっていることを痛感しました。

○グランプリの若柴町会グループの方が、「この『はっぱっぱ体操』楽しいだけではなくて、本当に健康にいいものです。体調はよくなるし、便秘も治りました」とおっしゃってました。
楽しいだけでなく、健康にもいい運動がもっと広がっていくといいですね。












147街区マンション工事部隊「チーム147」によるニッカポッカでの演技












着ぐるみ部隊も大活躍

2009年5月2日土曜日

いち遊











北小金団地内のおいしいと評判のおそば屋さん『いち遊』に行って来ました。
ちょっとお値段は高めですが、お店の雰囲気といい、食器のセンスといい、駅から離れた住宅地内のお店とは思えない内容でした。
こういうお店が住宅地内にあるというのは、周辺にお住まいの方々のセンスの高さも感じるな〜と思いつつ、ニシンそば大盛りを平らげたのでした。


2009年5月1日金曜日

『動的平衡』 福岡伸一


福岡伸一氏という分子生物学者(『生物と無生物のあいだ』の著作者として有名)が、分子レベルでの生命の営みを分かり易く示した本です。
タンパク質の分解・吸収といった科学的なテーマが、「生きる」とは「学ぶ」とは、という哲学的なテーマにつながっていくので、もうたまりません。

子供の頃の1年に比べて、年をとってからの1年は何故速く感じるのか。
分子的な整理でいくと、”分子の代謝回転”が異なるから、ということになるそうです。
子供の頃は代謝が活発なので、同じ1年間なら大人よりも分子の回転が早くなります。
大人よりも回転数が多いことが、1年を長く感じることにつながっている(分子の代謝回転により時間経過感覚がことなる)ということです。

『人間は考える管である』
といういい方でタンパク質の循環という生命の営みを表現しています。
食物を飲み込んだ瞬間にカラダの一部になるわけではなく、分解吸収されて初めて”自分のカラダ”になるというごく当たり前のことに気づかせてくれます。
(これはお酒を飲み過ぎて”戻す”時にも痛感しますが)

”You are what you ate.”
というテーマでは、食の安全にもっと消費者はコストを払うべきであるという提言をしています。

生命と機械との違いは何か。
「生命の仕組み」と「機械のメカニズム」の違いを読み解く一つの鍵は”時間”だろう、としています。
>>
基本的に,機械の組み立て方において、時間の順序は関係しない。
2万数千種類のミクロな部品(タンパク質)を混ぜ合わせても生命は立ち上がらない。それはどこまでいってもミックスジュースでしかない。
全体は部分の総和以上の何ものかである。
プラスα部分を「生気」のようなものととらえるとオカルティズムに接近する。
もちろん生気などというものはない。だが、プラスαはある。プラスαは端的にいえば、エネルギーと情報の出入りのことである。
生物を物質のレベルからだけ考えると、ミクロなパーツからなるプラモデルに見えてしまう。しかし、パーツとパーツの間には、エネルギーと情報がやりとりされている。それがプラスαである。
生命現象のすべては、エネルギーと情報が織りなすその「効果」の方にある。
テレビを分解してどれほど精緻に調べても、テレビのことを真に理解したことにはならない。なぜなら、テレビの本質はそこに出現する効果、つまり電気エネルギーと番組という情報が織りなすものだからである。
そして、その効果が現れるためには「時間」(正確には「タイミング」)が必要なのである。
>>


ES細胞についても”空気の読めない細胞”という分かり易い比喩でその本質を説明しています。
>>
ES細胞(エンブリオニック・ステムセル:胚性幹細胞)
初期胚の段階では、それぞれの細胞はどんな細胞にもなりうる万能性(多機能性)をもっている。
各細胞はそれぞれ徐々に専門化の道を歩み始める。この分化はどのように決定づけられるのか。
それぞれの細胞は、将来何になるか知っているわけでもなく、運命づけられている訳でもない。また、指揮しているものがいる訳でもない。あえて擬人的な喩えをすれば、各細胞は周囲の「空気を読んで」、その上で自らが何になるべきか分化の道を選んでいるのである。
各細胞は、細胞表面の特殊なタンパク質を介した相互の情報交換(すなわち「話し合い」)によって、それぞれの分化の方向について、互いに他を律しながら分化を進めて行く。そして、このプログラムは常に進行する。つまり細胞は「立ち止まる」ことがない。
空気が読めない、しかし増えることをやめない細胞、それがES細胞である。
エバンス博士が「ES細胞を樹立した」というのは「分化の時計をとめたままでいられる」細胞を得たということ。
1981年のことである。
>>


病原体は本来「分子の相補性」により種を越えて伝染しないはずのものです。
だから同じ種であるヒトを食べちゃいけないよ(カニバリズムは危険だよ)、という訳なんですが、今流行の豚インフルエンザなんかはその種の垣根を越えてしまっているわけです。
だから当然免疫なんかもないし、これが強い毒性をもっていたら大変な事態となります。


私たちの細胞内にある”ミトコンドリア”(ギリシャ語で『綾なす微粒子』)は実はもともと別の生命体で、ミトコンドリアとその宿主細胞は相互恵与によって共生しているそうです。(ミトコンドリア周囲の二重の細胞膜はミトコンドリアが取り込まれたことの痕跡。瀬名秀明の『パラサイト・イブ』はこのミトコンドリアの反乱がテーマ。)


「生命とは」何か。もう哲学です。
>>
生命とは何か。
20世紀的な見方を採用すれば「生命とは自己複製可能なシステムである」となる。
しかし、この定義には、生命が持つ、もう一つの極めて重要な特性がうまく反映されていない。
それは、生命が「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」という古くて新しい視点である。
「生命とは、動的な平衡状態にあるシステム(dynamic equilibrium)である」
可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ平衡を維持できる。
このように考えるとサスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのが自ずと知れる。

科学は人間にとって不可能なことも教えてくれた。それは時間を戻すこと。つまり、自然界の事物の流れを逆転することは決してできないという事実である。これが「エントロピー増大の法則」である。
エントロピーとは「乱雑さ」の尺度で、錆びる、乾く、壊れる、失われる、散らばると同義語と考えてよい。
秩序(「美」あるいは「システム」)あるものは全て乱雑さが増大する方向に不可避に進み、その秩序はやがて失われていく。
すべては、摩耗し、酸化し、ミスが蓄積し、やがて障害がおこる。
生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。
エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまり「動的平衡」(dynamic equilibrium)である。
長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこをしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追い抜かれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ずくる。それが個体の死である。
ただ、その時はすでに自転車操業は次の世代にバトンタッチされ、全体としては生命活動が続く。
現に生命は地球上に38億年にわたって連綿と維持され続けてきた。だから個体というのは本質的には利他的なあり方なのである。
すべての生命が必ず死ぬというのは、実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊がおこる前に、秩序は別の個体に移行しリセットされる。
「生きている」とは「動的な平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いを付けているということである。
換言すれば、時間の流れにいたずらに抗するのではなく、それを受け入れながら、共存する方法を採用している。
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最後に「何故学ぶことが必要なのか」。
『下流社会』で内田樹さんが
「教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度まで進行するまで言うことができない。」
すなわち、学んでみないと何故学ぶことが必要なのかわからない、と言っていますが、福岡教授は生命としてのヒトという立場から学ぶ必要性を以下のように述べています。
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「何故学ぶことが必要なのか」それは「私たちを規定する生物学的制約から自由になるため」である。
私たちが、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。ことさら差異を強調しわざと不足を補って観察すること、ランダムに推移する自然現象を無理にでも関係つけることが、長い進化の途上、生き残るうえで有利だったからだ。
今や、私たちの目的は、生存そのものではなく、生存の意味を見つけることに変わった。ところが、かつて私たちが身につけた知覚と思考の癖はしっかりと残っている。
「直感に頼るな」その誤謬を見直すため、あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にする。
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う〜ん、科学と哲学の融合したようななんとも素晴らしい本でした。
合掌。

『教育×破壊的イノベーション』


『イノベーションのジレンマ』の著者、クレイトン・クリステンセン他の著作。
企業におけるイノベーション理論を応用し、教育にもちこむとどうあるべきであるのか、ということが語られている。
具体的には、コンピューターを用いて、個人ごとに学び方をカスタマイズするべきであり、そうなっていくであろうというもの。
ハーバード大学のハワード・ガードナーの8つの知能をベースに、どの知能に長けているかで、効果的な(吸収し易い)教え方は異なるという考え方がベースとなっている。
2012年くらいから本格的にコンピューターを用いたカスタマイズされた教育がすすんでいくはずだという啓蒙の書の感がつよい。

対数軸を設けることでS字カーブを直線化し、「破壊」の時期を予測するという手法などは興味深かった。
(これにより、2012年頃からどんどんコンピューターにカスタマイズされた教育が進展すると予測している。神田昌典氏のS字カーブを続けていくことで企業は存続できるという考え方に近い)


著作内でもイノベーションのジレンマの理論が諸処語られるのだが、翻訳者の櫻井祐子女史によるイノベーションのジレンマ理論の解説が一番分かり易かったかもしれない。

イノベーションのジレンマの理論
1.一般にイノベーションによる性能改良は、顧客の要求(ニーズ)の上昇よりもはるかに速いペースで進む。
2.イノベーションには、確立した市場での性能改良を追求する「持続的イノベーション」と、無消費(消費が何らかの障害によって妨げられている状況)を市場化する「破壊的イノベーション」がある。
3.「破壊的イノベーション」による製品は、既存技術に比べてコストが安いが、最初は性能が劣っているため、既存顧客のニーズを満たすことができず、また既存技術の製品に比べて収益性も低い。
4.その結果、既存技術の成功企業は「持続的イノベーション」の追求を優先する。
5.一方、破壊的イノベーションは少しずつ改良され、やがて既存市場のニーズも満たすようになっていく。
6.以上が「既存成功企業が新技術への転回に失敗することが多い」理由であり、産業のリーダー企業が長期的に入れ替わる理由である。
7.既存企業がこのジレンマから逃れる方法は、既存製品との内部競合を恐れず、破壊的イノベーションを追求する組織を、既存組織から分離して完全に自由にその開発を進めさせることである。

この理論の魅力は、現実を「誰かの怠惰や悪意」によって説明するのではなく、人々の「努力や善意」こそが停滞をもたらすという人間性への深い理解にある。

レイソル観戦


長男と二人で柏レイソルの試合(vs大分トリニータ)を日立台サッカー場まで観戦に行って来た。
やはり日立台は柏の葉と違ってピッチが近い。
12000席のところ9500人位の入場者だったようだが、見た目はほぼ満席。
今年の柏レイソルは石崎監督がいなくなったからか、今ひとつ切れがなく、先制点は大分。
前半0−1で後半も中々点が入らなかったが、北嶋がヘディングでいれてから押せ押せムード。
ほとんどロスタイムという時間に大津が頭でねじ込んで逆転ゴール。
いや〜盛り上がるし感動。。
個人的にはよく動く菅沼実とか山根巌とかの動きが好印象であった。