2011年10月31日月曜日

『石原慎太郎はなぜパチンコ業界を嫌うのか』

正直、自分はアンチぱちんこである。
とはいえ、よくパチンコ業界について知らないので、勉強しようと思って購入した。

平沢勝栄氏のCR機導入の経緯、封入式というものがいかなるものであるか、今後釘のない封入式が出てくる可能について、など、勉強になったような気はするものの、やはり記述がぱちんこを知っている人向けのマニアな内容で正直、ついていけない部分が多かった。

パチンコが「実体として存在している」のは「違法に対して警察などが黙認している」からではなく、「司法が違法と判断したことがない」からというのは初めて知った。
当然の既知の内容のように、パチンコ業界の資金は北朝鮮に流れているというような記載もあって、どこまで書くのがタブーなのかと、これまた良くわからなくなった。

全日遊連の統計では2011年5月末時点で、全国のぱちんこ店の数は1万1,000店強。セブンイレブンの店舗数と方を並べるということだ。
ぱちんこチェーン最大手の株式会社マルハンの2011年5月末発表の平成23年3月期決算短信によると、売上高約2兆390億円(前年度比3.9%減)、純利益約220億円(前年度比19.4%減)。決算を公表してから初の減収減益らしいが、数字だけ見ると立派な大企業だ。

石原都知事の話しで大きかったのは
「東京電力管内のぱちんこ店の消費電力量450万キロワットで福島原発の第1と第2を合わせた定格電気出力合計は900万キロワットを少し越える程度」
と言ったのを、間違いを指摘されて
「パチンコは84万キロワット。自動販売機が26万キロワット。福島(第1原発の1号機)が46万キロワット。」
と意図的に言い直しをしたということか。
ちなみに福島第1原発の2号機から5号機までの約78万キロワット、6号機の約110万キロワット、福島第2原発の各号機の約110万キロワットと比べて、福島第1原発の1号機は極端に出力が小さいのにそれを引き合いに出して比較したところに悪意があるとのこと。
それにしても、こういう形でタイトルに「石原慎太郎」と名前を使うのは本人の許諾を得ないで可能なのだろうか。それともちゃんと許諾を得ているのだろうか。

読んでは見たけど、結局ぱちんこ嫌いは変わらない感じだ。

2011年10月30日日曜日

『ムカつく相手を一発で黙らせるオトナの対話術』 

『アタマにくる一言へのとっさの対応術』で有名な、バルバラ・ベルクハン女史の著作。
タイトル読むとどんな過激な対話術なのかと思うが、実は合気道の精神による「柔よく剛を制す」返し技が述べられている。

☆「やまびこトーク」
相手の発言の中から、あなたが気分を悪くした言葉を抜き出して、それがどう言う意味かを尋ねる。
「それはどう言う意味でしょうか?」
やまびこトークは対立ではなく、対話が前提。

☆「沈黙する」
沈黙は実は立派な返し技。
「力強い、堂々とした沈黙」を。
・にぎやかな沈黙。表情や身振りで沈黙に色をつける。

☆ひとことコメント
「あ、そうなんだ!」
これは単なる返し技よりずっと意味のあるもの。人生に対するひとつのゆるぎない態度であり、形而上学の基本であり、同時にまた落ち着きと楽しみの永遠の源でもある。

☆「同調し、補強する」
同調するとは、反対せずに相手の動きに合わせる。それから、その動きを補強する、いや誇張する。
抱きしめられれば敵は動けなくなる。

非常に頑固な知ったかぶりの人達への対処方法
・最初に一言二言ほめる
・それから客の希望を書き出す。(相手は熱心にメモするのを自分の意見が尊重されていると感じる)
・希望リストにいくつか書き加える(が、客はすべて自分の考えのように思う)

☆「迂回トーク」
感情的になったら話題を変える。
「それはそうと、」で最終的には本来の話題に戻る。
政治家のよくつかうのもこれ。単なる逃げの一手であるが、楽しいことに目を向けるように迂回できれば悪循環から抜けることができる。

☆「場違いなことわざ」で相手を混乱させる


返し技の手法の他、心得についても述べられている。
面白かったのは「インスタント・カルマ」という考え方。
<インスタント・カルマ>
あなたが人に報復すれば、それは、あなたが報復の効果を信じていると認めることになる。
あなたの世界では、いまや「効果のある報復」が存在することになる。
つまり、自分が誰かに仕返しすると、他人も同じことをするのではないかと不安を抱くようになる。
その時から、あたなには気味の悪い同伴者がくっついてくる。それは、人にこっそりと傷つけられるのではないかという恐れ。そう、我々はいつも自分を基準にして他人を推し量るのだ。
一種の妄想。これこそがインスタント・カルマである。
だから、報復しないのは自らのため、情けは人のためならず、というわけ。

<自分を怒らせるのは自分>
我々の最大の敵は外にいるのではない。それは、頭の中の石、つまり凝り固まった考え。
怒り、不安、嫉妬、羨望、失望。これらは人から与えられたものではない。誰もあなたを怒らせることはできない。あなたがあなたを怒らせるのだ。

<相手をトレーニングパートナーと考える>
敵ではなく、トレーニングパートナーと考える。すると感謝の念すら湧いてくる。

<男女間には深くて暗い河がある>
男性の場合、言い争いはしばしば仲間意識の表れだが、女性では、こういうことは非常に稀。
女性が言い争う時はたいていの場合、本気。
男性というのは、力比べをして、どちらが強いか知りたい生き物。ボスが誰かを確かめることは、男性にとって、女性よりはるかに重要な関心事。多くの男性は、たとえ遊び半分の場でも、調和よりも権力の方にはるかに関心をもっている。
ほとんどの女性は人となごやかに会話をするのを好む。女性にとってなごやかとは、お互いにできるだけ相手の感情を害さないことを意味している。言葉のやり取りで勝負するなどというのは馬鹿馬鹿しいし、ボスでいることよりも、お互い親密で分かり合うことの方が大事。

さらに、男女間の違いに加えて以下の内容を読むと夫婦喧嘩(少なくとも我が家の)は良くわかる。
<長期間にわたる諍いに関する対処法>
長期間にわたる諍いは、どれも非常に頑丈な建材でできている。これを頭の中の石と呼んでいる。
・常に「私は・・・」で話し始める。
非難するとき、会話はたいてい「あなたは・・」「君は・・」で始まる。
・お互いに最後まで話しをできるようにする
・今問題となっていることについてだけ話し、昔の諍いを蒸し返さない。

「だから、昔の話しは蒸し返しちゃいけないんだよ」って言ったらもっとこじれるんだろうな。
気をつけよう。

2011年10月15日土曜日

東葛駅伝

息子が中学3年の最後の現役出場ということで東葛駅伝に出場するというので、応援にいった。
出発の時間の頃に、風だけでなく雨も激しくなって来ていたので中止も考えられたが、決行。結局雨は最後上がっていた。
小さな学校名を書いた幟を持って出発。
駅伝の応援は銚子駅伝依頼となるが、今回も結構人が多く来ているのにびっくり。
走り終えた後の学校の先生、後輩とのやり取りを見て、息子も自分の世界を持ち始めていることを認識し、ちょっと頼もしく思った。

『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』

「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」の異名をとる、三輪康子さんの著作。
ヤクザとのやりとりの実話も面白いが、関心したのはクレームを行うにあたって大切な心構え。

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クレーム対応において、最も大切だと思うのは「自己肯定感」。
一歩進んで「自画自賛力」といってもいい。
たいてい「すごいね」なんてほめてくれる人はなかなか見つからないもの。それは、自分がダメなのではなく、誰だって自分自身のことで精一杯だから。
それなら自分で褒めればいい。
大切なのは、自分で自分を責めないこと。
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「自分の成長を褒めよう」というのは、かつて会社のクレドとして自分が考えたものであったが、社会人になり、管理職になるとなかなか褒めてくれる人はいなくなる。
成長するのが若手の専売特許でないとすると、管理職だって褒められることでモチベーションアップにつながるはずである。だったらそれを活用しない手はない。
成長の糧になることは、逆境においても同様の効果を生むはずである。
クレーム発生時に「人気者だから呼ばれちゃった」という考え方ができるのはその効果の現れだと思う。
ギリギリのクレーム対応にあたっている三輪さんが重要視しているのが「自己肯定感」だというのは非常に面白く感じた。

その他三輪さんの採用基準(人の言葉を素直に聞ける心の柔らかさと、臨機応変に対応できる心をもっているかどうか)など、含蓄深い内容が多い。
単純な歌舞伎町日々日記的読み物としても面白かった。

2011年10月10日月曜日

『ピクト図解』

ビジネスモデルをピクト化することで、既存ビジネスモデルの本質を見抜き、それを発展させるアイデア発想法まで展開した意欲的な本。
現在、様々なビジネスモデルをもつ会社と協議する機会が多いので、整理するのに非常に役立ちそうであり購入した。



既存のビジネスモデルを大別すると8つに分類できるそうだ。
<代表的な8つのビジネスモデル>
①シンプル物販モデル
②小売モデル
③広告モデル
④合計モデル
⑤二次利用モデル
⑥消耗品モデル
⑦継続モデル
⑧マッチングモデル

この他にも派生型として
「横取りモデル」
「ライセンスモデル」
というものが挙げられている。

大切なのは、「ありそうでなかった」モデルを考案すること。
現実できなければ意味がない。

著者はピクトにより「見える化」できたビジネスモデルを発展させるアイデア手法として、ブレーンストーミングを考案したアレックス・F・オズボーンによる「オズボーンのチェックリスト」に似た『ピクト図解チェックリスト』を考案している。
<ピクト図解チェックリスト>
1 足したらどうか 複数のビジネスモデルを足したらどうなる?
2 分けたらどうか 1つのビジネスモデルを分割したらどうなる?
3 逆転させたらどうか ピクト図の中の矢印の向きを逆転させたらどうなる?
4 流用したらどうか 別のプレーヤーに流用したらどうなる?
5 長さ(時間)を変えたらどうか 課金時間の長さを変えたらどうなる?

また、重要なこととして、「拡げたアイデアの風呂敷のたたみ方」というのも提示している。
①「やってはいけない”OBゾーン”を決めておく」
②具体的目標数字を設定する。それに照らして考える。
③実現可能性を考える。(いつまでに達成する必要があるのかも大事な要素)
具体的にビジネスモデルを実現するためには、「プロフィット×リアリティ(スピード)のマトリクス」に基づき、遅くてもプロフィット重視か、収益は低くてもスピード重視かの優先順位づけを行う必要がある。

最後に、「気持ち」というエレメントが加わると、マーケティングなどの高度で複雑なビジネス概念をピクト図で表現できるとの記述があり、これは次の著作にて述べられるらしい。
次回作が待たれる。

『アースダイバー』

会社の同僚のK君から教えてもらった本。

地質学の研究によって、今東京のある場所が、縄文海進期と呼ばれる時代にどんな地形をしていたのかは、洪積層と沖積層の地層の分布を丁寧にみていくとわかる。
どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることがない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩という時間の浸食をうけにくい「無の場所」のままとどまっている。時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。

・・・というわけで、東京の色々な場所について、洪積層と沖積層の研究により縄文時代にどのような場所であったか、という視点から考察した本。
新宿の鈴木九郎伝説、歌舞伎町の成り立ち、四谷怪談が生まれた背景、「富士講」から始まった渋谷、上野と芝と候補があがった東京タワー、埋め立てでできた銀座、浅草などの下町。。東京の街の生い立ちを縄文時代の地形と絡めて考察するエッセーといってもよい。

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古いお寺や神社は当然として、盛り場の出来上がり方や、放送塔や有名なホテルの建っている場所など東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係を持っている。
かつては死霊の集う空間は、神々しくも畏れるべき場所として特別扱いされていた。神聖な空間だからこそ重要なスポットだと考えられていた。
今日の東京のランドマークの多くは、古代に「サッ」と呼ばれた場所につくられている。「サッ」という言葉は、生きているものたちの世界が死の世界に触れる、境界の場所である。
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大きな敷地を使う大学や、電波塔などが人が立ち入らないエリアの土地を利用されているというのはプロセスを考えると納得できる話しではあるが、それはそういう「死」と関わる神聖な場所であることを人間が本能的に知っているからである、という考察はやや突っ込み過ぎながらも面白い。

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都市の出来上がり方を調べてみると、市(バザール)から発達してきたものが多いことに気づく。大きな寺院や神社を中心として発達してきた都市というものをよく見てみると、寺社の門前町みたいにして出来た市が大きくなってきたというケースも多い。面白いことに、こういう市のことを「市庭(いちば)」ということがあり、これは日本語だけの特殊な話しかと言うとそうではなく、都市というものは人類的に見ても、どうも「庭」と本質的な関係をもっているらしい。
庭を意味する言葉は、古くなれば古くなるほど、神や仏の集まってくる場所という意味に近づいてくる。神や仏は、現実の世界をつくりあげている規則やしがらみに縛られていない、自由な状態にあるもののことを指している。そこは諸々の重力から自由になったものたちが、軽やかにお互いのあいだを自由に行き来している空間なのである。

完全なる庭としてつくりあげられることこそが、都市の理想、都市の夢なのである。そこにはしがらみから自由になった人や物が集まってくる。ものごとを抽象化して、具体的な事物にまとわりついたしがらみを無化していく所に都市の空間はつくられる。人間の「心」は、地上にいるどんな生き物よりも自由ということを本性としているが、この自由を求める「心」が都市を創り出したとも言える。

本郷界隈の路地につくられたささやかな庭園。ブリコラージュ(日曜大工仕事)というフランス語がぴったりの光景。
植えられている植物も様々ならば、それを支えている鉢も少しも統一感がない。その統一感のなさが、逆に自由な、のびのびした感性の働きを我々に伝えている。

「庭」という言葉は、古い日本語の語感では、神様や仏様がそこにいらっしゃってもはずかしくないような、善と自由の支配している空間という意味を持っていた。そこで「市庭(いちば)=市場」というのは、人や物がそこの中にやってくると、いままでの社会的なしがらみを捨てて自由になって、お互いを「貨幣の正義」にもとづいて交換し合うことの出来る空間と言う意味をもつことになった
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街の成り立ちから様々に展開する考察は哲学的でもあり非常に面白い。
都内の街を歩きながら哲学できるようになる種本としてお勧めである。

2011年10月9日日曜日

クラウド

利用してた「femo」というサービスが一方的に終了となってしまった。(正確にいうと、久しぶりに利用しようと思っていたら「終了」となっていた)

簡単に日記的に利用できる機能が気に入っていて利用していたのだが、ある日突然一方的にサービス終了の告知があって以上終了である。
特にお金を支払っていたわけではないので文句を言う筋合いもないのだが、記録していた内容について移管するすべもなく終了されてしまうリスクを痛感した。
他にバックアップをとっていたわけではないので、記録してきたことは全て無に帰してしまった。
(復旧方法を調べてみたけど、全くヒットせず。素人にはこれ以上無理。。)

現在でも、無料でg-mailやevernoteを利用している。そもそもこのブログがgoogleの好意(?)による無料利用である。
現状ではgoogleが落ち目になってサービスを終了するなんて言ったら「心配し過ぎ」と笑われると思っていたが、やはりそのリスクを考えて方策を考えている人達がいることを知ってさすがと思った。
想定外と思いきや、充分想定内のことで、単純にリスクヘッジしていなかったのが悪いということになる。

とはいえ、現状でバックアップをとる気もないし、今回の失敗は、マイナーなサービスを活用してしまった点にある、という整理で流されているようだと、また後日同様の後悔をすることになるのであろうか。
いや、googleくらいメジャーなところなら、サービス終了前に何らかのアラートがでるはずだ。きっとそうに違いない。。
って転ばぬ先の杖だろうか。時間のあるときにバックアップ考えようっと。