2015年12月28日月曜日

『フューチャー・オブ・マインド』 その2

脳と意識と不確定性原理の続き。

<不確定性原理>
・懐中電灯を月に向けると、光は月に届くだろうか。
答えはイエス。大気に元の光線の90%以上は吸収されるが、一部は月に届く。
だが、真の問題は、懐中電灯が最終的に月面を照らす範囲は、直径何キロメートルにもなるということだ。
これは不確定性原理のためであり、直進性の高いレーザー光線でも必ず徐徐に発散する。レーザー光線の正確な位置を知ることはできないので、量子物理学の法則によって、光線は必ず時間とともに徐々に広がることになるのだ。
・19世紀のアメリカ西部で郵便配達をしていたポニー・エクスプレス(リレー方式の早馬便)を考えてみよう。馬はそれぞれの中継駅の間を全速力で走る。だが障害となったのは、郵便物や馬野乗手を交換する際に各中継駅で生じる遅延要素だった。このせいで、郵便配達の平均速度はかなり落ちた。
光は、原子間の真空では秒速約29万9792kmという高速cで進むが、原子にあたると遅くなる。光は、つかの間原子に吸収され、瞬時に追い出されて再び放射される。このわずかな遅延こそ、光線がガラスや水に入ると概して遅くなるように見える原因だ。
ハーバード大学の科学者はこの現象を利用し、ガスの入った容器を用意して絶対零度近くまで慎重に冷やしていった。こうした極低温では、ガスの原子は光線をかなり長い時間吸収してから再び放射するようになる。このように、遅延要素を増大させることによって、光線を減速させ、遂には停止させたのである。光線は、ガスの原子と原子の間は変わらず光速で進むのだが、原子に吸収される時間が増えていく。
これにより、意識のある存在が、サロゲートを操るのではなく、エネルギーそのものの形のまま、ほとんど幽霊のように漂うほうを好む可能性も出てくる。
すると、将来我々のコネクトームをのせたレーザー光線は、恒星に送られると、ガスの分子の雲に移されて、ビンに詰められることになるかもしれない。
この「光のビン」は量子コンピュータによく似ている。どちらも同期して振動している原子の集まりであり、その中では原子の位相が揃っている。そしてどちらも、通常のコンピュータの能力を遥かに超える複雑な計算ができる。
だから、量子コンピュータの問題が解決できれば、我々はこの「光のビン」も扱えるようになるかもしれない。
・アインシュタインは1915年に発表した一般相対性理論で、重力が時空の歪みによって生じることを明らかにした。
重力は、ニュートンがかつて考えたような、謎めいた見えない「引く力」ではなく、実は、空間そのものが物体の周りで曲がることによって生じる「押す力」なのである。これで、星の光が別の星のそばを通過する時に曲がることや、宇宙が膨張することを見事に説明できただけでなく、時空の生地が伸びていくとやがて破れるという可能性もあきらかになった。


<シュレーディンガーの猫>
電子は点状粒子だが、それが見つかる確率は波で与えられる。そしてこの波はシュレーディンガー方程式に従い、不確定性原理をもたらす。
シュレーディンガーの猫のパラドックスをどう解決するか?

第1の手だては、ボーアとハイゼンベルクによって提唱されたコペンハーゲン解釈。
この解釈によると、猫の状態を決定するためには、箱を開けて観測しなければならない。観測すると、猫の波(死んでいる猫と生きている猫の重ね合わせ)が一つの波に「収縮」するので、猫が生きている(または死んでいる)ことが分かる。
このように、観測が猫の存在と状況を決定する。観測行為によって、二つの波が魔法のように解けて一つの波になるのである。
アインシュタインはこの解釈を嫌った。これに対抗する「客観的実在」の理論を推進した。この理論では単に、宇宙はいかなる人間の観測とも無関係に、ただ一つの明確な状態で存在するとされる。(これはほとんどの人が持つ常識的な見方だ)
客観的実在は、惑星や恒星や銀がの運動を表すことに見事に成功した。相対性理論を用いれば、この考えでブラックホールや膨張する宇宙も表せる。
ところがまるで通用しない場所がひとつある。原子の中だ。 量子力学は、新たな形の独我論を物理学へ連れ戻した。
この見方によると、観測されるまでは、木はあらゆる全ての状態で存在する(苗木、焼けた木、おがくず、つまようじ、朽ちた木など)。ところがあなたが見た途端、波が収縮してただの木に見える。かつての独我論者は、木が倒れているかいないかという話しをしていたが、新しい量子の独我論者は、木のあり得る全ての状態を取り入れているのである。
アインシュタインは、量子の微小な世界(猫が死んでいながら生きてもいるような世界)と、我々周囲の常識的な世界とには「壁」があると考えた。

第2の手だては、1967年ユージーン・ウィグナーによって考案された。
ウィグナー曰く、意識を持つ人間だけが、観測をして波動関数を収縮させることが出来るとした。
しかし、その人間が存在すると誰が言えるのか?観測する人と観測される人は切り離せないので、その人間も死んでいると同時に生きているかもしれない。観測者が生きていることを確かめるには、その観測者を見る第二の観測者が要る。
この第二の観測者は「ウィグナーの友人」と呼ばれる。第二の観測者が生きていることを確かめるには、さらに別の友人が必要となる。
このように、前の波動関数を収縮させて「友人達」が生きていることを確かめるには、無限に友人が要るので、なんらかの形で「宇宙の意識」や神が必要になってしまう。
ウィグナーは「(量子論の)法則を全く矛盾のない形で定式化することは、意識を考慮せずには不可能だった」と結論づけた。
このアプローチでは、神または何らかの不朽の意識が我々全てを見て、我々の波動関数を収縮させるので、我々は生きているのだと言える。
この解釈はコペンハーゲン解釈と物理的に同じ結果をもたらすので反証のしようがない。だが、これの意味するところは、意識は宇宙の根本をなす存在であり、原子よりも根本的だということである。物質世界は移り変わっても、意識はずっと決定的な要素のままでいる。すると、ある意味で、意識が現実を作り出していることになる。身の回りにある原子の存在そのものが、それを見たり触ったりできる我々の能力に基づいているのだ。

第3の手だては、1957年にヒュー・エヴェレットが提唱したエヴェレット解釈(多世界解釈)だ。
この解釈によると、宇宙は絶えず分岐して多宇宙となっている。ある宇宙では猫は死んでいるが、別の宇宙では生きている。
このアプローチは、次のように要約できる。波動関数は収縮せず、ただ分岐する。
エヴェレットの多世界理論がコペンハーゲン解釈と唯一異なるのは、波動の収縮という決定的な仮定(量子力学の最も単純な定式化であり、最も気味の悪いもの)を取り下げた点だ。
この第三のアプローチは甚大な影響を及ぼす。つまり、あらゆる宇宙が存在でき、奇想天外で一見ありえないような宇宙さえ存在し得るのだ(ただし、奇想天外な宇宙ほど、存在する確率は低くなる)
だが、波動関数が絶えず分岐していて、その際に全く新しい宇宙を作り出しているとしたら、なぜ我々はそこへ行けないのだろう? ノーベル賞受賞者のスティーブン・ワインバーグはこれを、部屋でラジオを聴くことなぞらえている。
部屋には方々から届く何百もの電波が満ち満ちているが、ラジオのダイヤルは一つの周波数にだけ合わされている。言い方を変えれば、ラジオは他の全ての局とは「干渉性を失って」いることになる。(干渉性とは、レーザー光線のように、全ての波が完全に同期して振動している状況を指す。干渉性の消失は、こうした波の位相がずれだして、振動が同期しなくなっている状況である)


<自由意志>
ベンジャミン・リベット博士が1985年に行った実験は、自由意志の存在そのものに疑問を投げかけている。
脳波スキャンによって、脳が実際に決断を下すのは、人が自覚するおよそ300ミリ秒前である。すると、ある意味で自由意志は偽りだということになる。決断は意識のインプットのないまま脳が先に下しており、あとから脳は(いつもやるとおり)これをごまかそうとして、意識が決断したことにするのだ。
マイケル・スウィーニー博士はこう結論している。
「リベットの発見が示しているのは、人が決断を下す前に、脳はその人がどんな決断をするかを知っているということだ。運動が随意と不随意に分けられるという概念だけでなく、自由意志という概念自体も見直さなければならない」
これはすべて、社会の礎となる自由意志がフィクション〜左脳が作り出す錯覚〜であることを示しているように思える。ならば、我々は、自分の運命の支配者なのか、それとも脳がずっと続けるイカサマの駒でしかないのか。

自由意志は、決定論という理念と対立する。決定論では単に、あらゆる未来の事象は物理法則によって決まるとされる。ニュートンによれば、宇宙はある種の時計であり、全ての始まりから時を刻み、運動の法則に従っているという。するとあらゆる事象は予測可能なのである。
ここで疑問が生じる。我々はこの時計の一部なのか?我々の行動も全て決定済みなのか?
この疑問は、哲学的・神学的な示唆を含んでいる。
たとえば、大半の宗教は、なんらかの形の決定論や予定説を支持している。神は全知全能で、偏在する。神は未来を知っているので、未来は前もって決定されている。神は、人が天国に行くか地獄に落ちるかを、その人が生まれる前から知っている、といったように。 カトリック教会は、まさにこの問題において、宗教改革で真っ二つに分かれた。当時のカトリックの教義では、たいてい教会に気前よく献金をすれば、その人の最終的な運命を変えるとされていた。つまり、決定論は財布の中身次第で変わり得るというのである。
そこで、マルティン・ルターは贖宥状(献金などによって発行された、罪の償いを軽減する証明書)を巡る教会の腐敗を特に槍玉にあげ、1517年に「95か条の論題」を教会の扉に貼り出し、宗教改革を引き起こした。これこそ教会が真っ二つに分かれた主な理由のひとつであり、その結果、100万人単位の犠牲者が出て、ヨーロッパ全域が荒廃した。
しかし1925年以降、量子力学によって不確定性が物理学に導入された。いきなり何もかもが不確かになり、計算できるのは確率だけになった。
この意味では、自由意志はきちんと存在し、量子力学が顕現したものなのかもしれない。そのため、量子論が自由意志の概念を復興したと主張する者もいる。ところが決定論者はこれに反撃し、量子論的効果は極めて小さい(原子レベルで働く)ので、小さ過ぎて、大きな人間の自由意志を説明することはできないと主張した。

今日の状況は、実のところかなり混乱している。もしかすると「自由意志は存在するのか?」という疑問は「生命とは何か?」という疑問に似ているのかもしれない。
今では、この疑問に多くの階層と複雑さがあると分かっているのだ。同じことが自由意志にも当てはまり、自由意志にも多くの種類があるのかもしれない。
もしそうなら「自由意志」の定義そのものが曖昧になってくる。

この議論は、脳のリバースエンジニアリングにも影響を及ぼす。もしもリバースエンジニアリングによってトランジスタでできた脳を作ることに成功したら、できあがった脳は決定論的で予測可能なものということになる。どんな質問であれ、その脳は、同じ質問には毎度全く同じ答えを返す。コンピュータはそのように毎度同じ答えを出すから、やはり決定論的である。
一方では、量子力学とカオス理論から、宇宙は予測可能ではなく、それゆえ自由意志は存在すると考えられる。他方、リバースエンジニアリングによってトランジスタでできた脳は、当然予測可能になる。
リバースエンジニアリングで再現された脳は、理論上は生体の脳とそっくり同じなので、人間の脳も決定論的で、自由意志は存在しないことになる。明らかにこの二つの議論は矛盾する。 リバースエンジニアリングで再現された脳は、いかに複雑でも、やはりトランジスタと導線の集まりだ。こうした決定論的な系では、運動の法則がよく分かっているので、未来の振る舞いを正確に予測できる。ところが量子論的な系では、系は本質的に予測できない。不確定性原理のために、計算できるのは、あることが起きる確率だけになる。


なんと我々の自由意志とは脳の認知(錯誤)したまやかしだったのか!?
悪いことしても「妖怪のせいなのね」というのは案外間違いじゃなかったということか。(そんな訳はない、というが世間の常識)


他にも、他の星の知的生命体、人口知能の話し、幽体離脱、マインドコントロール、精神疾患などなど、興味の尽きないネタ満載の本。
面白かった〜





『フューチャー・オブ・マインド』 その1

ひも理論の専門家、カク・ミチオ教授が、色々な分野の専門家にヒアリングをして、脳の先端理論から意識、宇宙とのつながりまでを書いた壮大なサイエンス・ノンフィクション。
今まで学んだことの総復習いになった上、それに関連そして発展していくたくさんの情報がとれて大満足の良書。
カク・ミチオ教授が、脳科学の専門家ではないところに、分かりやすさがあるような気がする。

<脳>

脳の外層にあたる新皮質は、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉の四つの葉に分けられる。ヒトはこの新皮質が高度に発達している。
脳の葉はそれぞれ感覚のシグナルを処理する役目を果たしている。ただ一つ、額の後ろにある前頭葉を除いて。
前頭葉の中でも最前部にある前頭前皮質は、最も理性的な思考を処理する場所だ。読んだ文章の情報は前頭前皮質で処理される。この部位では、感覚器官からの情報を評価し、未来の行動プランを実行に移すのだ。
頭頂葉は脳のてっぺんにある。その右半球は感覚への意識の集中と身体のイメージを、左半球は巧みな運動となんらかの言語の要素をコントロールしている。この領域にダメージを受けると、自分の体の部位を特定できなくなるなど、多くの問題をもたらす。
後頭葉は、脳の後方にあり、眼からの視覚情報を処理している。この領域にダメージを受けると、失明したり視覚障害を起こしたりする。
側頭葉は、言語(左側だけ)のほか、視覚的な顔認識と一部の感情をコントロールしている。ここにダメージを受けると、話せなくなったり、なじみ深い人の顔を認識できなくなったりする。

1967年、アメリカ国立精神保健研究所のポール・マクリーン博士が、チャールズ・ダーウィンの進化論を脳に応用した。
彼は脳を三つの部分に分けた。そして、まず我々の脳の後部と中央部〜脳幹や小脳や(大脳)基底核を含む部分〜が、ほぼ爬虫類の脳と同じであることに気づいた。
「爬虫類脳」と呼ばれるそれは、脳の中でも最も古い部分で、平衡感覚や呼吸、消化、心臓の鼓動、血圧といった基本的な動物の機能を司っている。
この部分はまた、戦いや狩猟、配偶行動、なわばり意識など、生存と繁殖に必要な行動もコントロールしている。爬虫類脳の起源は、およそ5億年前にまでさかのぼれる。
しかし爬虫類から哺乳類へ進化すると、脳はもっと複雑になり、外に広がって全く新しい構造を生み出した。こうして「哺乳類脳」が登場する。これは(大脳)辺縁系とも呼ばれ、脳の中央近くに、爬虫類脳を取り巻く部分として存在する。辺縁系は、類人猿のように社会集団のなかで暮らす動物で発達している。そこには感情に関わる組織も含まれている。社会集団の挙動はかなり複雑になりうるので、辺縁系は、敵や味方や競争相手となりうる者を見分けるために欠かせない。
辺縁系の中で、社会性動物にとって重要な行動をコントロールする部分には次のようなものがある。
◇海馬:これは記憶世界の入口で、短期記憶を処理して長期記憶にする場所。その名前は、この部位の奇妙な形を表している(タツノオトシゴ)。ここにダメージを受けると、新たに長期記憶が作れなくなる。現在という時に囚われたままになるのだ。
◇扁桃核:これは感情〜特に恐怖〜の占める座であり、まずここで感情が生まれて刻み付けられる。扁桃というのはアーモンドのこと。
◇視床:これは中継局のようなもので、脳幹から感覚のシグナルを取り込んで、様々な皮質へ送り出す。視床の英語thalamusは「奥の部屋」という意味。
◇視床下部:これは体温や概日リズム、空腹、喉の渇き、生殖と快楽の要素を調節している。視床の下にあるのでこの名前。
最後に、哺乳類脳のさらに外側に、大脳皮質の中でも最も新しい第三の領域がある。その大脳皮質の中で最近進化した組織が新皮質であり、これはより高度な認知行動を司っている。ヒトではそれが最も高度に発達しており、脳の重さが80%を占めながら、ナプキンほどの厚みしかない。ラットでは新皮質がツルツルだが、ヒトでは極めて複雑に入り組んだ形で、莫大な表面積の組織を頭蓋に詰め込めるようになっている。

脳の灰白質は、ニューロンという小さな脳細胞が何百億個も集まって出来ている。巨大な電話回線網のように、ニューロンは樹状突起(ニューロンの先から伸びた、蔓植物の巻きひげのようなもの)を経て、他のニューロンからメッセージを受け取る。
ニューロンのも片方の端には、軸索という長い繊維がある。最終的に、軸索は樹状突起を介して他の1万ものニューロンとつながる。
ふたつのニューロンの結合部には、シナプスという小さな間隙ができる。シナプスは関門の役目を果たし、脳内の情報の流れを制御している。
神経伝達物質という特殊な化学物質がシナプスに入ると、シグナルの流れが変わる。ドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンと言った神経伝達物質は、脳内の無数の経路を移動する情報の流れを制御するので、我々の気分や感情、思考、心理状態に大きな影響を及ぼす。

通常、左右の脳半球は、思考を行き来させて互いに補完し合っている。左脳はどちらかというと分析的で論理的な思考を行う。言語能力のありかはここだ。
一方右脳はどちらかと言うと包括的に捉え、芸術的な思考を行う。
しかし、全体を支配するのは左脳で、これが最終的な判断を下す。命令は左脳から脳梁を経て右脳に届く。ところがそのつながりを断つと、右脳は左脳の絶対的な支配から自由になる。もしかしたら右脳に、支配者たる左脳の意志に反するそれ自体の意志が存在することもあるかもしれない。
時として、分離脳の人は、片方の手がもう片方の手を押さえつけようともがく、漫画の世界の住人になったかのように思う。医師達はこれを、ストレンジラヴ博士症候群と呼びもする。『博士の異常な愛情』という映画の中で、この博士が片手をもう片方の手で押さえつけようとするシーンがあるからだ。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校のマイケル・ガザニガ教授によると、被験者に、質問を片方の眼だけに見せる特別な眼鏡をかけさせれば、片方の脳半球だけに質問をすることは易しい。問題は、それぞれの半球から答えを得ることだ。右脳は話せない(発話中枢は左脳にしかない)から、右脳から答えを得るのは難しい。
右脳が考えていることを知るために、(もの言わぬ)右脳がスクラブル(アルファベットのコマを組み合わせて単語を作るゲーム)の文字を使って「話せる」ような実験を考案した。
我々は皆、頭蓋の中に、自分だと思っている日頃の存在とはまるで違う人格や望みや自己認識を持つ、もの言わぬ囚人を抱えているのかも知れない。


脳についての知識人のコメントが参考になる。
「感情は、決して感覚ではなく、危険を避けて利益になりそうなことの方へと向かわせるように進化を遂げた、身体に根ざした一連の生存メカニズムなのである。」
by 『ビジュアル版 新・脳と心の地形図』の著者 リタ・カーター

「心はむしろ「心の社会」に近い。種々のサブモジュールが互いに競い合っているのだ」
by 人工知能の父、MIT マーヴィン・ミンスキー教授

「意識は脳の中で荒れ狂う嵐のようなもの。我々は、脳の管制室に、五感の画面に眼を走らせ、筋肉のボタンを押している管理者たる『私』がいるという直感を抱くが、それは錯覚だ。意識は、脳のあちこちに撒き散らされた数々の事象が渦巻いてできたものだ。これらの事象は、注意を引こうと競い合い、あるプロセスが他を打ち負かすと、脳はあとから結果を合理的に解釈し、一つの自己がずっと取り仕切っていたのだという印象をでっちあげる」
by ハーバード大学の心理学者 スティーブン・ピンカー


<意識の時空理論>

意識の定義:意識とは、目標(配偶者や食物や住みかを見つけるなど)を成し遂げるために、種々の(温度、空間、時間、それに他者との関係に関する)パラメータで多数のフィードバックループを用いて、世界のモデルを構築するプロセスのことである。
これを「意識の時空理論」と呼んでいる。
動物は主に、空間や他者との関係に関しての世界のモデルを構築するが、人間はさらに、時間に関して、それも過去と未来の両方についての世界のモデルを構築する。

[フィードバックループ]
レベル0:この場合、生物は動かないかわずかな移動性だけを持ち、少数のパラメータ(温度など)のフィードバックループを用いて自分の場所のモデルを構築する。
例えば最近や草花にはずっと多くのフィードバックループがあるため、これらはレベル0の意識の中でもより高いレベルにある。10個のフィードバックループ(温度、水分、日光、重力などを評価する)を持つ草花は、レベル0:10の意識を持つ。
レベルⅠ:移動性があり、中枢神経系を持つ生物は、レベルⅠの意識を持っており、この意識には、変化する位置を評価する新たなパラメータ群が加わっている。
レベルⅠの意識の一例は、爬虫類だろう。レベルⅠの意識は、人間の頭の後ろから中央にかけて位置する爬虫類脳によって主に制御されている。
レベルⅡ:レベルⅡの意識の場合、生物は自らの空間的な位置だけでなく、他者との関係という位置づけについてもモデルを構築する(つまり彼らは感情を持つ社会性動物ということになる)。
レベルⅡの意識は、辺縁系という形で脳の新たな構造が形成されると同時に生じる。辺縁系には、海馬(記憶を扱う)や扁桃核(感情を扱う)や視床(感覚情報を扱う)があり、どれも他者との関係についてのモデルを構築するために新しいパラメータを提供する。(昆虫はレベルⅡから除外する。群れのメンバーと社会的関係を結んではいるが、いかなる感情も持っていないからだ)
レベルⅢ:未来をシュミレートする。
人間の意識は、世界のモデルを構築してから、過去を評価して未来をシュミレートすることによって、時間的なシュミレーションを行う特殊な形の意識だ。そのためには、多くのフィードバックループについて折り合いをつけて評価し、目標を成し遂げるべく判断を下す必要がある。 レベルⅢの意識に到達する頃には、フィードバックループが非常に多くなって、未来をシュミレートして最終的な判断を下すために、それらのフィードバックループを取捨選択するCEOが必要になる。
そのため我々の脳は、特に額の真後ろにある、未来を「予見」させる前頭前皮質が大きいという点で、他の動物の脳と異なっている。


レベルⅠの意識
レベルⅠの意識では、感覚情報は脳幹を通り、視床を経て、脳内の様々な皮質へ向かい、最終的に前頭前皮質に行き着く。従って、レベルⅠの意識の流れは、視床から前頭前皮質への情報の流れが生み出すものと言える。

レベルⅡの意識
感情は辺縁系で生まれて処理される。レベルⅡの意識の場合、我々は絶えず感覚情報を浴びせられるが、感情は、前頭前皮質の許可を必要としない辺縁系から、緊急時にも高速で反応を示す。海馬は記憶を処理する上で重要だ。したがってレベルⅡの意識は、根本的に、扁桃核と海馬と前頭前皮質の反応と言える。

レベルⅢの意識
レベルⅢの意識の核心と言える未来のシミュレーションは、快楽中枢(側坐核と視床下部にある)と(衝動をチェックする働きをする)眼窩前頭皮質との争いを経て、脳のCEOである背外側前頭前皮質で調停される。これはおおまかに、良心と欲望の争いについてフロイトが述べたこと(自我とイドと超自我との対立関係)と似ている。未来をシミュレートする実際のプロセスは、未来の出来事を見積もるために前頭前皮質が過去の記憶にアクセスするときに生じる。


カク・ミチオ教授によると、自己認識とは、世界のモデルを構築し、自分がいる未来をシミュレートすること、ということだ。
「本書で私は、人間の意識には目標を成し遂げるために、世界のモデルを構築してから、それをもとに未来をシュミレートする能力があるという立場をとっている。拡散的思考の能力を示したパイロットは、あらゆる多くの未来の出来事を、正確に、より複雑さを備えた形でシュミレートすることができた。同様に、マシュマロテストで満足を先延ばしにすることのできた子供は、未来をシュミレートして、短期的に手っ取り早く得ることだけ企むのでなく、長期的な報酬を見据えることのできる能力がとりわけ高いように思われる。」


<記憶>

・記憶の形成
感覚器官からのインパルスは脳幹を通って視床に至り、そこから各種皮質へ導かれた後、前頭前皮質に届く。そこで我々の意識に入り、数秒から数分までの幅を持つ短期記憶なるものを形成する。さらに海馬にまで行くと、海馬は分解した記憶のかけらを様々な皮質へ再び導き、長期記憶が形成される。
たとえば、感情の記憶は扁桃核に保存されるが、言葉は側頭葉に記憶される。一方、色などの視覚情報は後頭葉に集められ、触覚や運動の感覚は頭頂葉にとどまる。
・視覚情報は、後頭葉から前頭前皮質に送られ、そこで人はついにイメージを「見て」短期記憶を形成する。その情報はさらに海馬に送られて、海馬はそれを処理して最大で24時間保存する。それから記憶は切り刻まれ、各種皮質に散らばっていく。
ここで重要なのは、我々にはあっさり得られているように思える視覚のために、何十億ものニューロンが次々と活性化し、1秒あたり数百万ビットの情報を送る必要があるということだ。
・カリフォルニア大学アーヴァイン校の神経生物学者、ジェームズ・マッガウ博士いわく、
「記憶の目的は、未来を予言することにある」
長期記憶が進化を遂げたわけは、未来をシュミレートするのに役立つからかもしれない。
実際、脳スキャンの結果によると、記憶を呼び起こすのに使われる領域(背外側前頭前皮質と海馬をつなぐ部分)は、未来をシュミレートするための領域と同じであることを示している。ある意味で、脳は、何かが未来にどう進展するのかを明らかにするために、過去の記憶を参考にして「未来を思い出そう」としているのだ。


<夢>

・古代最も有名な夢といえば、西暦312年にローマ皇帝コンスタンティヌスが人生最大規模の戦いに臨んでいた時に見たものかもしれない。
自軍の倍の軍勢と対峙したコンスタンティヌスは、翌日の戦いで自分は死ぬだろうと覚悟した。
ところが、その晩、夢に天使が現れ、十字架の印を携えて「汝、この印にて勝利すべし」と運命的な言葉を発したのである。
コンスタンティヌスはすぐさま自軍の盾を十字架の印で飾るように命じた。
歴史によれば、翌日彼は勝利を収め、ローマ帝国の支配を確かなものとした。そして、比較的マイナーだったこのキリスト教という宗教への血債を償うことを誓った。
キリスト教は、それまで数世紀にわたり代々ローマ皇帝に迫害され、信者は度々コロッセオでライオンの餌にされていたのだ。コンスタンティヌスが署名した法律によって、のちに世界屈指の大帝国で公式の宗教となる道がつけられた。
・夢をみることは、我々の睡眠サイクルに不可欠の要素でもある。
我々は一晩におよそ2時間夢を見ており、一つの夢は5分から20分続く。つまり、平均寿命の間に約6年間、夢を見て過ごしてることになる。
・イルカは、魚ではなく空気呼吸をする哺乳類なので、溺れないように一度に脳の片側だけが眠る。
・ニューラルネットワークを人工的なモデルで研究する科学者達が興味深いことに気づいた。
ニューラルネットワークは学習し過ぎるとしばしば飽和状態になり、それ以上の情報を処理できず、「夢見」の状態にはいってしまう。
この時、そのネットワークが新しく取り込んだデータをすべて消化しようとする中で、ランダムな記憶が漂っては互いに結びつくのだ。
そうだとすると、夢は、脳が記憶をよりつじつまが合うように整理しようとする「大掃除」を表しているのかもしれない。
もしそうなら、学習可能な全ての生物は、どんなニューラルネットワークも記憶の整理のために夢見の状態に入る可能性がある。夢は目的に役立っているということだ。
このため、経験から学習するロボットもゆくゆくは夢を見るようになるのではないか、と考える科学者もいる。
・夢を見ている時には海馬が活動していることから、夢が記憶の貯蔵庫を利用しているのが分かる。また扁桃核と前帯状皮質も活動する。これは、夢が強く感情に訴え、しばしば恐怖を伴うものであることを意味している。
しかし、それ以上に示唆に富むのは、活動を停止する脳領域であり、背外側前頭前皮質(脳の指揮中枢)や、眼窩前頭皮質(検閲官やファクトチェッカーの役割を果たす)や、側頭頭頂接合部(感覚・運動シグナルと空間認識を処理する)などがそれにあたる。
背外側前頭前皮質が活動を停止していると、我々はこの理性的にプランを立てる中枢に頼れない。むしろ理性によるコントロールもないまま視覚中枢からイメージを与えられて、夢の中をあてどなく漂うことになる。
眼窩前頭皮質すなわちファクトチェッカーも不活性となる.そのため、夢は物理法則や常識の制約を受けずに、のびのびと展開していける。
さらに、目と内耳からのシグナルによって自分のいる場所の感覚を調整する役目を果たしている側頭頭頂接合部も活動を停止しているので、これが、夢を見ている間に幽体離脱を体験する説明になるかもしれない。
・これまで強調して来たように、人間の意識とは主に、絶えず外の世界のモデルを構築し、それを未来へ向けてシュミレートする脳のことを言う。
そうであれば、夢とは、自然の法則や社会的なやりとりが一時的に停止されているなかで、未来をシュミレートする別の手だてだということになる。
・「何が夢を生み出すのか?」
ハーバード大学医科大学院精神科医 アラン・ホブソン博士
「夢、それもとりわけレム睡眠は、神経科学レベルで研究が可能であり、夢は、脳幹が発するほぼランダムなシグナルを脳が理解しようとするときに生じる。」
数十年かけて夢を分類した結果、5つの基本的な特徴がある。
1.強い感情:恐怖などの感情を引き起こす扁桃核の活性化による
2.非論理的な内容:夢は、論理を無視して目まぐるしく場面が変わることがある
3.見せかけの感覚がもたらす印象:夢は、脳内で生まれた偽りの感覚を我々に与える
4.出来事を無批判に受け入れる:我々は夢の非論理的な内容を無批判に受け入れる
5.覚えておくのが難しい:夢は目覚めてすぐ、数分のうちの忘れ去られる
・夢の手がかりは、脳の最も古い部分、脳幹の神経節にある。この神経節は、ノルアドレナリンという、我々に警戒態勢をとらせておく特殊な物質を放出する。
一方入眠すると、脳幹はコリン作動性システムという別のシステムを活性化し、ここから我々を夢見の状態にする物質がでる。
夢を見る時、脳幹内のコリン作動性ニューロンが活性化しだし、PGO(脳橋ー外側膝状体ー後頭皮質)波という電気エネルギーの不規則なパルスを誘発する。このPGO波が脳幹をのぼって視覚皮質に入り、そこを刺激して夢を生み出すのである。視覚皮質の細胞は、毎秒数百回の不規則な共振を始める。夢が時に支離滅裂になるのは、これが原因かもしれない。
コリン作動性システムは、理性と論理に関わる複数の脳領域の間を分断する物質も出す。脳がとりとめもない思考に極めて敏感になるのに加え、前頭前皮質と眼窩前頭皮質によるチェックがなくなることで、夢が奇妙で突飛なものになることを説明できるかもしれない。
・眠らなくてもコリン作動性システムが活性化された状態になることがある。
アーカンソー大学のエドガー・ガルシア=リル博士によれば、瞑想したり、気を揉んだり、アイソレーション・タンク(内部に人間が浮かぶような比重の液体を入れ、光や音を遮蔽して感覚を遮断できるようにした容器)に入れられたりしても、この状態を引き起こすという。何も無い単調な景色に長時間向き合っているパイロットやドライバーも、同じ状態になり得る。
この研究の中で、ガルシア=リルは、統合失調症患者の脳幹内にコリン作動性ニューロンが異常に多いことを発見した。彼らが見る幻覚の一部はこれで説明がつく可能性もある。
・明晰夢
意識がありながら見る夢。明晰夢では、本人が夢を見ていることを自覚し、夢の展開を意識的にコントロールできる。明晰夢を見る人の脳スキャンをすると、レム睡眠の間、普通の人ではたいてい休眠状態になる背外側前頭前皮質が、彼らの場合は活動しており、その人が夢を見ながら部分的に意識があることを示している。



<穴居人の原理>

・ハイテク(先進技術)かハイタッチ(人間同士のふれあい)かを選択できるのなら、我々はいつでもハイタッチを選ぶ。これは我々が類人猿に近い祖先の意識を受け継いでいるからだ。基本的な人格の一部は、最初の現世人類がアフリカに現れて以来、現在まで10万年のあいだ、おそらくあまり変化していない。
人間の意識が基本的に類人猿に近いと考えれば、我々がコンピュータと融合するのは、身体は強化するが完全には身体に取って代わらない場合に限られるはずだ。
穴居人の原理を用いれば、なぜ未来の予言のなかには合理的なのに実現しないものがあるかも説明できる。
たとえば「オフィスのペーパーレス化」だ。コンピュータの登場でオフィスから紙が一掃されるように思われたが、皮肉にも、コンピュータのせいで実際には紙がさらに増えた。 それは、我々が「獲物の証拠」を必要とする狩人の子孫だからだ。つまり、我々が信頼をおくのは具体的な証であって、電源を切れば消えてしまうような、コンピュータの画面でつかの間踊る電子ではないのである)
同様に、人々がバーチャルリアリティを利用し、通勤せずに会議をするという「無人の街」も全く実現していない。都市への通勤は前よりひどくなっている。なぜか。我々が他人と絆を結びたがる社会的な動物だからだ。
・穴居人の原理を未来の神経科学にあてはめてみる。
少なくとも人間の基本的なフォルムの変更は、外からはほとんど分からないことになる。スーパーコンピューターにつないで情報をアップロードする必要がある場合でも、映画の『マトリックス』のように脊髄に差し込まれたケーブルに縛られたくない。心で最寄りのサーバーを探すだけで膨大な処理能力が利用できるように接続はワイヤレスでなければならない。
不死についてはどうだろう。 これまで見て来た通り、リバースエンジニアリングで再現された脳は、元の人間が持っていた人格特性を全て備えており、コンピュータの中に閉じ込められればいずれ発狂するだろう。この脳を外部センサーに接続して、環境からの刺激を感じられるようにすると、グロテスクな怪物ができてしまう。
この問題を部分的に解決する方法の一つが、リバースエンジニアリングで再現された脳を外骨格につなぐというものだ。外骨格がサロゲートのような役目を果たせば、リバースエンジニアリングでできた脳はグロテスクな姿にならずに、触覚や視覚などの感覚を味わえる。いずれ外骨格はワイヤレスになるだろうから、人間のような振る舞いを見せながら、コンピュータの中で「生きる」リバースエンジニアリングで出来た脳に制御されるようになるだろう。

「穴居人の原理」というネーミングは初めてだが、人間の脳の進化が、テクノロジーの進化に追いつかず、様々な齟齬が生まれているのは衆知のこと。
我々の脳の進化がテクノロジーに追いつくのか、はたまたテクノロジーの進化が周回遅れの人間の脳に合わせるレベルまで進化するのか、個人的には後者の方が早いし現実的だと思っている。



前半これでも大分割愛した内容なのだが、これからが著者のすごいことろ。
不確定性原理と意識との関連性を述べていく。
我々の意識は一体何でどうなっていくのか。
つづく。

2015年11月22日日曜日

『99.996%はスルー』

サブタイトルで「進化と脳の情報学」。
竹内薫氏、丸山篤史氏の共著。
「99.996%はスルー」という話しは佐藤尚之さんから聞いてから、話しのつかみとして使わせていただいたネタだった。
「逆に言うと0.004%しか発信した情報をキャッチしてもらえないのが今の世の中。1万球投げた球を1球キャッチしてもらえるかどうか。それをキャッチしてもらうためにはどうしたらいいと思いますか?それは・・・」
という感じに使わせてもらっていた。

それを竹内薫氏が進化と脳科学に絡めて書いているとなると、もう買って読まざるを得ない感じ。


情報量の増加

21世紀に入ろうとする直前、西暦2000年のこと。
カリフォルニア大学バークレー校のピーター・ライマンとハル・R・バリアンは、世界に存在する情報の量を計算してみようと考えた。
彼らが集めたデータから推計したところ、有史以来1999年までに世界中でストックされた情報を全てデジタル化したとすると、その総量は2〜3EB(エクサバイト。エクサは10の18乗。) 1TB(テラバイト)の外付けハードディスクが200万〜300万台分ということ。
ところが、彼らの計算によると、1999年から2000年の1年間に、有史以来1999年までの情報総量と同じ、2〜3EB強のデータが増えた。つまり人類の記録した情報量は、たった1年で倍になった計算になる。
さらに彼らは2003年に再報告していて、2002年の1年間でも3〜5EB強の情報量が増えたとしている。
しかし、この程度で驚いていてはいけない。
アメリカIDC社の調査によれば、その翌年2003年には情報量の合計が32EBに、さらに2007年には281EBにまで増えた。
その後もデータは増え続け、2011年のデータ総量は1.8ZB(ゼタバイト。ゼタは10の21乗)に達してしまった。 IDC社の予測だと、2020年には40ZBに届くとされている。。

平成23年度の『情報通信白書』によると、2009年度の日本では、年間約950EB(9.5×10^20B)という巨大な数字の情報量が流通している、という計算結果が弾き出された。(この数字は「流通量であって、蓄積量ではない」ので、2011年の世界のデータ総量が1.8ZBなのに、その半分が日本で流通しているというのは整合しない訳ではない。)
それでは実際に情報は「消費」されているのだろうか。
結果はショッキングなものとなった。2009年度、我々は年間約36PB(3.6×10^16)の情報を消費していた。つまり、我々は、流通する情報量のうち、たったの0.004%しか消費していなかったことになる。身の回りにある情報の99.996%を我々はスルーしていたのだ。
実は流通情報量の増加に比べて、消費量そのものは、数年来ほとんど変わっていない。
つまり、我々が消費できる情報量の増加は流通量の増加に全く追いついていないのだ。


シャノンの『情報理論』

情報の大きさを数学で表す「情報理論」はクロード・シャノンが創始した。
シャノンの「情報量」の定義。まず第一に情報の意味はどうでもいい。
「何か」の起きる確率をP(0<P≦1)とするとき、情報量を
—logP
で表す。(底は何でもいいので省略してある)

「情報の大きさ」の指標である情報量とは、貴重さのことで、確率の低さのことで、確率の桁数で表す、ということ。

これはエントロピーの式と同じ形をしている。プラスマイナスが違うので、ネガティブエントロピー=ネゲントロピーと呼ばれたりする。
式が同じだけではなく、情報量とエントロピーは同じ概念として考えることができる。

エントロピーと情報に関係があると気づいたのはレオ・シラード。彼はルーズベルト大統領へ核開発を促した「アインシュタイン=シラードの手紙」でも有名。(連名になっているけど手紙を書いたのはシラードで、大統領に読んでもらえるように超有名なアインシュタインの名前を借りただけ)

具体的な事例として、情報量がネゲントロピー(負のエントロピー)であることについて、ある空間における気体の様子を考えてみる。
まずネゲントロピーが低いときは、気体分子が乱雑に飛び回っている。つまり空間内の気体分子の一は空間一様に広がって存在するといってもよい。この時、空間内のどこでも気体分子が一定に存在するということは、空間内のどこでも気体分子が存在する確率が高いということだ。つまり空間内の気体分子の位置に関して情報量が少ないことを意味する。
次に、そこからネゲントロピーが増えると、徐々に気体分子は凝集する。つまり空間内の一点に気体分子が「あるかないか」の確率は下がる。つまり、気体分子の位置に関しての情報量が増えることになる。
まとめると、「どこにでもある、一様に存在する」というのは(位置に関して)情報量が少ない。逆に「どこかにある、偏って存在する」というのは情報量が多いのだ。


人間の脳が1秒で処理している情報量

◯入力される感覚の情報量は、毎秒千数百万ビットであり、意識が処理している情報量は、毎秒たった数十ビット。知覚した情報量の、100万分の1程度しか、瞬間の意識には上がっていない。言い換えれば、意識は、99.9999%の感覚情報をスルーしている。
◯ドイツの生理学者、ディートリヒ・トリンカーは、「真っ暗闇の舞台」が無意識で「狭いスポットライト」が意識だ、と喩えている。
舞台の上(無意識)には、大勢の役者や舞台装置(情報)が並ぶ。しかし、何も見えていない(意識されない)。そこに意識というスポットライトが、わずかな範囲の舞台を照らす。舞台の上に照らされた、小さく明るいスポットライトの中だけが、その瞬間における「意識の情報処理」なのだ。
なるほど真っ暗な舞台では、見えないながらも芝居が進んでいるのだろう。言ってみれば、パソコンのモニターに現れないバックグラウンドで、ユーザーに思いのまま操作させるため、様々なプログラムが動いているようなものだろう。
◯よく「木を見て森をみず」と言うが、実は、しっかり木を見ると森が見えてくる。
我々の持つ、こうした能力に、物理化学者にして科学哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知」と命名した。
暗黙知は、「下位の構成要素にフレームを設定して、上位層を生み出す能力」。無限にある可能性から結論を象る能力と言ってもいいかもしれない。


ヒトの遺伝子

◯遺伝子は、次世代に情報を伝えるだけではない。普段から、生命の仕組みに関わっている。遺伝子の制御によって、必要なたんぱく質が、必要なタイミングで、必要なだけつくられる(発現する)。
◯「発生」とは、受精卵(1個の細胞)から一つの生命体(多細胞)に成長することである。 体重60kgの成人男性の場合、およそ200種類の、合計60兆個に分裂した細胞が、身体の各組織や臓器をつくっている。
最初の受精卵は全ての細胞に分化できる能力(可能性)を持っている。これを分化全能性という。 受精卵は分裂を繰り返しながら、少しずつ分化して「細胞の運命」を決めていく。
実はこの時、分化が進むたび、使う予定の無くなった遺伝子をスルーしていくのだ(勝手に発現しないようにブロックする)。
◯遺伝情報は、生物にとって、ある種の初期条件と考えるべきなのかもしれない。
◯生物は、生き続ける限り、次から次へと自分自身の情報量を増やし続け、限りなくネゲントロピーを増大させていくのだ。
◯ヒトの遺伝子数は4万1000。実はヒトゲノム計画が終了した2003年にはヒトの遺伝子数は約2万6千個と報告されていた。しかし、ヒト遺伝子の研究が詳細に進む中で、これまで意味が無いと思われていたDNAの配列に機能があることが分かってきたのだ。
◯電子媒体の情報量の単位はバイト(byte)で表すことが多い。1バイトは8ビット(bit)。2進数8桁の情報量で、256の可能性を表すことができる。
ゲノムを構成する物質は核酸のDNAである。さらに、DNAを構成する塩基という物質には、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類がある。従って、核酸は塩基の違いで4種類あり、4つの数字にあてはめ記憶することができる。ということは、核酸を一つ記憶する2ビットあればよいことになる。
ヒトゲノムは約31億塩基対である。塩基対とは、核酸の配列を数えるときの単位と思えばよい。要するに、ヒトゲノム全体で、およそ31億対の核酸が並んでいるということだ。
つまり、ヒトゲノムや約62億ビットであり、約7.75億バイトになる。ただし、ゲノムは個体を形成するための染色体の最小セットだ。大半の生物は染色体を2セットずつ持っている(2倍体という)。人間は両親からゲノムを1セットずつもらって、合計2セットを持っている。従って、人間一人分のゲノムは約15億バイトである。
一般的なDVDーRの情報量は4.7GB、つまり47億Bである。1枚のDVD-Rには約3人分のヒトゲノムが記録できることになる。



情報大洪水時代を客観的な数値で認識させた後、『情報理論』という情報量の数値化の話し、そして脳の発達が昨今の情報量の増大に追いついていないこと、その結果スルーは当然であることを納得させる。
いや、むしろスルーする能力が高さ(≒集中力の高さ)とIQの高さは相関があるとまでしている。

確かに、昨今の情報量の多さを考えると、昔は情報をつかんでいる人間にアドバンテージがあったが、今や適切な情報を取捨選択する能力の高い人間にアドバンテージがあるようになってきている。
ではその基準をどう設定するのか、その設定によりその人間の能力の発揮度(コンピテンシー)が変わってくるように思う。

2015年11月10日火曜日

『「最強組織」の作り方』

本の本当のタイトルは『米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方』。
L・デヴィッド・マルケ艦長によるサンタフェ乗船時の試行錯誤の物語である。


以前まとめた『リーダーは最後に食べなさい!』(サイモン・シネック著)に、米海軍 デビッド・マルケ艦長による次の言葉が載っていた。
「委譲できない自分の権限は3つしかない。自分の法的責任、人間関係、知識を委譲することはできない。だが、他のことに関しては全て、部下に責任を持たせることができる。」
この考え方で素晴らしく、また重要なことは、責任の「委譲」はできなくても、「共有」はできるという点だ。
「リーダーの役割は、命令を下すことではない。リーダーは、方針と意図を示せばいい。目標を達成するには、何をどのようにすべきかを、当人に考えさせるのだ」

この引用があって、「委譲出来ない自分の権限」という考えについて深堀したくて読んでみた。(3つ目の「知識」は委譲できる気がする。委譲出来ないものがあるとすると「経験」なのではないかと思って読んでみた)


サンタフェの物語は、潜水艦版『頑張れベアーズ』だ。
ダメ艦との烙印を押されたサンタフェに艦長として乗り込んだマルケ艦長が、実は乗員個々人のやる気と能力がない訳ではない、と看破して、様々な取り組みにより部下に自主的に任務を遂行させるような仕組みを作っていく物語である。


リーダーシップは権限を付与する技術だ。
部下に委ねるリーダーシップの中核には、「誰もがリーダーになれる」という信念がある。
リーダーシップを、限られた人だけが持つ特殊な資質だと思うのは間違いだ。人間なら誰もが持ち合わせている。それを仕事のあらゆる面で発揮させるのだ。


マルケ艦長がサンタフェに乗艦して最初にヒアリングしたのが士官や上等兵曹。
会社で言うと、役員、部長ではなく、課長、係長レベルにヒアリングしたということだ。
彼らの部屋へ出向いていって、彼らの話しを聞いたのち、質問したのは次のような項目。
◯私に変えて欲しくないと思っていることは何か。
◯秘かに私に変えてもらいたいと思っていることは何か。
◯サンタフェの土台とすべき良さは何か。
◯もし私の立場だったら、何から手をつけるか。
◯この艦の業績が上がらない原因は何か。
◯この艦に配属中の個人的に成し遂げたいと思っている目標は何か。
◯職務まっとうの妨げとなっているものは何か。
◯この艦を配備に間に合わせる上で最大の難関となるのは何か。
◯この艦の現状で最も苛立ちを覚えていることは何か。
◯艦長として、私に一番やってもらいたいことはなにか。

新部署に異動した時には使える質問項目だ。


早めにチェックする
◯「岩から遠く離れた所で少し舵を切る方が、岩の近くで何度も舵をきるよりよほど良い」
艦長がチェック段階から関わることを快く思わない者もいた。チェック工程から関わってしまうと、艦長としての公正な判断ができずに、それをダメにして一からやり直すことに抵抗を感じるかもしれない。
◯「早めに短く言葉を交わす」というのは、部下に命令するという意味ではない。一足早く問題解決の進み具合を報告する機会をつくっているのだ。そうすることで、引き続き部下の責任で問題解決にあたってもらえる。それに、そういう機会を通じて、成し遂げたいことを部下にはっきりと理解させることも出来る。
言葉を交わすのは、たいてい30秒ほどで済む。それで何時間もの時間を無駄にせずに済むのだ。
◯委ねるリーダーシップを実現するためには、「〜だと思うのですが」「これは想像ですが〜」「〜の可能性があるかもしれません」、そういうことこそ口にしないといけない。要するに「思っていることを口に出す」ことが大切なのだ。思ったことを口に出すことで、より柔軟な対応ができるようにするのだ。


権限委譲に必要なこと
権限を下に委譲するにつれ、あらゆるレベルの乗員に技術的な知識があることが重要になる。技術的な知識がないのに主導権を与えては、混乱が生まれるだけだ。
「我々はいつどこでも学ぶ者である」
我々の行動はすべて、この「学ぶ」という基本的なことに一元化できるように思えた。
◯部下や社員が参加したくなる研修をしたいなら、次のことに意識するとよい。
・研修の目的を、研修を受ける者の専門的知識を高めることとする。
・専門的知識が高まった部下や社員に、決定権を委ねる。
・決定権を持つと、自然とその部下や社員の勤勉さ、やる気、自発性が増す。
これらを意識すれば、生産性も士気も効率も、大幅に改善する。
◯権限を下の立場の者に委譲するほど、組織にいる全員が組織の目標を正しく理解していることが重要になる。
この「正しい理解」が「優れた技能」と併せて支配からの開放を実現するのに必要となる2本目の柱である。


「説明」ではなく「確認」を
◯我々は事前の説明をやめた。これからは、説明ではなく「確認」を行う。
◯確認と説明は違う。確認は、責任者が関係者に質問をする。
確認の最後には、これから開始する任務を全うする準備ができているかどうかを判断する。確認中に必要な知識が十分に身に付いていないと分かれば、その任務は延期すべきだ。
◯「準備ができていない」と判断するのは高くつくが、失敗することに比べればマシだ。
◯確認という行為には、参加する者にも事前に準備をするという責任が発生する。つまり全員にとって能動的な行為というわけだ。
説明という受け身の行為から能動的な「確認」に変えたことで、乗員の態度が変わった。質問されると思うと、人は事前に自分が担う責任について勉強するようになるのだ。
(☞学習における「反転授業」の考え方に似ている)


幹部の責任
◯幹部の責任とは、部下に「当事者意識」を芽生えさせることだ。
ビジネスの世界の言葉で表すなら「エンプロイー・エンゲージメント(自分の仕事に熱心に取り組んで組織の利益に貢献する姿勢)の充実を図る」となる。
幹部は、近々完了させないといけない任務に加え、自分が受け持つ部下一人ひとりが担う役割まで把握していないといけない。



マルケ艦長がサンタフェで取り組んだことのまとめは以下の通り。
<艦全体を支える三つの理念>
【支配からの開放】
・支配構造の遺伝子コードを見つけ出して書き換える
・態度を変えることで新しい考え方をもたらす
・早めに短く言葉を交わし、仕事の効率を高める
・「これから〜をします」という言い方を導入し、命令に従うだけだったフォロワーを自発的に行動するリーダーに変える
・解決策を与えたい衝動を抑える
・部下を監視するシステムを排除する
・思っていることを口に出す
【優れた技能】
・直前に確認する
・いつどこでも学ぶ者でいる
・説明するな、確認せよ
・同じメッセージを絶えず繰り返し発信する
・手段ではなく、目標を伝える
【正しい理解】
・ミスをしないだけではダメだ。優れた成果をあげよ。
・信頼を構築し部下をおもいやる
・行動指針を判断の基準にする
・目標をもって始める
・盲目的に従うことなく疑問を持つ姿勢を奨励する


マルケ艦長の自著なので、「委譲出来ない3つの権限」についての記載があるかと思ったら、この本には記載が無かった。
でも「リーダーシップという権限委譲の技術」のノウハウ本としてだけでなく、読み物としても十分楽しめる本であった。

2015年11月7日土曜日

『英雄の書』

どういう訳だか、休日都内に出るのに、電車が来るまでの間に本屋にちょっと寄って、パッと見て決めて購入した本。
なのにスゴい当たりの本で、自分の考え方に非常に近いことが脳科学に基づいて書かれている。

人生という冒険において英雄になるための心構えが書かれている。


失敗

◯イタリア人は、試合や試験に挑む人へ、こう声をかけるのだそうだ。
In bocca al lupo!(インボッカアルルポ!)
狼の口の中へ、という意味である。
例えば、サッカーで1点先取していながら、1点を取り返された時。
イタリア人は「やっとゲームが始まった」と高揚し、「狼の口の中へ」飛び込んでいくのである。
ゲームもレースも、挑む本人が「失敗した」と感じた瞬間に終わってしまう。人生だって、同じだ。
日本人が「失敗」と呼ぶ事象のほとんどは、「人生をドラマティックにしてくれる、神様の演出」なのである。同じ事象を、「失敗」と呼ぶのと、「やっとドラマが始まった」と思うのでは、天と地ほども違う。
◯「失敗」は、脳の成長のメカニズムの一環で、必要不可欠な頻出イベント。
英雄を冒険に駆り立てるのは、好奇心しかない。
優先順位がしっかりついている脳は、つかみが良くて、勘がいい。だから運がいい。
では、どうしたらそんな脳になれるのだろうか。
実は、日々の暮らしの中で、失敗を繰り返すしかない。
無駄な回路を捨てる、成功への基本エクササイズこそが「失敗」なのだ。
◯脳を進化させるための3つの掟
1.「失敗」は誰のせいにもしない
他人の失敗さえも、自分の糧として脳に書き込めて、後にリスクヘッジに使えるだけでなく、他人の失敗をも、自分の責任の一端として受け止める言葉は、周囲の敬意を自然に集めることになる。
「正しく出力した」からと言って、「正しく伝わる」とは限らない。ベテランとはそれを知る人たちだ。
2.過去の「失敗」にくよくよしない
この行為は、せっかく切り離そうとした失敗回路を、もう一度つないでしまうからだ。
指導者は、ネガティブな若者を放っておいてはいけない。「失敗はたくさんしていい。失敗したら、潔く反省すること。ただし、くよくよと思い返してはいけない」と教えよう。
3.未来の「失敗」におどおどしない
失敗を想定しすぎると、必ず失敗する。

◯幼少時に、「失敗」を回避してもらって生きてきた若者たちは、「失敗」を恐れるから、「失敗」から要領よく逃げる。つまり、周囲の空気を読んで気を遣い、そつなく動く。
◯15歳から28歳までの脳は、世間を知り、生きるコツをつかみ、自分らしさを確立していく「社会的自我の確立期」にあたる。この時期に、どんな色合いの英雄になるかが決まるのである。
ヒトの脳は、生まれて最初の28年間は、著しい「入力装置」である。 特に15歳から28歳までの単純記憶力のピーク時には、脳自体が執拗に世の中のありようを知ろうとしており、勉強をしても、仕事をしても、恋をしても、趣味に没頭しても、なにをしてもがむしゃらになれる時。そうして、30歳の誕生日頃までに、自らの世界観を確立していく。
30歳は、世の中のありようの全てが見通せるようになり、「世の中、こんなもん」と見切ったような気持ちになるとき。確かにそうなのだが、安穏としていられる時間は意外に短い。人生は片時も止まらない。ここから、「自分にしかできない、新しい世界観を生み出す旅」が始まるのだ。
その旅の最初の10年間、すなわち30代は、「失敗」適齢期でもある。
ここからは、要らない回路への電気信号を減衰させ、重要な回路に何度も電気信号を流すことによって、脳の個性を創りあげていく28年間だ。その前半の10年間が30代にあたる。 洗練のための28年の果て、56歳からの28年間は、脳が最大の出力性能を示すようになる。本質を瞬時に見抜き、勝ち手しか見えない脳になる。なにせ、余分なものが見えないから、悩みが少なくて助かる。
◯失敗を怖れないことと、勝ちに行かないことは大きく違う。
「納得のいく仕上がりでないのに、勝負に挑まなければいけないこと」は、誰にでもやってくる。そんな時は、全体で勝たなくてもいい。自分の「今日の勝負どころ」を決めて、その勝負に挑むことだ。
全体にあきらめたまま、漫然と負け試合をしてしまったら、脳は失敗だと自覚してくれない。
「失敗」を怖れない。そして勝負は投げない。
この二つを守れれば、驚くほど遠くへ、驚くほど高くへ行けることになる。


眠り

脳は持ち主が眠っている間に進化する。
起きている間、脳は、認知や思考や、その結果の出力に忙しくて、新しい知識の整合性を確かめ、回路に定着させる暇などないからだ。しかし、脳の持ち主が眠ると、意識領域の信号が沈静化し、表立った仕事がなくなる。そうなると、やっと脳は手が空いて、新しい知へと触手を伸ばすのだ。
具体的には、起きている間の体験を何度も再生して、そこから知識や知恵を切り出す。過去の知識と引き比べて精査し、知識ベース全体の質も見直す。古い知識と統合して抽象化し、センスもつくり出す。
つまり、頭は眠っている間に進化するのである。
◯眠りの質をあげるためには、「闇の中で寝て、朝日と共に起きる」こと。
真夜中の電子画面の凝視は、脳と心と身体に大きなダメージを与える。
電子画面の光は、自然界にない特性を持っているため、視神経を通して脳を無駄に刺激する。本来なら闇の中にいるべき時刻に、網膜(目)が不自然な光にさらされると、自律神経が乱れ、眠りの質が劣化し、明日の記憶力や発想力が削がれ、男として(女として)の魅力も減衰する。
なぜなら、視神経の後ろには自律神経を司る視床下部があり、それに隣接して、さまざまなホルモンの分泌を担当している脳下垂体があるからだ。これらは、夜のうちに働いて、脳神経系の進化を促すと共に、皮膚や骨や筋肉の新陳代謝を促し、生殖ホルモンの分泌も促す。 男性ホルモン、テストステロン(女性ホルモンはエストロゲン)は、身体と生殖行為における男らしさをつくり出すホルモンだが、「闇の中で寝て、朝日とともに起き、一日の尾張に適度な肉体疲労がある」と、毎日明け方頃に自然に分泌すると言われている。


自分を信じる

◯自分を信じること。
超一流の場所で成果を出すための、絶対条件である。
自分を信じるためには、「どのような窮地に立たされても、必ず打開策を見いだせる。その策にたとえ失敗しても、次への知恵に変える機知が自分にはある」と思える状況を、自らの脳につくり出すこと。
◯この境地に達するために必要なのは、基礎力と戦略力だ。 基礎力を淡々と鍛えることは、当然抜きにはできない。
そして、戦略力こそ、失敗なしには鍛えられないのである。失敗を乗り越えた数だけ、機知の回路ができあがる。
上手にエリートになってしまって、機知の回路が少ないまま人の上に立つものは脆弱だ。◯自分を信じろ。その言葉は、躍進が止まって頭打ち状態だった錦織圭に、新任コーチのマイケル・チャンが繰り返し言い続けた言葉でもある。
テニスでは、ピンチの時に前に出る勇気が、チャンスの時にあえて下がる度量が試されるという。
「反射神経上の予想外」こそがきみを英雄にする。


孤高

◯人は社会的動物で、厳密には他人と連携しなければ生きていけない。しかし、一方で、脳は「孤」の時間を持たないと、世界観がつくれない。
◯左脳は顕在意識と直結して、言葉や数字を操り、現実的な問題解決を行う領域。
右脳は潜在意識の領域を主に担当し、外界の様々な情報を、脳の持ち主も知らないうちに収集し、イメージを創生し、世界観を構築する場所。
この2つの半球をつなぐのが、脳梁と呼ばれる神経繊維の束だ。
脳梁は、右脳がつくり出すイメージを記号化して、顕在意識にあげる。「感じたことを顕在意識に知らせる通路」 女性脳は、脳梁を行き来する信号が豊富で、男性脳の数十倍から数百倍と言われる。女性脳は男性脳に対し、脳梁が20%ほども太く生まれついている。
◯一方で、脳内に豊かな世界観を創り上げるには、ある程度、右左脳連携を寸断して、右脳や左脳の隅々にまで信号を行き渡らせる必要がある。
右脳が、その豊かな世界観を創生するには、感じたことを言葉や記号にしないまま、ぼんやりとする時間が必要不可欠だ。
さらに、その裏側で、左脳の隅々にまで信号が行き渡ると、世界観が理念になっていく。このとき、脳梁を介する右左脳連携信号はほとんど起こらない。というか、そこに電気信号を使う余裕がない。
この状態のとき、すなわち、世界観を創生し、理念を創りあげている時間、脳の持ち主はただただぼんやりして見える。
天才と呼ばれる人たちは、家庭の中で使い物にならず、ただの愚図だと思われていることが多いのである。男女関係では、相手のことをあまり見ていないので、愛情や誠意を疑われるタイプだ。
脳梁が細い男性脳は、基本、この天才脳型なのである。
おしゃべりをしながら、周りの変化を察して動く現実対応型の脳と、現実世界とはまた別の世界観を作り出す未来創生型の脳。この2つがなければこの世は動かない。 現実対応脳と未来創生脳のハイブリッドこそが、英雄脳なのである。


他人思い

◯孤高の時間をもち、独自の世界観を創る脳に変えたら、次は直感力。直感力を鍛えるためには、右左脳連携信号をとっさに強く行うエクササイズが大事だ。
それは、右脳のイメージにあるものを、左脳の顕在意識に持って来て恣意的な出力に変えること。その最たる訓練が、ダンスやスポーツ、芸術や「術」「道」と呼ばれるものを嗜むこと。
もう一つ、徹底した「他人思い」の癖をつけることだ。
◯ヒトは、自らを滅して、徹底して他人を思うとき、右左脳連携が激しくなる。他人の思いや事情をイメージ化し、顕在意識につなげるからだ。
◯徹底した他人思いと、他人の思惑を気にすることは180度違う。「他人の思惑を気にする人」は、結局の所、ただの「自分思い」なのだ。
◯人に嫌われても、信じることを言い切る力。それは、他人思いの者しか持ち得ない。
◯徹底した他人思いが、直観を鋭くする。孤高の時間を持ち、右左脳連携エクササイズの趣味を持ち、徹底した他人思いになり、好きでたまらないものを見つける。
誰かを案じる時、ヒトは免疫力が高くなる。
2010年、チリで起きた落盤事故。33人の作業員が地下600mに69日間も閉じ込められ、全員が生還した。地下の狭く暗い空間で、いつつぶれるかも分からない恐怖心と共に、33人が引きめき合って過ごすストレスは半端じゃない。心疾患で死ぬものがあってもおかしくないし、重篤な神経症が発生してもおかしくない事態だった。
注目すべきは、33人がお互いを見守りながら過ごしていたことだ。
33人は、11人ごとに3グループに分けられた。グループは3つの仕事を交代で順繰りにこなしていった。
「休憩(睡眠)」「活動(身体を動かしたり、食べたりする)」「見守り(他者を見守り、変化があれば声をかけ、話しを聞いてやる)」の3つである。
この3つめの「見守り」が秀逸であったと、NASAの危機管理の専門家は言う。
人は自分の不安と向き合うと耐えられない事態でも、他者を案じていれば強くなれる。免疫力が上がる。危機にある時ほど、他者を思うべきなのだと。
◯世の母が強いのは、自分より子供のことを案じて生きているからだ。 大切な誰かを守ること。それ以上の使命感はない。
そもそも使命とは、自分のためじゃなく、誰かのために何かを成し得る覚悟。自己犠牲をも厭わない気持ちのことだ。英雄達に不可欠のセンスである。


面白かったのが、写真家の白川由紀さんのいう「リーダーの条件」。
彼女は若き日にアフリカ大陸で各地を放浪し、様々な集落で晩餐に招かれたのだと言う。
「どの集落にもリーダーがいる。ある集落では長老だったり、別の集落では若かったり。身体が大きかったり、いっそ小さかったり。着飾っていたり、いっそ質素だったり。
一見なんの類型もないように思えるのに、不思議と私は、紹介される前にリーダーがわかった。そしてそれは外れることはなかった。
それは、その人が入ってくると、その場の人が嬉しそうな笑顔になるから。
人を笑顔にする力。
それがリーダーの条件じゃないかと思う。」
幸せだから笑顔になるのだろうが、笑顔でいるから、さらなる幸運も呼ぶ。
使命をもって、道をゆく人は、自然に人の先頭に立つことになる。
リーダーとして最も楽な手段は、常に嬉しげな表情でいることだ。


語りかけるような文調で書かれている、子供達にも読ませたい本だ。

2015年11月3日火曜日

『真田三代』

ここのところ、歴史物を読んでいなかった。
書店でふと手にして購入した本。
著者の平山優氏の史実に基づいた解説は、時に詳細すぎるきらいもなくはないが、歴史考証とはこのように考えながら進めるのか、というのが垣間みれて面白かった。


信濃国真田を発祥の地とする真田氏は、戦国時代を生き抜き、近世を通じて信濃国松代藩主として繁栄した大名となったことはよく知られている。
その礎を築いたのは、真田幸綱(幸隆)、昌幸の二代である。
そして彼らの実績を引き継ぎ、昌幸の子信幸(信之)と信繁(幸村)兄弟も豊臣時代を大いに活躍する。
関ヶ原の合戦が勃発した時、兄弟は袂を分かち、兄信幸は祖父と父が興した真田家をいっそう繁栄させ、江戸幕府のもとで大名家として存続する道を歩み、弟信繁は戦国の遺風を引き継ぎ華々しく散華する道を選ぶことになる。

この本は、本領真田を敵の攻撃で失い、失意の亡命生活を余儀なくされ、すべてを失いゼロから再出発した男・真田幸綱、武田信玄に寵愛され秀吉・家康を刮目させた小信玄・真田昌幸、負けることを承知で豊臣氏最期に寄り添った悲劇の武将・真田信繁の3人を主役として述べたものになっており、歴史上「勝者」となった真田信幸のその後については述べられていない。

◯真田一族とは

そもそも真田一族が武田信玄に取り立てられて大名となっていたことを知らなかった。
真田昌幸というと、煮ても焼いても喰えない「表裏比興之者(ひょうりひきょうのもの)」というイメージだったが、実は武田家に対しては真摯に忠誠を誓っていた感じがある。

◯真田幸村

真田十勇士等で有名な真田幸村だが、実は「幸村」という名前は史料では見られないらしい。

◯境目の人々

境目の人々は、領主であろうと百姓であろうと、武田氏に忠節を尽くしながらも、敵勢力圏に存在する大名や国衆らと接触することが社会的に容認されていた。
境目では両属が容認されることについては、例えば境目の郷村が、敵味方の両方に年貢を半分ずつ納めることで、双方からの乱取りなどを回避し、中立的な立場を保持することが可能な「半手」「半納」が戦国社会の慣行であったことが想起できよう。
その上で、どちらに奉公の比重を置くかは、境目の領主の判断に委ねられていた。
勢力地図や境界があやふやなのは、こういうグレーゾーンを許容するシステムがあったから。

◯真田昌幸

真田昌幸は信玄のもとへ人質として送られたが、信玄の奥近習衆(信玄の側に仕え身辺の世話などの雑務をする者)に抜擢された。
やがて、他国衆出身の武将としては異例の出世を遂げることになる。昌幸の飛躍の基礎には、武田信玄の人の才能を見抜く鋭い眼力と、その寵愛があったことは間違いがない。
信玄は昌幸を武田家の将来を託すべき柱石の一人と考え、育て上げようと考えていたとされている。
ローマ帝国においても、征服した国の有力者の子供を人質として預かりつつ、自分の子供の良き友として一緒に教育し教導した上でまた領地に帰すということがあったようである。
出自に関わらず、優秀な子供を教育し将来の柱石とする発想はサステナブルな組織には必要不可欠な考え方である。

◯武田氏滅亡

武田氏滅亡って長篠の合戦(1575年)で大敗してというイメージがあるが、実際に武田勝頼が死亡するのはそれから7年も後で本能寺の変の3ヶ月前。実は浅間山の噴火も武田氏滅亡に一役買っているというのが面白い。
1582年、浅間山が噴火。当時、甲斐・信濃などの東国では、異変が起こると浅間山が噴火すると信じられており、今回の噴火は信長に勝頼を守護する神々が全て払われてしまった結果であって、一天一円が信長に随うようになる前兆だと噂された。
甲斐・信濃の異変と、東国の政変を告げる浅間山の噴火は、まさに武田勝頼没落と信長の勝利を告げる天変地異として受け止められた。
ただでさえ低下していた勝頼の求心力は、織田・徳川連合軍の侵攻とともに浅間山の噴火で雲散霧消してしまった。
実は浅間山の噴火は飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長の行く末を予兆したものだったのかもしれない。

◯犬伏の別れ

真田というと関ヶ原の前に、昌幸、信幸、信繁の3名で合議し、信幸は徳川方、昌幸・信繁は豊臣方とに別れ、いずれが勝っても真田のいずれかの血脈が残るようにした、という話しが有名。
実際にはそんな損得ずくの話しでもなく、微妙な機微はあったようだ。
犬伏で別れた後、両者は互いが追ってとなって襲いかかってくることを恐れ、昌幸・信繁父子は上田への道を急ぎ、信幸は全軍に警戒を厳重にさせたというから、早くも敵味方として相手を見ていたことになる。
上田への道を急いでいた昌幸父子は、上野国沼田に辿り着き、沼田譲に立ち寄り入ろうとした。これは秘かに沼田城を乗っ取り、徳川方や信幸を動揺させる狙いだったという。
ところが留守を守っていた信幸夫人(家康重臣本多忠勝の息女)は厳しくこれをはねのけ、もし無理に城に入ろうとするなら舅といえど容赦せぬと武装して対峙する構えを見せた。さすがの昌幸もこれには閉口し、何らの意趣なくただ孫の顔を見たいのみだと伝えると、信幸夫人は子供らを連れて城外に出て昌幸に孫の顔を見せ、沼田を去らせたという。
しかし、上田城攻防戦において早速信幸と敵味方となった昌幸・信繁父子は、堅城戸石城をあっさり放棄してまでも信幸との直接の戦闘を回避している。


◯昌幸臨終

1611年、九度山での幽閉生活のまま死去した真田昌幸は、臨終にあたって信繁にこう告げたという。
大阪方が勝利するには、まず大阪方の軍勢を率いて尾張を奇襲する。これで東海道・中山道の出口を押さえ徳川方の出方を待つ。そうすれば家康は驚いて関東・奥州の諸大名を動員して反撃して来よう。こうして時間を稼ぎ、時期を見計らって兵を近江に引き、瀬田橋を落とし、次いで京都の宇治橋を落として防備を固めて家康を威嚇し、その間に二条城を焼き払って大阪城に籠城する。
後は緊張を強いられる徳川軍に対して、夜討ち朝駆けを繰り返せば、士気が落ち、疲弊が蓄積され、諸大名の中でも動揺や不満が広がり、大阪方屁応じるものも出始めるだろう。
その結果、家康は大阪への攻撃を継続できなくなり、引き上げざるをえなくなる。こうして天下は再度豊臣に向いてくるであろうと。
しかし、昌幸は次の言葉を付け加えることを忘れなかった。ただし、自分があと三年生きて大阪へ入城できれば、の話しである。
家康を二度も打ち負かした実績をもつ自分でなければ、大阪方の総大将として全権を掌握できないことを昌幸は見通していた。
そして、その予見通りの展開となる。
大阪冬の陣、夏の陣において、大阪方は数としては決して負けることはない戦力をもちながら、統制のとれない指揮命令系統により敗北するのである。


真田昌幸という人に対して、喰えない、こずるいイタチのようなイメージを持っていたが、この本を読んで、実は武田信玄(そして武田氏)に対しては忠誠をもっていたのではないかという風に変わった。
小国故の立ち回りのため、あるときは上杉につき、あるときは北条につき、またあるときは徳川、そして豊臣と節操なく動くのであるが、これは戦国時代という混乱期において自らの領土は何人たりとも侵させないという意志の表れだったのではないか。
そのあたりは幕末の長岡藩において、倒幕側にも幕府側にもつかなかった河合継之助の考え方と似ている。
また戦わせればピカ一だったことが、戦国時代という動乱の時代において権力者から一目おかれ、度重なる造反にも関わらず、最後は許しを得ることができ生き残れた秘訣なのだろう。
ただし、平時であれば、これだけ無節操に離反を繰り返したらどこかで権力者の誰かにつぶされているであろう。
「狡兎死して走狗烹らる」である。


久しぶりに歴史系の本を読んでみて、やはり昔実在した人に思いを馳せるというのは非常に楽しく気付きの多い時間であることを再認識した。

2015年11月1日日曜日

『パナソニック人事抗争史』

「読み物として面白い」と勧められて読んでみた本。

「ポケットマネーで50億円用意するから、(女婿の)松下正治(二代目社長。当時会長)に渡し、引退させた上、以後、経営には一切口出ししないよう約束させてくれ」
創業者の松下幸之助は三代目社長山下俊彦にそう言い渡した…

自らの手で引導を渡しきれなかった名経営者、松下幸之助の逡巡がその後の松下電器にどう悪影響を与えてきたかを書いたドキュメント。

所感をいくつか述べる。

①社長が現役でいたくて、院政を敷くための後継を選びはじめると、合コンにおける「幹事MAXの法則」と同じことになる。

合コンにおける「幹事MAXの法則」とは、幹事が合コン時に主導権を握られる(自分以上にチヤホヤされる)リスクをおかしてまで幹事以上に可愛い(格好いい)人間を連れてくることは望めないため、声をかけるのは幹事の主導権を脅かすことのない(自分以上にチヤホヤされることのない)メンバーを選定するため、幹事がMAX(一番可愛い)となるという法則を言う。(←多少違うかも)
合コンにおけるメンバー選定権が幹事にあると同様、「人事」という権力は会社組織においては社長にあるのが一般的。
社長が会長になっても権力を振りかざしたい(社長に自分の権限を脅かされたくない)と思うと、優秀な後継よりも従順な後継を選ぶようになり、会社にとって必要な「優秀なリーダー」が社長になるとは限らない、ということが頻繁にあるということだ。
これが数代続くと、どんどん器の小さな社長へのバトンタッチとなってしまうということだ。

②人事権(権力)は人を変える。

この本の中だけでも色々なケースが出てくる。
真面目で人当たりの良かった人間が、社長になった途端、人が変わったように周囲に厳しくなる。
今までは人事権に怯えていたのが、そのたがが外れることで人が変わってしまうケース。
また、失脚し人事権を失ったものは見向きもされなくなるというケース。
人事権が誰にあるかで、あからさまに乗り換えられてしまう…こういうのを、身近で見れば見るほど「権力を失いたくない」という恐怖に囚われ、必ずしも「会社のため」にならない人事が横行することになる。

③中途半端な反逆は命取り。

冒頭の遺言とも言える内容を松下幸之助は3代目社長山下俊彦に言い渡すのだが、山下は正治に引退の引導を渡すことをせず、4代目社長の谷井昭雄への引き継ぎ事項とした。
4代目社長に就任した谷井はその大役を果たそうとしたが、創業家の反発(松下家は女性が強い)や正治の執拗な反撃、不祥事の発覚等が重なって、逆に谷井が社長の座を追われることとなった。
その際、引退の引導を渡しにいったメンバーは全員松下正治から引導を渡されることとなっている。
戦国時代に、敗者の大名を一族根絶やしにした、というのは非常に残酷ではあるが、なまなかな措置のままであると、後に禍根を残す。
それがまだ権力を保有している過去の権力者であれば尚更である。


それにしても、色んな関係者の知っているちょっとした情報を集約してみると、ここまで全体像が明らかになるものか、とビックリする。
過去の話しだから言えるのだろうが、今現在でも似たようなことが起こっていると思った方が正しい認識だろう。
クワバラクワバラ。

2015年10月25日日曜日

『センスは知識からはじまる』

グッドデザインカンパニー代表、水野学氏の著作。
会社の先輩から、気軽に「面白いよ」と渡されたので気軽に読み始めたのだが、中々どうして、奥が深くて実務上も役に立ちそうな良書であった。

著者は講演等で「どうしたら水野さんのようなセンスを身につけられるのか?」という質問をよく受けるらしい。
そのための方法論を分かりやすく話しているつもりなのだが、最後には
「でも結局は生まれ持ったセンスの問題ですよね」
と言われてしまう経験からこの本を書いたとのこと。


企画とは、アイデアではなく「精度」こそが重要

◯「センスのよさ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力。
だから企業経営も同じ。企業の価値を最大化する方法の一つに、センスというものが挙げられる。それどころか、その会社が存続するか否かも決める。
◯センスがいい商品をつくるには、「普通」という感覚がことのほか大切。 それどころか、普通こそ、「センスのいい/悪い」を測ることが出来る唯一の道具。
普通とは「いいもの」がわかるということ。普通とは「悪いもの」もわかるということ。その両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということ。
「センスがよくなりたいのなら、まず普通を知る方がいい」
ただし、これは「普通のものをつくる」ということではない。「普通」を知っていれば、ありとあらゆるものがつくれるということ。
◯絵を描く。歌う。踊ったり体を動かしたりする。この3つは人間が原始的かつ生理的に求めてしまうものであり、美術、音楽、体育の三教科が当てはまる。
この三教科は、実技のみが重視されるため、子供の頃には慣れ親しんでいたものが、大半の人には縁のないものとして訣別の時を迎える。
本来は美術(三教科)は、学問であり、知識を蓄える「学科」と「実技」に分かれている。
歴史が、「知識を学んだ上で、今の時代で自分が何をすべきかという礎をつくる授業」であるなら、美術とは、「知識を学んだ上で、自分が何をつくったり、生み出したり、表現したりする礎をつくる授業」であるべき。
「歴史がうまいね。下手だね」と言わないのと同じように、美術にうまいも下手もない。


技術からセンスへの揺り戻し

◯安土桃山時代とは、技術からセンスへ移り変わった時代だった。 戦国時代という技術の時代が終わり、新しいセンスが必要となり、そこで千利休というクリエイティブディレクターが必要とされた。
◯人間というものは、技術がその時点の限界まで進歩すると、ノスタルジックな思いに身を寄せ、美しいものを求める傾向がある。「技術からセンスへの揺り戻し」である。大量生産が当たり前になると、人々の意識が変わる。そうすると「技術からセンスへの揺り戻し」が起こる。


いわゆる「市場調査」

◯日本企業を弱体化させたのは、市場調査を中心としたマーケティング依存。
この手の市場調査には二つの落とし穴がある。
一つは悪目立ちするものに目がいきがちであること。
二つ目は新しい可能性を潰してしまいがちなこと。
◯また、人材育成的にも危険。
第一に、調査だけに頼っていると、自分は何がいいと思い、何がつくりたいのか、自分の頭で考えなくなる。
第二に、「調査結果で決めた」となると、責任の所在が曖昧になる。


クリエイティブディレクター

◯企業の美意識やセンスが企業価値になる。これが今の時代の特徴。
クリエイティブディレクターは、センスで企業を治療する医者のような役割。
◯失敗を恐れず、縦割り構造の会社組織に横串をさせる人こそクリエイティブディレクターであり、それには三パターンある。
一つ目のパターンは経営者もしくは経営陣がクリエイティブディレクターになること。(ex:スティーブ・ジョブズ)
二つ目のパターンは、外部の人間がクリエイティブディレクターになること。(ex:佐藤可士和、水野学)
三つ目のパターンは、企業の中に特区をつくり、そこで働く人たちがクリエイティブディレクター的な役割を果たすこと。(ex:サムスン、資生堂)


ヒット商品

◯世の中には「誰も見たことのない、あっと驚く企画」というのは実はゴロゴロ転がっている。しかし、「あっと驚く企画」には二種類ある。
世の中で一番少ないのは、「誰も見たこのない、あっと驚くヒット企画」。イメージ2%程度。(☞未来のスタンダードはこれ)
次に少ないのが、「あまり驚かない、売れない企画」。イメージ15%。
次は、「あまり驚かないけれど、売れる企画」。これは意外に多くて、イメージ20%。
そして一番多いのは、「あっと驚く売れない企画」。イメージ残る63%。要は半分以上。
「あっと驚く売れない企画」の多さという現実の厳しさを知った所で、「あまり驚かないけれど売れる企画」に注目するのがヒット商品を狙う正解。
だから、過去に存在していたあらゆるものを知識として蓄えておくことが、新たに売れるものを生み出すには必要不可欠ということ。
◯「あっ!」より「へぇー」にヒットは潜んでいる。
あっと驚く心の裏には、恐怖も潜んでいる。
新しいものに接した時、過去のものや過去の知識に照らし合わせて考えるのが自然。
みんなが「へぇー」と思うものは、ある程度知っているものの延長線上にありながら、画期的に異なっているもの。「ありそうでなかったもの」。
ものをつくる人間は、新しさを追い求めながら、過去へのリスペクトを忘れないことが大切。


再び、「センス」を磨くには

◯よきセンスを持つには、知識を蓄え、過去に学ぶことが大切。同時にセンスとは、時代の一歩先を読む能力も指す。
◯知識にもとづいて予測することがセンス。
◯効率よく知識を増やす三つのコツ
①王道から解いていく。
「王道のもの」=「定番のもの」「一番いいとされているもの」「ロングセラーになっているもの」
王道のものは、言い換えるとすでに「最適化されている」と言える。
「王道」を探す過程で、センスアップに不可欠な「知識」の獲得を行っている。
②今、流行しているものを知る。
③「共通項」や「一定のルール」がないかを考えてみる。
◯「誰が、どんな時に、どんな場所で使うのか」、対象物を具体的に思い浮かべることは、センスを最適化するために最も必要な三原則である。
センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。 逆に言うと、不勉強と思い込み(主観)はセンスアップの敵。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスは良くならない。
◯センスを磨くには知識が必要だが、知識を吸収し自分のものとしていくには、感受性と好奇心が必要。
幼児性が創造力や発想につながっていく大きな理由は、感受性と好奇心が並外れて大きいから。
「感受性+知識=知的好奇心」


「精度」とは

◯ありそうでなかったものをつくり出す時、しばしば「差別化」という言葉が使われる。これは本来、「ほんの少しの差」を指すのではないか。ただし、単に「ほんの少し違う」だけでは駄目で、その先に求められるのが「精度」。
◯もしもあなたが仕事でデザイナーと関わることがあれば、「これはどうしてこういうデザインなんですか?」と質問をすること。
それはアウトプットの精度を高めること、売れる商品をつくることにつながっていく。
◯僕は自分の感覚というものを基本的に信用していないので、「この感覚はどこからやってきているんだろう?」という確認作業をすることにしている。


「センス」という暗黙知をどのように伝承していけばよいのか、その方法論として非常に明確で分かりやすい。
まずは知識をベースとするべく広く情報を集め、その上で精度を高める。
今やっている商品企画にもつながる話しだ。

2015年9月13日日曜日

『世界のトップを10秒で納得させる資料の法則』

ソフトバンク社長室で孫正義さんの薫陶を受けた著者の資料作りの法則。
「今更資料の作り方など…」と思いつつも、孫正義クラスの人がどういう視点で仕事をしているかが多少でも推し量れればということで読んでみた。

10種類の資料について、ポイントを述べる形の流れとなっている。

①業務処理報告書
・「群管理」を行う。
・累積棒グラフでは本質がつかめない(累積は問題を内包する)。
・「群」の内数を時系列変化でみることで、ボトルネックを発見する。

②売上報告書
・売上を継続性(一時的な売上か、継続的な売上か)の観点で分けて認識する。

③要因分析レポート
・積み上げ面グラフで要因を探る。

④プロジェクトマネジメント型会議議事録
・議事録は読まれてなんぼ。
・A4サイズにフォーマット化
・議題をテーマごとに構造化して、縦線を揃える。
・報告事項なのか、決議事項なのかをはっきりと区別。
・責任者、納期、アウトプットを明確に決める(良い会議議事録は逃げ道を断つ)。

⑤プロジェクトマネジメントシート
・アウトプット(資料をつくるというだけでなく、了承を取るというところまで)を明確にして定義する。
・担当者は一人に絞り必ず明記する。

⑥パレート図

⑦回帰分析
ソフトバンクは2001年から孫社長が「これから回帰分析をしないヤツの話しは一切聞かない」と言い出した。「最終的にはフォースで分かるようになれ!」と(笑)
・R−2乗値…決定係数。決定係数が1に近いほど実際の分布に当てはまっている。0.5以上であれば精度は高い。0.5以下の場合には、他の要素が関係している可能性がある。

⑧プロセス分析シート
フローの段階移行時の歩留まりを確認する。

⑨プレゼンテーション
・プレゼンテーション資料と企画書は違う。不特定多数を前に行うプレゼンテーションの主役はあくまで話し手。企画書の主役は企画書そのもの。一人歩きをすることを前提としてつくられている。
企画書とプレゼンテーションのスライドでは、見る人との距離も違う。企画書は読む人との距離が近い。文字が沢山出ているモノは手元に置いて読むのが一般的だ。積極的に情報をつかもう、把握しようという姿勢で企画書は読まれる。
パワーポイントでつくったスライドはそうではない。距離をおいて見るように設計されている。映し出された内容を聴衆が離れた位置でみることを前提としている。だから情報を詰め過ぎると見ている方はついていけない。
・ワンスライド・ワンメッセージ・ワンイメージが原則。
・スライドに書くも字数も、20文字前後がマックス。努力せずに、ぱっと見て頭にすんなり入ってくる文字数としては「20前後」が限界。
・メッセージで大切なのは「解釈」。ただ事実をありのままに述べるのではなく、その事実にどういう価値があるのか、数字を入れて翻訳する。この行為がプレゼンテーションの価値を高める。
・ページ番号の表示を忘れない。時間の調整を図れる。
・概ね1枚の資料につき3分の時間。(著者の場合)
・1つのスライドにつき、話す内容を3つ程度決めておく。

⑩企画書
・企画書は「つかみ」で勝敗が決まる。
・数字の表現は1桁でシンプルに。言いたいことは何かを明確にして絞る。
・クオリティの高いイメージ画像を貼る。
・箇条書きはせいぜい5つまで。


面白かったのが、プレゼンテーション資料と企画書の違いのところで述べられていた、テレビとインターネットに関する考察。
「企画書とプレゼンテーションのスライドでは、見る人との距離も違う」とあったが、これと似ているのがテレビとインターネットの関係だというもの。
テレビをインターネットに接続し、双方向で利用してもらおうと、これまで業界では様々なキャンペーンが実施され、それが可能な製品も発売されてきたが、全く普及していない。
これは「距離」が影響しているのではないかという仮説。
デバイスによって、使用するときの体の姿勢や距離は異なる。
「距離」と言っても物理的な距離とは限らないので、心理的距離と言ってよかろう。
「ながらテレビ」はあっても「ながらインターネット」がないのと同じ理由か。
これが「インターネットは入力作業があるから」という理由だけだとすると、声入力が一般的になってくれば課題は解消される理屈となる。
声入力が一般的となった時に、テレビとインターネットは融合できるのか、はたまた我々の脳が両者(手元にあるネットと離れているテレビ)を違うものとして認識し二つの用途は分かれたままなのか、今後の行方を見守りたい。



「定義付けは大切」ということで「蝶と蛾」のエピソードが述べられていた。
日本では、蝶と蛾は別々の昆虫だと見做している。しかし、蝶と蛾の区別なく、両者を一括して「蝶」としている国がある。フランスだ。
フランスでは蝶も蛾も「パピヨン」と呼ぶ。蝶と蛾に異なった定義がないということは、蝶と蛾の区別がつかないということだ。
日本人は、昼間に活動し、羽根を立てて止まり、幼虫が青虫である昆虫を「蝶」とみなし、それ以外は「蛾」だと考えているが、実は、この2つに生態上のはっきりとした区別がある訳ではない。両者はどちらも同じ「鱗翅目」であり、はっきりと区別が出来ないものなのだ。
これは、フランス、日本どちらが正しいという話しではなく、いったん物事をはっきり定義しておけば、その定義で我々は認識し、行動するようになるということだ。

日本では「雨」についても色々な表現がある。
「小雨」「春雨」「秋雨」「時雨」「氷雨」「五月雨」など。これは明確な定義ではなかったりもするが「言葉」をつくることで細やかな雨の状態を認識しようという日本人の叙情力が表出した一例だろう。
企業でも、違いを認識をさせたければ、新たな言葉をつくって「定義」すべきであるというのは全くその通りだと思う。


一通り読んで、復習的な内容も多かったが、
「数字に対する評価がない資料は資料と言えない。」
というのは大切なリマインドとなった。
また明日からの業務に活かしていきたい。


2015年9月5日土曜日

『国家の盛衰』

渡部昇一、本村凌二、両先生による対談形式の覇権国家の入れ替わりの歴史を繙く本。
世界史をいい加減にしか学んでいないので、知らないことも多かったりして勉強になる。

ローマ→スペイン→イギリス→アメリカ→中国
そして振り返って今後という流れで両先生の対談は進んでいく。

かいつまんで書く。

<ローマ>

ローマが長期的に繁栄(1200年にわたり帝国を維持)した背景には、 ローマ人の敬虔さとまじめさ、分割して統治せよという統治術、父祖の遺風、寛容の精神などいくつもの要素があるが、法の前の平等こそ、特に重要。

何故繁栄を誇ったローマが衰退したのか。その理由はローマ軍が弱くなったからという一言に尽きる。
主力が傭兵化し、ゲルマン人などの傭兵がローマ軍に組み込まれ、将校クラスにもゲルマン人が増加した結果、軍隊の質が低下した。
また、ローマ人は当初、それほど違和感を持たずに傭兵を受け入れていたが、三世紀後半から四世紀あたりになると、「お前達は本物のローマ人ではない」と言った差別意識が出てきた。
ローマ人は元来、人種差別は少なく、異民族にも寛容だった。
エイミー・チュアは『最強国の条件』の中で、世界帝国と言われる国家が長期的かつ安定的に繁栄する時、寛容の精神があり、それは洋の東西を問わず共通している、と記している。
中央の軍事統率力が衰えて、属州に散らばるレックス(軍団長)に権力が移っていった。 さらにウィルトゥースも軍隊の中で薄れ、ローマの美徳を持った兵士がいなくなっていった。

ローマ帝国滅亡の外的要因はゲルマン民族の南下の影響。(エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』)
ではローマ帝国滅亡の内的要因とは何か。その一つはキリスト教の拡大・台頭。
それまでなら、ローマ帝国の中枢に行くべき連中が、教会に行ったことがローマの衰退のひとつの原因だ」(イタリアの歴史学者アルナルド・モミリアーノ)
また、唯一絶対神を信じるキリスト教徒の増加により、ローマ皇帝の相対的な地位が下がったり、軍人皇帝時代の混乱を経て、皇帝への求心力が失われたりしたことも内的要因の一つと言えるだろう。
ローマ人の子孫が堕落したから、インフラが老朽化したから、気候変動をいう学者もいれば、出生率の低下を挙げる学者もいる。 ローマ帝国衰亡論を数えると210ほどあり、滅亡の原因は学者の数ほどあると言われる。

ローマ文明は衰退したのではなく、キリスト教文明に変質した。 つまり、ギリシアから受けついだ多神教思想に基づく、ローマのクラシカルな文明が、一神教の文明に徐々に取り込まれていった。


<スペイン>

スペインが海に乗り出したのは、国民の自信が芽生え、意気が高揚していたから。
そのきっかけのひとつになったのがレコンキスタ(国土回復運動、異教徒の国外排斥)に成功したこと。
同時にスペインは、ナスル朝の首都グラナダを二年間の戦闘で陥落させたり(1492年)、その後のオスマン帝国とのレパントの海戦(1571年)にも勝利を収めたりするなど華々しい成果を挙げていく。 そしてたまたま造船技術が高くなったので、大海に乗り出して行った。
海外に広大な植民地を経営したスペインだが、貿易では決して成功していない。
スペインには産業を興し、植民地と貿易して利益を上げるという発想も力もなかった。自ら貿易の形式を創造していく力があったオランダやイギリスに比べると、スペインは相対的に低下していかざるを得なかった。

大帝国と言われたスペインも、実質的に繁栄したのはイサベルとフェルナンドが王位に就いた十五世紀半ばから、フェリペ二世の統治までの約150年間。
スペイン衰退の理由は、国家機構の弱体化、産業の後進性、巨額の対外債務、慢性的な財政危機、人口の減少、根強い封建的伝統などさまざまな要因が指摘されているが、真犯人は1480年から始まった宗教政策。
スペインは自らの国名を「カトリック王国」とし、レコンキスタでイスラム教徒を追い出し、様々な技術や資産を持つユダヤ教徒を迫害し、民衆に王室と同じ信仰を強制しようとしたことが大きな禍根を残した。


<イギリス>

大航海時代に乗り遅れた十六世紀のイギリスは、ヨーロッパの後進国に甘んじていた。
女王のエリザベス一世(在位1558年〜1603年)は、「私掠免許(民間の船が他国船を攻撃したり、拿捕したりすることを認める)」を海賊たちに与える。そして、海賊達はスペイン船やオランダ船に略奪行為を働き、奪った金品が国家財政を支えた。
英蘭戦争はいわば海賊同士の戦いだが、海賊的な戦法をとったイギリスの前にオランダは屈する。オランダは数度の激戦の末、英仏海峡の制海権を失い、18世紀末期には、オランダの国力が疲弊すると共に海上貿易における優位性も完全に手放すこととなった。

イギリスの隆盛は、スペインとのアマルダの海戦に勝利を収めるところから始まった。 それまでは、イギリスから海賊船が出撃し、大西洋などでスペイン船を襲っていたが、業を煮やしたスペインが本気になってイギリスを潰そうとしたら返り討ちにあってしまった。
この時、ガレオン船という大型帆船を主軸としたスペイン海軍に対し、イギリス海軍は小型帆船を中心に戦った。
「無敵艦隊」と世界中から畏怖されていたスペイン海軍を破ったことは、ヨーロッパ中にイギリス海軍の勇名を轟かせ、国内的には「イギリスは世界の一流国だ」という自信を国民に植え付けた。
その後イギリスは、第一次世界大戦に連合国側として参戦し勝利する。同大戦最大の海戦であり、水上艦どうしの海戦としては史上最大の海戦であるユトランド沖海戦(1916年)でイギリスはドイツに勝利を収める。実は損害はイギリスの方が大きかったのだが、制海権を渡さず、ドイツはこの後潜水艦に頼らざるを得なくなる。

アマルダの海戦から第一次世界大戦終結までの330年間、イギリスはなぜ世界に覇権を唱えることができたのか。 それは、産業革命を成功させ、国内の工業が隆盛し、海外に植民地を建設するというイギリス人の野望が結実したからに他ならないが、その背景にはエネルギーの心配をする必要がなかったことが大きい。
イギリス本土には石炭が豊富にある上に、イギリス人は初めて効率的な石炭の使い方を世界に普及させた。18世紀にコークス(石炭から生産される固形燃料)を改良し、より効率的なエネルギー源としたのだ。
コークスは石炭の直焚きや木炭よりも高い温度で燃焼するため、鉄を大量に精製できる。ここに着目したニューコメンは蒸気ポンプを製作(1712年)、それがワットによる蒸気機関の開発(1769年)につながり、産業革命を推進した。
軍艦も帆船から蒸気機関に急激にシフトしていく。石炭はイギリスの覇権を支え、経済を発展させる”黒いダイヤモンド”だったのだ。
ではなぜ蒸気機関をはじめとする多くの機械がイギリスで実用化されたのか。それはイギリスが地政学的に他の国々よりも有利だったからではないか。
大陸の国々は、隣国と戦争を行う危険性を絶えず内包している。そのため、陸軍の充実は不可欠で、莫大な軍事費が必要となる。
イギリスは島国で、沿岸防備のための海軍があればいい。海軍は陸軍に比べてその人員は圧倒的に少なくて済む。
イギリスは「島国の帝国」と呼ばれた。イギリスに限らず、スペインやオランダなどの国々は、ローマ時代に比べ格段に進歩した造船技術と航海術により、自国の周囲に植民地を持つ必要がなかった。

歴史を眺めると、どの覇権国家も一番繁栄している時期にその衰退の兆しが見えてくる。イギリスも例外ではなく、最盛期であるヴィクトリア朝末期の19世紀末に既に凋落の兆候が現れ衰退の足音は聞こえていた。
二度にわたるボーア戦争(1880年〜1881年、1899年〜1902年)では、第一次が敗北、第二次は長期化のうえ、最終的に勝利したものの多大な戦費と威信を失った。
これによりイギリス自体が植民地支配の難しさを痛切に感じた。
イギリス衰退のもうひとつの大きな理由がエネルギーのパラダイムシフト。石炭から石油への移行。産業の基幹エネルギーが石油に代わり、内燃機関や電気動力になると、蒸気機関で産業革命を興して世界をリードしたイギリスの優位性は基本から崩れていった。


<アメリカ>

アメリカは歴史上初めて出現した「実験国家」。「大陸国家にして海洋国家」「陸軍国であり海軍国」。
「アメリカには中世がない」by 20世紀初頭のイギリス人ジャーナリスト セシル・チェスタトン
アメリカは元来、中世を軽蔑する人々が建設した国家。イギリスからメイフラワー号に乗って移民してきたピルグリム・ファーザーズはプロテスタントのピューリタンで、最も過激な反カトリックのカルバン派。

世界史的に見て、奴隷制が存在したのは、古代のギリシア・ローマと近代のアメリカだけ。それ以外では小規模で存在していても大規模に発展したことはない。

現代の覇権国家アメリカは戦争をきっかけに隆盛した。
第二次世界大戦は実はアメリカの一人勝ちであり、世界唯一の超大国としての地位をアメリカにもたらした。
戦前のアメリカは最大の産油国であり(戦後は輸入国)、戦争中は重工業をはじめとする製造業の無限の需要に沸き返った。これが現在まで続く「パクス・アメリカーナ」の礎となったことは間違いない。

アメリカの覇権を支える源泉が突出した軍事力にあることは間違いがない。
世界の軍事費支出の40%以上をアメリカ一国が占め、核兵器はもちろん、ハイテク兵器、宇宙開発技術を背景にした陸海空三軍と海兵隊の戦力は他国の追随を許さない。

オバマ大統領は、初代大統領ジョージ・ワシントン(在位1789〜1797年)の大統領就任からちょうど220年後に大統領に就任した。ローマに、アフリカ属州出身で異民族の皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193年〜211年)が登場するのも、初代皇帝アウグストゥスから数えて丁度220年後。人間の意識として、異民族がトップに立つことに対する違和感が減少するまで、ローマ人もアメリカ人も同じ年数が必要だったと言えるのではないか。


<その他>

歴史的に見ると、ユダヤ人を抱き込んだ国のほとんどは強国になり、ユダヤ人を追放した国は衰退している。
当時の国境を越えるインテリジェンスはローマ教皇庁とユダヤ人社会しかなかった。ローマ教皇庁にインテリジェンス(情報)はあってもミッション(使命)を送るぐらいで、領土拡大や貿易には結びつかなかったが、ユダヤ人は経済力と結びついた情報網を世界中に広げていた。


海戦で負けた国が発展することは歴史上ない。海外への進出が国力拡大に不可欠だった時代にあって、海上覇権を敵国に握られて貿易が封鎖されれば経済的にも行き詰まるし、国民の士気は下がり、国際間で侮られる。
軍事力は国を隆盛させるためにも覇権を支えるためにも絶対不可欠。マハンが述べた海上覇権の重要性は正しい。


世界史には「辺境革命論」という理論がある。
覇権を唱える国があると、周囲の国々はその国にしばらく従っているが、そのうち力を蓄えて台頭あるいは反抗するということ。
オリエントの辺境ギリシアが発展すると、その周辺にあるローマが台頭・発展し、さらに地中海の周辺に位置するスペインやフランスなどのヨーロッパ勢がその後の主導権を握り、その後、ヨーロッパの中でも辺境にあったイギリスが近代になると主導権を握った、という流れ。
さらに、イギリスが主導権を握れば、その周囲のドイツやヨーロッパ大陸の周辺にあたるアメリカが国力を伸長させる。
また、戦後の日本の繁栄が終わると、その周囲の中国やインドが台頭するといった図式。


国が繁栄すると人口は都市に集中し、中流階級(中間層)が増える。しかし、貴族と庶民がはっきり分かれていた時代と違って、中間層が増える時代を経験した国は、最終的に活力をなくしていく。




まとめ系の話しでは渡部先生はちょっと右利きっぽいのでそこはさっ引いて考える必要があるが、両先生とも
「武装中立」ならまだしも、「非武装中立」は21世紀の現段階では困難で、平和を担保するだけの軍事力は必要、という考え方は共通。

こうやって覇権国家の歴史を俯瞰すると、エネルギーをいかに確保するのかは国家の最重要戦略ファクターであり、そのためには海上覇権を握った国が覇権国として君臨するのが歴史のようだ。
いままではエネルギーは海上輸送だったのでエネルギー流通路である海上の覇権が必要であったが、もし宇宙で太陽光発電したものを地上に伝送できるようになると海上覇権ではなく、宇宙覇権を握ることが肝要となろう。


2015年8月7日金曜日

山口紀行 その5

いよいよ山口紀行のラストに向けて、気がついたこと等をおさらい。

<タクシーの運転手との会話>
・新幹線が通ってから、下関が単なる通過駅になってしまった。日本水産、マルハニチロなどは元々下関発祥の企業なのに、今では本社はおろか、支社も撤退している。
・実は下関市は山口県最大の都市(下関市26万人、山口市19万人。ちなみに萩市は5万人)。
・安倍首相も下関市出身。(でも小学校から大学まで成蹊なので、下関にいたのはちょっとだけ)
・下関では「ふぐ」ではなく「ふく」(「ふぐ」だと「不具」につながり、「ふく」だと「福」につながるから)


・運転してると気づくが、山口県のガードレールは黄色。これは昭和38年に行われた国体の景観整備の一環で、山口県特産の「夏みかん」の色に統一したもの。
 確かに運転していると、センターラインの黄色と相まって中々悪くない。(メンテナンスは大変そうだけど)
・萩のお母さんNPOの人たちもそうだったけど、自分でPOPとかつくってアピールしちゃう文化がある。その分、「◯◯発祥の地」とか「◯◯記念の地」とか観光場所がすごく多い気がする。
・九州圏で醤油が甘いので、イカを食べても甘く感じる(柔らかいだけでなく甘く感じるので「イカが美味い!!」となりやすい)


いやいや人生初山口だったが、非常に楽しく勉強になりました。


千畳敷の空に浮かぶ岬のカフェ、
カントリーキッチン


有名な塩キャラメルクレープ



東後畑の棚田。
美しいのは5月〜6月とあったが、8月も青々。
でも写真とってみて思ったけど、
田んぼの切れ目が見えた方がキレイなので
稲が育ち過ぎてない5月〜6月がいいのかも。
カメラマンの皆様へ。
「農家の方に指示や注文はしないで下さい」
きっといたんだな、注文するカメラマン。


CNNの「日本の最も美しい場所31選」に選ばれたという
元乃隅稲荷神社。
先端の「竜宮の潮吹」を見に行ったんだけど
それは北風が強くて並の高い日しかみれないらしい。
でもこの稲荷さん、お賽銭箱が面白いところに。



なんと鳥居の上。
みんな運動会よろしくお賽銭を投げまくっていた。









山口紀行 その4

金子氏のアトリエ。
ナビ入れても最初迷っちゃって、
金子さんから「迷ってませんか」と折り返し電話きちゃう。
金子司さんという作家の作品が色んな萩焼のお店においてある。
スポイトでつくる作風で、他の萩焼とは一線を画したデザインなので、作家名が出ていなくても誰の作品かすぐ分かる。
萩焼会館という所に寄って萩焼のことを学ぼうかと思ったけど、そういう場所でもなかったみたいでよく学べず。
(前日のお酒好きな某萩焼店店主の方が色々知っていて教えてくれた)
そんな中、移動途中にあるカネコツカサさんの工房(アトリエ)を尋ねることにした。

工房って言ってもショップ併設なんだろうと思って、観光ガイドに「要予約」とあったので念のため電話をすると、電話に出たのが何とご本人。
「今日今からなら時間ありますよ」
なんかイメージしていたのと違いそうだと思いつつ工房に伺うと、ショップなどというものはなく、完全な「工房」(一応、一室には作品が沢山置いてあって確かに購入できるんだけれども、そんなところを観光ガイドに出す編集はいかがなものかと思いつつ)
作家ご本人が、何故か時間を割いて色々教えてくれて、作り方まで見せてくれた。
(本当はビデオに収めたいくらいだったが、それやると機嫌を損ねてお話聞けなくなるリスクを考え記憶の中に)
1時間半くらい色々話しを聞き実際に見せてもらっただろうか、お忙しいだろうに非常に勉強になった。

その中での金子氏からの教えをいくつか。
・珈琲カップの色について。濃い色だと濃い味を想定するので、本当に濃い珈琲でないと薄味に感じる。逆に薄い色だと薄い味を想定するので、濃い味だとより濃く感じる。
良いカップは珈琲が(黒ではなく)赤く見える。
・勾玉の狭い部分は切れることを暗示する。そこからお酒を注ぐのは縁起が悪いので、徳利は口のない部分から注ぐ。だから自分は徳利でも瓶子のように口をつくらないのが多い。そうすると花瓶にも使える。
・お猪口は肘を上げながら奥側を上から持つのが正式(平盃で飲む感じ)。時代劇でもそういう細かい所作を大切に撮影している。
・お酒を飲む姿が様になる(口を迎えに行くのではなく、呑む時に手首を返して呑む)ように、お猪口はあえて下を重くなるよう作っている。(バカラのグラスをイメージされたし)
・長い首形状は「鶴首」と言われる。六角の「亀」と合わせると縁起が良い。竹も持ってくると縁起物三点セットになるが、竹モチーフをもう一つもってくると逆の意味合いになる。竹は2本で節が合うと「ふしあわせ」になると言われている。(実際的には建築的に節が合わない方が強度が出るため?)
・韓国では、取り皿という概念がない。(というより「個人の取り皿」というのは日本独自)。
・韓国では、自分だけに取るという考えにつながるとして「取り皿」の概念がない。食器も金物のモノが多く、韓国の焼き物作家は自国内に需要が無くて苦労している。
・元々焼き物は韓国から来たが、韓国から来ている焼き物の素晴らしいものは何万も作ったうちの良い一枚。
・皿を手に持って食べる文化も日本独自。西洋では大皿が置いてあって皿の上に皿を置いたりする。だから日本の皿は端が高く、惣菜等が盛りやすくなっているのに対し、西洋の皿は端が低く、大判で安定している。(ナイフで皿の上で切り分けたりするため)


お話を聞いて、金子さんワークショップやったりしているし、キノコの焼き物のアートなんかを見ると、萩焼名人というよりは、萩焼をベースとしたアーティストだ。
まだまだ若い方(45歳前後?)なのでこれからが楽しみ。
(萩焼職人としては、50歳代はまだ若手らしい。by昨日ヒアリングした某萩焼店店主)
人柄も素晴らしいし陰ながら応援しよう。

アート作家の生活ってどんな感じかと興味本位で聞いてみた所、
「昼は色々事務をこなしたり人と会ったり。夜は5時間睡眠とるようにして、その他の時間は製作に費やす。個展の前だったりすると18時間近くやり続けたりする。」
とのこと。人と接する以外は萩焼と向き合っている感じがする工房であった。




山口紀行 その3

萩の町並み。
なまこ塀が続いていたり、昔の町並みが残っている。
続いて萩の町観光。
萩と言えば吉田松陰をはじめとする幕末の志士達所縁の地。
色々と考えることがありました。


吉田松陰と久坂玄瑞と高杉晋作。
多分等身大なんだけど、昔の人は身長が低かったらしい。


松下村塾。ここからたくさんの志士が輩出された。

萩城(別名指月城)。
明治になって山口に県庁が移って萩は衰退し始めた。


高杉晋作。生家も萩。
高杉晋作の生家に展示してある人相書。
西郷隆盛のもあるけど、
これじゃ捕まえられんでしょう。
旧久保田家住宅。
江戸、明治と続いた豪商の旧宅。
NPOのおばさまが懇切丁寧に説明してくれて
すごく勉強になった。
拝観料はたったの100円。

60cm×7mもの杉の一枚板。
説明されなければ
その貴重性は分からなかった。
お成り通りに面した格子。
向こうからは見えずに、こちらからは見えるよう
内側に削れた台形につくってある。
通りに面した扉。昼間は一間あき、
夜は潜り戸になるよう、二段構えの作りになっている。
そして、潜り戸は閉めると自動で鍵がかかる
自動オートロックになっている。スゴい知恵。
石も山から採れた石と海から採れた石や
珪化木(石化した木)を使っている。
山から採れた石は苔むすが、
海から採れた石は苔むさない。
でも、よく考えると吉田松陰って、シビアに見ると何も成し遂げずに30歳でこの世を去っている。
実はコトを成し遂げたのはその教え子達。
ちょっと成果盛り過ぎ?って気がしなくもないが、そういう名前の遺し方(人を育てたという成果)もあると思った。

山口紀行 その2

続いて秋芳洞・秋吉台へ。
秋芳洞は、聞きしに勝る鍾乳洞。
場所ごとにまったく違った趣きを見せてくれる自然のテーマパークだ。
洞の中は気温17度ということでヒンヤリ。

秋芳洞入口。ここに至るまでのお土産通りも楽しい。
鍾乳洞に入るまでの緑陰がまた素晴らしい。










「10億年タイムトンネル」
この謎のトンネルも趣向として面白い。

秋吉台。
風と緑が心地よい。

秋吉台の中の長者ヶ森。
ここだけこんもりと林になっている、
パワースポット。

というわけで山口紀行まだ続く。

山口紀行 その1

ボーイスカウトの世界大会、世界スカウトジャンボリー(4年に1回開催)が、今年は44年ぶりに日本で行われるということで、見学に。
ついでに山口を巡る旅にでかけることにした。

・ネットでじゃらんで申し込んだが、申し込み非常に楽チン。
 ちょっと改善して欲しい点があるとすると、各々のホテルの料金が分かりにくいこと。

羽田空港から山口宇部空港へ。
空港のレンタカーはトヨタレンタカーの一人勝ち。
プロモーションの差か。

















町をあげて世界スカウトジャンボリーを盛りたてている。



世界スカウトジャンボリー会場。山口きらら浜。
だだっ広い。。
 





「ネッチ」だけが統一ドレスコード。
ネッチしてなかったら
スカウトって分からないであろう人多数。
敷地内には地元のスーパーが出店。
売っているものは普通に日本に売っているもの。
女性の生理用品とかも売れているみたいだった。
ワッペンの交換はスカウトの楽しみ。
サイトでは公用語は英語。
スペルミスはネイティブにしっかりチェックされる。
サイトでは水分をとるため、自衛隊の給水車が活躍。
というわけで、自衛官もちゃっかり募集。

サイト内は非常に暑い(殺人的)。
ミスト+送風という切り札も焼け石に水状態。
という訳で、水浴びプールをやる国も。(いいのか?)
韓国のカブスカウトらしき集団が観光していたり、参加プログラムに周辺観光もあるらしい。
地域にとっては非常にありがたいイベントか。
でもなんで日本の中でも山口県のきらら浜だったんだろう?
色々考えてしまう。

山口紀行つづく。