2013年12月31日火曜日

『ユーザーイノベーション』

「イノベーションの民主化」、すなわち、製品やサービスのつくり手であるメーカーでなく、使い手であるユーザー(製品やサービスを使うことで便益を得るプレーヤー)のイノベーションを起こす能力と環境が向上している状態のこと、がテーマ。

バリバリプロダクトアウト型企業である我が社がどう変革していくべきなのかを考える上で参考になるかと思い購入した本。

>>>>>
これまで多くの研究者、実務家や政策立案者が前提にしてきたイノベーションの発生・普及ルートは、イノベーションは大学やメーカー企業の研究室で生まれ、最終的に市場導入された後、一般消費者に普及するというものだった。
しかし、イノベーションは消費者が製品を使用する場所で生まれることがある。
消費者が行ったイノベーションは、時に他の消費者に伝わる。イノベーションを利用したいと思う他の消費者が、製品を無料または実費でイノベーターから譲り受けたり、消費者自身がイノベーションを複製したりし、そこから消費者イノベーションの普及が始まる。
このように従来の社会的通念だった「大学・企業のイノベーション→消費者への普及」というルートと異なる「消費者によるイノベーション→他の消費者への普及→メーカーの参入」という普及ルートが少なからずある事が分かってきた。
これは、イノベーションを促進する方法が増えることを意味している。
企業や大学のイノベーション活動を支援するだけでなく、消費者の革新活動を支援すること(あるいは阻害しないこと)でこれまで以上にイノベーションが実現され、国民の生活がより豊かになる(社会的厚生が増加する)可能性がうまれる。
そうした機会を活かすためには、これまで考察の対象とされてこなかった消費者個人、消費者間、そして消費者・企業間で起こる知識層像と普及に注目する必要がある。
>>>>>

消費者をどうとらえるか。
これまで、消費者はメーカーが開発した製品を選択、購入し、消費する受け身的存在として考えられてきた。
これはイノベーション研究の父ともいえるジョセフ・シュンペーターでさえそうだと著者は言う。
それに対して、「イノベーションの民主化」における消費者はイノベーションを行う能動的な存在であり、ユーザーイノベーションを起点とするイノベーションの普及ルートの枠組みは新しいイノベーション・パラダイムであると著者は言っている。


「画期的製品を生み出す消費者の声に出会うことはほとんどない」と話す開発担当者が多い一方で、いくつかの消費財分野で消費者がイノベーションを起こしている。
これに対して著者は、消費財メーカーが消費者イノベーターの存在に気づいていないからであるという仮説を立てている。
実証してみると、消費者イノベーターの率は多くて1%。100人に1人程度しか消費者イノベーターは存在しない。そんなごく少数の消費者の存在はメーカーからはニッチ的、あるいは例外としてみられてしまう可能性が高いというわけだ。

企業は消費者イノベーターを見つけたとしても安心はできない。
過去3年間のうちに製品創造か製品改良を行った消費者イノベーターを見つけたとしても、50%以上の消費者イノベーターは「一発屋」で終わることが調査結果からでている。
100人に数人程度存在する多産型の消費者イノベーターを見つけ出したとしても、同じ製品分野で製品イノベーションを行うとは限らないのだ。
そこで企業とすると何らかの「コミュニティ」の活用が大切となる。個々人では「一発屋」でしかなり得ない消費者イノベーターが、絶えずとっかえひっかえでてくるコミュニティを目指すということだ。

以前読んだ「Yコンビネーター」でも同様の発想で、常に一発屋であるところの「スタートアップ」(ベンチャー起業)が絶えず発生する組織を目指していたが、それは専門でやっても非常に困難な(でも楽しい)チャレンジのように見えた。
消費者イノベーターを企業側が(単に)支援するコミュニティの中で絶えず発生させるようにするのは現実には非常に困難であり、何らかの「仕掛け」が必要となるだろう。
(逆に、その「仕掛け」を見つけることができれば、他社との強烈な差別化になりうる)


著者は、製品化の仕組みとして、今まで通りの企業主導のやり方、リードユーザー法(LUM)、クラウドソーシング(CS)の3つの方式を比較して、クラウドソーシング(不特定多数の消費者に対し、欲しいと望む製品案やそれに対する評価をインターネットを通じて募集し、消費者からの反応をもとに製品化を検討する仕組み)が優れているとしている。

CS(クラウドソーシング)はLUM(リードユーザメソッド)と比較して、消費者に対する開放度と透明度の点で異なっている。
CSでは不特定多数の消費者がどの段階からも参加でき、その過程も閲覧可能になっているのに対して、LUMではユーザーの発見・選別・製品案の創出、最終開発案の決定を社外の人には見えない形で行う。
そのため、LUMではユーザー同士の助け合いも行われないし、開発過程が消費者に開示されていないため、そこで生まれる製品案に対する他ユーザーの評価、注目度を知ることができない。つまり、当該製品案に対する需要の大きさを事前に知ることができない。

CSでは、リーンスタートアップにおけるプロトタイプを用いたスモールスタートと同様のことが期せずして(といよりその構造上必然的に)できるということ。まずはプロトタイプを作って世に出し、それがどのような点でどう評価を受けるのか、それを受けて改良を繰り返す(もしくはピボットする)ことが意図せずできてしまうのがCS。
では何故多数の企業がCSを実践しない(できない)のか?
その辺りが今後の研究課題なのだろう。


特定少数の専門家 vs 不特定多数の素人、すなわち「社内専門家の精鋭部隊」と「社外の素人消費者集団」ではどちらが結果を出すのか。
やり方次第ということだと思うが、現状ではまだまだ「社内専門家の精鋭部隊」に頼る企業が多いということだ。
今後、「イノベーションの民主化」に向けて企業型で仕組みの精度を上げることができれば、社外の素人消費者集団の知見を活用する時代がくるのかもしれない。

現在でも「不特定多数の群衆の知恵(wisdom of crowds)は市場の評価をより正確に予測する」というのが現実として当たっている事例が多数ある。
自民党小泉政権の大勝は、政治評論家の意見よりもむしろネットの風評を見ていた方がより正確だったと言われているし、オバマ政権のネット活用は皆の知るところだ。

「集団的顧客予約」(Collective Customer Communication:CCC) という顧客が集団的に事前予約をする仕組みがある。
不特定多数の消費者と透明度の高い関係を構築することで、製造業者は新製品の開発につながるアイディアを得るだけでなく、時にはそのまま製造できるほどの完璧なデザインを得ることさえあるらしい。
CCCが有効となるのは、次の2つの状況下。
①顧客経験がほとんど存在しないため、市場調査を行っても曖昧な結果しか得られないと見込まれる極めて革新的な製品の開発。
②比較的規模の小さい極めて不均質な市場セグメントで販売する製品の開発。

このCCCの事例のように、CSもあらゆるジャンルの製品開発全てに万能ということではなく、まだ特定のジャンルにおいてその強みを発揮するものであるような気がする。


プロダクトアウト型の我が社でも、実はCSのような取り組みをトライアルで開始している。
それがどこまで伸びていくのか。伸ばすには何が必要なのか。
この本を読んで、まだまだ仮説を色々実証していかなければならない段階のように思えた。








2013年12月23日月曜日

『勝負は、お客様が買う前に決める!』

ソーシャルメディアにおける『事前期待のマネジメント』というテーマで面白い本だと、FBで勧められていたので購入して読んでみた。

昨今はモノがあふれており、モノのコモディティ化が進んでいる。サービスにおいても同様の傾向にある。
モノやサービス自体で差別化が図れなくなった企業は、モノやサービスを購入した後のアフターサービスで差別化を図ろうと、様々な次のサービスを考案する。
しかし、差別化のステージはさらに次のステップに進みつつある。
お客様の購買プロセスは、大きく分けると購入前、購入時、購入後の3つのフェーズで考えることができる。
更に進んだ企業は、購入前の潜在顧客へのアプローチを開始している。

購入前段階での差別化として重要なのが「事前期待のマネジメント」だと著者は言う。

事前期待は「事前期待の内容」「事前期待の持ち方」「事前期待の持ち主」の3つの要素に分解できる。

【事前期待の内容】
サービスメニュー、サービス価格、サービス品質
【事前期待の持ち主】
ユーザーの属性、ユーザーのサービスへの関わり方
【事前期待の持ち方】
「事前期待の持ち方」はさらに以下の4つの種類に分類できる。
①共通的な事前期待:そのサービスを利用しようと考える誰もが必要としている内容
②個別的な事前期待:お客様それぞれの固有のニーズ。お客様個人の好みをデータベース化することで応えることが可能。
③状況で変化する事前期待:お客様との会話やメールのやり取りから判明する場合が多い。少ない会話の中から的確にお客様の期待を読み取らなければならない。
④潜在的な事前期待:お客様本人が気づかない場合も多く、お客様のペルソナを具体的にイメージし、お客様の立場に立って考えることでお客様にとってふさわしいサービスを考えることができる。


ソーシャルメディアを活用することによって、より一層事前期待のマネジメント(顧客の事前期待を読むこと)がしやすくなる。
ソーシャルメディアの特徴を挙げてみよう。
◯ほとんどのソーシャルメディアにはプロフィール項目があり、この情報を事前に見ることでお客様の経歴や趣味、嗜好が手に取れるように分かる。
◯従来のメディア(実際の会話やメールのやり取り)とソーシャルメディア上でのやり取りで大きく違う点は、コミュニケーションのやり取りが会話している当事者だけでなく、周りの人々(潜在顧客)にもみえるということ。
◯ソーシャルメディアでの会話には、「友人の共感」が付与されている。
◯ソーシャルメディアは、拡散性に優れているが、情報の滞留性という面では、既存のウェブサイトやブログ、紙媒体に軍配が上がる。
◯コーチングの3原則、「双方向」「継続性」「個別対応」というマインドはソーシャルメディアと相性がよい。お客様に寄り添いながら、一緒に成長していくバーチャル・コーチングで共感を獲得できる。


サービスサイエンスでは、6つのサービス品質評価軸(正確性、迅速性、柔軟性、共感性、安心感、好印象)というフレームワークでサービスを評価する。ライバルのサービスレベルのベンチマーク指標としても使える。

6つのうち、事前期待を把握し、お客様がサービスに期待している内容を紐解くには「共感性」の発揮が何よりも重要とのこと。
「共感性」には日本人の気遣い、おもてなしの心に通じるものがある。
ソーシャルメディアを活用したお客様とのやり取りは、ある意味”行間を読み込む行為”。 相手を慮るという日本的なアプローチで人の気持ちを汲み取り、その上で西洋的な仕組みで人やチームをうごかすことは日本人にしかできないのでは、というのが著者の考え方。

という訳で共感を生むためのコンテンツづくりのノウハウ。
<共感を生む話題性のあるコンテンツ5条件>
①広く受け入れられる内容であること(心に響く、感動する)
多くの人に受け入れられるテーマだと広く拡散し、ターゲットとする人にリーチする可能性が高まる。
②役に立つ内容であること(有益であること)
人々の課題を解決するような内容だと、同じ問題意識を持つ人々の間に拡散する。
③魅力的であること(リッチコンテンツ)
映像や音声を活用した表現豊かなリッチコンテンツで届けたい内容の魅力をアップ。
④クセになる内容であること(習慣性)
ゲーム性があったり、続けて利用したくなるようなコンテンツであること。
⑤ニュース性があること
みんながあっと驚くようなコンテンツであること。

<3つの共感を意識する>
「企業やお店への共感」「発信者への共感」「情報への共感」


これからは「共創」の時代だということで、アドボカシー・マーケティング(お客様との強固な信頼関係を築くことを目的に、お客様の意向を最優先し、場合によっては他社製品を紹介したり、他店での購入を案内するなど、徹底的にお客様本位で接するマーケティング活動のこと。アドボカシー・マーケティング導入による効果は、お客様の企業に対するロイヤルティが上がること)と言った内容も紹介されている。


非常に想いを強くしたのが以下のくだり。
>>>>>
ソーシャルメディアは、手間ひまかけないとダメ。
リアルの対面ビジネス以上に気遣いをしながら進めなければならない。
ソーシャルメディアは、決して魔法のコミュニケーションツールではない。バーチャルな空間でお客様と対話しながら、お客様の事前期待を読み解きながら共感のコミュニティを実践していく共感のプラットフォームなのだ。
お客様にそっと寄り添って、地味だけれどお客様の悩みに応えてくれるパートナーの方が、長いおつきあい(ロング・エンゲージメント)が継続する。
お客様の中からロイヤル・カスタマー(自社、自店舗のモノやサービスを好んで選択してくれるロイヤルティの高いお客様を指す。飲食店でいう常連さんであり、モノやサービスを提供する企業にとってはヘビーユーザーをいう。)と呼ばれるお客様をつくることで、ロング・エンゲージメントのビジネスが実現する。
ロイヤル・カスタマーが進化すると、いわゆるエバンジェリストと呼ばれる伝道師となる。言ってみれば私設応援団的な存在であり、他の誰よりもその企業や店舗のことを愛しているお客様である。
>>>>>


自分の会社では、まだまだアフター段階に力を入れるところから、ようやく購入前の潜在顧客層へのアプローチのトライアルを始めた段階だ。でも、既にロイヤルカスタマーになってもらうべくロング・エンゲージメントの取り組みは鋭意継続中である。

業務を進めるにあたっても、頭の整理に非常に良い一冊だった。






2013年12月22日日曜日

『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』

ダン・アリエリーの3冊目の著作。
この人の実験は、視点が非常に面白い。「数字探し課題」という発展性もある基本実験をベースに、色んな仮説を科学的に証明できる仕掛けを考える発想がすごい。
今回は、誰もがもっているちょっとした「ずる」についての考察。

我々は、自分を正直で立派な人物だと思いたい(心理学でいう「自我動機」)。
その一方では、ごまかしから利益を得て、出来るだけ得をしたい。
では、ごまかしから利益を確実に得ながら、自分を正直で素晴らしい人物だと思い続けるには、一体どうすればいいのだろうか。そこで「認知的柔軟性」の出番となる。
両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、「つじつま合わせ仮説」と呼ばれる仮説の根幹である。


結論は最後にまとめるが、その中にでてくる「自我消耗」という概念は面白い。
<シャイ・ダンジガー(テル・アビブ大学准教授)、ジョナサン・レバブ(スタンフォード大学准教授)が行った研究>
イスラエルで行われた多数の仮釈放決定を調べた結果、仮釈放審査委員会が仮釈放を許可することが最も多いのは、一日の最初の審問と、昼食休憩直後の審問だった。
仮釈放審査委員会にとって標準的な決定は、仮釈放を認めないこと。 判事が元気を回復したとき、つまり朝一番か、食事をして休憩を取った直後は、標準的な決定を覆して、より大きな努力を要する決定を行い、仮釈放を認める能力が高まっていたようだ。
しかし、一日のうちに多くの困難な決定を下し、認知負荷が高まるにつれて、仮釈放を認めないという単純で標準的な決定を選ぶようになった。

我々は人間であり、誘惑に屈しやすい。
一日中複雑な決定を下し続けていると、衝動と理性の葛藤を生むような状況に何度もとらわれる。
重要な決定(健康、結婚など)になると、葛藤は輪をかけて激しくなる。皮肉なことに、衝動を抑えようとする単純で日常的な努力が、自制心の在庫を減らしていき、その結果ますます誘惑に駆られやすくなる。
自分が一日中誘惑にさらされっぱなしだということ、また時間の経過とともに抵抗が積み上がっていくうちに、誘惑に抗う力が弱まることを自覚する必要がある。
消耗を理解することで、自制が必要な状況(たとえば職場での退屈きわまりない仕事など)には、まだ消耗していない日中の早い時間に(出来る限り)向かうべきだ。
誘惑にさらされると、背を向けるのが難しいとわかっているなら、近づきすぎて身動きが取れなくなる前に、欲求の引力から抜け出すのが得策だ。

この知見を日常の業務に活かそうとすると、上司の裁可を得るのに、標準的な内容の決裁であれば夕方(抗う意志が消耗している時)、決断が必要な内容であれば、朝一か昼一番(消耗しておらず元気な時)がいいということか。
退屈極まりない仕事は消耗してない時じゃなくても出来る気がする。


対外シグナリングという概念も非常に面白い。
対外シグナリングとは、我々が身につけるものを通して、自分が何物であるかを他人に知らせる方法のこと。
時をさかのぼって古代ローマの法には、奢侈禁止令という一連の規制があった。それはその後数世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国に浸透した。
この法では何よりもまず、身分や階級によって、誰が何を着て良いかが決められていた。法は驚くほど詳細に及んでいた。(最貧層は、たいがい法から除外されていた。カビ臭い麻布や毛織物、馬の尾の毛でできたシャツなど規制したところで仕方がないからだ)
一部の集団は「堅気」の人たちと間違えられることのないよう、さらに区別されていた。 例えば、売春婦が「不純さ」をシグナリングするために縞模様の頭巾の着用を強いられたり、異教徒が火あぶりの刑に処せられる可能性、または必要があることを示すために、薪の印をつけるよう強制されることもあった。
「身分を越えた身なりをする」者は、周りに対してもの言わずに、だがあらかさまに、嘘をついていた。 身分を越えた身なりをするのは死罪に値するような罪ではなかったが、法を破るものは罰金などの処分を受けることが多かった。
こうしたルールは、上流階級のばかばかしいまでの強迫症のように思えるかもしれないが、実は世間の人たちが自らシグナリングした通りの身分であることを保証するための策だった。つまり、無秩序と混乱を排除するためのしくみだ。
現代の衣服の階級制度は、昔ほど硬直的ではないが、成功と個性をシグナリングしたいという欲求は、かつてないほど高まっている。

著者が行った実験では「身なりは人をつくる」という諺の示す通り、ニセモノを身につけることは、倫理的判断に確かに影響を及ぼすという結果が出ている。
さらに、人は偽造製品のせいで、自分自身が不正直な行動をとるようになるだけでなく、他人のこともあまり正直でないと見なすようになることが実験で分かった。
つまり、偽造品を利用することで代償を払うのは、高級ブランド企業だけではない。
たった一つの不正行為をきっかけに、それ以降の行動が一変することがある。
おまけに、その不正行為を始終思い出させるようなものが身近にあれば(グッチの偽サングラスなど)、長期にわたって深刻な波及効果が続く。
要するに、究極的には誰もが「道徳通貨」建てで、偽造品の代償を払わされるということだ。

嘘をつくことの最大の問題点は、他人も嘘をついていると思ってしまうというカルマに囚われるという事だというのを何かで読んだことがある。
同様に、ニセモノを身につけるということは、結局他人も同様に不正直だと判断を誤らせるカルマに囚われるということか。


人は何かの「ふりをする」と、自分の行動と自己イメージ、それに周りの人たちに対する見方が変わるのだ。
どんなものであれ、不正行為をとるに足らないものと片付けるべきではない。
初犯は大抵の場合、初めてのことだし誰にでも間違いはあると言って大目に見られることが多い。
だが、初めての不正行為は、その後の自分自身や自分の行動に対する見方を形成するうえで、特に大きな意味をもつことも忘れてはならない。
だからこそ、最も阻止すべきは最初の不正行為なのだ。一見無害に思われる、単発の不正行為の数を減らすことこそが重要だ。

という訳で、NYで実践されて効果が出たと言われている「割れ窓理論」は非常に重要だということだ。


色々な実験によるまとめは以下の通り。
<不正をつくる要因のまとめ>
【不正を促す要因】
正当化の能力
利益相反
創造性
一つの反道徳的行為
消耗
他人が自分の不正から利益を得る
他人の不正を目撃する
不正の例を示す文化
【影響なし】
不正から得られる金額
つかまる確率
【不正を減らす要因】
誓約
署名
道徳心を呼び起こすもの
監視

割愛したが、「創造性」が不正を促す要因となっているというのも面白い(自己肯定する物語を創ってしまうということらしい)。
誓約、署名などが不正を減らす要因に挙げられているが、誘惑の瞬間に道徳心を呼び起こすのは驚くほど効果の高い方法であることが実験から分かっている。


最後に。
不正には「どうにでもなれ」効果というものがあるらしい。
しばらくはあまりごまかしをしないようにして、正直者という自己イメージを保ちながら、ごまかしから利益を得ようとする。
このような「バランスのとれた」ごまかしはしばらく続くが、ある時点で「正直の閾値」に達すると、それ以降は前よりもずっと頻繁にごまかしをするようになる。
興味深いことに、道徳的指針をリセットし、「どうにでもなれ」効果を阻止するために、特別に設計されたかのような社会的機構が、現に数多く存在する。
例えば、カトリックの懺悔やユダヤ教のヨム・キプル(贖罪の日)、イスラムのラマダン(断食月)、毎週の安息日といったリセットの儀式がそうだ。
これらはどれも自制心を取り戻し、堕落を食い止め、改心する機会を与えてくれる。
こんな感じで、宗教にはちゃんと「リセット」を許す仕掛けが盛り込まれているという。
(信仰をもたない人は、新年の抱負や、誕生日、転職、失恋などを「リセット」の機会と考えるといい)

著者は、不正に対抗するための、より効果的で実践的な方法を考えだすためには、まずそもそも何故人は不正な行動をとるのかを理解することが必要だと述べている。
理解が進んだからといって、人間が不正をしなくなるとは考えにくいが、正直者が馬鹿をみない、不正をしにくい世の中というのは目指していくべきである。




2013年12月18日水曜日

妻の寛解

本日、妻の癌手術から5年目の検診だった。
一般的に大腸癌は5年経って再発が認められなければ、「寛解」ということでその癌については治癒したということになる。
ここ3年位は半年に一度、一緒に検診を受けていて、半年前の検診では不安症の妻に対してDr.が
「もう、ほとんど心配しなくて大丈夫ですよ」
という話しもしてくれていた。

とはいえ、本日5年目の最終検診ということで、会社には年末の忙しい時期だったが休ませてもらい、一緒に受けてきた。
「特に問題は見受けられませんので、再発なし。完治ということになります。」
というDr.からの結果報告はあまりに淡々としていて、あっけない位であったが、想定通りとはいえ、やはり安堵した。

思えば、この5年色々あった。
戻って妻と二人で食事をしながら、この5年間を振り返った。
病気になったのは決して「いいこと」ではないが、その経験の中で得られたものは「悪いこと」ばかりではなかった。

妻は「痩せたね」と言われるのが嫌で、他の地域の新しいメンバーとの交流を始め、今そのメンバーと親しく付き合いをしている。
こちらも妻に任せっきりにしていた家のことをやることで、ワークライフバランスというものを真剣に考えるようになった。まだまだレベルは低いが料理もおぼえた。
妻との関係も病気をする前とは明らかに変わった。

このブログを始めてからすぐに妻の癌が発見されて、その時点、時点のことが自分の気持ちと合わせて書かれている。
抗がん剤が必要と分かった時とか、抗がん剤服薬期間の不安感とか、読み返すとその時々の気持ちが思い出されて、何とも言えない気分になる。
5年前の紅白でミスチルの”GIFT”を聞いた時の気持ちは多分一生忘れないだろう。

何につけ5年。妻も頑張った。(よく分かってなかったであろう)子供たちにも負担をかけた。こちらも頑張った。
長かったが、無事に済んで本当に良かった。
「来年は一歩二歩前に進みたい」と言っている妻と喜びを分かち合った。
世の中に感謝!

2013年12月8日日曜日

『メリットの法則 行動分析学・実践編』

桜花学園大学大学院各員教授、奥田健次先生の著作。

行動分析学(Behavior Analysis)について分かりやすく解説されている本。
以下はまとめということで、専門用語を用いた結論と備忘的な事例だけを記載したが、実際の本には具体的な事例が分かりやすく書かれており、それをお読みいただかないと分かりづらいかもしれない(自分の備忘録みたいになってしまいました。スミマセン)。


心理学的な原因を探ろうとすると得てして循環論に陥りがちである。
原因を「行動随伴性」で考えるのが、行動分析学の特徴。
時間的に後で起こった出来事が、その先に起きた行動の原因になっている、と考える点が、各種ある心理学の中でも、行動分析学のユニークな点。

「行動」と何か。
「死人テスト」と「具体性テスト」の二つをクリアしたもの。
①行動とは「死人にはできないこと」。症状・状態は死人にも起こりうる場合があるので行動ではない。
②「具体的」とは「ビデオで撮影して、誰が見てもそれとわかるもの」。
記述概念:ビデオカメラで撮影して誰もが認めることができる行動の事実。
説明概念:事実を説明したものであって、見た人によって意見が分かれるかもしれないもの。
意外と「具体的」というのが訓練しないと判別しにくいらしい。

行動の前ではなく、後に続く結果が原因となる「行動」のこと(行動随伴性を考える場合の行動)をオペラント行動と呼び、行動の前に生じた刺激によって引き起こされる、「反射」と呼ばれる種類の行動であるレスポンデント行動と区別している。

以下の四つの行動随伴性(二つの強化の原理、二つの弱化の原理)は「基本随伴性」と呼ばれるもっともベーシックなもの。
ちなみに、好子=メリット、嫌子=デメリットと捉えると分かりやすい。
<行動を強める「強化」の原理>
①好子出現の強化
  例)[直前]向こうに安全に渡っていない
      ↓
    [行動]青信号の時に横断歩道を渡る
      ↓
    [直後]安全に向こうへ渡ることができた
②嫌子消失の強化
  例)[直前]顔面のテカリあり
      ↓
    [行動]あぶらとり紙を使う
      ↓
    [直後]顔面のテカリなし
<行動を弱める「弱化」の原理>
③嫌子出現の弱化
  例)[直前]白いシャツにシミなし
      ↓
    [行動]カレーうどんを豪快にすする
      ↓
    [直後]白いシャツにシミあり
④好子消失の弱化
  例)[直前]大切なデータあり
      ↓
    [行動]意味も分からずクリックする
      ↓
    [直後]大切なデータなし
 好子や嫌子は行動の直後に随伴していることがポイント。
随伴性とは行動が起きてから60秒までが目安。

消去:今まで強化されていた行動が元のレベルに戻ること。
「消去抵抗」とは消去の開始以降、一時的に行動の頻度がエスカレートする現象をいう(さらにスゴいものを「消去バースト」という)。
消去バースト(簡単にいうと「エクソシストの除霊において、悪霊が退散する直前が一番大変な事態となるということ」)が起こることが分かっていると、ひるまずに実行できるという素晴らしい効能がある。


行動分析学を実践する際には、「アメとムチ」ではなく「アメとアメなし」にするべき。
☞「好子出現の強化と嫌子出現の弱化」ではなく「好子出現の強化と消去」が正解。
なぜならば弱化には以下の副作用があるから。
①行動自体を減らしてしまう 叱られないようにするために、何もしないようになる。いわゆる「積極性」が失われやすい。
②何も新しいことを教えたことにならない。新しい行動は、強化と消去の組み合わせによって生まれる。
③一時的に効果があるが持続しない。弱化の効果は「回復の原理」があり長続きしない。叱られないと行動しないのであれば、常に叱ってくれる人の存在が必要になる。
④弱化を使う側は罰的な関わりがエスカレートしがちになる。
⑤弱化を受けた側にネガティブな情緒反応を引き起こす。
⑥力関係次第で他人に同じことをしてしまう可能性を高める。


応用系である「阻止の随伴性」には次の四つがある。
①嫌子出現「阻止」の強化
  例)[直前]やがて忘れてクレームがくる
      ↓
    [行動]注意深く商品を指差し確認する
      ↓
    [クレームがこない]
②好子消失「阻止」の強化
  例)[直前]ふとしたミスで入力した文章が消える
      ↓
    [行動]こまめに文章を確定する
      ↓
    [直後]入力した文章が消えない
③嫌子消失「阻止」の弱化
  例)[直前]やがて刺を抜いてもらえる
      ↓
    [行動]ジタバタする
      ↓
    [直後]刺を抜いてもらえない
④好子出現「阻止」の弱化
  例)[直前]やがて紙芝居が始まる
      ↓
    [行動]大声で騒ぐ
      ↓
    [直後]紙芝居が始まらない

阻止の随伴性には
①我々が注意を集中し続けるのに役立っている
②我々のスムーズな運動機能を維持するのに貢献している
③課題に従事する行動を促進する などの特徴がある。
実は「阻止」には日常生活上のマイナスな側面もある。長谷川芳典氏は「楽しく始めたはずのものが、いつしか義務的になってしまう行動」や「現状維持でよしとする行動」に阻止の随伴性が関与していると指摘している。


「行動」の「機能」は次の4つしかない。
「機能」という言葉だが、これは「どのような働きをしているか」という意味である。
対照的な言葉として「形態」という言葉がある。
「行動」を正しく捉えるとき、その「行動」の「形態」よりも「機能」を重視することが極めて重要なことであり、これが応用行動分析学(学校臨床や教育のみならず、社会問題全体への行動分析学の応用)の基本姿勢となっている。
<行動の機能>
①物や活動が得られる
②注目が得られる
③逃避・回避できる
④感覚が得られる

オペラント行動は、必ず行動随伴性の枠組み(行動随伴性の3つのボックスを一つのまとまりとして行動の1単位と考える)で捉えるようにしなければならない。


行動分析学の実践において、トークンエコノミー法というものの応用が有効とのこと。
トークンエコノミー法とは、応用行動分析学でしばしば用いられる技法の一つ。
トークンとは「貨幣の代用」という意味で、特定の価値を持たせたスタンプやポイントのようなもの。

トークンエコノミー法の利点
①ポイントの受け渡しが容易なこと
②ポイントは貯めて使えるので食べ物のように満腹にならないこと
③特定の行動の出現を高めて維持するのに有利なこと
④視覚的に動機づけられて達成感も味わえること

トークンエコノミー法は「さじ加減」が決め手。
配慮すべき事項として
一つ目は、「子供自身がバックアップ好子を選択できること」。子供の年齢によって、興味や関心、好みを考慮する必要がある。
二つ目は、トークンエコノミー法以外の手段ではバックアップ好子を入手できないようにしておくこと。普段は手に入れられないのに、手が届きそうな歩みをする事自体に「ワクワク感」が得られる。
三つ目は、バックアップ好子は実際に与えやすいものであること。達成したのに「ワクワク感」を裏切ることがあってはいけない。

トークンエコノミー法は、親や教師が子供に押し付けるようなものではなく、「やればやっただけお得だと思いますが、いかがですか?(やりたくなければやらなくてもいいよ?)」というスタンスで計画するべき。
そして、それは裏切ってはいけない契約。

ポイントを減点するレスポンスコストは、好子消失の弱化の手続き。弱化手続きには副作用があるので、あまりお勧めではない。
やはり、基本的には「アメとムチ」のトークンエコノミー法とレスポンスコストの併用よりも、「アメとアメなし」のトークンエコノミー法のみの導入を目指した方がよい。


行動分析学の実践において、もう一つ有効な介入方法がある。「FTスケジュール」である。 FT(fixed time)とは「時間を固定させる」という意味。
FTスケジュールでは、行動に随伴させるのではなく、時間ごとに好子や嫌子を提示する。 つまり、行動と無関係に好子を提示する方法。
もちろん、ちょうどその好子が出現する直前のタイミングで、特定の行動をしていると偶発的にその行動を強化することになる。
暴れる自閉症性生徒を殴り掛かる行動に随伴させないように好子を提示する方法は、NCR(Noncontingent Reinforcement:非随伴強化法)とも呼ばれている。
FTスケジュールは、行動分析学の基礎研究では「迷信行動」の出現として知られている。


がんじがらめでステレオタイプな行動を変えていくためには、「行動変動性」を高める作業が必要となる。
その一つには、消去の原理の役割や、エクスポージャーがんじがらめでステレオタイプな行動を変えていくためには、「行動変動性」を高める作業が必要となる。 その一つには、消去の原理の役割や、エクスポージャー(不安を引き起こす刺激をクライアントに提示し続ける手法。クライアント側からすると、不安を引き起こす刺激に「さらされ続ける」ことになる。人間も含め動物は、ある種の感覚を強く引き起こす刺激にさらされ続けると、その刺激によって引き起こされる反射が次第に弱くなる。専門用語では『馴化』(じゅんか)と呼ばれる。)があると考えられている。
エクスポージャーは、ステレオタイプな行動を断ち切り、新しい行動変化をもたらすものなのである。


ダーネル・ラッタル博士(組織行動管理という分野でアメリカ最大手企業オーブリー・ダニエルズ・インターナショナルCEO)は「任意の努力」(Discretionary Effort)という概念を打ち出している。
ビジネスにおける成功のカギはこの「任意の努力」を見つけて伸ばしていくことにある。 ”ねばならない”曲線(”Have-to” curve)=求められたことの最低ライン、(最低要求水準))と”したいからやる”曲線(”Want-to” curve)の間のパフォーマンスが「任意の努力」


う〜ん、事例が分かりにくく結論的な要素だけの記載だと、このブログを読んでも全く理解できないだろうと思いつつ所感を述べると、こんなに単純な考え方でいいのか?という疑念が湧くが、定義の説明ために定義を連ねねばならないようなのはバッドサイエンスである、と著者は力づよく言い放っている。
精神疾患の現場においては、「原因の究明」よりも「行動が変わるための手法」が強く求められているはずなので、そういう意味では現場に強く求められている学問、実践法であると思った。

でもこの単純さってビジネスの現場でも活用できるのでは?と思ってしまうのは自分だけでしょうか。
もうちょっと研究してみる価値がありそう。




2013年12月7日土曜日

『鉄の骨』

池井戸潤の著作。
テーマがゼネコンの談合ということで同僚から課題本として借りた本。
2010年には小池徹平を主人公にしてNHKでドラマ化されている。

ゼネコンの若手社員を主人公として描いているので、談合=悪といったステレオタイプの描き方でなく、様々な考え方、立場の人間が織りなす人間模様として描かれている。

詳細はお読み下さいということだが、感想をいくつか。
主人公の恋のライバルであり、主人公の会社(中堅ゼネコン)の融資担当者として銀行マンを登場させるあたり、著者の池井戸潤が自分のテリトリー(金融)を広げながら書いている感じでリアリティがあり、物語に安定感がある。
(とはいえ、談合の部分については相当想像による部分が多いと思うが)

テーマがしっかりした上でのミステリー仕立てになっており、登場人物の織りなす人間模様も面白い。(恋人関係、親子の関係、上司と部下の関係などなど)
池井戸潤は同世代(若干先輩だが)。岐阜県出身で大学から東京にでてきているので地方から出てきた人間の心情を描くのが非常に巧みである。
600ページ超の大作だったが、ぐいぐい引き込まれて難なく読めて楽しめた。


『フレーミング』


タイラー・コーエン氏の著作。

行動経済学者らは、人間を「フレーミング効果」に影響されるものだと表現することがある。フレーミング効果とは、選択肢の提示が人の選択を左右することだ。
例えば全く同じ機会でも、何かを獲得する機会として示されると、何かを失う機会として示された場合よりも、無難な選択をしがちになる。
一般的な行動経済学では、「フレーミング効果」は人の決定を歪めるものだとされているが、多くの状況において、フレーミング効果は生活を一層現実的で生き生きとした意義あるものにする助けになる。

著作のタイトルからして、行動経済学上の「フレーミング」についての本かと思いきや、自閉症者の認知についての知見が多く書かれており、自閉症者の認知についての本かと思ったくらいであった。

>>>>>
自閉症の大きな特徴の一つは、整理、系統立て、区分、収集、暗記、類別、リスト化などの行動によって、情報をさらに体系化しようとする傾向があることだ。
自閉症者は極度の情報好きで、非常に熱心に情報に関わろうとする。自分の関心のある分野において、自閉症者はまさに、情報食(インフォボア)になる。
自閉症者は心のないゾンビのように描かれることもあるが、実のところ、彼らは、意味を表す人間の記号体系に極めて強い関心を持つ人々なのだ。「喜び」「情熱」「自閉症」という三つの言葉を一緒に見かけることはあまりないだろうが、これらはたいてい密接に繋がり合っている。

私は、学校を、人が認知力の面でやや自閉症的になるように教えるところだと考えている。実際、極めて多くの学校では、集中することや、認知力の専門化、脳内整理を奨励している。
自閉症者は、非自閉症者よりも空想(内向きの休息的思考)に耽ることが少ないとみられる。 教育は社会的な影響力を用いて、自閉症的な認知力を育成しているのだ。
いくつかの事実が示しているのは、自閉症者は非自閉症者よりも、物語の形で考えることや、物語ベースの非常に鮮明な夢を見ることが少ないということだ。
自閉症者は情報を独特の形で脳内整理していると見られ、その整理作業は専門性が高く徹底的だが、物語はあまり重視しないようだ。

自閉症者は認知面で強みを持つ。
自閉症者は、対象物や芸術作品の美しさを評価するのに、文化的な基準を必要としないことが多い。
自閉症者には、非自閉症者が一般に芸術作品と呼ぶ媒体なしで、そうした対象の美しさの質を部分的に評価出来る面もあるようだ。
自閉症者は、形や色、触感などの根源的な美を探り当てるのに、自分自身と関心対象の質との間に、社会的に作られた一般的な関係性を必要としない。
こうした自閉症者は、楽しく充実した芸術的世界に暮らしているが、彼らの楽しみは、社会的な媒体や、型通りの思考基準や解釈にはあまり依存していないため、他者はこの楽しみに気付きにくい。
このギャップは、「自閉症者対非自閉症者」といった単純なものではない。自閉症者の知覚力も極めて多様であることを思い出して欲しい。だから、たとえ他に同様の人がいなくても、自閉症者はそれぞれ自分の美的思考に基づいて、様々な対象に没頭する傾向があるのだ。
非自閉症者の文化的基準と比べられるような「自閉症者の文化的基準」は存在しない。こうした基準がないことは弱点のように見えるかもしれないが、強みと捉えることも出来る。
自閉症者は必ずしも基準というレンズを通じて美を評価する必要がない。
文化的基準とは、多くの自閉症者が全く必要としない、一種の知覚的な支え、つまりフレーミングの道具であるとも考えられる。
自閉症者はこの点で、一部の仏教思想により近い立場にある。彼らは全世界の美を、極めて小さな、または極めて特殊な対象物の中に見いだすことができる。
>>>>>
自閉症者は認知のプロセスにおいて「フレーミング」効果を受けにくい。非自閉症者が一定の文化における「物語」を通じて認知をする傾向があるのに対し、そういったコンテキスト(文脈)を無視して一つ一つの情報を脳内整理し認知するのが自閉症者のやりかた、ということか。


ポスト工業化時代においては、価値を生み出す作業の多くは、個人個人の心の中で行われるようになった
「生産物」は工場の床に積まれるものではなく、人間の心の内面へと変わってきている。 大手メディア会社が映像をつくり出したとしても、それを見たり聞いたりする側が頭の中を整理することで意味や解釈が生まれているのであり、価値のほとんどはそこに存在する。
「価値」は人の心の中(認知のされ方)によって大きくも小さくもなるということだ。
では、その認知され方にはどのような傾向があるのか。
だんだん「フレーミング」というタイトルっぽい話題となっていく。

>>>>>
アクセスが簡単であれば、我々は短く、快く、小さいものを好み、アクセスが困難であれば、大規模な制作物や派手なもの、傑作などを求める傾向がある。
こうしたメカニズムを通じて、アクセスのコストは人間の内面の活動に影響する。
我々の手に入る文化は、たいてい「小さなピース」と「大きなピース」の二種類からなる。
アクセス・コストが高いと、小さいピースははじき出され〜選ぶに値しないのだ〜結果的に大きなピースに目が向けられる。
アクセス・コストが低ければ、大小様々なピースが選択可能になるが、どちらかといえば小さいピースの方が好まれる。

文化のピースが短くなってくると、新しいことに挑戦しやすくなる。
様々な物事をほんの少しずつ取り入れることで、何かを試してみたいという願望が満たされやすくなるのだ。
web上の基本的な通貨とは、お金ではなく、喜びや落胆の小さな爆発だと言えるだろう。 人は、楽しさの小さな爆発を、最初からすぐに、たくさん与えてくれるウェブサイトや文化的メディアを好む傾向がある。
クリックの回数が満足感と失望感の分かれ目になるのは、非常によくあることだ。
何かを始め、終わらせる喜びを得たいという気持ちも、文化の小さなピースを求める動機になる。

現在の文化は、かつてなく小さく多量のピースによって形成されるようになったが、「情報や知識の供給過多の時代になった」ということなのだろうか。
外部者から見て、それぞれのテーマがバラバラのようであっても、その流れの大半は、その人の情熱や関心、所属、そして全体のまとまりに関連しているということで一貫性がある。
根本的にはすべて自分に関することであり、これこそ多くの人々が好むテーマなのだ。 現在では、外の世界から得た情報のピースを組み合わせ、操作し、それを再び個人的な関心事に結びつけることがかつてなく容易になっている。

多くの批評家は、マルチタスキングによって我々の効率性が落ちていると批判する。
だが、文化の小さなピースを楽しみ、組み合わせることに関しては、マルチタスキングは非常に効率的である。
マルチタスキングは、(人間の内的な)生産活動の主要な手段であることが極めて多い。 マルチタスキングは、自分の興味を持続させる方策の一つでもあるのだ。
>>>>>
情報取得のアクセス・コストが低くなった昨今においては、小さなピースの情報が好まれる。大河ドラマのような物語は、アクセス・コストがかかる場合のみに選択されるようだ。
小さなピースは、紡がれて全体を構成するわけだが、この小さなピースの選び方が既に一定のテーマに基づいた一貫性のあるものになっているはずだというわけだ。
自閉症者は、テーマに一貫性がなくてものめり込むことが出来るのに対し、非自閉症者はテーマに一貫性がないと小さなピースを集めることに興味が湧かなくなってくるということか。

だから認知における脳内整理の仕方というのが非常に重要なものとなってくる。
経済学者らは、我々人間を経済人(ホモ・エコノミクス)として研究してきたが、数十年前に社会科学者らが、遊戯を楽しむ人間の性質を調査し、遊戯人(ホモ・ルーデンス)という言葉が生まれた。 そして現在では、新しい種類の人間が、その頭の中で自分だけの経済を創造している。整理人(ホモ・オルド)の時代がやってきたのだ。


多様化の時代について、情報認知面での傾向についても記載されている。
>>>>>
「違いが災いのもとではなく恵みになるのは、交換によってである」
この考え方のもとで、経済学、神経学、そしてウェブは一体になる。この交換についての考えは、ウェブが極めて重要になる理由のひとつである。 そう考えることで、特に自閉症者にとって交換が極めて重要なことや、自閉症者とのやり取りによって、非自閉症者が自閉症的な認知面の強みから利益を得られることも説明しやすくなる。

現実の世界で出会うフレーミングは、一般に自分の選択を示しており、その選択の裏には何らかの理由がある。フレーミング効果に関する行動学的研究のほとんどは、市場経済の最も基本的な特徴である競争(この場合はメッセージ間の競争)を排除している。
自分が非合理的な決定をしたのは、おそらくそれが自分の現実に、ひいては自分だけの経済をフレーミングする、自分で選んだ方法に合っていたからなのだ。

この考え方のもとで、経済学、神経学、そしてウェブは一体になる。この交換についての考えは、ウェブが極めて重要になる理由のひとつである。
そう考えることで、特に自閉症者にとって交換が極めて重要なことや、自閉症者とのやり取りによって、非自閉症者が自閉症的な認知面の強みから利益を得られることも説明しやすくなる。

安く簡単に手に入る文化の世界では、伝達の媒体はかつてないほど大きな重要性をもつ。媒体は情報をどう整理するか、また何を整理するかを左右するのだ。

コミュニケーション手段をどう決定するかは、あなたの人生で実現する、最高に豊かな経済を創造するにあたっての、基本的な選択なのである。
>>>>>
これだけメディアが多数あり情報入手が簡単な世界においては、どのフレームを選択するかも自ら選んでいるといえる、ということ。情報をとる前から、「どのメディアで情報をとるかの選択」が実は個々人の「フレーミング」であるということ。
こういった話しになると、何故か攻殻機動隊を思い出してしまう。。

自閉症者の有名人としてシャーロック・ホームズ先生が出てきたり、実は文化の多様性にゆかりのある地域を巡って世界を旅するなら、真っ先に東京に行くべし(ちなみに次はフィンランドらしい)という記載があったりして非常に馴染み深い記載も多かった。

自閉症者の話しが多くタイトルとの差異に若干の違和感を覚えたが、読み解いていくと内容的には脳内認知というテーマを色々な切り口から述べられた良書であった。