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2016年1月2日土曜日

大掃除の窓ふきにて思う

大掃除の窓ふきをしていて考えた。
窓ふきには水拭きと乾拭きの両方が必要だ。
乾拭きだけでは汚れが落ちないし、水拭きだけでは水跡が残ってしまって本当にはきれいにならない。
そしてその順番は必ず水拭きが先である。

新規事業(さらに言うと国を興すこと)もこれに似ていると思った。
ウェットなメンバーがウェットなやり方で新たなものを立ち上げる。
この時大切なのはルールを守るというようなことではなく、必ず結果を出すという事だ。
やり方はウェットでもなんでも構わない。

しかし一度”こと”が成就した場合、今度はドライなメンバーによるドライな運営が必要になる。
この時に大切なのはルールを遵守すること。そうでないと新たに起こしたものを維持して行くことができない。

「創業と守勢といずれや難き?」と聞いた唐の太宗の言葉は、”守勢が実は大切”という趣旨でとらえられることが多いが、実はどちらも大切ということを太宗は言いたかったのではないだろうか。
(ということを乾拭きだけで窓ふきをする大変さになぞらえて考えた)


やり方だけでなく、メンバーについても同様。
「狡兎死して走狗烹らる。高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」
事業を成し遂げるのに必要なメンバーと、それを維持するのに必要なメンバーは異なる。
水拭き用の雑巾と乾拭き用の雑巾は、必ず別物である必用があるのだ。


やっかいなのは、昔と違って最近は色んな時間のスパンが短くなっていて、一生のうちに何度も両方を経験しないといけなくなっているからだ。
(神田昌典さんの言う「シグモイドカーブを乗り継ぐ」ことで成長カーブをのぼって行けるとすると一度「事を成して維持する」だけではダメな世の中になってきている)
時宜に合わせてカメレオンがごとく、自らを変えていける人が生き残るということか。


本当なら今年の抱負を述べなきゃいけないタイミングだが、まだ降りて来ないんだよな〜

2015年4月12日日曜日

『アブダクション 仮説と発見の論理』

PSJ 中西紹一先生による『イノベーション道場』という講座が社内であり、そこで紹介された本。
米盛裕二氏の著作で、記号論理学の創設者チャールズ・S・パースによる「アブダクション(もしくはリトロダクション)」と呼ばれる推論手法について書かれたものである。

中西先生の講義はその「アブダクション」について、より実践的、実務的に説明されたものであった。

では本書で説明されている、ちょっと学問的な「アブダクション」の概略について書こう。

<そもそもアブダクションとは>
パースによるアブダクションの推論の形式を書くと

驚くべき事実Cが観察される、
しかももしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう、
よって、Hが真であると考えるべき理由がある。

驚くべき事実C:我々の疑念と探究を引き起こすある意外な事実または変則性のこと
H:「驚くべき事実C」を説明するために与えられた「説明仮説」

これを難しい記号で書くと
C,H⊃C/∴H
となるらしい。(正直訳が分からん)

具体事例で述べると、
「陸地のずっと内側で魚の化石のようなものが見つかった」(←驚くべき事実C)
しかし、もしこの「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えれば当然の事柄であろう。
よって「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えるべき理由がある。
と考える推論の仕方だ。

この手法で推論され、当時見つかってなかった海王星が実際に発見されている。


<推論3種>
パースによると推論は3種類に分類される。

推論(inference)— 分析的推論(analytic or explicative inference)—演繹(deduction)   
          — 拡張的推論(ampliative inference)— 帰納(induction)
                            — アブダクション(abduction)

分析的推論と拡張的推論の違い
(1)分析的推論は推論の内部における前提と結論の論理的な含意関係の分析にのみかかわるのであり、外的な経験的事実の世界には関わらない。なので分析的推論は経験的事実による反証にさらされることがなく、いわば経験から独立に成り立つ推論。一方拡張的推論は経験に基づく推論であり、経験的事実の成果に関する知識や情報を拡張するために用いられる推論。
(2)分析的推論では、前提から結論に至る過程において前提の内容を超える知識の拡張はない。一方、拡張的推論の結論は、前提以上のことを主張する、つまり前提の内容を超えて、前提に含まれていない新しい知識や情報を与える。
(3)分析的推論の場合は、前提の内容の中に結論が含意されているので、前提が真であれば結論も真でなくてはならないという必然性の関係が成立する。一方拡張的推論は、その本性上、蓋然的な推論である。つまり拡張的推論の場合は、前提が真であっても結論は偽であるということがあり得る。


では次に、拡張的推論が帰納とアブダクションに別れるその2つの違い。
パースによると、帰納は観察データに基づいて一般化を行う推論であり、これに対し、アブダクションは観察データを説明するための仮説を形成する推論。
「帰納と仮説の大きな違い(the great deference between induction and hypothesis)は、前者の場合は我々が事例の中に観察したものと類似の現象の存在を推論するのに対し、仮説は我々が直接観察したものとは違う種類のなにものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、という点にある。」

帰納的飛躍(inductive leap)…我々が事例の中に観察した着目現象はそれらの事例と同種の事象のクラス全体においても存在するという風に、既知の部分からその部分が属する未知のクラスへの飛躍であり、それはつまり同種の観察可能な事業のクラス内における一般化の飛躍。
仮説的飛躍(abductive leap)…我々が直接観察したものとは違う種類の何ものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、いわば創造的想像力による推測の飛躍。
従って、帰納とアブダクション(仮説)の推論の可謬性には明白な違いがある。アブダクションは帰納よりもいっそう過謬的な弱い種類の推論である。

説明されてもちょっと分かりづらい。
これはこれでおいておいて、使われ方の面から説明を受けた方が違いが分かりやすい。

パースによると、科学的探究の過程は三種類の推論(演繹、帰納、アブダクション)から成り立っており、これら三種類の推論は科学的探究の過程における三つの段階を形成している。
その第一段階はアブダクションであり、第二段階は演繹であり、第三段階が帰納。
アブダクションで仮説を考えだし、演繹で(その仮説から必然的かつ確率的に導かれる)諸帰結を追求し、帰納で仮説をテストする。
だから、帰納とアブダクションは探究の過程においてそれらが占める位置も、それらが果たす機能も違う。
アブダクションは探究の最初の段階(発見の文脈)において仮説を形成する推論であり、 帰納は探究の最後の段階(正当化の文脈)において仮説がどれだけ経験的事実と一致するかを確かめ、仮説を確証ないし反証する操作である。
アブダクションは理論を求める。帰納は事実を追求する。
アブダクションが取り扱う事実は、説明を要する事実。だからアブダクションが行う観察「アブダクティブな観察(abductive observation)」は仮説や理論を発案する、いわば着想のための観察。
これに対し、「帰納は事実を追求する」。
帰納の役割はアブダクションによって提案された仮説や理論を実験的にテストするのに必要な実証的諸事実を追求し、それらの事実を出来るだけ多く集めることである。つまり帰納が行う観察「帰納的観察(inductive observation)」は仮説や理論の確証ないし反証を行うための実験的実証的観察なのである。

要するに、仮説を立てるために使われる推論の手法がアブダクションで、それを実証するために使われる推論が帰納。どっちも演繹とことなって論理に跳躍(leap)があるんだけど、その確からしさは異なる(アブダクションは帰納より可謬的)ということだ。

著者によると、帰納主義者のフランシス・ベーコンや、ジョン・スチュアート・ミルらは、仮説がある前提での帰納がベースとなっており、仮説がどのように導かれたかについての考察はない。
二人とも仮説の提案が必要であり、帰納的探究は仮説によって導かれるという仮説の概念認識が欠如していた。


確かに、会社でも常に「仮説と検証を」「PDCAを回せ」と言われ続けているが、仮説やPLANをたてる方法論というものについては特になく、「現場百回」とか「観察して洞察せよ」とか概念的なものだけで、後は「ひらめき」のようなものに期待するということしかなかった。
「イノベーション」という、「改善」とは異なり、不連続を期待されるものをどのようにして発想して仮説をたてるのかということについての方法論は論じられてなかったし、まさにひらめきに期待する以外の方法論をもっていなかった。
それを今回中西先生の「イノベーション道場」ではパースのアブダクションをベースとした方法論を教示いただいた次第である。

科学的探究の過程になぞらえて、企業における業務推進の過程を考えてみると
アブダクション(マーケット・ターゲットの仮説の策定)→演繹(実践し、その実績をベースとしたルール化・必勝法の確立)→帰納(必勝法に基づいた実践、横展開)
という感じになろうか。
そう考えると、帰納<演繹<アブダクションという順に難易度が高く高次な業務ということになるのではないか。
よく社内で「ルール通りに仕事をするだけ(帰納)ならアルバイトで足りる。ルールを変えるの(演繹)が社員の仕事」と言われる。
さらに上をいくスーパー社員を目指すには「仮説の策定(アブダクション)」というところまで要求されるということか。
その仮説の立て方を「ひらめき」のようなものに依存するのではなく、一定の手法として論法化しているところが中西先生の実践的でスゴいところだと感服した。

理屈は教わったので、後は実践あるのみ。


2014年10月26日日曜日

つなぐLab Vol.006

立教大学大学院 特任准教授 中西紹一先生によるワークショップ第6弾。
今回のテーマは『時間のデザインを考える』。

5つのテーブルに分かれて、そもそも「時間のデザイン」と言われて何を思い浮かべるか、という質問から議論開始。
時間の「量」(例:タイムマネジメント系)と「質」(例:日常と非日常の時間)といった議論が各テーブルで出る。

ここで中西先生の「時間のデザイン」に関する定義を共有。
「(空間と同じで)区切りをつけながら、そこに意味を与えるもの」
ちょっと座学も入り、エドマンド・リーチの儀礼論、エドワード・ホールの多元的時間観念の話などの解説がある。

でも「そんな抽象的な解説じゃ分からん」とばかり、各テーブル議論内容はバラバラ。
各テーブルで出た議論を膨らませて、 各テーブルごとにテーマを決めて更に議論を深めていく。

私がいたテーブルでは、
「『ブルーマンデー』を乗り切るための時間デザイン」
ということがテーマとなった。
学生でも社会人でもあることだが、何故週末月曜日が近づいてくると憂鬱になるのか。
人は大人になるにつれて色々な”世界”を持つようになる。
そしてその”世界”は大抵の場合、バラバラであり、人はその”世界”ごとに自分の役割を演じるようになる。(「大人になる」ということは”秘密”を持つようになるということ)
ブルーマンデーという現象(心理状態)は、この”世界”を移動するために何らかのエネルギーが必要となるから発生するのではないか、という仮説に基づき議論が進んでいった。

では、その位置エネルギーを要する”世界”の移動時に憂鬱にならないようにするためにはどうしたらよいのか、一つの解答が
「バラバラの”世界”を統一化すれば良い」
というもの。
まるで現実社会で起きているグローバル化のようなアイデアだが、”世界”が一つになってしまえば、役割を演じる必要もなく、「肩書き」ごとに時間の位置づけを変える必要もなくなるというわけだ。
(他の比喩では「兼業農家的に考える」「公私混同する」などと表現されていた)

以前佐藤尚之さんと話をした時に、佐藤さんが「自分の生活全てをFacebookにあげている」という話をしていたのに対し、
「人は皆、会社人としての自分、親としての自分、夫としての自分、地域の中での自分など違う”世界”があるのに、Facebookはどの”世界”の人にも同じ情報を発信することになるので情報が最大公約数的に、誰に対してであってもいい情報(「幸せ劇場」)しか流せなくならないか」
という質問をしたことがある。
佐藤さんの解答は
「いや〜、僕の場合、会社でも取引先でも家族の前でも、同じ人格で通してます。だからFacebookでもありのまま全てを発信しちゃってます。そうなってくると無理矢理何かを演じなくてよくなるのでとても楽ですよ。」
ということを言っていたのを思い出した。
そうか、グローバル化(”世界”の統一化)に対応できるとすごい楽なのか。
”世界”ならぬ”国”ごとに対応を変えなければならないとすると、そこには関税等の障壁が発生し、それを越えるにはエネルギーが必要で、その必要エネルギーがブルーマンデー症候群を生んでいるのかもしれない。
未だ”世界”(”国”)ごとに役割を演じる鎖国対応でしかいられない自分はオールドファッションということだ。


他のテーブルでも色々面白そうなテーマが話されていて、
◯「待ち時間」のデザイン
一般的に「待ち時間」は嫌なもの。携帯電話の世界でも「待ち時間」の苦痛を如何に和らげるかというのは喫緊の課題とのこと。
その解決方法として、逆転の発想として、「待つ」のは実はリッチな時間であると整理するというもの。
人が何故「待つ」時間が苦手なのかというと、「待つ」時間はコントロールできないから。
「コントロールできないもの」に馴れることで、人は更にステージをあげて人生を楽しむことができるのではないか。(携帯電話の圏外の世界に行くのは恐怖ではなく、実はリッチな時間を過ごせるということ)

◯家事など、一般的に嫌なことを楽しい時間に変えるデザイン
人が集まることで、嫌なことをやる時間が楽しい時間に変えられる。
例えば朝家事会ということで、みんなで同じ時間に家事をやり、それをSNSで共有することで家事が楽しいものになっていくのではないか。
☞これは中西先生から「場(空間)は共有しないけれど、時間を共有することで嫌なことをやる時間を楽しい時間に変えるという点が面白いという評価をもらっていた。

などの話が発表されて非常に興味深く拝聴した。

各テーブル、テーマはバラバラ、そしてレベル感も非常に具体的な アイデアから抽象的なアイデアまでチャンク感バラバラということだが、どのテーブルの議論も発表を聞いていて楽しめた。


「時間」ということについて一つ気づきがあった。
人間は5万年(?)前類人猿から分岐して、現在に至っているが科学技術や文明の発達に脳がついていっていない。だから食糧がなかった頃に刻み込まれたDNAがまだ機能していて肥満や成人病を生んでいる。
昔は「食糧の確保」というのは生存において最優先事項であり、それに勝る優先事項があったとすれば外敵から身を守ることくらいだった。
食糧を確保する、外的から身を守る、ということから開放された現代社会(先進国)において、大切なものは何だろうか。
個人的には「時間」だと思っている。
「時間」は身分に関わらず、貧富にも関わらず、能力にも関わらず皆一様に平等である。
もちろん早く亡くなったり、長寿の人がいたりはするが、基本的には誰しも1日24時間しかないということに変わりはない。
これは不老不死が実現しない限り変わることはない。
ちょっと前までは、世の中を豊かにするために「何をするのか」が重要だったが、現代の先進国は既に物質的には十二分に豊かである。
そうなると次に貴重になってくるのは「時間」ということで、この貴重な「時間」を誰と共有するかが非常に重要な「時間のデザイン」となってくるのだと思う。
近年、重要なのが「何をやるか」から「誰とやるか」に移行していると言われているのもそういうことを反映してのことなのだろう。

物質的な豊かさのため「何をやるか」(物質・空間の共有)
        ↓
精神的な豊かさのため「誰とやるか」(時間の共有)

というのが世の流れなのだと気がついた。

そして一人では心理的ハードルが高くて実践困難なことも、皆で「共有」することで乗り越えていけるという仮説を、どうデザインして実践していくかが今後の人類の課題なのかもしれないと思った。

そうは言っても、個人的にはやはり”世界”ごとに役割を演じるのはやめられそうにない。
”世界”を統一するグローバル化方式とは違ったやり方で進化していくこととしよう。

2013年12月31日火曜日

『ユーザーイノベーション』

「イノベーションの民主化」、すなわち、製品やサービスのつくり手であるメーカーでなく、使い手であるユーザー(製品やサービスを使うことで便益を得るプレーヤー)のイノベーションを起こす能力と環境が向上している状態のこと、がテーマ。

バリバリプロダクトアウト型企業である我が社がどう変革していくべきなのかを考える上で参考になるかと思い購入した本。

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これまで多くの研究者、実務家や政策立案者が前提にしてきたイノベーションの発生・普及ルートは、イノベーションは大学やメーカー企業の研究室で生まれ、最終的に市場導入された後、一般消費者に普及するというものだった。
しかし、イノベーションは消費者が製品を使用する場所で生まれることがある。
消費者が行ったイノベーションは、時に他の消費者に伝わる。イノベーションを利用したいと思う他の消費者が、製品を無料または実費でイノベーターから譲り受けたり、消費者自身がイノベーションを複製したりし、そこから消費者イノベーションの普及が始まる。
このように従来の社会的通念だった「大学・企業のイノベーション→消費者への普及」というルートと異なる「消費者によるイノベーション→他の消費者への普及→メーカーの参入」という普及ルートが少なからずある事が分かってきた。
これは、イノベーションを促進する方法が増えることを意味している。
企業や大学のイノベーション活動を支援するだけでなく、消費者の革新活動を支援すること(あるいは阻害しないこと)でこれまで以上にイノベーションが実現され、国民の生活がより豊かになる(社会的厚生が増加する)可能性がうまれる。
そうした機会を活かすためには、これまで考察の対象とされてこなかった消費者個人、消費者間、そして消費者・企業間で起こる知識層像と普及に注目する必要がある。
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消費者をどうとらえるか。
これまで、消費者はメーカーが開発した製品を選択、購入し、消費する受け身的存在として考えられてきた。
これはイノベーション研究の父ともいえるジョセフ・シュンペーターでさえそうだと著者は言う。
それに対して、「イノベーションの民主化」における消費者はイノベーションを行う能動的な存在であり、ユーザーイノベーションを起点とするイノベーションの普及ルートの枠組みは新しいイノベーション・パラダイムであると著者は言っている。


「画期的製品を生み出す消費者の声に出会うことはほとんどない」と話す開発担当者が多い一方で、いくつかの消費財分野で消費者がイノベーションを起こしている。
これに対して著者は、消費財メーカーが消費者イノベーターの存在に気づいていないからであるという仮説を立てている。
実証してみると、消費者イノベーターの率は多くて1%。100人に1人程度しか消費者イノベーターは存在しない。そんなごく少数の消費者の存在はメーカーからはニッチ的、あるいは例外としてみられてしまう可能性が高いというわけだ。

企業は消費者イノベーターを見つけたとしても安心はできない。
過去3年間のうちに製品創造か製品改良を行った消費者イノベーターを見つけたとしても、50%以上の消費者イノベーターは「一発屋」で終わることが調査結果からでている。
100人に数人程度存在する多産型の消費者イノベーターを見つけ出したとしても、同じ製品分野で製品イノベーションを行うとは限らないのだ。
そこで企業とすると何らかの「コミュニティ」の活用が大切となる。個々人では「一発屋」でしかなり得ない消費者イノベーターが、絶えずとっかえひっかえでてくるコミュニティを目指すということだ。

以前読んだ「Yコンビネーター」でも同様の発想で、常に一発屋であるところの「スタートアップ」(ベンチャー起業)が絶えず発生する組織を目指していたが、それは専門でやっても非常に困難な(でも楽しい)チャレンジのように見えた。
消費者イノベーターを企業側が(単に)支援するコミュニティの中で絶えず発生させるようにするのは現実には非常に困難であり、何らかの「仕掛け」が必要となるだろう。
(逆に、その「仕掛け」を見つけることができれば、他社との強烈な差別化になりうる)


著者は、製品化の仕組みとして、今まで通りの企業主導のやり方、リードユーザー法(LUM)、クラウドソーシング(CS)の3つの方式を比較して、クラウドソーシング(不特定多数の消費者に対し、欲しいと望む製品案やそれに対する評価をインターネットを通じて募集し、消費者からの反応をもとに製品化を検討する仕組み)が優れているとしている。

CS(クラウドソーシング)はLUM(リードユーザメソッド)と比較して、消費者に対する開放度と透明度の点で異なっている。
CSでは不特定多数の消費者がどの段階からも参加でき、その過程も閲覧可能になっているのに対して、LUMではユーザーの発見・選別・製品案の創出、最終開発案の決定を社外の人には見えない形で行う。
そのため、LUMではユーザー同士の助け合いも行われないし、開発過程が消費者に開示されていないため、そこで生まれる製品案に対する他ユーザーの評価、注目度を知ることができない。つまり、当該製品案に対する需要の大きさを事前に知ることができない。

CSでは、リーンスタートアップにおけるプロトタイプを用いたスモールスタートと同様のことが期せずして(といよりその構造上必然的に)できるということ。まずはプロトタイプを作って世に出し、それがどのような点でどう評価を受けるのか、それを受けて改良を繰り返す(もしくはピボットする)ことが意図せずできてしまうのがCS。
では何故多数の企業がCSを実践しない(できない)のか?
その辺りが今後の研究課題なのだろう。


特定少数の専門家 vs 不特定多数の素人、すなわち「社内専門家の精鋭部隊」と「社外の素人消費者集団」ではどちらが結果を出すのか。
やり方次第ということだと思うが、現状ではまだまだ「社内専門家の精鋭部隊」に頼る企業が多いということだ。
今後、「イノベーションの民主化」に向けて企業型で仕組みの精度を上げることができれば、社外の素人消費者集団の知見を活用する時代がくるのかもしれない。

現在でも「不特定多数の群衆の知恵(wisdom of crowds)は市場の評価をより正確に予測する」というのが現実として当たっている事例が多数ある。
自民党小泉政権の大勝は、政治評論家の意見よりもむしろネットの風評を見ていた方がより正確だったと言われているし、オバマ政権のネット活用は皆の知るところだ。

「集団的顧客予約」(Collective Customer Communication:CCC) という顧客が集団的に事前予約をする仕組みがある。
不特定多数の消費者と透明度の高い関係を構築することで、製造業者は新製品の開発につながるアイディアを得るだけでなく、時にはそのまま製造できるほどの完璧なデザインを得ることさえあるらしい。
CCCが有効となるのは、次の2つの状況下。
①顧客経験がほとんど存在しないため、市場調査を行っても曖昧な結果しか得られないと見込まれる極めて革新的な製品の開発。
②比較的規模の小さい極めて不均質な市場セグメントで販売する製品の開発。

このCCCの事例のように、CSもあらゆるジャンルの製品開発全てに万能ということではなく、まだ特定のジャンルにおいてその強みを発揮するものであるような気がする。


プロダクトアウト型の我が社でも、実はCSのような取り組みをトライアルで開始している。
それがどこまで伸びていくのか。伸ばすには何が必要なのか。
この本を読んで、まだまだ仮説を色々実証していかなければならない段階のように思えた。








2013年12月22日日曜日

『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』

ダン・アリエリーの3冊目の著作。
この人の実験は、視点が非常に面白い。「数字探し課題」という発展性もある基本実験をベースに、色んな仮説を科学的に証明できる仕掛けを考える発想がすごい。
今回は、誰もがもっているちょっとした「ずる」についての考察。

我々は、自分を正直で立派な人物だと思いたい(心理学でいう「自我動機」)。
その一方では、ごまかしから利益を得て、出来るだけ得をしたい。
では、ごまかしから利益を確実に得ながら、自分を正直で素晴らしい人物だと思い続けるには、一体どうすればいいのだろうか。そこで「認知的柔軟性」の出番となる。
両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、「つじつま合わせ仮説」と呼ばれる仮説の根幹である。


結論は最後にまとめるが、その中にでてくる「自我消耗」という概念は面白い。
<シャイ・ダンジガー(テル・アビブ大学准教授)、ジョナサン・レバブ(スタンフォード大学准教授)が行った研究>
イスラエルで行われた多数の仮釈放決定を調べた結果、仮釈放審査委員会が仮釈放を許可することが最も多いのは、一日の最初の審問と、昼食休憩直後の審問だった。
仮釈放審査委員会にとって標準的な決定は、仮釈放を認めないこと。 判事が元気を回復したとき、つまり朝一番か、食事をして休憩を取った直後は、標準的な決定を覆して、より大きな努力を要する決定を行い、仮釈放を認める能力が高まっていたようだ。
しかし、一日のうちに多くの困難な決定を下し、認知負荷が高まるにつれて、仮釈放を認めないという単純で標準的な決定を選ぶようになった。

我々は人間であり、誘惑に屈しやすい。
一日中複雑な決定を下し続けていると、衝動と理性の葛藤を生むような状況に何度もとらわれる。
重要な決定(健康、結婚など)になると、葛藤は輪をかけて激しくなる。皮肉なことに、衝動を抑えようとする単純で日常的な努力が、自制心の在庫を減らしていき、その結果ますます誘惑に駆られやすくなる。
自分が一日中誘惑にさらされっぱなしだということ、また時間の経過とともに抵抗が積み上がっていくうちに、誘惑に抗う力が弱まることを自覚する必要がある。
消耗を理解することで、自制が必要な状況(たとえば職場での退屈きわまりない仕事など)には、まだ消耗していない日中の早い時間に(出来る限り)向かうべきだ。
誘惑にさらされると、背を向けるのが難しいとわかっているなら、近づきすぎて身動きが取れなくなる前に、欲求の引力から抜け出すのが得策だ。

この知見を日常の業務に活かそうとすると、上司の裁可を得るのに、標準的な内容の決裁であれば夕方(抗う意志が消耗している時)、決断が必要な内容であれば、朝一か昼一番(消耗しておらず元気な時)がいいということか。
退屈極まりない仕事は消耗してない時じゃなくても出来る気がする。


対外シグナリングという概念も非常に面白い。
対外シグナリングとは、我々が身につけるものを通して、自分が何物であるかを他人に知らせる方法のこと。
時をさかのぼって古代ローマの法には、奢侈禁止令という一連の規制があった。それはその後数世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国に浸透した。
この法では何よりもまず、身分や階級によって、誰が何を着て良いかが決められていた。法は驚くほど詳細に及んでいた。(最貧層は、たいがい法から除外されていた。カビ臭い麻布や毛織物、馬の尾の毛でできたシャツなど規制したところで仕方がないからだ)
一部の集団は「堅気」の人たちと間違えられることのないよう、さらに区別されていた。 例えば、売春婦が「不純さ」をシグナリングするために縞模様の頭巾の着用を強いられたり、異教徒が火あぶりの刑に処せられる可能性、または必要があることを示すために、薪の印をつけるよう強制されることもあった。
「身分を越えた身なりをする」者は、周りに対してもの言わずに、だがあらかさまに、嘘をついていた。 身分を越えた身なりをするのは死罪に値するような罪ではなかったが、法を破るものは罰金などの処分を受けることが多かった。
こうしたルールは、上流階級のばかばかしいまでの強迫症のように思えるかもしれないが、実は世間の人たちが自らシグナリングした通りの身分であることを保証するための策だった。つまり、無秩序と混乱を排除するためのしくみだ。
現代の衣服の階級制度は、昔ほど硬直的ではないが、成功と個性をシグナリングしたいという欲求は、かつてないほど高まっている。

著者が行った実験では「身なりは人をつくる」という諺の示す通り、ニセモノを身につけることは、倫理的判断に確かに影響を及ぼすという結果が出ている。
さらに、人は偽造製品のせいで、自分自身が不正直な行動をとるようになるだけでなく、他人のこともあまり正直でないと見なすようになることが実験で分かった。
つまり、偽造品を利用することで代償を払うのは、高級ブランド企業だけではない。
たった一つの不正行為をきっかけに、それ以降の行動が一変することがある。
おまけに、その不正行為を始終思い出させるようなものが身近にあれば(グッチの偽サングラスなど)、長期にわたって深刻な波及効果が続く。
要するに、究極的には誰もが「道徳通貨」建てで、偽造品の代償を払わされるということだ。

嘘をつくことの最大の問題点は、他人も嘘をついていると思ってしまうというカルマに囚われるという事だというのを何かで読んだことがある。
同様に、ニセモノを身につけるということは、結局他人も同様に不正直だと判断を誤らせるカルマに囚われるということか。


人は何かの「ふりをする」と、自分の行動と自己イメージ、それに周りの人たちに対する見方が変わるのだ。
どんなものであれ、不正行為をとるに足らないものと片付けるべきではない。
初犯は大抵の場合、初めてのことだし誰にでも間違いはあると言って大目に見られることが多い。
だが、初めての不正行為は、その後の自分自身や自分の行動に対する見方を形成するうえで、特に大きな意味をもつことも忘れてはならない。
だからこそ、最も阻止すべきは最初の不正行為なのだ。一見無害に思われる、単発の不正行為の数を減らすことこそが重要だ。

という訳で、NYで実践されて効果が出たと言われている「割れ窓理論」は非常に重要だということだ。


色々な実験によるまとめは以下の通り。
<不正をつくる要因のまとめ>
【不正を促す要因】
正当化の能力
利益相反
創造性
一つの反道徳的行為
消耗
他人が自分の不正から利益を得る
他人の不正を目撃する
不正の例を示す文化
【影響なし】
不正から得られる金額
つかまる確率
【不正を減らす要因】
誓約
署名
道徳心を呼び起こすもの
監視

割愛したが、「創造性」が不正を促す要因となっているというのも面白い(自己肯定する物語を創ってしまうということらしい)。
誓約、署名などが不正を減らす要因に挙げられているが、誘惑の瞬間に道徳心を呼び起こすのは驚くほど効果の高い方法であることが実験から分かっている。


最後に。
不正には「どうにでもなれ」効果というものがあるらしい。
しばらくはあまりごまかしをしないようにして、正直者という自己イメージを保ちながら、ごまかしから利益を得ようとする。
このような「バランスのとれた」ごまかしはしばらく続くが、ある時点で「正直の閾値」に達すると、それ以降は前よりもずっと頻繁にごまかしをするようになる。
興味深いことに、道徳的指針をリセットし、「どうにでもなれ」効果を阻止するために、特別に設計されたかのような社会的機構が、現に数多く存在する。
例えば、カトリックの懺悔やユダヤ教のヨム・キプル(贖罪の日)、イスラムのラマダン(断食月)、毎週の安息日といったリセットの儀式がそうだ。
これらはどれも自制心を取り戻し、堕落を食い止め、改心する機会を与えてくれる。
こんな感じで、宗教にはちゃんと「リセット」を許す仕掛けが盛り込まれているという。
(信仰をもたない人は、新年の抱負や、誕生日、転職、失恋などを「リセット」の機会と考えるといい)

著者は、不正に対抗するための、より効果的で実践的な方法を考えだすためには、まずそもそも何故人は不正な行動をとるのかを理解することが必要だと述べている。
理解が進んだからといって、人間が不正をしなくなるとは考えにくいが、正直者が馬鹿をみない、不正をしにくい世の中というのは目指していくべきである。




2013年11月24日日曜日

情報の重要性

会社でHOLOS-BRAINSの細田収さんのセミナーを受けた。
細田さんは住友不動産から東京海上日動あんしん生命に転職し、成果を出した人らしい。
「心理学と脳科学の観点からの営業セミナー」ということで興味を持って受講した。


売り手と買い手に別れて、売り手は1,000円の価値を売り込むトークを4分間で行い、買い手がジャッジするというペアワークを行った。
これは、「売り込み」という行為を行うにしても、まず商品の説明を行うのではなく、相手のニーズ、嗜好を聞くことから入るべし、ということに気づくワークだったようだ。

この日の最大の気付きがあったのは、以下のワーク。
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あるメーカーが新商品のパンフレットを企画制作することになり、2社の印刷会社に声をかけたところ、A印刷とB印刷の営業パーソンがそれぞれ訪問してきた。

それぞれの営業パーソンが聞いて帰ったことは以下の通り。
A印刷:パンフレットサイズ、色数、部数、納期、納品場所
B印刷:新商品の特徴、客層とニーズ、販売方法、競合メーカー、販売時期

さて、A印刷、B印刷にそれぞれ期待することは何か?また、そこにはどんな違いがあるか?
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A印刷には、印刷業務そのもの、価格(安さ)を期待し、B印刷にはクリエイティブな紙面を期待する、ということで、営業サイドがヒアリングする内容で相手の期待する内容が異なってくるというもの。

このワークで気付いたのは、営業場面に関わらず、相手がどんな情報を持っているか(持っていると思うか)によって期待する内容が異なってくるということ。
新入社員の提案と、中堅社員の提案では、提案内容が同じであっても取り上げられる確率が断然異なるのは、提案の内容以前に、持っているだろうと思われている情報量が異なることによる「期待度」の違いからではないだろうか。

情報を持っている(少なくとも持っているように振る舞う)という行為は相手の自分に対する期待度を上げ、自分のプレゼンを受け入れやすくするためには必須のこと、というわけだ。

顧客にとって営業マンが、その業界の情報をもっているのは当たり前で、業界以外の情報・知識をどれだけ持っているかによって、営業マンに期待する付加価値度合いが変わってくるということらしい。
情報過多の時代。情報の取得能力よりも情報の選別能力の方が重要であると言われているが、周りから「情報を持っていると思われる」ことは相変わらず非常に重要ということだ。

その他にも、「販売代理人」と「購買代理人」という概念も参考になった。
これからの営業は、会社サイドの売り込み(販売代理人)ではなく、顧客サイドの目線をもった「購買代理人」として振る舞う必要があるというものだ。


細川氏、不動産業から保険業界へ転職ということで、どちらにも精通していて面白いトピックを色々話してくれた。
◯保険会社は自分が採用(ヘッドハンティング)してきた人間は、自分で育成する。
◯保険業界の考え方としては、「商品は常に顧客のライフプラン上にある」。なので契約してからがスタート。
◯表面的なニーズに対する対応は常に比較にさらされる。顧客の真のニーズを発見することが重要。
 ☞情報過多時代においては、課題解決能力よりも問題発見能力の方が大切という、ダニエル・ピンクの主張とも合致する。

リアルな世界がネット世界に喰われつつある。保険業界もその一つ。
しかし、細川氏の見立てでは、不動産業界は宅建業法がある(宅建業法に守られている)のでネット世界には喰われないとのことであった。
ネット世界で勝負すると、スピード感がリアル世界の何倍にも加速する。新規参入組にはチャンスであり、既存組にとっては脅威である。
医薬品業界が色々理屈をつけてネット販売を不可とし対面販売にこだわるのも、そう言った理由があるのかもしれない。

当初、期待した心理学、脳科学との関連部分は時間の関係もあって、あまり聞くことができなかったが、それ以外の点で気付きの多いセミナーであった。




2013年11月16日土曜日

顔の見える商品・サービス


近くの高級スーパーでみつけたポップ。
「エクアドル産なのに田辺さん」というところに違和感あってちょっと笑ってしまった。

前に『人を動かす、新たな3原則』の投稿でも書いた(http://omachido.blogspot.jp/2013/11/blog-post_10.html)が、顔が見えるということが非常に重要ということで、最近は「◯◯さんの××」というコピーに加えて、その◯◯さんの顔写真が載っているポップが添えられているケースがよく見られる。

今回のちょっと違和感がある「エクアドル産 田辺さんのバナナ」というコピーに持った違和感を何故か考えていて思った。
これが「エクアドル産 ガブリエルさんのバナナ」だとどうなのだろうか。
(ちなみにエクアドルはカトリックの国なので、ヨハネ、ガブリエル、ヤコブと言った名前が多いらしい)
日本人だと「ガブリエルさん」のイメージが湧かないのでフックとしての効果は薄れるのかもしれない。
これは日本人だと、顔写真のないが「田辺さん」であってもイメージが湧くからなのではないか。
顔写真があった方がよりイメージが湧く(というよりそのまま)ので、それが「顔が見える」という意味でベストだが、なくても「◯◯さん」と書くとなんとなくの人のイメージを出せるということなのであろう。

広告効果として考えると
①顔写真付きの「◯◯さん」
②顔写真なしの「◯◯さん」(日本人名)
③顔写真なしの「◯◯さん」(エクアドル人名)
という順だと思うが、バナナのケースでは、顔写真付きだったら「◯◯」は「ガブリエルさん」の方が「田辺さん」よりも広告効果が高いのではないか。

広告効果はさておき、田辺さんがエクアドルで作ったバナナなので、「エクアドル産 田辺さんのバナナ」という記載になっている訳で、これが広告効果の高さに鑑みて「ガブリエルさんのバナナ」となっていたら、今流行の(?)食品偽装になっちゃうか。




2013年9月17日火曜日

『戦略を、実行できる組織、実行できない組織。』

今自分が仕事で非常に悩んでいる内容について、示唆に富む内容を与えてくれた素晴らしい本。

実行の4つの規律(4Dx)4Disciplines of eXecutionを実践することで、戦略を実行に移すことが出来るというものだ。





ミッション
  ↓
ビジョン
  ↓
戦略(サイン型、行動変化 、竜巻)
  ↓
総合的な戦い(WIG)
  ↓
 局地戦
チームレベル

リーダーがチームや組織を大きく前進させるためにとるイニシアチブは、大きく2つに分けられる。
ひとつは承認してサインすればすむ戦略(サイン型戦略)。
もうひとつは、行動の変化を求める戦略(行動変革型戦略)である。

面白いのは「竜巻」という概念。
実行を邪魔する本当の敵は、日常業務である。これを「竜巻」と名付ける。
竜巻と戦略目標は全く別物である。それどころか、時間、資源、労力、注意を奪い合い敵対関係にある。

サイン型戦略はリーダーの決断があれば実行することができる。
4Dxは竜巻に巻き込まれながら、行動変革型戦略をいかに実行するのかの方法論である。


実行の4つの規律(4Dx)4Disciplines of eXecutionについて具体的に述べる。

第1の規律:最重要目標にフォーカスする
チームがより多くのことを達成するために、リーダーはより少ないことにフォーカスする必要がある。
これを最重要目標(Wildly Important Goal:WIG)と名付けて、何よりも重要な目標であることをチームにはっきりと示す。

最重要目標を決める時の問いかけは、「何が最も重要か?」(「最も重要な優先課題は何か?」)ではない。
最初に問うべきは、「他のすべての業務が現在の水準を維持するとして、変化することで最大のインパクトを与えられる一つの分野は何か?」である。
一つか二つの最重要目標を決めてしまったら、チームがそれ以外のことをないがしろにするのではないかと心配したくなるかもしれない。しかしチームの労力の80%は竜巻を維持することに使えるのだから、そんな心配が無用だ。


第2の規律:先行指標に基づいて行動する
目標に到達したいなら、インパクトの強い活動を特定し、それを実行する必要がある。
どのような戦略を推進するのであれ、その進捗と成功は、二種類の指標で測られる。
遅行指標と先行指標である。
遅行指標とは、最重要目標を追跡する測定基準。売上高、利益、マーケットシェア、顧客満足度は全て遅行指標。これらの指標のデータを手にした時には、そのデータをたたき出した活動は全て過去のものとなっている。
先行指標は、基本的に遅行指標を成功に導く新たな活動を測定する。
適切な先行指標には2つの基本的な特徴がある。目標達成を予測できること、そしてチームのメンバーが影響を及ぼせること。


第3の規律:行動を促すスコアボードをつける
第3の規律は、意欲的に取り組むための規律。
リーダーはコーチ用の複雑なスコアボードを好むものだが、選手専用のスコアボードはシンプルでなければならない。

「選手のスコアボードの根本的な目的は、選手に勝ちたい気持ちを起こさせること」
スコアをつけなけば練習だけで終わる。


第4の規律:アカウンタビリティのリズムを生み出す 第4の規律で戦略実行を現実のものにする。 第4の規律はアカウンタビリティ(報告責任)の原則に基づいている。お互い報告する責任を負い、その責任を一貫して果たさなければ、目標は竜巻に吹き飛ばされてしまう。
アカウンタビリティのリズムとは、最重要目標に取り組むチームが、定期的かつ頻繁にミーティングをもつことを意味する。
ミーティングは少なくとも週1回、長くても20〜30分程度が理想。
チームのメンバーはお互いにリズムよく定期的に報告しあえなくてはならない。毎週、「スコアボードに最大のインパクトを与えるために、竜巻の外で来週できる一つか二つの重要なことは何か」という簡潔明瞭な質問に一人ひとり答える。 前週の約束を果たしたかどうか、スコアボード上で先行指標と遅行指標はどう動いたか、来週は何をするのかを、メンバー一人ひとりが数分以内にまとめて報告する。
第4の規律の秘訣は、定期的なリズムを維持すること、そしてそれぞれのメンバーが自ら約束をすること。


すなわち、実行の原則は、フォーカス、レバレッジ、エンゲージメント、アカウンタビリティの4つである。


<プロセス指向の先行指標に関する注意事項>
◎WIGが何かのプロセスに関係しているのであれば、仕事をプロセスのステップに分けてみることは効果的である。
プロセスのどこかに必ず、テコの作用点がある。パフォーマンスが伸び悩んでいるステップだ。そこを先行指標にすれば、チームはそのテコの作用点に力を集中的にかけることができる。
☞これはエリヤフ・ゴールドラット氏の制約理論(Theory of Constrraints)におけるボトルネックを先行指標とするということと同じ考え方。

◎プロジェクトのマイルストーンは適切な先行指標か?
WIGが一つのプロジェクトなら、プロジェクトのマイルストーンも効果的な先行指標になるが、マイルストーンが6週間未満の細切れ短期間のものだと、一般的には先行指標として十分に機能しにくい。
☞プロジェクト型の場合もボトルネックとなるプロセスを先行指標として設定することで全体のプロジェクトの進捗をコントロールできることになる。これはプロジェクトのスケジュール管理を行うにあたって、一番ネックになる行程を常に監視しつづけることで、全体スケジュールを管理するという考え方であり、自分もマンションの工程管理では活用させていただいた考え方だ。


理屈上では非の打ち所のないこの方法も、実際ではWIGの設定の仕方は仮説に基づく”賭け”である。著者達はそれを素直に認めている。
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組織全体の最上位WIGを選ぶのは、一足の靴を買う時と似ていなくもない。履いて少し歩いてみなければ、自分の足にしっくりするかどうかはわからない。
だから、WIGの決定をチームに急がせてはならない。しっくりなじむWIGを選び、各チームのリーダーに少し試させてみる。
そうしてはじめて、各チームは組織のWIGの達成に貢献できるチームWIGを検討できる
組織全体に試してみて、どこかぎくしゃくしていると感じたら、その時は別のWIGを選べばいい。
最上位のWIGは組織として真剣に取り組む最重要目標であるから、経営陣としてもただ一つに決めることには少なからず躊躇するものである。多くの組織が本当のフォーカスを決められない理由はここにある。WIGを選んだ後でも再考できる自由があれば、チームは心置きなくこのステップに取り組めるだろう。
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やはり、ここまで方法論が確立していても最後のところは「やってみなはれ」の精神なのだ。


そして、最後に関心したのが、実際に企業にこのプロセスを定着させるやり方だ。
フランクリン・コヴィー社では、コンサルタントが4Dxを教えながら組織全体で立ち上げる方法はとらず、リーダーが自分のチームに4Dxを導入できるようにコンセプトを教え、認定するプロセスに重点を置くことにした。(リーダー認定)
・後で自分が教えなければならないことを学ぶとなると、誰でも真剣に学ぶものである。実際、何かを学ぶのに最も効果的な方法は他人に教えることだ。
・誰でも何かを教える時は、自然とそれを推奨している。
・4Dxの推奨者となってリーダーは、自分自身がその手本になろうとする。4Dxを信じていないリーダーは、たとえ4Dxを導入しても、4Dxに反する行動をとり、実行に一貫性を欠く。
・リーダーはチームのメンバーから信頼されているから、チームは本気で4Dxに取り組む。4Dxが本物のプロセスなのかどうかを判断するとき、チームのメンバーはまず、リーダーを注視する。リーダーが4Dxを教え、推奨し、立ち上げるのであれば、メンバーは4Dxを信じるのだ。

受講者を集めて講義をするのではなく、講師を養成するための講義を行うという発想は前田出氏の「新家元制度」にも通じる考え方だ。

日常業務を「竜巻」ととらえる概念。遅行指標ではなく先行指標に着目し、その指標を日々管理し続けるという方法論は非常に参考になった。

実際の業務にどこまで落とし込めるか、後は実践あるのみ。






2013年5月6日月曜日

『リーダーはストーリーを語りなさい』

P&Gコンシューマー&コミュニケーション研究所所長のポール・スミスが、ストーリーテリングの重要性とその技術について記載した本。

 国際的な企業や組織の多くが、上層部の管理職を「コーポレート・ストーリーテラー」に任命し、重要なストーリーを伝えさせているのだそうだ。
 ・ナイキでは、幹部全員がこのコーポレート・ストーリーテラーに任命されている。
 ・キンバリークラークは、2日間のセミナーを開催し、ストーリーを編み出す13段階のプログラムを教え、これを活用してプレゼンテーションを行わせている。
 ・3Mは、何年も前からプレゼンでの箇条書きを禁じ、”戦略的ストーリー”を書くべしと奨励している。
 ・P&Gはハリウッド映画監督に依頼して、幹部にストーリーテリングのテクニックを教えている。
 ・モトローラではコーポレート・ストーリーテラーが即興劇などに参加し、技術に磨きをかけている。
 ・ノートルダム大学やデポール大学など先見の明のあるビジネススクールは、経営学のカリキュラムにストーリーテリングのコースを設けている。

 <ストーリーテリングの歴史>
 ストーリーテリングの専門家ジャック・マグワイアによると、
 ①まだ印刷技術が誕生していなかった時代、人々のコミュニケーションの手段はほぼ口頭に限られていた。そのためストーリーを伝えるのは日々の仕事を行う上でも欠かせない手段だった。有史以来、ストーリーテリングとリーダーシップは切っても切れない関係にあった。 活版印刷が普及するまで、ストーリーテリングはどこの国でも独自の伝統とともに存在していた。 ケルト文化のストーリーテリングには吟遊詩人やドルイド僧の存在が欠かせず、誇大スカンジナビアの人々はサガ(散文物語)を語り、イスラムの人々はスーフィー(神秘主義修行者)の教えに、モンゴルやシベリアの人々はシャーマンの話に耳を傾けた。
 ②こうして数千年かけてストーリーテリングは発展を遂げたものの、仕事の場で活用される機会は減り始めた。仕事上のコミュニケーションは形式張ったものとなり、情報はデータベース化されるようになった。報告書やマニュアルと言ったものがじわじわとストーリーテリングにかわり、1900年代に入ると職業の専門化がこの傾向に拍車をかけた。
③かくして誇り高きストーリーテリングは社会的ステータスを失った。 では、いつ頃から復活の兆しを見せ始めたのだろう? ストーリーテリングがビジネスの世界で真剣に取り上げられるようになったのは1990年代に入ってから。まず、複数の学術論文が、職場におけるストーリーテリングの有効性を報告した。 ここ20年ほど、特にこの10年で、リーダーシップをとるにあたって、ストーリーテリングは経営幹部にとって欠かせないツールとなり、正当な評価を取り戻した。


 ここでも、人間の脳の進化が科学技術の進化においつかず、脳の進化に合わせて技術活用法の先祖還りを起こしているということではないだろうか。 100年前に比べて世の中の情報量は凄まじい勢いで増加しているが、それを処理する脳の能力が追いつかない。そのため、脳は流れいく情報についてはスルーし、信頼のおけるフィルターのかかった情報だけを取得するように対応し始めている。 FB等のSNSでも友達の数の平均が130人というのは、古来人間(脳)が理解できる人数が150人程度ということと関連があるのかも知れない。



 <面白い話しはどんな風に出来ているか>
 ハリウッドの脚本家に投げかければ、ストーリーには6つの構成要素、設定、きっかけ、最初のターニングポイント、クライマックス、最後の対決、解決、があるという返答が返ってくる。 認知心理学者に尋ねれば、設定、主な登場人物、対立と問題解決、発端となる出来事、感情の呼応、試み、結果、反応、結論に分けられるというかもしれない。 しかし、ビジネスリーダーがストーリーを語る際に求められるのはごくシンプルな構成だ。 「はじまり」「真ん中」「終わり」だ。 別な呼び方で呼べば、「背景」「動き」「結末」となる。

 「背景」
 背景はストーリーに必然性をもたらす。そこでは、次の四つが説明されなければならない。この話しは、いつ、どこで起こったのか?主人公は誰なのか?その主人公は何を望んでいるのか?誰が、あるいは何が、邪魔をしているのか?
 1.いつ、どこで 聞き手が、この話しが事実なのか、フィクションなのか判断できる。 2.主人公 聞き手が主人公に一体感をもてること。
3.主人公の目的 聞き手にとっても価値ある目標でなければならない。
4.邪魔者 敵役のいないストーリーは、ストーリーにあらず。

 「動き」
 主人公と悪役とが対決することが大事。だが、もっとも重要なのは、そこに必ず教訓が含まれていること。

 「結末」
 結末では3つの目的を達成しなければならない。物語がどう終わるかを伝え、聞き手に学んでもらいたい正しい教訓を述べ、そもそも、なぜこのストーリーを話したのかという理由に立ち戻る。



 企業理念を浸透させるにもストーリーテリングは非常に有効である。 企業理念は、現実に行動で示されない限り言葉の羅列にすぎない。ストーリーによって、企業理念が実践された事例を伝えることができる。
 今会社でクレド活動というものをやっているが、今ひとつ活性化していない。 ストーリーテリングの力を活用するともっと活性化するのではないか。 

この本を読んで早速子供の教育(なぜ勉強しなければならないか)にストーリーテリングを活用してみた。
 成果はどうだろうか。しばらく観察期間が必要か。

2013年4月29日月曜日

『Repeatability 再現可能な不朽のビジネスモデル』

ベイン・アンド・カンパニーの戦略プラクティスグループが、様々な企業の業績を長年研究してきた結果として「再現可能な不朽のビジネスモデル」には3つの設計原則がある、ということを発見した、という内容。
Simplicity ではないが、「複雑化は成長戦略のサイレントキラー」ということで、この手のコンサル本の中では言っていることがシンプルで分かりやすい。



「再現可能な不朽のビジネルモデル」の設計原則
[原則その一]明確に差別化された強力なコア事業
差別化は戦略の要であり、競争優位性の根本原因であり、そして企業間の相対的な収益性格差の主要因である。企業は、競合と異なることによって収益を得る。
このような差別化を可能にし、社員の行動や製品特性につながっていく企業特有の資産やコンピテンシー、ケイパビリティといったものが、真のコア事業を定義づける。


[原則その二]絶対に譲れない一線の顕示
戦略を、ぶれない意思決定と行動へ移す際の原則を「譲れない一線」と呼んでいる。

[原則その三]循環型学習システム
「再現可能な不朽のビジネルモデル」は概して、競合企業に比べてより意識的に変化を察知し、それに適応する方法を実践していた。特に、事業全体の学習と継続的改善を促すためのシステムが充実している傾向が見られ、再現可能モデルの透明性と一貫性をうまく活用していた。


以前から個人的な考えとして、企業は社員に対して「管理」という「枠」をはめるべきではなく、「軸」を明確に提示して、その方向に社員が進んでいるかどうかを確認するべきだという考え方を持っていた。
その考えに照らし合わせると、コア事業を明確にするという第一原則は正に「軸」を明確にするということであるし、第二原則の「絶対に譲れない一線」の顕示というのは「枠」をはめるということであろう。
ただし、ここでいう「絶対に譲れない一線」というものは、「管理」という観点のものではなく、どちらかというと「行動様式」という意味での「枠」の概念に近い。
第三原則はまだまだ多くの企業で未開発ということで、第一原則、第二原則のこの2つが明確であることで実は大半の優良企業が説明できてしまうのだそうだ。



再現可能な不朽のビジネスモデルには興味深いパラドクスがある。一面においては、再現可能モデルの優位性は持続しそうもないように見える、という点である。差別化要因は明らかであるし、その価値や組織構造は書籍等で盛んに論じられている。成功の秘訣を誰もが知っているとすれば、IKEAなどの企業はどのようにして持続的な競争優位性を維持しているのだろうか?
楠木健氏はこの答えを『ストーリーとしての競争戦略』の中で、個々の部分戦略でみると一見おかしな戦略を全体戦略に組み込むことで、そもそも真似をしようと思われなく(うまくいくと思われなく)している、という説を展開しているが、ベイン・アンド・カンパニーの仮説は以下の3つである。

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再現可能な不朽のビジネスモデルが常に競争相手の一歩先を行ける理由を説明付ける3つの答えを探り当てた。
1.経営層と現場の距離短縮
逆説的に聞こえるかもしれないが、再現可能な不朽のビジネスモデルの単純さこそが、実は競合にとっての参入障壁となる。
企業が新しい事業や市場へ進出すると、事業の成長とともにリスクや不確定要素が倍増し、経営陣の理解や判断の必要性が増す。同時に、従来とは違った競合との競争激化にも対処しなければならない。こうした外部環境の変化によって組織の複雑性が増大し、余計なシステムや評価基準、条件などの増加の他、専門特化した製品、無駄なプロセス、調整役の多さなどにつながる。その結果、経営上層部とビジネスの現場との距離はこれまで以上に遠ざかる。

2.より適切かつ迅速な意思決定
変化のスピードが速まる一方の世界においては、競合企業よりも効果的に意思決定し行動に移す能力は圧倒的な優位性となる。
複雑化した市場や組織でさらに結果を出すためには、この適切かつ迅速な意思決定がもっとも重要である。

3.継続的な改善の極意の会得
ある企業が、継続的なフィードバックと改善を可能にする優れたシステムを通じて、間接費の年間0.15%減と変動費の年間0.3%減(ともに他社比)を実行できた場合、10年後にはその企業価値が50%も増大する(そのうち8割は収益改善によるもの、残りは収益1ドル当たりの市場価値増大によるもの)
「複利は人類史上最大の発明」byアインシュタイン

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1の経営層と現場の距離短縮、2の迅速な意思決定を実現するためには組織をシンプルにすることが大切という。
勝手に解釈すると、ベイン・アンド・カンパニーが考える競争優位性維持の秘訣は”Simplicity”ということだ。


企業の経営モデルというのは軍隊のモデルが参考になるケースが多々あるが、今回初めて知ったのはOODAループというもの。
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OODAループ
学習・意思決定システムの相対的競争力を考える上での最善のフレームワークは、米空軍の伝説的で型破りな戦闘機パイロット、ジョン・ボイド大佐によって、当初軍事目的として公安・体系化された、OODAループであろう。
適切に観察(Observe)
的確な情勢判断(Orient)
意思決定(Decide)
行動(Act)
OODAループの四段階はいずれも重要であるが、ボイドと彼の研究チームは、特に情勢判断の段階が競争優位の差別化要因であることに気づいた。
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よく見るとPDCAサイクルとよく似ている。OODAループにおけるAがPDCAサイクルのDoと一緒だとするとOODAループはPDCAサイクルにおける”Check”から回り始めている。観察(すなわちチェック)を余裕を持って出来ることで、競争優位の差別化要因である情勢判断(PDCAサイクル上は"Aciton")に注力できるということか。
PDCAサイクルの”Action"って"Do"とどう違うのかと思っていたのだが、OODAループのOrient(情勢判断)という風に理解すると非常に分かりやすい。


成長は必然的に複雑化を招き、最終的に成長を阻止するサイレントキラーとなる。ただし、厄介なことに、通常、成長は事業経営の「譲れない一線」なのだ。

動植物と異なり、企業が適応に失敗する理由は「適応できない」ためではなく「適応しない」ためである。企業衰退の根本原因は、環境にではなく、意思決定の中にある。


市場や顧客のニーズに関連した外部要因の複雑化は、組織の複雑化とは質的に異なるものだ。
前者は、安定したニッチの累増、顧客が他社に切り替える際のコスト、「継続」サービスによる収益源などを創出し、自社のコモディティ化回避に役立つ。
市場における技術面の複雑化もさまざまな成長機会をもたらす。
ビジネスモデルに内在する複雑性を制御できれば、外在する市場の複雑性を利用しやすくなる。
経営者にとって、こうした新たな機会をもたらす外的な複雑性と、企業を駄目にする内的な組織の複雑性とを区別することが重要。コレステロールに善玉と悪玉があるように、本質的には似通ったようにみえても、一方は健康促進・エネルギー生成の働きをし、他方は全く逆の動きをする。

複雑性とか多様化ってあまり意識せずに使っていたけれど、外部環境の多様化(複雑化)と自社の複雑化は別物だという指摘も初めて知ってなるほどと思った。

著者はまとめとして10項目のまとめを挙げているのだが、それはここでは割愛する。

優良だった企業が何故駄目になっていくのか。概念的ではあるが日本におけるその流れが指摘されている。
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創業者の想いや創業者目線を適応することで成長していった企業も、規模が大きくなり、事業が複雑になるにつれ、次第に創業者メンタリティは希薄化していく。
代わって、大きく複雑化した事業を管理するための仕組みやシステムが勝っていく。
日本企業が低迷するなか、経営の仕組みの欠如が叫ばれ、様々な経営指標や経営ツールが導入された。グローバルスタンダードが金科玉条のように言われたことも、グローバル出自のこれらの経営指標の導入を後押しした。
さらに、「説明責任」という言葉がどこからともなく表舞台に現れ、客観的な事実で対外的、対内的に説明できることが重要になった。
これに、コンプライアンスの仕組みが重層的に追加されてくる。これだけの経営管理の仕組みを動かすために、経営管理スタッフが増員され、次第に幅を利かせるようになる。
経営トップも、これらのスタッフに依存せずにはこの巨大な経営管理機構を回していけなくなる。
トップ自体の選出も、社内の利害調整とともにこの管理機構を回せる人物が優先されるとなると、これはもうリーダーが会社を動かしているのではなく、システムや仕組みが会社を動かしているのと同義である。
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振り返ると、そういう意味ではわが社も崖っぷちな気がする。
今ならまだ創業者メンタリティをもった会社に戻れるのではないか。
そう信じて業務にいそしみたい。

2013年3月31日日曜日

『統計学が最強の学問である』

Googleのチーフ・エコノミストであるハル・ヴァリアン博士は、2009年1月にマッキンゼー社の発行する論文誌においてこう語った。
「私はこれからの10年間で最もセクシーな職業は統計家だろうって言い続けているんだ。( I keep saying the sexy job in the next ten years will be statisticians.)」
これからは統計リテラシーが必要なのであろう。
自分の業務においても統計リテラシーがないと、統計に騙されることが多いような気がする。(大抵後で気がつく)

著者の西内啓氏は東大医学部卒で生物統計学専攻とあるから、ビジネスを直接やられたことはないと思われるが、よくある研究のための研究としての統計から脱却するために3つの問いが必要だとしている。


データをビジネスに使うための「3つの問い」
【問1】何かの要因が変化すれば利益は向上するのか?
【問2】そうした変化を起こすような行動は実際に可能なのか?
【問3】変化を起こす行動が可能だとして、そのコストは利益を上回るのか?
この3つの問に答えられた時点ではじめて「行動を起こすことで利益を向上させる」という見通しがたつ。


後半はちょっと専門的は話が多い(それでも相当噛み砕いて説明されていると思われる)のだが、前半はとっつきやすいネタも多く引き込まれる。

○あみだくじ必勝法
あみだくじは全て同じ確率ではない。
○「紅茶を先に入れたミルクティー」か「ミルクを先に入れたミルクティー」か判別できる婦人の話。さて、本当か嘘か。現代統計学の父 ロナルド・A・フィッシャーはどうやって判別したのか。
○「ミシンを2台買ったら1割引というキャンペーン」

さて、このキャンペーンうまくいったかどうか。


ランダム化比較実験は、小さなコストとリスクで「あえて間違いを犯す」こともできる。
というのが、リーンスタートアップの考え方における、小さくプロトタイプで試してみるという考え方とリンクしていて非常に参考になった。
4月からは新規事業系に特化して業務を行うことになったので、この本は参考にしていきたい。

2013年3月3日日曜日

ニュータイプおたく

ここのところ、なぜか連続しておたく系のイベント(行動)が多く、おたくも進化していることを感じた。
”おたく”の強みはバックグラウンドストーリーを持っていること、弱みはそのストーリーを共有していない人々とのコミュニケーションがとれないことだと思っていたが、強みに更なる磨きをかけているようである。


おたくの聖地、秋葉原のコスプレ居酒屋Littel BSD
実は創業9年の老舗(?)。メイン顧客層はやっぱり”おたく”。
メイドカフェの発展(大人)版。
2Dの世界だけでなく、3Dのメイドにお酒をサーブしてもらうのだ。


コスプレ軍団のバックグラウンドストーリーは、「人間界に来た小悪魔ちゃん」
人間が許しを得ずに彼女達の写真を撮ったりすると魔界に帰ってしまうらしい。
写真は「小悪魔のおにぎり」@380円也。目の前で小悪魔ちゃんが握ってくれる。
他にも、小悪魔ちゃん達が「うんしょ、うんしょ」とかけ声を掛けながら
絞ってくれるグレープフルーツサワーなどあり。
でもお酒は全般的に甘すぎ。



ダイバーシティ東京のガンダムカフェ。


やっぱりガンダムの世界をベース(バックグラウンド)としたメニュー構成。
ディズニーもそうだが、確立したバックグラウンドストーリーがあると企画に軸があって強い。

ダンスエボリューションアーケード。
踊っているのは、どうみてもダンスの巧い”ゲームおたく”。
周囲はすごい観客でその視線を浴びながらプレーするのだが、
拍手がでたりするとはにかみながら、また最後尾に並ぶ。
結構、礼儀正しい。


という訳で、ニュータイプおたくは、別のやり方で一般人とコミュニケーションをとり始めている。
強みをより活かし、弱みを補完するという戦略は生き残りにおいて有効な戦略である。
”ニュータイプおたく”は変化しながら、一般にも受け入れられていくのかも知れないと思った。



2013年2月11日月曜日

『すべてはモテるためである』

ワコールアートセンター スパイラルのMさんからお勧めいただいた本。
著者がAV監督二村ヒトシ、そして『すべてはモテるためである』というタイトルと相まって、女性の気を惹くための小技ノウハウ本と思いきや、実は深〜いコミュニケーション哲学の本であった。
そもそもこの本、ベースとなる部分(第1章〜第4章)の初版は1998年に発行されている。
その後著者が「モテて」みた後に考えた考察が第5章として追加され、この度の発刊となっているのだが、この第5章と、そして第5章を踏まえての哲学者の國分功一郎氏との対談が追記されることでこの本の深みをより一層増している。


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あなたが彼女にモテないのは、あなたが「彼女にとってキモチワルい人」だからである。
なぜ「あなたが彼女にキモチワルがられるのか」というと、
ひとつは「あなたが彼女に対して自意識過剰の状態におちいっている」ため。
もうひとつは「あなたが、あなたと彼女の関係について考えるべきことを、ちゃんと自分の頭で考えていないから」

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ということで、著者は読者にまず「どういう風にモテたいのか?」、「なぜモテたいのか?」を考えさせる。
しかも最初なので(いきなり本を放り出されないように)事例まで細かく提示して、上手な巻き込み手法を用いている。

「モテる」ためのやり方は、人によって違うといいながら、ざっくり書くと
○自意識過剰をやめる。
○【対話】を通じて相手と同じ土俵に乗る。
○自分の【居場所】をつくって「適度に」自信を持つ。(でもエラソーにしない。謙虚であれ)。

さらりと書いたが、結構【 】の内容は深い。

まず【対話】。
【対話】とは、相手の言っていることばを「まずは、聴く。けれど【判断】しない、決めつけない」こと。
「対話できる」ということが、「相手と同じ土俵に乗れる」ということ。

「聞く」は単純に耳に入ってくる、「訊く」は質問するといういみだが、「聴く」とは意志をもって聞く、あなたの脳や心で、ことばや音や音楽をとらえていく、という意味。
さらに大切なのは、「意志をもって聴く」といっても【上から目線で聴いているのではダメ】だということ。
相手を、あなたの心の中で「決めつけて」はいけない。
たとえば彼女の話から「彼女が何かに悩んでいる」ことがわかったとして、その状況を分析してみたり、それに対するアドバイスをしたりしても、最初は感謝されるかもしれないが、やがて確実に嫌われる。
それはコミュニケーションではなく「相手をコントロールしようとしていること」だから。
上から目線ではなく相手の話を聴く。

つまり「相手と同じ土俵に乗る」というのは、「あなた自身が(相手の話を聴いたことによって)変わる」つもりがあって話を聴いているかどうか、あなたの側に【変化する気が】あるか、ということでもある。

次に【居場所】。

【居場所】というのは、チンケな同類がうじゃうじゃ群れているところじゃなくて、【一人っきりでいても淋しくない場所】っていうこと。
モテるためには必要な【他者とのコミュニケーション】において臆病になりすぎないために『オレは、オレの好きなことにハマっている』『オレには居場所がある』という自信と誇りを持つ。しかも、そのことでけしてエラソーにはなるな、謙虚であれ、というのが教え。


あイタタ、どちらも結構読んでて痛い部分があるぞ。

理論が分かったら、エッチな場所で実践し練習を重ねよ、というのが著者の次の教え。

本番編では『スーパー戦隊論』が出てくる。
簡単に言うと、自分の中の色々なキャラを彼女の前でどんどん登場させていこう、という話なのだが、それにひもづいて『あなたの中の【女】、モモレンジャー』理論というのがあり、これが斬新で舌を巻いた。
非常に面白いので著者の文章をなるべくそのまま引用する。

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あなたはオナニーをすることがあると思いますが、そのときにAVもエロ本も過去の出来事の思い出も使わないとしたら、頭の中には誰が登場しますか?
それがあなたの中の【女】です。好きな女性タレントとか、つきあい始めたけどまだセックスしていない現実の彼女とかの姿で登場してくるんだとしても、その女性は、あなたとまだセックスしてないんでしょ?オナニー中、あなたの頭の中の彼女は、よがったり、あなたを愛撫してくれたり、いろいろミダラなことをしてくれると思うんですが、そのミダラっぷりは「あなたが頭の中で作ったミダラさ」じゃないですか。てことは、あなたの中の【女】のキャラ、戦隊の女性メンバー、ゴレンジャーでいえばモモレンジャーが、その彼女の役を演じているんです。
そして、このモモレンジャーが、あなたの中の戦隊の、陰の、真のリーダーであるべきなんです。たとえば好きになった彼女を攻略するために「次に誰を出すか。熱血でいくか、クールでいくか」というメンバーのローテーションは、この【女性メンバー】に考えてもらうべきなんです。

あなたが、ある女性を好きになったとしたら、その「彼女」と「あなたの中の【女】」は、似ているところがあるはずなんです。
相手の女性がいま何を考えているか、何を感じているかは、自分の中の【女】に探らせ、判断させ、作戦を練らせるのがいいのです。
女心は女にしか、わからないんだし、そもそも「二人は似ている」のですから。

人の心というのは不思議というか厄介もので「あなたがどんなに彼女を好きでも【あなたの中の女】は彼女のことを憎んでしまう」ということがあります。
あまのじゃくな【女】とか、すごいバカな【女】とかに住みつかれている男性は、恋愛関係で苦労がたえません。

あなたの中の【女】というのは、あなたと一緒に生まれて、あなたとともに育ってきたわけですが、あなたの中の【女】は必ずあなたのお母さん(もしくはあなたを育ててくれた女性)の影響を受けます。
これで【お母さん】と【自分の中の女】がそっくりな男は、マザコンと呼ばれるわけですね。

「恋愛をする」ということは、「彼女と【あなたの中の女】との関係」だけの問題ではありません。「あなたと【彼女の中の男】との関係」の問題でもあります。
「自分の中の【女】が、どんな女なのか」を理解してあげましょう。
【自分の中の女】がキモチワルい女だった場合でも、あなたが治すことができるはずです。
どうやって治せばいいのか。
生きている「いろんな人」とたくさん関わって、たくさん【対話】をして、なるべく人に優しくすることです。
【自分の中の女】が「素直な性格」になってくると、現実女性の「いいところ」が、顔やスタイルだけじゃなくて、たくさん見えるようになってきます。


厳密な意味で完全に「相手の気持ちになる」ことは人間には不可能だと僕は思います。
ただ「相手の身になって考える」ということなら、ありえます。

彼女が、あなたが見たことない服を着ていたら、新しい髪型をしてたら、褒める。青レンジャーが寝てたらモモレンジャーが蹴っ飛ばして起こして、とにかく褒めさせる。

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この『スーパー戦隊 モモレンジャー理論』はすっごく気に入った理論になったのだが、ひとつ追加であるとすると、【自分の中の女】であるモモレンジャーも男性メンバー同様、決して一人ではないような気がする。
個人(男)の中の理想の女性像は、その全てを一人の人格に昇華できるものなのだろうか。著者も言っているが、最近の「戦隊もの」ではタイプの違う女性が2人(お姉さんタイプとボーイッシュちゃきちゃき娘系など)出てくるようになっている。
タイプの違う【モモレンジャー】が二人いたりするのは浮気性ということなのだろうか?



第4章までが1998年に出した本で、上野千鶴子さんによる解説とか、さらには文庫版のあとがきまで書かれた後に、第5章「モテてみた後で考えたこと。」が始まる。

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モテるようになって、いっとき人生の調子が非常に良くなった(ように本人は感じた)のだが、しばらくすると【モテているのに、心が苦しい】という状態になった。
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つまり、15年前のノウハウを実践したところ、正直「苦しさ」を感じるようになったという告白だ。

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「モテる」ということは、つまり他人の【心にあいた穴】を刺激できる人間になる、ということだ。
女性の側からすると、モテる男というのは「心の欠けた部分を埋めてくれるような気がする、つきあうことで完璧な自分になれそうな気がする男」なのだそうだ。

彼女達が言っていることは本質的には共通していて、要するに「私を抱きしめて。支配して。でも同時に、私を自由にして。私をコントロールしないで」と言っている。
難しい。ていうか矛盾している。
もうちょっとおだやかに表現すると、彼女達は「あなたが私を愛して。でも、あなたが愛してくれる愛し方は、私がされたい愛し方ではない」と言っているのだ。

だが、われわれ【モテて、女性から恋された男】も、女の人にむかって「恋してくれたんだから、お前をオレのものにするよ。だが同時にオレは、お前を突き放すよ」とつねに言っている。矛盾している。「オレはお前を愛したいのだが、お前が愛されたいように愛することは、しないよ」と後だしジャンケンのように宣言しているのだ。なんでそんなダブルバインドをかけるのか。
ヤリチンつまり複数恋愛を指向する男であればこれに「いやだったら勝手にしなよ」が加わるし、これが一対一恋愛の場合は「オレはちゃんと愛してるじゃないか。何が不満なの」「オレも仕事で疲れてるんだよ・・・」が加わる。
どちらにせよ、男が女を支配しようとする限り(女も「支配されよう」とするかぎり)かならず男はダブルバインドをかける。
奇妙なことに「男は女を支配しようとして、けしからん」と怒る女の人も、【被害者意識】を持つ限り同じダブルバインドをかけられる。

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そこで著者は、新たな気づきを得る。

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「モテたい」=「キモチワルくないと保証されたい」というのは、「恋されたい」ではなくて、本当は「愛されたい」ということだったんじゃないだろうか。

【愛されたい】というのが「自分を肯定して欲しい」という欲求だとしたら。
(ちなみに【恋する】とは「相手を求めること、自分のものにしたがること」)
【モテたい】は「キモチワルくないと保証されたい」ことなんだから、実は【モテたい】人は愛されていれば充分であって「恋されて、相手を支配する」必要はないんじゃないんだろうか。
モテた者も、モテを目指す者も、ただ「自分は愛されたいんだ」と認めればいいんじゃないだろうか。

さっき書いた【モテるようになった男が恋する女に「愛するけれど、お前が愛されたいように愛してあげることは、しないよ」とダブルバインドをかける】のは、つまり【自分のほうは変わる気がない】ということだ。それだと相手だけじゃなく、何より自分が苦しくなるのだ。

ある人間が「心の底から願っていること」「本当に欲しいと思っていること」は、実は「その人が他人に対して【与える】能力をもっていること」なのだ。
「モテたい」が「恋されたい」じゃなくて「愛されたい」だと気がついた人は、実は「ちゃんと他人を愛する能力」を有するのだ。
それを認めて「愛することによって自分が変わるのを、恐れない」のが、つまり「大人になる」ということじゃないだろうか。

子どもであることのほうが変化の余地があって、大人になっちゃうと人間が硬直するんじゃないかと考えがちだが、そんなことはない。
子どもであり続けることのほうが「がんこ」で「自分を守っている」のである。
大人だということは、「もう長い時間は残っていないんだから、なるべく他人を幸せにしよう」と考えることだ。
さまざまな「モテるために変わる」方法を考えてきたが、最終的には「大人になることでモテる」のが、一番威力があります。相手も自分も苦しまないし。

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結局人間は「愛されたい」を目指すべきだし、そういう人は実は「他人を愛する能力」を有している、というのはグルッと1回転して元のところに戻って来たようで、実はもとの場所より1段高みにいる結論のような気がする。
人間って元の位置を一度離れないと、その場所の高みには登れない生き物なのかもしれない。

哲学者の國分氏との対談も面白い。

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人間の心には先天的に穴があいているわけではない。しかし、誰かに育てられる中で、必ずいくつもの傷を負い、その傷が集まって「心の穴」を形成する。それが人間の性格であったり、好みであったりする。で、その「心の穴」が似ていたりすると、その人たちが惹かれあう。
「心の穴」が愛や恋の根源にあるとすれば、愛したり恋したりという感情は、先天的なものではないが、しかしほぼ必然的に後天的に獲得されるものだ、と考えることができる。

人間は「その人の心の穴から湧いてくるものが、他人の心の穴を刺激する」からモテてるんだと思う。

恋愛感情というのが、自分の「心の穴」から出て来ているもので、しかも「心の穴」が主として親にあけられたものだとすると、恋愛は親子関係をやり直していることになる。なのに、なかなかそれが学べないし、認めたくないもんだから、ごまかして自分の穴を見逃してしまう。

どんな人でも、小さい頃に親の影響を受けていて、何かを押し付けられて生きてきている。(アリス・ミラーという精神分析家はそれを「闇教育」と呼んだ。)
そもそもフロイトが「性格は断念によって形成される」と言っていたように、人の心について考えるなら絶対に「心の穴」を避けるわけにはいかない。

「モテるやつというのは、敷居が低い人間である」。他人から見て「簡単に近づきやすい人」であるとモテるわけです。つまり、「モテる」ということは、その人自身の魅力というものとはちょっと違う。

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もともと、「女性にモテるには」という軽いテーマから、コミュニケーション論になっていたのだが、國分氏との対談はそれが哲学としてもイケてることを再認識させる。

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「感情は、考えないで感じきる」
自分の感情を感じきることで、気持ちを曖昧にしなくてすむ。

「非モテ」「非リア」とか言った言葉はそういう感情をストップさせてしまう言葉で、感情を停止してしまうがゆえに自分のなかの「モテない」という恨みを熟成させる装置になってしまっている。
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二村氏は、最初読者に「考えろ」と言い続けてきたので、ここで「考えるな。感じろ」と言うと混乱するのではないか、と心配しているが、「堂々巡って元に戻るがされど元の場所にあらず」、ということは往々にして存在する。
それが日本古来の「守破離」であり、ヘーゲルの言う「アウフヘーベン」なのではなかろうか。

テーマが身近で入りやすく、そして深い、という学びとしても非常に適したテーマを見つけて、AV監督が書いてしまうところが面白い。

現時点にしても著者としては”仮説”の段階であるようなので、また10年くらいしたら実践の結果を受けて、再度第6章が追加になって更なる自己形成小説として改訂(発行)されるのかも知れない。
それもまた楽しみ。






2013年1月22日火曜日

病院にて


とある総合病院の受付。
病院の受付って得てして辛気くさくて、病気をもらわないようにするような雰囲気が漂うのが一般的だが、カフェが併設されているだけでその雰囲気が一掃されることにびっくり。

また人を観察するのに病院というのは適している。
通常は人は仮面をかぶって「素」を見せないようにしているが、病院にくるというのは面会以外はある意味非常事態であり、自らを装う余裕がない状態である。
そういう意味で「素」が出やすく、観察がしやすいことに気がついた。
シャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルも医者だったことを思うと、人を観察して推理するという発想が病院で生まれたというのは案外必然だったのかも知れない。

2013年1月6日日曜日

『激動予測』

『100年予測』を書いた「影のCIA」と呼ばれるストラトフォーのジョージ・フリードマンの著作。
前作が100年間を予想したのに対し、今回はこの10年間でアメリカがどうすべきか、という戦略を述べている。

「マキャヴェリ流大統領」というものを提唱し、過去の大統領の事例として、リンカーン、ルーズヴェルト、レーガンの3人を引いている。

◎わたしは神とともにありたい。しかし、ケンタッキーを失うわけにはいかない。
by 共和国を守った エイブラハム・リンカーン

◎規則は絶対不可侵ではないが、理念こそ、神聖にして侵すべからざるものである。
by アメリカに海を与えた フランクリン・ルーズヴェルト

◎異国で無邪気を装うことはできない。そこは無邪気な世界ではないのだから。
by ソ連を弱体化させアメリカが帝国となるための地ならしをした ロナルド・レーガン


3人の大統領はそれぞれの目的を達成するために、進んで嘘をつき、法を犯し、原則を破った。「マキャヴェリ流の大統領」とでもいうべきパラドクスを体現していた。
これからの10年(というより以前からもずっと)、力の何たるかを知り、道徳的な核をもつ指導者、アメリカの約束を果たすためならば、二枚舌を厭わずに高潔さを保てる指導者が必要だと著者は述べている。


まずは善かれ悪しかれ、アメリカは既に帝国であることを認識すべきというところから始まる。
その上で、中東(イラン、イスラエル)、ロシア、ヨーロッパ、東アジア(著者の表現だと「西太平洋地域」)などに対する地政学的な戦略について述べられている。
エリアの歴史が語られるのに続き、これからの将来予測が入っているのが非常に楽しい。
歴史の授業も、過去から現在だけでなく、ついでに未来(将来)についても想定を語るようになるととても楽しく学べるのではないか。(自分が歴史の先生だったら夏休みの宿題に出そうと思う)

正直、ちょっと海洋ルート(制海権)を重視し過ぎな判断のような気がするが(まぁそれが地政学というものなのでしょうが)、その点を除いても、ほぼインターネットで調べられる情報をベースに戦略を構築しているのが見事。
以前CIAでは95%はインターネットで得られる程度の情報を元に判断し行動しているというのがすごく実感として分かる。
要はどの情報が重要であり、その情報をどのように組み合わせて現状を把握するかで、「見える世界」が変わってくるということだ。

まだまだ自分も「目の見えているはずの世界」が見えていないであろうことが認識できたのが非常に楽しい経験であった。 

それにしても、この本の中にたくさん「○○というアメリカの戦略は、アメリカ大統領はおくびにも出してはならない」という表現が出てくるのだが、この本の信憑性が高くなればなるほど、せっかく大統領が黙ってるアメリカの真意を堂々と書いちゃっていいのかしら、と思うのは自分だけであろうか。


2012年11月25日日曜日

Good Design Exhibition 2012

グッドデザイン賞の受賞作品展示会を見てきた。
昨年度までは受賞前の作品が展示されていて、その展示を審査員が見て受賞作品を決めるということで展示にも力が入っていたが、今年は受賞した作品の展示ということもあり非常にシンプルな感じがした。
(「映像も流すべきだったね」などという企業担当者の声が聞こえてきたりで、どこまでシンプルにすれば良かったのか、各企業担当者も手探りだった部分はあったようだ。来年はまた展示のレベル感があがるのかも知れない)

サムスンやLGといった韓国企業の受賞も多く、勢いを感じた。
親子連れで来ていた子供が「あっ、サムスンだ!」と言って駆け寄って製品を見ていた。
彼らに取っては「サムスン」は韓国という外国の企業ブランドではなく、既に身近なブランドだということだ。

製品と供に展示されている映像を始めから終わりまでビッチリVTRに納めている女性がいて、「デザインを参考にする」というレベルを超えた執念を感じた。
最新のデザインを取り入れることで、デザインも「すぐに真似される」時代となっているということだ。
韓国や中国に対して、日本人が感じる「脅威」や「二番煎じ感」というものは20年程前に欧米が日本に対して感じていたものそのものかもしれない。


隣の会場では別展示を設営中。
扉オープンだったので覗かせてもらう。
クレーンを入れて設営できちゃうということは、
ちょっとしたプレハブ住宅は工程次第では設営できちゃうということ。
でも、隣で展示しているんだから、ちゃんと扉は閉めておかないとね。


LG社のOLED TV。薄い!!


NikeのFuel Band。
写真映りが悪いが、デザインはcool。


リコーさんのスペース不要なプロジェクター。
これ、実は下から映写してる優れものです。


消音ギター。デザイン的にも◎。


ネット上ではあまり評判がよくない
「パナソニックのスマート家電」のひとつ。
このパン焼き機のデザインなんて秀逸なんだけどなぁ。


ゴミ拾いトングをデザインしたもの。
こういう古典的かつ実用的なものを、
デザインで使いやすくすることこそ
「デザイン」の真価な気がする。


Roccaというカードゲーム。
やり方等まで把握できなかったが、デザインだけで何やらワクワクする。


YKKさんのエクセラカーブ。
「ありそうでなかった」モノを技術で実現する素晴らしさ。
これを利用した具体的な素敵な製品もあったら、更に良かったかも。