2014年3月16日日曜日

『劣化国家』

金融関係にいまだ携わっている父が「面白い」というので読んでみた。
翻訳もあるけど結構難解だった。(読むのに非常に時間がかかった)


西洋の自由民主主義、経済自由主義が衰退してきた理由について、西洋の減速に対する最近はやりの説明に「デレバレッジ(債務の圧縮)」というものがある。債務圧縮(またはバランスシート修復)という痛みを伴うプロセスが原因という説だ。
しかし、いま生じているのは、単なるデレバレッジではない。

どんな重債務国も、債務削減のためにとれる施策は限られている。
1 技術イノベーションの助けを借り、また(場合によっては)賢明な金融刺激策を実施して、成長率を金利以上に押し上げる。
2 公的債務の大部分を不履行にし(デフォルトし)、かつ民間債務は破産によって棒引きする。
3 通貨切り下げとインフレーションで債務を帳消しにする。
第一次世界大戦後のドイツはハイパーインフレーションの道をたどり、大恐慌後のアメリカは民間部門のデフォルトと破産の道をたどった。
この3つのシナリオのうち、どれをどの国がたどるのかは、どんな経済理論にも予測できない。

<アダム・スミスの「定常状態」>
アダム・スミスは『国富論』の中で、「定常状態」つまりかつて豊かだったが成長を止めた国の状態を説明している。
第一に、大多数の人たちが恐ろしいほどの低賃金に甘んじている。
「たとえ国富が莫大であっても、国が長期にわたって定常的であるなら、高い労働賃金は望めない。人口の大きな割合を占める労働貧民が、最も幸せで快適な暮らしができるように思われるのは、社会が最大限の富を獲得した時ではなく、さらなる獲得を目指して前進を進める、進歩的な状態にあるときだ。社会が定常状態にある時に労働者は苦しく、衰退状態では惨めである。
社会が進歩的状態にあるときは、どの階級も晴れやかで元気だ。定常状態では生気がなく、衰退状態では憂鬱である。」
第二に、腐敗した独占的なエリートが、法・行政制度を自分の利益になるように利用できる。

スミスの時代に「長期にわたって定常状態」にあった国といえば中国だ。
今は定常状態にあるのは西洋の方であり、一方の中国は、他の主要国を上回るペースで成長を続けている。
というのが著者の意見だが、中国は定常状態から脱出していると言えるのだろうか。
アダム・スミスのいう二つの状態は全くそのまま今の中国にもあてはまるし、成長は鈍化し始めている。

ここで「制度」という観点が追加される。
冷戦中に行われた2つの世界的社会実験、朝鮮人(大韓民国と北朝鮮)とドイツ人(西ドイツと東ドイツ)を考えると、「制度」には地理(地政学的な要素)や文化をしのぐ影響力があるといえる。
衰退している西洋の制度 、「民主主義」「資本主義」「法の支配」「市民社会」が機能不全を起こしているから、アダム・スミスのいう「定常状態」に陥っているのではないかという仮説だ。


<ダグラス・ノースとジョン・ウォリス、バリー・ワインガストによる人間の組織の2段階>
1「自然状態」「アクセス制限型のパターン」
・低成長経済
・比較的少数の非国家的組織
・小規模で中央集権的な政府が、被統治者の同意を得ずに運営する
・個人や王家のつながりをもとに組織された社会的関係
2「アクセス開放型のパターン」
・より急速な経済成長
・多くの組織からなる、豊かで活気ある市民社会
・より大規模で分権的な政府
・法の支配などの、非人格的な力が支配する社会的関係。そこでは、所有権、公正性、(少なくとも建前上の)平等が確保される。

ノースによると、イギリスを筆頭とする西ヨーロッパ諸国は、「アクセス制限型」から「アクセス開放型」に初めて移行した国々だった。
国家がこれを実現するためには
・制度的仕組みを通じて、エリート間の非人格的関係が生まれるような環境を整えること。
・(政治的・経済的機構への)アクセスをエリート層の間で開放させるインセンティブを新たに考案し維持すること。
が必要だが、これらはアクセス開放型体制に移行するための前段階条件で、他に
・公的および私的空間に、永続的組織があること。
・軍事直の統一的支配。
が必要となる。


ここから著者は、金融危機についての自説を展開する。
規制緩和悪人論がまことしやかに語られるが、それは正しくないという論だ。
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一部の有力な評論家によると、2007年に始まり、いまだに終わりを迎えていないように思われる金融危機は、1980年代前半に下された規制緩和を進める様々な決定に、その原因があるという。
とはいえ、この説はほとんど間違っている。

私に言わせれば1970年代から学ぶべき教訓は、規制緩和が悪いということではない。まずい規制が悪いということだ。そしてこれは、現代の危機にもそっくりそのままあてはまる。
2007年に始まった金融危機は、まさに複雑すぎる規制に原因があった。
第一に、大手上場銀行の幹部は「株主価値を最大化する」強力なインセンティブを与えられていた。彼ら自身の富と収入の大部分を、自社株と株式オプションが占めていたからだ。
西洋世界全体で、銀行のバランスシートが自己資本比で見てめまいがするような規模に拡大したのは、規制がそれをはっきりと許可していたからだ。
バーゼル銀行監督委員会の1988年合意は、銀行が自己資本の規模に比して、膨大な資産を持つことを、国債など低リスクと分類された資産に限って認めていた。
第二に、バーゼル規制の改正により、1996年以降は、銀行が社内のリスク評価をもとに、必要自己資本額を事実上独自に設定できるようになった。
第三に、アメリカの連邦準備銀行(FRB)をはじめ、世界の中央銀行は、資産価格が急落した時には利下げによって介入すべきだが、急騰した場合は、価格の上昇がいわゆる「コア」インフレ(価格変動の激しい食品・エネルギー価格を除外した数値。実は住宅価格のバブルを完全に捉え損ねた指標。)に対する人々の期待に影響を与えない限り、介入すべきではない、という奇妙な見解を持つようになった。
この手法は、俗に「グリーンスパン(のちにはバーナンキ)・プット」と呼ばれる。
要するにFRBは、アメリカの株式市場を下支えするための介入はしても、資産バブルを収縮させるための介入はしないということだ。
第四に、アメリカ議会は低所得者世帯、とくにマイノリティ世帯の持ち家率向上を目指す法案を可決した。住宅ローン市場は、「政府支援機関」のファニー・メイ(連邦住宅抵当公庫)とフレディー・マック(連邦住宅貸付抵当公社)によって、著しくゆがめられたが、これは、社会的、政治的理由から望ましいことと見なされた。
第五に、中国政府の人民元売り介入だ。人民元の対ドルでの上昇阻止を目的としたこの政策の主な狙いは、西洋市場での中国の輸出製品の競争力を高めることにあった。
経常収支黒字はドル資産につぎ込まれることになり、予期せぬ結果として、アメリカは莫大は信用枠を手に入れた。
黒字国が購入した資産の大部分が、アメリカの国債や政府機関債だったため、こうした債権の利回りは人為的に低く抑えられた。住宅ローン金利は国債の利回りに連動して決められる。
かくしてチャイメリカ(中国とアメリカの奇妙な経済的協力関係を指す造語)は、既にバブル状態にあった不動産市場をさらに高騰させるのに一役買った。

以上の説明のうち「規制緩和悪人説」と一致するのは、規制対象外だった、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)をはじめとするデリバティブ市場だけだ。
私が問いたいのは、金融市場が規制されるべきかどうかではない。第一、規制されない金融市場などというものは存在しない。そんなことは古代メソポタミアの研究者でも知っている。
真に問うべきは「最も有効に機能するのはどのような金融規制か」という点だ。
最近では単純さより複雑さを、裁量より規制を、個人と企業の責任よりコンプライアンス行動規範を好む方向に、世論が傾いているようだ。
複雑すぎる規制は、治療法を装った病そのもだというのが、私の持論だ。

複雑な金融界の脆弱性を軽減するには、規制を簡素化するとともに、執行を強化するしかない。
法の支配の最も破壊的な敵の一つは「悪法」だ。
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アダム・スミスが論じたように、国家が定常状態に達するのは、その「法と制度」が衰退し、エリートによるレントシーキングが、経済と政治のプロセスを支配するときだ。
これこそが、まさに今日の西洋世界の重要な分野で起きていることだと、ここまで論じてきた。
公的債務〜公表された債務と潜在的債務の両方〜は、古い世代が、若者やまだ生まれぬ者達にツケを回して暮らす手段と化した。 規制が機能しなくなった結果、体制の脆弱性は高まるばかりだ。
活気ある社会では革命を起こす力をもつ法律家も、定常状態の社会ではただの寄生虫でしかない。そして市民社会は、企業の利害と大きな政府に挟まれた、単なる無人地帯に成り果てている。これら全てをひっくるめたものが、私が「大いなる衰退」と呼ぶものだ。
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「規制」によらない方策としてどのような解決法があるのか、著者の持論は以下の通り。
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アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカの民主政治』によると、トクヴィルはアメリカの政治団体を、近代民主主義における、多数派による専制政治に対抗するうえで、なくてはならない拮抗勢力と見なした。だが、彼が強く関心を惹かれたのは、非政治団体だった。
しかし、建国当初の合衆国が持っていた協同的な活力は、その後大きく失われている。

ロバート・パットナムによれば、アメリカの伝統的な協同的活動の終焉をもたらしたのは、テレビからインターネットに至る、様々な科学技術であると言う。
だが、私の考えは違う。 Facebookなどが生み出すソーシャールネットワークは、巨大だが非力だ。オンラインコミュニティが伝統的な形態の団体にとって代わるとは、とても思えない。
市民社会の空洞化をもたらしたのは、技術ではない。
市民社会の真の敵は、科学技術などではなく、国家〜と「ゆりかごから墓場までの生活保障」という魅惑的な約束〜だったのだ。
政府は過去50年間にわたって、市民社会の領域を過度に侵害するようになった。
このことは、初等教育などの例にみられるように、民間部門の提供が不十分だった分野では、それなりの恩恵があった。だが同時に深刻なコストももたらしている。

わたしは、地域住民の自発的で能動的な活動が、集権的な国家の活動に優ると信じている。
それは単により良い成果をもたらすだけでなく、もっと重要なことに、市民としての我々にも、よりよい影響を与えてくれるはずだ。なぜなら、真の市民権とは、ただ単に票を投じ、金を儲け、法の正しい側にとどまるだけのことではないからだ。
それは行動の規範を育み、順守することを学ぶ場である。家族を越えた幅広い集団、つまり「部隊(トループ)」に加わることでもある。
そこで我々は、一言で言えば、自らを治めることを学ぶ。子供達を教育し、無力な人を思いやり、犯罪と戦い、通りをきれいに保つことを学ぶのだ。
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リアルなコミュニティが鍵を握るという点においては非常に共感できる考え方である。
それにしても「SNSは巨大だが、非力だ」と言い切るのはスゴい。

著者は「都市化」という点においても一つの解決の鍵になるという見解を示しているが、これは逆ブレするリスクもあるという認識を示している。
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物理学者のフェフリー・ウェストは、都市化のプロセスでは(インフラにおける)規模の経済性と、(人間の創造性における)規模に関する収穫逓増がともに働くことを示した。都市は豊かな生活を生み出す源泉である。都市は富の創出、創造性、イノベーション、発明の中心地だ。都市こそが刺激的な場所だ。それは人々を吸い寄せる磁石なのだ。
ウェストは、サンタフェ研究所の同僚達と2つの驚くべき統計的規則性を発見した。
一つは、あらゆるインフラの数量〜道路の総距離から電線やガス線の全長まで〜が、ガソリンスタンドの数と同じ割合で増えていった。
別の言い方をすると、都市の規模が大きくなればなるほど、一人当たりに必要なガソリンスタンドの数は減った。規模の経済の弾性値は0.85近辺でほぼ一定だった。(都市の人口が100%増加するごとに、一人当たりのガソリンスタンドの数を85%だけ増やせば良いという意味)
もうひとつの驚くべき規則性についてウェストはこう説明する。
社会経済的な事象、たとえば賃金、教育機関の数、生み出される特許の数などは、我々の言葉で言えば「超線形」に増加した。
弾性値は規模の経済の存在を示す1未満ではなく、1を超え収穫逓増を示した。
つまり系統的(システマチック)に言って、都市の規模が大きいほど、期待できる賃金は高く、教育機関の数は多く、より多くの文化的催しが開かれ、特許がより多く生み出され、より革新的な都市になった。
注目すべきことに、全てが同程度に増加した。 約1.15倍という、共通の弾性値が存在した。
都市の規模が2倍に、つまり人口が倍増すれば、生産性、特許の数、研究機関の数、(一人当たりの)賃金が系統的に約15%上昇・増加し、道路の総距離や一般的なインフラは、系統的に約15%節約できる。

これはネットワーク効果という点から説明するのが一番分かりやすいだろう。もちろん、負の外部性も同じくらい大きい。都市の規模が大きくなると、犯罪、病気、汚染の問題が不釣り合いに大きくなることが多い。

本書の議論は、都市化の正味の恩恵が、都市が機能するための制度的枠組みによって条件づけられることを示唆する。
有効な代議政治、ダイナミックな市場経済、法の支配への支持、国家から独立した市民社会・・これらが見られる場所では、人口の密集がもたらす便益が費用を上回る。
しかし、こうした条件が揃わないところでは、逆のことが当てはまる。
別の言い方をすれば、しっかりした制度的枠組みの中にある都市ネットワークは、ナシーム・タレブのいう「抗脆弱的(antifragile)」になる。つまり、摂動にさらされると、それを持ちこたえるだけでなく、却って力を増すような形で進化するのだ。(ドイツ軍による大空爆を受けた際のロンドンのように)
だが、こうした枠組みに欠ける場所では、都市ネットワークは脆弱で、比較的小さな衝撃で崩壊しかねない。(紀元前410年に西ゴート族の略奪にあった際のローマのように)
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著者の持論を個人的理解でまとめてみると
・現在西洋社会を襲っている「大いなる衰退」は、地政学や民族上よりも影響力を持つ「規制」が既に制度疲労し始めている。
・そのためには、規制を弱め、執行を強化すべし。
・リアルな接点こそ重要。
・都市化は非常に重要だが、一定の条件をちゃんと満たさないと逆ブレして却って崩壊が速まる。
といったところか。

過去の知識人の著作やら発言やらが引用されるので、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』と同じ難解さを感じたが面白かった。