2011年2月19日土曜日

『これからの「正義」の話をしよう』

NHKの放送でも有名になったマイケル・サンデル ハーバード大学教授の著作。
先に東京大学で行われたサンデル教授の授業のTV放送を見たのだが、授業のテーマは面白かったものの、結局サンデル教授の意見がどうなのかがサッパリ分からなかった。
そこでこの大作を読んでみることとした。
正直、手強かった。具体的な話をふんだんに盛り込んで分かりやすくしてくれてはいるもの、テーマがテーマだけに抽象的な部分になると哲学書並みに反芻が必要となってくる。
ほぼ丸々ひと月位かけて3回通読するような感じとなった。

これに関しては、まとめ本が出ているくらいらしいので詳細はそちらに譲るとして、ざっくり言うと、
正義に関する三つのアプローチとして
①功利主義(幸福の最大化)
②自由至上主義(リバタリアン)
③正義は美徳や善良な生活と深い関係にあるとする理論(美徳の奨励)
が挙げられる。
①の代表格としてジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミルなど
②の代表格としてイマヌエル・カント、ジョン・ロールズなど
③の代表格としてアリストテレス
を挙げている。

読む前に疑問に思っていた「サンデル教授はどう思っているのか」については、以下の通り記載されている。
「正義と権利を巡り白熱した議論が繰り広げられている問題の多くは、賛否両論ある道徳的・宗教的問題を取り上げずには論じられない。国民の権利と義務をいかに定義するかを決めるにあたり、善良な生活を巡って対立する考え方を度外視することはできない。たとえできるにしても望ましくはないだろう。」
「功利主義的な考え方には欠点がふたつある。一つ目は、正義と権利を原理ではなく計算の対象としていることだ。二つ目は、人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準にあてはめ、平らにならして、個々の質的な違いを考慮しないことだ。
自由に基づく理論は、一つ目の問題を解決するが、二つ目の問題は解決しない。
公正な社会は、ただ効用を最大化したり、選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味を我々が共に考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはならない。
正義にはどうしても判断がかかわってくる。正義の問題は、名誉や美徳、誇りや承認について対立する様々な概念と密接に関係している。正義は、ものごとを分配する正しい方法に関わるだけではない。ものごとを評価する正しい方法にもかかわるのだ。」

結論をいうとサンデル教授は③の論を支持している。
③の支持者は次に「では公正な社会のための善良な生活とはどのようなものか?」という問いに答えなければならない。
(この問いに答えられないが故に、①功利主義者②リバタリアンは善良な生活という概念から中立な正義の原理を見つけようとしたと言っても過言ではない)
この問いについてはサンデル教授は、「答えをだすことはできないが、いくつか具体的なヒントを示すことができる」としている。


暴走する路面電車の事例として、5人の作業員の命を救うために、罪の無い一人の犠牲を出すのは是か非か、という問いが出てくる。
人間であれば、「そんなのその時にとっさの判断だよ」と逃げることができるが、これから到来するであろうロボット社会においてはどうなるのであろうか。
ロボットはアルゴリズムで動く。我々はいずれ「正義」についてプログラミングする必要性がでてくるのだ。

アイザック・アシモフのロボット工学三原則
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
がベースになるとすると、暴走する路面電車の事例ではロボットはフリーズして動くことがない(何もしない)ということになるが、救える人間の数が5人ではなく100人、もしくは何十万人の市民となった場合に、ロボットはどう判断するのであろうか。
そしてそれは正しいのであろうか。

未来学者のアルビン・トフラー氏が21世紀は「人間の再定義の時代」と話していたのを思い出した。

『火天の城』

会社の若手を歴女に育てるプロジェクトがあって、入門編として良いかと思い『のぼうの城』を貸したら、お礼にといって貸してもらった本。
安土城築城の話を通じて、その棟梁親子の姿と織田信長の一面を描いている。
棟梁岡部又右衛門親子の姿を読んで、薬師寺西棟を再築した昭和の宮大工、西岡常一氏のことが頭に浮かんだ。
やはりと言おうか、巻末の参考文献には西岡常一氏の著作が挙げられていた。
どんな部類であれ、匠の技は見ていて気持ちがいい。
自分の仕事も匠の技レベルまで高めたいものだ。

2011年2月6日日曜日

ル・パティシエ ヨコヤマ

テレビチャンピオン ケーキ選手権三連覇というパティシエ横山氏のお店。

カミさんが食べたがっていたので、津田沼周辺実査に合わせて谷津のお店に行って来た。

こじんまりとした店内はお客が一杯。
3時頃だったが定番の岩シューは既に売り切れ。
もう一つのお目当てのモンブランと、勧められてその場でクリームを入れるコルネを購入。

会計時にはドラマ「バンビーノ」の北村一輝を中年にしたようなオジサマが、やはり北村一輝ばりの濃い微笑みを浮かべながら、手をおしいだくようにお釣りを返してくれた。奥様方にはうけるのかもしれない。
接客で面白かったのは、お店の中のカウンターで商品を渡さずに、わざわざお店の外まで見送りながら外で商品を渡す点。
そのせいか、従業員はすごく多かった気がする。(女性だけでも7人位はいた感じ)

味は、さすがという感じだったが、モンブランは濃厚で甘すぎて、個人的にはもうすこしサッパリがいい気がした。

2011年2月5日土曜日

柏っ子造形展

下の子供の作品が選ばれたということで、さわやか千葉県民プラザでやっていた『柏っ子造形展』を見に行った。
柏市内の小中学校の授業で作られた色んな作品の中からピックアップしたものを展示するという教育委員会の企画らしい。
会場となった「さわやか千葉県民プラザ」、実はギャラリーの他、各種研修施設、フィットネススタジオ、レストランから宿泊施設まである優れもの。
にも関わらず立地難もあるのか、あまり利用されていないようで、今回の企画も県民プラザの利用実績づくりの意味もあるのか、などといぶかっていた。

単に「選ばれた」という子供の作品を見に行ったつもりだったが、他の子供の作品もなかなかどうして。
完成度としてはつたないモノが多いにせよ、子供達の感性には驚かされるものも少なくなかった。
ちいさなアーティスト達の無限の可能性を頼もしく感じた。