2018年5月26日土曜日

『京大式 DEEP THINKING』

AI研究者で、今は『不便益』研究者である川上浩司氏の著作。
昨今、人間の職場はAIに取って代わられるのではないか、という議論がよく行われている中、AI研究者でもあった氏がたどり着いた意見としては、
「深く考える営みこそ、人間の個性であり一番の強み」
ということらしい。
そして、その「深く考える営み」として相棒は「鉛筆」でなければならない、というのが氏の主張だ。

<「考える」と「深く考える」>

◯「考える」という営みは「recognition=認識」だと解釈している。つまり、「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と認識・確認する作業が、一般的に我々がいつもしている「考える」作業のほとんどだ。
「深く考える」とは、例えば未知のものを目にした時、それは何かを、考えて考えて考え抜いた末に、全く新しい概念が自分の中に形作られることだ。 既知のものであっても、新たな面を見ようと思案する道筋そのものが「深い思考」となり、それによって発想の転換も促される。そのプロセスの果てに行われる、「認知(cognition)」が深い思考だと解釈している。 「試行錯誤」とは「思考錯誤」に他ならないのだ。
◯深い思考とは、「道中(思考そのもの)」に意識を巡らせて「砂利」や「石ころ」をかき集め、そこからまだ誰も見つけていなかったような「ダイヤモンド」を見つける作業と言える。
◯「深く考える」とは「プロセス」であり、必ずしも「最適解」を出すことではない。


以前将棋の羽生善治さんが、
「最近は将棋の世界もIT化が進んで昔の棋譜を一瞬で検索できるようになってきた。それを活用して、若い棋士はある程度のところまでは過去の定石を吸収してすごいスピードで伸びるのだが、ある程度のところまで来ると伸びがピタリと止まるケースが多い。過去のものを効率よく吸収する能力と、新たなものを作り上げていく能力はまた別のものである」
というような趣旨のことを述べられていたことがある。
それと非常に通じるものがあると感じた。

世の中では、「素早い反応=頭の良さ」と言う定義がされているケースが多いが、これは今まで自分の中にある引き出し(既存の概念)を活用して認識・回答をしているに過ぎない。
深く考えるためには、自分の中に新たな概念を形成する必要があり、そのためには時間もかかる(はず)ということだ。

個人的には、「深く考える」ことを”プロセス”と言い切ってしまうのには若干抵抗がある。「(出るか出ないかは別として)最適解を出すことを目標に考え(あがき)続ける」ということではないか。


<深く考える相棒 鉛筆>

◯鉛筆は「物との約束」によって文字を書く。一方PCは「人との約束」によって文字を書く。
私たちの世界を支配している絶対的なルール「物理現象」。物理現象とは、自然界で我々を絶対に裏切らないルール。しかも、全員が体で了解している「物との約束」だ。
そんな「物との約束」の他に、この世には人為的な力や思惑が挟まった「人との約束」がある。
◯鉛筆ではなく、PCでメモを取られると違和感を感じる理由は、この「人との約束」に対する確実性の欠如ともいうべき感覚にある、と私は感じている。
◯最近では「物との約束」に驚くほどそっくりな「人との約束」も登場している。「物との約束もどき」が大増殖中なのだ。「物との約束」に限りなく近い「人との約束」。すなわち「物との約束もどき」は、「自然だから使いやすい」という評価を人々の潜在意識から引っ張り出している。だがやはり、100%物理現象に立脚しきれてはいないので、「物との約束」に比べて「実感」はどうしても薄く、ふとした時に違和感を強烈に覚える。

著者は、「物との約束もどき」の例として、『クレジットカードを使うときのデジタルペン』を挙げている。確かに、銀行や店舗で使うとき、ディスプレイにタッチした時の違和感は否めない。でもこれは技術の進歩でカバーしてしまえるのではないだろうか。「物との約束」に限りなく近くなった際にも、「人との約束」と「物との約束」とは別物であり続けるのだろうか?

◯「コンピュータ」、ひいては「便利」や「スピード(速さ)」とは、話す人とメモを取る人の間に、あるいは個人の思考と最初のアウトプットの間に、システムという「人との約束」を割り込ませるものだ。
「人との約束」が入ることで、反対に「思考」が入る余地がなくなり、深く考えることに集中できなくなる。思考によって生まれる「砂利や石ころ」がこぼれ落ちる。
「人との約束」というワンクッションが入るので、考えてからアウトプットまで時間がかかる。
これほどのデメリットがあるのに、できる人がメモや考え事の際にPCを使うはずがない。「3Dプリンターよりもレゴ」「PCよりも鉛筆」となるのは自然なのだ。


<リスクホメオスタシス>

「リスクホメオスタシス」とは、カナダの交通心理学者 ジェラルド・J・S・ワイルドが提唱した人間の心理で、
「人は安全だと思うと危険なことをする」
というもの。
人間は危険がありそうだと慎重になるが、危険を感じないとリスクを冒す。オープンカーは概ね安全運転されていて、事故を起こしているのは普通の車というのが一つの事例だ。
◯「書きやすいボールペン」だと、「伝わらないかもしれない」というリスクを冒して雑に書いてしまいやすくなる。(だからやっぱりボールペンではなく鉛筆なのだ。)

<「わざ言語」>

「わざ言語」においては、完璧な再現性を求めるようなものではない。言った人と聞いた人がお互いに了解すれば、それで成立するという情報伝達手段だ。
「師匠の動きと完全に一致した動きを再現しなければいけない」というルールなら不合格だが、わざ言語は「教えを受け取って自分なりに解釈し、経験に基づいて自分なりに再現する」というのが前提で指導が行われる。
肝心なのがこの「経験に基づいて」という点で、共通する経験がなければ「わざ言語」による情報伝達は成立しにくい。
この「経験」こそが説明に実感を宿す、言葉の上での「物のコトワリ」的な役割を果たすと言える。
◯わざ言語には、共通の経験は必要だが、受け取り手が独自に解釈する。つまり、考える余地がある。
こう考えると、わざ言語を用いて思考することは、深く考えながら「自分ならではのユニークさ」を生み出す訓練と言える。
◯マニュアル通りの再現なら「これで合格」というのがあるが、わざ言語の上達には頂点がない。

<「深く考えること」と「経験すること」>
◯「深く考える」ことで自ずと得られる益の1つが、プロセスを味わうこと、すなわち経験することである。
つまり、深く考えて物事の色々な側面を探ったり、たくさんの多様な経験をしたりすることで自分に合う方法を見つけ、その方法をまた深く経験する。これが、人間としての魅力「人間力」やスキルを飛躍・習熟させてくれるのではないだろうか。
◯「経験」と「実感」は時間がかかるし、時間がかかってこそナンボ。「考える」というのも時間がかかる動作だし、時間をかけるべき行いだ。
行きつ戻りつしたり、一食戦に結論にたどり着かずにグルグル同じ場所を回ったり、時には道を間違えたり、遠回りをすること。それが「深く考える」ということ。
そんな行為そのものに、「自分だけのユニーク」を見つけるヒントが隠されている。
◯人間が文脈依存的であるとは、「経験(=プロセス)」で「人となり」や「思考の耐久度」が形成されていくということの何よりの証拠である。
「思考という経験(プロセス)」を目に見える形にする際、鉛筆こそ最適のツールだと思う。 鉛筆で何かを書きながら考え事をすると、「思考の連続性」がそのまま残る。

そもそも生物の脳は、思考するためではなく、体を動かすために発達した。その延長で脳を思考のためにもフルに活用し、生物として地球上の生態系に君臨しているのが人間である。そう考えると、深く考えることは経験することの延長上にある(そして、経験は言葉上の「物のコトワリ」として機能する)、というのが腑に落ちる。

<マイクロスリップ>

◯実は「エラー」は思考をさらに深めてくれる。
エラーには次の2つがある。
①ミステイク(意識的に実行された行動に関わるエラー)
②スリップ(意識されないで行なった行動に関わるエラー)
発達心理の研究分野では「しまった」というほどでもない小さな「スリップ」を「マイクロスリップ」と言い、人間の成長に非常に大切なものだという。マイクロスリップをきっかけに新たな発見があり、成長を果たす。
鉛筆での手書きは、マイクロスリップを引き起こす回り道そのものだ。


<不便益について>

不便とは、つまり「思考できる余地がある」ことを示すサイン。自分から工夫して変化を起こすことは、その時点で「不便の益」そのものなのである。
あえて「手段」を引いて一瞬不便にすることは、「何か自分で工夫しよう」と能動的かつ深く考えるチャンスになり、「手段を引く」ことで新しいアイデアが生まれる余地ができるのである。
◯説得力には「本質」と「経験」が欠かせない。 それに「本質」は、スティーブ・ジョブズがそうであったように、シンプルであればあるほど際立つ。
不便益の研究で引き算発想をする際は、「便利な手段」は引いても「経験そのもの」は引かないというルールを設けている。
◯便利にできてしまうものは、価値が薄まってしまう。 これは、数が増えることで、「価値の割り算」が起きている現象である。
◯鉛筆はギリギリまで引き算された本質的なツールだから「物とのコトワリ」がダイレクトに感じられ、考え事にも適しているということだ。


「なぜ鉛筆を使う必要があるのか?」という著者の”鉛筆愛”について、様々な理屈をつけて述べている本とも言えるが(笑)、その一つの切り口として「物との約束」と「人との約束」という新概念まで持ち出している。
これが案外深い切り口で、最初は”?”ということだったが、だんだんモヤモヤして腑に落ちたような落ちないような感覚は、良いワークショップに参加した後のような読後感である。
この本をテーマとした読書感想会をゼミかなんかでやったら面白そう。

2018年5月13日日曜日

『世界で一番やさしい 会議の教科書 実践編』

生涯で会議に費やす時間は3万時間に及ぶらしい。
一日10時間働くとしても、約8年分。。
この会議の生産性を上げるためのノウハウ本。
ファシリテーターとして参加する場合にも、隠れファシリテーターとして参加する場合にも、実戦の仕方についてまで記載されており、非常に実用性の高い本。
本を読んでいて、自分のメンバーに読ませたいと思う本が時々あるが、この本は是非読ませたいと思った。

<ファシリテーションの本質>

ファシリテーションとは「ゴールを達成するために、人々の能力を最大限に引き出す技術」のこと。
ゴールがない活動をファシリテーションする(容易にする、促進する)ことはできない。逆に言えば、ゴールがある活動なら、何でもファシリテーションできる。

<ファシリテーションのスタイルと8つの基本動作>

1.「確認する」ファシリテーション
 基本動作① 終了時に、決まったこととやるべきことを確認する
 基本動作② 開始時に、会議の終了条件を確認する
 基本動作③ 開始時に、時間配分を確認する
2.「書く」ファシリテーション
 基本動作④ 会議中に、議論を可視化する
3.「準備する」ファシリテーション
 基本動作⑤ 会議前に、準備する
4.「矢面に立つ」ファシリテーション
 基本動作⑥ 会議中に、全員から主張を引き出す
 基本動作⑦ 会議中に、対話を促し合意形成する
 基本動作⑧ 会議後に、振り返りをする


<終了条件の確認>

目から鱗だったのが、「開始時に、会議の終了条件を確認する」ということ。
当たり前のようだが、会議の目的が「〜すること」で表現されていてはだめ。
特に代表的なNGワードは「〜を共有すること」「〜を議論すること」。
することは手段であり、目的にはなり得ない。
会議の目的は「終了条件」で考える。「どんな状態になったら、この会議は終われるのか」ということ。
会議は何らかの「状態の変化を起こす」ためにやっているはず。

〔終了条件を考えるコツ〕
・「すること」ではなく、終了条件で考える
・「すること」が頭に浮かんだら、「その結果、どういう状態を作りたいのか」と自問する
・終了条件は、終了したかどうかを判定しやすい形で表現する

終了条件は、会議によって「何を変化させたいか」を考えてみることから始めてみると設定しやすい。
変化させたい対象は、人の状態、物理的なモノ、そして意思・合意、の3つ。


<議論の可視化>

発言を書かない会議は「目隠し将棋と同じ」というのも言い得て妙。
「各自が手元でメモを取ればいい」というのも実はナンセンス。同じ内容を、自分だけがわかるようにメモしているのは無駄が多い。


<3つの基本的な質問>

〔ファシリテーターの基本的な3つの質問〕
①発言を正確に理解する質問:「具体的には?」 抽象的な表現だと参加者の理解がバラバラになる。
②発言の真意を理解する質問:「なぜそう思うのですか?」 発言の後ろにある背景を尋ね、確認する
③漏れがないか確認する質問:「ほかにありませんか?」 発言に漏れがないか確認できるとともに、そのまま芋づる式に他の発言を引き出す。

<対話を促し合意形成する>

質問や意見が出たら、話を横に振るだけ。これで全員の議論が活性化された状態を作れる。
会議はファシリテーターだけで作るものではない。参加者全員で作るものだ。だから、必ずしもファシリテーターが答える必要はない。
むしろ答えるのを我慢して、別の参加者に振った方が良い。
個人に立脚した発言、つまり質問、意思表明、提案の3つの発言が出たら、横に振ることを考える。
「こういう意見が出ましたが、●●さんはどう思いますか?」と話を横に振る。
これで1つの意見を触媒にして、全員で議論する構図となる。

ファシリテーターをやっていると、ついつい質問には自分で答えなきゃと思ってしまうが、むしろ参加者に答えてもらった方が議論の活性化に繋がって良い、と言うのも新鮮な考え方。


<合意形成の氷山モデル>

「合意形成の氷山モデル」を意識しながら議論を進める。
氷山の上に見えているのは、「意見やアイデア」。分かりづらい時には「具体的には?」という質問で霧を晴らしていく。
氷山の下は発言者の「経験や価値観。氷山の上に見えている意見やアイデアは、その人の過去の経験や価値観が土台となって出てきている。「なぜそう思うのか?』という質問で紐解いていく。
明らかになった各自の氷山を、「話を横に振る」ことで他者にぶつける。
意見を引き出す場合は、まず氷山全体が明らかになるように質問をし、対話を促す場合は、氷山の『下』同士をぶつけ合うように議論を促す。
シンプルに、常に氷山モデルをイメージしながら参加者を観察し、発言や主張を引き出す。引き出したら横に振る。ファシリテーターが行うことはこれだけで良い。
更に言うと、ファシリテーターがあまり介入しなくても、参加者同士が理解し合い、自然に合意形成できる状況を作るのが最も重要。

<場面に応じた質問の仕方>

◯オープンクエスチョンが有効なのは、場が温まって、参加者をちょっとつつけばパッと意見が出てくるような雰囲気の時だけ。
冷え切った雰囲気の時は、名指しで答えやすい質問(クローズドクエスチョン)をするのが良い。
◯何を考えれば良いのかイメージしやすい質問をする。
コツは、相手が頭を使う余地を狭めていくこと。思考の変数を減らすと言っても良い。
◯今日話をしているのは、全体のどの部分なのか、わかるようにしてから質問する。


<問題解決の5階層>

第1階層「事象」:単なる事実であり、人の主観は入らない。
第2階層「課題」:現状の困りごと。解決したいと考えること。
第3階層「原因」:課題が発生している理由、背景。
第4階層「施策」:課題を解決し、現状を目指す姿に近づけるための打ち手。
第5階層「効果」:施策を実行するには投資が必要になる。リスクも伴う。得られる効果の大きさも施策ごとに異なる。

議論には上記5つの階層がある。5つの階層のうち、下の階層の議論の認識があっていないと、それより上の階層の認識は合わない。
話が噛み合わないのなら、下の階層の議論を先にやるべき。
得てして「施策」と「効果」がごっちゃになる。
そして、問題解決の5階層の先には、実現したい世界や目指すべき姿がある。この意義や目的が一致していないと噛み合わせは悪くなる議論が空転する。


<定例報告会>

会社でも毎週行うグループ会ではプロジェクトの進捗状況確認があるのだが、この進め方については色々と悩んでいたら、やはり「プロジェクトの進捗報告会」「定例報告会」は難易度が高いのだそうだ。
「定例会は進捗を報告すること」だと思い込んでいるが、「すること」は目的たり得ない。
目的として、どんな状態を作りたいのか、を定義する必要がある。
例えば、「解決すべきことを見つけ、外部のテコ入れが必要かどうかを見極めた状態を作ること」を定例会の目的とするとか。
そうすると進捗を確認するのも、課題を確認するのも、全ては「解決すべきことは何か?」「問題解決を各チームに任せておいて大丈夫か?」「チームメンバー以外の人が介入する必要はないのか?」を見極めるため。

終了条件を上記のように設定したなら、それ以外のことは極力やらないようにする。
「チームの状況はどうか」
「予定通りに進んでいないことは何か」
「解決すべき課題は何か」
にフォーカスして確認すべき。
「手伝わなくて大丈夫か?」「解決の勝算はあるのか?」「根深い問題なきがするけど、あの人を巻き込まなくてもいいのか?」 といった質問やアドバイスが活発に飛び交うのが正しい定例会の姿。

本を読んでから、少しずつ実際の会議でも導入し始めているが、著者も「分かること」と「できること」には大きな隔たりがある、と言っている。
隔たりを少なくすべく日々精進しよう。