2015年8月7日金曜日

山口紀行 その5

いよいよ山口紀行のラストに向けて、気がついたこと等をおさらい。

<タクシーの運転手との会話>
・新幹線が通ってから、下関が単なる通過駅になってしまった。日本水産、マルハニチロなどは元々下関発祥の企業なのに、今では本社はおろか、支社も撤退している。
・実は下関市は山口県最大の都市(下関市26万人、山口市19万人。ちなみに萩市は5万人)。
・安倍首相も下関市出身。(でも小学校から大学まで成蹊なので、下関にいたのはちょっとだけ)
・下関では「ふぐ」ではなく「ふく」(「ふぐ」だと「不具」につながり、「ふく」だと「福」につながるから)


・運転してると気づくが、山口県のガードレールは黄色。これは昭和38年に行われた国体の景観整備の一環で、山口県特産の「夏みかん」の色に統一したもの。
 確かに運転していると、センターラインの黄色と相まって中々悪くない。(メンテナンスは大変そうだけど)
・萩のお母さんNPOの人たちもそうだったけど、自分でPOPとかつくってアピールしちゃう文化がある。その分、「◯◯発祥の地」とか「◯◯記念の地」とか観光場所がすごく多い気がする。
・九州圏で醤油が甘いので、イカを食べても甘く感じる(柔らかいだけでなく甘く感じるので「イカが美味い!!」となりやすい)


いやいや人生初山口だったが、非常に楽しく勉強になりました。


千畳敷の空に浮かぶ岬のカフェ、
カントリーキッチン


有名な塩キャラメルクレープ



東後畑の棚田。
美しいのは5月〜6月とあったが、8月も青々。
でも写真とってみて思ったけど、
田んぼの切れ目が見えた方がキレイなので
稲が育ち過ぎてない5月〜6月がいいのかも。
カメラマンの皆様へ。
「農家の方に指示や注文はしないで下さい」
きっといたんだな、注文するカメラマン。


CNNの「日本の最も美しい場所31選」に選ばれたという
元乃隅稲荷神社。
先端の「竜宮の潮吹」を見に行ったんだけど
それは北風が強くて並の高い日しかみれないらしい。
でもこの稲荷さん、お賽銭箱が面白いところに。



なんと鳥居の上。
みんな運動会よろしくお賽銭を投げまくっていた。









山口紀行 その4

金子氏のアトリエ。
ナビ入れても最初迷っちゃって、
金子さんから「迷ってませんか」と折り返し電話きちゃう。
金子司さんという作家の作品が色んな萩焼のお店においてある。
スポイトでつくる作風で、他の萩焼とは一線を画したデザインなので、作家名が出ていなくても誰の作品かすぐ分かる。
萩焼会館という所に寄って萩焼のことを学ぼうかと思ったけど、そういう場所でもなかったみたいでよく学べず。
(前日のお酒好きな某萩焼店店主の方が色々知っていて教えてくれた)
そんな中、移動途中にあるカネコツカサさんの工房(アトリエ)を尋ねることにした。

工房って言ってもショップ併設なんだろうと思って、観光ガイドに「要予約」とあったので念のため電話をすると、電話に出たのが何とご本人。
「今日今からなら時間ありますよ」
なんかイメージしていたのと違いそうだと思いつつ工房に伺うと、ショップなどというものはなく、完全な「工房」(一応、一室には作品が沢山置いてあって確かに購入できるんだけれども、そんなところを観光ガイドに出す編集はいかがなものかと思いつつ)
作家ご本人が、何故か時間を割いて色々教えてくれて、作り方まで見せてくれた。
(本当はビデオに収めたいくらいだったが、それやると機嫌を損ねてお話聞けなくなるリスクを考え記憶の中に)
1時間半くらい色々話しを聞き実際に見せてもらっただろうか、お忙しいだろうに非常に勉強になった。

その中での金子氏からの教えをいくつか。
・珈琲カップの色について。濃い色だと濃い味を想定するので、本当に濃い珈琲でないと薄味に感じる。逆に薄い色だと薄い味を想定するので、濃い味だとより濃く感じる。
良いカップは珈琲が(黒ではなく)赤く見える。
・勾玉の狭い部分は切れることを暗示する。そこからお酒を注ぐのは縁起が悪いので、徳利は口のない部分から注ぐ。だから自分は徳利でも瓶子のように口をつくらないのが多い。そうすると花瓶にも使える。
・お猪口は肘を上げながら奥側を上から持つのが正式(平盃で飲む感じ)。時代劇でもそういう細かい所作を大切に撮影している。
・お酒を飲む姿が様になる(口を迎えに行くのではなく、呑む時に手首を返して呑む)ように、お猪口はあえて下を重くなるよう作っている。(バカラのグラスをイメージされたし)
・長い首形状は「鶴首」と言われる。六角の「亀」と合わせると縁起が良い。竹も持ってくると縁起物三点セットになるが、竹モチーフをもう一つもってくると逆の意味合いになる。竹は2本で節が合うと「ふしあわせ」になると言われている。(実際的には建築的に節が合わない方が強度が出るため?)
・韓国では、取り皿という概念がない。(というより「個人の取り皿」というのは日本独自)。
・韓国では、自分だけに取るという考えにつながるとして「取り皿」の概念がない。食器も金物のモノが多く、韓国の焼き物作家は自国内に需要が無くて苦労している。
・元々焼き物は韓国から来たが、韓国から来ている焼き物の素晴らしいものは何万も作ったうちの良い一枚。
・皿を手に持って食べる文化も日本独自。西洋では大皿が置いてあって皿の上に皿を置いたりする。だから日本の皿は端が高く、惣菜等が盛りやすくなっているのに対し、西洋の皿は端が低く、大判で安定している。(ナイフで皿の上で切り分けたりするため)


お話を聞いて、金子さんワークショップやったりしているし、キノコの焼き物のアートなんかを見ると、萩焼名人というよりは、萩焼をベースとしたアーティストだ。
まだまだ若い方(45歳前後?)なのでこれからが楽しみ。
(萩焼職人としては、50歳代はまだ若手らしい。by昨日ヒアリングした某萩焼店店主)
人柄も素晴らしいし陰ながら応援しよう。

アート作家の生活ってどんな感じかと興味本位で聞いてみた所、
「昼は色々事務をこなしたり人と会ったり。夜は5時間睡眠とるようにして、その他の時間は製作に費やす。個展の前だったりすると18時間近くやり続けたりする。」
とのこと。人と接する以外は萩焼と向き合っている感じがする工房であった。




山口紀行 その3

萩の町並み。
なまこ塀が続いていたり、昔の町並みが残っている。
続いて萩の町観光。
萩と言えば吉田松陰をはじめとする幕末の志士達所縁の地。
色々と考えることがありました。


吉田松陰と久坂玄瑞と高杉晋作。
多分等身大なんだけど、昔の人は身長が低かったらしい。


松下村塾。ここからたくさんの志士が輩出された。

萩城(別名指月城)。
明治になって山口に県庁が移って萩は衰退し始めた。


高杉晋作。生家も萩。
高杉晋作の生家に展示してある人相書。
西郷隆盛のもあるけど、
これじゃ捕まえられんでしょう。
旧久保田家住宅。
江戸、明治と続いた豪商の旧宅。
NPOのおばさまが懇切丁寧に説明してくれて
すごく勉強になった。
拝観料はたったの100円。

60cm×7mもの杉の一枚板。
説明されなければ
その貴重性は分からなかった。
お成り通りに面した格子。
向こうからは見えずに、こちらからは見えるよう
内側に削れた台形につくってある。
通りに面した扉。昼間は一間あき、
夜は潜り戸になるよう、二段構えの作りになっている。
そして、潜り戸は閉めると自動で鍵がかかる
自動オートロックになっている。スゴい知恵。
石も山から採れた石と海から採れた石や
珪化木(石化した木)を使っている。
山から採れた石は苔むすが、
海から採れた石は苔むさない。
でも、よく考えると吉田松陰って、シビアに見ると何も成し遂げずに30歳でこの世を去っている。
実はコトを成し遂げたのはその教え子達。
ちょっと成果盛り過ぎ?って気がしなくもないが、そういう名前の遺し方(人を育てたという成果)もあると思った。

山口紀行 その2

続いて秋芳洞・秋吉台へ。
秋芳洞は、聞きしに勝る鍾乳洞。
場所ごとにまったく違った趣きを見せてくれる自然のテーマパークだ。
洞の中は気温17度ということでヒンヤリ。

秋芳洞入口。ここに至るまでのお土産通りも楽しい。
鍾乳洞に入るまでの緑陰がまた素晴らしい。










「10億年タイムトンネル」
この謎のトンネルも趣向として面白い。

秋吉台。
風と緑が心地よい。

秋吉台の中の長者ヶ森。
ここだけこんもりと林になっている、
パワースポット。

というわけで山口紀行まだ続く。

山口紀行 その1

ボーイスカウトの世界大会、世界スカウトジャンボリー(4年に1回開催)が、今年は44年ぶりに日本で行われるということで、見学に。
ついでに山口を巡る旅にでかけることにした。

・ネットでじゃらんで申し込んだが、申し込み非常に楽チン。
 ちょっと改善して欲しい点があるとすると、各々のホテルの料金が分かりにくいこと。

羽田空港から山口宇部空港へ。
空港のレンタカーはトヨタレンタカーの一人勝ち。
プロモーションの差か。

















町をあげて世界スカウトジャンボリーを盛りたてている。



世界スカウトジャンボリー会場。山口きらら浜。
だだっ広い。。
 





「ネッチ」だけが統一ドレスコード。
ネッチしてなかったら
スカウトって分からないであろう人多数。
敷地内には地元のスーパーが出店。
売っているものは普通に日本に売っているもの。
女性の生理用品とかも売れているみたいだった。
ワッペンの交換はスカウトの楽しみ。
サイトでは公用語は英語。
スペルミスはネイティブにしっかりチェックされる。
サイトでは水分をとるため、自衛隊の給水車が活躍。
というわけで、自衛官もちゃっかり募集。

サイト内は非常に暑い(殺人的)。
ミスト+送風という切り札も焼け石に水状態。
という訳で、水浴びプールをやる国も。(いいのか?)
韓国のカブスカウトらしき集団が観光していたり、参加プログラムに周辺観光もあるらしい。
地域にとっては非常にありがたいイベントか。
でもなんで日本の中でも山口県のきらら浜だったんだろう?
色々考えてしまう。

山口紀行つづく。




2015年8月2日日曜日

『新戦争論』

池上彰氏と佐藤優氏の対談。
この二人、どちらも話しが「分かりやすい」。
しかしこの二人は趣向の違うわかりやすさである。
佐藤氏のは発言が直球なので「分かりやすい」。池上氏のは広範な知識から説明の仕方を練り上げている感じで「分かりやすい」。
そんな二人の対談。
『新戦争論』とあるが、国際情勢全般という感じで勉強になった。


<集団的自衛権について>

・実際には「集団的自衛権」なるものが発動されるケースなどない(「個別的自衛権」で十分)
・「戦闘状態の地域には自衛隊は行かない」というのが、今回の集団的自衛権に関する閣議決定の縛り。これは公明党が従来の枠組みを超えて、自衛隊が海外に出動できないようにねじを締めた、という見方もできる。
・「イスラム国」やアルカイダなどは主権国家というカテゴリーではない。サイバー空間における攻撃も考えられる。21世紀の戦争においては、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を区別して対応するのはそもそも無理。


国際情勢については、中国、朝鮮、アメリカなど様々なエリアについて書かれているが、二人とも中東についての知見がすごいので、自ずと中東問題については紙面を割くことになっている。

<イスラム教概説>

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イスラム教徒は大きく「スンニ派」「シーア派」に分かれる。預言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立。
ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、預言者の代理人。このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべき信者とで意見が分かれた。
当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があったほうの後継者が続いた。
四代目でようやくアリーという、ムハンマドの従兄弟であり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子供は、ムハンマドの血を引いていることになる。
アリーとアリーの血を引くものこそがカリフに相応しいと考える信者達は「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになった。 党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称される。
一方、血統にこだわらないでイスラムの習慣を守ればいいと考える信者達は、「慣習(スンナ)派」と呼ばれた。(日本や欧米では「スンニ派」)
全世界のイスラム教信者の85%がスンニ派が占め、シーア派は15%。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイラン。
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<シリア情勢>

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もともとシリアでは、イスラム教シーア派系のアラウィ派のアサド一族が、国民の70%を占めるスンニ派の住民を抑圧する構造になっていた。 今のシリアのバッシャール・アル=アサド政権は、アラウィ派によって成り立っている。
アラウィ派がシーア派だとされたのは1974年くらいからなので、イスラム教の長い歴史の中ではつい最近のこと。
それもアラウィ派がレバノンのシーア派に認証を強いた結果。
アラウィ派というのは「アリー」、つまり第四代カリフだったアリーに従う者、という意味。いうなれば、「自分達アラウィ派はアリーに従う者なのだから、シーア派として認めて欲しい」という理屈。
しかし、イスラム本来の教義においては、人が死んだらこの世の終わりがくるまで地下で眠って待つ。そして終末のときに、死んだ人は、みんな土の中から蘇り、神の前で最後の審判を受けて天国へいく者と地獄へいく者とに分けられる。
ところが、アラウィ派は輪廻転生を認めていて、現世で悪いことをすると犬畜生に生まれ変わることもあるという、ヒンズー、仏教的な、いかにもアジア的な要素が入っている。
だからスンニ派からしてみれば、イスラム教として認め難い。
そもそもアラウィ派は輪廻転生説が中心。シリアの北西部に神殿があり、そこにキリスト教崇拝も加わっているが、何よりも特徴的なのは、基本的に同族結婚であること、あの地域の被差別民だということ。
シリアは、第一次大戦が終わった1918年、それまでの植民地支配から国際連盟のもとでフランスが委任統治をすることになった。
すると、フランスは現地の行政、警察、そして秘密警察までをアラウィ派に担わせた。
政治を全て被差別民にまかせることで、フランスへの依存から逃れられないだろうという計算があった。

シリア問題の第二のポイントは、シリアには野党勢力がないという点。
一連の「アラブの春」では、ほとんどの国で「ムスリム同胞団」という反政府勢力の名前が聞かれた。これはエジプト出自の組織。
そのムスリム同胞団がシリアにはいない。かつてはいたが、現在のバッシャール・アル=アサド大統領の父親のハーフィズ・アル=アサド前大統領が皆殺しにしてしまった。
シリアでは少数派であるアラウィ派のアサド政権が、多数派のスンニ派住民を抑圧してきたので、スンニ派住民が自由を求めて決起した。
アサド政権がこれを弾圧すると、政府軍の中にも自国民を殺すのは嫌だ、という離反者が出て「自由シリア軍」をつくって内戦状態になった。
そこにスンニ派国家サウジアラビアやカタールが大きく支援を入れて、反政府勢力が豊富な資金と軍事物資を持つようになった。
その自由シリア軍と政府軍がぶつかり合っているところに、レバノンからシーア派の過激組織ヒズボラ(神の党)がアサド政権の支援に入って、一気に政府側が盛り返す。
サウジアラビアとカタールも、シリアに自前の反体制派を抱えていたが、最終的にはそこにアルカイダ系の人間が入り込んだため、ますます収拾がつかなくなった。

そこにつけこんだのが、「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」、今の「イスラム国(IS)」。
はじめはイラクのスンニ派地域に「イラクのイスラム国」という名のごく少数の勢力として存在していて、支持拡大は果たせなかった。
ところが隣国のシリアで紛争が始まったので、しめたとばかりに「シャーム(シリア・イラク地域)のイスラム国」と名前を変えて潜り込んでいった。喩えていうなら、1970年前後の日本の革命運動勢力の一部がやったような一種の「加入戦術」。反政府勢力に入り込んで横取りしていく作戦。
彼らは、まるで親アサド派であるように、どんどん勢力を伸ばし、イラクに凱旋して戻ってきた。この過程で世界各地から「聖戦に参加したい」という若者達を集めて組織を大きくした。
そして、シーア派のマリキ政権によって不利な立場に追いやられていたスンニ派住民の支持を受けて、イラク北西部を制圧し、首都バグダッドに向けて進軍を開始した。一時はイラク政府軍が総崩れになるところまでいった。
もともとアルカイダ系だったが、あまりの特殊さと残虐さゆえにアルカイダからも破門されてしまった過激な組織。

シリアは2014年6月3日に大統領選挙を実施し、複数の大統領候補が初めて出たことを世界に誇示したが、本当に重要なことは、ダマスカスから北西部に至る地域においても人々がちゃんと投票にいった、つまり政府が実行支配していることが国際社会に対しても明らかになったこと。近い将来にアサド政権がつぶれることがないということがはっきりした。だから、シリアで活動していた「イスラム国」の連中も「アサド政権はまだもつ。いま戦っても勝てない」と、シリアよりも国家統治機能が弱いイラクに移動した。
それと彼らがイラクに移動したのは、油田の獲得。シリア最大のオマル油田を押さえたが、日量7万バレル程度の産出量。イラクの油田はクルド族が押さえているキルクーク油田だけでも1日数十万バレルは産出できる。
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<スンニ派について>

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スンニ派は4つの法学派から成り立っている。
まずハナフィ−法学派。これはトルコに多い。
次にシャーフィイー法学派。これはインドネシアと、ロシアの北コーカサスにいる。
それからマーリキ法学派。エジプト、チュニジア、リビアにかけての地域にいる。
上記三つは忘れてもいい。各社会の慣習や祖先崇拝と適宜折り合いをつけていて過激になりにくい。
過激な運動が出てくるのは、四番目のハンバリー法学派。これは原理主義そのもの。
コーランとハディース(ムハンマドの伝承集)しか法源として認めない。だからお墓に一切価値をおかないし、聖人を認めない。
アメリカが「オサマ・ビン・ラディンの墓が出来るとそこが聖地になる危険性がある」と言ったことがあるが、彼らの教義からしてあり得ない。

このハンバリー派の中のかなり急進的なグループがワッハーブ派。これは他称で、自分達ではワッハーブ派とは言わない。
サウド王家のサウジアラビアの国教がこれ。
そしてちょっと乱暴に整理すると、ワッハーブ派の中の最大の過激派で武装集団であるのがアルカイダや「イスラム国」。
その考え方は、アラーは御一人であり、それに対応して天上の法律も一つ、地上の法律も一つ。従って、一つの法律を一つの国家、カリフ国家が体現して、それを支配するのがカリフ皇帝であるという独裁制を狙っている。
サウジアラビアも建前はそう。ところが「今のサウジアラビアは何だ。酒を飲んだりしてけしからん」とオサマ・ビン・ラディン達は非難した。
それに対しては「コーランでは葡萄でつくった酒を飲んだらいかんとされているだけだ。ウィスキーは飲んだって構わない」とか言い訳している。

問題なのは、今、世界的にハンバリー法学派が増える傾向にあること。
キリスト教だと、
メソジスト派だったら関西学院大学や青山学院大学、
バプテスト派だったら西南学院大学、
カトリックだったら上智大学、南山大学、
長老派(カルヴァン派)だったら明治学院大学(アメリカだとプリンストン神学校)、
会衆派だったら同志社大学(アメリカだと)シカゴ神学校
と分かれていて、各派の間の交流はあまりない。
それに対して、イスラムのムスクには神学校が付属しているが、そこでは四学派を全部教えている。 だからハンバリー派に関する知識もみんな持っている。
イスラム世界が動揺すると、本来ハナフィー派やシャーフィイー派で、ハンバリー派が強くなかったところでも、急激に原理主義的なハンバリー派の影響が強まる傾向がある。彼らは複合アイデンティティを持っていて、どのアイデンティティがどの位相で出るかが短期で変わる。
アメリカは分かっていないので、イランのシーア派は「悪い原理主義」だが、サウジのスンニ派は「善い原理主義」だという二分法でアフガニスタンのビン・ラディン達を支援した。イギリス人とロシア人はこのあたりが分かっている。
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<イラン〜シーア派について>

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1979年のイラン・イスラム革命をおさらいすると、ホメイニは12代目のイマームがお隠れになった後(ガイバ状態)、再来するまでの間は、イスラムの教えを極めた人間、イスラム法学者の中の最も優れたアヤトラと呼ばれるイスラム法学者が代わって政治をすればいい、という理論を打ち出した。これを「ベラヤテ・ハキーフ(イスラム法学者による統治)」という。
それに基づいてイラン・イスラム革命が起きて、ホメイニが最高指導者になり、現在はハメネイが最高指導者を継いでいる。
イスラム法学者は頭にターバンを巻いている。白と黒があって、黒いターバンはムハンマドの血筋を引く人を意味している。位は高いのだが、ムハンマドもアリーもアラブ人なのでアラブ系ということになる。
イラン人はペルシャ系で伝統的にアラブとは仲が良くない。ハメネイ師のような黒いターバンを巻いている人はイスラム教シーア派としては尊敬すべきではあるものの、アラブ系であるために一般のイラン人からは敬遠される存在でもある。

シーア派の特徴として、嘘をついていい、ということがある。
シーア派はイスラムの中で非主流派。主流派のスンニ派はインチキなんだから、インチキに対しては「お前はシーア派か?」と問われたら 「とんでもない。私はスンニ派です」と答えてもいい。コーランの中にも、最後の最後には自分の身を守りイスラムを守るためなら嘘をついてもいい、というニュアンスの文言が出てくる。
とにかくこの世は暗黒だ。だから嘘をついてもいい、という話し。
嘘をついてもいいというのがルールに入ると、外交も政治もものすごく複雑になる。「合意は拘束する」というのがローマ法の原則として西側社会の原理になっている。
しかし、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束していない」というのが含まれると、メタ理論が入ってきて、ものすごい複雑系になる。
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面白かったのが、イランの『一時婚』の話し。
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イランでは時間婚(一時婚)というのが発達している。結婚時間3時間、慰謝料3万円とか。ロンドンに行くとエスコートクラブがたくさんある。あれは「結婚」斡旋所。
イスラムでは売春は死刑、それも石打ちの刑。拳くらいの大きさの石をぶつけて時間をかけて殺す。
このエスコートクラブは「売春」ではなく、3時間の結婚で、別れるときは慰謝料300ポンドという整理。
アルカイダのアル=ザルカウィの演説はひたすらそれを批判している。「シーア派なんていうのはとんでもない。あんなのはイスラムじゃない。売春を合法化している」
サウジアラビアでは、結婚は「同時に4人まで」の枠さえ守ればいいので、王族には妻が延べ十数人という例がある。だからオサマ・ビン・ラディンだって兄弟が40人とかすごくたくさんいる。
ただ、そうしないと各部族のバランスが取れないため、別に自由恋愛で結婚している訳ではない。結婚が政治になっている。
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でも日本の戸籍制度みたいに「婚姻履歴」を残さなければならなくなったら、一時婚も結構大変そうだ。

シリアの話し一つとっても宗教および歴史から学んでいかないと、ほとんど理解が進まない。
中東は気合いを入れて学ばないと把握できないエリアなのだ。


<新戦争論>

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クラウゼヴィッツの『戦争論』。テーゼは「戦争は政治の延長である」
ベルリンの壁崩壊から四半世紀が経ち、戦争と政治の境界線が再びファジーになってきている。「核兵器がつくられて以来、クラウゼヴィッツは無効になった」と言われていたが、人類には核を封印しながら適宜戦争をするという文化が新たに生まれている。

私(佐藤勝)が数年前から「新帝国主義」と言うようになった理由は、一つにはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』のような、自由民主主義が到達点に達し、歴史が終焉師、退屈な時代になったという考えは間違っているといこと。
グルジア情勢が悪化したときに「新冷戦」といわれたけれどもそれも間違いだということ。
冷戦の一番の特徴は、イデオロギー対立だった。ところが、グルジア情勢をめぐるグルジア、ロシア、アメリカの対立には、イデオロギーの対立はどこにもない。典型的な領土争いであって、旧来型の帝国主義の対立。
では、なぜ「新」なのか。
一つは、帝国主義の特徴は全面戦争をすることだったが、そうせずに局地戦にとどめている。おそらく制約要因は核兵器。帝国主義国が核兵器を持っているから。
もう一つは、植民地を獲得しようとしないこと。第二次世界大戦の経験で、植民地の経営にかかるコストが認識されたから。
植民地を持たず、全面戦争もしないけれども、帝国主義だから「新帝国主義」。

新帝国主義の特徴は、ホブソンとレーニンの帝国主義論の延長線上にあって、要するに資本の過剰がその背景にある。お金が儲かるような投資対象が国内にないから、金融を中心として外に投資して儲けようとする。
外交面においては、ニュートン的な力学モデル。すなわち力による均衡。新帝国主義国は、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み、国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化していく。他方、相手国が必死に抵抗し、国際社会も「やり過ぎだ」という場合には譲歩する。それは譲歩をした方が結果として、事故の利益を極大化できるという判断によるもの。
これは非常に古典的な力学モデルで、ある意味では、新自由主義的、新古典派的な市場モデルと似ている。強いて言うと、動学的均衡モデルに似ている国際関係。

近年「近代の超克」の再評価があるようだが、「近代」は超克などできない。
「近代」というのは、自由、平等、友愛。
「自由」というのは、おそらく「資本」のこと。資本の自由な動き。そうすると、それがとんでもない格差を生み出すのは当然のこと。
「平等」というのは、力が背景にないと実現できない。その力とは、おそらく「国家」。国家機能によって平等を実現していく。これは独裁制にも帰結する。平等を追求するとそうなる。イスラム帝国というのは、おそらく「平等」の考え方から出てくる。しかし、全ての人を平等にするためには、圧倒的に強い人が必要になる。
「友愛」というのは、柄谷行人さんが「ネーション」と呼ぶものに近い。
「交換様式Aは、交換様式Cの浸透、つまり、資本主義経済の発展の下で、解体されていく。具体的にいうと、共同体が解体されてしまう。そして、それを想像的に取り戻すのがネーション。ネーションにおいて、人々は平等であり相互扶助的であると『想像』される。むろん、ネーションは、資本と国家を越えるものではなく、それらがもたらす矛盾を想像的に解決するものでしかない。こうして、資本=ネーション=国家という三位一体的なシステムが出来あがる」
『帝国の構造ー中心・周辺・亜周辺』 しかし、友愛は、実のところ、ネーションではなく「エスニシティ」、つまりエスニックな集団だろう。自分達は血筋が一緒、文化が一緒と信じていて、外からもそう認知されているグループ。経済合理性と違う原理で助け合う人たちのこと。

「自由」「平等」「友愛」という、この三つが、資本主義システムの中に埋め込まれている。三つのうち、いずれかが強くなると別のものが出てきてそれを抑える。
一番目の「自由」によって、新自由主義的な形で経済の力が大きくなり過ぎて格差が拡がる。すると、システムが壊れてしまうからというので、「国家」が出てきて制御しようとする。それから別の形においては、エスニシティが出てくる。
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佐藤氏の論の中で、「「自由」というのは、おそらく「資本」のこと」と述べていてこれが若干論理の飛躍があり説明を要する部分の要なきがするが、
橘玲氏が『(日本人)』で「チンパンジーの正義」として、
①所有の概念⇒自由
②平等の概念
③序列の概念⇒共同体(友愛)
だからフランス国旗に表されている近代を形作る3つの原理「自由・平等・友愛」はチンパンジーも持っていることが動物行動学により判明している、という論理から類推できるかもしれない。
(「チンパンジーの正義」における所有権とは「そのモノを自由にすることが出来る権利」という考え方。ちょっと飛躍するけど佐藤氏の理屈は、「資本」を持つことで「人・モノ・情報」を「自由」にすることが出来るということか)


他にも、チベットのダライ・ラマとパンチェン・ラマの話し、ソビエトの「半国家」「過渡期国家論」の話し、遠隔地ナショナリズムの話し、北朝鮮の基本方針の話し、領土問題の話し、アメリカのラティーノの話し等々、国際情勢に関する初めて聞く話しが満載。

池上氏、佐藤氏の情報収集の仕方等も書かれていて新書版なのに非常に参考になった。