2014年8月30日土曜日

『謎の独立国家 ソマリランド』

E社の齋藤社長から紹介された本第3弾。

ソマリランド共和国。場所はアフリカ東北部のソマリア共和国内。
ソマリアは内戦というより無政府状態が続き「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。
国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ「リアル北斗の拳」の様相を呈しているらしい。
陸が「北斗の拳」なら海は海賊が跋扈する「リアルONE PIECE」。
そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持している独立国家があるという。
それがソマリランドだ。
ただ、情報自体が極端に少ないので全貌はよくわからない。
まさに謎の国。未知の国家。地上の「ラピュタ」だ。

ということで冒険・謎好きの著者、高野秀行氏が実際にソマリランドに行ってその謎解きをした紀行である。

複雑な(そして日本の常識とはかけなはれた)状況を非常に分かりやすく説明している。
ソマリには大きく5つの氏族がある。その中で歴史的にも、今の政治状況でも非常に有力な氏族が3つある。イサック、ダロッド、ハウィエだ。現在、旧ソマリアは「三国志」状態に陥っているが、この三氏族がそれぞれ「国」の中心を成している。
ソマリランド・・イサック中心の国
プントランド・・ほぼダロッドの国
南部ソマリア・・ハウィエを中心に戦乱が続いている地域
この氏族いがいにも分家、分分家、分分分家・・・と訳がわかならくなりそうなところを、敢えて分かりやすく、「イサック奥州藤原氏」「ダロッド平氏」「ハウィエ源氏」と日本人にイメージが湧きやすい名前をつけて記載されている。
著者も認識しているが、こういうやり方は変な先入観を与えるというデメリットはあるものの、何と言っても頭に入りやすい。
日本の常識からかけ離れたイスラム社会の国を記述するにはこの「メタファー」を活用した表現は非常に頭に入りやすい。そして著者は比喩が非常にうまい。

高野氏がソマリランド(そしてソマリア全土)に行って見聞きした内容を、ほぼ時系列で描写していくため、読んでいると一緒に旅をしているような気分になってくる。著者のドキドキ感を共有し、気づいたことを同時に発見した気分になる。非常に感情移入しやすく、500ページ超の結構分厚い本なのだがすんなりと読むことが出来る。

おそらく高野氏は非常に教え方もうまい人なのだろう。
まずは面白いと思わせておいて、それから勉強となる知識編を盛り込んでいる。
ちょっと長くなるが、ソマリア内戦の歴史について記述されている部分をほぼそのまま記載してみたい。
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ソマリア内戦も応仁の乱も共通しているのは、戦争の中心地が都だったことだ。普通、ある場所で戦争が行われた場合、そこが荒廃すれば舞台は他の地域に移る。でも都が主戦場になると、いくらそこが荒廃してもどちらかが完全制圧するまで舞台が移らない。「都を支配するもの=勝者」だからである。

アイディード義経がバーレ清盛を倒し、さらに平氏の残党を西で壊滅させたが、その間、モガディショ京都ではアリ・マハディ頼朝が源氏の有力者に巧みに根回しし、自分が「大統領」に収まった。
アイディード義経率いる義経系ハバル・ギディル分家の民兵は頼朝系アブガル分家の人間を女子供を含めて見境なく虐殺した。
激怒したより友系アブガルも同様に報復。たった3ヶ月で何万人もの人が殺された。(1991年)
多くの人が、この義経系ハバル・ギディルの最初の無差別殺人こそ、南部ソマリアが「北斗の拳」と化した直接の原因と考えている。
アイディード義経とアリ・マハディ頼朝は互いに一歩も引かず、モガディショ京都の中で対峙し続けた。

アリ・マハディ頼朝が「私が正しい。私こそ大統領だ。アメリカよ、支援してくれ」と呼びかけたので、丁度ソ連が崩壊し唯一の超大国として得意の絶頂にあり「世界の警察」を自任していたアメリカが、国連軍という名目でソマリアに介入した。
義経系ハバル・ギディルは国連軍兵士を殺害し、アメリカは激怒、アイディード義経に懸賞金をかけ、彼を暗殺しようと何度も試みる。

しかし、アメリカはソマリの事情におそろしく無知だった。
米軍が雇った膨大な現地人員には、義経系ハバル・ギディルの人々もたくさん紛れ込んでいた。 彼らは当然、自分が所属する氏族の方が大事だから、知り得た情報は全てアイディード義経に流す。米軍の極秘作戦はほぼ全て筒抜けだった。

米軍はここでものすごい失敗を犯す。
「アイディード義経がいる」という情報をもとに、義経系ハバル・ギディルの長老が集まる会議を武装ヘリで襲撃したのだが、アイディード義経はいなかった。代わりに義経系ハバル・ギディルの長老70名を殺害してしまった。
これで義経系ハバル・ギディルの怒りは頂点に達した。

そして、映画にもなった「ブラックホーク・ダウン」の事件が起きる。 再度、アイディード義経を捕えようと、彼らの支配区に武装ヘリと地上部隊を同時に投入したが、またもやアイディード義経の殺害に失敗。
武装ヘリ「ブラックホーク」は義経系の民兵に撃墜され、米兵13名が殺害された。
(実はこの時、米軍は義経系の人間を千数百人も殺している。ほぼ「虐殺」である)
ブラックホークに乗務していた米兵は殺された後、裸に剥かれ、路上を引きずり回された。
その一部始終がアメリカのニュースで放映された。
ショックを受けたアメリカはソマリアからの米軍の撤退を余儀なくされる(1993年)。
唯一の超大国アメリカが敗退。以後、ソマリアは誰も手出しができない、完全に「アンタッチャブル」の場となり、リアル北斗の拳が決定づけられた。

さて、96年、アイディード義経がバナナ輸出権益を巡って宿敵アリ・マハディ頼朝と戦っている最中に死亡。義経系ハバル・ギディルはあわてて、彼の息子を跡継ぎに仕立てた。 アイディード義経ジュニアは非常に数奇な人生を経た人である。
アイディード義経は、バーレ清盛に迫害されていたとき、家族をアメリカに移住させた。 だから、アイディード義経ジュニアもアメリカ国民として育った。そして成人してからは米軍の海兵隊に入隊。米軍がソマリアに侵攻したとき、なんとジュニアも通訳として参戦した。 アイディード義経は当時、親子で戦っていたのだ。
なのに父親が死ぬと、氏族に呼ばれてすぐソマリアに戻り後を継いでしまう。めちゃめちゃである。
アイディード義経ジュニアは98年についにアリ・マハディ頼朝と和平を結ぶことになる。 2000年、ソマリアをなんとかしようという試みが久しぶりに国連やEU、アラブ諸国の介入で行われた。各氏族の代表者をジブチに呼んで会議を開いた。ここで、ソマリランドが発案し、プントランドが発展させた「氏族比例代表制」を導入することになった。

とりあえず議会をつくり、その議員たちによる投票で大統領を選出することになった。
アイディード義経なき今、ついに俺の天下だと思ったアリ・マハディ頼朝だったが、意外にもアブディカシム・サラド・ハッサンという人物に敗れてしまう。彼はなんとアイディード義経の従兄弟だった。
つまり、新しく発足した暫定政権(略称TNG)は義経系ハバル・ギディルに握られたわけだが、この政府はモガディショ京都の一部を治めることすらままならず二年あまりで自然消滅した。

数年後、国連とEU、それにアメリカは性懲りもなく、新たに強引な暫定政権作りを画策する。
今度はアラブ諸国ではなく、エチオピアとケニアというキリスト教主体の隣国が強力に関与することになった。
2006年、地域大国エチオピアをバックにつけ買収合戦に勝ったのは、なんとアブドゥラヒ・ユスフ時政。そう、プントランド建国の祖にして同国の現職大統領である。
謀略の天才アブドゥラヒ・ユスフ時政が参戦し、突然、平氏がまたトップに返り咲いてしまった。これが暫定連邦政権(TFG)である。
だが、現実には南部ソマリアはざっと7割をハウィエ源氏の武装勢力が支配する源氏の世界。頼朝系と義経系は犬猿の仲だが、それでも互いに平氏よりはマシだと思っている。
ダロット平氏が長を務める二番目の暫定政権はモガディショ京都に入ることもできず、地方都市バイドアを仮の首都とするしかなかった。

そしてここでソマリア内戦史上、最大のねじれが始まる。イスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合」が台頭してきたのだ。この辺はアフガニスタンでタリバンが台頭してきた状況に酷似している。
イスラム法廷連合が従来の戦国武将と根本的に異なるのは、源氏、平氏、奥州藤原氏を含めた全ての氏族が参加していたということだ。 彼らはイスラム主義を掲げるため、アメリカやエチオピアといったクリスチャン主体の国家による介入を嫌がり、それをバックにつけるアブドゥラヒ・ユスフ時政の政府も嫌った。
要するに、ここでソマリア内戦の対立軸が氏族から「イスラム原理主義VS世俗主義+アメリカ、エチオピア」に変わった。少なくとも表向きはそのように見えた。

アメリカはアメリカで、また下手をうつ。 ダロッド平氏主体で南部ソマリアでは力を持たないアブドゥラヒ・ユスフ時政の政府を見限り、モガディショ京都の各地域を支配する戦国武将達にカネを出し、「反テロ同盟」なるものを結成、イスラム主義者に対抗させようとしたのだ。
ところがモラルが低下していた武将同盟はイスラム法廷に呆気なく破れ、モガディショ京都はついにイスラム主義者の手に落ちる。

「こりゃ、まずい」と思ったアメリカ、エチオピアとアブドゥラヒ・ユスフ時政の連合体は、もはや禁じ手を繰り出すしかなかった。エチオピア軍の出動である。
エチオピアの大軍は国境を越えてソマリアに侵攻、イスラム法廷を蹴散らした。米軍も直接戦闘機を出し空爆を行った。アブドゥラヒ・ユスフ時政はモガディショ京都に入城、まるでかつてのバーレ清盛のように、抵抗するハウィエ源氏を市民もろとも無差別に攻撃した。この時、彼は自分の意のままになるプントランド軍(マジェルテーン北条氏の軍)を使ったとされる。
イスラム法廷の残党はケニアやジブチ、湾岸諸国などに逃れた。

戦争には勝ったアブドゥラヒ・ユスフ時政だが、海外軍勢を利用したこのやり方の副作用は大きかった。
ソマリは氏族社会である。そしてソマリランドに反対する人が言うように「ソマリは一つ」なのだ。 エチオピア軍を引き込んだことで、アブドゥラヒ・ユスフ時政はダロッド平氏以外のほぼ全ての人々からあまりに深い恨みを買ってしまった。
結局、翌2007年にアブドゥラヒ・ユスフ時政は大統領を辞任。

そしてまたかという感じだが、国連やアメリカ、アフリカ諸国、湾岸諸国が集まって開いた和平会議で新たに任命されたのは、イスラム法廷連合の元議長、シェイク・シャリフだった。
シェイク・シャリフはイスラム法廷連合のトップとしてエチオピア軍と戦って敗れた当事者である。戦争に負けた後、和平会議で大統領に選ばれた人は史上初ではないか。
これには訳がある。 イスラム法廷連合はエチオピアに敗れる前から二つに分裂していた。 一つはシェイク・シャリフ率いる穏健派。もう一つはアウェイスという人物をカリスマと崇め、オサマ・ビン・ラディンのアル・カイダとも関係を持つ過激派「アル・シャバーブ」。 アル・シャバーブがあまりに過激なので、前々からシェイク・シャリフ達執行部と対立していたのが、エチオピア軍に敗北してからは完全に分裂。結局シェイク・シャリフたちはアラブ諸国の仲介で、暫定政権側に戻った、というのが一般的な説明。
だが実際は氏族対立。 シェイク・シャリフは頼朝系アブガルで、なんとアリ・マハディ頼朝の甥なのだ。そして、アル・シャバーブ側のアウェイスは義経系ハバル・ギディル。 元々イスラム法廷の軍事部門は義経系ハバル・ギディル主体だったから、軍事的に非主流派である頼朝系アブガルのシェイク・シャリフが離脱したとも言える(シェイク・シャリフは以降シェイク・シャリフ実朝と呼ぶ)
アメリカを中心とする国際社会側も南部ソマリアでいまだに最大勢力であるハウィエ源氏の実力者をトップに据えるしかないと認識した。穏健派とはいえ、イスラム原理主義者であるシェイク・シャリフ実朝をトップに据えれば「イスラム対アメリカ」という構図を避けることが出来る。

その後、義経系ハバル・ギディルを核とするアル・シャバーブは破竹の進撃を続け、南部ソマリアの大部分とモガディショ京都の三分の二を支配下に治めた。シェイク・シャリフ実朝の暫定政権はモガディショのたった三分の一しか支配できないという、超弱小政権となった。

そこで国際社会(アメリカ、EU、アラブ諸国、アフリカ諸国)はアフリカ連合ソマリア・ミッション(アミソム)というアフリカ連絡による軍隊をソマリアに派遣し、アル・シャバーブという怪獣と戦わせることにした。ウルトラセブン(アメリカやEU)が直接出動できないので、代わりにカプセル怪獣ミクラスを投入したようなものだ。
アミソムは一応、装甲車や銃火器を豊富に持ち、軍備ではアル・シャバーブより勝っているが、いかんせん、状況をよく飲み込めないまま戦地に投げ出されているカプセル怪獣である。アル・シャバーブによる首都の完全制圧を食い止めるので精一杯だ。

そんな2011年7月、アル・シャバーブによる「ラマダン攻勢」が始まった時に、私はモガディショに突入していかなければならなくなった。
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この内戦の歴史を普通に教科書的に記載されていたら5分と読み進められないであろう。
上の文章でも相当??と思われた方も多いと思うが、著者と一緒にバーチャルな旅を続けてきた読者にはスンナリと入ってくる記述なのだ。


イスラム原理主義というものについても勉強になる。
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一言で言えば、イスラム原理主義は「ワッハーブ派」というイスラム法学の一派に由来する。これは非常に極端な考えなので、今現在、公的に採用している国はサウジアラビアのみ。つまり、サウジは原理主義国家というわけだ。
女性の社会参加を厳しく制限する。酒を絶対に認めない。鞭打ちの刑を行っている。不倫は処刑。。といったことを国家の法律として定めているのはサウジだけである。

原理主義者の目的は大きく三つあると思われる。
・世界をイスラムで統一する。
・社会をシャリーア(イスラム法)で統治する。
・ウンマ(イスラム共同体)を再統一し、カリフ(予言者の後を継ぐ者、ウンマの代表者)を復活させる。

現実面では、最大のスポンサーはサウジアラビアであろう。サウジアラビアによるワッハーブ思想の輸出が大きい。
サウジの人間はオイル・マネーで潤っている。世界中にワッハーブ派のモスクやマドラサ(イスラム学校)を建てまくっている。

ここで重要なのは、サウジ的な「原理主義」は「穏健派」ということだ。
過激派の思想は20世紀、エジプトで生まれた。イスラム圏の為政者は宿命的にイスラムを抑圧もしくは弾圧する。弾圧される中で、イスラムが逆に先鋭化したのである。
サイイド・クトゥブというエジプト人のイスラム思想家は考えた。
「イスラムの思想を妨げる者はムスリムであっても本当のムスリムではない。ファーキル(不信心者)だ。だから異教徒と同様、殺してもいい」
これで体制に対するテロを正当化した。

もし不信心者を殺す時、他の信者が巻き添えになってしまっても、「イスラムの大義のためにやむを得ない。それに彼ら信心を持つ者は天国にいけるからよい」とした。
これで無差別テロが正当化された。
ここまでくれば「自分が爆弾を抱えて不信心者を殺し、天国へ行く」までは簡単である。 これで、イスラムでは本来絶対に許さない「自殺」が可能となり、自爆テロも正当化された。

皮肉なことに、かつてのムスリム同胞団やアル・カイダのような過激派の最大のスポンサーにして、彼らに非常に悩まされているのはサウジなのである。
サウジは原理主義の国だが、深く追求していけば矛盾が多々ある。
最大の矛盾は「なぜサウジ家という単なる一家族が国民を支配しているのか、イスラム的に説明できない」というところだ。もう、これはイスラム国家永遠の課題である。

異教徒である日本人にはピンと来ないが、実はイスラムほどイスラム諸国の支配者を脅かす者はない。
イスラム諸国の近現代史はイスラム弾圧の歴史でもある。それはイスラム原理主義的な体制であるスーダンやサウジアラビアでも同様だ。

覚醒植物カートは80年代になってから禁止された。一つは当時カートはもっぱらエチオピアから入ってきていたが、輸入に携わっていたのが主に反政府ゲリラだったので、その資金源を断つという目的があった。
もう一つはカート宴会が反政府集会につながりやすいという恐れである。 独裁政権というのはただでさえ、民衆が集まるのを嫌がる。「五人以上の集会の禁止」などはアジアや中東諸国の独裁国家では珍しくなかった。
為政者にとって「我らが信じる者は大統領にあらず、アッラーのみ!」となりやすいカート宴会は非常に危険なものである。
なぜなら「信じる者はアッラーのみ!」ということは、全ムスリムにとって絶対の真実であり、誰もそれを理屈で否定できないからだ。
そもそもコーランでは、世界を治めるのはウンマ(ムスリムの共同体)が選んだカリフのみとしている。なのに何故軍人上がりの奴や欧米の大学を出た奴が人々の上に君臨しているのか。そこに権力の正統性は何一つない。
だからこそ、イスラム圏の権力者はイスラムを声高に主張する者を非常に警戒し、厳しく取り締まるのだ。
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なるほど「信じる者はアッラーのみ」という教義と国の支配体制というのに常に矛盾を抱えているので、イスラム圏では内戦が多いということか、というのが非常に分かりやすい。

奇跡の国ソマリランドはどのようにして統治されているのか。
何故隣国のソマリア、プントランドと異なり内戦が終結したのか。
そのインフラ(電気、水道、交通網等)はどのようにして運営されているか。
それについては、是非本書をお読みいただきたい。



2014年8月14日木曜日

『孫子』

「孫子」は色々な本が出ているが、今回は守屋淳氏の本。
分かりやすいのと、「孫子」がどういう世界観の中で書かれたものか、そして他の戦略書(特にクラウゼヴィッツ)と違うのか、ということが述べられていたので「孫子」を学び直すこととした。

孫子(孫武)の活躍した春秋時代末期は、ちょうど周の戦乱状態がエスカレートした時期。
「やり直しのきかない一発勝負になりかねないのが戦争。」
という時代。
今のビジネスで言われる「小さく試して、早く失敗し、学習を重ねる」というセオリーが成立しない「負ければ、国が滅びかねない状況」が眼前に繰り広げられていた時代だ。

さらに、もう一つ。
目の前の敵以外にも、ライバルが多数いる状況。すなわちバトルロイヤル状態ということだ。

そこから導きだされる前提が
「負けてはダメ。それどころか勝手も自分が擦り減ってはダメ」
ということ。
このシビアな状況をもとに編み出されたのが「孫氏の兵法」ということだ。

こういうバトルロイヤル状態における方針となると相手と自分の強弱により、敵対勢力に対する、実力行使に入る前の政治・外交戦略は以下の通りとなる。
1ライバルの方が弱い場合
その国力を背景とした外交や威嚇によって相手を味方に引き入れたり、傘下に収めたりして「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」を実現する。
2彼我が同じくらいの力の場合
・最高の戦い方は、事前に敵の意図を見破ってこれを封じることである。
 ⇒「相手の戦うエネルギーが小さいうちに摘み取ってしまう」
・次善の策は、敵の同盟関係を分断して孤立させることである。 
 ⇒「相手が戦うエネルギーをこちらに向けてきても、それをうまくかわす」
3 ライバルの方が強い場合
逃げるか、戦わない算段をして生き残りを図る。『勝てる所で戦う』


バトルロイヤル状態に限らず、戦争や争いごとには基本的に次のような悲しい本質が備わっている。
「いくら自分は戦いたくない、平和主義だといったところで、どこかから戦いを挑まれ、それを引き受けない限り自分の守りたいものを守れない場合、戦わざるを得なくなる」
ちなみに、この本質について、革命家のトロツキーは次のように表現している。
「あなたは戦争に関心がないかもしれないが、戦争はあなたに関心を持っている」


孫武は「勝ち」「負け」以外にも「不敗」という「勝手はいないが負けてもいない」という状態があると整理した。
不敗の態勢を作れるかどうかは自軍の努力次第だが、勝機を見いだせるかどうかは敵の態勢如何にかかっている。
「不敗」という状態(勝っても負けてもいない状態)があり、不敗の態勢は自ら維持・構築できるが、勝てるかどうかは相手次第。
だから、戦上手は、自軍を絶対不敗の態勢におき、しかも敵の隙は逃さずにとらえるのが肝要ということになる。

また、孫武の重視するものに「短期決戦」というものがある。
これは「(憎悪や敵対心をベースとする)戦いは、一方的に始められるが、一方的に終わらせることはできない」という戦いの特質から導かれるものである。(ちなみに恋愛は両者の合意なくして始まらないが、一方的に終わらせることができる)
従って『孫子』における二分法は
1 短期決戦で戦いに勝てる、ないしは新規事業がうまく利益だけあげて終結できる場合。短期で終結させられる条件をうまくつくり出せる場合→やる
2 それ以外→やらない
となる。つまり戦いが長期に泥沼化する可能性がある場合には、勝てそうであっても「やらない」という判断ということだ。
これはバトルロイヤル状態を意識すると当然そうなる。
太平洋戦争において、日本軍が読み間違ったのはこのポイント(短期決戦で終わらせる予定だったのが長期化してしまったこと)だ。

意図しなまま「長期戦」となってしまうのも現実的にはやむを得ない中で、
「いかに短期決戦で勝てる条件を重層的に構築していくか」
を粘り強く探求していったのが『孫子』という古典。
「戦うなら短期決戦での勝利を期すが、最悪、不敗を守れればよい」
というのが「不敗」と「短期決戦」の原則だというのが著者の解釈である。


その他面白かった点をいくつか。
<勢いにのる「勝ち」と学びのある「負け」のバランス>
「勢い」の乗り方とは、「試行錯誤」とちょうど裏表の関係になっている面がある。
勝って自信をつけ、勢いに乗ることは重要だが、そればかりだと、学びや自己の弱点の認識といった面が弱くなる。
勝負事では明らかに
・自己点検や成長を考えるべき時期
・勢いの力も借りて勝ち進む時期
があり、二つを見分ける必要があるのだ。
このバランスについて、チェスのチャンピオン カスパロフが明言を残している。
「自信をつけることと誤りを訂正されることの適切なバランスは、各個人が見つけなければならない。経験からいって『我慢できるうちは負けろ』は優れた原則だ」

常勝チャンピオン カスパロフですら、「我慢できるうちは負けろ(学べ)」と言っているのは面白い。

その他にもクラウゼヴィッツの『戦争論』との比較や、戦争における「熱狂」が宗教やナショナリズムから発生するが、同様の「熱狂」を企業でも導入することができて『カルト企業』と呼ばれるなど、非常に勉強になった。
後段の「孫子」とはなれた守屋淳氏の歴史観とかもとても面白かった。

最後に
「不敗レベルの設定が、生き残りやすさ、特に復活のしやすさを決める」
というのが奥の深い指摘だな、と関心した。
若いうちは苦労を買ってでもせよ、というのはこの「不敗レベル」設定値が低く設定されるからだと思えば非常に納得がいく。





2014年8月12日火曜日

『CIA諜報員が駆使するテクニックはビジネスに応用できる』

元CIA諜報員、J・C・カールソンの著作。

インテリジェンス(諜報)の技法には、人工衛星や無人偵察機による「ビジント」(ビジュアル・インテリジェンス、画像諜報)、通信傍受による「シギント」(シグナル・インテリジェンス、通信諜報)、新聞や雑誌、政府や研究機関などのウェブサイトに公開されている公開情報を分析し、そこから秘密情報を読み解く「オシント」(オープン・ソース・インテリジェンス、公開情報諜報)などがある。
中でもインテリジェンスの王道とされるのが、人間を通じて情報を入手する「ヒュミント」(ヒューマン・インテリジェンス、人的諜報)
この本では、ヒュミントのノウハウをいかにすればビジネスに応用できるかについて掘り下げて書かれている。

いくつか面白いと思った記述をピックアップしてみる。

<動機について>
協力者(情報提供者)は大変危険を伴う仕事なので、よほどの動機がなければ普通は引き受けない。動機は誰もが同じではなく、人によって違う。候補となった人がどういう動機で協力者の仕事を引き受けそうかを事前に知っておけば、諜報員としては依頼がしやすくなる。
金銭が動機になる人もいれば、イデオロギー的な理由が動機になる人もいる。復讐が動機という人もいる。中には、単に面白そうだからという理由で引き受ける人もいる。動機は一つとは限らず、複数が絡み合っていることもある。動機の種類は人の数だけあるといってもいい。
動機は「弱み」と言い換えることもできる。動機、弱みを的確に見極め、それを利用して協力者を得ることは諜報員の大切な仕事である。

なるほど。動機は弱みと直結しているのか。

<レッドセル>
CIAには「レッドセル」という部署がある。
あらゆる陰謀を妄想し、あらゆる事態(いわゆる最悪の事態)を予測するらしい。
この考えを活かした妄想演習というのが面白い。
・競争相手(競合企業)を二社設定する。一方は保守的な相手で、あくまで法律の枠の中で行動し、それを逸脱したことはしない。もう一方は何をするかわからない相手で、法律や倫理を一切無視した行動をする。欲しいものを手に入れるためなら手段を選ばない。
・まず自社の強み、競争力の源泉となっていることを列挙してみる。つまり競争相手の標的になりそうなことを列挙する。
・次に、自分の弱点、弱みとなりそうなことを列挙する。
・最後に、二社の競争相手はどのように弱みを突いてくるか、また強みをどうやって奪おうとするか、その可能性を考える。競争相手が使いそうな手段や方法を出来るだけ多く考え列挙していく。

想定相手に、「遵法主義の企業」を入れている点が面白い。確かに手段を選ばない相手だけを想定していると、遵法主義企業からグレーゾーンについてのイリーガル性をついてくるという手法は十分に考えられる。

<CIAで求められる人材>
CIAで求められるのは、状況によっては国のために嘘をつき、人を騙し、時には盗みを働くことすら厭わない人間である。
これまでの人生で悪いことなど一切したことがないにもかかわらず、いざとなれば悪事すら見事にやってのけなければならない。本来、厳しい道徳観念をもっているけれども、いざというときにはそれに反する行動がとれる、そういう人材が必要なのだ(普段はボーイスカウトのメンバーのようだが、裏の顔を隠し持っているという人物が理想ともいわれる)。 あまりに逆説的な要件なので、私はCIAの採用担当者に決してなりたいと思わない。

こんな人をそんなに高くない報酬で(CIAってそんなにびっくりするような報酬ではないらしい)雇えるのか。その人事戦略についても記述されていて、これは普通の企業においても十分参考になる内容である。

<CIAの人事戦略>
この戦略は優秀な人材をひきつけ、定着させるだけでなく、組織が高い業績をあげるのにも役立っている。
①次々に新しい仕事を与える〜優秀な人材は停滞を嫌う。
②社員の履歴書が充実するような肩書きや地位を会社に用意する。
③重要な仕事ほど、任せる人は純粋に能力と人間性だけで決める。
④部門横断的なチームを編成し、退屈な仕事にもやりがいをもたせる。
⑤一匹狼にも居場所をつくる

④の部門横断チームはあくまでも実際上の必要から生まれたもので、職員を教育するためのものではない。しかし、部門を超えた交流を通じて皆が互いの理解を深めていくことは、組織がより強くなることにつながる、というのも非常に納得。

CIAにも色々なタイプの人間がいるらしい。
出世欲が強く、一刻も早く昇進して上級の管理職になりたいと思う人も大勢いる一方で、管理職には興味がなく、ずっと現場でひとりスパイ活動をしたいと思う人もいる(後者のタイプの諜報員は、CIA本部のことを「デススター」などと呼んだりする。そして本部のマネージャーになることを回避するためならば、あらゆる努力をする) 幸い、CIAの組織構造は、どちらの人間にもうまく対応できるようになっているとのこと。

<「共食い」をするサメのような人物は排除する>
ビジネスの世界には、「サメ」のように行動することを良しとする業界もある。職種によってはそういう姿勢が称賛されることもあるだろう。攻撃的であればあるほどいいということだ。(弁護士や営業職などがそうだろう)
強気、大胆、、怖いもの知らずという態度自体は全く悪くない。ともかく脇目も振らずに目標を追求する人は多い。他のことには目もくれず、獲物に突進するところはまさに「サメ」である。
部下にサメのような攻撃性を求めるマネージャーも多い。なりふりかわまず、仕事をやり遂げるような部下を評価する。
ただ問題は、サメは共食いをするということだ。
マネージャーはやがて痛い目にあり、それを身をもって知ることになる。サメの攻撃は、時に外ではなく内に向かうのである。

なるほど、「サメは共食いする」のか。でもこっちがサメじゃなくてもサメは喰いにくる訳で、サメを育てないようにしないのはもちろん、サメには喰われないように警戒するとしよう。

<その他CIA関連で面白かった記述>
◯「誠実で信頼できる」と他人に思ってもらうことは、株式をもっているにも等しい。状況が厳しいときにこそ、その株式は「配当」を与えてくれる。
・・CIA職員って普段はボーイスカウトメンバーみたいというのを表している記述。

◯CIAの諜報員は「信じよ、ただし検証はせよ」という言葉をマントラのように唱えている。
・・基本が性悪説なのか性善説なのかよく分からないけど、性善説を信じつつ性悪説に基づいて行動せよ、ということか。

◯CIAの諜報員は世界最高の「セールスマン」だ。これは間違いない。
・・我々は誰でも何かを提案(売り込んでいる)セールスマン。CIA諜報員はそのトップクラスということ。


最後に佐藤勝氏のコメントが面白かった。
<できるだけ嘘をつかない>
情報操作は嘘ではない。特別の編集を行って情報を流しているにすぎない。情報操作(ディスインフォメーション)誤報・虚報(ミスインフォメーション)は別範疇の問題だ。
・・嘘はいかん。ただ全てを話す必要はない、ということ。情報操作も社内でやり過ぎると信用を失うような気がするが。。

<アートとテクノロジー>
そもそもヒュミントや分析について、インテリジェンス機関には、大きく分けて2つの類型がある。
第一類型は、ヒュミントや分析を「テクノロジー」(技術)と考える。従って、基本的な能力がある人ならば、適切な教育と訓練を受けることで、誰でもヒュミントや分析の専門家になれると考える。
日本の官僚養成と同じ発想だ。米国、ドイツ、フランス、カナダ、オーストラリアなど西側主要国はこのような考え方でインテリジェンス専門家を養成している。
第二類型は、ヒュミントや分析は、天賦の才のある人が行う「アート」(芸術)だと考える。
英国はこの考え方に基づいてインテリジェンス活動を行っている。さらにイスラエルとロシアも究極的にインテリジェンスはアートだと考えている。

CIA諜報員のインテリジェンス・スキルが「アート」ではなく「技術(テクノロジー)」だからこそ、「再現可能性」があり、我々がビジネスで活用できるノウハウになっているということだ。