2010年12月31日金曜日

『100年予測』

「影のCIA」と呼ばれる情報機関ストラトフォーの創立者兼CEO ジョージ・フリードマンが地政学に基づき今世紀これから世界でおこることを予測した本。
実は今年の3月には既に読み終わっていたのだが、読み込んでいたら年末になってしまったという本。
個人的には間違いなく今年のベスト5に入る本である。

これから21世紀に起こる事として
☞アメリカ・イスラム戦争は近く終局をむかえる。
☞勢力を回復したロシアは、アメリカと第二の冷戦をひきおこす。
☞アメリカへの次の挑戦者は中国ではない。中国は本質的に不安定だ。
☞今後、力を蓄えていき傑出する国は、日本、トルコ、ポーランドである。
☞今世紀半ばには、新たな日本・トルコvsアメリカという世界大戦が引き起こされるだろう。その勝敗を左右するのはエネルギー技術であり、宇宙開発である。
☞そして、今世紀の終わりには、メキシコが台頭し、アメリカと覇権を争う。


信憑性を高めるため、この本では最初に以下の記載がある。

1900年の夏、この頃はヨーロッパが東半球を支配していた。ヨーロッパは平和で、かつてない繁栄を享受していた。実際、ヨーロッパは貿易と投資を通じてこれほど深く依存し合うようになったため、戦を交えることはできなくなった、あるいはたとえ戦争を行ったとしても、世界の金融市場がその重圧に耐えられなくなり、数週間のうちに戦争は終結する、といった説が大真面目に唱えられていた。

1920 年の夏、ヨーロッパは大きな苦しみを伴う戦争によって引き裂かれていた。何年も続いた戦争で数百万人の命が失われた。共産主義がロシアを席巻したが、この先永らえるかどうか定かでなかった。アメリカや日本など、ヨーロッパ勢力圏の周辺部に位置する諸国がいきなり大国として浮上した。不利な講和条約を押し付けられたドイツが近いうちに再び浮上することがないのは確実だった。

1940年の夏、ドイツは再浮上したどころか、フランスを征服し、ヨーロッパを支配していた。共産主義は永らえ、ソビエト連邦は今やナチス・ドイツと同盟を結んでいた。ドイツに立ち向かう国はイギリスただ一国のみで、まともな人の目には、戦争はもう終わっているように思われた。ドイツの千年帝国があり得ないにしても少なくとも今後100年間のヨーロッパの命運はドイツ帝国の支配と決まったようなものだった。

1960年の夏、ドイツは5年とたたずに敗れ、戦争で荒廃していた。ヨーロッパはアメリカとソ連によって占領され、二分された。ヨーロッパの帝国は崩壊の途にあり、その継承者の座をめぐってアメリカとソ連が争っていた。アメリカはソ連を包囲し、その圧倒的な核軍備をもってすれば、数時間のうちにソ連を全滅させることもできた。アメリカは世界の超大国として躍り出た。全ての海洋を支配するアメリカは、核戦力をバックに、いかなる国にも条件を指示し、それに従わせることが出来た。ソ連に望めるのは、せいぜい膠着状態に持ち込むことだった。また、内心では誰もが狂信的な毛沢東の中国を、今ひとつの危険とみなしていた。

1980年の夏、アメリカは7年間続いた戦争に敗れた。相手はソ連ではなく、共産主義国の北ベトナムだった。アメリカは自らの凋落を自他ともに認めていた。
アメリカはベトナムから追われ、続いてイランからも追われた。イランでは、アメリカが支配を明け渡した油田が、ソ連の手中に落ちようとしているかに見えた。
また、アメリカはソ連を封じ込めるために、毛沢東の中国と手を組んでいた。アメリカ大統領と中国国家主席が北京で友好会談を行ったのだ。急速に勢力を増していた強大なソ連を阻止できるのは、中国との同盟しかないように思われた。

2000 年の夏、ソ連は完全に崩壊した。中国は共産主義とは名ばかりで、実質は資本主義化していた。北大西洋条約機構(NATO)は東欧諸国だけでなく、旧ソ連諸国にまで拡大していた。世界は豊かで平和だった。地政学的配慮は経済的配慮の二の次にされ、残る問題といえば、ハイチやコソボといった手の施しようのない国の地域問題だけだと思われていた。

そしてやってきたのが、2001年9月11日である。

20年も経てば世界は一般的には予測もしない方向に変わっていくという歴史が語られる。
それ故、著者の述べる一見荒唐無稽な予測にも読者は耳を傾けるようになる。

結論とすると21世紀はアメリカ覇権の時代が続くということなのだが、いくつか疑念が湧く予測もある。

①現在急成長中の中国は、アメリカのライバル足り得ないのか?
②日本は再び軍国国家となり戦争を引き起こすのであろうか?

これについて、著者は地政学的な観点から理由を述べている。
①中国は実は「島国」であり、国土を拡げていける要素がない。また、人脈本位の癒着体質による投資が横行し、既に不良債権が6000億ドルから9000億ドルと推定される。これは中国のGDPの四分の一から三分の一に相当する。
沿岸部の抵抗や内陸部の不穏を招かずに、豊かな沿岸地域から内陸部へ、富を徐々に再分配を目指す中国の方針が失敗に終わる。海外資本が注ぎ込む莫大な資金が、党そのものの分裂を引き起こし、沿岸都市に対する中央政府の統制力を弱める。
中国は表向きは統一を維持するが、権力は地方に分散していく。

②については、自国のことであり、にわかには日本が軍国主義を復活させるというのは信じられないが、太平洋シーレーンを巡ってやむにやまれず開戦するというストーリーは、第二次世界大戦と同じシチュエーションであり得ない話ではない。
20世紀とは”戦争”の概念も変わってくるとなる(精度がアップし、大量の市民を巻き込むようなことは起こらない)と時代の流れによっては十分あり得る気がしてくるから不思議だ。

いずれにせよ、我々は予測の後半については当たるかどうかを確認する事はできない。
今世紀末のひ孫の世代が幸せに過ごせるように祈るのみである。

柵ありボーリング

家族で近くのボーリング場へ行った。
フロントで「柵付きレーンにされますか?」と聞かれたのだが何の事やら分からず、「柵なしで」と答えた。
やり始めてみると、産まれて初めてボーリングなんぞをやる下の子供はほとんどガーター。非力なので慣れる事で上達しそうな感じでもない。
段々不機嫌になってきて面白くなさそうだったので、第2ゲームから柵ありにしてもらった。

「柵付きレーン」が固定されていて、レーンを移動するのかと思いきや、店員さんがレーンの手前側のある部分をでっかいL字のバーで引っ掛けると脇から柵が出現!
最近はどのレーンも「柵付き」に変える事ができるようだった。

この柵、子供用に作ってもらったのだが、跳ね返ってくるので大人でも面白い。
もちろん大人も点数アップ。家族みんなで結構楽しめた。
久しぶりのボーリングだったが、点数はゴルフと逆だったら悪くないのにと思うのは相変わらずであった。

『のぼうの城』

文庫化されたのに伴い購入して、読んでみた。
(自分のように購入しやすくなる事で、読んでみたかった層が新たに顧客になるという現象はあるであろう)

ストーリーについては敢えてここでは書かないが思ったことをいくつか。
①石田三成という人物は、堅物で将器もないのに関ヶ原の大将となって西軍を負けに導いたかのような人物評が多いが、実は徳川時代に勝者側からの歴史のねじ曲げによって強調されている部分も多々あるのではないかと思った事。(以前、大河ドラマで「天地人」を見た時にも同様に思った)
②主人公の成田長親がものすごい将器をもったヒーローだとすると、どうやったら成田長親のような人材が出てくるのか。育てる事ができるのか。

出てくる人物それぞれに個性があり、さわやかな読後感である。
史実にも比較的忠実らしく、それがまた小説の深みを増している。

映画化されるようだが、小説とのイメージギャップを楽しみながら鑑賞してみたい。

2010年12月30日木曜日

大掃除で思ったこと その2

大掃除で窓ふきをした。
窓の汚れは内側が汚れているのか、外側が汚れているのか、一目見ただけではわからない。
一度拭いてすぐ汚れが落ちれば、どちら側の汚れなのかすぐにわかるのだが、一度拭いたくらいではとれない汚れの場合には、本当はどちらの汚れなのかが判別つかず、何度も両方を拭き続けることになる。
とはいえ、大抵の場合、汚れはどちら側かの汚れである。
ただ、どちらの汚れなのかは同じ窓でも部位によって異なるのである。


これが組織において、問題が分かって(=汚れが見えて)いて、その問題に関わる担当部門が(窓の内側と外側のように)分かれていた場合、
「これはあっちの部門のせい(=汚れ)ですよ!うちには関係ない!」
「いやいや、何を言っているやら、こちらは既に課題と思われることは対応してます(=一度拭いて掃除してます)。それでも変わらなかったのだから(=汚れが落ちなかったのだから)、これはあちら側の問題(=汚れ)です!」
といったやり取りが繰り広げられるのであろう。

窓の汚れと違って、組織の問題は明確にどこに問題があるという判別がしにくい。
組織の場合、対応として、大掃除の窓ふきと同じく、窓の外側担当、窓の内側担当を分けない(同じ人間が掃除をする)、ということが考えられる。
これなら、窓の内側だろうと外側だろうと「汚れを取る」という目的を遂行することができる。
ただし、ちょっと組織が大きくなってくると、窓の内側担当、外側担当を作らざるを得なくなる。
その場合には、
①課題を解決する(=窓をきれいにする)ために発揮される強力なリーダーシップ
②窓の内側担当と外側担当による信頼関係の構築と、忌憚の無い情報交換
のどちらかが必要である。

①は優れたリーダーがいれば対応できるので、比較的現れやすいケースだが、リーダーからのトップダウン命令がないと機能不全に陥るリスクがある。
一方②であるが、これには、窓拭きチームというチームビルディングが必要であり、タックマンモデルにおける混乱期(葛藤期)を経た信頼関係が必須となる。このチームビルディングは時間も労力も要するが、一度チームができてしまえば自律的なチーム組織として機能していくことになる。

部門が出来ると当然業際というものができてくるわけだが、これが強固になればなるほど、課題は相手側の責任に(ガラスの汚れが、相手側の汚れというように)見えるようになる。
業際がある程度曖昧で、相互干渉する部分が合った方が、「あっちの責任だから」という発想はでにくくなり、組織上のポテンヒットが少なくなるのかも知れない。
などと余計なことを考えつつ、窓拭きに励んだのであった。

2010年12月29日水曜日

大掃除で思ったこと その1

「タックマン・モデル」というブルース・タックマンという心理学者が提唱したチームビルディングにおけるモデルがある。
チームが機能するために通らねばならないフローのモデルと言ってもよい。

1 形成期(Forming):チームメンバーが集まっただけの様子見のコミュニケーション段階
2 混乱期(Storming):本音のコミュニケーションから、メンバー間や上下間で衝突が起こり、混乱が生じる段階
3 統一期(Norming):混乱を経てルールや行動規範などが確立し、役割分担や共通のコミュニケーションツールができてくる段階
4 機能期(Performing):明確な目標に向かって、リーダーシップが発揮され、メンバー間の協力関係も強まり、チームの動きが成果に変容していく段階
5 解散期(Adjourning):解散の段階。当初は機能期までの4段階だったが最近はチームの解散期を最後に加えた5段階のモデルが多く使われるようになった。

大切なポイントは、チームが形成されてからきちんと機能するまでには、メンバーの心理的な対立(混乱期)が不可避であるということ。
目覚ましい成果を上げたチームには、この混乱期に激しい葛藤や対立が起きて、チームが分解寸前までいくことが多々ある。
逆に、混乱期を避けた(が無かった)チームは、一見順調なように見えていても、最後でどんでん返しを食らったり、低調な結末を迎えがち。
適度な葛藤(建設的葛藤)はチームをまとめるのに不可欠である。
「お互いに無理がきく関係」こそが、本当の意味でのメンバーシップであり、チームとして大きな成果を出すために必須ということだ。

大掃除でハタキがけをしていて、このタックマンモデルを考えていた。
当然ハタキがけをすると、部屋の中は一時大混乱で、最初よりもホコリだらけで大変なことになる。
が、このプロセスを経ないと、普通の日常の掃除と変わらないこととなり、大きな成果を生み出すことはできないのだ。
そう、普段の成果とは異なる一年に一度の大成果を求められる大掃除においては、混乱期であるハタキがけは必須なのである。

ということなので、チームビルディングの場合、混乱期を避けるのではなく、早く通り抜けつつチームの統合を目指すことがコツらしい。

「大掃除に置き換えると、早くこのホコリが舞散っている状態から早く脱却することがコツという事か。でもホコリが舞落ちるのを早くするなんてどうすりゃいいのだ」などと大掃除中にぼんやり考えてしまった。
案外ハタキがけと同じで、チームビルディングにおける混乱期には一定の時間が必要なのかも知れない。
混乱期の必要性が分かっていれば、混乱期に慌てる事無くチームビルディングを行うことができるし、これを避けていては大きな成果は得られないと思えばその不安定な時期を乗り越えることができる。
大掃除の場合には、別の部屋に行っていればいいだけなんだけどね。

2010年12月27日月曜日

餃子小舎

柏にオリジナル色豊かな餃子屋があると聞いて、家族で行ってきた。
やはりその豊富なメニューには圧倒!
http://gyoza-goya.jp/menu.php

もちろんメニューの好みにもよるのだが、味も美味。
メニュー毎に、醤油タレなのか、マヨネーズダレなのか、はたまたそのままが良いのかの評価表があるのがとても親切(というか、いちいち説明してられないからなんでしょうな)。

「炎の激辛餃子」というハバネロ・ワサビ・マスタード・カレー・キムチ・豆板醤の入った6種類の激辛餃子が一皿で楽しめるメニューがあるのだが、これは一人で完食するとお店に名前が張り出される。
最初にウォッカのフランベルがあったりする(辛そうに感じるという趣旨以外あまり意味はないらしい)。
たまたま隣の人(実は神保町では30倍カレーを平気で注文するような人だったらしい)が額に汗しながら完食して名前を刻んでいた。
子供が食べたがっていたのだが、さすがにやめさせた。ただしい判断であった。(そんなに辛いとするとフォローしきれん)

「餃子パフェなる、名前だけ聞くとちょっと引いてしまうようなメニューもあり、チャレンジャーとしてはこちらを挑戦。
食べてみて、「・・・普通の餃子の皮と違う皮ですね?」と通ぶって聞くと「皮は全部一緒です」とのこと。
中身とソースで味が全く変わるという餃子の特性を活かしたメニューでした。

オリジナル餃子セットだと530円でそれなりにお腹がふくれるはず。
しかしながら、色々なオリジナル餃子を食べてみたくて、ひたすらオリジナル餃子やらデザートだけを注文し続けるという戦略ミスにより、ランチだというのに結構な金額になってしまった。トホホ・・
でも後悔はなし。

有名なホワイト餃子ともすぐなので、吉鳳園の点心餃子と合わせて、柏餃子のハシゴルートができそうな気がした。

2010年12月18日土曜日

四谷大塚入塾説明会

下の息子が、そろそろ塾かという話になり、四谷大塚の入塾説明会なるものに行って来た。
塾の中学入試実績がどれだけすごいのか、最近はどれだけ勉強しないと中学入試に対応できないとか、などあおられるのかと思っていた。
ところが、パワーポイントで語られる内容の最初は世界的な人口動向とか、少子高齢化の話から始まって、我々の大切にするのは”志”である、といった理念。
世界的な人口動向(爆発)であるとか、日本の少子高齢化の話は、リーダーの育成が大切であるという流れにつながって、四谷大塚の標榜する「社会に貢献する人財を育成する」という教育理念につながっていくのだが、入塾説明においても”ヴィジョン”が求められる時代なのかなと、変な部分で感心した。
理念に引き続いて、もちろん入試実績やら授業カリキュラムの説明やらが続いたが、途中でも、「家では”夢”をテーマに対話をするようにして下さい」というような話がでたりで、自分の時代(極端に言うと城山三郎「素直な戦士たち」の世界)とは塾と言っても大分違うようであった。

それにしても教育って、やはりお金がかかる。
自分もやらせてもらっていた事を考えると、この歳になって、いまさらながら老父母に感謝する次第である。

2010年12月12日日曜日

テルマエ・テガエ?

手賀沼のほとりにある、とあるスーパー銭湯に久々に行って来ました。
この不況下にも関わらず、すごい人出で、建物のイルミネーションはすごいし、サウナなんかはもう満員状態だったりして諸々ビックリしました。
そのサウナです。
サウナにしてもその後の水風呂にしても、基本的なルール(サウナに入る時は体を拭いて水分をとってから入る。水風呂に入る前は体を流して入る。水風呂の中に潜らない等等)を守らない人が多くてちょっとイラッとしました。

そんな時ふと思い出したマンガがあります。
『テルマエ・ロマエ』というマンガをご存知でしょうか。
古代ローマ時代のルシウスという設計技師(風呂限定)が現代日本にタイムトリップして日本の銭湯・温泉文化を学んでいくという冒険物語(風呂限定)なのですが、この中に、今回のように入浴時のルールを守らない野蛮人の話がでてきます。
今年の色んなマンガ賞(マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞など)を受賞しているマンガで、まだ2巻しかでてませんが、面白くてお勧めです。
どうやって入浴時のルールを守らせたのかは是非マンガをお読み下さい。

イラッとしつつも、銭湯でサウナに入るような人には”通っぽい”人が多いので、困っちゃうな〜なんてことを考えていたら
「は〜い、タオルの交換で〜す。申し訳ございませんが全員外におねがいしま〜す♡」
と銭湯おばさんが乱入して来て、ほぼ満員状態でサウナの中にいた通っぽい人達は全員一旦外に出されてしまったのでした。
銭湯おばさんおそるべし。

『ザ・ベロシティ』

本のハチマキ部のコピーに「21世紀版『ザ・ゴール』誕生! あえて「ムダ」は残せ!」とあり、TOC(制約理論)信奉者としては即購入、購読した。

概略でいうとTOC理論に、リーン生産方式、シックスシグマの概念を合わせることで、非常に効率性の高く組織の戦略的目標達成に向け、「スピードと方向性」(=velocity)を確立することを目指しすものである。
(本のタイトルの「velocity」とは、単なる速さ(Speed)ではなく、方向性を伴った速さ(Speed with deirection)の意味。)

リーン・シックスシグマ(リーンとシックスシグマを合わせたもの)とTOCは共通する部分もあるが、根本の所で考え方が異なる。
リーン・シックスシグマでは、生産ラインをバランスさせることが重要とされるが、TOCでは、逆ににバランスさせるべきではないと考える。
スループットを最大化するためには、余剰キャパシティも非常に大切で、100%フル稼働しているリソースがいくつもあるのは、逆に非常に非効率と考える。
ラインのキャパシティを短期間で100%フル稼働させるように改善するのは現実的には困難である。
ラインをバランスさせるということは、全てが完璧に100%で動かないといけないということである。ラインをバランスさせた場合は、全てのリソースのキャパシティをそぎ落としてしまって予備のキャパシティがほとんどないので、どのリソースでもボトルネックとなりうる。

簡単にいうと、ラインをバランスさせるというのは理想型であるが、実際には各プロセスにおいてバラツキが生じる。このバラツキを無くしていこうというのがリーン・シックスシグマの考え方であり、バラつく前提でライン全体のスループットを高めるためにはどうしたらいいかというのがTOCの考え方である。

これを、分かりやすく説明するゲームとしてサイコロゲームが紹介されている。
システムのプロセス間に依存関係があって、バラツキが生じる場合、どういうことが起こるのかの傾向が理解しやすい。また、設定によりスループットおよび在庫がどう変化するかが非常にわかりやすい。
DBR(ドラム・バッファー・ロープ)についても理解が深まるゲームである。一度本当にやってみたいと思った。

「制約」というと良くない響きがあるが、『ボトルネック』はボトルにとってフローを調節するという大事な機能を果たしている。
ビールやワインのビンなどに設けているボトルネック(細くなっている所)は、注ぐ際の流れを制御するためにわざわざ設けているくらいである。

「全体(を改善するために行われる一つひとつ)の改善活動は変革を必要とするが、すべての変革が改善に寄与するわけではない」
「全体を改善することと、全てを改善することは同義ではない」
というTOCの考え方をベースに物語がすすんでいくが、その他新しい考え方についても紹介されている。

シングルタスキング <リレーランナー方式>
仕事を受け取ったら、次の三つのうちのどれかが起こるまで走る。
①仕事を終わらせて次の人にバトンタッチする。
②その仕事を終わらせるには他の人の協力が必要な場合、その人からの仕事が来るのを待つために作業を途中で中断する。
③もっと優先度の高い仕事が途中で与えられた場合、今やっている作業を中断して優先度の高い仕事をもってまた走り出す。

TOC理論をリーン・シックスシグマと融合させて新しく「velocity」という概念にしたということであるが、TOC理論の小説としても秀逸である。

余談だが、TOC理論は船川淳志先生の研修を受けた時に、「何かビジネス理論で学んだものはありますか?」という質問があった。(船川先生は研修の時に「教える側も何か持って帰ろう」というスタンスが見えて、さすがと思った記憶がある)
「7つの習慣」なんかの話が出る中で、「エリヤフ・ゴールドラットという人の"TOC"制約理論というのに非常に共感を覚えています。」と回答した記憶がある。
(船川先生は、ちゃんとメモっていた)

今、会社で人材育成について議論しているのだが、「部下にどこまで任せるのか」というテーマのひとつにもこのTOCの考え方が利用できるのではないかと考えている。
それはまた別の機会ということで。

2010年12月11日土曜日

『結果を出し続けるために』

19歳でタイトル獲得してから常に将棋界のトップに君臨し、既に40歳になった羽生善治名人が、勝ち続けるために「ツキや運」「プレッシャー」「ミス」とどう付き合うのかを綴った本。

将棋の手には著作権がないので、自分で一生懸命考えて、新しい手を編み出したとしても、良い手はすぐに真似されてしまう。
将棋の世界は、良ければ真似され,研究されたりし、ダメならすぐに廃れると言う、ある意味究極の市場原理の世界。
そんな中で既に20年以上も勝ち続けている羽生善治氏がどのような考え方でいるのかに非常に興味があって読んでみた。


<勝負で大切なこと>
①恐れないこと
 「必要以上の恐れ」を持たないようにすること。そのためには、自分にとって不必要なものを手放すこと。
 自分にとって必要でないものを見極めたうえで、決断しながら不要なものを捨てていくことが、恐れないことにつながる。
②客観的な視点を持つこと
 局面を自分の側、相手の側からではなく、審判のように中立的に見ること。
 言葉を変えると「他人事のように見る」ということ。
③相手の立場を考えること
 将棋の基本的な考え方に「三手の読み」という言葉がある。
 状況をよくしたい、好転させたい時に、自分に取って一番都合の悪い手を考えるのは辛いが、そこをシビアに見ていく。
『恐れず、客観的に、相手の立場になること。』
一般の会社でマーケティングの3Cになぞらえると、自社(Company)においては決断しながら不要なものを捨てていくこと、顧客(Customer)においては市場がどうであるかを中立的・客観的に捉えること、競合他社(Competitor)においては相手が自らが最も困る戦略をとると考えて行動する、といったところか。

<次の一手の決断プロセス>
①直感
 カメラのピントを合わせるように急所を瞬間的に選択し、2〜3の手に絞り込む。
②読み
 シミュレーションを行う。
③大局観
 「終わりの局面」をイメージする。
とのことだが、面白いのは結局「最後は主観」、つまり「好き嫌い」とのこと。
迷った末には自分の好きな手を選ぶというのは、非常に大切なことなのかも知れない。

羽生氏の提唱する成長モデルで高速道路理論がある。
今はどこにいても瞬時に最新の情報が手に入る環境が整っており、一定の所までは短期間でたどり着けるようになった。いわば、遠回りや迂回をしないで、最短距離を行ける高速道路が整備されたようなもの。しかし、高速道路が整備されていないエリアまで来ると大渋滞となり、後ろからもドンドン新しい車がやってくる。
こういった状況を抜け出すには、違ったアプローチをして差別化を図らなければならない。高速道路から降りて、自分で新しい道を切り拓いていく必要がある。
現代は統計学や確率計算の理論がすごく進んでいて、セオリーや定跡、常識が、確立・確定しやすい時代。しかし、セオリーや定跡に頼りすぎると、いったんそこから外れたり、自分で道を切り拓くことが必要な局面になったときに、自力で対応する力が弱くなってしまう。
ではどうしたら自分の状況や環境、時代の流れを読んで、未来を切り拓いていく力を身につけれるのか。
羽生氏は、羅針盤が効かないような状況に極力身を置くことではないか、と述べている。



○将棋は「結果が全てだ」という気持ちでは長く続けられない。
ずっと続いていく日々の中で、いかに今までになかったことをやっていくか、という対局のプロセスを大切にしている。結果よりも大事なのは、「自分にとっての価値」。
○一局の対局の本質は、勝つためではなく、価値を創るため。
価値を見出すことに非常に意味があり、さらにそれを見てくれた人が、感動した、面白かった、喜んでくれた、というところにまた意義がある。
○充実感は環境に左右される。

勝負の結果が明白な将棋の世界で20年以上も君臨する羽生氏が述べるにはちょっと意外な意見であり、またそれ故、非常に重みを感じる。

「才能とは、続けること」
プロとアマチュアの違いを定義するならば、「自分の指したい手を指すのがアマチュア」、「相手の指したい手を察知して、それを封じることができるのがプロ」
そして、一人前のプロと、一流のプロとの違いは、「継続してできるかどうか」。この一点のみ。
昔から「やりゃあ出来る」というのは嘘だと思っていて、「コツコツとやることができる」のは一つの才能であると思っていた。羽生氏はその「続けること」こそが才能であると言っている。これまた重みのある言葉である。

「幸せ」とは何か、「成功」とは何か、についても羽生氏はこの本の中で自分の意見を述べている。

羽生氏の意見はどれも非常に長期志向(ロングスパンでのものの考え方)であり、どの世界でも長期にわたってトップであり続けるような人の考え方は非常に似通っているのかもしれないと思った。

学研Next講習会

子供の頃、有名だった「学習と科学」を出版していた学研の家庭教育事業本部がホールディングス化に伴い法人化したのが学研Nextという会社で、そこの家庭教育プロデューサー、酒井勇介氏の講演を聞いてきた。

新学習指導要領が40年ぶりに大改革され、
平成23年:小学校 授業時間278時間、5%アップ、新しい教科書のページ数平均25%アップ。
平成24年:中学校 授業時間360時間アップ。
ということで、授業の進め方は速くなり、家庭での勉強が増えるのだそうだ。

全国学力・学習状況調査(小中学校では2007年に43年ぶりに復活した)という小学6年生と中学3年生の調査がある。
これは学力調査の他、同時に学習環境についてのアンケートもあるので、学力とどのような習慣に相関があるのかが推定できる仕組みとなっている。
都道府県別学力ランキングでいうと、秋田、福井、青森が不動の上位3位。

秋田県の子供たちの学習環境から秋田県の子供たちの学力が高い理由を推定すると
①決まった時間に机に向かう
②机の上は学習用具だけ
③ながら勉強禁止(テレビ、ゲーム、食べる、メール)
④文字を丁寧に書く
⑤復習を大事に(この項目は秋田県がずば抜けて高いらしい)
⑥読書習慣
ということに相関があるのだそうだ。
学習時間でみると、平日の差はそれほど大きくないが、土日で秋田県の子供は他の都道府県の子供に比べて長く学習している。(週末に緩んじゃイカンということ)

OECDのPISA(学習到達度調査)で常に上位のフィンランドでは
①自分だけの本棚がある。たくさんの本を読む。
②家庭で、授業で、「なぜ?どうして?」という質問形式が多い。
③学校での出来事を家族で話し合う習慣がある。
という習慣が学力と相関があると考えられている。

国レベルで学力を上げるためには、次のどちらからしい。
①国の税金の使い方を効率的に教育関係に使うことで教育環境を整える(例:フィンランド)
②個人の家庭内での学習を充実する(個人でお金をかける)(例:韓国、中国)
韓国では子供が大学に行かない場合には恥ずかしくて山奥に引っ越さなければならないくらいらしい。
OECD学習到達度調査2009で「上海」がいきなり1位を独占したのもこの事例。ちなみに中国は都市ごとの参加ということで国全体では調査に参加していない。(格差があり過ぎて上位にいけないからだろうか)

学習の習慣は早く始めると親にも子にも負担にならない。子供は順応するのが速い。
子供の学習環境を考えて実践するのに、出産と住宅購入時は契機。

新学習指導要領変更につき、家庭での学習が大切になってくるとのことだが、その中でも
①国語の読書習慣(幼少のうちは図鑑を眺めるということでもOK)
②英語のリスニング(高校受験では配点約30%。時間がかかるので試験前だけでやろうとすると理社をやっている時間が無くなるらしい)
については家庭で早期に開始するとよいとのことであった。
小さなうちから、寝る前に 歯磨き3分、英語リスニング2分、読書(図鑑など見る本でもOK)10分の習慣が大切とのこと。
リスニングの2分なんて効果あるのかという気もするが、毎日2分の効果は毎日コピー用紙を1枚ずつ積み重ねるのといっしょ。
最初は全くわからないが、100日、200日と重ねると差は歴然となるのだそうだ。

何につけ、あの「学研」の家庭教育事業のプロが語る内容なので信憑性が高い。
これらを住宅の間取りにどう活かせるのかということについては、サワリの部分で講習は終了してしまった。
残念!

とはいえ、昨今の教育環境についてのプロの視点を聞くことができて非常に有益であった。

2010年12月5日日曜日

『宇宙は何でできているのか』

東京大学 柏の葉キャンパスに本拠地がある、東京大学数物連携宇宙研究機構(IPMU)の機構長 村山斉先生の宇宙の秘密に迫る本。
「すべての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残りの96%は何か?」
という幻冬社らしいキャッチコピーにひっかかって購入してしまった。

以前、東大主催で、ノーベル賞を受賞した南部先生の理論を分かりやすく説明する「サイエンスカフェ」が柏の葉のららぽーとで行われた。
東大の準教授の人が説明する南部理論の内容はやっぱり難しくて正直良く分からなかったのだが、質疑の時間が面白かった。
参加していた小学生から「宇宙の果てはどうなっているのですか?」という質問がでたのに対し「実は、宇宙の果てがどうなっているのかは良くわからないんだよ。それがこれからの課題なんだ。」と回答していた。
小学生の質問なので、ある意味適当に回答するとか、ケムに巻くとかできたと思うのだが、真摯に回答している姿に好感を持った記憶がある。
小学生にとっては理科なんて必ず答えが用意されていると思っていたと思うのだが、「まだ世界で誰も分かっていない問題がある」というのはちょっとワクワクしたのではなかろうか。

さて、キャッチコピーの答えなのだが、残りの物質のうち約23%は暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる物質で、これが存在していないとすると我らが太陽系がすっぽ抜けて宇宙の果てに行ってしまうからなのだそうだ。
(そうでなくても地球は太陽の周りを秒速30km(時速10万8千km)で回転し、その太陽系自体も秒速220km(時速約80万km)で宇宙の中を進んでいるらしい。)
その他大半約73%を占めるのが、暗黒エネルギー(ダークエネルギー)と呼ばれるもので、これは宇宙という”箱”が膨張しても、その密度が薄まらないものらしい。
これは宇宙の膨張が加速してるという事実から,宇宙という”箱”がいくら大きくなっても薄まらずに、その膨張をぐいぐい後押しする謎のエネルギーがなくてはならないことから、「ある」とされている謎のエネルギーである。

宇宙は10の27乗m、素粒子は10の−35乗m。宇宙の成り立ちを研究するには実は素粒子の成り立ちを調べるのが早道という「ウロボロスの蛇」(古代ギリシャでは「世界の完全性」を表すシンボル)というのは何となく理解できたのだが、すごくシンプルで分かりやすく書かれているにも関わらず、正直後半の素粒子編の解説は難し過ぎて理解できなかった。
内容が普段の生活の常識とかけ離れた世界であるから理解には時間がかかるのか、それとも理解力の問題か。
何でも「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」(by ガリレオ・ガリレイ)らしいから、しょうがないとしよう。

2010年11月28日日曜日

『デフレの正体』

現在「デフレ」と言われているものは、景気の波ではなく、生産年齢人口の減少という根源的なことが原因である、ということを分かりやすく、一般に入手できる数字にて説明している本。

国際収支でいうと、日本はこの不況下においても貿易黒字を出しており、輸出が減れば原料の輸入も減るという形で大半は変動費であるため、今後も大幅な貿易赤字になる可能性は低い。

国際収支的にいうと、中国の台頭は消費マーケットの拡大につながるので中国(香港含む)への貿易黒字2.6兆円(08年)が拡大する方向であり、中国が繁栄すればするほど日本製品が売れて貿易黒字額は大きくなる。
仮に中国がうまく発展できれば、先に産業を発展させてきた韓国や台湾の状況(いずれも日本は3兆円前後の貿易黒字)に近づいていく。そのおかげで日本は益々儲かる。

何が起きても儲けの減らない世界の工業国兼金貸し”日本”から黒字を稼いでいる国はどこか。
資源国、中東産油国やインドネシア、オーストラリアなどは別とすると、フランス、イタリア、スイスが近年一貫して対日貿易黒字となっている。「自国製」の「高級ブランド品」である。ハイテク製品ではなく、食品、繊維、皮革工芸品、家具などの「軽工業」製品が日本で売れている。
今の不景気を克服してもう一度アジアが伸びて来た時、今の日本人並みに豊かな階層が大量に出現して来た時に、彼らがフランス、イタリア、スイスの製品を買うのか、日本製品を買うのか、日本のおかれている国際競争とはそういう競争である。
故に、工業製品を人件費を下げて効率的につくることよりも、各種日本製品のブランド化が大切である。

生産年齢人口は即ち消費者人口であり、生産年齢へ回ったお金は消費に向けられるが、高齢者に回ったお金は貯蓄に回るだけで消費には回らない。
高齢者の貯蓄の多くはマクロ経済学上の貯蓄とは言えず、「将来の医療福祉関連支出(医療福祉サービス)の先買い」、すなわちコールオプション(デリバティブの一種)の購入なのである。
先買い支出であるから、通常の貯金と違って流動性はなし。他の消費には回らない。

今の日本で起こっていることは、生産年齢人口=消費者人口の減少→供給能力過剰→在庫積み上がりと価格競争激化→在庫の時価の低下(在庫が腐る)である。
この結果発生した消費者余剰は、高齢者が老後に備えて確保する極めて固定性の高い貯蓄という形で「埋蔵金」化して、経済社会に循環していない。

こうした原因が見えてくると、今の日本が目指すべきは生産性の向上ではなく、
①生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める。
②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす。
③(生産年齢人口+高齢者による)個人消費の総額を維持し増やす。
ということである。
「戦後最長の好景気」の下で、輸出の活況で数字上の「経済成長」と個人所得総額の増加(高齢富裕層への金利配当所得の還元)は起きたが、①の生産年齢人口減少は全く止まらず、②の生産年齢人口に該当する世代の所得増加は生じず、③の個人消費総額も(高齢富裕層が金融投資に傾斜したためと推測されるが)実際には増えなかった。

「モノづくりの技術革新」は重要ではあるが、今日本が患っている病の薬ではない。
モノづくりの技術は、資源のない日本が外貨を獲得して生き残っていくための必要条件であるが、今の日本の問題は、獲得した外貨を国内で回すことである。
日本は、技術開発と内需振興とを同時に行わなければならない。

そのための必要な対策は
第1:高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進
第2:女性就労の促進と女性経営者の増加
第3:訪日外国人観光客・短期定住客の増加
の3つである。

実は、共働きの多い都道府県の方が子供の数が多い、であるとか意表をつく内容が多く、数字も分かりやすく記載されていて大変勉強になった。

『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』

自己啓発のイデオロギーへの違和感から生まれた、という橘玲氏の本。

高度化した資本主義社会では、論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる。
こうした知能は遺伝的で、意識的に”開発”することはできない。
ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなに認知されたときだけだ。
都市化と産業化によって、伝統的な愛情空間や友情空間(政治空間)は貨幣空間に浸食されて来た。
でもその代わり、情報テクノロジーの発達によって、貨幣空間が”友情化”してきた。フリーで効率的な情報社会の到来は、すべてのひとに自分の得意な分野で評判を獲得する可能性を開いた。
だったら、幸福への近道は、金銭的な報酬の多寡は気にせず好きなことをやってみんなから評価してもらうことだ。
能力があろうがなかろうが、誰でも好きなことで評判を獲得することはできる。
必要なのは、その評判を収入につなげるちょっとした工夫だ。
ロングテールもフラクタル(全体と部分が自己相似になっている図形)の一種だ。

だから
「伽藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」
というのがまとめ。

○ハワード・ガードナーによる「多重知能(MI=Multipule Intelligences)の理論」
○心理学研究者 ジュディス・リッチ・ハリスの「集団社会化論」
○社会学者 ロバート・D・チャルディーニ の『影響力の武器』
○リーナス・トーバルズ の「リーナスの法則」
など、興味深い理論や実験を紹介しながらの論理展開は、さすが橘玲氏である。

まとめに至るまでに色々な理論や実験が紹介されていてスゴく面白いのだが、(著者も認識はしているようだが)無理に「自己啓発が無意味である」ということをベースにしなくても良かったし、しない方が納得感があったのではないか。

最後に、
『「好き」を仕事にしたいのなら、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計しなくてはならない。』
とあるのだが、この”設計”をするためには能力が必要であり、そのためには自己啓発が必要だったりするのではないか?などと考えてしまうのは、ひねくれ者の発想であろうか。

2010年11月23日火曜日

筑波山

家族で筑波山に登ってきた。
筑波山とは標高877mの山。「登る」といってもケーブルカーやロープウェイで頂上近くまで行けてしまうので、なめてかかっていたが、登ってみると中々どうして結構な山であった。
登りは「白雲橋コース」距離約2.8km、標高差約610m、所要時間約110分、下りは「御幸ヶ原コース」距離約2.0km、標高差約610m、所要時間約70分というルートをいった。

山では色んな人とすれ違う。
「ママが『ハイキング』っていうからこんな靴にしちゃったけど、これじゃ『登山』じゃないのよ!」と孫に愚痴ってるおばあちゃん。
どういう経緯なのか、きっちりスーツに身を包んで鞄も持っているサラリーマン(DR.アテンドのMAさん?)。
暑くなって服を脱いで、白い爺シャツ一丁のお父さん。
がっちり山登り系からカラフル森ガールまで。
「なめてかかる」人が多いからか、これほど多様な格好の人がいる山も少ないのではないか。

面白いのが、トレッキング系の人達がEPIガスなんかでお湯を沸かして色んなものを食べたり飲んだりしているのだが、何故だか自然も少なく面白みもないケーブルカーの筑波山頂駅の周辺に場所を構えている人が多かったことだ。
せっかくアウトドアの準備をして来たのだから、お店がすぐ近くにあるような場所ではなくて、もっと自然を感じられるところでやればいいのに、と思ったが自らの身に置き換えててみて気がついた。
理由は「トイレ」であろう。
『大震災で生き延びるには「排泄」をしっかりすること。食事は食べなくても水さえ飲んでいれば1週間程度で餓死することはない』という話を聞いたことがあるが、こういう所でも人は「排泄」を意識しながら行動しているということだ。

山での挨拶は「こんにちわ」である。
朝早くても「おはようございます」にはならないようだ。
テレビ局だと真夜中でも挨拶は「おはようございます」だという話は有名だが、山においては活動できる時間帯は常に「こんにちわ」になるようだ。
比較的朝は、通の方(主に高年齢)が多く、昼を過ぎてくると若い人や小さな子供を連れたファミリーが多くなる。

途中「男女川(みなのがわ)の源流」という水が飲める湧水があって、百人一首で陽成天皇の歌「筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる みなのがわ 恋ぞつもりて 淵となりぬる」で歌われている「みなのがわ」が本当にあるのを知ってびっくりした。
(調べると男女川と呼ばれるものは北側斜面にももう一つあるらしい。いずれも最後は霞ヶ浦へ流れ込むらしい)

下山途中、これから登っていく人達とすれ違うのであるが、こちらはこれから彼らにどのような行程が待っているのか知っているので、話を聞いていると突っ込みたくなる場合が多い。
「あともう少しで山頂だから、頑張れ!」と子供を励ましている親御さん(実はまだ最後に修羅場が待ってるんだよね〜)とか、「思ってたより楽チ〜ン」とのたまっている合ハイ集団(まだ下の方なんだから、まだまだこれからよ〜ん)とか。

下山後は、筑波山神社の脇の江戸屋で足湯を堪能。足湯だけだと一人200円、飲み物付きでも一人500円。本当は足だけと言わず全身浴でいきたい所だが、目の前に紅葉を見ながらの足湯も乙であった。

2010年11月10日水曜日

TEP(TXアントレプレナーパートナーズ)

柏の葉キャンパス駅すぐのAGORAというカフェを拠点としてTEP(TXアントレプレナーパートナーズ)という組織がある。
多くの先端技術や先進的研究が集まるTX(つくばエクスプレス)沿線には、アントレプレナースピリットに燃える起業家も多く、彼らを支えるインキュベーション施設も整っているということで、この最先端技術の集積地であるつくばエクスプレス(TX)沿線を中心に、アントレプレナースピリットを醸成し、より多くの起業家、ベンチャー企業を育成、支援する目的で設立されたのがTEPである。

TEPには、企業家であるアントレプレナー会員の他、投資家であるエンジェル会員がいる。
毎月『エンジェル例会』というものがあり、アントレプレナー会員がエンジェル会員の前で自分の事業をプレゼンし、その場でエンジェル会員から興味が有る無しを判断され、うまくいけば投資してもらえるし、ダメなら諸々ダメだしをされるという、さながら『マネーの虎』のような世界が繰り広げられている。

自らの事業をプレゼンするにあたっては以下のことは必須である。
①基本的には投資家は当該事業に詳しくないので、分かりやすく自分の事業の業界について語れなければならない。
②自分の事業をどうしていきたいのか、というヴィジョンが明確でなければならない。
③どこで儲けるのか、ビジネスモデルが確立されていなければならない。
④その中で、「自社の強みが何か」「他社との差別化は何か」ということを打ち出せなければならない。

プレゼンが終了すると、エンジェル会員から忌憚の無い意見と様々な質問が飛ぶ。
「マーケットはどうなっていくという認識か。定量的に説明して欲しい。」
「××のリスクについてはどう考えるか。」
「その技術はどこが世界に通用するポイントなのか。」
などなど。

食事&お酒を飲みながらではあるが、白熱した議論が交わされる。
結構飲んでいるエンジェル会員も多い割には、議論は的を得ていて、聞いていてとんでもない方向に話がずれるようなことはない。
アントレプレナー会員からは、資金提供の支援依頼の他、人脈紹介の依頼であったり、自分の考えにおける忌憚の無い意見などがエンジェル会員に求められている。
エンジェル会員からは厳しい意見も飛ぶが、基本的には企業家を支援する目的で集まっている人達ばかりなので、その意見は前向きで根底には温かいものが感じられる。

基本的には、会員にならないと参加できないのであるが、こういったフランクな議論が駅前カフェで自然と行われるようになると、柏の葉という街はすごい魅力ある街になっていくと思う。

代表の村井勝氏が、「海外の施設入居のクライテリアは何か?」と問われたのに対して、
「日本人はつい長々と説明するが、エレベーターの中でポイントだけを説明して興味をもたせるエレベーター・ブリーフィングができないとダメ」と話していたのが印象的であった。

2010年11月7日日曜日

『和の思想』

アトリエ和尚の渥美利幸先生からお勧めをいただいた本。
長谷川櫂さんは俳人なのだが、「和」の考え方について共感されたということでお勧めなのだと思う。

この国の「和」とは何か。
日本人が培ってきた「和」とは、異質のもの、相容れないもの同士が引き立て合いながら共存することだった。
そして、さらに一歩進んで、このような和を積極的に生み出すことを「取り合わせ」と呼んできたという。

また、この「和」が誕生するためになくてはならない土台が「間」である。「和」はこの「間」があってはじめて成り立つ。
日本人は生活や文化のあらゆる分野で「間」を使いこなしながら暮らしている。
間の使い方はこの国のもっとも基本的な掟であって、日本文化はまさに間の文化といえるだろう。

日本人の生活や文化の中で、なぜ「間」が大事にされるのか。
この蒸し暑い島国では何であれ、「夏をむね」とし、十分に間を取り、涼しげでなければ、たちまち住むのが「堪え難きこと」になってしまうからだと著者はいう。

この国では何事もこだわるより、なりゆきに任せることが重んじられる。周到に準備されたもの、完璧に整えられたものは、たしかに感心させるに違いないが、決して感動されることはない。なぜなら、周到に準備したり、完璧に整えたりすること自体がわずらわしく暑苦しい思いをさせるからである。

芭蕉の句「古池や 蛙飛こむ水のおと」の解釈や、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』の解釈から兼好法師の『徒然草』まで、総動員しての「和」の解釈は非常に面白い。
夏を旨とする、涼しげな作法こそが日本人のベースとなっているという考え方は斬新である。

著者は俳人なのであるが、建築家に関しても述べている部分がある。
「安藤忠雄は大地の根底からデザインし、掘り起こし、がっしりと建物を造り上げる。それを象徴する素材がコンクリートであり、コンクリート打ち放しという工法であった。
この安藤の建築と対比すると、隈の建築は表層的である。
仮に凸凹の土地に家を建てるとすれば、安藤はまず凸凹を平らにして建てるが、隈は凸凹のまま、というより、逆に凸凹を活かして建てようとする。
安藤を筋肉的な建築家と呼ぶなら、隈は皮膚的な建築家といえる。」
明確な記載はないが、どちらかというと隈の”皮膚的な建築”(よく言われる『負ける建築』
)こそが日本的な「和」であるという考え方のようである。

「空っぽであることは大いに誇るべきことである。日本という国は大昔から次々に海を渡ってくる様々な文化をこの空っぽの山河の中に受け入れて、それを湿潤な蒸し暑い国にふさわしいものに作り替えてきたからである。
それこそ「和」の力であり、この「和」の力こそ日本独自ということのできる唯一のものである。その力によって生み出されたものが和服であり、和食であり、和室だった。」

対立するものがある場合、第三の道への昇華が「和」の力だとすると先人の培ってくれた「和」の力を最大限に活かしていきたい。
そのために必要なのが「間」だとする考え方は、通常”遊び”と捨て置かれる一見無駄なことに対する寛容性にもつながる考え方ではなかろうか。
”涼しげ”に「結果」も出していきたいものである。

大巻伸嗣氏 ホールド型取りワークショップ@UDCK

柏の葉の新UDCKでアーティスト大巻伸嗣氏による「ホールド型取りワークショップ」が開かれて子供と参加してきた。
この”ホールド”とは、現在建設中のマンション「パークシティ柏の葉キャンパス 二番街」の中に設置されるアート「トラバーシングウォール」と「タイムウォール」に設置されるホールド(つかみ手部分)である。
ワークショップ参加者が各自思い出の品を持ち寄り、それを型取ることで”ホールド”をつくり、過去と現在と未来を、また、居住者同士をアートで結ぼうという素敵な企画である。

そんな高尚なテーマとは関係なく、この”型取り”の活動は面白かった。
作業とすると、①外枠となる箱を用意し、②「コピック」と呼ばれる型取り材をボウルに水でといて、③取りたい型と共に箱の中に注ぎ込む。④固まったら型の部分を取り去って、⑤水で溶いた石膏を注入し、⑥石膏が固まったら、箱を取り外して、コピックから石膏をとり出す。
という順番である。

書くと身もふたもないが、色んな所にコツやらポイントがあって、結構大人もはまる。
○コピックは早く混ぜないと固まってしまう(特に大量の時には相当量を手分けしてでも一気に作る必要がある)。水だと固まるのが遅いので早めたい時にはお湯を使う。
○コピックを箱の中に注ぎ込む時にはトンカチ等で叩きながら入れて、空気を抜く。
○気を抜くと、中に入れたはずのものやら手やらが浮かんでくる(コピックは比重が重い?)
○石膏は水と1:1の比率で混ぜる。この時もお湯を使ったり、塩を入れると早く固まる。

芸大の学生さんも手伝いに来ていて話をしたのだが、この「型取り」は芸大では基本の基の字で入学すると最初にやるのだそうだ。
結構「型取り」というのは奥が深くて、色んな対象を色んなやり方で学ぶらしい。

一時期化石を掘り出すのが流行ったが、石膏が固まった後、トピックの中から作品を掘り出す作業は化石を掘るのと似た興奮がある。
また、出て来たものを整える作業も、昔やった型取り(難易度により金額が違うが、成功すると賞金がもらえるやつ)の面白さに似ており、これは主に大人が集中しながら行っていた。

一回できてしまうと、もっと色んなものにチャレンジしたくなり、もっと大きな対象であるとか、もっと難しい素材であるとかにチャレンジし始める。
最初は子供が喜んでやっていたが、子供が飽き始めた頃に見渡してみると、新しい作品をやっていたのは付き添いだった大人達だったりして面白かった。

大巻伸嗣さん、実は日本でも有数のアーティストだったりするのだが、ワークショップにおける仕切りにおいても非常に秀逸だった。
片付けの時に子供達をうまいこと”のせて”雑巾がけレースを行い、子供達は喜々として雑巾をかけていた。
最後はまるでトム・ソーヤの壁のペンキ塗りみたいな状態になっていて、競争で1等になり商品(ワークショップ始める時に参考に見せるための試作品など)をもらった子供は大喜びであった。
その他にも、「モップ隊」を編成し「モップ隊長、ここよろしく頼むね〜」という感じで誘導し、子供達が楽しみながら掃除を行っていた。

この型取り、夏休みの宿題なんかで常に上位にあがるのだが、家で後片付けなんかのことを考えるとついつい敬遠してしまったりする内容である。
この体験が無料でさせてもらえるワークショップなんて最高である。

参加者が、終了後皆「ありがとうございました」と言って帰っていくのが印象的であった。

最後に気づいた点をひとつ。
大巻さんが、次回の日程の件をスタッフと話をしている時に
「いついつまでは、全く動けない」
という話をしていたのが印象的であった。
我々サラリービジネスマンだと、色んなことを並行して進めるために「いついつまで全くダメ」という仕事の仕方はしない。
しかしながら、『FISH!哲学』にも「Be there」としてあったように、その場で全力投球をすることが集中力を高め、疲れない方法なのかもしれない。
全く異質の仕事をするアーティストの仕事っぷりからもまだまだ色々学ぶことができそうだ。

ディズニーランド

久しぶりにディズニーランドに行ってきた。
以前は家族で年末に必ず毎年行っていたのだが、妻の病気以来初めて、久しぶりのディズニーランドである。

思えばディズニーランドも1983年4月15日開園とのことで、既に27年が経過している。
最初はA券〜E券のチケット制で現在のようなパスポート制ではなく、当然ファストパスのような制度はなかった。
今回久しぶりに行ってみて気がついた点を列記してみたい。

①カリブの海賊で、ジャック・スパロウ船長他、新キャラクターが盛り込まれていること。
(27年前からある人形と最近入ったジョニー・デップとは人形の精度が全く違うのはご愛嬌)
②キャプテンEO復活。
"This is It"を見てしまうと、昔の感動は無いのだが(特にウェイティングで観させられるメイキングビデオは落差大)、そもそも年齢の高い層(40代超)ターゲットという割り切りでマイケル・ジャクソンを復活させちゃうチャレンジ精神は見習う所大。
③キャラクターグッズは、相変わらず新しいものを次々と作っている。(ポップコーンの容れ物一つとっても、定番って何?というくらい着々と進化し続けている)

細かいところを含めて必ず進化させる(ある意味キャプテンEOの復帰もチャレンジという意味では進化と思う)ということが徹底されているのが見て取れる。
キャストのにこやかなサービスも最初は感動したが、「それがディズニー当たり前」と思われると当初の感動を与えることは難しくなってきている。
それでも、感動を与えようとソフトの質を維持しつつ、ハードでも進化を目指す姿勢には頭が下がるばかりである。

ディズニーの映画づくりは、興行だけでなく、キャラクタービジネスの意味合いも強くもっている気がする。
ディズニーのものづくりには必ず表に出さない”バックグラウンドストーリー”が存在する。
どのアトラクションもホテルも、細部にいたるまでこのバックグラウンドストーリーに基づいて決定される。
ディズニーの映画はこのバックグラウンドストーリーをつくりながら、それを表に出してお披露目する(そしてあわよくば儲ける!)という目的も持っているのではないか。
だから必ずしも映画の興行で設ける必要がなく、映画の興行はトントンでもその後映画内のキャラクター達が色々なところ(グッズやらアトラクション)で活躍(貢献)してくれれば元もとれるという考え方なのではないか。
(だからこそ、ディズニー映画は記憶に残る=感動する映画を常に心がけているのではなかろうか。ストーリーの意外性という意味では、ディズニー映画は常にハッピーエンドなので結論は常に読み易い。)

先日の新聞記事によると、
「東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランド(浦安市舞浜)は4日、2010年度上半期(4〜9月)の連結決算を発表した。それによると、例年より雨の日が少なかったため、テーマパーク事業が好調で、営業利益、税引き後利益ともに過去最高(開園25周年の08年度)を更新した。
 営業利益は前年同期比74・6%増の277億2200万円、税引き後利益は同68・0%増の160億6900万円といずれも大幅に伸びた。売上高は同2・9%増の1797億200万円。期間中の入園者数は1295万人で、08年度に次いで2番目に多かった。」
とのことで、OLC社の業績も好調である。

10年位前のOLC社内では、
「ディズニーとケチャップの世代による嗜好は同じ傾向を示し、40歳を過ぎると好きだった層も好きでなくなる。これから日本では40歳代未満の年代が減少するなかで、新たな軸となる新規事業を創り出さねば、いずれ我が社は日の目をみなくなる」
ということで、非常に危機感が高まっていて、その危機感がシルクドゥソレイユ常設劇場の増設などにつながった。
今回の過去最高益は、この不況下でしかもテーマパーク事業という本業で達成しているということは驚くべきことである。
危機感から生み出された新規事業は成功ばかりではないだろうが、今回の決算は基幹事業で日々たゆまざる進化を遂げていないと達成できることではない。
実際に現場を見ても実感できるスゴさがある。

OLC社の人と付き合うと、全ての人が明るく前向きである。
その分、ちょっと緩い点もあるのだろうが、その寛容性がOLC社の魅力であり、高収益の秘密の一つなのではなかろうか。

2010年11月3日水曜日

『日本人へ リーダー篇』

『ローマ人の物語』で有名な塩野七生女史が、文藝春秋で連載していたコラムをまとめて新書化した本。
通常、コラムのまとめを新書化しても新鮮味を失って面白くないのであるが、さすがローマ帝国で歴史から骨太の原理原則を引き出している塩野女史、コラムのネタ自体は古いのであるが、そのネタに付随する原理原則がしっかりしているので、読んでいて面白い。
『ローマ人の物語』も途中読みかけとなっているが、コラム化した方が、紙面の都合上、本当に大事な事だけをポイントとして書く必要があるので、単純化されていて分かりやすい気がする。(その分、理解が浅くなるということなのだろうが)

日本の与党が民主党であるべきか自民党であるべきかの議論については、3世紀のローマの事例から、「やらなければならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと「やり続ける」しかない。」と喝破。
ローマ帝国では3世紀に入ると課題が山積となって、皇帝がコロコロ変わり、それに伴い政策もコロコロ変わった。その結果、ローマ帝国衰亡の原因をつくったのだそうだ。
誰がやるにせよ、「正しい政策をやり続ける」ということが将来の日本をつくるという考え方だ。

また、歴史を紐解いて得た原理原則として、
「興隆・安定期と衰退期を分けるのは、大同小異という人間の健全な知恵を、取り戻せるか取り戻せないかにかかっている。つまり、問題の本質は何か、に関心を戻すことなのだ。言い換えれば問題の単純化である。」
と述べている。
これは、エリヤフ・ゴールドラット博士の制約理論の対立解消術にも通じる。
対立している場合でもお互いに真の目的をつきつめていくと、わかりあえる所まで戻ることができる。それが真の目的であり、それを認識することで問題の本質が見えてくる。


「敗者同化路線」こそ、ローマ人の考えていた他民族国家の運営哲学であった。
知力ではギリシア民族に劣り、体力ではケルト(ローマ人の呼称ではガリア)やゲルマンの民族に劣り、技術力ではエトルリア民族に劣ると,自らが認めていたローマ人が、何故あれだけの大を成す事ができたのか。一大文明圏を築き上げ、長期にわたって維持する事ができたのか。
それは「もてる能力の徹底した活用」なのだそうだ。
どの会社組織においても、また国家にとっても非常に重要な原理原則のような気がする。


グローバル社会が進むにあたって、西欧の人とも宗教について話をする機会が増えることが想定される。
その際、ちょっと批判的な意味合いで「日本人はどうして、神を信じないのか?」「日本人はどうして宗教を持たないのか?」と言った質問がでてくる。
「日本では仏教がベースとなっていて宗教がないわけではないが、八百万の神を信じることを基本とする神社(神道)も生活のうちに深く浸透している。」というような苦しい感じの回答となるケースが多い。
この件について責められた時の模範解答も、塩野女史は教えてくれている。
「一神教と多神教の最も本質的な違いは、一神教に他の神々を受け容れる余地はないが、多神教にはある、というところにある。要するに、他者の信じる神を認めないのが一神教で、認めるのが多神教なのだから。
他者の信じる神の存在を許容するという考え方は、他者の存在も許容するという考えと表裏関係にある。これを、多神教時代のローマ人は「寛容」(クレメンティア)と呼んだ。
宗教を持たないと言って非難してくるキリスト教徒やイスラム教徒に対しては、多神教故の「寛容」を旗印に掲げることに尽きる。あなた方こそ非寛容だとする論法くらい、一神教にとってのアキレス腱はないのだから。」

この回答ができるくらいに、まずは海外の人とのコンタクトの機会を増やさなければ。

2010年10月27日水曜日

『ポジティブな人だけがうまくいく 3:1の法則』

通常の”ポジティブ感情賛歌”ではなく、ネガティブ感情も必要であるとした上で、その比率を3:1(もしくはそれ以上)にすべしという本。

ポジティブ心理学とはマーティン・セリグマン博士が提唱し始めたもので、それまでの心の弱さやマイナス面にスポットを当てたものではなく、前向きな感情にスポットを当てたものである。

著者のバーバラ・フレドリクソンはポジティビティには6つの”事実”(仮説ではない!)があるとした上で、ポジティブ感情の「拡張ー形成理論(broaden-and-build theory)を展開している。

ポジティビティがもつ6つの事実
事実1 ポジティビティは気分がいい
    「いい気分」は生き方を変える動機づけになる。
事実2 ポジティビティは精神の働きを拡げる
    思考の領域を変化させ、視界に入る可能性の範囲をぐんと拡げる。
事実3 ポジティビティはリソースを形成する。
    ポジティブな感情を経験するうちに、身体的リソース、精神的リソース、心理的リソース、社会的リソースが形成される。
事実4 ポジティビティはレジリエンス(弾力性・困難な状況から立ち直る力)の強化をもたらす
    ポジティビティはネガティビティにブレーキをかける。
事実5 ポジティビティは「ティッピングポイント(転換点)」をもつ
    ポジティビティ比が3:1を超えると『繁栄』に向かう。(但しポジティビティの効果は非線形。3:1を超えたところで初めて変化が現れる)
事実6 ポジティビティは増やすことができる
    ポジティビティ比は上げることができる。

著者は数値化魔で、3:1の比率の根拠を様々な実験データ等を用いて述べている。
困難な状況から立ち直る力「弾力性」をあらわす”レジリエンス”が、実は個人のもつ能力に留まらず、コミュニティの中にも織り込まれているという発想は非常に面白い。
これは社会関係資本(人間の関係性も1つの資本である)という考え方にもつながっている。

「本当には楽しんでいない笑み」(目の周りの眼輪筋の動きがポイント)は本質的に「偽善のポジティビティ」で、怒りと同様に、冠動脈性疾患を起こす危険があるという研究結果が出たとのこと。
心から楽しんでいないと自分をだまそうとしてもダメということか。

この理屈からいうと、褒める:叱るの比率も3:1位にしなくてはならないのかもしれない。

2010年10月24日日曜日

らーめん美春

松戸市立病院近くの美春に行ってきた。
柏の葉の美春は美味しくて、よく行くのだが、その本店らしい。
普通よく食べる味噌ラーメンも当然メニューとしてあったのだが、柏の葉店にはない「やぎりの渡し つけめん」というメニューがあって、松戸ならではのメニューということで頼んでみた。
店の入り口にわざわざ表示されていたので、美春のお勧めメニューなのかと期待したのだが、残念ながら味は期待はずれであった。(美味しくないわけではないが、味噌ラーメンにはかなわず)
家族が、定番の味噌ラーメンを美味そうに食べていて、ちょっと残念であった。
チャレンジに失敗はつきもの。
次は定番の美味しい味噌ラーメンで行こう。

『ゲーム理論で不幸な未来が変わる!』

ゲーム理論の数学モデルを使って”予言”を行う(機密解除されたCIA文書によると的中率90%!)ブルース・ブエノ・デ・メスキータ教授が、その科学的予測法を解説する一般向け指南書。

北朝鮮核問題、中東和平問題など、現在も進行中の具体的な課題について予測されていて面白い。

ゲーム理論の基本的な前提として、「人間はみな自分の利益をひたすら追求する存在である」と設定することが必要らしい。
自爆テロも、マザー・テレサの貧者救済活動も、同じく自分の利得を追求する合理的な行為とする視点が必要になるのだそうだ。
どんな問題であろうと、人は意思決定する際に2つのことを欲する。
ひとつは自分が目指す結果にできるだけ近い決定である。
そしてもう1つは栄光〜例えば、取引成立に重要な役割を演じたと他の人々に認めてもらうことによる自尊心の満足。
誰もがこの2つの目標「望んでいる結果にしたい」と「功績を認められたい」をもっている。
どちらをどれだけ重視するかは人によってちがう。一方の望みを叶えたいがために、もう一方の望みを喜んで犠牲にする。。
ちょっと直感的には受け入れ難い前提ではあるが、そう設定しないと数学モデルでは解くことができないということなのだろう。
(その設定で9割方あたってしまうこともちょっとおっかない気がするが・・)

<信頼できる予測をするのに必要なこと>
1 この問題に大きな利害関係があって結果に影響を及ぼそうとする、個人やグループをすべて特定する。(最終的な政策決定者に注目するだけではいけない)
2 1で特定したプレーヤーそれぞれが、互いにかわす私的会話の中で支持する政策〜各プレーヤーが私的に語る望み〜を、入手できる情報からできるだけ正確に推測する。
3  各プレーヤーにとって、これがどれだけ大きな問題か、つまり各人にとっての重要度(重視度)を推定する。
4 各プレーヤーが他のプレーヤーに対してもつ影響力(行使しうる影響力。この問題についての立場を変えるよう他のプレーヤーをどこまで説得できるか?)を推定する。
以上を数値化して、利害関係人がどのようにお互いに働きかけあうのかをゲーム理論の数学モデルで推定する。

様々なテーマの中でも、粉飾決算が起きている可能性をあぶりだすファクターというのが面白い。
株式市場が発達している国で不正会計(粉飾決算)が起こるのは、経営陣が業績不振の実態を隠して自分たちの職を維持するため。株式配当と役員報酬が低めであるのに、時価総額は普通に、あるいはかなり伸びているという”分裂”が、不正行為が行われている可能性が高いことを示す初期症状となる場合が多い。
報告書にある会社の業績や経営ぶりから考えて低すぎる配当、役員報酬などが、不正行為の兆候となるファクターなのだそうだ。
また、会社がどれだけ正直または不正直になりやすいかを判断する指標として、
○経営幹部が職を維持するのに必要な支持者の規模
○機関投資家の株式保有率
がある。
地位を維持するにあたって頼らなければならない人の数が多ければ多いほど、CEOは解雇されやすくなる。だから、業績不振のCEOが辞めさせられるというのは、どちらかというと民主的な会社 での方が起こりやすい。そこでCEOは地位を維持するために業績不振を明かさなくて済むように、事業状態を偽ろうという悪いインセンティブをもつことにな るというのがその理由だそうだ。

ゲーム理論を用いて未来を推定する方法のイメージはできたのだが、次は具体的な手法を事例とともに開陳してもらいたいものだ。

2010年10月19日火曜日

『フィッシュ!実践編』

シアトルのパイク・プレイス魚市場で実践されている4つの<フィッシュ!哲学>の実践事例を紹介しながら<フィッシュ!哲学>を学ぶことができる本。

仕事を楽しむことをベースに組織を変革するためにその根本を「哲学」という形にまで昇華している。

<楽しく仕事をするための4つの原理>
「遊ぶ」Play
・・楽しみながらやる仕事ははかどる。くつろいだ、自然な気持ちで重要な仕事に取り組むと、特に効果的だ。遊ぶとは何らかの活動のことだけではない。やっている仕事に新たなエネルギーをもたらし、創造的な解決法を引き出すような心の状態のことでもある。
遊びは内発的におこるものだから、”誘い出す”ことしかできない。
遊びには信頼も必要だ。職場での遊びを可能にするための熱意と信頼をみんなが共有していないと、本当に遊ぶのは無理かもしれない。
正しいことをする方法をさがすより、間違いを犯さないためにより多くのエネルギーを使うような組織では、遊びは盛んにならない。
しかし、人々が自由に仕事に情熱を傾け、仕事仲間に責任をもつことのできる健全な職場では、遊びは自然に発生する。「注意を向ける」「人を喜ばせる」そして「態度を選ぶ」ことと結びついた形でそれが発生した時、遊びは適切で生産的なものとなる。

「人を喜ばせる」Make Their Day
・・ちょっとした親切や印象的な応対で人を喜ばせれば、日々のありふれた出会いさえも特別な思い出に変えることができる。
自分にだけ注意を向けるのではなく、お客様や家族、同僚など、ほかの人と気持ちを通じ合わせ、彼らを喜ばせるにはどうすればよいかを考えることは、はかりしれないほどの効果を生む。「いっとき喜ばせるだけ」でもよい。

「注意を向ける」Be there
・・私たちはお互いに注意を向け合うことによって、気持ちを通じ合わせる。何かに打ち込むため、また燃え尽きるのをふせぐためにも、注意を向けるのはよい方法だ。ほかのことに気を取られながら身を入れずに仕事をすることが、疲れを生むのだから。
別のことを考えながら何かをしても、能率はあがらない。それならひとつのことに全力で取り組んだ方がいい。過去のことを思い煩ったり、将来のことを心配したりせず、現在に注意を集中していれば、おとずれるチャンスや出会った人達のニーズに対応できる。健全なものの見方ができ、集中力や創造性も高まる。

「態度を選ぶ」Choose Your Attitude
・・不満の種はいたるところにある。だが人生がもたらすものにどう対処するかを選ぶ力が自分にあるとわかれば、好ましい点をさがし、想像もしなかったようなチャンスを見つけることができる。自分が望ましくない態度をとっていると気づいた時は、別の態度を選ぶことができる。

これら4つはすべてが重なり合うものということだ。
どこから手を付けてもかまわない。

同志社女子大の上田信行先生が「これからのkeywordは”Playful”です。楽しさを重視した組織こそが活性化して結果も出すようになります」と言っていたのを思い出す。
組織も”囚人のジレンマ”のように、みんなが揃ってやればみんなが楽しい(取り分も多い)のに、お互いに信用しないと皆の取り分が少なくなるということが起きているような気がする。
”囚人のジレンマ”を一気に解消する方策。その1つの手法がこの哲学なのかも知れない。

2010年10月17日日曜日

Jボード

息子が「ブレイブボード」なるものを欲しがっていて、誕生日プレゼントで購入するなどとやっていたが、結局買わずじまいであった。
その頃からそろそろ3ヶ月経ったがまだ欲しがっていたので、今日天気も良いことだし、購入して(息子がプレゼントで欲しているものを大人買い)近くの公園で遊んでみることとした。
近くのスポーツオーソリティで「ブレイブボード」を見に行った所、「似た商品でJボードならあります」とのこと。
息子に実際に乗せて確かめさせたところ、確かに似たようなものらしかったのでそのJボードを購入した。
下の息子は結構友達に乗せてもらっていたようで、最初から中々うまい。
上の息子も体力がついてきたのか、みるみる上達。
負けてられんと、やってみた。
最初からビビらずにある程度スピードつけて推進力があった方がうまくいくというスキーの経験から、最初からある程度乗っかってみる方式でやってみる。
プロテクターやヘルメットはないので、ちょっと心配したが、あまり大こけして大けがするような代物ではなく、初心者でもある程度こなせる感じであった。
そのくせ、以外と体力をつかって息も切れる。
足も結構疲労感ありということで、秋の良き日に健康の秋を満喫したのであった。

2010年10月12日火曜日

『ハカる考動学』

「ハカる」力を、「これまでとは違ったものを対象に、これまでとは違った方法で、測定し組み合わせて、インサイトを絞り出すための力」と定義して、様々な「ハカり」方の事例を示している本。

昨今の先の見えない不景気。
今、向上させなくてはならないのは、売上「増大」のためのハカる力である。
3M、日東電工、ヒロセ電機、アイリスオーヤマ・・・いずれも経営目標に新商品比率を掲げている企業。これらは、業界他社に比べて高い新商品比率と同時に、高い収益性・成長率を誇っている。
そして、新しい商品やサービスを企画し、導入するにあたっては
①モノではなく、「ヒトをハカる」
②頭で考えるのではなく、「作ってハカる」
③旧来の仕組みでなく、「新しいハカり方を創る」
ことが効く。

ヒトをハカる場合、ココロではなく、行動をハカる。
(∵ヒトは悪意が無くても嘘をつくし、曖昧)

無印商品の「消費者巻き込み型商品開発」にはヒントがあるような気がする。
肝は、消費者の「なんとなくの意向」を聞かないこと。
ハカるべきは、その「行動」と「コンセプト案に対する評価」。


ヒトをハカる事例で面白いのは、人事面接の話。面接させてその評価と実際採った人間をみて、”面接官を評価”するというもの。
個々の面接官達の出す評価が、他の面接官のものとずれていないか、そして実際に採用後の評価はどうなのか、人事部は閻魔帳を密かにつけているというのは本当か!?


正解のわからない問いに対して妥当な答えを類推する手法として、「フェルミ推定」というものがあるが、もう1つ<デルファイ法>というものがある。
これは米国で軍事予測のために開発された手法で、
①そのテーマの専門家たちからアンケートを採る。
②その結果を集約して専門家達にフィードバックする。
③その上でまたアンケートを採る。
これを複数回繰り返すことで予想の範囲は収斂してくる。

このデルファイ法を有効に機能させるためには
①ちゃんとした専門家を幅広く選ぶ。素人では多数はに迎合するのでダメ。
②専門家は匿名で参加。師弟関係や名声に影響を受けないように。
③少数派の意見を重視する。その意見を全体にきちんとフィードバックする。
ことが重要。

雑学としては金田一晴彦博士の「濁音の秘密」は秀逸。
「濁音にはひとつだけ仲間はずれがある。どの行だか分かりますか?」
答えは「ば行」。
その理由については本書を読むべし。

2010年10月11日月曜日

発熱×3日

義父の葬儀の後、高熱が出て、3日寝込んだ。
但しくは2日3晩であるが、体温を測るときっちり38.5℃と表示される期間が3日も続いた。
体調を壊しそうな予兆はあったのだが、休めず頑張っていたら動けなくなった。夜歓送会に出つつ酒量を調整していたのだが、鏡をのぞくと頬のこけ方が尋常でなく、その場を失礼し家に辿り着いてそのまま動けなくなった次第である。
最初は動けなかったこともあり、特段解熱剤を飲まずに転がっていたのだが、ほぼ3日間よくぞ眠れるものだと言う位よく眠った。
3日過ぎた頃から37℃台に熱がさがり、医者に行って解熱剤やら抗生剤やらをもらってきた。
最近は3日飲むと効果が1週間続く抗生剤があるらしい。

医者に行った晩は熱はほぼ平熱まで下がったのだが、右目の奥が痛む頭痛で夜中に眠ることができない。よく見ると体に発疹がでていた痕がある。
仕方がないので、脳外科外来に行ってみてもらった。
CTスキャンと血液検査をしてもらったが、所見は全く問題なし。発疹も高熱の余波によるものと考えれられるとのことで、最初は頭痛薬すら処方してもらえない状況だった。(お願いして頭痛薬は処方してもらった)

3日間も高熱できっちり寝ていたので、体の悪い菌も相当やっつけたようなすっきり感がある。血液検査でも普段必ずひっかかる尿酸値が5.6と通常の7.0前後からいきなり改善していたのがびっくりである。

たまには寝込んでみるものだ。

2010年10月9日土曜日

義父逝く

1週間ほど前に義父が他界した。
半年ほどまでに脳梗塞の発作で倒れ、それ以降左半身がうまく動かずに病院や老人ホームでリハビリを続けており、大分リハビリの成果が出てきていた最中だったので非常に残念である。
妻が駆けつけた時には既に意識は無かったそうだが、義母と妻の兄弟が揃うのを待って息を引き取ったそうである。

笑顔の素敵な、そして酒の大好きな山男であった。
最初に会った時も楽しそうに一緒に飲んでくれた。後から後から自分の漬けた”山のもの”のお酒がでてきて、何度も夜トイレのご厄介になった記憶がある。
妻と結婚して、実家帰りするときも、必ず木の芽や山ウドなどの山の幸を用意してくれたり、近くの市場から新鮮な魚を買ってきて捌いてくれたり、大してえらくもない娘婿を大層可愛がってもてなしてくれた。
我が家の長男は妻の実家で生まれたので、初孫誕生の時には喜んでくれたようだ。
写真は生業としていたこともあり、たくさん家族の写真を撮ってくれた。
当初住んでいた長岡は花火が有名で、孫に見せるためと言っては家族のために場所取りをしてくれていた。
新潟大震災の時には幸いにも家にはいなかったのだが、その後も余震が厳しいということで群馬県の藤岡に引っ越してきた。
その後も義母と一緒に山を歩いていたようだが、時々滝壺に落ちたりという話を後から聞いてびっくりしたことが何度もある。
2年前の年末・年始に伊香保温泉に一族で宿泊した。50円玉を紐に通したお年玉を用意してくれたり、福笑いや射的などの昔ながらの楽しいイベントをたくさん用意してくれ、子供達は大喜びであった。

最後は、リハビリを頑張ってもっとよくなることを誓いながら別れたのが最後となってしまった。
また、あの世で会ったら昔のように楽しいお酒を酌み交わしたい。

2010年9月26日日曜日

『チーム・ビルディング』

日本でも有数のファシリテーター堀公俊氏の共著。
活性化したよい”チーム”をつくりあげるノウハウが詰め込まれている。

チーム・ビルディングとは、良いチームをつくるための考え方や技法を集大成したもの。言い換えると、人と人を「つなぐ」技法に他ならない。

チームは同じ目的を持った人の集まり。人が集まれば、人と人の間に関係性ができる。組織とは、人の集まりであると同時に、関係性の集まりでもある。
そのため、関係性の良し悪しが、チームのパフォーマンスに大きな影響を与える。

話し合いを通じて、具体的な成果を生み出すには2つの要素が不可欠。
1つは、事実、知識、経験などの情報。
もう1つは、それを分析したり組み立てていく思考プロセス。
コンピューターで言えば、前者がデータで、後者がプログラム。
ところが、感情のある動物である人間は、その時の感情によってアウトプットが変わってくる。人を動かすのは感情であり、それがうまく扱えないと情報や思考プロセスが思うように活用できない。

人のつながりが今まで以上に重要視されていることと合わせて<社会関係資本>という考え方についても紹介されている。
「社会関係資本」とは、ヒト(人的資本)、モノ(物的資本)、カネ(金融資本)、情報(知的資本)に加え、関係性(人と人のつながり)を資本としてとらえる考え方。
関係性が様々な価値を生むという考え方で、そのためには①信頼、②互酬性の規範、③ネットワークの3つが必要だと言われている。

<チーム・ビルディングの4つの要素>
1)活動の枠組み
2)構成メンバー
3)場(環境)
4)関係性
に基づいて、各々のデザインについて様々なノウハウ、ヒントが満載。

余談的だが、面白かったのが<世界三大難関ファシリテーション>
夫婦合意形成ファシリテーション、親子関係構築ファシリテーション、嫁姑問題解決ファシリテーション。
これらについては、プロのファシリテーターをもってしても困難なのだとか。
これを逆手にとれば、家庭こそもっとも身近なチーム・ビルディングのトレーニングの場となる、とあったがやはり日々家庭でも精進することがファシリテーション能力のアップにつながるのであろうか。
こりゃ結構大変だ。

『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』

フリービット株式会社という「日本で最も人材育成をする会社」を目指している会社で、実際に導入している人材育成プログラムの論理的背景と、プログラム導入のポイントをまとめた本。
現在行っている人材育成の取り組みと重なる部分が多々あり、非常に参考になった。

「人材育成」というと≒研修と思われ勝ちだが、そこには大きな違いがあることが明確に述べられている。
いわゆる「勝ち組」のビジネスパーソンを集めて「あなたを成功に導いた要因は何か?」と聞くとそれぞれに異なる回答が出されるはず。
しかしながらこうした個々の回答に何らかの共通点を挙げるとすれば、それは彼らを成功へと導いた要因は「決して研修ではない」という事実である。
「研修」とは「人材育成」という大きな文脈においては、もはや枝葉の話であって、人材育成の実務における根幹ではない。
これからの人材育成の実務は、「研修のデザイン」ではなくて、「経験のデザイン」という方向に向かう。

また、
○企業における人材育成の目的は企業理念の浸透にこそある
○人材育成のデザインは「教えずに学ばせる」ことを目指さなくてはならない
など、納得感の高い記述が多い。

<バックワードチェイニング>という、業務の一連の連鎖のうち、最後のゴールの成功体験から始めさせて、少しずつ前倒しで始めさせる手法が紹介されていて非常に面白い。
「勝ち癖」をつけながら一連の仕事を学ぶことができ、常に「最後までやり抜いた」という充実感を伴って経験をクローズすることができる。
「常にゴールのテープを切る」という成功体験を積ませつつ、徐々に難易度を高めていく経験のデザイン手法は、うまく組み立てると非常に効果的に人材育成につながるのではないかと思った。

人材育成を売りにしている会社なので、一方では、人材育成を継続することの難しさについても記述がある。
人材育成の仕事は常に組織横断的であり、現場の仕事よりも重要性が低いために、現場からすればどうしても後回しにしたくなる話。
そして悪いことに人材育成プログラムというのは、その導入コストは測定できても、導入の効果になるととたんに声が小さくなる。
責任は取らず、現場では二の次になり勝ちで、お金がかかり、かつその効果が見えにくいという人材育成は、経営者の信念と継続的で強いコミットメントがなければ立ち行かない運命にある。
しかし、実は、多くの企業には「本気の人材育成」というものがなかなか存在し得ないからこそ、そこに差別化による競争優位構築の可能性がある。

人材育成において世界で最も尊敬されている企業の1つがGE。
ジャック・ウェルチ時代から始まったクロトンビルにおける研修については有名だが、GEのCEOは業務の1/3を人材育成に費やすことが決められているのだそうだ。
基本理念として「人材は育つのではなく、育てるものだ」ということを明確に打ち出している。

「どういう人とチームを組むのかが、ある人の成長の重要な部分を決めてしまう」という、著者曰く「怖い仮説」があるらしい。
特定の部署から多くの人材を輩出することがある。人だけではなく、人と人とのつながり方、実践する内容も含めた「場」の力ということなのであろうと思っている。
だからこそ、組織全体として人材育成に適した活性化した雰囲気をまとうことが必要なのではないだろうか。

ニーチェ曰く「脱皮できない蛇は滅びる」とのこと。
今後も希望を持って脱皮できるよう精進していきたい。

2010年9月25日土曜日

『マンガでわかる 会社組織が甦る!職場系心理学』

マンガではあるが、心理カウンセラーの衛藤信之氏が監修しており、心理学に基づく知見もたくさんでてくる。

成果主義により会社が人を育てることを放棄し、人と人との関係が希薄になっていく現代会社組織において、どのようにすればいいかのヒントが述べられている。

<エリックバーン博士の「交流分析」>
人種、性別、年齢、教養を問わず、人は大きく分けると3つの心を持つ。
P:Parent(私の中の親心)
  CP:Critical Parent  私の中の厳しい父親心・・・理想、威厳、道徳的、支配、命令、叱咤激励
A:Adult(冷静な大人の心)
  私の中の合理的な私・・・冷静沈着、状況判断、損得計算、情報収集
C:Child(私の中の子供の心)
  FC:Free Child(無邪気な自己表現の子供心)・・・明るい、無邪気、好奇心、天真爛漫などの私の中の明るい私
  AC:Adapted Child(他人の期待に添う子供心)・・・自己抑制、忍耐、従順、我慢などの気を遣う私(はずみで反抗の心にも転ずる)

相手の投げて来た球をちゃんと理解して、同じ所へ投げ返す、それが会話のキャッチボールというもの。世のなかでは会話のドッジボールが横行している。


<教育学者 ジョン・デューイが提唱した問題解決のモデル>
1.何について対立しているのか問題をハッキリさせる。
2.色々な解決策を出してみる。
3.出て来た解決策をひとつひとつ具体的に評価していく。
4.その一番いい解決策を選ぶ。
5.その解決策をどうやって実行するかを考える。
6.実行後うまくいっているかどうかを調べる。

これらの手順を1つの会議でやろうとするとうまく行かない。
→この6つのプロセスに従って会議を分けるべし。
①問題発見・整理会議
②ブレーンストーミング会議
③評価、意志決定会議
④役割計画・実行会議
⑤経過確認・フォロー会議


<価値観の対立への処方箋>
1.あなた自身が変わること・・・はじめから相手を全否定していたという事実に気がつく☞相手に過剰な期待をしなくなるという変化が現れる。
2.あなたが”有能な”コンサルタントになる・・・”有能な”コンサルタントとは、その価値観をとりたくなるように、あらゆる角度から考え伝えることができる人。
3.モデリング・・・真似させる。真似したくなるような存在をつくること。
〜心理学的にはここまで〜
4.祈り・・・価値観というものにおいては、人間同士最後は分かり合えない瞬間が残る。価値観の違う人のために祈る、ここから先は神の領域かもしれない。


自分があと3日の命だったらという前提で遺書を書く。
☞アメリカの墓標のように死んでもなお残る自分の足跡のようなものをあらためて考える機会となる。

「感動」という言葉はあるが、「理動」ということばはない。人は何かを感じて動くことはあるが、理屈では動かない。
などなど、それこそマンガならではのストーリー性を伴った”感動”とともに頭に入ってくる。
マンガパワーあなどれじ。

2010年9月23日木曜日

『統計数字にだまされるな』

M・ブラストランド、A・ディルノットというイギリスのジャーナリスト、エコノミストが、数字や統計学の有用性の限界と、その正しい押さえ方について述べた本。
巧みな比喩や具体事例で、非常に分かりやすく書かれた良書である。

まずは数字が出て来た時に「この数字は大きいのか、小さいのか」について、一人当たりの大きさに割り戻すことで、感覚的に判断できるようにせよ、という大原則が述べられている。

公共支出系の計算に役立つ便利な数字として、人口に1年52週をかけた数字31億2000万が挙げられている。これがイギリスで一人につき週に1ポンドずつ配る場合に、政府が1年間に支払うことになる金額ということである。逆に31億2000万で割ると、全国民一人一人に対し、均等に分けた場合の週あたりの価値が導き出される。
(ちなみにこのマジックナンバーは日本だと62億4000万

また、大きな数字がよくわからないという場合には、そうした数字を秒として想像してみると良いというアドバイスが書かれている。
100万秒は約1.5日。10億秒なら32年近くになる。
単位の多寡を期間で置き換えるとイメージしやすくなるいう秀逸なアイデアである。

また、”%”で語られる内容に関しては、「自然頻度」という「影響を受ける100人あたりの人数で考えるとどうなるか」で考えると、具体的で、直感的に理解しやすい。
この事例の好例として
「乳がんになっている人を見つける正確さが90%、なっていない人を見つける正確さが93%の検査(マンモグラフィ)で陽性になった場合、その患者が本当に病気である可能性は?ちなみに病気になるのは母集団(検査を受ける40代から50代の女性グループ)の約0.8%である。」
という問題が出されている。
答えは最初のイメージを大きく裏切るものである。

自分の直感と照らし合わせられるように数字を加工するという工夫をもって数字をみることと、数字、統計という有効な媒体の限界を知ることで、とっつき憎い統計数字を身近に感じることができる良書。
これからは、一人一人が自分で色々なことを判断していかなければならないことを考えるとこういった基礎スキルは大切である。

2010年9月20日月曜日

『部下を思わずハッとさせる上司の伝達力ですべてが決まる』

人材育成に関しては、チームのグッドコミニュケーションが必要不可欠である。
その際、同じ内容を伝えるにも、「良い言い方」と「悪い良い方」があるのではないかという問題意識があり、この本を手に取って見た。



ベスト型リーダーが用いる”ベストフレーズ”を
□傾聴・共感フレーズ【信頼関係】
□カウンセリングフレーズ【問題発見】
□明確化・指示フレーズ【問題解決】
□フィードバックフレーズ【現実未来認識】
□モチベーションフレーズ【やる気喚起】
□臨機応変フレーズ【状況対応】
という6つに分類して、自ら日々更新する。
それにより、「良い言い方」のフレーズ集をつくりながら「良い言い方」が自然と口をつくようにし、更には実施効果測定してグレードアップ作業を行おうという提案が述べられている。

「伝達力」はビジネスシーンにおいてはとても大切な基本力である。
しかしながら実はベストフレーズだけではダメである。
そこにフレーズを支えるプラスのエネルギーが、常に充満していて、伝えようとする明確で具体的で肯定的な意思が働いていなければ、相手に伝わっていかない。
つまり、最後は「こころ」の問題だと言っても過言ではない、ということが最後に述べられている。
「伝達力」は基本の基の字ということか。

また、組織全体で「ベストフレーズ」を学び、組織遺伝子として次世代に引き継がれることが、組織文化の変革につながる、としている。
確かに、組織全体で肯定的で具体的な「良い言い方」で伝達がなされている組織は、成果を上げる確率が高いのではないだろうか。

不随意筋は本来コントロールできないが、それを可能とするのに「呼吸」を意識的にコントロールすることで可能とすることができる。
同様に、意識を変えるにあたっては、言い方を変えていく(コントロール)することは非常に的を得たやり方ではないだろうか。
言い方についての『グッドフレーズ』については、まだまだ研究の余地があると思われる。

スーパーリアルマネキン

先日行った越谷レイクタウンのイオンにありました。
シリコンラバー製で、肌は特殊シリコンを何層も重ねて人の皮膚にそっくりの質感を出しているそうです。
髪の毛やまつげ、ひげは1本1本手作業で植毛とのこと。













確かにすごいリアルなんだけど、どうしてこの男性がモデルなのかしら(多分製作者なんだろうけど、プロモーション的には???)

同じく陳列されていた『バイオマスマネキン』。秩父産・杉のおが粉含有率が35%なんだそうです。頭の双葉がチャームポイントです。(ただ置いてあったら何が何やらわかりませんが)

お好み焼き 「来たろう」

1月ほど前の関西出張で、お好み焼きの美味しい店ということで芦屋の「来たろう」に連れて行ってもらった。
何と10年以上も前からマスターが変わらずお客の前でお好み焼きを焼いているらしい。
その動きは正に職人。リズムをとりながら焼きごてを手にする姿もさることながら、ちゃんと店全体への目配りを忘れず、時折店員にやわらかく、しかし毅然と指示を出す姿は見ていて気持ちがいい。
そんな感じなので従業員含めた店全体の雰囲気がいい感じでしまっている。

お好み焼きも絶品。出張で色々視察してお腹がすいていたことを除いても、また行きたくなる感じであった。
お店のこだわりで「お好み焼きはヘラで食べて」とあったのだが、気がついたらお箸で食べていた。習慣というものは恐ろしいものである。

また機会を見つけて再訪し、今度はヘラで食べたいものである。

佐野ラーメン 亀嘉

佐野のアウトレットに行って来た。
カミさんが高速の乗り方を実践したいというのが主な目的だったりしたが、一応買い物も目的として家族それぞれ必要なもの購入して来た。
ついでと言ってはなんだが、佐野ラーメンも食べて来た。
佐野ラーメンはどこが有名なのかよく知らなかったので、インターネット情報によりまずは「亀嘉」に行ってきた。
スープはすっきり系だが、メンが縮れていてスープと程よく絡んで美味であった。

アウトレットに佐野の情報拠点があって、そこのお姉さんに「佐野ラーメンの美味しい所教えて」とお願いをした。
「あくまで、お客様情報ということで」と前置きした上で
「近くだと”利休”、”しまだや”。ちょっと離れると”おぐら屋”、”大金”が美味しいらしいですよ。」
と教えてくれた。

また買い物と合わせてラーメンを食べに行く楽しみが増えた。

『20歳のときに知っておきたかったこと』

「手元に5ドルあります。2時間でできるだけ増やせといわれたら、どうしますか?」
アメリカ、スタンフォード大学の演習である。
課題にあてられる時間は水曜日の午後から日曜日の夕方まで。この間、計画を練る時間はいくら使ってもかまわないが、一旦封筒を開けたら、2時間以内にできるだけお金を増やさなければならない。何をやったのかは日曜日の夕方スライドにて発表する。

実は、大金を稼いだチームは,元手の5ドルには全く手を付けていない。
お金に注目すると、問題を狭く捉え過ぎてしまうことに気づいたのだ。
5ドルはあってないようなもの。元手が無いのにお金を稼ぐにはどうしたらいいのか?
多いチームでは600ドル以上を稼ぎ出した。クラス平均でも4000%の投資リターンとなった。
封筒の中身が5ドルから10個のクリップなどに変わり、「イノベーション・トーナメント」としてこの演習は現在も続いている。。

さて、学生達が何を考え出したかは本を読んでいただくとして、演習の成果から浮かび上がった意外なポイントが以下の3点である。
①チャンスは無限にある。周りを見回せば、解決すべき問題がいくらでもある。
②問題の大きさに関係なく、いまある資源を使って、それを解決する独創的な方法は常に存在する。
③我々は往々にして問題を狭く捉えすぎる。

著者のティナ・シーリグが20歳の息子に向けて書いた本ということで、
「失敗を恐れるな。自分自身に許可を与えよ」ということが繰り返し述べられている。

この本を読んで思ったのが”セレンディピティ”という言葉である。
ある目的を持って出発するのだが、必ずしも当初の目的以外の素晴らしいものを手に入れるという能力のことだ。

「ルールは破られるためにある」
「許可を求めるな。許しを請え」
「失敗こそシリコンバレーの強みの源泉」
「光輝くチャンスを逃すな」
「異質なことをせよ」
様々な言葉で、チャレンジを訴えかけてくる。

でも一番ぐっときてしまったのは、
教室の前で転んだ障害者のクラスメートや、母親を亡くしたクラスメートに何と声をかけるべきなのか。今までどのような声をかけていいのか分からずに、声をかけないで済ませて来たが、
「大丈夫ですか?何かできることはありますか?」
という一言が大切だったということに最近気がついた、という下り。
自分でも常に悩んでいる内容だからだろうか。

自分の悩んでいる内容が小さすぎて嫌になるが、何歳であっても気概というものを忘れずに日々精進したい。

2010年9月19日日曜日

『15秒でツカみ90秒でオトす アサーティブ交渉術』

会社でも研修をやってもらっているグローバリンクの大串亜由美さんの本。
1冊になっているが、15秒および90秒の自己紹介術とアサーティブコミュニケーションの2つの内容を合体させた本となっている。

Assertive Communication とは、発展的で協調的な自己主張を伴ったコミュニケーションのこと。
それを身につけるための4つのポイントが
①言い訳をしない
②優先順位をつける
③時間を区切る
④きちんと言い切る

自分のメッセージを相手にきちんと「聞いてもらえる話」にすることこそ、アサーティブ・コミュニケーションの基本。
①相手の話が聞ける
②相手の立場を考えたうえで、きちんと主張できる
③相手のタイプに合わせたアプローチができる
を実現するのがアサーティブ・コミュニケーション。
自分に正直であることが何よりも大切。その正直な気持ちを上手に伝えるための技術。
目指すは「話上手」ではなく、「聞いてもらい上手」
相手を変えようとするのではなくて、自分の優先順位を考え、伝え方をほんのちょっと工夫する。それだけで相手が変わる。

上手な”訊き方”のヒントとして
○「クローズエンド」→「二者択一」→「オープンエンド」で聞く。
○”しりとり式”質問話法でキーワードを引き出す。
○刺のある発言は、相槌でさりげなく刺を抜いてあげる。(復唱→整理→前向きな発言)
などが挙げられており、これも参考になる。

この本の素晴らしい所は、内容が翌日からすぐに実践できることだろう。
自己紹介もいくつかパターンを持っておきたい(考えておきたい)と思った。

『言いにくいことを上手に伝える62パターン会話術』

日々活用できるフレーズ集として、現在担当している「人材育成」に活用できないかと思い読んでみた。
6つのカテゴリーとして
1.きっかけ
2.主張
3.共感
4.例示
5.改善案
6.確認
という風に分かれているのだが、この分けが分かりづらい。

62個のフレーズを自分なりに分類してみたところ、
1.きっかけ
2.(共感を示しつつ)お断り
3.主張
4.指摘
5.依頼
6.共感
7.その他
に分類された。
(分類によると「共感」の数が多かったのは、「共感を示しつつ〜する」というのが「言いにくいことを上手に言う」ことのベースにあるからであろう。)

「申し訳ございません。」は「〜してしまって」「〜させてしまって」と、何に対して「申し訳ありません」なのかハッキリさせる。
「すみません」「ごめんなさい」は大人の言葉遣いではない。
など基本的な部分についても述べられている。

以前同様にフレーズとして活用できるものを、といことで『できる大人のモノの言い方』という本を購入したが、それよりは基礎的な内容が多い。
いずれにせよ、日々実践でつかえるかどうか、そこが課題である。

『これだけで「組織」は強くなる』

ワタミの渡邉美樹氏と元楽天監督の野村克也氏の対談方式による組織論。
ノムさんのID野球の考え方が非常にビジネスにおける組織論とも通じることがあり面白い。

以下ノムさんの言葉>>
☆エースと4番打者がいれば、手っ取り早くチームを機能させることができる。
ここで言うエースと四番とは、他の選手の「鑑」になるような選手。「○○を見習え」というだけでチームが正しい方向にむかうような、人間的にも一流で人望のある、絶対的な中心選手のこと。
ただし、スター選手だけでは「勝てる組織」にならない。それぞれの場面に応じて、己の役割をわきまえて働いてくれる人材が必要。
☆強いチームは、勝つときは接戦、負けるときはボロ負け。弱いチームはその逆。
☆外角低めが投球の「原点」。原理原則を意識しない選手には伸びしろがない。
絶対に結果論で選手を叱ってはいけない。
☆「人間は、『無視、賞賛、非難』という段階で試される」
☆よく観察して足りないものに気づけば、人の再生は難しくない。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
「失敗と書いて『せいちょう(成長)』と読む」
☆メジャーリーグには「教えてないコーチが名コーチ」という名言がある。
教えすぎると、選手から自分で考えようとする気持ちを奪ってしまう。
最初から教えようとせず、選手の中で問題意識が高まるようなアドバイスをして、「今のやり方でいいのか?」と疑問が生まれるように仕向けるのがいい。
「どうしたらいいでしょうか?」と訊いて来た時こそコーチの出番。絶対に突き放してはいけない。この時が徹底低に教え込むチャンスで、見違えるほど成長を遂げる可能性を秘めている。
日本の球界も慢性的な人材不足。コーチを任せられるこれという人は少ない。


渡邉さんも良いことおっしゃっているのだが、同じビジネス畑なので真新しい感じの話は少なく感じた。
その中でも
人の「再生」のキーポイントは、「その人の一番強い部分で勝負させてあげる」ということ。
言葉を変えると、その人の「存在対効果」を高めるということ。
という話の中の「存在対効果」(「費用対効果」からの渡邉氏の造語)という発想は面白かった。

野球好きな人だともっと共感を持って読めるのかもしれない。

『感動の会議!』

会議を開く側の心得、スキルをわかりやすく述べた本。
「ファシリテーター」スキルと重なる所が多々あるのだが、ファシリテーションよりも日常業務で多くつかう通常の会議のリーダーとしてのスキルがベースとなっているので、一般ビジネスマンに活用しやすい内容となっている。

会議の達人に共通している3つの原則
原則1.自ら、明確なゴール(意図)をもっている
原則2.課題達成だけでなく、参加者の満足を引き出している
原則3.会議のオーナーとしての責任をとっている

共鳴→発見→合意
のプロセスを企画し、その道の上を、参加者が自主的に歩いていくように促していく
のが達人の技術。

ということをベースに会議の準備段階から実行段階における留意点、ノウハウが展開されている。

「参加者の満足の源泉とは?」ということで
①課題への貢献感
②自分自身の成長実感
③それを、まわりが見てくれていること(承認)
というのが挙っている。
以前同志社女子大の上田信行教授が
「僕の授業では、学生に対して、学ぶだけではなくて何か授業に貢献してもらうことにしています。最初に学生に「あなたはこの授業で何に貢献してくれますか?」と聞くんです。ちょっと戸惑うのですが、すぐに参加して積極的に意見を出すことが「貢献することだ」と認識してくれて積極的に参加してくれるようになります」
と言っていたのを思い出した。
「学ぶか貢献するか」そしてその行為を承認(Acknowledgment)することが参加者のモチベーションにつながるというのは、非常に腑に落ちる内容だ。

ファシリテーターにおける質問もそうだが、会議では「良い質問」を如何に問うかに力量が問われる。

その際に参考になるのが<会議の達人の質問プロセス>。
・現状からスタートして行動に至る3つの基本プロセス(即行動型、原因分析型、理想追求型)
・参加者の脳みそを揺さぶりプロセスを活性化させる4つの質問パターン(時間軸、視点、チャンク、前提)
から構成される基本形式を縦横無尽に活用して質問を組み立てていく。
実際の会議でも、ベースとなる考え方があると、慌てずに済むのかもしれない。

議論を壊そうとする確信犯が真っ先に狙うのは「範囲」なので、その会議の議論対象範囲を時間的、空間的に定めておく必要がある等、自分の過去の経験に絡めても納得できる内容が満載の良書。

会議をデザインする立場になったら必読の書のひとつに挙げたい。

2010年9月8日水曜日

『フィンランド流 6時に帰る仕事術』

皆が休暇をしっかり取得し、6時に帰るという人口わずか530万人の国、フィンランド。
千葉県の人口(600万人)にも満たないこの小国が、世界経済フォーラム(WEF)が発表する国際競争力ランキングで日本を上回っている。
教育においてはフィンランドメソッドというのが研究されたりしているが、仕事版フィンランドメソッドとは何かを「仕事術」として述べた本。

大まかに勝手にまとめると
①徹底的に無駄を省く
・発言をしない会議には出ない(ステータス報告はメールで十分)
・不必要なメールは送らせない
②目標を定めたらやり方を含め任せる
③オープンに情報開示をする。
というところか。

「仕事術」以上にフィンランドの生活様式が日本との比較で書かれていて非常に楽しめる。


フィンランドで有名なのは教育。フィンランドメソッドとして日本でも有名だ。
OECD実施の国際学習到達度調査(PISA)の2006年度の結果では、科学リテラシーで1位、総合読解力で2位、数学的リテラシーでも2位と素晴らしい結果を残している。(対して日本は科学的リテラシーで6位、数学的リテラシーで10位、総合的読解力では15位。)

フィンランドの小中学生は、ガリ勉をしているという様子がない。そもそも小学校から大学まで無償であり、ほぼ全て公立学校だ。そして学習塾というものが存在しない。家庭教師もいない。ついでに学校には部活というものがない。
フィンランドの学校教育の授業時間数は640時間程度。日本は670時間(ゆとり教育以前では720時間程度)
フィンランドでは、フィンランド語とスウェーデン語の2カ国語が公用語になっていて、街のあらゆる場所で、看板には二つの言葉が併記されている。従って、中学卒業までに両方の言葉を覚えなければならない。
ところが、フィンランド語は日本語やモンゴル語と同じ、ウラル・アルタイ系の言語で、スウェーデン語は、ドイツ語と英語の中間のようなゲルマン系の言語だ。両者はまるで体系が異なる。
さらに、北欧の小国のフィンランドには、国がグローバル市場で生きていくためには、英語こそ、全国民に習得させる必須の言語だと言う強烈な認識がある。
英語は小学校3年生から習得させ、第2外国語は中学1年から教え始める。
フィンランドの若者は、アメリカのホームドラマを毎日見ている。
音声は政府の指導により必ず英語のままで、フィンランド語の字幕がついている。これが毎日のことだから、自然に英語が身に付いてしまうのだそうだ。

フィンランドの教育の一つ目の特徴は、独創性を伸ばすこと、独立心を高めること、そして褒める教育を行うことだ。
日本では「他の人達と協調してやっていける人間を育てる」ことを重視するのに対して、フィンランドでは「人生の全ての面で、個人として自立した生活ができる人間を育てる」ことにある。

二つ目の特徴は「落ちこぼれ生徒を作らない」という理念だ。
PISAの学力テストの結果をよくみると、全体に学力の差が少なく、落ちこぼれの予備軍が少ない。
フィンランドの学校には、ボランティアがいつも授業に参加する形になっていて、アシスタントとして教室についていることが多い。
フィンランドでは落第は「権利」とみなされていて、しっかりと理解できるまで、原級にとどまることが「要求できる」のである。
大学の入学年齢はバラバラで、平均は23歳くらい。


また、フィンランドでは、小中高校の教員になりたいという志望者が非常に多い。憧れの職業なのだ。
しかし、教員になるためには、かなり狭き門を通らなければならない。まず、全員が教育修士号を取得する必要がある。このためには、大学の教育学部で教職課程を受講して、修了しなければならない。
フィンランドの素晴らしいところは、教員の採用が、普通の企業の採用と同様、各学校の裁量に委ねられているところだ。
とはいえ教員の給料は一般の企業の社員とあまり違わない。
教員に人気が集まるのは、教員という職業が、周囲から尊敬される職業だからだ。
使命感に燃えた先生を、生徒も父兄もみな尊敬するから、日本のモンスターペアレンツのようなことは起きないのだそうだ。


フィンランドは付加価値税が25%近い高率(食品が12%、その他が22%。車の取得税は100%)。そのため、福祉が充実していると言っても、夫婦共働きをしないと、とても家計がもたない。
フィンランドは19世紀から約110年間、ロシアの占領下におかれて、いつもロシア皇帝から理屈に合わないこと、無理難題を吹きかけられてきた。苦難の末に独立を勝ち得たあと、国民は合法性の行き届いた、不正を許さない政府を自らの手でつくりあげた。
1991年、やっと工業国として一流になってきた時期にソ連の崩壊が起こった。それまでにソ連向けの輸出が全体の20%を占めていたのが、突然ほぼ0に落ち込んだ。ちょうどその時期バブル経済が進行していたために、深刻な金融危機が襲った。
91年から93年までの3年間でGDPは約10%も減少。失業率も数%だったのが17%にまで上昇した。
ところが、この時に、フィンランド政府は毅然とした対応を取り、矢継ぎ早に危機回避策を実行した。
まず銀行業界の統廃合を進め、各銀行では大幅なリストラが実行された。さらに政府自身も、財政と行政の改革を行った。国家歳出の削減のなかで、なんと年金など社会福祉予算を大幅にカットしたのだ。それは国民全員に痛みを要求するものだった。
しかし、国民はそれを受け入れたのである。そしてフィンランドはわずか4年という短期間にこの経済危機を無事に乗り切ることができた。その後の発展はめざましく、「フィンランドの奇蹟」と言われている。
振り返って日本をみると、日本の借金は950兆円という巨額に達したが、国民に消費税引き上げを説得できる政治家がいない。。


フィンランドはいまだに東の隣国への警戒を怠らない。兵役がいまも敷かれていて、18歳以上の男子には6ヶ月から1年の兵役の義務がある。
地下駐車場が核戦争時のシェルターとして機能するようになっている。
ヘルシンキの中心には国家の投資で80万人が収容できる巨大なシェルターが作られた。
平時は、市営の駐車場として利用されているが、いざとなれば、24時間でシェルターに戻すことができるそうだ。
子供のときから別荘脇(当然サウナ付き!)のドライ・トイレを日常で使っているのも、いざ戦争が始まったら質素な生活に戻ることができるということらしい。


フィンランドとは関係がないのだが、面白かったのは
「良い質問」には2種類ある
というものだ
一つ目のタイプの質問は、現場の実務者として、当然部下が押さえておかなければならないこと、例えば当面の損益や売上や、品質はどうかといった質問。
二つ目のタイプの質問とは、もっとぼやっとした、一般的・根源的なものだ。
「この仕事は、会社に取って大切なものだろうか?」
「これだけ頑張ると、本当にみんなに喜んでもらえるのだろうか。それはなぜだろうか?」
といった一見ピンとのぼけた質問だ。
良い経営者はどちらの質問も発することができるらしい。


フィンランドメソッドを研究した時にも思ったが、一度フィンランドに行ってみたいものだ。

2010年9月2日木曜日

『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』

佐々木常夫氏の本で絶対に読むべしと書かれていたロングセラー。(佐々木氏が新任課長の石田君宛の手紙形式で書いたのはこの本の影響であろう)
タイトルが印象的だったので父が読んでいたのは知っていたが(読めとも言われなかった)が、恥ずかしながら読んでいなかったので、読んでみた。

「ひとりの父親は百人の教師に優る」by ジョージ・ハーバート
という言葉があるらしい。(佐々木氏も引用していた)
少なくともキングスレイ・ウォード氏は30人の教師と同等だったようだ。
30通の各手紙の最後に書かれている自称が面白い。

子煩悩の親父より
君の進路指導教官より
君の応援団長より
カヌーの相棒より
君の教育の最高責任者より
君の守護天使より
「自分のやり方でやった」ウォードより
同じ道を志す友より
同僚より
共同経営者より
愛の天使より
「臆病者」より
君の資金源の父より
君に拍手を送る聴衆のひとりより
エミリー・ポストより (※エミリー・ポストはアメリカの著名エチケット・アドバイザー)
君と懇意の銀行家より
一歩も譲らないウォードより
ウォード船長より
本の虫より
完璧主義者より
人事部長より
君の親友でもある父親より
香しい花より
君の行きつけの個人金融業者より
君を破産宣告から守る最高の保護者より
共に健康を謳歌する釣り仲間より
君に感謝している同業者団体の会員より
元社長より
父さんより

息子が大学に入るところから、息子に社長を継がせて引退するまでの書簡なのだが、最後の自称が単に
「父さんより」
で終わる。
シンプルだがグッとくる終わり方である。

わざわざ人に読まれるために書かれたものでないので、父親の温かいまなざしを存分に表現している感じがする。
自分が子供に対してだったらと考えると、単に「説教」して終わってしまいそうである。(しかも「説得」でもない)
きっちりと伝えるためには手紙にするというのも一つのやり方かと、考えてしまった。

2010年8月30日月曜日

『勝ち残る!「腹力」トレーニング』

無酸素で世界に14座ある8000m峰に挑み続けている登山家、小西浩文氏の「腹力」に関する本である。

疲労で凍死した遭難者というのは、ザックの中に、まだ食料や着込むことのできる防寒具を残したまま亡くなっていることが多い。つまり、すべての力を使い切る前に力尽きているのだ。
肉体の限界より、「絶望感」が死に至らしめているのだ。
「72時間限界説」というものがある。地震などで生き埋めになった人が3日以内に救助されないとほぼ絶望的という話だが、これは肉体的な限界というよりも、人間の心が折れる限界なのだ。
もう、ダメだ。
このような絶望や恐怖に打ち勝つのは、「絶対に生き抜くのだ」という精神力、それを生み出すのが「腹力」である。

というわけで、その「腹力」の鍛え方についてである。
まずは何と言っても「腹式呼吸」。腹式呼吸が腹圧を生む。
「吐ききる」ことが無意識にできるようになれば、腹式呼吸はマスターできたと言ってもいいらしい。
全て吐ききるためには「力み」をなくすこと。
息を吐ききろうとして猫背になるのはまずい。背中を丸めるということは、肩に力が入っているということ。
「習慣」という点で「腹に力を入れない」という癖をできるだけ早くつけること。


また、「ニヤニヤ笑い」を会得せよ、とも言う。
どのように見られようと構わない、どのように思われても関係ない。そのような姿勢は、人間としての「器」を大きくもするし、敵対する相手には「何を考えているのかわからない」という心理的なプレッシャーを生む。
ムエタイにおける「ニヤニヤ笑い」は「教育」の賜物なのだという。対戦相手の自信を揺るがせるため、心理的な攻撃ということで、ムエタイの選手は戦いの時にニヤニヤしろということを幼い頃から徹底的に鍛えられるらしい。

風呂の最後に冷水シャワーを浴びると自律神経のリズムが整う。
温水シャワーの温度を下げて、徐々に水へと変えていく。
熱いお湯を浴びると「副交感神経」、冷たい水を浴びると「交感神経」というものが刺激される。交互に刺激することで自律神経のリズムが整い、新陳代謝や血流がよくなり、免疫力もアップする。

「太陽を食べろ」とかちょっと宗教がかっている部分もあるのだが(それも個人的には好きだが)、ロブサンというパートナーのシェルパが、一瞬の判断で小西氏を救うために分厚い登山用のグローブを外し、指笛を吹いたエピソードなどは圧巻。
リアルに生死の境を生きている小西氏の話には説得力がある。

カラオケは「腹力」を鍛えるのにいいらしいし、力まない呼吸法をマスターして「腹力」を鍛えることとしたい。

2010年8月28日土曜日

『モチベーション3.0』

久々読んだ骨太本。ダニエル・ピンク氏の著作。
氏は本書の概要ということで、巻末に3つの方法で「まとめ」を書いている。
色々なところで著作を発信してもらうにはとてもいい試みである。
その3つの方法というのも、時間(文字数)によってわかれていて非常に面白い。
その1:ツイッター向けまとめ(最大140字まで)
その2:カクテルパーティ向けまとめ(多くても100語程度。あるいは話して1分以内)
その3:きっちり各章ごとのまとめ
報告やら説明やらを短時間で行う場合に何を話すかで、勝負が決まることが多い。
佐々淳行氏が言う”エレベーターブリーフィング”、”スリーミニッツ・リポート”、”フィフティーンミニッツ・デシジョン”は説明時間により、説明する内容を絞るというものだ。
そう考えると、それを読者がやりやすく、また著者の意図通りにやってもらうためには非常に優れた方法である。

あまのじゃくなので、それをそのまま利用せずに自己流に感想を述べたい。

人間を行動に駆り立てるものは何か。
<モチベーション1.0>
原始時代は空腹を満たしたり、生殖など生存本能に基づくもの。
<モチベーション2.0>
工業化社会になって、アメとムチで駆り立てられた。
さて、それでは次なる<モチベーション3.0>とは?
という問いから本書は始まる。

仕事と勉強を「アルゴリズム」(段階的手法またはルーチンワーク)と「ヒューリスティック」(発見的方法)の二つに分類したとすると、外的な報酬と罰、つまりアメとムチはアルゴリズム的な仕事には効果を発揮するが、ヒューリスティックな仕事にはむしろマイナスに作用するおそれがあることが様々な実験で分かっている。
創造的作業であるヒューリスティックな仕事には、アメとムチがプラスに働かないというのは容易に想像がつくが、むしろマイナスに働くというのがポイントである。

ここで著者は、<モチベーション2.0>と<モチベーション3.0>の違いを、物理法則に喩えている。
ニュートンの法則が、物理的な環境を説明したり、投げたボールの軌道のグラフ化に役立つように、<モチベーション2.0>は社会的状況を把握し、人間の行動の予測に役立つ。
だが、ニュートン物理学は、素粒子レベルになると問題にぶつかる。「ハドロン」「クウォーク」「シュレディンガーの猫」といった量子力学の不確定性の支配する世界では、奇妙な事態が生じ、ニュートン力学では説明できない事態が発生する。
あるレベルになると<モチベーション2.0>では機能しなくなるという喩えだ。

さて、その”あるレベル”とはいかなるものか。
創造的業務においては、ひとたび「生計を立てる」という基本的な報酬ラインが充たされてくると、アメとムチは、意図した目的とは正反対の効果を生み出す場合が多い。

<モチベーション3.0>における重要な要素は、自律性、マスタリー、目的、の3つである。

【自律性】
課題(Task)、時間(Time)、手法(Technique)、チーム(Team)の4つについて自律性が得られると内発的動機が発現しやすい。
弁護士という職業は、この自律性が得にくいので傍から見ると楽しそうに見えないという指摘は秀逸だ。
【マスタリー】
マスタリーとは、何か価値あることを上達させたいとういう欲求のこと。
チクセントミハイの「フロー」の状況が理想であるが、熟達にはそれを繰り返す「根性」が必要であるというのが面白い。
また、マスタリーはキャロル・ドゥエックのいうマインドセット(心の持ち方次第)である。わくわくマインドセット(growth mindset)であるか、こちこちマインドセット(fixed mindset)であるかの違いはマスタリーにおいて大きな差となって現れる。
【目的】
高い成果を上げる秘訣は、人の生理的欲求や、信賞必罰による動機付けではなくて、第三の動機付け〜自らの人生を管理したい、自分の能力を拡げて伸ばしたい、目的を持って人生を送りたい〜という人間に深く根ざした欲求にあると科学で証明されている。
ということで、目的をもってモチベーションたらしめるべし、ということなのだが、もう一つ掘り下げて書かれてもいいテーマである気がした。

概略は上記の流れであるが、具体的な方策ついての記載が本書ではなされている。

マーク・トウェインのトム・ソーヤの中にでてくる話をひいて、「ソーヤー効果」と名付けているが、マーク・トウェイン曰く
「”仕事”とは”しなくてはいけない”からすることで、”遊び”とは、”しなくてもいい”のにすることである。」
なるほど、逆に”しなくてもいい一手間”をかけることで”仕事”を”遊び”へと意識的に変えることができるということかもしれない。

明日からは”しなくてもいい一手間”を意識的に行うようにしよう。

2010年8月11日水曜日

ホームスパン みちのくあかね会

「ホームスパン」というのをご存知だろうか。
ホームスパンとは、英国生まれの毛織物。家(home)で紡ぐ(spun)という言葉の通り、羊毛農家が羊の毛を自家用に紡ぎ、織ったのが始まり。
現在では、手織り・手紡ぎに限らず、ハンドメイドの感覚を大切にしたツイード(太い紡毛糸で織った厚地で丈夫な織物)の一種を指し、ホームスパンと呼んでいるとのこと。
厳選した羊毛を手で染め、手で紡ぎ、手織りでゆっくりと仕上げた織物は、柔らかく、あたたかなんだそうな。

第二次世界大戦が始まると、羊毛は軍需物資として管理され、ホームスパン生産は規制されてしまい、休眠状態だったホームスパンが再興したのは戦後。
国内の産地が消滅していく一方で、岩手のホームスパンは伝統産業として守られ、岩手県のホームスパンは、今では全国生産額の約8割を占めているらしい。

その「ホームスパン」の製造直売で有名な「みちのくあかね会」に行ってきた。
別段予約をした訳でもないのに、親切丁寧に案内をしてくれた。
建物は病院だった建物を利用しているとのことで、お世辞にも立派な建物ではないが、その建物の中で冷房もない中、妙齢の女性達がホームスパンの制作に精を出していた。
やはり手間ひまかかっているのが分かって、モノのよさを認識しちゃうと多少高くても財布のヒモが緩んでしまう。
妻ががま口財布やら印鑑入れやらを購入。ついでに二人でホームスパンのマフラーを購入することとなった。
今は暑すぎてとても首に巻く気がしない感じだが、冬が楽しみ。

それにしても東北の女性は歳をとっても本当によく働らかれます。これまた感動。

2010年8月10日火曜日

三ツ石神社

「みちのくあかね会」を目指していたら、図らずも三ツ石神社の前を通りかかり「鬼の手形」というのにも惹かれてフラフラと見に行ってしまった。
なんと、岩手県の県名の由来だったり、さんさ踊りの起源だったりとすごく由緒ある神社であった。


<神社のいわれ>
岩手の呼び名について大和物語りによれば、「平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され、帝はこれを岩手と名付けた」とある。俗説では、「三ッ石と鬼の手形」の物語が岩手の地名や不来方の起源や地名であるといわれている。
伝説によると、むかしこの地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の人々をなやまし、旅人をおどしていた。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ッ石に縛りつけた。鬼は二度と悪事をしないし、また二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやり、それからこの手形のあとには苔が生えないといわれている。
しかし、長い年月がたっているので今ははっきりしません。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源だといわれる。また鬼が再び来ないことを誓ったことから、この地方を不来方と呼ぶようになったと伝えられている。
鬼の退散を喜んだ住民達は、幾日も幾日も踊り神様に感謝のまごころを捧げた。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源だといわれている。「さんさ踊り」の名まえは、「さしあげ踊り」、つまりお供え物をして踊るというのが短くなったとか、三十三も踊りの種類があるので「さんさ」というのだとか、いろいろの説がある。
三ッ石はもと一個の大きな岩であったが、長い年月の間に三ッに割れて現在の三ッ石になったのである。

どこが鬼の手形なのかは結局判別できなかったが、人口140万人弱とはいえ岩手県の起源となるような神社に図らずも詣でることができてよかった。