2010年11月3日水曜日

『日本人へ リーダー篇』

『ローマ人の物語』で有名な塩野七生女史が、文藝春秋で連載していたコラムをまとめて新書化した本。
通常、コラムのまとめを新書化しても新鮮味を失って面白くないのであるが、さすがローマ帝国で歴史から骨太の原理原則を引き出している塩野女史、コラムのネタ自体は古いのであるが、そのネタに付随する原理原則がしっかりしているので、読んでいて面白い。
『ローマ人の物語』も途中読みかけとなっているが、コラム化した方が、紙面の都合上、本当に大事な事だけをポイントとして書く必要があるので、単純化されていて分かりやすい気がする。(その分、理解が浅くなるということなのだろうが)

日本の与党が民主党であるべきか自民党であるべきかの議論については、3世紀のローマの事例から、「やらなければならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと「やり続ける」しかない。」と喝破。
ローマ帝国では3世紀に入ると課題が山積となって、皇帝がコロコロ変わり、それに伴い政策もコロコロ変わった。その結果、ローマ帝国衰亡の原因をつくったのだそうだ。
誰がやるにせよ、「正しい政策をやり続ける」ということが将来の日本をつくるという考え方だ。

また、歴史を紐解いて得た原理原則として、
「興隆・安定期と衰退期を分けるのは、大同小異という人間の健全な知恵を、取り戻せるか取り戻せないかにかかっている。つまり、問題の本質は何か、に関心を戻すことなのだ。言い換えれば問題の単純化である。」
と述べている。
これは、エリヤフ・ゴールドラット博士の制約理論の対立解消術にも通じる。
対立している場合でもお互いに真の目的をつきつめていくと、わかりあえる所まで戻ることができる。それが真の目的であり、それを認識することで問題の本質が見えてくる。


「敗者同化路線」こそ、ローマ人の考えていた他民族国家の運営哲学であった。
知力ではギリシア民族に劣り、体力ではケルト(ローマ人の呼称ではガリア)やゲルマンの民族に劣り、技術力ではエトルリア民族に劣ると,自らが認めていたローマ人が、何故あれだけの大を成す事ができたのか。一大文明圏を築き上げ、長期にわたって維持する事ができたのか。
それは「もてる能力の徹底した活用」なのだそうだ。
どの会社組織においても、また国家にとっても非常に重要な原理原則のような気がする。


グローバル社会が進むにあたって、西欧の人とも宗教について話をする機会が増えることが想定される。
その際、ちょっと批判的な意味合いで「日本人はどうして、神を信じないのか?」「日本人はどうして宗教を持たないのか?」と言った質問がでてくる。
「日本では仏教がベースとなっていて宗教がないわけではないが、八百万の神を信じることを基本とする神社(神道)も生活のうちに深く浸透している。」というような苦しい感じの回答となるケースが多い。
この件について責められた時の模範解答も、塩野女史は教えてくれている。
「一神教と多神教の最も本質的な違いは、一神教に他の神々を受け容れる余地はないが、多神教にはある、というところにある。要するに、他者の信じる神を認めないのが一神教で、認めるのが多神教なのだから。
他者の信じる神の存在を許容するという考え方は、他者の存在も許容するという考えと表裏関係にある。これを、多神教時代のローマ人は「寛容」(クレメンティア)と呼んだ。
宗教を持たないと言って非難してくるキリスト教徒やイスラム教徒に対しては、多神教故の「寛容」を旗印に掲げることに尽きる。あなた方こそ非寛容だとする論法くらい、一神教にとってのアキレス腱はないのだから。」

この回答ができるくらいに、まずは海外の人とのコンタクトの機会を増やさなければ。

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