アトリエ和尚の渥美利幸先生からお勧めをいただいた本。
長谷川櫂さんは俳人なのだが、「和」の考え方について共感されたということでお勧めなのだと思う。
この国の「和」とは何か。
日本人が培ってきた「和」とは、異質のもの、相容れないもの同士が引き立て合いながら共存することだった。
そして、さらに一歩進んで、このような和を積極的に生み出すことを「取り合わせ」と呼んできたという。
また、この「和」が誕生するためになくてはならない土台が「間」である。「和」はこの「間」があってはじめて成り立つ。
日本人は生活や文化のあらゆる分野で「間」を使いこなしながら暮らしている。
間の使い方はこの国のもっとも基本的な掟であって、日本文化はまさに間の文化といえるだろう。
日本人の生活や文化の中で、なぜ「間」が大事にされるのか。
この蒸し暑い島国では何であれ、「夏をむね」とし、十分に間を取り、涼しげでなければ、たちまち住むのが「堪え難きこと」になってしまうからだと著者はいう。
この国では何事もこだわるより、なりゆきに任せることが重んじられる。周到に準備されたもの、完璧に整えられたものは、たしかに感心させるに違いないが、決して感動されることはない。なぜなら、周到に準備したり、完璧に整えたりすること自体がわずらわしく暑苦しい思いをさせるからである。
芭蕉の句「古池や 蛙飛こむ水のおと」の解釈や、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』の解釈から兼好法師の『徒然草』まで、総動員しての「和」の解釈は非常に面白い。
夏を旨とする、涼しげな作法こそが日本人のベースとなっているという考え方は斬新である。
著者は俳人なのであるが、建築家に関しても述べている部分がある。
「安藤忠雄は大地の根底からデザインし、掘り起こし、がっしりと建物を造り上げる。それを象徴する素材がコンクリートであり、コンクリート打ち放しという工法であった。
この安藤の建築と対比すると、隈の建築は表層的である。
仮に凸凹の土地に家を建てるとすれば、安藤はまず凸凹を平らにして建てるが、隈は凸凹のまま、というより、逆に凸凹を活かして建てようとする。
安藤を筋肉的な建築家と呼ぶなら、隈は皮膚的な建築家といえる。」
明確な記載はないが、どちらかというと隈の”皮膚的な建築”(よく言われる『負ける建築』
)こそが日本的な「和」であるという考え方のようである。
「空っぽであることは大いに誇るべきことである。日本という国は大昔から次々に海を渡ってくる様々な文化をこの空っぽの山河の中に受け入れて、それを湿潤な蒸し暑い国にふさわしいものに作り替えてきたからである。
それこそ「和」の力であり、この「和」の力こそ日本独自ということのできる唯一のものである。その力によって生み出されたものが和服であり、和食であり、和室だった。」
対立するものがある場合、第三の道への昇華が「和」の力だとすると先人の培ってくれた「和」の力を最大限に活かしていきたい。
そのために必要なのが「間」だとする考え方は、通常”遊び”と捨て置かれる一見無駄なことに対する寛容性にもつながる考え方ではなかろうか。
”涼しげ”に「結果」も出していきたいものである。
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