2010年1月31日日曜日

ザ・ヤングアメリカンズ in 柏

ザ・ヤングアメリカンズとは1962年に設立された非営利活動団体。音楽公演に加え、1990年台から教育活動も行い、今では音楽公演と教育活動が二本柱となっており、”音楽を通じた人材育成”を目的とした団体である。
それが柏の市民文化会館で”アウトリーチ”と称する3日間のワークショップを行うということで、妻の知人からの勧めで子供が参加した。
小学生から高校生までを年齢ごと(と思われる)3つの組(黄色、緑、青)に分けて、ダンスと歌を練習し、最終日には文化会館の舞台でプロに混じってショーを行うというワークショップである。
プロと言っても、17歳から22歳までの若者42名からなるメンバーなのだが、それは厳しいオーディション、研修を経ているので、ダンス、歌はもちろん、子供の扱いに関してもプロフェッショナルである。

感心したのは、ワークショップの基本形である、モデリング、コーチング、スキャフォールディング、フェーディングがきっちり流れとしてプログラムに組み込まれていることである。
彼らは練習中にその自らの歌とダンスをモデルとして子供達に示しているし、教えもしている。(モデリング&コーチング)
3日目の最後のショーは1幕、2幕と分かれていて、1幕はヤングアメリカンズメンバーのみが演じる。それはもう素晴らしくて感動の45分である。(その中でも感心したのが、自分たちのルーツである1962年設立当時の映像を流して同じ歌をうたって見せたり、なんと日本の歌を歌ってみせたりするところ。)
2幕目が子供達が入ったものとなるのだが、要所要所をヤングアメリカンズメンバーが押さえていて、素人が入っているにも関わらず感動できるものに仕上げている。(結構なボリュームで素人のソロ部分があってそれが中々味が合って面白い)(スキャフォールディング)
ショーの最後には3日間の振り返り映像が流れるなど、ワークショップの基本を押さえつつ、音楽とダンスという要素を加えた素晴らしいプログラムであった。

参加費が16,000円して、その他最終日のショーの追加チケットやらパンフレットやら何だかんだで2万円くらいするのだが、家族で楽しめたし、対費用効果を考えても充分ペイするものであった。
ワークショップ期間中、ヤングアメリカンズのメンバーはボランティアのホストファミリー宅に宿泊・食事をするのだが、そういった状況の中で長期のツアー期間、体調をキープするのは大変なことではなかろうかなどと、余計なことを考えつつ、「来年はホストファミリーやっちゃおうかしら」と言っている妻の独り言を聞くのであった。

2010年1月30日土曜日

炭団坂

本郷真砂周辺に仕事で行く機会があったので、炭団坂まで足をのばした。
この坂の上に、正岡子規・河東碧梧桐・高浜虚子などが青春時代を過ごした旧松山藩主久松家運営の寄宿舎「常盤会」があったそうで、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の”坂”はここがイメージされているのではないかと言われている。
標識には、『本郷台地から菊坂の谷へと下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。
 台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
 この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。』とある。
経済的には世界の上位に躍り出た日本であるが、相変わらずそこには雲がぽっかりうかんでいる気がする。

2010年1月24日日曜日

『日本辺境論』

日本は古来”中華”に対する辺境文化の民族であり、それこそが日本のナショナル・アイデンティティである。
しかし、それが実は拓かれた学びの構えにつながっている。。というタイトル通りの日本辺境論。

学びの構えに関するところでは、筆者の内田樹氏が「下流志向」でも書いていた学びのパラドクス「私はなぜ、何を、どのように学ぶのかを今ここでは言うことができない。そして、それを言うことができないという事実こそ、私が学ばなければならない当の理由なのである」ということ、師と弟子の関係論が再度述べられている。
さらに、張良と黄石公の逸話を引いて、「”何を”学ぶかということには二次的な重要性しかない。重要なのは”学び方”を学ぶことだからだ」としているのはメタラーニングの発想に近く共感を覚える。

養老孟司氏のマンガ論についても日本人の特性として紹介されていて面白い。
日本では表意文字(ideogram)である『漢字』と表音文字(phono-gram)である『かな』が併用される。
実はこれは世界的には非常に珍しく、併用されていた韓国やベトナムでは漢字は使用されなくなってしまっている。
最近の脳科学によると、漢字とかなは日本人の脳内の違う部位で処理されていることが分かってきている。
さて、”マンガ”においての話。
『漢字』を担当している脳内部位はマンガにおける「絵」の部分を処理し、『かな』を担当している部位はマンガの「ふきだし」を処理するという分業が果たされている。
”マンガ”を読むためには、「絵」を表意記号として処理し、「ふきだし」を表音記号として処理する並列処理ができなければならないわけだが、日本語話者にはそれが難なくできる。
並列処理の回路がすでに存在しているからである。
だから、日本人は自動的にマンガのヘビー・リーダーになれるという論。
自分がマンガ大好きということを別にしても、非常に納得感のある面白い理論である。

内田樹氏は謙遜してか「これは著者の独自の論ではなく、いろいろな人の過去の意見を再構成したもの。理論にも飛躍があるのは認識しているので批判は無しで。」とうるさい位に述べている。
外山滋比古氏の「”編集”とは立派なクリエイティブ作業である」という論を引くまでもなく、立派な内田流の著作となっている。

2010年1月17日日曜日

『ザ・クリスタルボール』

エリヤフ・ゴールドラット博士のTOC(制約理論)本の最新刊。
小売り業における在庫削減の効果とそのやり方が今回のメインテーマ。
ロジスティクスの改善により、SKU(stock-keeping units)の在庫を削減することで、投資効率があがり、またより多くの商品をディスプレーできることが小説風に書かれている。

商品をどれだけ持つかという在庫量と、その補充にかかる期間を「時間」という概念で結びつけ、その時間を細小にすることで、変化する市場に機敏に対応することができ、欠品による機械損失をなくし、品揃えを充実させることで売上アップを実現するという考え方である。
日本においてはセブンイレブンをはじめ、コンビニエンス業界において既に同様の取り組みがなされているように思う。
エリヤフ・ゴールドラット博士の制約理論関連本は大好きで毎回読んでいるが、正直今回はあまり新鮮味がなかったか。
次回作に期待したい。

1年目検診

今週水曜日に妻の1年目検診があった。
年に1度の検査は数日前から食事制限が出たりし結構大掛かりである。
直前は大分落ち着かない様子だったので病院まで車で送っていった。
検査の結果は、特段なにもなしということであった。
やはり、きっと大丈夫とは思っていても「またあの時の悪夢のような宣告がなされるかも」というのが頭をよぎる。
何につけ、とりあえず1年はクリアということだ。
まずはその事実に感謝しよう。

2010年1月11日月曜日

美味しんぼ みっちゃん

妻が珍しく「美味しい焼き肉屋がランチを始めたそうなので、いってみたい」というので行ってみた。
正直あまり期待していなかったのだが、行ってみると、美味しさ、安さ、気持ちよさ(サービス)の三拍子とも素晴らしく、家族焼き肉の定番店を発見した感じだった。
まだランチ始めたばかり(3日目)だそうで、店長の”みっちゃん”が明るく「ランチ始めたのに、もっときてくれないとがっかりだわ〜」などと言いつつも、これは口コミで繁盛する予感あり。
夜も来てみようと思わせるものがあった。
ライスも大盛りが半端ないのだが、量だけではなく、肉の質も◎だった。
「焼き肉定食850円」と「ちょい肉380円」を頼んだのだが、定食のお肉で質・量とも充分だし、ちょい肉のカルビにいたってはもう素晴らしい美味しさ。
たまたま静かにいい子にしていた次男に「お兄ちゃん、偉いね」と声をかけてくれるし、本当は夜しか使えなかったらしいのにクーポン持っていったら別クーポン適用して値引きしてくれたり、最後に子供にラムネサービスしてくれたり。
何と行ってもトイレがきれいなのに感心した。

また行こうっと。

http://www.y-micchan.com/

2010年1月10日日曜日

『マッキンゼー式 最強の成長戦略』

市場水準を上回るパフォーマンスをしている企業は、「成長」か「退出」のどちらかの道を進むことになる可能性が高い。
成長には二つの道がある。一つは、収益の安定を伴う高成長。もうひとつは、収益の上昇を伴う中成長である。
退出には二つの道がある。一つは、株主への高水準のキャッシュ還元を続ける低成長。もう一つは、魅力的な買収を受けること。
中間の道はほとんど存在しない。。

企業にとって、市場の中では”UP or OUT”の選択しかなく、その中間は存在しないということを示しつつ、そのためには適正な”グラニュラリティー(粒度)”において集中戦略を練る必要がある、ということが書いてある本。

成長を3つの構成部分(「3つのシリンダー」と呼ばれている)に分解すると、ポートフォリオ・モメンタム(46%)、M&A(33%)、シェア獲得(21%)に大別することができる。(( )は各々の寄与度)

それを長期成長戦略を見据えた3つのホライゾン(中核事業の拡大と維持、新規事業の構築、有力なオプションの創出)各々のタイミングで適正なグラニュラリティーにより資産を集中投下するというもの。

この際の考え方に「5/95」ルールというのがあって面白かった。
成長の方向性をマッピングする際の一般的原則としては、自社のシェアが5%を超えない形で市場を広く定義するというもの。
(ジレットが60%の市場シェアをもつ男性用カミソリメーカーから一気に飛躍して、自社事業をパーソナルユース/パーソナルケア製品と再定義したときの市場シェアも5%だった)
そして残りの95%の部分について、グラニュラリティーのG4レベル(サブインダストリー内のカテゴリー)で評価する。
そこで、会社の能力が現時点で既に強剛他社への優位性を確率している成長ポケット〜最も高いモメンタム成長率が見込まれる部分〜に焦点を合わせ資本を投下していくというもの。
このような新規事業進出にあたっては、優位性が近接性に勝るというのも、なるほどという感じであった。

もうひとつの大きな考え方として「成長のアーキテクチャー」というのが紹介されているのだが、4つのフレームの名前が①成長の方向性、②スケール・プラットフォーム、③グラニュラーな青写真④グラニュラーな戦略、となっていて今ひとつわかりづらい。

戦略(左脳型)⇔組織(右脳型)
スケール(トップダウン型)⇔グラニュラー(ボトムアップ型)

という2軸クロスの4つのフレームと割り切って
①成長の方向性(戦略/スケール)
②スケール・プラットフォーム(組織/スケール)
③グラニュラーな青写真(組織/グラニュラー)
④グラニュラーな戦略(戦略/グラニュラー)
と整理した方がわかりやすい気がした。

スケールとグラニュラリティーは対立概念ではなく、スケールがグラニュラリティーを可能にし、グラニュラリティーは必ずしもスケールを排除しない、としているのだが、現実的には非常に対立しやすい概念である。
言うは易しだが、行うのは非常に難しい。(この点については著者も認めていて、トップの覚悟が必要だとしている)

「各企業には適正な売上規模があり、それ以上のことを望むとおかしくなる」という論説を以前、高塚武氏が書いていて、「なるほどこういう考え方をもつトップもいるのか」と思ったが、高塚氏はその後女性への強制わいせつ容疑で捕まってしまった。
やっぱり市場においては金銭的利益によるUP or OUTなのだろうか。
新たな資本主義を模索したい気になる今日この頃である。

2010年1月9日土曜日

『ワールド・カフェをやろう!』

年末に同志社女子大の上田信行先生とお話した時に「ワールド・カフェ」のお話を聞き、興味を持ったので読んでみた。
ワールド・カフェとは1995年にアニータ・ブラウンとデイビッド・アイザックスによって始められたもので、メンバーの組み合わせを変えながら、4〜5人単位の小グループで話し合いを続けることにより、あたかも参加者全員が話し合っているような効果が得られる会話の手法である。


標準的な進め方は、以下の通り。
①【テーマについて探求する】
 4人ずつテーブル(ライタブルテーブルになるように模造紙を敷いたもの)に座ってテーマ(問い)について話し合う。
②【アイデアを他花受粉する】
 テーブルホスト一人を残して、他のメンバーは旅人として、別のテーブルに行く。新しい組み合わせになったので、改めて自己紹介し、ホストが自分のテーブルでのダイアログ内容について説明する。旅人は自分のテーブルで出たアイデアを紹介しつながりを探求する。
③【気づきや発見を統合する】
 旅人が元のテーブルに戻り、旅で得たアイデアを紹介し合いながらダイアログを継続する。
④【集合的な発見を収穫し共有する】
 カフェ・ホストがファシリテーターとなって、全体でダイアログをする。

話が集中しないようなツールとして『トーキング・オブジェクト』なるものを用意すると話した時間が可視化できるらしい。

事務局側としては、前提条件(コンテキスト:目的、参加者、会議の形式、時間、場所など)の設定が非常に重要とされている。
前提条件の設定はワールド・カフェの成功させるために極めて重要であり、川の流れを結果として制御する「川の土手」のようなものと考えられているのは、通常のワークショプと同様である。

ワールド・カフェに限らないが、ワークショップにおける「テーマの設定」(「問い」)が非常に重要である。
この「問い」を考える切り口としては
[定義]→[意義]→[要素]→[行動]
というフレームで考えると有効であるというアドバイスが筆者の経験として述べられている。
新しいフレームワークであり今後活用したい。

ワールド・カフェはいい意味でも悪い意味でも「結論を出さないワークショップ」であるので、議論を収束する必要がある場合には他の手法(AI:Appreciative Inquiry、OST:Open Space Technology、Future Searchなど) と組み合わせる必要性が発生する。
そういった手法についても紹介されている。

いずれにせよ、ワールド・カフェを一度体験してみたいと思った。




2010年1月1日金曜日

紅白歌合戦

紅白歌合戦。ここ数年は、見るでもなくテレビをつけたり消したりチャンネルを変えたりという感じの年が多かった。
60周年だったから、というわけでもないし、矢沢永吉が特別ゲストででるらしいという情報があったからでもないのだけれども、今年(既に昨年か。ややこしい)の紅白歌合戦は最初から最後まで鑑賞した。
デジタル放送で、投票までおこなってしまった。

聞いたこともない歌手が、聴いたこともない歌をうたったりする時間があるのだが、飽きさせない展開で、テンポがよかった。
時折、映る観客席が昔と比べて小さい気がしたしたし、そのせいか最後の集計で日本野鳥の会が出てくることもなかった。
しかし、背景の巨大プラズマが、演出に自由度を加えていて、演出も楽しかった。

「音楽は生きる力です。今日は生きる力をもらいました。ありがとう!」というゲストの西田敏行の涙ながらのコメントが印象的であった。

年末に『のだめカンタービレ』の映画を妻と見てきた。
これまた笑いあり、涙ありのドタバタペーソスなのだが、映画館ならではの迫力もあり面白かった。
音楽は生きる力を奮い立たせてくれる素晴らしいツールであろう。