本郷真砂周辺に仕事で行く機会があったので、炭団坂まで足をのばした。
この坂の上に、正岡子規・河東碧梧桐・高浜虚子などが青春時代を過ごした旧松山藩主久松家運営の寄宿舎「常盤会」があったそうで、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の”坂”はここがイメージされているのではないかと言われている。
標識には、『本郷台地から菊坂の谷へと下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。
台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。』とある。
経済的には世界の上位に躍り出た日本であるが、相変わらずそこには雲がぽっかりうかんでいる気がする。
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