2011年1月29日土曜日

『プロフェッショナルマネジャー・ノート』

1959年に米ITT社の社長兼最高経営責任者に就任し、アメリカ企業史上空前の記録、58四半期連続増益という金字塔を打ち立てたハロルド・ジェニーン氏の『プロフェッショナルマネジャー』を分かりやすくブレイクダウンしたもの。

ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が絶賛している。

<経営について>
○本を読むときは、始めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとはまったく逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをする。

○ビジネス・マネジャーは、会計年度末までに満足すべき収益を挙げるために事業計画と予算を立てる。事業計画はマネジャーが狙いを定めたターゲット。
経営する、すなわちマネージメントするということは、いったんその事業計画と予算を定めたら、売上やら市場占拠率やら、その他なんであれ、それを達成すると誓ったことを成し遂げなくてはならず、それができて初めて真のマネジャーとなれる。

○一つの対応がうまくいかなかったら次の対応を。それでもダメならまた次の対応を、と目標に達するまで続ける。実は、それがまさに”経営する”ということ。

景気の悪化など、ついつい会社の業績不振を外部の市場環境のせいにしがちな状況下においては耳の痛い話である。
ユニクロがブレイクしたときにも「Tシャツを○万枚売る」と決めて、そのために製造からプロモーションから全てを組み立てるということを行ったと聞いた。
やりたいことを数値も含め決定し、そのために施策を行っていくという姿勢、覚悟がマネジャーには問われるということだ。

このジェニーン氏、セオリー通りに経営なんかできるものではないというのは一貫している。
○セオリーとは紙を貼った鉄輪(金輪)のようなもの。どんなに頑丈そうな板に見えても一度破ってしまえばそれが紙に過ぎないことに気づいてしまう。


<数字とは>
○数字によって事実を糊塗したり粉飾することは、言葉によってそうするのと同じくらい容易なこと。
○企業の経営層たる人間の基本的な仕事は経営すること。経営層は意思決定を行い、それらの決定が遂行されるようにすることによって経営をする。そして経営層がそのことに成功するただひとつの道は、会社の福利に影響を及ぼすあらゆる状況に関する事実を完全に把握すること。
○「事実をチェックする」そのこと以上に重要な経営上の仕事はほとんどない。
○経営とは、かまどで料理を作るのと似ている。会社の経営は、他人任せにはできない。そして、一番大事なのは、「鍋から目を離さないこと」。
○数字は企業ではない。企業の絵にすぎない。
○一見無機質な数字というものの中に含蓄される意味を読み取ることが重要。
○数字は行動へのシグナルである。企業の数字は”体温計が表す体温”のようなもの。
○数字に注意を払う習慣は、徐々に数字を通じて様々なことを見通す能力を高めていく。
毎月、毎週、毎日、そのような数字の行列と付き合っていると、その会社で起こっていることの生き生きとした構図が、前に起こったことと、将来起こる可能性のあることと重なって、頭の中で合成されてくる。そして、自分はしっかりと物事を管理しているという自信がつくのだ。すると、その自信なしではできなかったようなことが自由にできるようになる。恐れること無く新工場を建設し、リスクを含んだ研究開発費に資金を注ぎ込み、他の会社を買収するといったことを確信をもって実行できるようになる。
但し、その域に達するまでには、苦痛を伴う苦行が必要。

数字を過信してはいけない。その背景にある意味を見出さなければならない。数字をみることで生き生きとしたイメージが浮かぶようになることで、リスクをとる自信が生まれてくる。
「なんだかんだ言っても、会社とその最高経営者、そして経営チームの全員は”業績”というただひとつの基準によって評価されてしまう」
という厳しい現実を見ながらも、その業績と言う”数字”には血が通っているというのはジェニーン氏の考え方を表していて面白い。


また、ジェニーン氏は、業務を遂行するという点では非常に現実主義である。
○何かをするなと命じるのは構わない。しかし、本人が納得しないことをさせたかったら、納得するまで説得しなくてはならない。
○唯一の本当の間違いは”間違いを犯すこと”を恐れることである!
○「見解の相違」というものは組織にとって本当の害にはならない。
○机の上がきれいな人は、ビジネスの現実から隔離され、他の誰かに代わって運営してもらっている。そして、本人はそのことに気づかず、自分は会社の成長戦略を練っているんだと思い込んでいるにすぎない。
○会議を厳密な予定に従ってやろうと試みること自体が非生産的で、時間に制限など設けたら、何かを言い出そうとしても口に出して言うことを控えてしまう人もいるはず。新しいアイデアというのは必ずと言っていいほど、会議が終わりかけた時に誰かが「今、思いついたが・・・」と言い出すものだ。

机の上が汚く、前の会議がついつい延びてしまい、次の会議を遅刻してしまうことが多い自分にとっては強力な弁護人が現れたようで頼もしい限りである。

ユニクロの柳井氏も絶賛の本。非常に啓発され勉強になった。
(本当はこれで「原典も読もう」となるといいのだが、ついつい割愛しちゃうのが悪い所)

2011年1月24日月曜日

関越道 寄居PA

妻の実家に寄った帰りに、寄居PAが「星の王子様」をモチーフとした日本初の「テーマ型パーキングエリア」になったと聞いて寄ってみた。
夜だったので、南仏プロバンス風の外観は堪能できなかったが、その分イルミネーションが楽しめて、ちょっとしたディズニーのよう。
サインなんかも小気味がいい。
トイレもウォッシュレット装備とくれば、ちょっと我慢してもこのパーキングエリアに停まりたくなる。
正直、星の王子様グッズはあまり売れてない感じであったが、スキー帰りの若いグループやカップルが、ときめきながら予想外のファンタジーランドを堪能している感じだった。

NEXCO東日本では、他にもPasar(パーキングエリアのPAとサービスエリアのSAとリラクゼーションのRを組み合わせたもので、インドネシア語で「市場」を意味する)という素敵なPA,SAを生み出している。
三芳のPAに寄ってみて一言でいうと、デパ地下風PAと言った所か。
その他にもエリア毎のご当地名産品でメニューを考えたりと様々な取り組みがなされている。
半公共の組織にも、このような取り組みが増えてきている。
我々も負けていられないと思った。

2011年1月22日土曜日

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

ジョージ・フリードマンの『100年予測』を読んで、
「日本は果たして今後戦争をおこす国になるであろうか?」
というのが疑念としてあがった。
この疑念について、より考えを深めるためには、まず日本人が何故太平洋戦争をおこしてしまったのかについて知る必要があると考えていたところ、この本に巡りあった。
本は、加藤陽子女史という東京大学文学部教授で歴史学を専攻している先生が、横浜の栄光学園で日本近代史を教えるという形をとっている。

歴史の面白さの真髄は、比較と相対化にあるというのが加藤先生の持論である。
ヒトがサルから分化して500万年。500万年という時間をかけて脳が進化してきたのに対し、我々の文明の進歩は文字の発生から考えても5000年程度。我々の脳はどう考えても、文明の発達についていっているとは思えない。それゆえ、人間は一見不合理と思われる行動をとるのであり、歴史は繰り返されるのだと思う。

ただし、歴史を引用するのはそう簡単ではない。
当時best&brightestと呼ばれたアメリカの最高頭脳チームが何故ベトナムに介入し、泥沼にハマることになったのか。
アメリカ人歴史家 アーネスト・メイは理由を以下の通り分析する。
①外交政策の形成者(makers of foreign policy)は、歴史が教えたり予告したりしていると自らが信じているものの影響をよく受けるということ。
②政策形成者(policy makers)は通常、歴史を誤用するということ。
③政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることが出来る。
謝った歴史認識は大きな判断ミスにつながるということだ。

アメリカは、第一次世界大戦で、ウィルソンの調整により窮地にたったことから、休戦の条件を敵国と話し合ってはならない、ということを学んでしまった。
それにより、第二次世界大戦後日本やドイツに対し降伏条件を緩和せずに、結果としてソ連の台頭を許してしまった。
第二次世界大戦が終了した段階では、蒋介石率いる中国国民政府が、アメリカやイギリスとともに日本に対して戦い勝利した国家だったにもかかわらず、アメリカは、1945年8月以降、49年10月の中国共産党の勝利に至る中国の内戦の過程をどうすることもできなかった。
戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの臨む体制をつくりあげなければならないという教訓が導き出されてしまった。
そして、その教訓がベトナム戦争につながっていく。。


18世紀の哲学者、ジャン・ジャック・ルソーによると、戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるらしい。
歴史を繙くと、相手国がもっとも大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味での憲法と呼んでいる)、これに変容を迫るものこそが戦争である。
太平洋戦争における日本の犠牲者数は当時の厚生省の推計によれば、民間人も含め310万人に達した。
巨大な数の人が死んだ後には、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での”憲法”が必要になる。

明治の元勲達が学んだ人の一人に、ローレンツ・フォン・シュタイン教授という人がいる。
主権の及ぶ国土の範囲を「主権線」といい、その国土の存亡に関係する外国の状態を「利益線」と呼ぶことを山県有朋に教えた。
朝鮮を中立におくことが日本の利益線となる。
以降、第二次世界大戦まで、日本の政治と戦略は、中国の影響から朝鮮を引き離し、ヨーロッパの強国(念頭にあるのはロシア)が朝鮮を領有してしまわないようにすることのが一つの大戦略となる。

世界的には、国内の失業問題の解決策として海外の植民地を用いるという社会政策的な理由からも植民地獲得がなされることが多かったが、日本の場合、安全保障上の利益を第一目的として植民地を獲得していた。

これが、日本人が戦争を起こしたのはやむを得なかったという立場で言われる理由の一つである。

もう一つの理由は陸軍という組織が開戦前には国民の信望を得ていたということである。
戦前、社会民主主義的な農民のための改革要求を陸軍が掲げていたことがあった。これは、軍隊の構成員の主力足りうる農民のために行わんとしたものだが、国民からすると既存の政治システム下では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部の人気につながった。
(実際には、戦争が必要となれば、国民生活の安定のための改革欲求などは最初に放棄された)
国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せる事で国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないというのが、歴史の教訓ということだ。


さて上記の話を受けて、当初の「今後日本が戦争を起こすことはありうるのか」という問いに対する考察を行いたい。
①地政学的に朝鮮が相変わらず日本の”利益線”であるとすると、中国が北朝鮮を併合し、かつ国際社会の大ボス、アメリカがそれを容認するようなことが起これば、日本としては戦前と同じように国家安全保障の観点から危機感を頂くことはあり得る。
②加藤先生も挙げているのだが、政治が小選挙区制などの選挙制やねじれ国会等により機能不全に陥り、それを(疑似)改革する組織としての軍部が台頭し始めるようなことがあると、国民の人気を背景として軍部が戦争へと誘う可能性はなくはない。
③NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」をみていていると、官僚的な縦割り組織の問題としても挙げられているが、これなどは現在、軍部でなくともどの民間組織でも起こっていることであり、組織が大きくなれば起こらないようにすることの方が難しい。

さて、日本人の感覚として①、②のifを満たすようなストーリーができるのかどうか。
20年経つと想像もつかない世界が現れるというジョージ・フリードマンの意見を受けて、荒唐無稽なストーリーを考えることができたら、きっと直木賞がもらえるのではなかろうか。

2011年1月10日月曜日

鬼おろし(竹製大根おろし)

成田山初詣の時に、参道で販売していて、同僚から勧められたので買ってみた。
実際に大根を摺ってみると、普通の大根おろし器よりも、水分が分離せず、粒度がまちまちで、しゃきしゃき感があって確かに美味しい。
ちょっと難があるとすると、所詮竹なので、固定しながら摺るのに若干コツと力が必要。
お店では、下の受け箱も販売していたが、「これは必要ない」という同僚の意見を取り入れて購入せず。
後日「カミさんに聞いたら、受け箱合った方がいいみたいです」とのこと。
そちらは、また来年か。

遅ればせながら本年の抱負

昨年を振り返って、抱負はなんだったかと調べてみると、特にちゃんと記載していない。
一昨年が大変で、色々気張って抱負を書いて振り返ったので、その印象が強かったようだ。

せっかくなので、今年の個人的抱負を取り決めておきたいと思う。

初詣で参拝すると、年齢的にはようやく後厄に関しても逃げ切った感じである。
40代という年齢は肉体的には一つ落ち着く(ダウンする)感じではあるが、実際の仕事における成果という意味ではこれからが脂がのる時期である。
個人的には、今年は変化のある年であると思っている。
孔子の論語みたいだが、どのような変化が来ようとも、軸をぶらさずに生きていくこと、
『不惑』
を今年の抱負としたい。

銚子駅伝観戦旅行

上の子供が銚子駅伝に出場するということで、駅伝観戦という名目で銚子に一泊で家族で泊まりにいった。

出場する上の子供は、他のメンバーと一緒に前泊するので、下の子供と3人は完全に旅行気分。
駅伝を沿道で観戦するのは人生初めてである。

初日に車でコースの下見。とはいえ、沿道は当日交通規制が敷かれるはずで,どの程度厳しいものなのか、銚子駅伝初経験の一家には判断つかず。結局当日は、宿泊したペンションに車をおいて、銚子電気鉄道に乗って移動することにした。
(この銚子電鉄も、ぬれせんべい、たいやき、桃太郎電鉄のラッピング、ボランティアの語りなど、非常に話題盛りだくさんで楽しく、乗って良かった。)

初日に、『地球の丸く見える丘展望館』なる所に行ってきた。
千葉県の中では飛び出ている銚子半島のさらに南側に出っ張った部分の小山上にあるので、ちょっと大げさに言うと周囲の4分の3くらいが海に囲まれている感じに見える。
日の入りちょっと前に見に行ったので、展望台からは「日の入り」が見えるようで、写真撮影をスタンバイしている人もいる。
冷静に地図で考えればわかるのだが、太平洋側に位置する銚子は昇ってくる朝日は見えても夕日が沈む日の入りは見えない。西側は本州(陸地)が広がっているのである。
しかしながら、陸地は海の向こうにうっすらと見えるか見えないか、という感じで沈んでいく太陽は明らかに海に沈む夕日そのものである。
また、周囲360度が見渡せると、平面の地図で見ているのと、方位の感覚がずれることがある。
地図で見ているのと異なり、中心点からの視点になる(「中心点視界」とでも呼ぼうか)ので、その中心点から見て同方向にある2つのポイントは同じ方向に重なって見えることになるが、それはかならずしも2つのポイントが平面上で近いというわけではない。
逆に、平面図感覚的には同じ方角にあるポイントでも、どの程度離れているのかによって、中心点からの見える向きは変わってくる。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
というが、経験はどこまで深いものであっても(いくら高い見晴らしの良い所にいっても)所詮自分を中心とした見方(「中心点視界」)であり、ここから全体像を導き出すのは非常に難しい。
逆に、歴史のような全体の俯瞰図がわかっていると、今自分に見えているものを理解するのはたやすい。
別の言い方をすると、法則を知ってしまえば演繹は容易いが、すくない事象(経験)から帰納するのは非常に難しい。
歴史は、色んな人の経験を統合したもの(いろんな人の「中心点視界」を統合したもの)であり、人間の脳が数百万年前からの進化を引きづり続けているとする限りにおいては、再び繰り返される可能性が高いもの(法則)である。

『地球の丸く見える丘展望館』での景色の見え方と自分が認識している平面地図のギャップが大きかったため、そんなことを考えてしまった。


醤油工場を見学し、銚子港からの魚を堪能し(金目鯛の塩焼きの美味いこと!)、温泉も堪能し、すっかりご機嫌で臨んだ翌日の長男の観戦であった。
交通規制が思ったより緩かったりとか、陸上自衛隊も手伝いに来ているとか発見もたくさんあったのだが、子供の走るのが2区ということで、結構各校ダンゴ状態で走ってきたこともあり、子供の学校のユニフォームの色を確認していなかったこともあり、どれが子供か分からないまま選手団は走り過ぎていったのであった。
何しに行ったんだか。。