上の子供が銚子駅伝に出場するということで、駅伝観戦という名目で銚子に一泊で家族で泊まりにいった。
出場する上の子供は、他のメンバーと一緒に前泊するので、下の子供と3人は完全に旅行気分。
駅伝を沿道で観戦するのは人生初めてである。
初日に車でコースの下見。とはいえ、沿道は当日交通規制が敷かれるはずで,どの程度厳しいものなのか、銚子駅伝初経験の一家には判断つかず。結局当日は、宿泊したペンションに車をおいて、銚子電気鉄道に乗って移動することにした。
(この銚子電鉄も、ぬれせんべい、たいやき、桃太郎電鉄のラッピング、ボランティアの語りなど、非常に話題盛りだくさんで楽しく、乗って良かった。)
初日に、『地球の丸く見える丘展望館』なる所に行ってきた。
千葉県の中では飛び出ている銚子半島のさらに南側に出っ張った部分の小山上にあるので、ちょっと大げさに言うと周囲の4分の3くらいが海に囲まれている感じに見える。
日の入りちょっと前に見に行ったので、展望台からは「日の入り」が見えるようで、写真撮影をスタンバイしている人もいる。
冷静に地図で考えればわかるのだが、太平洋側に位置する銚子は昇ってくる朝日は見えても夕日が沈む日の入りは見えない。西側は本州(陸地)が広がっているのである。
しかしながら、陸地は海の向こうにうっすらと見えるか見えないか、という感じで沈んでいく太陽は明らかに海に沈む夕日そのものである。
また、周囲360度が見渡せると、平面の地図で見ているのと、方位の感覚がずれることがある。
地図で見ているのと異なり、中心点からの視点になる(「中心点視界」とでも呼ぼうか)ので、その中心点から見て同方向にある2つのポイントは同じ方向に重なって見えることになるが、それはかならずしも2つのポイントが平面上で近いというわけではない。
逆に、平面図感覚的には同じ方角にあるポイントでも、どの程度離れているのかによって、中心点からの見える向きは変わってくる。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
というが、経験はどこまで深いものであっても(いくら高い見晴らしの良い所にいっても)所詮自分を中心とした見方(「中心点視界」)であり、ここから全体像を導き出すのは非常に難しい。
逆に、歴史のような全体の俯瞰図がわかっていると、今自分に見えているものを理解するのはたやすい。
別の言い方をすると、法則を知ってしまえば演繹は容易いが、すくない事象(経験)から帰納するのは非常に難しい。
歴史は、色んな人の経験を統合したもの(いろんな人の「中心点視界」を統合したもの)であり、人間の脳が数百万年前からの進化を引きづり続けているとする限りにおいては、再び繰り返される可能性が高いもの(法則)である。
『地球の丸く見える丘展望館』での景色の見え方と自分が認識している平面地図のギャップが大きかったため、そんなことを考えてしまった。
醤油工場を見学し、銚子港からの魚を堪能し(金目鯛の塩焼きの美味いこと!)、温泉も堪能し、すっかりご機嫌で臨んだ翌日の長男の観戦であった。
交通規制が思ったより緩かったりとか、陸上自衛隊も手伝いに来ているとか発見もたくさんあったのだが、子供の走るのが2区ということで、結構各校ダンゴ状態で走ってきたこともあり、子供の学校のユニフォームの色を確認していなかったこともあり、どれが子供か分からないまま選手団は走り過ぎていったのであった。
何しに行ったんだか。。
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