ジョージ・フリードマンの『100年予測』を読んで、
「日本は果たして今後戦争をおこす国になるであろうか?」
というのが疑念としてあがった。
この疑念について、より考えを深めるためには、まず日本人が何故太平洋戦争をおこしてしまったのかについて知る必要があると考えていたところ、この本に巡りあった。
本は、加藤陽子女史という東京大学文学部教授で歴史学を専攻している先生が、横浜の栄光学園で日本近代史を教えるという形をとっている。
歴史の面白さの真髄は、比較と相対化にあるというのが加藤先生の持論である。
ヒトがサルから分化して500万年。500万年という時間をかけて脳が進化してきたのに対し、我々の文明の進歩は文字の発生から考えても5000年程度。我々の脳はどう考えても、文明の発達についていっているとは思えない。それゆえ、人間は一見不合理と思われる行動をとるのであり、歴史は繰り返されるのだと思う。
ただし、歴史を引用するのはそう簡単ではない。
当時best&brightestと呼ばれたアメリカの最高頭脳チームが何故ベトナムに介入し、泥沼にハマることになったのか。
アメリカ人歴史家 アーネスト・メイは理由を以下の通り分析する。
①外交政策の形成者(makers of foreign policy)は、歴史が教えたり予告したりしていると自らが信じているものの影響をよく受けるということ。
②政策形成者(policy makers)は通常、歴史を誤用するということ。
③政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることが出来る。
謝った歴史認識は大きな判断ミスにつながるということだ。
アメリカは、第一次世界大戦で、ウィルソンの調整により窮地にたったことから、休戦の条件を敵国と話し合ってはならない、ということを学んでしまった。
それにより、第二次世界大戦後日本やドイツに対し降伏条件を緩和せずに、結果としてソ連の台頭を許してしまった。
第二次世界大戦が終了した段階では、蒋介石率いる中国国民政府が、アメリカやイギリスとともに日本に対して戦い勝利した国家だったにもかかわらず、アメリカは、1945年8月以降、49年10月の中国共産党の勝利に至る中国の内戦の過程をどうすることもできなかった。
戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの臨む体制をつくりあげなければならないという教訓が導き出されてしまった。
そして、その教訓がベトナム戦争につながっていく。。
18世紀の哲学者、ジャン・ジャック・ルソーによると、戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるらしい。
歴史を繙くと、相手国がもっとも大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味での憲法と呼んでいる)、これに変容を迫るものこそが戦争である。
太平洋戦争における日本の犠牲者数は当時の厚生省の推計によれば、民間人も含め310万人に達した。
巨大な数の人が死んだ後には、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での”憲法”が必要になる。
明治の元勲達が学んだ人の一人に、ローレンツ・フォン・シュタイン教授という人がいる。
主権の及ぶ国土の範囲を「主権線」といい、その国土の存亡に関係する外国の状態を「利益線」と呼ぶことを山県有朋に教えた。
朝鮮を中立におくことが日本の利益線となる。
以降、第二次世界大戦まで、日本の政治と戦略は、中国の影響から朝鮮を引き離し、ヨーロッパの強国(念頭にあるのはロシア)が朝鮮を領有してしまわないようにすることのが一つの大戦略となる。
世界的には、国内の失業問題の解決策として海外の植民地を用いるという社会政策的な理由からも植民地獲得がなされることが多かったが、日本の場合、安全保障上の利益を第一目的として植民地を獲得していた。
これが、日本人が戦争を起こしたのはやむを得なかったという立場で言われる理由の一つである。
もう一つの理由は陸軍という組織が開戦前には国民の信望を得ていたということである。
戦前、社会民主主義的な農民のための改革要求を陸軍が掲げていたことがあった。これは、軍隊の構成員の主力足りうる農民のために行わんとしたものだが、国民からすると既存の政治システム下では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部の人気につながった。
(実際には、戦争が必要となれば、国民生活の安定のための改革欲求などは最初に放棄された)
国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せる事で国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないというのが、歴史の教訓ということだ。
さて上記の話を受けて、当初の「今後日本が戦争を起こすことはありうるのか」という問いに対する考察を行いたい。
①地政学的に朝鮮が相変わらず日本の”利益線”であるとすると、中国が北朝鮮を併合し、かつ国際社会の大ボス、アメリカがそれを容認するようなことが起これば、日本としては戦前と同じように国家安全保障の観点から危機感を頂くことはあり得る。
②加藤先生も挙げているのだが、政治が小選挙区制などの選挙制やねじれ国会等により機能不全に陥り、それを(疑似)改革する組織としての軍部が台頭し始めるようなことがあると、国民の人気を背景として軍部が戦争へと誘う可能性はなくはない。
③NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」をみていていると、官僚的な縦割り組織の問題としても挙げられているが、これなどは現在、軍部でなくともどの民間組織でも起こっていることであり、組織が大きくなれば起こらないようにすることの方が難しい。
さて、日本人の感覚として①、②のifを満たすようなストーリーができるのかどうか。
20年経つと想像もつかない世界が現れるというジョージ・フリードマンの意見を受けて、荒唐無稽なストーリーを考えることができたら、きっと直木賞がもらえるのではなかろうか。
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