2010年8月30日月曜日

『勝ち残る!「腹力」トレーニング』

無酸素で世界に14座ある8000m峰に挑み続けている登山家、小西浩文氏の「腹力」に関する本である。

疲労で凍死した遭難者というのは、ザックの中に、まだ食料や着込むことのできる防寒具を残したまま亡くなっていることが多い。つまり、すべての力を使い切る前に力尽きているのだ。
肉体の限界より、「絶望感」が死に至らしめているのだ。
「72時間限界説」というものがある。地震などで生き埋めになった人が3日以内に救助されないとほぼ絶望的という話だが、これは肉体的な限界というよりも、人間の心が折れる限界なのだ。
もう、ダメだ。
このような絶望や恐怖に打ち勝つのは、「絶対に生き抜くのだ」という精神力、それを生み出すのが「腹力」である。

というわけで、その「腹力」の鍛え方についてである。
まずは何と言っても「腹式呼吸」。腹式呼吸が腹圧を生む。
「吐ききる」ことが無意識にできるようになれば、腹式呼吸はマスターできたと言ってもいいらしい。
全て吐ききるためには「力み」をなくすこと。
息を吐ききろうとして猫背になるのはまずい。背中を丸めるということは、肩に力が入っているということ。
「習慣」という点で「腹に力を入れない」という癖をできるだけ早くつけること。


また、「ニヤニヤ笑い」を会得せよ、とも言う。
どのように見られようと構わない、どのように思われても関係ない。そのような姿勢は、人間としての「器」を大きくもするし、敵対する相手には「何を考えているのかわからない」という心理的なプレッシャーを生む。
ムエタイにおける「ニヤニヤ笑い」は「教育」の賜物なのだという。対戦相手の自信を揺るがせるため、心理的な攻撃ということで、ムエタイの選手は戦いの時にニヤニヤしろということを幼い頃から徹底的に鍛えられるらしい。

風呂の最後に冷水シャワーを浴びると自律神経のリズムが整う。
温水シャワーの温度を下げて、徐々に水へと変えていく。
熱いお湯を浴びると「副交感神経」、冷たい水を浴びると「交感神経」というものが刺激される。交互に刺激することで自律神経のリズムが整い、新陳代謝や血流がよくなり、免疫力もアップする。

「太陽を食べろ」とかちょっと宗教がかっている部分もあるのだが(それも個人的には好きだが)、ロブサンというパートナーのシェルパが、一瞬の判断で小西氏を救うために分厚い登山用のグローブを外し、指笛を吹いたエピソードなどは圧巻。
リアルに生死の境を生きている小西氏の話には説得力がある。

カラオケは「腹力」を鍛えるのにいいらしいし、力まない呼吸法をマスターして「腹力」を鍛えることとしたい。

2010年8月28日土曜日

『モチベーション3.0』

久々読んだ骨太本。ダニエル・ピンク氏の著作。
氏は本書の概要ということで、巻末に3つの方法で「まとめ」を書いている。
色々なところで著作を発信してもらうにはとてもいい試みである。
その3つの方法というのも、時間(文字数)によってわかれていて非常に面白い。
その1:ツイッター向けまとめ(最大140字まで)
その2:カクテルパーティ向けまとめ(多くても100語程度。あるいは話して1分以内)
その3:きっちり各章ごとのまとめ
報告やら説明やらを短時間で行う場合に何を話すかで、勝負が決まることが多い。
佐々淳行氏が言う”エレベーターブリーフィング”、”スリーミニッツ・リポート”、”フィフティーンミニッツ・デシジョン”は説明時間により、説明する内容を絞るというものだ。
そう考えると、それを読者がやりやすく、また著者の意図通りにやってもらうためには非常に優れた方法である。

あまのじゃくなので、それをそのまま利用せずに自己流に感想を述べたい。

人間を行動に駆り立てるものは何か。
<モチベーション1.0>
原始時代は空腹を満たしたり、生殖など生存本能に基づくもの。
<モチベーション2.0>
工業化社会になって、アメとムチで駆り立てられた。
さて、それでは次なる<モチベーション3.0>とは?
という問いから本書は始まる。

仕事と勉強を「アルゴリズム」(段階的手法またはルーチンワーク)と「ヒューリスティック」(発見的方法)の二つに分類したとすると、外的な報酬と罰、つまりアメとムチはアルゴリズム的な仕事には効果を発揮するが、ヒューリスティックな仕事にはむしろマイナスに作用するおそれがあることが様々な実験で分かっている。
創造的作業であるヒューリスティックな仕事には、アメとムチがプラスに働かないというのは容易に想像がつくが、むしろマイナスに働くというのがポイントである。

ここで著者は、<モチベーション2.0>と<モチベーション3.0>の違いを、物理法則に喩えている。
ニュートンの法則が、物理的な環境を説明したり、投げたボールの軌道のグラフ化に役立つように、<モチベーション2.0>は社会的状況を把握し、人間の行動の予測に役立つ。
だが、ニュートン物理学は、素粒子レベルになると問題にぶつかる。「ハドロン」「クウォーク」「シュレディンガーの猫」といった量子力学の不確定性の支配する世界では、奇妙な事態が生じ、ニュートン力学では説明できない事態が発生する。
あるレベルになると<モチベーション2.0>では機能しなくなるという喩えだ。

さて、その”あるレベル”とはいかなるものか。
創造的業務においては、ひとたび「生計を立てる」という基本的な報酬ラインが充たされてくると、アメとムチは、意図した目的とは正反対の効果を生み出す場合が多い。

<モチベーション3.0>における重要な要素は、自律性、マスタリー、目的、の3つである。

【自律性】
課題(Task)、時間(Time)、手法(Technique)、チーム(Team)の4つについて自律性が得られると内発的動機が発現しやすい。
弁護士という職業は、この自律性が得にくいので傍から見ると楽しそうに見えないという指摘は秀逸だ。
【マスタリー】
マスタリーとは、何か価値あることを上達させたいとういう欲求のこと。
チクセントミハイの「フロー」の状況が理想であるが、熟達にはそれを繰り返す「根性」が必要であるというのが面白い。
また、マスタリーはキャロル・ドゥエックのいうマインドセット(心の持ち方次第)である。わくわくマインドセット(growth mindset)であるか、こちこちマインドセット(fixed mindset)であるかの違いはマスタリーにおいて大きな差となって現れる。
【目的】
高い成果を上げる秘訣は、人の生理的欲求や、信賞必罰による動機付けではなくて、第三の動機付け〜自らの人生を管理したい、自分の能力を拡げて伸ばしたい、目的を持って人生を送りたい〜という人間に深く根ざした欲求にあると科学で証明されている。
ということで、目的をもってモチベーションたらしめるべし、ということなのだが、もう一つ掘り下げて書かれてもいいテーマである気がした。

概略は上記の流れであるが、具体的な方策ついての記載が本書ではなされている。

マーク・トウェインのトム・ソーヤの中にでてくる話をひいて、「ソーヤー効果」と名付けているが、マーク・トウェイン曰く
「”仕事”とは”しなくてはいけない”からすることで、”遊び”とは、”しなくてもいい”のにすることである。」
なるほど、逆に”しなくてもいい一手間”をかけることで”仕事”を”遊び”へと意識的に変えることができるということかもしれない。

明日からは”しなくてもいい一手間”を意識的に行うようにしよう。

2010年8月11日水曜日

ホームスパン みちのくあかね会

「ホームスパン」というのをご存知だろうか。
ホームスパンとは、英国生まれの毛織物。家(home)で紡ぐ(spun)という言葉の通り、羊毛農家が羊の毛を自家用に紡ぎ、織ったのが始まり。
現在では、手織り・手紡ぎに限らず、ハンドメイドの感覚を大切にしたツイード(太い紡毛糸で織った厚地で丈夫な織物)の一種を指し、ホームスパンと呼んでいるとのこと。
厳選した羊毛を手で染め、手で紡ぎ、手織りでゆっくりと仕上げた織物は、柔らかく、あたたかなんだそうな。

第二次世界大戦が始まると、羊毛は軍需物資として管理され、ホームスパン生産は規制されてしまい、休眠状態だったホームスパンが再興したのは戦後。
国内の産地が消滅していく一方で、岩手のホームスパンは伝統産業として守られ、岩手県のホームスパンは、今では全国生産額の約8割を占めているらしい。

その「ホームスパン」の製造直売で有名な「みちのくあかね会」に行ってきた。
別段予約をした訳でもないのに、親切丁寧に案内をしてくれた。
建物は病院だった建物を利用しているとのことで、お世辞にも立派な建物ではないが、その建物の中で冷房もない中、妙齢の女性達がホームスパンの制作に精を出していた。
やはり手間ひまかかっているのが分かって、モノのよさを認識しちゃうと多少高くても財布のヒモが緩んでしまう。
妻ががま口財布やら印鑑入れやらを購入。ついでに二人でホームスパンのマフラーを購入することとなった。
今は暑すぎてとても首に巻く気がしない感じだが、冬が楽しみ。

それにしても東北の女性は歳をとっても本当によく働らかれます。これまた感動。

2010年8月10日火曜日

三ツ石神社

「みちのくあかね会」を目指していたら、図らずも三ツ石神社の前を通りかかり「鬼の手形」というのにも惹かれてフラフラと見に行ってしまった。
なんと、岩手県の県名の由来だったり、さんさ踊りの起源だったりとすごく由緒ある神社であった。


<神社のいわれ>
岩手の呼び名について大和物語りによれば、「平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され、帝はこれを岩手と名付けた」とある。俗説では、「三ッ石と鬼の手形」の物語が岩手の地名や不来方の起源や地名であるといわれている。
伝説によると、むかしこの地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の人々をなやまし、旅人をおどしていた。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ッ石に縛りつけた。鬼は二度と悪事をしないし、また二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやり、それからこの手形のあとには苔が生えないといわれている。
しかし、長い年月がたっているので今ははっきりしません。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源だといわれる。また鬼が再び来ないことを誓ったことから、この地方を不来方と呼ぶようになったと伝えられている。
鬼の退散を喜んだ住民達は、幾日も幾日も踊り神様に感謝のまごころを捧げた。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源だといわれている。「さんさ踊り」の名まえは、「さしあげ踊り」、つまりお供え物をして踊るというのが短くなったとか、三十三も踊りの種類があるので「さんさ」というのだとか、いろいろの説がある。
三ッ石はもと一個の大きな岩であったが、長い年月の間に三ッに割れて現在の三ッ石になったのである。

どこが鬼の手形なのかは結局判別できなかったが、人口140万人弱とはいえ岩手県の起源となるような神社に図らずも詣でることができてよかった。

石割桜

盛岡地方裁判所の正面にある桜である。
樹齢が360年を超えるといわれるエドヒガンザクラらしいが、巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目から生えてきて石を割ってしまったという。
いまだにすこしずつ割れ目が大きくなっているというから、成長しながら石を動かしているということであろう。
浅田次郎の壬生義士伝で「盛岡の桜は石ば割って咲ぐ」と出てくるのがこの桜とのこと。東北人の粘り強さを石割桜に喩えたということであろうか。
特段花が咲いていて美しかったたわけでもないのだが、その生命力には威圧される感じであった。桜の咲く季節にはまた違った魅力に違いない。

い〜はと〜ぶアべニュー材木町

盛岡のい〜はと〜ぶアベニュー材木町に行ってきた。
ここには宮沢賢治が生存中に出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」を出版した「光原社」があるというだけでなく、民芸品店、陶器、木綿、漆器、木工家具などていねいな仕事を重んじる店が軒を並べ通りである。
宮沢賢治をモチーフとした6つのモニュメントが350mほどの通り沿いに設置されている。
(余談だが、岩手県内においては宮沢賢治はすごい人物であるらしい。お土産物でも宮沢賢治にちなんだものが非常に多い。)
この通りだけは歩道の舗装や排水枡も他とは異なり、更には道にもフォルトが設けられていて明らかに他とは違う一角という雰囲気を醸し出している。
(正しくは「フォルトがある」というより道が蛇行していて、いきなり歩道がなくなる部分があったりする。道路管理者がよくぞOKしたものである。そのおかげで、緑量が少ないわりには植栽がたくさんあるように見える素敵な通りとなっている。)
通り自体は材木問屋だった400年前からあるようだが、1994年に盛岡市の都市景観創作賞を受賞しているところを見ると、現在のような形状になってから既に15年以上が経過しているものと思われる。
6つのモニュメントでしっかりと残っているのは石できっちり作られたもので、鉄を塗装して作られた「詩座」や植栽を利用した「花座」についてはちょっと今ひとつになってしまっていた。イニシャルコストと素材、そして管理のバランスが大切であるのは時を経た造作物をみると痛感する。
道路だけでなく、沿道のお店も景観の保存に非常に気を使っていて、すごくレトロに素敵な歯医者さんがあったりして、雑誌片手の若い女性観光客を呼び込んでいた。
何事も全国区になって、観光雑誌にとりあげられるようなレベルにすることは商業的には非常に重要であると感じた。

角館 大村美術館 ルネ・ラリック展

秋田 角館で大村美術館に寄った。
ルネ・ラリック展をやっていた。
正直「ルネ・ラリック」なる人をよく知りもしなかったのだが、中の展示物に書かれているひとつひとつのコメントとオーナー(?)の美術講義を聞いて面白いと思った。

ルネ・ラリック(1860−1945)とは、アール・ヌーヴォー、アール・デコという2つの美術様式のムーブメントを橋渡しした、フランスを代表する宝飾とガラスの工芸家である。
1925年のアール・デコ博では会場のモニュメントとなるガラスの噴水を制作した。後にオリエント急行や豪華客船ノルマンディー号などの建築装飾でも卓越したセンスを発揮した。
ルネ・ラリック自身は来日したことはないらしいが、当時のジャポニズムの影響を少なからず受けたと思われる仏像をモチーフとしたような作品が展示されていた。

オーナー(?)に「美術に関する知識が全くないので、アール・ヌーヴォーとアール・デコの違いを教えてください」とお願いしたら、非常に分かりやすい解説をしてくれた。

アール・ヌーヴォーの前までは、芸術の対象=美しいもの といえば「神」だった。
1番が「神」。2番が「神」に近い完璧な肉体(人間)とされ、その他諸々(日本でいう花鳥風月のような自然)はその次としてモチーフとして取り上げられることは少なかった。それを、自然に存在するモチーフ(当然有機的な造形物)をとりあげ始めたのがアール・ヌーヴォー。
アール・デコは当時は「モダン」と言った。「アール・デコ」と呼ばれるようになったのは、後世この時代を振り返って。
当時のヨーロッパは第一次世界大戦というものを経験し、機械の恐怖を体験した。
人間を凌駕する兵器に対する畏怖の念が、有機的なものから幾何学的、数学的な造形を対象とするひとつの契機となった。
ルネ・ラリックはどちらの時代にも活躍しており、双方の橋渡しをした存在と言われている。


以下WIKIPEDIAからの引用であるが、上記の話と合わせて理解すると非常によく分かる。

アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐に亘り、生活の隅々にまでアール・ヌーヴォーを行き渡らせることが可能であった。

アール・デコ(仏:Art Déco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカ(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。
幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いや様式は多様である。


時間があったらもっと話を聞きたくなるような説明であった。
全くのズブの素人に分かりやすく話ができるというのは、実はスゴいことである。
(作品にひとつひとつついているコメントも面白くて「シレーヌはデビルマンででてくるような半鳥半人のイメージのものと、作品にあるような人魚のイメージのものと両方ある」なんてコメントが書かれてたりする。年代的に子供に分かるかどうかは別だが、我々の世代には非常に敷居の低い分かりやすい書き方である。美術品を身近に感じさせる素晴らしいコメントに感動!)

建築的に「アール・デコ調」なんて話をしてたりしていたが、その理解が深まった。
美術館ではこういった”話のできる人”に話を聞かないともったいないと思った。





2010年8月8日日曜日

わんこそば

盛岡に来たので、今日はわんこそばに挑戦した。
お昼だったので、夜の冷麺も見え隠れしてたので目一杯ではなく70杯で終了した。
女性のチャンピオンは500杯超、男性のチャンピオンは400杯超食べるんだそうな。
ちゃんと食べる前に「大体男性の方は50〜60杯程度、女性の方は30〜40杯程度です」ということでアンカリング(事前レクチャー)がはいっていた。
「まだまだ〜」「どんどん〜」とかかけ声をかけながら女性の方がそばを供給してくれるのだが、ついつい焦ってしまい美味しくはいただけなかった。

ちゃんとお椀を残してくれてお椀の数を数えてくれるコースと、自分で数を数えるコースがあって、自分で数を数えるコースにしてみた。
マッチ棒かと思わしき棒(実はマッチではなし)を使って数を記録するのだが、やはり食べてる途中でよくわからなくなる。
次回には、お椀を残して数を数えてもらうやり方だと考えつつ、次回挑戦は相当先でよさそうと感じた。

IRIS

IRIS」という韓国TVドラマをご存知でしょうか。
日本の秋田の各所でロケをした(秋田県が誘致した)ということで、今秋田県の観光情報誌では必ず出てきます。
秋田県を旅していると、川反のすずらん通りでもロケをしたとか、田沢湖でもたつこ像の所で撮影が行われたとかでその場その場でアピールされていて、県を挙げて発信しています。
その撮影部隊が3週間宿泊したという田沢湖畔のホテル「イスキア」に宿泊してきました。

ここの女将の佐藤京子さんが、宿泊費をタダで協力してくれる宿泊場所はないか、という要請に応えて(秋田県からも要請があったということです)3週間で全館を撮影スタッフのために無料で貸し切りにしたそうです。
主役のイビョンホンが宿泊した部屋がそのまま残っていて、宿泊者は見ることができます。
実はちょっと前までイビョンホンなる人物を全く知りませんでしたが、ミーハー精神全開で部屋も拝見しました。
イビョンホンが残した吸い殻とか、ミネラルウォーターのペットボトルがそのまま残っているという触れ込みなのですが、吸い殻とかは追っかけファンにどんどん持ってかれちゃって今や一本のみでした(それも今や本当に本物かは分かりません)

女将は1000万を超える宿泊費を無料にする分、IRISでイビョンホンが宿泊した施設であることをうたえる権利をもらったようですが、秋田県全体でこの”IRIS”をアピールしているので、十分ペイしている感じです。
(そもそも韓流スターになんか全く興味のない千葉県在住の人間が、秋田県の田沢湖畔のホテルを認知したのですからたいしたものです)

お金をかけずに、地域をクローズアップする手法の一つとしてありだと思いました。

秋田竿燈祭り

秋田に行って竿燈祭りを見てきました。
秋田竿燈まつりとは毎年8月3日〜6日まで秋田で行われる東北三大祭りの一つです。
重さが50kgにもなる、46個の提灯がついた竹竿を手だけでなく、頭や腰にのせてバランスを保つというものです。
提灯には各企業の名前が出てたりするので、倒さないように交替しながら続けていくのですが、結構バッタリと倒れたりします。(見ている側からすると、倒しちゃっていいのかな〜なんて思っちゃいますがしょうがないんでしょうね。)
中の明かりは全てろうそくらしく、何度も倒れている竿だと、明かりがほとんど消えちゃったりしていて面白いです。
小さい頃に一度みたきりだったので、うん十年ぶりに見ることができました。

北都銀行さんの関係で、下の子供は小若という通常よりも小さな子供用の竿燈を実際にやらせてもらえたりしました。
地元の子供は凄く上手な子もいましたが、結構難しいみたいです。それこそバタバタ倒してました。

秋田には竿燈祭りの会場となる「竿燈大通り」なるものがあるのですが、結構通りに面して空き地が多くありました。
祭りの時には素敵な屋台村となっているのですが、普段はそんなに空き地が多くて大丈夫なのだろうかと思ってしまいました。
地方経済は東京からみるのよりも厳しいのかもしれません。

結構東北に来ているようで、実は東北三大祭りはほとんど見ていなかったので、ねぶたと七夕も頑張っていこうかしら。

2010年8月1日日曜日

『テロルの決算』

沢木耕太郎のノンフィクション小説である。
某広告代理店のK社長に勧められて読んだのだが、昭和35年10月12日の出来事ということで、浅沼稲次郎についても山口二矢(おとや)についても全く知見がなかった。
沢木耕太郎らしい、細かい調査に基づく小説となっている。
しかしながら、現在の感覚でいくと、何故ここまで思想により敵対しなければならなかったのか、という点については、現代の若者が読むにおいては若干の注釈がないと共感できないのではなかろうか。
正直自分の世代であっても、どこまで右翼、左翼のそして左翼の中の穏健派、過激派の温度感の違いは理解できているとはいい難い。

なぜ、今、Kさんがこの本を勧めてくれたのか、などと別の観点を色々想像しつつ本を読み終えた。

「コーチングのプロが教える 「ほめる」技術』

「自己説得」した行動は、「他己説得」された行動よりも現実化する可能性が高い。
ただ、自己説得によりとるべき道が決定され、動き出したとしても、最終的に目的地にたどりつくためには「エネルギー」が供給され続ける必要がある。
コーチングではそのエネルギー供給のことを「アクノレッジメント(acknowledgement)」という。
このアクノレッジメント、つまりエネルギーの供給回数が多ければ多いほど、供給方法にバリエーションがあればあるほど、相手をより遠くまで、ひいては目的地まで動かすことが可能になる。
アクノレッジメントとは「承認すること」、「私はあなたの存在をそこに認めている」ということを伝えるすべての行為、言葉が「承認」にあたる。

その昔は教師が、上司が、さらには親が言ったことは絶対であって、それら権威に逆らうことは許されない雰囲気があった。
キラーフレーズは戦時中であれば「お国のため」であったし、戦後であれば「戦後復興」「所得倍増」で、「だから…」と続く内容については逆らいきれない重みがあった。
時代は変わってしまい、日本社会の中でいわゆる「権威」と呼ばれる存在が軒並み失墜する中で、そう簡単に若い人達は、コーチや監督のいうことに対して心の底から信頼を寄せたりはしなくなってしまった。

そんな中で、アクノレッジメントし、モチベーションを高めるにはどうしたらいいのか、というノウハウが書かれている。

基本的には、観察し、対象によってそのアクノレッジメントのやり方を変えるということなのであるが、基本的には人に対する深い愛情、洞察がないと皮相的なテクニックとなってしまう。

アクノレッジメントのやり方は様々だが、やはりスーパーアクノレッジメントは「任せる」ことなのだそうだ。

コーチングにおいては人の気質を以下の4つのタイプに分けている。
1.コントローラー・タイプ
2.プロモーター・タイプ
3.サポーター・タイプ
4.アナライザーー・タイプ
各々のタイプごとにアクノレッジメントにおける有効な表現の仕方が述べられている。

この分類は以前会社の研修で行ったので非常にイメージしやすかった。
研修の時には、「自分がどのタイプか」ということで終わってしまったので、下に対するアクノレッジメントのやり方を考えることまで意識が行っていなかった。

とにもかくにも、観察、観察、観察
明日から実践したい。

『そうか、君は課長になったのか。』

佐々木常夫さんという東レ経営研究所社長の書いた本。
この佐々木さん、長男が自閉症で子供は全部で3人。課長時代には奥さんが肝臓病そしてうつ病併発で入退院を繰り返し、6時には退社する必要に迫られながら「課長職とは何か」を追求し最短距離で最大限の効果を生み出すマネジメントを編み出す。
その後東レ同期トップで取締役就任したというスゴい人である。

そのノウハウが「石田君」という架空の新任課長(佐々木氏が課長時代に配属された新人という設定)への手紙という形で綴られている。

その中に、<仕事の進め方10か条>というのがある。
①計画主義と重点主義・・目標設定→計画策定、優先順位をつける
②効率主義・・通常の仕事は拙速を尊ぶ。
③フォローアップの徹底
④結果主義
⑤シンプル主義
⑥整理整頓主義
⑦常に上位者の視点と視野
⑧自己主張の明確化
⑨自己研鑽
⑩自己中心主義・・自分を大切にすることで人を大切にできる。健康に気をつけ年休をとること。


感動した話としては、日本理化学工業の大山泰弘会長が、知的障害者たちが一生懸命働くのを見て「どうしてこの子達はこんなに一生懸命働くのだろうか?障害者の施設で、毎日のんびり暮らした方が幸せだろうに」と疑問に思ったのに対する、とある導師(禅僧)からの回答である。
「人間の究極の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされることの4つ。働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるのです。彼らが働こうとするのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証なのです。」

働くことは、本当の幸せを求める人間の証なのだ。

中坊公平氏の「正面の理、側面の情、背面の恐怖」というのも、リーダーシップの発揮の仕方として、いいえて妙な言い方で関心した。

正直20年前のノウハウであり、今とは状況も違うのだが、逆に高々20年しか違っておらず、本質としては未だに参考になるものも多い。