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2018年4月22日日曜日

第9回子供学カフェ

同志社女子大 教育学の上田信行先生が、建築家の小堀哲夫さんと一緒に講演会をやるというので行ってきた。


講演会といっても、トーク、アクト、リフレクトの三部の構成。
一方的な講演会ではないあたりが上田先生っぽい。

<トーク>

まずは上田先生のトークということで始まる。
実は用意していたスライドのファイルが消えてしまったという大ハプニングがあったのだが、焦りながらも(とおっしゃりながらも余裕に見えたが)必要なスライドを出しながら、まさにトークでカバー。
上田先生が50年近くも前から携わっているセサミストリートのformative researchについてお話を聞く。

その頃はまだ「TVで教育?」てな感じで、映像による教育は「視聴覚教育」が認知され始めたくらいだったとのこと。
その時代の教育番組の評価・分析は「番組を見た後にどれだけ成果(子どもの学力の伸び)があったか」をいうことを確認する調査だったのだが、セサミストリートでやっていたのは、プログラムそのものを評価したという点が新しかった。
プロダクションはもちろん、コンテンツ、そしてリサーチの専門家が集まり、三位一体となって番組を作り上げていった。
具体的には7.5秒ずつ区切って、子供の"attention"を評価基準にして、プログラム(コンテンツ)を評価した。
(この7.5秒というのは、昔あったカルーセルという機械の映写のタイミングが7.5秒おきだったことによるらしい)
そしてそのコンテンツを『マガジンフォーマット』(要は雑誌を作るのと同じように、色々なテーマを組み合わせていく手法)で、様々なコンテンツを編集することで番組を作っていった。

その頃のアメリカは貧困が学力低下を呼び、その低学力がまた貧困を呼ぶという負のスパイラルに入っていて、テレビ(しかも白黒)というものを使って、小学校に上がる前にいかに子供達の学力の底上げを図るかということが社会の大きな課題であった。
そのためには、(視聴覚教育コンテンツのように見てもらえる前提で番組を作るのではなく)まず子供達に興味を持って見てもらうためにはどうしたら良いのか、というところから入っていく必要があったのだという。

<アクト>

その次にアクトということで、チームに分かれてレゴを使ったタワーチャレンジ。
その前に、二人組で ”I'm on you!!” と叫び合ったり、手を叩いた後、「クリス、クロス、ハッ!!」と謎の掛け声で気合を入れたりするパフォーマンスを全員でやってアイスブレイク。
いい歳とった人たちが上田先生の”指導”のもと、ノリノリでパフォームしているのは端で見たらきっと狂信的な新興宗教のようであったろう。

続いてタワーチャレンジ本番。
まずはチームで何の事前相談もなく、積み上げる。
どのチームもせいぜい人の背の高さくらいまで。それでもチームごとにはちょっとずつ工夫が見られる。
上田先生はそれらを見ながら、「もっと天井まで目指してくださいね〜」なんて言っている。
次は、チームで戦略を練って、役割分担をする時間を取って行う。
上田先生はまた「土台をしっかりするのと、上に積み上げるのと、相反するものをどうバランスさせるか、その辺もポイントです。よく話しあってくださいね〜」
などといって再チャレンジ。
すると今回はなんと天井まで届くチームが出た!

このチャレンジ、ミハイ・チクセントミハイの”フロー”の状態を実感するのには非常にいいプログラムだと思っていたが、戦略の共有(チームで協働する)とビジョンの共有(天井まで届かせる)ということの重要性にも気がつくプログラムである。

その後の理論編の話によると、このタワーチャレンジはレゴでやることに意義があって、このタワー、必ずどこかで何回も倒れる。
その際にも、落ち込んでいる時間はなく、すぐに倒れたタワーを修復し始め上を目指す。
この行為は"resilience"を学ぶことにもつながるのだそうだ。

天井まで届いたレゴタワー!
戦略の共有と、天井まで届かせようというビジョンの力。


その後小堀哲夫先生の学びの環境に関する講義があった。
「空間、道具、人、活動」のデザインが重要という話を聞きつつ、柏の葉のプロジェクトを懐かしく思い出した。
小堀先生は梅光学院大学のユニークな建物を設計、建築中とのこと。
・廊下のない校舎
・個室のない校舎
・シラバスと空間の関係について、関係者を集めてワークショップを行いながら設計
など、ユニークな手法での設計を行ったとのこと。
空間とその中で行われる活動について、行ったり来たりして設計していく手法を”Tinkering"と述べておられた。

上田先生とのやりとりでは、上田先生は上記のうち「空間」が非常に重要だとおっしゃるのに対し、小堀先生は「人」(上田先生のような”変態”が重要、という言い方でもあったが(笑い))が重要だという意見。
お互いにないものを重要だと思っているという点が面白い。

学びには「ワクワクとドキドキが両方(両立)が必要」とのこと。
本来、ドキドキ(risky:不安と恐怖)とワクワク(playful:期待と喜び)は相反するものだが、どちらかだけでは”学び”につながらない、ということをおっしゃっていた。
その際、自分は設計者で、ちゃんとした建物を色々な事業の制約の中で建てなければならないので不安やプレッシャーがある。その不安の中でワクワクすることで学びにつながっていく、という内容を話をしていて、事業をする身としては非常に共感を覚えた。
上田先生がよく
「playfulは真剣でなければならない」「engagementが必要」
とおっしゃるのは、その不安、恐怖、制約の中で真剣に関わり、楽しむことを両立させる、ということなのだと理解している。

また小堀先生がおっしゃっていて面白かったのは、
「今は”時短”が叫ばれているが、本来はcreativityを上げるため、speed up のための時短。時間の制約が生まれることで、よりcriativeになる。そこが勘違いされていて、ただ時間が短ければ良い、という風に間違って解釈されている」
という話をされていたのが印象的だった。

これにかぶせて上田先生が「criation していなければ creative ではない」
とおっしゃっていて、これがMITの「demonstrate or die」の発想につながるのだと思った。


梅光学院大学の校舎の模型を見ながら説明する小堀先生
来年3月には竣工予定らしい。


最後の振り返りの部分も上田先生の話が多かったが、もっと話を聞きたかった位だったので非常に勉強になった。

キャロル・ドゥエックの”The Spirit of Yet"の話が面白かった。
今、mindsetの話が話題となることが多いが、これはコンピューターでいうとOSの部分、人が行動するにあたり基本となる姿勢(attitude)のこと。
”The Spirit of Yet"では、できない(can not)のではなく、まだできていない(not yet)ということで、「できない」という思考停止となるような発想に立たない、ということ。
まだできていない、だったらどうしていけばいいのか、という発想につながる。
"playful"というのはこの"attitude"なんです、という上田先生。

自らのポートレイトをジョン・レノンと重ねて"yet"という姿は、刺激に満ちている。
相変わらず、登場して話をするだけで場の雰囲気を一変させるパワーをお持ちだった。


2017年7月23日日曜日

LEGO SERIOUS PLAY

立教大学 中西先生による つなぐLab Vol.0011で小笠原裕司先生によるLEGO SERIOUS PLAY を体験。

・手で考えて
・出きた作品に意味を与えて
・思考を整理するメソッド
ということで、MITのシーモア・パパート教授のコンストラクショニズムの考え方がベースになっているらしい。




○曖昧模糊とした質問(お題)に対し、考えてから作る(デザインする)のではなく、まず作る(作りながら考える)ことを指示される。これにより、全員参加が必須となる。さらに言うと手を前に出す必要があるので、全員、「前のめり」の会議になる。
○自分のプレゼン時に、レゴ作品を指差してプレゼンすることを指示される。これにより、プレゼンの敷居が下がる(説明相手の視線が自分に刺さらない)効果とともに、ヴィジュアル(3Dのレゴ作品)とともに説明ができる(「目で聴かせる」)ので、相手の記憶に残りやすい。
○プレゼン者に対しては「作品」に対して質問することを指示されるので、相手の人格と相手の意見を分けて捉えやすくなる。(とはいえ、「作品」はややもすると自分の分身となるので、相手の作品に勝手に触らないよう、との指示もあり)
○作品を中心に質問が進むので、言葉だけで対話するのに比べ、質問(テーマ)が取っ散らかることが少ない。
○特に価値観が大きく異なる、多様な文化を背景にもつメンバーが参加する場合に効果的である反面、レゴとはいえスキルにより表現に差が出る部分もあるので、多少の練習時間が必須。


<所感・気づき>
○たった52個のパーツだが、「高い塔を作る」と言う”目的性”を持ったお題ですら、人それぞれの作品となる面白さがあった。(そしてこの52個のパーツは色も形も相当考えられてこの組み合わせとなっているらしい)
○作って、語って、振り返る(気づきを得る)と言う一連の流れが、上田信行先生の講義を思い出した。
○「目」のブロックは得てして「他人」を意味することで使う人が多く、「目」と言うのは人間にとって「他者」の重要な象徴なのだと改めて思った。
○「気持ちの準備が整った方から発言をよろしくお願いします」と言う表現を使うと、参加者を焦らすことなく、発言を促すことができる。



人は「作話する動物」であるという認識でいるので、このメソッドで何を作るか(どんな形を作るか)には、実は全く意味がないのだと思っている。
自分の作ったものに対してどう意味・解釈を与え発信するのか、と言うことが重要なわけだが、最初の段階ではその意味づけも荒削りで場当たりなものとならざるを得ない。(なぜなら最初に形を作ってしまうわけだから)
それでも議論が活性化するのは、そもそもレゴが抽象性を持っているからなのだろう。
時間の都合で割愛されたのだが、自分の作品について、「コアな部分」だけを取り出す行為(おそらく本当に自分が言いたい部分を抽出する行為)を行うことで、より自らの考えについて深め、気づくことができるのではないかと感じた。

このLEGO SERIOUS PLAY 、ファシリテーターをやるにはLEGOから認定される必要があるらしいが、その認定研修は来年秋ごろまで予約がいっぱいなんだとか。
LEGOのビジネス上の凄みも感じた1日だった。

2015年12月28日月曜日

『フューチャー・オブ・マインド』 その2

脳と意識と不確定性原理の続き。

<不確定性原理>
・懐中電灯を月に向けると、光は月に届くだろうか。
答えはイエス。大気に元の光線の90%以上は吸収されるが、一部は月に届く。
だが、真の問題は、懐中電灯が最終的に月面を照らす範囲は、直径何キロメートルにもなるということだ。
これは不確定性原理のためであり、直進性の高いレーザー光線でも必ず徐徐に発散する。レーザー光線の正確な位置を知ることはできないので、量子物理学の法則によって、光線は必ず時間とともに徐々に広がることになるのだ。
・19世紀のアメリカ西部で郵便配達をしていたポニー・エクスプレス(リレー方式の早馬便)を考えてみよう。馬はそれぞれの中継駅の間を全速力で走る。だが障害となったのは、郵便物や馬野乗手を交換する際に各中継駅で生じる遅延要素だった。このせいで、郵便配達の平均速度はかなり落ちた。
光は、原子間の真空では秒速約29万9792kmという高速cで進むが、原子にあたると遅くなる。光は、つかの間原子に吸収され、瞬時に追い出されて再び放射される。このわずかな遅延こそ、光線がガラスや水に入ると概して遅くなるように見える原因だ。
ハーバード大学の科学者はこの現象を利用し、ガスの入った容器を用意して絶対零度近くまで慎重に冷やしていった。こうした極低温では、ガスの原子は光線をかなり長い時間吸収してから再び放射するようになる。このように、遅延要素を増大させることによって、光線を減速させ、遂には停止させたのである。光線は、ガスの原子と原子の間は変わらず光速で進むのだが、原子に吸収される時間が増えていく。
これにより、意識のある存在が、サロゲートを操るのではなく、エネルギーそのものの形のまま、ほとんど幽霊のように漂うほうを好む可能性も出てくる。
すると、将来我々のコネクトームをのせたレーザー光線は、恒星に送られると、ガスの分子の雲に移されて、ビンに詰められることになるかもしれない。
この「光のビン」は量子コンピュータによく似ている。どちらも同期して振動している原子の集まりであり、その中では原子の位相が揃っている。そしてどちらも、通常のコンピュータの能力を遥かに超える複雑な計算ができる。
だから、量子コンピュータの問題が解決できれば、我々はこの「光のビン」も扱えるようになるかもしれない。
・アインシュタインは1915年に発表した一般相対性理論で、重力が時空の歪みによって生じることを明らかにした。
重力は、ニュートンがかつて考えたような、謎めいた見えない「引く力」ではなく、実は、空間そのものが物体の周りで曲がることによって生じる「押す力」なのである。これで、星の光が別の星のそばを通過する時に曲がることや、宇宙が膨張することを見事に説明できただけでなく、時空の生地が伸びていくとやがて破れるという可能性もあきらかになった。


<シュレーディンガーの猫>
電子は点状粒子だが、それが見つかる確率は波で与えられる。そしてこの波はシュレーディンガー方程式に従い、不確定性原理をもたらす。
シュレーディンガーの猫のパラドックスをどう解決するか?

第1の手だては、ボーアとハイゼンベルクによって提唱されたコペンハーゲン解釈。
この解釈によると、猫の状態を決定するためには、箱を開けて観測しなければならない。観測すると、猫の波(死んでいる猫と生きている猫の重ね合わせ)が一つの波に「収縮」するので、猫が生きている(または死んでいる)ことが分かる。
このように、観測が猫の存在と状況を決定する。観測行為によって、二つの波が魔法のように解けて一つの波になるのである。
アインシュタインはこの解釈を嫌った。これに対抗する「客観的実在」の理論を推進した。この理論では単に、宇宙はいかなる人間の観測とも無関係に、ただ一つの明確な状態で存在するとされる。(これはほとんどの人が持つ常識的な見方だ)
客観的実在は、惑星や恒星や銀がの運動を表すことに見事に成功した。相対性理論を用いれば、この考えでブラックホールや膨張する宇宙も表せる。
ところがまるで通用しない場所がひとつある。原子の中だ。 量子力学は、新たな形の独我論を物理学へ連れ戻した。
この見方によると、観測されるまでは、木はあらゆる全ての状態で存在する(苗木、焼けた木、おがくず、つまようじ、朽ちた木など)。ところがあなたが見た途端、波が収縮してただの木に見える。かつての独我論者は、木が倒れているかいないかという話しをしていたが、新しい量子の独我論者は、木のあり得る全ての状態を取り入れているのである。
アインシュタインは、量子の微小な世界(猫が死んでいながら生きてもいるような世界)と、我々周囲の常識的な世界とには「壁」があると考えた。

第2の手だては、1967年ユージーン・ウィグナーによって考案された。
ウィグナー曰く、意識を持つ人間だけが、観測をして波動関数を収縮させることが出来るとした。
しかし、その人間が存在すると誰が言えるのか?観測する人と観測される人は切り離せないので、その人間も死んでいると同時に生きているかもしれない。観測者が生きていることを確かめるには、その観測者を見る第二の観測者が要る。
この第二の観測者は「ウィグナーの友人」と呼ばれる。第二の観測者が生きていることを確かめるには、さらに別の友人が必要となる。
このように、前の波動関数を収縮させて「友人達」が生きていることを確かめるには、無限に友人が要るので、なんらかの形で「宇宙の意識」や神が必要になってしまう。
ウィグナーは「(量子論の)法則を全く矛盾のない形で定式化することは、意識を考慮せずには不可能だった」と結論づけた。
このアプローチでは、神または何らかの不朽の意識が我々全てを見て、我々の波動関数を収縮させるので、我々は生きているのだと言える。
この解釈はコペンハーゲン解釈と物理的に同じ結果をもたらすので反証のしようがない。だが、これの意味するところは、意識は宇宙の根本をなす存在であり、原子よりも根本的だということである。物質世界は移り変わっても、意識はずっと決定的な要素のままでいる。すると、ある意味で、意識が現実を作り出していることになる。身の回りにある原子の存在そのものが、それを見たり触ったりできる我々の能力に基づいているのだ。

第3の手だては、1957年にヒュー・エヴェレットが提唱したエヴェレット解釈(多世界解釈)だ。
この解釈によると、宇宙は絶えず分岐して多宇宙となっている。ある宇宙では猫は死んでいるが、別の宇宙では生きている。
このアプローチは、次のように要約できる。波動関数は収縮せず、ただ分岐する。
エヴェレットの多世界理論がコペンハーゲン解釈と唯一異なるのは、波動の収縮という決定的な仮定(量子力学の最も単純な定式化であり、最も気味の悪いもの)を取り下げた点だ。
この第三のアプローチは甚大な影響を及ぼす。つまり、あらゆる宇宙が存在でき、奇想天外で一見ありえないような宇宙さえ存在し得るのだ(ただし、奇想天外な宇宙ほど、存在する確率は低くなる)
だが、波動関数が絶えず分岐していて、その際に全く新しい宇宙を作り出しているとしたら、なぜ我々はそこへ行けないのだろう? ノーベル賞受賞者のスティーブン・ワインバーグはこれを、部屋でラジオを聴くことなぞらえている。
部屋には方々から届く何百もの電波が満ち満ちているが、ラジオのダイヤルは一つの周波数にだけ合わされている。言い方を変えれば、ラジオは他の全ての局とは「干渉性を失って」いることになる。(干渉性とは、レーザー光線のように、全ての波が完全に同期して振動している状況を指す。干渉性の消失は、こうした波の位相がずれだして、振動が同期しなくなっている状況である)


<自由意志>
ベンジャミン・リベット博士が1985年に行った実験は、自由意志の存在そのものに疑問を投げかけている。
脳波スキャンによって、脳が実際に決断を下すのは、人が自覚するおよそ300ミリ秒前である。すると、ある意味で自由意志は偽りだということになる。決断は意識のインプットのないまま脳が先に下しており、あとから脳は(いつもやるとおり)これをごまかそうとして、意識が決断したことにするのだ。
マイケル・スウィーニー博士はこう結論している。
「リベットの発見が示しているのは、人が決断を下す前に、脳はその人がどんな決断をするかを知っているということだ。運動が随意と不随意に分けられるという概念だけでなく、自由意志という概念自体も見直さなければならない」
これはすべて、社会の礎となる自由意志がフィクション〜左脳が作り出す錯覚〜であることを示しているように思える。ならば、我々は、自分の運命の支配者なのか、それとも脳がずっと続けるイカサマの駒でしかないのか。

自由意志は、決定論という理念と対立する。決定論では単に、あらゆる未来の事象は物理法則によって決まるとされる。ニュートンによれば、宇宙はある種の時計であり、全ての始まりから時を刻み、運動の法則に従っているという。するとあらゆる事象は予測可能なのである。
ここで疑問が生じる。我々はこの時計の一部なのか?我々の行動も全て決定済みなのか?
この疑問は、哲学的・神学的な示唆を含んでいる。
たとえば、大半の宗教は、なんらかの形の決定論や予定説を支持している。神は全知全能で、偏在する。神は未来を知っているので、未来は前もって決定されている。神は、人が天国に行くか地獄に落ちるかを、その人が生まれる前から知っている、といったように。 カトリック教会は、まさにこの問題において、宗教改革で真っ二つに分かれた。当時のカトリックの教義では、たいてい教会に気前よく献金をすれば、その人の最終的な運命を変えるとされていた。つまり、決定論は財布の中身次第で変わり得るというのである。
そこで、マルティン・ルターは贖宥状(献金などによって発行された、罪の償いを軽減する証明書)を巡る教会の腐敗を特に槍玉にあげ、1517年に「95か条の論題」を教会の扉に貼り出し、宗教改革を引き起こした。これこそ教会が真っ二つに分かれた主な理由のひとつであり、その結果、100万人単位の犠牲者が出て、ヨーロッパ全域が荒廃した。
しかし1925年以降、量子力学によって不確定性が物理学に導入された。いきなり何もかもが不確かになり、計算できるのは確率だけになった。
この意味では、自由意志はきちんと存在し、量子力学が顕現したものなのかもしれない。そのため、量子論が自由意志の概念を復興したと主張する者もいる。ところが決定論者はこれに反撃し、量子論的効果は極めて小さい(原子レベルで働く)ので、小さ過ぎて、大きな人間の自由意志を説明することはできないと主張した。

今日の状況は、実のところかなり混乱している。もしかすると「自由意志は存在するのか?」という疑問は「生命とは何か?」という疑問に似ているのかもしれない。
今では、この疑問に多くの階層と複雑さがあると分かっているのだ。同じことが自由意志にも当てはまり、自由意志にも多くの種類があるのかもしれない。
もしそうなら「自由意志」の定義そのものが曖昧になってくる。

この議論は、脳のリバースエンジニアリングにも影響を及ぼす。もしもリバースエンジニアリングによってトランジスタでできた脳を作ることに成功したら、できあがった脳は決定論的で予測可能なものということになる。どんな質問であれ、その脳は、同じ質問には毎度全く同じ答えを返す。コンピュータはそのように毎度同じ答えを出すから、やはり決定論的である。
一方では、量子力学とカオス理論から、宇宙は予測可能ではなく、それゆえ自由意志は存在すると考えられる。他方、リバースエンジニアリングによってトランジスタでできた脳は、当然予測可能になる。
リバースエンジニアリングで再現された脳は、理論上は生体の脳とそっくり同じなので、人間の脳も決定論的で、自由意志は存在しないことになる。明らかにこの二つの議論は矛盾する。 リバースエンジニアリングで再現された脳は、いかに複雑でも、やはりトランジスタと導線の集まりだ。こうした決定論的な系では、運動の法則がよく分かっているので、未来の振る舞いを正確に予測できる。ところが量子論的な系では、系は本質的に予測できない。不確定性原理のために、計算できるのは、あることが起きる確率だけになる。


なんと我々の自由意志とは脳の認知(錯誤)したまやかしだったのか!?
悪いことしても「妖怪のせいなのね」というのは案外間違いじゃなかったということか。(そんな訳はない、というが世間の常識)


他にも、他の星の知的生命体、人口知能の話し、幽体離脱、マインドコントロール、精神疾患などなど、興味の尽きないネタ満載の本。
面白かった〜





『フューチャー・オブ・マインド』 その1

ひも理論の専門家、カク・ミチオ教授が、色々な分野の専門家にヒアリングをして、脳の先端理論から意識、宇宙とのつながりまでを書いた壮大なサイエンス・ノンフィクション。
今まで学んだことの総復習いになった上、それに関連そして発展していくたくさんの情報がとれて大満足の良書。
カク・ミチオ教授が、脳科学の専門家ではないところに、分かりやすさがあるような気がする。

<脳>

脳の外層にあたる新皮質は、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉の四つの葉に分けられる。ヒトはこの新皮質が高度に発達している。
脳の葉はそれぞれ感覚のシグナルを処理する役目を果たしている。ただ一つ、額の後ろにある前頭葉を除いて。
前頭葉の中でも最前部にある前頭前皮質は、最も理性的な思考を処理する場所だ。読んだ文章の情報は前頭前皮質で処理される。この部位では、感覚器官からの情報を評価し、未来の行動プランを実行に移すのだ。
頭頂葉は脳のてっぺんにある。その右半球は感覚への意識の集中と身体のイメージを、左半球は巧みな運動となんらかの言語の要素をコントロールしている。この領域にダメージを受けると、自分の体の部位を特定できなくなるなど、多くの問題をもたらす。
後頭葉は、脳の後方にあり、眼からの視覚情報を処理している。この領域にダメージを受けると、失明したり視覚障害を起こしたりする。
側頭葉は、言語(左側だけ)のほか、視覚的な顔認識と一部の感情をコントロールしている。ここにダメージを受けると、話せなくなったり、なじみ深い人の顔を認識できなくなったりする。

1967年、アメリカ国立精神保健研究所のポール・マクリーン博士が、チャールズ・ダーウィンの進化論を脳に応用した。
彼は脳を三つの部分に分けた。そして、まず我々の脳の後部と中央部〜脳幹や小脳や(大脳)基底核を含む部分〜が、ほぼ爬虫類の脳と同じであることに気づいた。
「爬虫類脳」と呼ばれるそれは、脳の中でも最も古い部分で、平衡感覚や呼吸、消化、心臓の鼓動、血圧といった基本的な動物の機能を司っている。
この部分はまた、戦いや狩猟、配偶行動、なわばり意識など、生存と繁殖に必要な行動もコントロールしている。爬虫類脳の起源は、およそ5億年前にまでさかのぼれる。
しかし爬虫類から哺乳類へ進化すると、脳はもっと複雑になり、外に広がって全く新しい構造を生み出した。こうして「哺乳類脳」が登場する。これは(大脳)辺縁系とも呼ばれ、脳の中央近くに、爬虫類脳を取り巻く部分として存在する。辺縁系は、類人猿のように社会集団のなかで暮らす動物で発達している。そこには感情に関わる組織も含まれている。社会集団の挙動はかなり複雑になりうるので、辺縁系は、敵や味方や競争相手となりうる者を見分けるために欠かせない。
辺縁系の中で、社会性動物にとって重要な行動をコントロールする部分には次のようなものがある。
◇海馬:これは記憶世界の入口で、短期記憶を処理して長期記憶にする場所。その名前は、この部位の奇妙な形を表している(タツノオトシゴ)。ここにダメージを受けると、新たに長期記憶が作れなくなる。現在という時に囚われたままになるのだ。
◇扁桃核:これは感情〜特に恐怖〜の占める座であり、まずここで感情が生まれて刻み付けられる。扁桃というのはアーモンドのこと。
◇視床:これは中継局のようなもので、脳幹から感覚のシグナルを取り込んで、様々な皮質へ送り出す。視床の英語thalamusは「奥の部屋」という意味。
◇視床下部:これは体温や概日リズム、空腹、喉の渇き、生殖と快楽の要素を調節している。視床の下にあるのでこの名前。
最後に、哺乳類脳のさらに外側に、大脳皮質の中でも最も新しい第三の領域がある。その大脳皮質の中で最近進化した組織が新皮質であり、これはより高度な認知行動を司っている。ヒトではそれが最も高度に発達しており、脳の重さが80%を占めながら、ナプキンほどの厚みしかない。ラットでは新皮質がツルツルだが、ヒトでは極めて複雑に入り組んだ形で、莫大な表面積の組織を頭蓋に詰め込めるようになっている。

脳の灰白質は、ニューロンという小さな脳細胞が何百億個も集まって出来ている。巨大な電話回線網のように、ニューロンは樹状突起(ニューロンの先から伸びた、蔓植物の巻きひげのようなもの)を経て、他のニューロンからメッセージを受け取る。
ニューロンのも片方の端には、軸索という長い繊維がある。最終的に、軸索は樹状突起を介して他の1万ものニューロンとつながる。
ふたつのニューロンの結合部には、シナプスという小さな間隙ができる。シナプスは関門の役目を果たし、脳内の情報の流れを制御している。
神経伝達物質という特殊な化学物質がシナプスに入ると、シグナルの流れが変わる。ドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンと言った神経伝達物質は、脳内の無数の経路を移動する情報の流れを制御するので、我々の気分や感情、思考、心理状態に大きな影響を及ぼす。

通常、左右の脳半球は、思考を行き来させて互いに補完し合っている。左脳はどちらかというと分析的で論理的な思考を行う。言語能力のありかはここだ。
一方右脳はどちらかと言うと包括的に捉え、芸術的な思考を行う。
しかし、全体を支配するのは左脳で、これが最終的な判断を下す。命令は左脳から脳梁を経て右脳に届く。ところがそのつながりを断つと、右脳は左脳の絶対的な支配から自由になる。もしかしたら右脳に、支配者たる左脳の意志に反するそれ自体の意志が存在することもあるかもしれない。
時として、分離脳の人は、片方の手がもう片方の手を押さえつけようともがく、漫画の世界の住人になったかのように思う。医師達はこれを、ストレンジラヴ博士症候群と呼びもする。『博士の異常な愛情』という映画の中で、この博士が片手をもう片方の手で押さえつけようとするシーンがあるからだ。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校のマイケル・ガザニガ教授によると、被験者に、質問を片方の眼だけに見せる特別な眼鏡をかけさせれば、片方の脳半球だけに質問をすることは易しい。問題は、それぞれの半球から答えを得ることだ。右脳は話せない(発話中枢は左脳にしかない)から、右脳から答えを得るのは難しい。
右脳が考えていることを知るために、(もの言わぬ)右脳がスクラブル(アルファベットのコマを組み合わせて単語を作るゲーム)の文字を使って「話せる」ような実験を考案した。
我々は皆、頭蓋の中に、自分だと思っている日頃の存在とはまるで違う人格や望みや自己認識を持つ、もの言わぬ囚人を抱えているのかも知れない。


脳についての知識人のコメントが参考になる。
「感情は、決して感覚ではなく、危険を避けて利益になりそうなことの方へと向かわせるように進化を遂げた、身体に根ざした一連の生存メカニズムなのである。」
by 『ビジュアル版 新・脳と心の地形図』の著者 リタ・カーター

「心はむしろ「心の社会」に近い。種々のサブモジュールが互いに競い合っているのだ」
by 人工知能の父、MIT マーヴィン・ミンスキー教授

「意識は脳の中で荒れ狂う嵐のようなもの。我々は、脳の管制室に、五感の画面に眼を走らせ、筋肉のボタンを押している管理者たる『私』がいるという直感を抱くが、それは錯覚だ。意識は、脳のあちこちに撒き散らされた数々の事象が渦巻いてできたものだ。これらの事象は、注意を引こうと競い合い、あるプロセスが他を打ち負かすと、脳はあとから結果を合理的に解釈し、一つの自己がずっと取り仕切っていたのだという印象をでっちあげる」
by ハーバード大学の心理学者 スティーブン・ピンカー


<意識の時空理論>

意識の定義:意識とは、目標(配偶者や食物や住みかを見つけるなど)を成し遂げるために、種々の(温度、空間、時間、それに他者との関係に関する)パラメータで多数のフィードバックループを用いて、世界のモデルを構築するプロセスのことである。
これを「意識の時空理論」と呼んでいる。
動物は主に、空間や他者との関係に関しての世界のモデルを構築するが、人間はさらに、時間に関して、それも過去と未来の両方についての世界のモデルを構築する。

[フィードバックループ]
レベル0:この場合、生物は動かないかわずかな移動性だけを持ち、少数のパラメータ(温度など)のフィードバックループを用いて自分の場所のモデルを構築する。
例えば最近や草花にはずっと多くのフィードバックループがあるため、これらはレベル0の意識の中でもより高いレベルにある。10個のフィードバックループ(温度、水分、日光、重力などを評価する)を持つ草花は、レベル0:10の意識を持つ。
レベルⅠ:移動性があり、中枢神経系を持つ生物は、レベルⅠの意識を持っており、この意識には、変化する位置を評価する新たなパラメータ群が加わっている。
レベルⅠの意識の一例は、爬虫類だろう。レベルⅠの意識は、人間の頭の後ろから中央にかけて位置する爬虫類脳によって主に制御されている。
レベルⅡ:レベルⅡの意識の場合、生物は自らの空間的な位置だけでなく、他者との関係という位置づけについてもモデルを構築する(つまり彼らは感情を持つ社会性動物ということになる)。
レベルⅡの意識は、辺縁系という形で脳の新たな構造が形成されると同時に生じる。辺縁系には、海馬(記憶を扱う)や扁桃核(感情を扱う)や視床(感覚情報を扱う)があり、どれも他者との関係についてのモデルを構築するために新しいパラメータを提供する。(昆虫はレベルⅡから除外する。群れのメンバーと社会的関係を結んではいるが、いかなる感情も持っていないからだ)
レベルⅢ:未来をシュミレートする。
人間の意識は、世界のモデルを構築してから、過去を評価して未来をシュミレートすることによって、時間的なシュミレーションを行う特殊な形の意識だ。そのためには、多くのフィードバックループについて折り合いをつけて評価し、目標を成し遂げるべく判断を下す必要がある。 レベルⅢの意識に到達する頃には、フィードバックループが非常に多くなって、未来をシュミレートして最終的な判断を下すために、それらのフィードバックループを取捨選択するCEOが必要になる。
そのため我々の脳は、特に額の真後ろにある、未来を「予見」させる前頭前皮質が大きいという点で、他の動物の脳と異なっている。


レベルⅠの意識
レベルⅠの意識では、感覚情報は脳幹を通り、視床を経て、脳内の様々な皮質へ向かい、最終的に前頭前皮質に行き着く。従って、レベルⅠの意識の流れは、視床から前頭前皮質への情報の流れが生み出すものと言える。

レベルⅡの意識
感情は辺縁系で生まれて処理される。レベルⅡの意識の場合、我々は絶えず感覚情報を浴びせられるが、感情は、前頭前皮質の許可を必要としない辺縁系から、緊急時にも高速で反応を示す。海馬は記憶を処理する上で重要だ。したがってレベルⅡの意識は、根本的に、扁桃核と海馬と前頭前皮質の反応と言える。

レベルⅢの意識
レベルⅢの意識の核心と言える未来のシミュレーションは、快楽中枢(側坐核と視床下部にある)と(衝動をチェックする働きをする)眼窩前頭皮質との争いを経て、脳のCEOである背外側前頭前皮質で調停される。これはおおまかに、良心と欲望の争いについてフロイトが述べたこと(自我とイドと超自我との対立関係)と似ている。未来をシミュレートする実際のプロセスは、未来の出来事を見積もるために前頭前皮質が過去の記憶にアクセスするときに生じる。


カク・ミチオ教授によると、自己認識とは、世界のモデルを構築し、自分がいる未来をシミュレートすること、ということだ。
「本書で私は、人間の意識には目標を成し遂げるために、世界のモデルを構築してから、それをもとに未来をシュミレートする能力があるという立場をとっている。拡散的思考の能力を示したパイロットは、あらゆる多くの未来の出来事を、正確に、より複雑さを備えた形でシュミレートすることができた。同様に、マシュマロテストで満足を先延ばしにすることのできた子供は、未来をシュミレートして、短期的に手っ取り早く得ることだけ企むのでなく、長期的な報酬を見据えることのできる能力がとりわけ高いように思われる。」


<記憶>

・記憶の形成
感覚器官からのインパルスは脳幹を通って視床に至り、そこから各種皮質へ導かれた後、前頭前皮質に届く。そこで我々の意識に入り、数秒から数分までの幅を持つ短期記憶なるものを形成する。さらに海馬にまで行くと、海馬は分解した記憶のかけらを様々な皮質へ再び導き、長期記憶が形成される。
たとえば、感情の記憶は扁桃核に保存されるが、言葉は側頭葉に記憶される。一方、色などの視覚情報は後頭葉に集められ、触覚や運動の感覚は頭頂葉にとどまる。
・視覚情報は、後頭葉から前頭前皮質に送られ、そこで人はついにイメージを「見て」短期記憶を形成する。その情報はさらに海馬に送られて、海馬はそれを処理して最大で24時間保存する。それから記憶は切り刻まれ、各種皮質に散らばっていく。
ここで重要なのは、我々にはあっさり得られているように思える視覚のために、何十億ものニューロンが次々と活性化し、1秒あたり数百万ビットの情報を送る必要があるということだ。
・カリフォルニア大学アーヴァイン校の神経生物学者、ジェームズ・マッガウ博士いわく、
「記憶の目的は、未来を予言することにある」
長期記憶が進化を遂げたわけは、未来をシュミレートするのに役立つからかもしれない。
実際、脳スキャンの結果によると、記憶を呼び起こすのに使われる領域(背外側前頭前皮質と海馬をつなぐ部分)は、未来をシュミレートするための領域と同じであることを示している。ある意味で、脳は、何かが未来にどう進展するのかを明らかにするために、過去の記憶を参考にして「未来を思い出そう」としているのだ。


<夢>

・古代最も有名な夢といえば、西暦312年にローマ皇帝コンスタンティヌスが人生最大規模の戦いに臨んでいた時に見たものかもしれない。
自軍の倍の軍勢と対峙したコンスタンティヌスは、翌日の戦いで自分は死ぬだろうと覚悟した。
ところが、その晩、夢に天使が現れ、十字架の印を携えて「汝、この印にて勝利すべし」と運命的な言葉を発したのである。
コンスタンティヌスはすぐさま自軍の盾を十字架の印で飾るように命じた。
歴史によれば、翌日彼は勝利を収め、ローマ帝国の支配を確かなものとした。そして、比較的マイナーだったこのキリスト教という宗教への血債を償うことを誓った。
キリスト教は、それまで数世紀にわたり代々ローマ皇帝に迫害され、信者は度々コロッセオでライオンの餌にされていたのだ。コンスタンティヌスが署名した法律によって、のちに世界屈指の大帝国で公式の宗教となる道がつけられた。
・夢をみることは、我々の睡眠サイクルに不可欠の要素でもある。
我々は一晩におよそ2時間夢を見ており、一つの夢は5分から20分続く。つまり、平均寿命の間に約6年間、夢を見て過ごしてることになる。
・イルカは、魚ではなく空気呼吸をする哺乳類なので、溺れないように一度に脳の片側だけが眠る。
・ニューラルネットワークを人工的なモデルで研究する科学者達が興味深いことに気づいた。
ニューラルネットワークは学習し過ぎるとしばしば飽和状態になり、それ以上の情報を処理できず、「夢見」の状態にはいってしまう。
この時、そのネットワークが新しく取り込んだデータをすべて消化しようとする中で、ランダムな記憶が漂っては互いに結びつくのだ。
そうだとすると、夢は、脳が記憶をよりつじつまが合うように整理しようとする「大掃除」を表しているのかもしれない。
もしそうなら、学習可能な全ての生物は、どんなニューラルネットワークも記憶の整理のために夢見の状態に入る可能性がある。夢は目的に役立っているということだ。
このため、経験から学習するロボットもゆくゆくは夢を見るようになるのではないか、と考える科学者もいる。
・夢を見ている時には海馬が活動していることから、夢が記憶の貯蔵庫を利用しているのが分かる。また扁桃核と前帯状皮質も活動する。これは、夢が強く感情に訴え、しばしば恐怖を伴うものであることを意味している。
しかし、それ以上に示唆に富むのは、活動を停止する脳領域であり、背外側前頭前皮質(脳の指揮中枢)や、眼窩前頭皮質(検閲官やファクトチェッカーの役割を果たす)や、側頭頭頂接合部(感覚・運動シグナルと空間認識を処理する)などがそれにあたる。
背外側前頭前皮質が活動を停止していると、我々はこの理性的にプランを立てる中枢に頼れない。むしろ理性によるコントロールもないまま視覚中枢からイメージを与えられて、夢の中をあてどなく漂うことになる。
眼窩前頭皮質すなわちファクトチェッカーも不活性となる.そのため、夢は物理法則や常識の制約を受けずに、のびのびと展開していける。
さらに、目と内耳からのシグナルによって自分のいる場所の感覚を調整する役目を果たしている側頭頭頂接合部も活動を停止しているので、これが、夢を見ている間に幽体離脱を体験する説明になるかもしれない。
・これまで強調して来たように、人間の意識とは主に、絶えず外の世界のモデルを構築し、それを未来へ向けてシュミレートする脳のことを言う。
そうであれば、夢とは、自然の法則や社会的なやりとりが一時的に停止されているなかで、未来をシュミレートする別の手だてだということになる。
・「何が夢を生み出すのか?」
ハーバード大学医科大学院精神科医 アラン・ホブソン博士
「夢、それもとりわけレム睡眠は、神経科学レベルで研究が可能であり、夢は、脳幹が発するほぼランダムなシグナルを脳が理解しようとするときに生じる。」
数十年かけて夢を分類した結果、5つの基本的な特徴がある。
1.強い感情:恐怖などの感情を引き起こす扁桃核の活性化による
2.非論理的な内容:夢は、論理を無視して目まぐるしく場面が変わることがある
3.見せかけの感覚がもたらす印象:夢は、脳内で生まれた偽りの感覚を我々に与える
4.出来事を無批判に受け入れる:我々は夢の非論理的な内容を無批判に受け入れる
5.覚えておくのが難しい:夢は目覚めてすぐ、数分のうちの忘れ去られる
・夢の手がかりは、脳の最も古い部分、脳幹の神経節にある。この神経節は、ノルアドレナリンという、我々に警戒態勢をとらせておく特殊な物質を放出する。
一方入眠すると、脳幹はコリン作動性システムという別のシステムを活性化し、ここから我々を夢見の状態にする物質がでる。
夢を見る時、脳幹内のコリン作動性ニューロンが活性化しだし、PGO(脳橋ー外側膝状体ー後頭皮質)波という電気エネルギーの不規則なパルスを誘発する。このPGO波が脳幹をのぼって視覚皮質に入り、そこを刺激して夢を生み出すのである。視覚皮質の細胞は、毎秒数百回の不規則な共振を始める。夢が時に支離滅裂になるのは、これが原因かもしれない。
コリン作動性システムは、理性と論理に関わる複数の脳領域の間を分断する物質も出す。脳がとりとめもない思考に極めて敏感になるのに加え、前頭前皮質と眼窩前頭皮質によるチェックがなくなることで、夢が奇妙で突飛なものになることを説明できるかもしれない。
・眠らなくてもコリン作動性システムが活性化された状態になることがある。
アーカンソー大学のエドガー・ガルシア=リル博士によれば、瞑想したり、気を揉んだり、アイソレーション・タンク(内部に人間が浮かぶような比重の液体を入れ、光や音を遮蔽して感覚を遮断できるようにした容器)に入れられたりしても、この状態を引き起こすという。何も無い単調な景色に長時間向き合っているパイロットやドライバーも、同じ状態になり得る。
この研究の中で、ガルシア=リルは、統合失調症患者の脳幹内にコリン作動性ニューロンが異常に多いことを発見した。彼らが見る幻覚の一部はこれで説明がつく可能性もある。
・明晰夢
意識がありながら見る夢。明晰夢では、本人が夢を見ていることを自覚し、夢の展開を意識的にコントロールできる。明晰夢を見る人の脳スキャンをすると、レム睡眠の間、普通の人ではたいてい休眠状態になる背外側前頭前皮質が、彼らの場合は活動しており、その人が夢を見ながら部分的に意識があることを示している。



<穴居人の原理>

・ハイテク(先進技術)かハイタッチ(人間同士のふれあい)かを選択できるのなら、我々はいつでもハイタッチを選ぶ。これは我々が類人猿に近い祖先の意識を受け継いでいるからだ。基本的な人格の一部は、最初の現世人類がアフリカに現れて以来、現在まで10万年のあいだ、おそらくあまり変化していない。
人間の意識が基本的に類人猿に近いと考えれば、我々がコンピュータと融合するのは、身体は強化するが完全には身体に取って代わらない場合に限られるはずだ。
穴居人の原理を用いれば、なぜ未来の予言のなかには合理的なのに実現しないものがあるかも説明できる。
たとえば「オフィスのペーパーレス化」だ。コンピュータの登場でオフィスから紙が一掃されるように思われたが、皮肉にも、コンピュータのせいで実際には紙がさらに増えた。 それは、我々が「獲物の証拠」を必要とする狩人の子孫だからだ。つまり、我々が信頼をおくのは具体的な証であって、電源を切れば消えてしまうような、コンピュータの画面でつかの間踊る電子ではないのである)
同様に、人々がバーチャルリアリティを利用し、通勤せずに会議をするという「無人の街」も全く実現していない。都市への通勤は前よりひどくなっている。なぜか。我々が他人と絆を結びたがる社会的な動物だからだ。
・穴居人の原理を未来の神経科学にあてはめてみる。
少なくとも人間の基本的なフォルムの変更は、外からはほとんど分からないことになる。スーパーコンピューターにつないで情報をアップロードする必要がある場合でも、映画の『マトリックス』のように脊髄に差し込まれたケーブルに縛られたくない。心で最寄りのサーバーを探すだけで膨大な処理能力が利用できるように接続はワイヤレスでなければならない。
不死についてはどうだろう。 これまで見て来た通り、リバースエンジニアリングで再現された脳は、元の人間が持っていた人格特性を全て備えており、コンピュータの中に閉じ込められればいずれ発狂するだろう。この脳を外部センサーに接続して、環境からの刺激を感じられるようにすると、グロテスクな怪物ができてしまう。
この問題を部分的に解決する方法の一つが、リバースエンジニアリングで再現された脳を外骨格につなぐというものだ。外骨格がサロゲートのような役目を果たせば、リバースエンジニアリングでできた脳はグロテスクな姿にならずに、触覚や視覚などの感覚を味わえる。いずれ外骨格はワイヤレスになるだろうから、人間のような振る舞いを見せながら、コンピュータの中で「生きる」リバースエンジニアリングで出来た脳に制御されるようになるだろう。

「穴居人の原理」というネーミングは初めてだが、人間の脳の進化が、テクノロジーの進化に追いつかず、様々な齟齬が生まれているのは衆知のこと。
我々の脳の進化がテクノロジーに追いつくのか、はたまたテクノロジーの進化が周回遅れの人間の脳に合わせるレベルまで進化するのか、個人的には後者の方が早いし現実的だと思っている。



前半これでも大分割愛した内容なのだが、これからが著者のすごいことろ。
不確定性原理と意識との関連性を述べていく。
我々の意識は一体何でどうなっていくのか。
つづく。

2015年8月7日金曜日

山口紀行 その4

金子氏のアトリエ。
ナビ入れても最初迷っちゃって、
金子さんから「迷ってませんか」と折り返し電話きちゃう。
金子司さんという作家の作品が色んな萩焼のお店においてある。
スポイトでつくる作風で、他の萩焼とは一線を画したデザインなので、作家名が出ていなくても誰の作品かすぐ分かる。
萩焼会館という所に寄って萩焼のことを学ぼうかと思ったけど、そういう場所でもなかったみたいでよく学べず。
(前日のお酒好きな某萩焼店店主の方が色々知っていて教えてくれた)
そんな中、移動途中にあるカネコツカサさんの工房(アトリエ)を尋ねることにした。

工房って言ってもショップ併設なんだろうと思って、観光ガイドに「要予約」とあったので念のため電話をすると、電話に出たのが何とご本人。
「今日今からなら時間ありますよ」
なんかイメージしていたのと違いそうだと思いつつ工房に伺うと、ショップなどというものはなく、完全な「工房」(一応、一室には作品が沢山置いてあって確かに購入できるんだけれども、そんなところを観光ガイドに出す編集はいかがなものかと思いつつ)
作家ご本人が、何故か時間を割いて色々教えてくれて、作り方まで見せてくれた。
(本当はビデオに収めたいくらいだったが、それやると機嫌を損ねてお話聞けなくなるリスクを考え記憶の中に)
1時間半くらい色々話しを聞き実際に見せてもらっただろうか、お忙しいだろうに非常に勉強になった。

その中での金子氏からの教えをいくつか。
・珈琲カップの色について。濃い色だと濃い味を想定するので、本当に濃い珈琲でないと薄味に感じる。逆に薄い色だと薄い味を想定するので、濃い味だとより濃く感じる。
良いカップは珈琲が(黒ではなく)赤く見える。
・勾玉の狭い部分は切れることを暗示する。そこからお酒を注ぐのは縁起が悪いので、徳利は口のない部分から注ぐ。だから自分は徳利でも瓶子のように口をつくらないのが多い。そうすると花瓶にも使える。
・お猪口は肘を上げながら奥側を上から持つのが正式(平盃で飲む感じ)。時代劇でもそういう細かい所作を大切に撮影している。
・お酒を飲む姿が様になる(口を迎えに行くのではなく、呑む時に手首を返して呑む)ように、お猪口はあえて下を重くなるよう作っている。(バカラのグラスをイメージされたし)
・長い首形状は「鶴首」と言われる。六角の「亀」と合わせると縁起が良い。竹も持ってくると縁起物三点セットになるが、竹モチーフをもう一つもってくると逆の意味合いになる。竹は2本で節が合うと「ふしあわせ」になると言われている。(実際的には建築的に節が合わない方が強度が出るため?)
・韓国では、取り皿という概念がない。(というより「個人の取り皿」というのは日本独自)。
・韓国では、自分だけに取るという考えにつながるとして「取り皿」の概念がない。食器も金物のモノが多く、韓国の焼き物作家は自国内に需要が無くて苦労している。
・元々焼き物は韓国から来たが、韓国から来ている焼き物の素晴らしいものは何万も作ったうちの良い一枚。
・皿を手に持って食べる文化も日本独自。西洋では大皿が置いてあって皿の上に皿を置いたりする。だから日本の皿は端が高く、惣菜等が盛りやすくなっているのに対し、西洋の皿は端が低く、大判で安定している。(ナイフで皿の上で切り分けたりするため)


お話を聞いて、金子さんワークショップやったりしているし、キノコの焼き物のアートなんかを見ると、萩焼名人というよりは、萩焼をベースとしたアーティストだ。
まだまだ若い方(45歳前後?)なのでこれからが楽しみ。
(萩焼職人としては、50歳代はまだ若手らしい。by昨日ヒアリングした某萩焼店店主)
人柄も素晴らしいし陰ながら応援しよう。

アート作家の生活ってどんな感じかと興味本位で聞いてみた所、
「昼は色々事務をこなしたり人と会ったり。夜は5時間睡眠とるようにして、その他の時間は製作に費やす。個展の前だったりすると18時間近くやり続けたりする。」
とのこと。人と接する以外は萩焼と向き合っている感じがする工房であった。




2015年6月28日日曜日

『団塊世代が日本を救う』

地方移住の勧め。
特に団塊の世代向けということで、その理由が分かりやすく書かれている。
少子高齢化問題の基礎数値を頭に入れるためにも非常に分かりやすい本。

<高齢化>

国連では高齢化率(65歳以上の割合)が7%を超えると”高齢化社会”、14%を超えると”高齢社会”と呼ぶ。
さらに世界標準ではないが、20%もしくは21%を超えると”超高齢社会”と呼ぶ人もいる。

国立社会保障・人口問題研究所によると、日本は2012年時点で、高齢化率は24.1%。2024年には30%を超え、35年には三人に一人が65歳以上となる33.4%、そして61年には40%にも達すると予測されている。

日本は高齢化のスピードも急激。
日本は1970年に高齢化率が7%を超えて「高齢化社会」に突入したが、1994年には14%に達し「高齢社会」に突入した。
高齢化率が7%から14%に至るまでの年数を「倍加年数」と呼び、高齢化のスピードを表す指標として用いられる。その倍加年数が、日本ではわずか24年。
かつて高齢化先進国と言われた欧州各国でも、ドイツが40年、イギリスが46年、イタリアが61年、スウェーデンが85年、フランスが114年。
さらに日本は、「超高齢社会」すなわち高齢化率21%に達するまでの期間もわずか13年で、いまも驚くべきスピードで高齢化が進行中。

<少子化>

少子化の影響から、日本の総人口は2008年から人口減少期に突入した。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の人口は2026年に1億2000万人を下回り、48年には1億人を割り込んで、60年には8674万人になると予測されている。
2010年から60年にかけて、毎年平均80万人(累計4000万人)が減少していく計算。

「団塊の世代」が生まれたのは1947年から1949年までの第一次ベビーブーム期だが、この期間の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に生む子供の人数)は4.32人で年間約270万人の子供が生まれていた。
第二次ベビーブーム(1971年から74年のいわゆる「団塊の世代ジュニア」)期間にも年間約200万人の子供が生まれ、出生率は2.14人だった。
ところが、その後は出生率の低下とともに出生数の減少が続き、1975年に出生率が2.0人を下回り、出生数も年間200万人を割り込んだ。
現在の出生数は年間107万人前後、出生率1.3人前後で推移している。近年では出生率の大幅な低下は収まっているが、それでも回復の兆しは見られない。
「人口置換水準」(人口を維持するために必要な合計特殊出生率)である2.07人を回復しない限り、出生率は減少を続け、2060年頃には年間48万人の子供しか生まれなくなると推計されている。


<一極集中>

戦後の東京への人口集中の歴史を振り返ってみると、三つの山を形成している。
第一の山は、1961年をピークとする山で、高度経済成長期の人口流入。この時期、東京圏や大阪圏、名古屋圏は年間65.1万人という極めて大量の転入超過となり、それが現代まで続く三大都市圏を形成した。東京圏の人口伸び率は年2.8%。
第二の山は、80年から92年の13年間。この時期は87年をピークとする”バブル期”にあたる。この13年間の三大都市圏への転入超過は112万人。東京圏の人口伸び率は年0.8%。
ここでの特徴は、東京圏が134万人の転入超過だったのに対し、大阪圏、名古屋圏では人口がほぼ横ばい。つまり大都市圏への人口集中と言っても、この時期は”東京圏への一極集中”が起きたわけだ。
さらに東京圏の中での人口移動をみると、この時期には東京都区部から周辺三県への転出超過も起きた。つまり、首都圏ではこの時期に「郊外化」「ドーナツ化現象」が進行したわけだ。
第三の山は、2007年をピークとして現在も継続している人口の流れ。1998年からの11年間、三大都市圏への転入超過は106万人。特に東京圏では121万人の転入超過となり、ここでも第二の山と同様に東京圏への一極集中が継続している。東京圏の人口伸び率は0.6%。
この時期に特徴的なことは、「ドーナツ化現象」の流れが解消され、周辺三県から東京都への転出超過が発生していることだ。それまでとは逆に、東京圏の中でも東京都への一極集中が起こっているのだ。
規模は小さいながらも大阪圏や名古屋圏でも、大阪市や名古屋市への転入超過が起き、三大都市圏では都市居住傾向が発生していることが分かる。


<高齢者=社会的弱者?>

「高齢者」は社会的弱者ではない。
現役世代は、年金自体の将来に大きな不安を抱えながら年金保険量を支払わねばならず、雇用そのものも不安定。子育て世代はその経済的な負担にあえぎ、仕事と家事・育児の両立に苦労している人も大勢いる。若い非正規雇用の人々の中では、結婚や出産をあきらめざるを得ない人も増える一方で、貧困や格差が増々厳しさを増している。
そんな現役世代の状況に比べると、今の高齢者は恵まれている。
高齢者世帯(65歳以上の人のみで構成するか、またはこれに18歳未満の未婚の人が加わった世帯)の年間所得は2010年で307.2万円。
これは全世帯平均(538.0万円)の半分強だが、平均世帯人員が少ないので、世帯人員一人あたりでは197.4万円となり、全世帯平均(200.4万円)と大差はない。
「格差社会」化が進行し、若年層の非正規雇用率が高まった結果、年間所得が200万円以下の「ワーキングプア」の総数は、約1850万人にも達していると言われている。
高齢者は自分で好きに使える可処分所得が多い「豊かな世代」なのだ。


<なぜ「移住」?>

多くの人間が「少子高齢化」と聞いて地方の過疎地域をイメージするが、実は過疎地域は今後は首都圏ほど高齢者は増えない。
地方ではすでに人口減少によって若者層が減少し、高齢化が相当進行している。これに対して東京都をはじめとする大都市圏では、まさにこれから急速に高齢者が増加し、大都市圏は高齢者で溢れ返ることになる。

都市部高齢者には”介護難民”の危機が迫る。
厚生労働省「都市部の高齢化対策に関する検討会」という有識者検討会の報告書によると「大都市部においては、地価が高く、特に東京23区では施設整備が進みにくい面があり、設備整備率は低くなっている。このため、在宅介護の割合が高くなっているが、必ずしも在宅サービスの利用環境が整っているとは言えない」
「サービスを提供する人材の確保も大きな課題となっている。もともと全産業の中で高い傾向にある介護関係職の有効求人倍率については、都道府県ごとに大きな差があるが、愛知県、東京都は全国平均を大きく上回っており、総じて都市部での人材確保は難しくなっている」
施設やそこでのサービスに従事するスタッフ不足のために、「それなりのお金はあるのに、行き場がない」という事態に陥る危険がある。

「移住」は、急激な都市の高齢化、迫り来る介護難民化に対する”生活防衛”の手段というだけではない。
日本の社会保障制度の見直しについて、その負担の将来世代への先送りを少しでも少なくするため、「社会保障の受給者も含めた『現在の世代(高齢者など)』の負担増」を求める姿勢が明確にされている。
社会保障制度そのものの危機を回避するために、高齢者は”自助努力”と”生活防衛”の必要に迫られている。


<なぜ「団塊の世代」?>

「団塊の世代」の特徴
・持ち家比率が9割近くに達している。
・高学歴化、サラリーマン化、都市化といった戦後の変化を象徴し、大量消費社会を担ってきた。
・テレビの普及からインターネット社会までを駆け抜けてきた、戦後の時代や文化・社会現象、そしてレジャーや消費のスタイルを常にリードしてきた世代。
・「社会性」が強い。「今後参加したい社会活動」というアンケートでは、「趣味、スポーツ活動」に次いで、「一人暮らしなど見守りが必要な高齢者の支援をする活動」が第2位。

「団塊の世代」は人口が大都市圏に向けて大規模に移動した都市化の象徴。そのことを逆に言えば、大都市圏在住者の「団塊の世代」は地方出身者が多く、”ふるさと”を持っている可能性が高いということだ。ゆかりのある地方がある分、地方に移住しやすい人々だと言える。

高齢者のニュー・ジェネレーションである「団塊の世代」は、人生90年時代の人生モデルを作り上げるのに最も相応しい世代。
経済的余力があって社会貢献意識が高く、社会で培った能力を持ち、現役世代と比較しても遜色のない準現役世代。
その世代だからこそ、介護難民化の危機を抱えた大都市圏を飛び出して移住することで、老後の”生活防衛”を図りつつ社会貢献するということが可能なのだ。



ということで数字の引用も分かりやすく、長野県佐久市への移住した人の事例紹介もあり、「団塊の世代よ、地方へ移住しよう!」という呼びかけがなされている。

正直、少子高齢化に対する根本的な課題解決策になっているとは思えないが、東京一極集中含めた課題への対症療法としては他の方策よりも分かりやすく、実現性も高いものに思われる。

「団塊の世代」の方々、よろしくお願いします。

2015年6月27日土曜日

『全員経営』

野中郁次郎先生、勝見明氏の共著。

街作りにおいてはクリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』という本が1970年代に書かれている。
複雑系である「街作り」というテーマにおいて、今で言うハイパーテキスト型にパターンの組み合わせにより分かりやすく素敵な街とはどういうことかを描写したものだ。
この『全員経営』は、全員経営を実現する「いい会社」をつくり出すための「パタン・ランゲージ」として書かれている。

・実践知の育成と埋め込み
・組織のフラクタル化や自己組織化
・知的機動力の強化
・マトリックス組織からハイバーテキスト型組織へ
・分析的戦略から物語的戦略へ
・サイエンスからアートへ
・知のエコシステムの形成
・コモンセンスの重視
・主体的経験の促進
・失敗の許容
・凡事の非凡化
といった「全員経営」のためのパターンがハイパーテキスト型に(?)書かれている。


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熱力学の第2法則、すなわちエントロピーの法則から言えることは、閉ざされたシステムではエントロピー(秩序のなさの度合いを表す尺度)が増大し、組織にあてはめると組織のポテンシャルが低下するということだ。
この組織ポテンシャルを向上するには、多様性を持続させる開放的なシステムが必要だ。 多様性のみが多様性に対応できる。複雑で多様な環境に対応するには、組織内部にも最少で有効な多様性が必要だ。
最少有効多様性を持つ組織は、誰もが最少のステップを通じて最速のスピードで最大限の知を共有できる。それは、目に見える表面積は最少でも、内部では知が最大限に活用されている球体のような組織である。それ自体がオープンなエコシステムでもあり、だから、環境の多様性に対応できる。
そこでは、個人と個人、個人と組織の間で暗黙知と形式知の相互変換が絶えず行われ、SECIモデルがスパイラルに循環する。
その暗黙知の源泉は、人間存在として、いかによりよく生きるかという主体的な「生き方」の信念や意図に根ざす。その意味で、SECIモデルは人間の生き方につながる知の方法論だと言える。
誰もが傍観者ではなく、主体的にコミットメントせざるを得ない場が生まれ、創造的で効率的な知の循環が起こり、成功確率も高まる。ここに創造性と効率性を備えた組織が生まれる。
つまり、共通善を目指す多様性のある組織こそが組織的知識創造を行い、社会的価値を提供できる。 だからこそ、全員経営のあり方が最も根源的で究極的な姿になるのだ。
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ではSECIモデルとは?

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<SECIモデル>

人間が生み出す知のあり方は、個人的で主観的な「暗黙知」と社会的で客観的な「形式知」の二つの側面に分けることができる。
暗黙知は、言葉や文章で表現することが難しい主観的な知で、個人が経験に基づいて暗黙のうちに持つもの。思いや信念、身体に染み込んだ熟練、ひらめき、もやもやなどは典型的な暗黙知。
形式知とは、言葉や文章で表現できる明示的で客観的な知のこと。
新たな知識創造の源泉は、暗黙知にある。知識とは、個人の主体的な信念や意図を真理に向かって社会的に正当化していくダイナミック・プロセスだからである。
日本は特に暗黙知を重視する精神風土があるが、欧米でもその傾向は高まっている。

知の循環運動が組織やチームで起きる場合、知識創造理論では次の4つのモードを辿ると考える。
(1)まず、個人は周りの世界との相互作用の中で暗黙知を組織的に共創する。これを「共同化」(Socialization)と呼ぶ。
(2)次に、暗黙知を形式知に変換する「表出化」(Externalization)。
(3)続いて、形式知を組織内外の他の形式知と組み合わせ、一つの体系としての新たな形式知をつくり出す「連結化」(Combination)
(4)こうして体系化された形式知は行動や実践を通して、新たな暗黙知としてメンバー全員に吸収され、体化されていく。つまり形式知からまた暗黙知へと変換される。「内面化」(Internalization)と呼ばれる。
この知識変換の4つのモードを、共同化、表出化、連結化、内面化の頭文字をとってSECIモデルという。

SECIモデル:組織的知識創造の一般原理
共同化(Socialization):身体・五感を駆使、直接経験を通じた暗黙知の獲得、共有、創出(共感)。暗黙知⇒暗黙知
表出化(Externalization):対話・思索・喩えによる概念・図像の創造(概念化)。暗黙知⇒形式知
連結化(Combination):形式知の組み合わせによる理論モデルの体系化(物語化)。形式知⇒形式知
内面化(Internalization):形式知を行動を通じて具現化、新たな暗黙知として理解・体得(実践)。形式知⇒暗黙知
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この形式知と暗黙知、組織知と個人知がスパイラルアップすることで全員経営に必要な「コモングッド」が共有されるということだ。

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衆知を集める全員経営で、社員一人ひとりが自律分散リーダー人材として発揮する実践知の神髄である即興的な判断力は、出発点として「何がよいことなのか」という共通善(コモングッド)の価値基準を持つことがベースになる。
 誰もが共通善の価値基準を共有することで、そこに「場」が形成される。
そうなると利益を追求する企業であっても、職業的な倫理観を共有する共同体的な性格を持つようになる。
全員経営や衆知経営を追求すれば、志を同じくするコミュニティ型経営に行き着く。
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面白いのはここでもアリストテレスの「コモングッド」の概念が出てくることだ。
マイケル・サンデル教授も『これからの「正義」の話しをしよう』の中で、結局自分はアリストテレスのいう「共通善」を決めることが必要だと思っているということを述べていたのが思い出される。
遠回りのようでいて、実は判断の根底には暗黙知たる「共通善」が必要ということか。

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<認知的徒弟制度>

2000年にノーベル経済学賞を受賞した米シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授によると、人の知的能力は、知能検査で測れる「認知スキル(cognitive skills)」と個人的な気質や資質に関係した「非認知スキル(non cognitive skills)」があり、真面目さ、前向きさ、粘り強さ、忍耐力といった潜在的能力に結びつく非認知スキルが重要であるらしい。

また、ポジティブ心理学の創始者の一人、米ミシガン大学のクリストファー・ピーターソン教授は非認知スキルのうち、人生の満足度や達成度に特に深く関わるものとして以下の7項目を挙げた。
・やり抜く力(Grit)
・自制心(Self-controle)
・意欲(Zest)
・社会的知性(Social-Inteligence=人間関係のダイナミックスを悟り、異なる社会状況に素早く適応する能力)
・感謝の気持ち(Gratitude)
・楽観主義(Optimism)
・好奇心(Curiosity)

ヘックマンらの研究によれば、こうした非認知スキルは手本となる師の個別指導や助言を受け、その人格に感化されながら学び取るもので、「良い習慣」の方法によって伸ばすことが出来るとされる。
すなわち徒弟制度である。

認知スキルは形式知であり、外から教えることができる。一方、非認知スキルは暗黙知で、自ら主体的に体得するしかない。

では暗黙知を必要とする、第一線で機動戦を担う自律分散リーダー人材はどうすれば育成できるのか。
重要なのは質の高い経験である。
人材は実践を通じてしか育成できない。実践に勝る研修はない。自己の能力を最大限発揮せざるを得ない状況を与え、高質の経験知を積ませる。要は極限状態の修羅場を経験させるということだ。
もう一つは、新しい形の徒弟制度。
徒弟的な関係の中で、身体性を共有すると、主観が共有され、知が一人ひとりに継承されていく。
結果、全体と部分が相似形を形成するフラクタル組織が生まれ、しなやかな強さを持つようになる。

世界的経営コンサルタント、ラム・チャラン氏がGEやP&Gなどの優良企業で幹部候補がいかに育成されてきたかを調べたところ、全て「アプレンティスシップ(apprenticeship)モデル」だったと言う。
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人を育てるのに徒弟制度が有効であることは知っていたが、認知スキルと非認知スキルというものがあって、非認知スキルを伝承するため徒弟制度が非常に有効であるというのは、言われてみればちょっと目から鱗だった。

もうひとつポイントとしてなるほどと思ったのが「コモングッド」≒「コモンセンス」をベースとした経営ということだ。
「御社は社風が良くて素晴らしい」などとお世辞とも取れる話しをよく社外の方から頂くのだが、この目に見えない「社風」こそ組織の「コモンセンス」につながるものだ。

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<コモンセンスに基づく経営・マネジメント>

哲学者 中村雄二郎氏は、コモンセンスの概念を、アリストテレスに由来する、五感を統合した根源的能力としての「共通感覚」と位置づけた。
これは別の言い方をすれば、人々に埋め込まれた共通の暗黙知と言えるだろう。
普遍的な善と照らし合わせて一番よいバランスを見いだす。
このバランスは足して2で割る妥協ではなく、両立し難いものを両立させ、最善の着地点に落とす「中庸」と呼ぶべきもの。中庸は突き詰めれば、誰もがそれが最善だと感じる共通感覚としての常識に至る。

何が共通感覚かを問うとき、人間としての「生き方」が問われる。その意味で、コモンセンスの経営は「生き方の経営」「存在論の経営」でもある。
一方、アングロサクソン型の経営は利益が目的化し、存在論は問わない。だから、ルールによるコンプライアンスが必要になる。
日本は特に1990年代以降、アングロサクソン型の短期利益追求型へと傾斜し、本来持っていたバランス感覚を失った。
ルール作りもアメリカ以上に微細にわたり、オーバーコンプライアンスが組織の活力を削ぐようになってしまった。
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なるほど、他にも事例としていくつかの会社が登場する。
時々開いて読む組織デザインの「パタン・ランゲージ」として近くに置いておきたい本だ。

2015年4月26日日曜日

つなぐLab vol.007

 立教大学 異文化コミュニケーション研究科 特任准教授中西紹一先生による第7回「つなぐLab」。
今回のテーマは「アートでつながる瞬間」。

昨年度の六本木アートナイトで作品を出展した西尾美也氏のアート作品(アートプロジェクト)について、その製作参加者の意見も聞きながら洞察を深めるというものだった。

今回テーマとなった西尾氏のアート作品は、人間の家[スカート]、花柄/花、ボタン/雨と3つあるのだが、いずれも2800着の古着を集めて、総勢50名のボランティアスタッフによる約3ヶ月弱の製作期間を経た作品だ。
https://www.youtube.com/watch?v=oKAbZKcvzOU

西尾美也氏本人によるアートの意図の概要説明があった。
「服」というものは実は初見の先入観につながったりするので、深いところで実は分断する要素になっている。 その「服」という要素を使って「つながり」を表現したかったとのこと。

最初にボランティアの人たちから、アートプロジェクトに参加して何が変わったかを各々聞いた。
・今回参加の3/8の人が離職してしまった。(覚悟を持てて、仕事を辞めることができた)
・他のアート作品に対する見方が変わった。(アート作品そのものだけでなく、作品が作られた背景やプロセスなども気になるようになった)
・自分で購入する服が変わった。
・コミュニケーション能力がUPした(それまで、自分は「モノづくりの人」でコミュニケーションは正直苦手だった)

その後何組かに分かれて、参加していたボランティアの話を聞いたのだが、その気づきが面白い。
・途中からでも、すっと入れる雰囲気があった。
・ディレクターからのディレクションに「入りやすさ」の要素が埋め込まれていた。
(「自分がやっても良い」という安心感がある)
・しばらくすると作品作りではなく、人との対話、自分との対話になっていった。
・いつ来てもいいというゆるさもあるが、ボランティアをやめてしまった人はいない。
・ある瞬間から自分事化した(ダイブの瞬間)。
(でもこの「瞬間」は人によって異なる)
・実はこのチームの人間関係のつながりも西尾作品の一部と聞いてハッとした。

話を聞いていて、最初は入り易く、どこかで自分事化する瞬間がある(「ダイブする瞬間」という表現だったが)というのは正統的周辺参加のデザインと似ているのではないかと勝手に感じた。


たまたま法政大学社会学部 土橋先生と同じ組になれたので、このアートプロジェクトに対する土橋先生の見方を知ることができた。
曰く、
最もプライバシー性の高い私的所有物である「服」にハサミを入れ「解体」することで、私的所有を放棄しそれを公共空間に放り込む。
それがまた多くの人(ボランティア)の手によってアート作品となり、再び公共空間へ戻る。
プライベートで参加したボランティアが、「アトリエ」という場所に集うことでアトリエがパブリックな空間になっていくことと二重にシンクロしているアートプロジェクトである、とのこと。
社会学の先生の抽象化のスゴさにちょっとビックリした。

「まず切らないとつなげられない」ということを表現しているとの話もあった。

最後に、中西先生より、今回のテーマをアルフレッド・ジェルのアートネクサス論的に解説してもらったのだが、今ひとつ理解できずにモヤモヤ感が残る。
このモヤモヤ感こそがワークショップの醍醐味だったりもするのだが、このモヤモヤ感がスッキリ腑落ちするようまた精進せねば。

2015年4月12日日曜日

『アブダクション 仮説と発見の論理』

PSJ 中西紹一先生による『イノベーション道場』という講座が社内であり、そこで紹介された本。
米盛裕二氏の著作で、記号論理学の創設者チャールズ・S・パースによる「アブダクション(もしくはリトロダクション)」と呼ばれる推論手法について書かれたものである。

中西先生の講義はその「アブダクション」について、より実践的、実務的に説明されたものであった。

では本書で説明されている、ちょっと学問的な「アブダクション」の概略について書こう。

<そもそもアブダクションとは>
パースによるアブダクションの推論の形式を書くと

驚くべき事実Cが観察される、
しかももしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう、
よって、Hが真であると考えるべき理由がある。

驚くべき事実C:我々の疑念と探究を引き起こすある意外な事実または変則性のこと
H:「驚くべき事実C」を説明するために与えられた「説明仮説」

これを難しい記号で書くと
C,H⊃C/∴H
となるらしい。(正直訳が分からん)

具体事例で述べると、
「陸地のずっと内側で魚の化石のようなものが見つかった」(←驚くべき事実C)
しかし、もしこの「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えれば当然の事柄であろう。
よって「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えるべき理由がある。
と考える推論の仕方だ。

この手法で推論され、当時見つかってなかった海王星が実際に発見されている。


<推論3種>
パースによると推論は3種類に分類される。

推論(inference)— 分析的推論(analytic or explicative inference)—演繹(deduction)   
          — 拡張的推論(ampliative inference)— 帰納(induction)
                            — アブダクション(abduction)

分析的推論と拡張的推論の違い
(1)分析的推論は推論の内部における前提と結論の論理的な含意関係の分析にのみかかわるのであり、外的な経験的事実の世界には関わらない。なので分析的推論は経験的事実による反証にさらされることがなく、いわば経験から独立に成り立つ推論。一方拡張的推論は経験に基づく推論であり、経験的事実の成果に関する知識や情報を拡張するために用いられる推論。
(2)分析的推論では、前提から結論に至る過程において前提の内容を超える知識の拡張はない。一方、拡張的推論の結論は、前提以上のことを主張する、つまり前提の内容を超えて、前提に含まれていない新しい知識や情報を与える。
(3)分析的推論の場合は、前提の内容の中に結論が含意されているので、前提が真であれば結論も真でなくてはならないという必然性の関係が成立する。一方拡張的推論は、その本性上、蓋然的な推論である。つまり拡張的推論の場合は、前提が真であっても結論は偽であるということがあり得る。


では次に、拡張的推論が帰納とアブダクションに別れるその2つの違い。
パースによると、帰納は観察データに基づいて一般化を行う推論であり、これに対し、アブダクションは観察データを説明するための仮説を形成する推論。
「帰納と仮説の大きな違い(the great deference between induction and hypothesis)は、前者の場合は我々が事例の中に観察したものと類似の現象の存在を推論するのに対し、仮説は我々が直接観察したものとは違う種類のなにものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、という点にある。」

帰納的飛躍(inductive leap)…我々が事例の中に観察した着目現象はそれらの事例と同種の事象のクラス全体においても存在するという風に、既知の部分からその部分が属する未知のクラスへの飛躍であり、それはつまり同種の観察可能な事業のクラス内における一般化の飛躍。
仮説的飛躍(abductive leap)…我々が直接観察したものとは違う種類の何ものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、いわば創造的想像力による推測の飛躍。
従って、帰納とアブダクション(仮説)の推論の可謬性には明白な違いがある。アブダクションは帰納よりもいっそう過謬的な弱い種類の推論である。

説明されてもちょっと分かりづらい。
これはこれでおいておいて、使われ方の面から説明を受けた方が違いが分かりやすい。

パースによると、科学的探究の過程は三種類の推論(演繹、帰納、アブダクション)から成り立っており、これら三種類の推論は科学的探究の過程における三つの段階を形成している。
その第一段階はアブダクションであり、第二段階は演繹であり、第三段階が帰納。
アブダクションで仮説を考えだし、演繹で(その仮説から必然的かつ確率的に導かれる)諸帰結を追求し、帰納で仮説をテストする。
だから、帰納とアブダクションは探究の過程においてそれらが占める位置も、それらが果たす機能も違う。
アブダクションは探究の最初の段階(発見の文脈)において仮説を形成する推論であり、 帰納は探究の最後の段階(正当化の文脈)において仮説がどれだけ経験的事実と一致するかを確かめ、仮説を確証ないし反証する操作である。
アブダクションは理論を求める。帰納は事実を追求する。
アブダクションが取り扱う事実は、説明を要する事実。だからアブダクションが行う観察「アブダクティブな観察(abductive observation)」は仮説や理論を発案する、いわば着想のための観察。
これに対し、「帰納は事実を追求する」。
帰納の役割はアブダクションによって提案された仮説や理論を実験的にテストするのに必要な実証的諸事実を追求し、それらの事実を出来るだけ多く集めることである。つまり帰納が行う観察「帰納的観察(inductive observation)」は仮説や理論の確証ないし反証を行うための実験的実証的観察なのである。

要するに、仮説を立てるために使われる推論の手法がアブダクションで、それを実証するために使われる推論が帰納。どっちも演繹とことなって論理に跳躍(leap)があるんだけど、その確からしさは異なる(アブダクションは帰納より可謬的)ということだ。

著者によると、帰納主義者のフランシス・ベーコンや、ジョン・スチュアート・ミルらは、仮説がある前提での帰納がベースとなっており、仮説がどのように導かれたかについての考察はない。
二人とも仮説の提案が必要であり、帰納的探究は仮説によって導かれるという仮説の概念認識が欠如していた。


確かに、会社でも常に「仮説と検証を」「PDCAを回せ」と言われ続けているが、仮説やPLANをたてる方法論というものについては特になく、「現場百回」とか「観察して洞察せよ」とか概念的なものだけで、後は「ひらめき」のようなものに期待するということしかなかった。
「イノベーション」という、「改善」とは異なり、不連続を期待されるものをどのようにして発想して仮説をたてるのかということについての方法論は論じられてなかったし、まさにひらめきに期待する以外の方法論をもっていなかった。
それを今回中西先生の「イノベーション道場」ではパースのアブダクションをベースとした方法論を教示いただいた次第である。

科学的探究の過程になぞらえて、企業における業務推進の過程を考えてみると
アブダクション(マーケット・ターゲットの仮説の策定)→演繹(実践し、その実績をベースとしたルール化・必勝法の確立)→帰納(必勝法に基づいた実践、横展開)
という感じになろうか。
そう考えると、帰納<演繹<アブダクションという順に難易度が高く高次な業務ということになるのではないか。
よく社内で「ルール通りに仕事をするだけ(帰納)ならアルバイトで足りる。ルールを変えるの(演繹)が社員の仕事」と言われる。
さらに上をいくスーパー社員を目指すには「仮説の策定(アブダクション)」というところまで要求されるということか。
その仮説の立て方を「ひらめき」のようなものに依存するのではなく、一定の手法として論法化しているところが中西先生の実践的でスゴいところだと感服した。

理屈は教わったので、後は実践あるのみ。


2014年10月26日日曜日

つなぐLab Vol.006

立教大学大学院 特任准教授 中西紹一先生によるワークショップ第6弾。
今回のテーマは『時間のデザインを考える』。

5つのテーブルに分かれて、そもそも「時間のデザイン」と言われて何を思い浮かべるか、という質問から議論開始。
時間の「量」(例:タイムマネジメント系)と「質」(例:日常と非日常の時間)といった議論が各テーブルで出る。

ここで中西先生の「時間のデザイン」に関する定義を共有。
「(空間と同じで)区切りをつけながら、そこに意味を与えるもの」
ちょっと座学も入り、エドマンド・リーチの儀礼論、エドワード・ホールの多元的時間観念の話などの解説がある。

でも「そんな抽象的な解説じゃ分からん」とばかり、各テーブル議論内容はバラバラ。
各テーブルで出た議論を膨らませて、 各テーブルごとにテーマを決めて更に議論を深めていく。

私がいたテーブルでは、
「『ブルーマンデー』を乗り切るための時間デザイン」
ということがテーマとなった。
学生でも社会人でもあることだが、何故週末月曜日が近づいてくると憂鬱になるのか。
人は大人になるにつれて色々な”世界”を持つようになる。
そしてその”世界”は大抵の場合、バラバラであり、人はその”世界”ごとに自分の役割を演じるようになる。(「大人になる」ということは”秘密”を持つようになるということ)
ブルーマンデーという現象(心理状態)は、この”世界”を移動するために何らかのエネルギーが必要となるから発生するのではないか、という仮説に基づき議論が進んでいった。

では、その位置エネルギーを要する”世界”の移動時に憂鬱にならないようにするためにはどうしたらよいのか、一つの解答が
「バラバラの”世界”を統一化すれば良い」
というもの。
まるで現実社会で起きているグローバル化のようなアイデアだが、”世界”が一つになってしまえば、役割を演じる必要もなく、「肩書き」ごとに時間の位置づけを変える必要もなくなるというわけだ。
(他の比喩では「兼業農家的に考える」「公私混同する」などと表現されていた)

以前佐藤尚之さんと話をした時に、佐藤さんが「自分の生活全てをFacebookにあげている」という話をしていたのに対し、
「人は皆、会社人としての自分、親としての自分、夫としての自分、地域の中での自分など違う”世界”があるのに、Facebookはどの”世界”の人にも同じ情報を発信することになるので情報が最大公約数的に、誰に対してであってもいい情報(「幸せ劇場」)しか流せなくならないか」
という質問をしたことがある。
佐藤さんの解答は
「いや〜、僕の場合、会社でも取引先でも家族の前でも、同じ人格で通してます。だからFacebookでもありのまま全てを発信しちゃってます。そうなってくると無理矢理何かを演じなくてよくなるのでとても楽ですよ。」
ということを言っていたのを思い出した。
そうか、グローバル化(”世界”の統一化)に対応できるとすごい楽なのか。
”世界”ならぬ”国”ごとに対応を変えなければならないとすると、そこには関税等の障壁が発生し、それを越えるにはエネルギーが必要で、その必要エネルギーがブルーマンデー症候群を生んでいるのかもしれない。
未だ”世界”(”国”)ごとに役割を演じる鎖国対応でしかいられない自分はオールドファッションということだ。


他のテーブルでも色々面白そうなテーマが話されていて、
◯「待ち時間」のデザイン
一般的に「待ち時間」は嫌なもの。携帯電話の世界でも「待ち時間」の苦痛を如何に和らげるかというのは喫緊の課題とのこと。
その解決方法として、逆転の発想として、「待つ」のは実はリッチな時間であると整理するというもの。
人が何故「待つ」時間が苦手なのかというと、「待つ」時間はコントロールできないから。
「コントロールできないもの」に馴れることで、人は更にステージをあげて人生を楽しむことができるのではないか。(携帯電話の圏外の世界に行くのは恐怖ではなく、実はリッチな時間を過ごせるということ)

◯家事など、一般的に嫌なことを楽しい時間に変えるデザイン
人が集まることで、嫌なことをやる時間が楽しい時間に変えられる。
例えば朝家事会ということで、みんなで同じ時間に家事をやり、それをSNSで共有することで家事が楽しいものになっていくのではないか。
☞これは中西先生から「場(空間)は共有しないけれど、時間を共有することで嫌なことをやる時間を楽しい時間に変えるという点が面白いという評価をもらっていた。

などの話が発表されて非常に興味深く拝聴した。

各テーブル、テーマはバラバラ、そしてレベル感も非常に具体的な アイデアから抽象的なアイデアまでチャンク感バラバラということだが、どのテーブルの議論も発表を聞いていて楽しめた。


「時間」ということについて一つ気づきがあった。
人間は5万年(?)前類人猿から分岐して、現在に至っているが科学技術や文明の発達に脳がついていっていない。だから食糧がなかった頃に刻み込まれたDNAがまだ機能していて肥満や成人病を生んでいる。
昔は「食糧の確保」というのは生存において最優先事項であり、それに勝る優先事項があったとすれば外敵から身を守ることくらいだった。
食糧を確保する、外的から身を守る、ということから開放された現代社会(先進国)において、大切なものは何だろうか。
個人的には「時間」だと思っている。
「時間」は身分に関わらず、貧富にも関わらず、能力にも関わらず皆一様に平等である。
もちろん早く亡くなったり、長寿の人がいたりはするが、基本的には誰しも1日24時間しかないということに変わりはない。
これは不老不死が実現しない限り変わることはない。
ちょっと前までは、世の中を豊かにするために「何をするのか」が重要だったが、現代の先進国は既に物質的には十二分に豊かである。
そうなると次に貴重になってくるのは「時間」ということで、この貴重な「時間」を誰と共有するかが非常に重要な「時間のデザイン」となってくるのだと思う。
近年、重要なのが「何をやるか」から「誰とやるか」に移行していると言われているのもそういうことを反映してのことなのだろう。

物質的な豊かさのため「何をやるか」(物質・空間の共有)
        ↓
精神的な豊かさのため「誰とやるか」(時間の共有)

というのが世の流れなのだと気がついた。

そして一人では心理的ハードルが高くて実践困難なことも、皆で「共有」することで乗り越えていけるという仮説を、どうデザインして実践していくかが今後の人類の課題なのかもしれないと思った。

そうは言っても、個人的にはやはり”世界”ごとに役割を演じるのはやめられそうにない。
”世界”を統一するグローバル化方式とは違ったやり方で進化していくこととしよう。

2014年5月25日日曜日

第5回つなぐLab 『女性に優しい社会』とは

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科特任准教授の中西紹一先生によるワークショップ第5弾。
今回のテーマは『これからの女性支援を考える』

某T社さんのワーキングマザーをターゲットとしたと思われるCMを見て、何に違和感を感じて、どういう領域に女性が進出するといいのかという議論を行った。

参加者のうち8割くらいが女性だったこともあり、(個人的には滅多に機会のない)女性のセキララな意見が聞けて面白かった。

CMを見た感想として
「男性から見たママ像ベースだが、何を誰に言いたいのか分からない」
「家事は女性がするものという前提条件が刷り込まれている」
「女性にとって現代の三種の神器はルンバ、食洗機、全自動洗濯機なのに、それが分かっていない」
「リアリティがなく、生活感もないので、心に響かない」
と言った意見が出ていた。

次に、何故このようなCMとなってしまったのかを想像しようというセッションになった。
自分は結構このフローは分かっていたが、逆に参加者の大半がクライアントと広告代理店、そしてクリエイターの役割、立場の違いについて分かってないことにちょっとビックリした。

セッションの中で面白いと思った意見を列挙すると
「女性向けのリサーチは企業も行っているが、そのリサーチは役立っているとは言えない」
「女性だからといって「ママ」が分かっているとは限らない。むしろ今の企業で生き残っているのは「男性化した女性」だけ」
「日本では専業主婦→ワーキングマザーという流れが主流だが、アメリカでは働いていた女性が専業主婦となるケースが増えてきている(『ハウスワーク2.0』)。」
「アベノミクスでは、2020年に女性管理職を30%という数値目標を掲げているが、その任にない人まで女性管理職となると今度は女性の自殺率が増えたりするのではないか」
「被災地では、子供のみならず女性も見かけなくなった。」
「天下り文化とは、『稼がなくてはならない』という男性主体の文化が生み出したもの」


男性=女性という二項対立で考えることが我々の意識の中に埋め込まれている、という中西先生の話しがあった後も、
「(女性に優しい社会にするには)女性はどの領域に進出すべきか」
という議論について、女性も含めて全員が「女性」=「働く女性」という前提で話しをし始めていたことに「無意識下に埋め込まれた前提の重さ」を感じた気がした。


女性は政治領域にも進出すべきだという意見がある一方、「今の女性政治家は変な人ばかり。機能しているとは言えない」という厳しい声も女性からあがっていて面白かった。


「女性に優しい社会をつくるのには、制度で守るのではなく、関係で守る必要がある」
「多様性(diversity)をパワーに変えていくことがこれからの社会では必須となる」
というような意見が最後にでて、なるほどという感じであった。
非常に勉強になった。



2013年11月30日土曜日

酵素ダイエット講習

簡単な酵素ダイエット講習を受ける機会があった。
特にダイエットをしようと思っている訳ではないが、酵素について学べるいい機会だったので拝聴した。

講師は一般社団法人日本ナチュラルビューティスト協会の高島さん。

・酵素は、人間のあらゆる生命活動に関わっている。
・酵素は全ての食べ物に含まれるが、48℃以上加熱すると死滅する。

・体内酵素は「消化」(食べ物を消化して栄養を全身に届ける)と「代謝」(デトックスや細胞の再生、免疫力を高める、エネルギーを燃やす)の二つの働きをしている。
・酵素量は加齢とともに減少する。消化酵素は加齢時にも減少させることができないので優先的に残されるため、代謝酵素が減少し不足する。
・代謝酵素を食物酵素として外部から補う必要がある。
・人間は死んでも、土に還る分の酵素は残している。
・食品添加物や抗生物質はたくさんの消化酵素を必要とする。

・空腹時に特定の食べ物を食べたくなるのは、その食べ物を分解する酵素が不足して栄養素を吸収できない栄養不足状態だから。でも特定の栄養素を摂り過ぎると特定の部位で毒素や死亡として蓄積してしまう。。
という訳で空腹時食べたくなるものによって、将来なりがちな体型が分かるということらしい。
将来の体型:空腹時に食べたい物→不足している酵素→不足している栄養素
①全体ポッチャリ マンゴー型:チョコ、カップケーキ、クリームパン、麺類→炭水化物分解酵素→糖質
②下半身ポッチャリ 洋梨型:揚げ煎餅、ドーナツ、ポテトチップス→脂肪分解酵素→脂肪
③お腹ポッコリ リンゴ型:唐揚げ、フランクフルト、チーズ、ナッツ→タンパク質分解酵素→タンパク質
④ほっそりだけど疲れやすいバナナ型:乳製品、ヨーグルト、プリン→乳糖分解酵素、酵素全般→栄養全般

<ナチュラルハイジーン>・・1日の生理リズム
排泄:午前4時〜昼12時・・消化酵素が不要な果物など、朝はそんな食べなくてOK。
栄養補給と消化:昼12時〜午後8時・・小腹が空いたらドライフルーツや果物を食べる。チョコを食べる前にはバナナを食べる。食事は野菜から。焼肉だったらキムチから。揚げ物だったらキャベツから。
吸収と代謝:午後8時〜午前4時


酵素って、とっても重要なんですな。
食べ方によっても酵素の消費量が変わったり、足りない酵素によって食べたいものが変わってきたり。
酵素を考慮した食生活に明日から切り替えよう。(ダイエットは特にしないけどね)



2013年11月24日日曜日

情報の重要性

会社でHOLOS-BRAINSの細田収さんのセミナーを受けた。
細田さんは住友不動産から東京海上日動あんしん生命に転職し、成果を出した人らしい。
「心理学と脳科学の観点からの営業セミナー」ということで興味を持って受講した。


売り手と買い手に別れて、売り手は1,000円の価値を売り込むトークを4分間で行い、買い手がジャッジするというペアワークを行った。
これは、「売り込み」という行為を行うにしても、まず商品の説明を行うのではなく、相手のニーズ、嗜好を聞くことから入るべし、ということに気づくワークだったようだ。

この日の最大の気付きがあったのは、以下のワーク。
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あるメーカーが新商品のパンフレットを企画制作することになり、2社の印刷会社に声をかけたところ、A印刷とB印刷の営業パーソンがそれぞれ訪問してきた。

それぞれの営業パーソンが聞いて帰ったことは以下の通り。
A印刷:パンフレットサイズ、色数、部数、納期、納品場所
B印刷:新商品の特徴、客層とニーズ、販売方法、競合メーカー、販売時期

さて、A印刷、B印刷にそれぞれ期待することは何か?また、そこにはどんな違いがあるか?
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A印刷には、印刷業務そのもの、価格(安さ)を期待し、B印刷にはクリエイティブな紙面を期待する、ということで、営業サイドがヒアリングする内容で相手の期待する内容が異なってくるというもの。

このワークで気付いたのは、営業場面に関わらず、相手がどんな情報を持っているか(持っていると思うか)によって期待する内容が異なってくるということ。
新入社員の提案と、中堅社員の提案では、提案内容が同じであっても取り上げられる確率が断然異なるのは、提案の内容以前に、持っているだろうと思われている情報量が異なることによる「期待度」の違いからではないだろうか。

情報を持っている(少なくとも持っているように振る舞う)という行為は相手の自分に対する期待度を上げ、自分のプレゼンを受け入れやすくするためには必須のこと、というわけだ。

顧客にとって営業マンが、その業界の情報をもっているのは当たり前で、業界以外の情報・知識をどれだけ持っているかによって、営業マンに期待する付加価値度合いが変わってくるということらしい。
情報過多の時代。情報の取得能力よりも情報の選別能力の方が重要であると言われているが、周りから「情報を持っていると思われる」ことは相変わらず非常に重要ということだ。

その他にも、「販売代理人」と「購買代理人」という概念も参考になった。
これからの営業は、会社サイドの売り込み(販売代理人)ではなく、顧客サイドの目線をもった「購買代理人」として振る舞う必要があるというものだ。


細川氏、不動産業から保険業界へ転職ということで、どちらにも精通していて面白いトピックを色々話してくれた。
◯保険会社は自分が採用(ヘッドハンティング)してきた人間は、自分で育成する。
◯保険業界の考え方としては、「商品は常に顧客のライフプラン上にある」。なので契約してからがスタート。
◯表面的なニーズに対する対応は常に比較にさらされる。顧客の真のニーズを発見することが重要。
 ☞情報過多時代においては、課題解決能力よりも問題発見能力の方が大切という、ダニエル・ピンクの主張とも合致する。

リアルな世界がネット世界に喰われつつある。保険業界もその一つ。
しかし、細川氏の見立てでは、不動産業界は宅建業法がある(宅建業法に守られている)のでネット世界には喰われないとのことであった。
ネット世界で勝負すると、スピード感がリアル世界の何倍にも加速する。新規参入組にはチャンスであり、既存組にとっては脅威である。
医薬品業界が色々理屈をつけてネット販売を不可とし対面販売にこだわるのも、そう言った理由があるのかもしれない。

当初、期待した心理学、脳科学との関連部分は時間の関係もあって、あまり聞くことができなかったが、それ以外の点で気付きの多いセミナーであった。




2013年9月17日火曜日

『戦略を、実行できる組織、実行できない組織。』

今自分が仕事で非常に悩んでいる内容について、示唆に富む内容を与えてくれた素晴らしい本。

実行の4つの規律(4Dx)4Disciplines of eXecutionを実践することで、戦略を実行に移すことが出来るというものだ。





ミッション
  ↓
ビジョン
  ↓
戦略(サイン型、行動変化 、竜巻)
  ↓
総合的な戦い(WIG)
  ↓
 局地戦
チームレベル

リーダーがチームや組織を大きく前進させるためにとるイニシアチブは、大きく2つに分けられる。
ひとつは承認してサインすればすむ戦略(サイン型戦略)。
もうひとつは、行動の変化を求める戦略(行動変革型戦略)である。

面白いのは「竜巻」という概念。
実行を邪魔する本当の敵は、日常業務である。これを「竜巻」と名付ける。
竜巻と戦略目標は全く別物である。それどころか、時間、資源、労力、注意を奪い合い敵対関係にある。

サイン型戦略はリーダーの決断があれば実行することができる。
4Dxは竜巻に巻き込まれながら、行動変革型戦略をいかに実行するのかの方法論である。


実行の4つの規律(4Dx)4Disciplines of eXecutionについて具体的に述べる。

第1の規律:最重要目標にフォーカスする
チームがより多くのことを達成するために、リーダーはより少ないことにフォーカスする必要がある。
これを最重要目標(Wildly Important Goal:WIG)と名付けて、何よりも重要な目標であることをチームにはっきりと示す。

最重要目標を決める時の問いかけは、「何が最も重要か?」(「最も重要な優先課題は何か?」)ではない。
最初に問うべきは、「他のすべての業務が現在の水準を維持するとして、変化することで最大のインパクトを与えられる一つの分野は何か?」である。
一つか二つの最重要目標を決めてしまったら、チームがそれ以外のことをないがしろにするのではないかと心配したくなるかもしれない。しかしチームの労力の80%は竜巻を維持することに使えるのだから、そんな心配が無用だ。


第2の規律:先行指標に基づいて行動する
目標に到達したいなら、インパクトの強い活動を特定し、それを実行する必要がある。
どのような戦略を推進するのであれ、その進捗と成功は、二種類の指標で測られる。
遅行指標と先行指標である。
遅行指標とは、最重要目標を追跡する測定基準。売上高、利益、マーケットシェア、顧客満足度は全て遅行指標。これらの指標のデータを手にした時には、そのデータをたたき出した活動は全て過去のものとなっている。
先行指標は、基本的に遅行指標を成功に導く新たな活動を測定する。
適切な先行指標には2つの基本的な特徴がある。目標達成を予測できること、そしてチームのメンバーが影響を及ぼせること。


第3の規律:行動を促すスコアボードをつける
第3の規律は、意欲的に取り組むための規律。
リーダーはコーチ用の複雑なスコアボードを好むものだが、選手専用のスコアボードはシンプルでなければならない。

「選手のスコアボードの根本的な目的は、選手に勝ちたい気持ちを起こさせること」
スコアをつけなけば練習だけで終わる。


第4の規律:アカウンタビリティのリズムを生み出す 第4の規律で戦略実行を現実のものにする。 第4の規律はアカウンタビリティ(報告責任)の原則に基づいている。お互い報告する責任を負い、その責任を一貫して果たさなければ、目標は竜巻に吹き飛ばされてしまう。
アカウンタビリティのリズムとは、最重要目標に取り組むチームが、定期的かつ頻繁にミーティングをもつことを意味する。
ミーティングは少なくとも週1回、長くても20〜30分程度が理想。
チームのメンバーはお互いにリズムよく定期的に報告しあえなくてはならない。毎週、「スコアボードに最大のインパクトを与えるために、竜巻の外で来週できる一つか二つの重要なことは何か」という簡潔明瞭な質問に一人ひとり答える。 前週の約束を果たしたかどうか、スコアボード上で先行指標と遅行指標はどう動いたか、来週は何をするのかを、メンバー一人ひとりが数分以内にまとめて報告する。
第4の規律の秘訣は、定期的なリズムを維持すること、そしてそれぞれのメンバーが自ら約束をすること。


すなわち、実行の原則は、フォーカス、レバレッジ、エンゲージメント、アカウンタビリティの4つである。


<プロセス指向の先行指標に関する注意事項>
◎WIGが何かのプロセスに関係しているのであれば、仕事をプロセスのステップに分けてみることは効果的である。
プロセスのどこかに必ず、テコの作用点がある。パフォーマンスが伸び悩んでいるステップだ。そこを先行指標にすれば、チームはそのテコの作用点に力を集中的にかけることができる。
☞これはエリヤフ・ゴールドラット氏の制約理論(Theory of Constrraints)におけるボトルネックを先行指標とするということと同じ考え方。

◎プロジェクトのマイルストーンは適切な先行指標か?
WIGが一つのプロジェクトなら、プロジェクトのマイルストーンも効果的な先行指標になるが、マイルストーンが6週間未満の細切れ短期間のものだと、一般的には先行指標として十分に機能しにくい。
☞プロジェクト型の場合もボトルネックとなるプロセスを先行指標として設定することで全体のプロジェクトの進捗をコントロールできることになる。これはプロジェクトのスケジュール管理を行うにあたって、一番ネックになる行程を常に監視しつづけることで、全体スケジュールを管理するという考え方であり、自分もマンションの工程管理では活用させていただいた考え方だ。


理屈上では非の打ち所のないこの方法も、実際ではWIGの設定の仕方は仮説に基づく”賭け”である。著者達はそれを素直に認めている。
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組織全体の最上位WIGを選ぶのは、一足の靴を買う時と似ていなくもない。履いて少し歩いてみなければ、自分の足にしっくりするかどうかはわからない。
だから、WIGの決定をチームに急がせてはならない。しっくりなじむWIGを選び、各チームのリーダーに少し試させてみる。
そうしてはじめて、各チームは組織のWIGの達成に貢献できるチームWIGを検討できる
組織全体に試してみて、どこかぎくしゃくしていると感じたら、その時は別のWIGを選べばいい。
最上位のWIGは組織として真剣に取り組む最重要目標であるから、経営陣としてもただ一つに決めることには少なからず躊躇するものである。多くの組織が本当のフォーカスを決められない理由はここにある。WIGを選んだ後でも再考できる自由があれば、チームは心置きなくこのステップに取り組めるだろう。
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やはり、ここまで方法論が確立していても最後のところは「やってみなはれ」の精神なのだ。


そして、最後に関心したのが、実際に企業にこのプロセスを定着させるやり方だ。
フランクリン・コヴィー社では、コンサルタントが4Dxを教えながら組織全体で立ち上げる方法はとらず、リーダーが自分のチームに4Dxを導入できるようにコンセプトを教え、認定するプロセスに重点を置くことにした。(リーダー認定)
・後で自分が教えなければならないことを学ぶとなると、誰でも真剣に学ぶものである。実際、何かを学ぶのに最も効果的な方法は他人に教えることだ。
・誰でも何かを教える時は、自然とそれを推奨している。
・4Dxの推奨者となってリーダーは、自分自身がその手本になろうとする。4Dxを信じていないリーダーは、たとえ4Dxを導入しても、4Dxに反する行動をとり、実行に一貫性を欠く。
・リーダーはチームのメンバーから信頼されているから、チームは本気で4Dxに取り組む。4Dxが本物のプロセスなのかどうかを判断するとき、チームのメンバーはまず、リーダーを注視する。リーダーが4Dxを教え、推奨し、立ち上げるのであれば、メンバーは4Dxを信じるのだ。

受講者を集めて講義をするのではなく、講師を養成するための講義を行うという発想は前田出氏の「新家元制度」にも通じる考え方だ。

日常業務を「竜巻」ととらえる概念。遅行指標ではなく先行指標に着目し、その指標を日々管理し続けるという方法論は非常に参考になった。

実際の業務にどこまで落とし込めるか、後は実践あるのみ。






2013年8月25日日曜日

柏の葉 ピノキオマルシェ

柏の葉恒例、ピノキオマルシェに行ってきた。
今回は「かしわ街まるごとキッザニア」と共催とのことで、盛り上がっていた。
仕事をするピノキオ達とお客さんで混み合う
ららぽーと柏の葉のクリスタルコート


柏会場が1700組の枠に4000組超の予約。
今回完全予約制の柏会場であぶれた人も先着順の柏の葉に流れ込むことが想定されたが柏の葉のお仕事枠は先着200組。運営側は相当準備にぴりぴりしたようだ。
当日の仕事枠はあっと言う間に埋まって、遊ぶ方も1000組に対応出来るようにしたとか。
見えないところでの運営サイドの努力には頭が下がります。



今回は田中中学校を中心にピノキオOBが事前の準備に参加。
当時小学生で参加者していた子供達が、成長して企画運営側に回るという、まさに正統的周辺参加論を地で行く取り組み。素晴らしい!!



今年は辻仲病院に加えて、国立ガンセンターも参加。
 看護婦さんの上着をそのまま活用しているので子供が着るとちょっとミニ風になっちゃってるのはご愛嬌。


次回は11月23日とのこと。
参加する側だった子供達が成長して、企画運営側に廻るという素晴らしい構図が出来始めているのも継続しているから。
継続は力なりで、頑張って欲しい。



2013年4月21日日曜日

コールセンター視察

先日、コールセンターの視察に行ってきた。
今の業務でコールセンターを持っているということもあるのだが、それ以上に”サービス”が商品(売り物)である業態におけるトップ企業が何を行っているのかを見るためであった。

色々と学びがあったので書き留めておきたい。

【再春館製薬】
コールセンター見学と言いながら、再春館製薬には商品がある。ドモホルンリンクルとして有名な8種類の化粧品である。その品質管理についてを徹底的にアピールしている(だから見学も受け付けるし、写真含めFacebook等の記載OKの了承をくれる)。
商品という意味では、会社の製品(商品)をたった8つに絞ってフォーカスできているのが同社の強みである。
また、同社のコールセンターでのアウトバウンドは行き過ぎであるという評価も一部にはあるが、この営業力は同社にとって強力な武器である。
過去の過ちを忘れないように、ということで見学コースの最初、入り口の部分に返品在庫の山がそのまま残されている。これについても過去の同社の歴史として、隠すことなく教えてくれる。

<社内文化の醸成>
・7年前、製販一体としたため、顧客からの声に対してレスポンスが速くなった。トレーサビリティもしっかりしており、顧客対応においては必要に応じて担当役員が北海道でも即日飛んでいく。
・「交流と交歓の広場」・・以前の工場は2つに分かれていた。製販一体になるに伴い、社員が一同に会せる空間をということで作られた。
 ①社員交流(ラジオ体操、朝礼、終礼)
 ②社外顧客の案内の場(工場勤務者はお客様と接点がない)
・お客様から頂くおしかりの声=課題という認識。
・コールセンター業務では顧客の「ありがとう」の数は社員の評価軸ともなっている。会話は平均20分だが、1時間にわたることも。短く切るよりお客様の「ありがとう」を重視している。
・売上もリアルタイムで把握できる。売上は「ありがとう」の積み上げという認識。
・間接部門の社員でも、コールを受ける。
・オペレーターを「お客様プリーザー」と呼んでいる。
・工場以外の部門は一つの大広間に仕切りもなく配置。社長室というものもなく、社長も大空間で銀行等とも包み隠さず打ち合わせをする。
・「認識一致の太鼓」。真ん中に太鼓があり、管理職が集合する際に鳴らされる。1日2回は鳴る(朝礼11:30、終礼16:20)。あくまでフェイスtoフェイスがベースなので、メールは補足ツール。

<研修・育成>
・今年の新人のうち8割がコールセンター要員。しかしコールは誰でも対応できるように研修する。
・新人研修は半年かけて研修。新人向けの研修には社外講師は使わない。各部から選ばれた専属の研修部チームがカリキュラムを考える。

1993年に売上偏重により顧客から受けた返品の山。
過去を戒めるために受付にわざわざ残してある。


ドムホルンリンクルの製品。たったの8種類に絞っている。
ちなみにドモホルンリンクルとは、ドモ(抑制を意味するラテン語)+ホルン(角層を意味するドイツ語)+リンクル(英語の”皺”)という造語。


工場。見学用の通路をあえて増築している力の入れよう。


本社機能&コールセンター。仕切りのない大空間に社長も一緒。




実は他にも2社のコールセンターを視察した。
その2社については了承を得ていないので、記載をしないが、非常に有益な話を聞かせてもらった。
メーカーと違い、”商品”というものに頼らないサービス業界において、商品となる”サービス”を如何に社員のモチベーション高く向上させ、キープしていくのか、その社内文化醸成の仕掛けと人材育成の仕組みについては見倣う必要がある。
当社はプロダクトアウト指向で、商品力の違いを他社との差別化につなげていたが、他社が追いつきつつあり、また、新たなイノベーションの種が少なくなっている現状では、商品がコモディティ化してしまったという認識のもと戦略を立てるべきである。
形がない、そして人間が行う”サービス”という商品を、如何にハイクオリティで提供し続けるのか。
その世界でトップを走る企業はやはり、その仕掛け、仕組みを既に構築しつつあるのを認識した。
形のある「商品」と形のない”サービス”という「商品」が両輪で差別化できた時、当社のブランドはまたもう一段高みに行けるのではないか、という気がした。
頑張らねば。

2013年1月28日月曜日

iPhone買い取り


iPhone5にするにあたり、持っていたiPhone4Sを買い取りとした。
ソフトバンク本体が古物営業法許可をとってないということで、買い取りは子会社のソフトバンクテレコムが行うことになっていたと聞いていた。
メールで買い取りOKという連絡が来たところまではよかったが、わざわざ『本人限定郵便物特定事項伝達型(特伝型)』というものを使って、本人にしか渡さない郵便物(こちらも本人確認資料である免許証を提示させられた)が来たので、中身は一体どんな秘密の内容なのかと開いてみたら上記のような内容。
全く秘密にするようなものではない。

ちょっと調べてみたら、古物営業法では1万円以上で古物を買い受ける場合(現金取引には限らない)には本人確認が必要で(ちなみに今回のiPhone4Sの買い取りは2万円)、本人確認記録及び取引記録を作成し、3年間保存する義務があるのだそうだ。
そのためにこのような手のこんだ(更にはお金のかかる)プロセスを経ているということ。
当該機器にしか届かないメールの配信およびその記録保管だけでも十分のような気もするが、それではダメというお上の見解だったのであろう。
産業界はどんどん移り変わっているので、お上の方もそれに対応していかないと、法人税の話だけではなく、本当に企業が日本からいなくなってしまいかねない。
誰も喜ばない無駄なことは極力減らしていかないと、誰と闘っているのか分からなくなる気がする。
さすがのソフトバンクも今回は上申している時間がなかったか。

2012年12月16日日曜日

ビールが漏れて・・

近くのスーパーで買い物。ビールも買った。
持ち帰る時にどこかぶつけたらしく、レジ袋の中が浸水状態になっているのを車から降ろす時に発覚。
慌ててその場でレジ袋の他のものを移し替え(一緒に購入したアイスクリーム被災)、家に持ち帰った。
どうやら小さい穴が開いたらしく、そこから小便小僧よろしく、面白いくらい勢い良くビールが吹き出し中。。
スーパーかメーカーにクレーム申し入れようか、このままだと被害が広がるので、まずは穴を塞ぐかなどと考えて(実際にセロテープで塞ぐことを実行してみたが、炭酸の圧力には勝てず・・)キッチンで途方に暮れていたら、次男がやってきて

「止められないなら、そのまま飲んじゃえばいいじゃん」

子供の発想の自由さに感心しつつ、そのままビールを開けて飲み干した。

(とはいえ、その後被災した床を拭いて回ったりはしたが)

無駄な抵抗のセロテープ貼ってます。。
後ろのビールは一瞬でなくなりました。



2012年12月9日日曜日

印刷博物館

博物館巡りの一環。面白いとの評判を聞いて行ってみた。

凸版印刷さんの100周年記念事業ということで2000年に設立した博物館らしい。
気づきを何点か。
○「文字」の発展と「印刷」の歴史が同じであることをイメージさせる導入部が非常に秀逸(本当は同じではないはずなのだが)。
エジプトのヒエロクリフから白川先生の漢字の成り立ちなど、導入部で一気に引き込まれる。
○常設展示では印刷技術の基本理論や浮世絵の作り方が紹介されている。
印刷には、凸版式、平板式、凹版式、孔版式(シルクスクリーン式)の4方式があるなんて初めて知った。
また、浮世絵など色を何度も重ねる際に紙の位置を正しく置くための印を「見当」と言ったりするのも初めて知った。そう考えると「見当をつける」ってのは素敵な言葉だ。大好きなフェルミ推定というのは、ある意味「見当をつける」ということだ。
○ちょっと残念だったのが、せっかくいい説明映像が山のようにあるのだが、時間が少ない見学者にとっては、各々どのような内容が見れるのかが分かりにくい点だ。正直見たい内容かどうかが半分半分だったので、興味のある内容なのに見逃している映像もあるはずだ。
○最後に自分で4つの色を印刷(?)して半年分のカレンダーをつくって持ち帰ることができる。これは展示として非常に素敵な内容だ。
○過去から現在までの印刷の歴史が非常によく分かる内容となっているが、未来への展望が抜けている。せっかくなので、未来の印刷技術についての夢を見せて欲しかった。(もしかしたら時間がなくて見れなかったVRがそれを担っているのかもしれないが。)


凸版印刷小石川ビルにあって導入部からワクワク感を高める仕掛けがある。


最後に自分で作って持ち帰れるオフセット印刷(?)
象形文字の曜日表示と相まって何だか素敵。

2012年11月24日土曜日

柏の葉 ピノキオプロジェクト

恒例となった柏の葉のピノキオプロジェクトに行ってきた。
今回は、このピノキオプロジェクトを創り上げたワコールアートセンター、スパイラルの松田さんによるツアーがあり、それに参加してきた。
ピノキオプロジェクトは「子供は街で育てよう」という合い言葉のもと、柏の葉のたくさんの企業が協力して子供達に就業体験を行わせるプロジェクトだ。
一見子供向けのプログラムなのだが、その裏には子供の就業体験を企画することを通じて大人も気付きを得るという深淵な意義が込められている。
スパイラル松田さんの話では「子供に仕事をしてもらうことで、大人はどうしたら仕事が楽しくなるかを考えるようになるんです。」とのこと。


ららぽーと柏の葉のクリスタルコート。
雨だったにも関わらず、お気に入りの「仕事」を求めて子供達がたくさん。



アーティスト高橋信雅氏による落書きワークショップ。
アーティストがフレームを描くだけで、
子供達の落書きがアートになる。



ピノキオプロジェクトにおける貨幣「P!」。
ちゃんとピノキオ銀行で換金(?)される。


ピノキオ食堂で500P!の「柏の葉ごはん」
柏の葉小学校の給食メニューの一つらしい。
見た目以上に美味!


ツアーの最後に、スパイラルの松田さんがピノキオOBの子供の感想文を読んでくれた。
「街にはピノキオのようなイベントがあるのが当たり前だと思っていたけど、他の街ではないってことを知りました。このイベントがこの街の当たり前であり続けて欲しいと思います。」
「当たり前」のレベルを高めることが本当に大切なんだとつくづく思った。