2015年6月28日日曜日

『団塊世代が日本を救う』

地方移住の勧め。
特に団塊の世代向けということで、その理由が分かりやすく書かれている。
少子高齢化問題の基礎数値を頭に入れるためにも非常に分かりやすい本。

<高齢化>

国連では高齢化率(65歳以上の割合)が7%を超えると”高齢化社会”14%を超えると”高齢社会”と呼ぶ。
さらに世界標準ではないが、20%もしくは21%を超えると”超高齢社会”と呼ぶ人もいる。

国立社会保障・人口問題研究所によると、日本は2012年時点で、高齢化率は24.1%。2024年には30%を超え、35年には三人に一人が65歳以上となる33.4%、そして61年には40%にも達すると予測されている。

日本は高齢化のスピードも急激。
日本は1970年に高齢化率が7%を超えて「高齢化社会」に突入したが、1994年には14%に達し「高齢社会」に突入した。
高齢化率が7%から14%に至るまでの年数を「倍加年数」と呼び、高齢化のスピードを表す指標として用いられる。その倍加年数が、日本ではわずか24年。
かつて高齢化先進国と言われた欧州各国でも、ドイツが40年、イギリスが46年、イタリアが61年、スウェーデンが85年、フランスが114年。
さらに日本は、「超高齢社会」すなわち高齢化率21%に達するまでの期間もわずか13年で、いまも驚くべきスピードで高齢化が進行中。

<少子化>

少子化の影響から、日本の総人口は2008年から人口減少期に突入した。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の人口は2026年に1億2000万人を下回り、48年には1億人を割り込んで、60年には8674万人になると予測されている。
2010年から60年にかけて、毎年平均80万人(累計4000万人)が減少していく計算。

「団塊の世代」が生まれたのは1947年から1949年までの第一次ベビーブーム期だが、この期間の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に生む子供の人数)は4.32人で年間約270万人の子供が生まれていた
第二次ベビーブーム(1971年から74年のいわゆる「団塊の世代ジュニア」)期間にも年間約200万人の子供が生まれ、出生率は2.14人だった。
ところが、その後は出生率の低下とともに出生数の減少が続き、1975年に出生率が2.0人を下回り、出生数も年間200万人を割り込んだ。
現在の出生数は年間107万人前後、出生率1.3人前後で推移している。近年では出生率の大幅な低下は収まっているが、それでも回復の兆しは見られない。
「人口置換水準」(人口を維持するために必要な合計特殊出生率)である2.07人を回復しない限り、出生率は減少を続け、2060年頃には年間48万人の子供しか生まれなくなると推計されている。


<一極集中>

戦後の東京への人口集中の歴史を振り返ってみると、三つの山を形成している。
第一の山は、1961年をピークとする山で、高度経済成長期の人口流入。この時期、東京圏や大阪圏、名古屋圏は年間65.1万人という極めて大量の転入超過となり、それが現代まで続く三大都市圏を形成した。東京圏の人口伸び率は年2.8%
第二の山は、80年から92年の13年間。この時期は87年をピークとする”バブル期”にあたる。この13年間の三大都市圏への転入超過は112万人。東京圏の人口伸び率は年0.8%。
ここでの特徴は、東京圏が134万人の転入超過だったのに対し、大阪圏、名古屋圏では人口がほぼ横ばい。つまり大都市圏への人口集中と言っても、この時期は”東京圏への一極集中”が起きたわけだ。
さらに東京圏の中での人口移動をみると、この時期には東京都区部から周辺三県への転出超過も起きた。つまり、首都圏ではこの時期に「郊外化」「ドーナツ化現象」が進行したわけだ。
第三の山は、2007年をピークとして現在も継続している人口の流れ。1998年からの11年間、三大都市圏への転入超過は106万人。特に東京圏では121万人の転入超過となり、ここでも第二の山と同様に東京圏への一極集中が継続している。東京圏の人口伸び率は0.6%。
この時期に特徴的なことは、「ドーナツ化現象」の流れが解消され、周辺三県から東京都への転出超過が発生していることだ。それまでとは逆に、東京圏の中でも東京都への一極集中が起こっているのだ。
規模は小さいながらも大阪圏や名古屋圏でも、大阪市や名古屋市への転入超過が起き、三大都市圏では都市居住傾向が発生していることが分かる。


<高齢者=社会的弱者?>

「高齢者」は社会的弱者ではない。
現役世代は、年金自体の将来に大きな不安を抱えながら年金保険量を支払わねばならず、雇用そのものも不安定。子育て世代はその経済的な負担にあえぎ、仕事と家事・育児の両立に苦労している人も大勢いる。若い非正規雇用の人々の中では、結婚や出産をあきらめざるを得ない人も増える一方で、貧困や格差が増々厳しさを増している。
そんな現役世代の状況に比べると、今の高齢者は恵まれている。
高齢者世帯(65歳以上の人のみで構成するか、またはこれに18歳未満の未婚の人が加わった世帯)の年間所得は2010年で307.2万円
これは全世帯平均(538.0万円)の半分強だが、平均世帯人員が少ないので、世帯人員一人あたりでは197.4万円となり、全世帯平均(200.4万円)と大差はない。
「格差社会」化が進行し、若年層の非正規雇用率が高まった結果、年間所得が200万円以下の「ワーキングプア」の総数は、約1850万人にも達していると言われている。
高齢者は自分で好きに使える可処分所得が多い「豊かな世代」なのだ。


<なぜ「移住」?>

多くの人間が「少子高齢化」と聞いて地方の過疎地域をイメージするが、実は過疎地域は今後は首都圏ほど高齢者は増えない。
地方ではすでに人口減少によって若者層が減少し、高齢化が相当進行している。これに対して東京都をはじめとする大都市圏では、まさにこれから急速に高齢者が増加し、大都市圏は高齢者で溢れ返ることになる。

都市部高齢者には”介護難民”の危機が迫る。
厚生労働省「都市部の高齢化対策に関する検討会」という有識者検討会の報告書によると「大都市部においては、地価が高く、特に東京23区では施設整備が進みにくい面があり、設備整備率は低くなっている。このため、在宅介護の割合が高くなっているが、必ずしも在宅サービスの利用環境が整っているとは言えない」
「サービスを提供する人材の確保も大きな課題となっている。もともと全産業の中で高い傾向にある介護関係職の有効求人倍率については、都道府県ごとに大きな差があるが、愛知県、東京都は全国平均を大きく上回っており、総じて都市部での人材確保は難しくなっている」
施設やそこでのサービスに従事するスタッフ不足のために、「それなりのお金はあるのに、行き場がない」という事態に陥る危険がある。

「移住」は、急激な都市の高齢化、迫り来る介護難民化に対する”生活防衛”の手段というだけではない。
日本の社会保障制度の見直しについて、その負担の将来世代への先送りを少しでも少なくするため、「社会保障の受給者も含めた『現在の世代(高齢者など)』の負担増」を求める姿勢が明確にされている。
社会保障制度そのものの危機を回避するために、高齢者は”自助努力”と”生活防衛”の必要に迫られている。


<なぜ「団塊の世代」?>

「団塊の世代」の特徴
・持ち家比率が9割近くに達している。
・高学歴化、サラリーマン化、都市化といった戦後の変化を象徴し、大量消費社会を担ってきた。
・テレビの普及からインターネット社会までを駆け抜けてきた、戦後の時代や文化・社会現象、そしてレジャーや消費のスタイルを常にリードしてきた世代。
・「社会性」が強い。「今後参加したい社会活動」というアンケートでは、「趣味、スポーツ活動」に次いで、「一人暮らしなど見守りが必要な高齢者の支援をする活動」が第2位。

「団塊の世代」は人口が大都市圏に向けて大規模に移動した都市化の象徴。そのことを逆に言えば、大都市圏在住者の「団塊の世代」は地方出身者が多く、”ふるさと”を持っている可能性が高いということだ。ゆかりのある地方がある分、地方に移住しやすい人々だと言える。

高齢者のニュー・ジェネレーションである「団塊の世代」は、人生90年時代の人生モデルを作り上げるのに最も相応しい世代。
経済的余力があって社会貢献意識が高く、社会で培った能力を持ち、現役世代と比較しても遜色のない準現役世代。
その世代だからこそ、介護難民化の危機を抱えた大都市圏を飛び出して移住することで、老後の”生活防衛”を図りつつ社会貢献するということが可能なのだ。



ということで数字の引用も分かりやすく、長野県佐久市への移住した人の事例紹介もあり、「団塊の世代よ、地方へ移住しよう!」という呼びかけがなされている。

正直、少子高齢化に対する根本的な課題解決策になっているとは思えないが、東京一極集中含めた課題への対症療法としては他の方策よりも分かりやすく、実現性も高いものに思われる。

「団塊の世代」の方々、よろしくお願いします。

2015年6月27日土曜日

『仕事ができる人は店での「所作」も美しい』


最近、会食の機会も増えてきたため、常識としておさえておくべきポイントを学ぶために購入。日経トレンディ編集長などを歴任した北村森氏の著作。

「ルール」(作法)は自分のため。恥をかくか、かかないかという水準の話し。
「マナー」は人のため。店や宿の人、場合によっては偶然に空間をともにする見ず知らずの客も含めて、いかに気持ち良く過ごせるように心がけるかの話し。
この本は後者について書かれた本である。

マナーというのは
①店や宿を味方につけて
②連れていく相手を楽しませ
③その結果として自分を光らせる
ためのものである。
例を挙げると、
・店では「出されたものをすぐに食べる」
・宿では、「その客室に入った時と、なるべく近い状態で、ホテルや宿を発つ」
といった基本的なことである。

百戦錬磨の著者でも割烹や料亭を訪れる日は、今でも緊張するらしい。
予約した時刻ぴたりで暖簾をくぐらないと、料理人のリズムを崩してしまう(はっきりとそうは言われない)
指輪や腕時計をしたままで席に着くと、提供される器が変わる(はっきりとそうは言われない)
店を後にする時も、道の角を曲がる時に、店の方を振り返って、一礼するのが大事。振り返りもせずに、のんきに角を曲がると、見送っている店の側はちょっとがっかりするらしい(はっきりとそうは言われない)
と言ったマナーもあるからだ。


中野允夫氏というカリスマホテルマンがいる。
曰くホテルの実力が露わになる時間があるらしい。
それは朝食終了時刻の15分前である。
朝食営業終了15分前の段階となると、ダイニングスタッフは昼の準備のことで頭がいっぱいになる。
朝食終了時刻の15分前というのは、ホテル側の都合と客の都合が、真正面からぶつかる時間帯ということになる。
そのシーンで、ホテルがどんな対応をとるか。ホテルの真価が問われる。

ビジネスでも、自社の都合と相手の都合がぶつかって、しかもそれぞれの言い分がともに真っ当なものであるとき、相手の側に半歩でも寄れるかが、仕事の成否を分けるのではないか。

この本は、基本お客様を連れていく前提で、主にお店とのやり取りについて書かれているが、お客様となった場合には
「ごちそうしてくれた相手に、『あぁ、またこの人間を誘って奢りたいな』と感じさせる時間にすることが大切」
ということが書かれている。
結局、仕事が出来る人というのは、相手との呼吸を合わせるのがうまい人でもあるということか。

それにしても、タイトルがちょっと恥ずかしい。「できる◯◯」的なのはキャッチーなタイトルなのかもしれないが、読んでるのが分かるとちょっと恥ずかしいタイトルである。むしろ、やめて欲しいなぁ。

『全員経営』

野中郁次郎先生、勝見明氏の共著。

街作りにおいてはクリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』という本が1970年代に書かれている。
複雑系である「街作り」というテーマにおいて、今で言うハイパーテキスト型にパターンの組み合わせにより分かりやすく素敵な街とはどういうことかを描写したものだ。
この『全員経営』は、全員経営を実現する「いい会社」をつくり出すための「パタン・ランゲージ」として書かれている。

・実践知の育成と埋め込み
・組織のフラクタル化や自己組織化
・知的機動力の強化
・マトリックス組織からハイバーテキスト型組織へ
・分析的戦略から物語的戦略へ
・サイエンスからアートへ
・知のエコシステムの形成
・コモンセンスの重視
・主体的経験の促進
・失敗の許容
・凡事の非凡化
といった「全員経営」のためのパターンがハイパーテキスト型に(?)書かれている。


>>>>>
熱力学の第2法則、すなわちエントロピーの法則から言えることは、閉ざされたシステムではエントロピー(秩序のなさの度合いを表す尺度)が増大し、組織にあてはめると組織のポテンシャルが低下するということだ。
この組織ポテンシャルを向上するには、多様性を持続させる開放的なシステムが必要だ。 多様性のみが多様性に対応できる。複雑で多様な環境に対応するには、組織内部にも最少で有効な多様性が必要だ。
最少有効多様性を持つ組織は、誰もが最少のステップを通じて最速のスピードで最大限の知を共有できる。それは、目に見える表面積は最少でも、内部では知が最大限に活用されている球体のような組織である。それ自体がオープンなエコシステムでもあり、だから、環境の多様性に対応できる。
そこでは、個人と個人、個人と組織の間で暗黙知と形式知の相互変換が絶えず行われ、SECIモデルがスパイラルに循環する。
その暗黙知の源泉は、人間存在として、いかによりよく生きるかという主体的な「生き方」の信念や意図に根ざす。その意味で、SECIモデルは人間の生き方につながる知の方法論だと言える。
誰もが傍観者ではなく、主体的にコミットメントせざるを得ない場が生まれ、創造的で効率的な知の循環が起こり、成功確率も高まる。ここに創造性と効率性を備えた組織が生まれる。
つまり、共通善を目指す多様性のある組織こそが組織的知識創造を行い、社会的価値を提供できる。 だからこそ、全員経営のあり方が最も根源的で究極的な姿になるのだ。
>>>>>

ではSECIモデルとは?

>>>>>

<SECIモデル>

人間が生み出す知のあり方は、個人的で主観的な「暗黙知」と社会的で客観的な「形式知」の二つの側面に分けることができる。
暗黙知は、言葉や文章で表現することが難しい主観的な知で、個人が経験に基づいて暗黙のうちに持つもの。思いや信念、身体に染み込んだ熟練、ひらめき、もやもやなどは典型的な暗黙知。
形式知とは、言葉や文章で表現できる明示的で客観的な知のこと。
新たな知識創造の源泉は、暗黙知にある。知識とは、個人の主体的な信念や意図を真理に向かって社会的に正当化していくダイナミック・プロセスだからである。
日本は特に暗黙知を重視する精神風土があるが、欧米でもその傾向は高まっている。

知の循環運動が組織やチームで起きる場合、知識創造理論では次の4つのモードを辿ると考える。
(1)まず、個人は周りの世界との相互作用の中で暗黙知を組織的に共創する。これを「共同化」(Socialization)と呼ぶ。
(2)次に、暗黙知を形式知に変換する「表出化」(Externalization)
(3)続いて、形式知を組織内外の他の形式知と組み合わせ、一つの体系としての新たな形式知をつくり出す「連結化」(Combination)
(4)こうして体系化された形式知は行動や実践を通して、新たな暗黙知としてメンバー全員に吸収され、体化されていく。つまり形式知からまた暗黙知へと変換される。「内面化」(Internalization)と呼ばれる。
この知識変換の4つのモードを、共同化、表出化、連結化、内面化の頭文字をとってSECIモデルという。

SECIモデル:組織的知識創造の一般原理
共同化(Socialization):身体・五感を駆使、直接経験を通じた暗黙知の獲得、共有、創出(共感)。暗黙知⇒暗黙知
表出化(Externalization):対話・思索・喩えによる概念・図像の創造(概念化)。暗黙知⇒形式知
連結化(Combination):形式知の組み合わせによる理論モデルの体系化(物語化)。形式知⇒形式知
内面化(Internalization):形式知を行動を通じて具現化、新たな暗黙知として理解・体得(実践)。形式知⇒暗黙知
>>>>>

この形式知と暗黙知、組織知と個人知がスパイラルアップすることで全員経営に必要な「コモングッド」が共有されるということだ。

>>>>>
衆知を集める全員経営で、社員一人ひとりが自律分散リーダー人材として発揮する実践知の神髄である即興的な判断力は、出発点として「何がよいことなのか」という共通善(コモングッド)の価値基準を持つことがベースになる
 誰もが共通善の価値基準を共有することで、そこに「場」が形成される。
そうなると利益を追求する企業であっても、職業的な倫理観を共有する共同体的な性格を持つようになる。
全員経営や衆知経営を追求すれば、志を同じくするコミュニティ型経営に行き着く。
>>>>>

面白いのはここでもアリストテレスの「コモングッド」の概念が出てくることだ。
マイケル・サンデル教授も『これからの「正義」の話しをしよう』の中で、結局自分はアリストテレスのいう「共通善」を決めることが必要だと思っているということを述べていたのが思い出される。
遠回りのようでいて、実は判断の根底には暗黙知たる「共通善」が必要ということか。

>>>>>

<認知的徒弟制度>

2000年にノーベル経済学賞を受賞した米シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授によると、人の知的能力は、知能検査で測れる「認知スキル(cognitive skills)」と個人的な気質や資質に関係した「非認知スキル(non cognitive skills)」があり、真面目さ、前向きさ、粘り強さ、忍耐力といった潜在的能力に結びつく非認知スキルが重要であるらしい。

また、ポジティブ心理学の創始者の一人、米ミシガン大学のクリストファー・ピーターソン教授は非認知スキルのうち、人生の満足度や達成度に特に深く関わるものとして以下の7項目を挙げた。
・やり抜く力(Grit)
・自制心(Self-controle)
・意欲(Zest)
・社会的知性(Social-Inteligence=人間関係のダイナミックスを悟り、異なる社会状況に素早く適応する能力)
・感謝の気持ち(Gratitude)
・楽観主義(Optimism)
・好奇心(Curiosity)

ヘックマンらの研究によれば、こうした非認知スキルは手本となる師の個別指導や助言を受け、その人格に感化されながら学び取るもので、「良い習慣」の方法によって伸ばすことが出来るとされる。
すなわち徒弟制度である。

認知スキルは形式知であり、外から教えることができる。一方、非認知スキルは暗黙知で、自ら主体的に体得するしかない。

では暗黙知を必要とする、第一線で機動戦を担う自律分散リーダー人材はどうすれば育成できるのか。
重要なのは質の高い経験である。
人材は実践を通じてしか育成できない。実践に勝る研修はない。自己の能力を最大限発揮せざるを得ない状況を与え、高質の経験知を積ませる。要は極限状態の修羅場を経験させるということだ。
もう一つは、新しい形の徒弟制度
徒弟的な関係の中で、身体性を共有すると、主観が共有され、知が一人ひとりに継承されていく。
結果、全体と部分が相似形を形成するフラクタル組織が生まれ、しなやかな強さを持つようになる。

世界的経営コンサルタント、ラム・チャラン氏がGEやP&Gなどの優良企業で幹部候補がいかに育成されてきたかを調べたところ、全て「アプレンティスシップ(apprenticeship)モデル」だったと言う。
>>>>>

人を育てるのに徒弟制度が有効であることは知っていたが、認知スキルと非認知スキルというものがあって、非認知スキルを伝承するため徒弟制度が非常に有効であるというのは、言われてみればちょっと目から鱗だった。

もうひとつポイントとしてなるほどと思ったのが「コモングッド」≒「コモンセンス」をベースとした経営ということだ。
「御社は社風が良くて素晴らしい」などとお世辞とも取れる話しをよく社外の方から頂くのだが、この目に見えない「社風」こそ組織の「コモンセンス」につながるものだ。

>>>>>

<コモンセンスに基づく経営・マネジメント>

哲学者 中村雄二郎氏は、コモンセンスの概念を、アリストテレスに由来する、五感を統合した根源的能力としての「共通感覚」と位置づけた。
これは別の言い方をすれば、人々に埋め込まれた共通の暗黙知と言えるだろう。
普遍的な善と照らし合わせて一番よいバランスを見いだす。
このバランスは足して2で割る妥協ではなく、両立し難いものを両立させ、最善の着地点に落とす「中庸」と呼ぶべきもの。中庸は突き詰めれば、誰もがそれが最善だと感じる共通感覚としての常識に至る。

何が共通感覚かを問うとき、人間としての「生き方」が問われる。その意味で、コモンセンスの経営は「生き方の経営」「存在論の経営」でもある
一方、アングロサクソン型の経営は利益が目的化し、存在論は問わない。だから、ルールによるコンプライアンスが必要になる。
日本は特に1990年代以降、アングロサクソン型の短期利益追求型へと傾斜し、本来持っていたバランス感覚を失った。
ルール作りもアメリカ以上に微細にわたり、オーバーコンプライアンスが組織の活力を削ぐようになってしまった。
>>>>>

なるほど、他にも事例としていくつかの会社が登場する。
時々開いて読む組織デザインの「パタン・ランゲージ」として近くに置いておきたい本だ。