2016年12月31日土曜日

『頭を下げない仕事術』

石川県羽咋市の職員さん時代に、ローマ法王に羽咋市で取れた米を食べてもらって「神子原米」ブランドとして売り出したり、NASAから月の石やルナ/マーズ・ローバー(月火星面探査車)を100年間借受けることに成功して「コスモアイル羽咋」を創設したりした、異色の市役所員、高野誠鮮氏の著作。
タイトルだけ見ると不遜な感じを受けるが、書かれている内容は全く逆。

利他の精神こそ重要という観点で、
「重要な交渉であればあるほど、相手をどうしても説得したい時ほど、人は頭をさげるが、それは失敗の道。 本当に相手のためを思う。利他の心で仕事をすれば、自ずと頭は下がらなくなる。」
というのが本書タイトルの趣旨。

そして、陽明学ではないが、「やってみること」の重要性を説いている。
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○「戦略」をたてる際には「やったことのない人」(予言者)の言葉に惑わされないこと。 「戦略」を考える際、そのアクションを実際にとったことのある人の「体験談」は大いに参考になるが、何もやったことがない人の話は「雑音」以外の何物でもない。
○「予言者」タイプの人には、本当にギリギリの選択が迫られるようなシビアな判断を下すことはできない。経験がないから、「戦略」というものが理解できず、目の前にあることをなんとなく「知っているつもり」で処理していくことしかできないからだ。
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そして、やってみること、自分ごととして判断することを国として実行できている国としてアメリカを挙げている。
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○アメリカは近代以降、常に世界の先頭を走ってきた国。緻密に張り巡らされた戦略があり、それを実行してきたからこそ世界のリーダーという実績に結びついてきた。その意味で「最も経験のある国」。
しかも、この国が素晴らしいのは、そんな過去の戦略を惜しげもなく公開していることだ。こんな「経験のある国」が書いたものは、仕事を成功に導くヒントが随所に潜んでいる「宝の山」以外の何物でもない。
○1953年に開催された「ロバートソン査問会」はCIAが、どうしたら大衆が動くのか、人がなびくのかという戦略を話し合った会合。そのレポートは、当時のアメリカ中の叡智がまとめた。国防総省のトップや、ノーベル賞をとった物理学者、天文学者など、皆口や論理だけではなく「自ら経験した人」たち。
そのレポートによると、人は目と耳に自然と流れ込んだ情報により、最も強力に扇動されるという。
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そして、このアメリカが生き残るために最も参考にすべき国・民族として挙げたのがなんと日本ということ。日本人はもっと自信を持っていい。
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○コミュニティの中にいると、内部の悪いことしか見えてこず、中々良いところには気づかないもの。日本人は特にその傾向が強い。
自分の子供は悪いところがよく見えて叱るが、他人の子供はいいところがよく見えたりする。それと一緒。
○1968年のNSA(国家安全保障局)の草案。地球外の行動な知的生命体(宇宙人)と公式に交流しなければならなくなった場合に、何を参考にすればいいのかというレポート。
地球人が高度な文明、科学力を持つ宇宙人と接触し、交流を重ねていくことを想定した場合、地球上で最も参考にすべきケーススタディとされた国と民族、それが日本であり、日本人とされている。
○日本は長い鎖国の後、自分たちよりも科学技術が優れた西洋文明と出会いながらもそれに呑まれることなく、独自性を保ち、やがては西洋列強と並ぶまでに成長した。
○その日本民族分析の一部を抜粋。
①他民族(宇宙人の想定)よりも劣っている自らの特質は全面的かつ率直に認める。
中略
③無理強いされてもやむを得ない状況にある相手側との交渉においては、相手側に有利な行動のみをとるなど、極力、自制する。
④相手側に対しては品行方正かつ有効的な態度をとる。
⑤相手側の技術的、文化的強さ及び弱さの全てを可能な限り(地球の)全民族が一致して熱心に学び取る。
○こうした民族性があるから日本人は、文化や科学の水準が高い民族と出会っても生き残ってきた。彼らはそう客観的に分析している。
○サバイバルのモデルは「日本民族」であるという考察を紹介。
「もしUFOの一部が彼らの乗り物であるとするならば、彼らの方が我々よりはるかに行動な文明を有していると考えられる。地球上の歴史を見ると、技術的に進んだ文明を送れた文明が遭遇した場合、技術的に進んだ文明の方が概して攻撃的であり、技術的に遅れた文明は、制服されるか絶滅するといった運命を辿ってきた。したがって、UFOが地球以外の知的生命体の産物であるとするならば人類にとって脅威である。遅れた文明が、進んだ文明に遭遇した際にとるべき生存のための方策は、いくつか考えられる。一番良い方法は、かつて日本民族が成功したように、自己の独自性が失われないうちに大至急進んだ文明の技術的文化的な強さの秘密をできるだけ早く学び取ることである。できれば選りすぐった人たちをその世界に送り込んで生活させ、進んだ文明の長所・短所を学び取る必要がある。できる限り素早く、可及的速やかに学び取ることだ。」
○「富国強兵」のため、日本の官僚たちは輸出産業の強化を目指した。 当時、欧州では紅茶が人気だった。紅茶の輸出元といえば、スリランカ、やインド、中国などが有名だが、実は日本でも官僚が主導して、四国の四万十や九州の島原などで紅茶を生産、輸出していた。
紅茶など、当時の日本では誰も飲んだことがなかった。しかし、欧州などに留学経験があった当時の高級官僚は、これが世界の「戦略農産品」だということを肌身で感じていたのだ。
まさしく彼らは「役人」として日本の役に立つことを真剣に考え、死に物狂いで西洋の戦略を取り入れていたのだ。
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仕事をしていくにあたって、やってはいけない心得について。
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○一言で言うと「金色夜叉」。これは貫一・お宮の小説で知られる言葉。
もともと、「金色」は金欲、そして「夜叉」とは権力欲を表している。
仕事をしていく上で、「金色夜叉」にとらわれれてしまうのは、間違いなく破滅の道。
○日蓮聖人『開目抄』に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」とある。
徳の低い人から褒められるのは、自らの徳の低さを示す、ということ。
○「金色夜叉」、「褒められたい」という煩悩以外にもう一つ、破滅の道へと導くものがある。それは「セクショナリズム」(セクト主義)。
「セクショナリズム」というのは、結局は自分自身を殺すような愚かな行為。
「セクショナリズム」のことを考えるといつも「がん」が頭に浮かぶ。
「がん」がなぜできるか。がん細胞というのは周囲の細胞と比較してもセルフィッシュ(利己主義)、つまり「自分だけ生きたい」という力が強いため、周囲の細胞を殺し、やがて全身を蝕み、殺してしまう。
○このように愚かなことであるにも関わらず、世の中のほとんどの人は無意識にセクショナリズムに囚われてしまっているという厳しい現実がある。
それを象徴するものの代表格が「企業秘密」。
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BREXIT、トランプ大統領など今年の想定外は全て「ナショナリズム」の傾向を示している。ナショナリズムとはすなわち「自国最適」と言うことだ。ある意味セクショナリズムとも言える。
「自国だけが栄えれば良い」と言う発想が強くなりすぎると、その国は地球の中での「癌細胞」となってしまうのではないだろうか。


本当の自然由来のものは「腐らない」。「枯れる」のみ。
と言うのも新鮮だった。
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○青森県で完全無農薬のリンゴ栽培(奇跡のリンゴ)に成功した農業家の木村秋則(あきのり)さん。
「あのね、高野さん。自然栽培でつくったものは枯れるの。腐るのは、そこに余計なものが入っているからなの
○木村さんの農法で作ったリンゴは腐らない。枯れる。
人間の手を加えられず、自然のままに育ったものは、本来腐らない。
腐っている山菜はない。腐っている山野の木もない。自然の中にある植物というのはすべからく「枯れる」。
木村さんが実践している自然栽培で作られた野菜・果実の最大の特徴は「腐らない」ということ。
○なぜ、スーパーで売っているような野菜は腐るのか。これは化成肥料や未完熟な有機肥料という余計なものを使っているから。
○自然栽培と有機農法は天と地ほどの違いがある。そもそも、近年うたわれている有機農法は有機ですらない。
昔は有機肥料を作るのに4〜5年間の時間をかけていた。発酵したキノコの臭いや土臭い香りがしてくるまで完熟させ、ようやくはじめて肥料として使えたわけだ。
しかし今は効率化のため、ほとんどの場合においてこれを強引に時短させ、わずか1年で有機肥料をつくってしまう。
江戸時代には、有機肥料を作るのが火薬奉行だった。古来、成熟1年程度の有機肥料は、火薬の原料だった。火縄銃や大砲の火薬を作るため、糞尿、枯葉を用いて、 1年ほどで硝酸カリウムの濃度をピークにまでもっていって結晶化する。そしてこれに硫黄と炭とを混ぜて黒色火薬をつくっていた。
しかし、この「1年もの」は、火薬にこそ適しているものの、肥料として使うには大変危険なもの。火薬の元となる成分(硝酸塩)を人が食べると、胃酸と反応してニトロソ化合物が生成され、危険な発がん性物質になる。
○こういった中途半端な有機肥料を用いた野菜はよく虫に食われる。
「うちの大根は虫に食われているからうまいぞ」なんてこともよく聞く。
でも違う。本当は逆で、自然界にある野菜は虫に食べられない。
腐ったものにハエがたかるように、腐敗臭が虫を惹きつける。腐ったものは人は食べられない。それを虫は我々に教えてくれる。警告者のような役割を実は虫たちは担っている。
○この自然の摂理は、仕事においても全ての根幹をなす原理原則。
会社のためを考え、相手が喜ぶようなことを考えて仕事に取り組んできた人は、皆に惜しまれながら定年退職をする。これは、サラリーマンの「枯れる」姿。
我欲という「余計なもの」を心に入れず、「滅私奉公」で勤め上げてきた人間というのは枯れていく。
しかし、自らの金欲や出世欲のためだけに働いていた人間は、決して枯れない。
「余計なもの」で心が満たされているから、腐る。
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「枯れる」サラリーマン。。個人的にもテーマとなりそうな内容だ。

地域活性化に関する著者の意見。
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○我々は「身体」という優れたものから大いに学び、模倣すべき。
例えば、身体は必要な場所に必要な量の血液しか流さない。
経済において、貨幣は血液にたとえられる。必要な場所に、過不足のない正しい量が流されれば、細胞は健全に成長し活動する。そしてその血液(=貨幣)は適切に消費されたのちに静脈に戻っていく。
この理想的な循環システムを経済は模倣すべき。
○地域の活性化にも言える。
人体の部位をずっと動かさずに放置するとどんどん痩せていく。「身体」は「痩せるのは動かさないから」という真理を我々に教えてくれる。
地域において「動かさない」というのは、経済活動がないということ。人は来ないし、お金も落としてもらえない。商店街はシャッターの降りた店ばかり。
これはその地域が痩せ細っている状態。だったら手当てをしなければならないが、ここで勘違いをしてはいけない。
「頭」で考えると「痩せるのは栄養が足りないせいだ」という理屈から、痩せた地域にじゃぶじゃぶと、ひたすら税金という栄養を送り込みさえすればいいと勘違いしてしまう。
廃れていくのはお金がないからではない。
「動いていない」ことが問題なのだ。 地域を活性化するのに本当に必要なのは「動かす」こと。
組織や地域社会を闊達に動かす。
もし限界にまで達しているような集落ならば、まずは全体のリハビリ運動から。
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その昔学生時代に、手賀沼の「富栄養化」について調査した時、
「”栄養化”っていいことじゃないの?」
と思ったことを思い出す。
手賀沼の場合、富栄養化により、アオコなどの植物性プランクトンが増殖しすぎて、水中の酸素が欠乏し、魚の棲まない死の沼となるということ。(実際当時の手賀沼は日本で一番水質の悪い湖沼として名を馳せていた)
簡単にいうとバランスが取れている生態系にとっては、プラスに振れようが、マイナスに振れようが、どちらであっても大きくブレることはサステナブルではなくなるということ。
地方活性化においても、いきなり税金投入ではなく、まずは「動かす」ことを重点的にやるべきだというのが著者の考え方だ。
地方で実績を残してきた人の考え方だけに重みがある。


著者はいろんな実績を実際に残している訳だが、それを実現するためのコツを他にも披露している。
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○交渉では「お願い」ではなく、情報を伝え、「相手の事情」を尋ねる
仕事で誰かの協力を得たいときは、「お願い」ではなくて「質問」をする。この大切な考え方は、神奈川大学名誉教授の、宇宙物理学の世界的権威、桜井邦朋先生から教えられたもの。
情報は「遠方」から流す
日本人には近い存在のものを過小評価する傾向がある。情報というのは、雪山を転がる雪玉のように、長い距離を転がるほど大きくなり、勢いが増すもの。
今いる場所からできるだけ距離が離れた遠方に飛ばした方が勢いをもって戻ってくる。
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著者は日本の「戦略的農産物」に関する提案もしている。
宇宙、地球、国、地域、生物といったことを同じメタファーとして捉えられる人は色んなことを考えることができるようだ。

タイトルだけ見ると記載されている内容を曲解しそうな本だが、非常に良書。
読みやすいし、色んな人にオススメ。



2016年12月10日土曜日

『住友銀行秘史』

イトマン事件で独自で奔走し、大蔵省とマスコミに「内部告発状」を送った國重氏の曝露本。
國重氏の当時のメモを補完する形で時間軸に沿って書き進められているので、全体像が分からない推理小説のような面白みがある(読者は著者と同じ情報しかない中で読み進めることになる)。
そして恥ずかしながら、イトマン事件についてもよく知らなかった(推理小説における結末も知らなかった)ので、非常にドキドキと楽しめた。

現場と離れた大組織のトップの世界においては保身が横行し、やるべきことをやる人、言うべきことを言う人が動かないことで組織がおかしくなっていくと言う現実を垣間見た感じだ。

今、自分の業務でもそういった世界を垣間見ているので(レベル感は当書の内容と大違いだが)、國重氏の悩みや、憤りは非常に共感できた。

ただし、外部圧力(マスコミやら監督官庁)を使うために「告発状」を送付すると言うのは、一つ間違えると会社そのものをおかしくする可能性もある「不可逆な行動」であるので、いい意味でも悪い意味でも、たった一人の個人の考えでよく動けたものだと思った。

コトの大小はともかく、こういったことは星の数ほど繰り広げられているのであろう。
自分が仕事をするにあたって、誰か関係者が後に曝露本を書いても恥じることのないように生きていきたいものだ。