2015年1月10日土曜日

『読む餃子』

会社に「餃子部」なるものがあって(もちろん会社非公認)、時々会合が開かれる。
何故か得てして場末にある餃子の名店にお邪魔して餃子を食するというものだが、そういえば”餃子”というものについて実はあまり蘊蓄がないということに気づき、立ち読みしたら面白かったので購入した本。
パラダイス山元さんという会員制餃子の店「蔓餃苑」の苑主、入浴剤ソムリエ、マン盆栽家元などを歴任(?)する方が餃子に対する愛を書いたエッセー集。

というわけで以下餃子蘊蓄ピックアップ。

餃子は「食べて」「交わる」と「子供」ができると書く。

◯市販の皮68種類の「エア餃子」対決で頂点を極めたのは、モランボンの「もち粉入り餃子の皮」(20枚入り)。

餃子のルーツを調べていくと、もともとはニンニクは入っていなかったらしい。
餃子チェーン店のお偉いさんに会った際、聞いてみたところ 「ニンニクが入ってないと餃子って何個食べても満足感が得られないものなんですよ。一皿六個、いやW餃子の十二個ぐらいで、満腹中枢のシグナルが灯る量のニンニクをうちは仕込んでいます」
なるほど、街のサラリーマンがランチタイム時に、予算内で慌ただしく書き込む餃子定食には秘密が隠されていたのです。
ニンニクは、一皿か二皿でほどほどの満足感を得るために仕込まれたものだったとは。
中国から引き揚げた日本人が、その当時豚肉ではなく羊肉で餃子を作り始めたので、特有の臭みを消すことを目的に入れ始めたという説もありますし、 労働者にスタミナをつける目的で、うちがニンニク入り餃子の元祖だと主張している店もあります。

◯東京ディズニーシーの「ギョウザドッグ」
「お醤油とカラシ下さい」と言うと、袋入りの醤油とカラシを手渡してくれる。言わないともらえない。

IHクッキングヒーターでは、美味しい餃子は焼けません。
美味しい餃子を焼くために必要な絶対的な火力の不足、温度調節の難しさ、そして焼きムラに関しての問題は、現状何ら克服できていません。
パリで餃子を焼いたときはIHヒーターでしたが、やはり220Vの電圧のために火力は抜群。それでも、すぐに火力が落ちないというのが難点ではありました。
美味しい餃子を焼くには、ガスコンロが一番。

中国では焼き餃子を「日式餃子」という。
日式餃子は、日式たこ焼き、日式焼きそば、日式カレーライスとともに、日本スタイルの食文化として、今後更に多くの中国人を魅了していくことでしょう。

パラダイス山元氏は元々富士重工業のカーデザイナーだったのだが、”餃子”の他、盆栽、入浴剤、マンボ(音楽)など色々なニッチ専門家ともなっているスゴい人だ。
「自腹店舗開拓チャレンジで、それが口に合わなかった場合、自分の勘が鈍っていたんだと素直に認めます。」
「舌を憎んで、店を憎まず」
とか、
「何事も生涯学習」
とか、人柄としても何か惹かれるものがある。

というわけで今年も餃子道に励もう。


2015年1月4日日曜日

『なぜ、一流の人は「疲れ」を翌日に持ち越さないのか』

年末にインフルエンザに罹患した。
インフルエンザワクチンをうち、外出時には予防のマスクをしたのに結局罹患した立場として、「どうすればインフルエンザにかからなかったのか」という観点で手に取った本。

疲れのV字回復を実現するために「計画的に疲れよ」というのが著者、裴英洙氏の主張。

◯人間の疲労は主に次の3つのタイプに分類できる。
1 肉体的な疲労…簡単に言うと筋肉を動かすためのエネルギーが不足している状態。
2 精神的疲労…人間関係や悩み事などのストレスを原因とする心の疲れ。
3 神経的疲労…長時間のデスクワークや細かい作業などで、眼の神経や脳が緊張した状態が続くことによって起こる頭の疲れ。
疲れはこびりつく前に、すっきりと落としておくことが大切。

◯疲れの原因を見極める。
「生体の3大アラーム」 は「発熱」「痛み」「疲労」
「痛み」や「発熱」の危険信号は、比較的対処がラク。しかし、「疲れ」は「痛み」や「発熱」ほど重要に捉えられていない。日常生活での疲労はジワジワとやってくる。ゆっくり進行するせいで、見逃しがち。気づいた時にはかなり貯蓄されていると思った方がいい。
「疲れを翌日に持ち越さない体」になるためには、このアラームを敏感に感じ取ることが第一歩。
「どれくらいまでやれば疲れるか、どれくらいが自分の「疲れの限界」なのかをすでに知っているビジネスパーソンはそれ以上のリミットを決して超えない。
 F1のレーサーは、車に異常が生じそうな危険水域を超える前にピットインする。超えてしまうことで、その後のマシンのパフォーマンスが大きく落ちることを知っているから。
ビジネスパーソンも同じ。リミットを超える前に、リミットが近づいてきたことを察知し、戦略的に休息し、あっさりと回復することで、素早く戦闘態勢に戻れるのである。
その際間違いやすい点は「疲労」と「疲労感」は違うということ。
「疲労」はカラダや精神に負荷を与えられたときにみられるパフォーマンスの低下。「疲労感」は個々人が感じる心理的なもので、心の持ちように左右される。「疲労感」は”意欲”や”達成感”に大きく影響されてしまうということ。
体は正直。
「疲労感は減らせても、疲労は減らせない」と肝に命じておくことが大切。


う〜ん、なるほど。
今回のインフルエンザ罹患も、ちょっとここ一番休みたい時に休めずに結局ダウンしてしまった気がしないでもない。
著者は、自分で
「徹夜を覚悟した瞬間から、翌日のお昼過ぎまで予定を変更し、午前中はすべて単純作業に切り替える。この日は徹夜仕事になるな、と感じたら、すぐにその翌日は丸一日犠牲にするくらいに割り切る。」
というような疲労コントロールを行っているようだが、正直そこまでできれば苦労はしない。
自分で振り返ってみると、得てして徹夜仕事になるときは別にピンポイントで忙しい訳ではなくて、翌日も忙しい。徹夜したからって翌日にそんな業務の割り振りなんか出来ない状況の方が多い。
でも、それで休みをいれなきゃ後でもっと大変なことになる、というのはその通りで、これには自分のおかれた状況を”カラダ”も含めて客観的に見ることが求められる。


その際に、必要となって来るのが著者の提言する「カラダ手帳」だ。
書くのは自分の体調について感じたことのみ。いつも使っている手帳と合わせて毎日記載することで、継続的に自分のカラダを”見える化”する。
「なぜか体調がよくない」「なぜか集中力がない」というようなことも記載し、それを自分のスケジュールと合わせ読み解くことで、自分の疲労の傾向を読み解くというものだ。
これをやって、日々の疲れを”見える化”することで、自分のカラダを客観的に観察し、F1レーサーばりの”自分のカラダのピットイン必要時期”を見極めるというもの。

著者の裴英洙氏は医者でありながら、コンサルティングファームを経営し、本まで書いているというワラジ履きまくりの人だが、疲れをコントロールすることで効率的に業務をこなしているらしい。
まずは、やってみるという基本原則から行くと、今年は「カラダ手帳」をつけることとしたい。
既に、自分の健康状態で特筆する事由が発生した時(熱が出たとか、お腹を壊した時とか)は記録を付けているのだが、それを日々のスケジュールと合わせて記載し、”点”を”線”として読み解くことが肝心ということか。
◯日坊主にならないように頑張ろう。

2015年1月2日金曜日

『社内政治の教科書』

高城幸司氏が書いた課長向けの社内政治の教科書。
課長向けというのがポイント。

課長の仕事は、「人を動かす」こと。
課長にとって「社内政治」は最重要の仕事である。

もうちょっと具体性を持たせていうと、課長の仕事とは
1 現場で起こっていることを経営に正確に伝えるとともに、経営の意思を部下に実行させる。
2 市場や会社全体の動きを見据えた上で、課の中長期的な方針・目標を明確にし、部下と共有するとともに業務進捗を管理する。
3 部下を指導・育成・監督するとともに、部下が働きやすい環境を整える。
ということ。

そんな整理をした上で、
社内政治とは、「影響力のゲーム」だ
と著者は喝破する。

では「影響力」とは何か。
著者は、社会心理学者のロバート・B・チャルディーニの著作から
「他人から『イエス』を引き出す能力」
と定義している。
自分の目指す方向へと相手に自発的に動いてもらうように促す力のことだ。

影響力には自己増殖性がある。
一つの影響力が形成されれば、それが別の影響力を強化していく。
だから人事考課の時に”ハロー効果”に気をつけろと言われるのだ。


◯「実績」は影響力そのもの。
◯「部下の昇格」は課長の最重要課題のひとつ。
◯「味方を増やして、敵をつくらない」のは社内政治の鉄則。
しかし、「八方美人」は必ず「八方塞がり」になる。場当たり的な対応は、いつか必ず破綻する。
課長は政争からは距離をとることを意識すべし。
◯社内政治は長期戦である。
「信頼」を貯金した者が、長期的には優位に立つ。
では、信頼を勝ち取るためには、どうしたらいいのか。答えはシンプル。
誠実であること。
これ以外にない。
課長時代は、若い人の支持を勝ち取る「最後のチャンス」。

なんかこれだけだと身も蓋もない感じだが、他にも社内を泳ぐにあたっての課長に向けたアドバイスがたくさん。

◯パワーの測る指標は次の3つ。
1 人事権
2 予算(事業規模)
3 人員数
これを押さえると権力が見えてくる(らしい)。
他にも昇格の人事を見ることでもどこに権力があるのか見えてくる(らしい)。

◯部下の管理については、中坊公平氏の
「正面の理、側面の情、背面の恐怖」
で臨め。
その際にも「刀」を抜く時は一瞬でかたをつけること。
「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦渋をなめさせなければ、それだけに人の憾みを買わずにすむ。これにひきかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」
 by マキャベリ

◯部下の管理でいうと、よく褒めるが8割、叱るが2割などと言われるが、重要なのは相手のことをちゃんと見ているかどうか。

◯まず、人に与えよ。 しかし、善人にはなるな。 これが社内政治の鉄則。
 長野県上田市前山寺(ぜんさんじ)の石に刻まれた言葉
 かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。


社内政治の話とはチトはずれるが、著者(元リクルート勤務)が経験から導きだした鉄則が面白い。
◯「共同経営体制」などは幻想。
組織において、複数の者が対等に権力を持つなどということはあり得ない。
権力は必ず集中する。そして、パワー・バランスが崩れた時には、権力をめぐる政治的闘争が必ず起こる。


それにしても、こんなタイトルの本を読もうと思ったのも社内政治に巻き込まれそうな予感がしたからか。
予感が当たりませんよ〜に。

『地方消滅』

人口動態から読める日本のありよう。課題について述べた本。
いわゆる経済見通しと違って、ほとんどぶれない人口動態という事実から導きだされるあまり知りたくない現実がここにはある。

◯日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。
このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている。(日本の将来推計人口 平成24年1月の中位推計)
戦後1947〜49年の第一次ベビーブームのとき4.32だった日本の合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子供の平均数)は、低下傾向で推移し、2005年に過去最低の1.26を記録した。2013年には1.43まで回復しているものの、依然として低い水準に留まっている。
人口数を維持するのに必要な出生率を人口置換水準と言うが、2012年の日本の場合、これが2.07と言われている。1.43という数字は、将来、日本の人口が現在の約7割に減少することを意味している
◯単純に計算すると、出生率回復(約2.1になるまで)が5年遅れるごとに、将来の安定人口数は300万人程度減少する結果となる。
日本は、2040年までの「老年人口増加+生産・年少人口減少」の第1段階、2040年から2060年までの「老年人口維持・微減+生産・年少人口減少」の第2段階、2060年以降の「老年人口減少+生産・年少人口減少」の第3段階という三つのプロセスを経て、人口が減少していくことが予測されている。
この人口推計を見ると、人口減少が本格化するのは2040年以降ということになる。しかし、注意すべきは、この減少プロセスはあくまでも日本全体を示していることである。多くの地方にとっては第2段階、第3段階の人口減少は、正に「現在」のことなのである。

☞少子化高齢化の世界最先端をいっている課題先進国 日本。
実は地方ではその課題先進国 日本の将来が”今”起こっているということだ。


◯戦後、日本では3度にわたって地方圏から大都市圏に大量に人口が移動した。
第1期は、1960年〜1970年代前半までの高度成長期。その後1970年代になると、第一次石油危機の到来により、日本経済は高度成長期から安定成長期に移行した。一方で、向上が三大都市から地方に分散することで、経済力の地域間格差は縮小した。その結果、都市部からのUターンやJターンが起こる一方で、関西圏、名古屋圏から人口が流出するなど、人口移動は均衡した。
人口移動の第2期は1980年〜1993年で、バブル経済期を含む時期である。その後、1993年のバブル崩壊に伴い、東京圏や地方中核都市で景気低迷が続いた結果、経済力の地域間格差が縮小し、東京圏から地方への人口の回帰が起こった。
第3期は、2000年以降の時期である。円高による製造業への打撃、公共事業の減少、人口減少等により、地方の経済や雇用状況が悪化したことが要因であった。これに伴い若年層を中心に地方から東京圏への人口流入が再び生じ、現在に至っている。
注意すべきは、現在まで続く第3期は、第1期、第2期とは性格が異なるということだ。
第1期、第2期が大都市圏の「雇用吸収力の増大」に由来する「プル型」であったのに対して、第3期は、地方の経済、雇用力の低下が原因の「プッシュ型」となっている。
これは地方の経済雇用基盤そのものが崩壊しつつあることを意味しており、地方が「消滅プロセス」に入りつつあることを示しているといえよう。

2010年から40年までの間に「20〜39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は896自治体、全体(1799自治体)の49.8%(消滅可能性都市)
さらにそのうち、2040年時点で人口が1万人を切る市町村は523自治体、全体の29.1%にのぼる。これら523自治体は「このままでは消滅可能性が高い」と言わざるをえない。


よく
「東京に人材含め資産を一極集中させて効率化を図って世界と対抗すべし」
という説を聞くが、実は人口動態からみるとそれは全くの愚作であるというのが著者の主張だ。

<極点社会の到来>
まるで東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝集し、高密度の中で生活している社会、「極点社会」である。

<人口のブラックホール現象>
若年層を供給し続けて来た地方が消滅する一方で、人口稠密地域の大都市圏は一貫して低出生率である。特に東京都の出生率は2013年で1.13と際立って低い。
さらに今後は高齢者対策の費用が急増し、子育て支援など少子化対策に投入する財源にも限界があるため、出生率の大幅な向上は現実的には見込めないだろう。
人口稠密地域において出生率が低いという現象は、シンガポール(1.20)や香港(1.20)でも見られる。大都市圏への人口移動によって出生率が低下している現象は、日本に限らず多くの国において報告されている。
大都市圏のみが存在する「極点社会」の延長線上には、日本全体の人口減少がさらに加速化していく事態が想定される。「人口のブラックホール現象」と呼ぶことができよう。
日本全体の出生率を引き上げ、「人口減少」に歯止めをかけるためには、人口の大都市圏への集中という大きな流れを変えなければならない。 先進国の主張都市人口が各国の全人口に占める割合を見ると、東京だけが上がり続けている。(パリ、ロンドン、ニューヨーク、ローマ、ベルリンは横ばいもしくは微減)
「極点社会」は、経済変動への耐久力の面でも課題が多い。「極点社会」における大都市には、集積効果を追求する経済構造がつくり出される可能性が高いが、これは逆に大きな経済変動に弱い「単一的構造」ということができる。大震災などの大規模災害リスクに対する対応という点でも問題がある。
こうした観点から、我が国では、「極点社会」の到来を回避し、地方が自立した多様性のもとで持続可能性を有する社会の実現を目指すことが重要となるのである。

☞東京に人口(特に若年層)が集中しても、そこから人口を殖して再分配する機能が東京という都市にないということである。
本来、東京という都市で子育てしやすい環境を整えるというのが最善の解決策のように思えるが、あまりに一極集中し過ぎている首都圏においてそれが現実的でないというのが著者の主張であり、現実的にはその通りであろう。
そうなると、東京に若年層を呼び込むことは日本人口の急激な減少につながる、持続可能性のリスクヘッジの観点からも地方分散が急務であるというのが著者の主張だ。

では、どうしたらいいのかという具体策については、「人口ダム機能を備えた防衛・反転線」としての地方中枢拠点都市の創設など様々な提言がなされている。
(詳細は本書をお読み下さいませ。)

希望をつなぐデータとしては、若年層夫婦は「できれば子供はもっと欲しい」と思っているということ。

◯2010年出生動向基本調査結果における、夫婦の「理想子供数」は平均2.42人「予定子供数」は平均2.07人であること、独身女性の結婚希望率が89.4%、「(結婚した場合の)希望子供数」が2.12人であることを踏まえると、現時点での「希望出生率」としては1.8人という水準が想定される。


具体策について、本当に実行できるのだろうかということを考えながら読みすすめた。
具体策については、大半が著者がいうように「撤退戦」であり、耳障りのいい政策のみが遂行されていく現在の政治を振り返って、実行できる気がせず、ちょっと民主主義の限界みたいなものも感じてしまった。
「朝三暮四」という諺があるが、同じことはサルの世界だけでなく人間の民主政治においても起こっているのではないか。


今年の抱負

昨年の抱負は「一所懸命」だった。
昨年は4月に会社で人事異動があり、年初に思っていた業務とは別の仕事をやることとなった。
正直、このタイミングで異動なのか?という思いもあったが、会社の人事とはそういうものだろう。異動先は会社の中ではむしろ元いた部署より花形の部署なので、文句を言っては罰があたる。
業務自体は経験したことのある業務ではあるが、昔とは色々勝手が違っていて、まるでまた新しい業務と言ってもいいくらい手探り状態だった。
今年は手探り状態だった状況から一歩進んで行く、進めるという意味で

「進」

を今年の抱負としたい。
(おりしも『”進”撃の巨人』が流行ってるしね)
今年も全力で頑張ります。


『常に前向き。一歩前進』と『常に周りへの感謝を忘れずに』。
自分も大切にしている、この二つのポリシーが組合わさると
全く別の文脈で使われるという面白い(?)事例。
男性陣にしか分からないかな。