2017年1月15日日曜日

『オープンダイアローグとは何か』

精神科医の斎藤環さんが惚れ込んだフィンランドの治療方法の紹介本。
タイトルだけ見るとワークショップ系の内容かと思うが、実は統合失調症などの精神疾患患者に対する治療方法がメインの主題。
でも、その手法の背景にある様々な理論がすごく学びにつながる。社会構成主義からヴィゴツキーまで出て来るランナップ。
別に精神科医ではないが非常に参考になった。

<オープンダイアローグ実践のための12項目>

1 ミーティングには2人以上(3人がベスト?)のセラピストが参加する
2 家族とネットワークメンバーが参加する
3 開かれた質問をする
4 クライアントの発言に応える
5 今この瞬間を大切にする
6 複数の視点を引き出す
7 対話において関係性に注目する
8 問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9 症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10 ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11 透明性を保つ
12 不確実性への耐性


この治療法を導入した結果、西ラップランド地方において、統合失調症の入院治療期間は平均19日間短縮された。
薬物を含む通常の治療を受けた統合失調症患者群との比較において、この治療では、服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査で82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまり(対照群では50%)、障害者手当を受給していたのは23%(対照群では57%)、再発率は24%(対照群では71%)に抑えられていた。
これは、関係者から見ると「魔法のような治療」でないとできない数字らしい。


<統合失調症について>

>>>>>
統合失調症いう疾患は、その病理を簡単に説明するのは極めて難しいのだが、あえて一言で言えば「自分と他者の境界が曖昧になる病気」と考えられる。
自分の考えたことが”だだ漏れ”になったり、他人の考えがどんどん入り込んでくるような感覚を訴えることがよくある(思考伝播、思考吹入)。
某有名漫画の影響で、これを「サトラレ」と呼ぶ人もいる。心の声が外から聞こえてくれば「幻聴」という症状となる。
この状態は、普段は自分を守るためにある他者との間の壁が壊れてしまい、外からのノイズを含む様々な刺激が、心の中にどんどん入り込んでくるような状態にたとえることができる。神田橋條治先生は、この状態を”開いている”と表現した。
他者に向けて開かれた状態においては「有害な」他者の被害を受けやすくなる分、「有益な」他者の受け入れも容易になる。
その意味でオープンダイアローグとは、有益な他者の受け入れを容易にするための技術なのかもしれない。

「対話主義」。これはバフチンのアイディア、すなわち「言語とコミュニケーションが現実を構成する」という社会構成主義的な考え方に基づいている。
この視点から考えるなら、精神病は単なる脳機能の障害ではない。それは、共有し伝達することが可能な現実からの疎外、一過性ではあっても根源的でおそるべき疎外を指している。
そうなると、人はまるで”孤島”に島流しになったようなもの。この時人は、耐えがたい経験を語るための声や言葉と言った、一切の媒介を奪われてしまうのだ。

統合失調症の人は、はじめから幻覚や妄想を経験しているわけではない。発症したての初期において彼らを圧倒するのは、むしろ世界観の根本的な変化とでも言うべきもの。
「身体が全く鳴りを潜め、この奇妙な静けさを背景とする知覚過敏(外界のこの世ならぬ美しさ、深さ、色の強さ)、特に聴覚過敏、超限的記憶力増大感(読んだ本の内容が表紙を見ただけでほとんど全面的に想起できる確実感)と共に、抵抗を全く伴わず、しかも能動感を全く欠いた思路の無限延長、無限分岐、彷徨とを特徴とする一時期がある。」
このような、どこへ連れて行かれるかわからない体験は、それが幻覚や妄想という形式に落とし込まれることで、幾分受け止めやすくなる。
そう、正体のわからない恐怖よりは、正体を言葉で言いあらわせる恐怖の方がマシなのだ。
>>>>>
バベルの塔を作って神々の世界に到達しようと試みた不遜な人間たちに対して、神々が行ったことは、コミュニケーションが取れないように言葉をバラバラにしたことだ。
それだけでバベルの塔はもろくも崩壊してしまった。
コミュニケーションの媒介(言葉)がなくなった時の孤独感たるや、いかがなものだろうか。
そう言った患者のための手法としてオープンダイアローグがある。
オープンダイアローグの背景には、「言葉」に対する強固な信頼がある。 それは言い換えるなら「言葉こそが現実を構成している」という社会構成主義的な信念でもある。
だからこそ、「言葉の回復」こそが「現実の治療」をもたらしうる。
理屈・理論だけでなく、実際に成果を出しているというのがすごいと思う。

そして、このケロプダス病院は「スタッフが辞めない職場」らしい。
対話の持つ正常化の力は、患者だけでなく職員にも作用しているのかもしれないと著者は考察している。

「対話」の重要性を再認識した次第。

定年を迎えて引退したらカウンセラーの手伝いをやるのも良い、などと思い妻に話してみたところ
「あなたには向いていない」
とバッサリ。
左様でございますか。

2017年1月9日月曜日

『韓非子』

『孫子の兵法』の著者でもある守屋淳氏の著作。

『韓非子』というタイトルではあるが、孔子の『論語』と韓非の『韓非子』との比較論という整理の方がわかりやすい。
『論語』と『韓非子』という対照的な思想を両極とした軸として考えることで、「そもそも成果の出せる組織とは」といった問いを考える上での原理原則や、思考の物差しを探るために格好の素材としている。

孔子

>>>>>
成果のあがる理想的な組織、という問いに対して、孔子は「よき家庭」を雛形とした組織を描いてみせた。
「上下、同僚間を問わずお互いがお互いを信頼し、自分の得意とするところで力を発揮している。しかも、間違っていることは間違っていると指摘し合う関係を築いている。さらに、助け合い、育みあい、活かし合うような組織」
孔子にとっては、そもそも多くの家庭の寄り集まったものが国であったし、よき家庭の在りようをそのまま拡大したものが、理想的に統治された国でもあった。
家庭が政治体制の雛型であり、基盤である以上、孔子の中では「よき家庭を作ること」と「政治を行うこと」がそのまま直結していた。

戦後の日本の会社というのは、『論語』の価値観とかなり重なり合うような組織を作ってきた。これを「日本型経営システム」と呼んだりもする。
>>>>>

韓非

>>>>>
韓非は、韓という国の王族の一員であった。
自国が弱体化するのを食い止めようと、王にその原因を度々具申していたが、その内容は次のようなものであった。
①法制を明確にしようとしない
②権力で臣下をコントロールしようとしない
③富国強兵に努め、人材を求めて賢者を登用しようとしない
④うわべを取り繕って国を蝕む人物を、本当に功績ある者の上に置いてしまう
①と②は『論語』的な「徳治」に起因する問題だ。

韓非はもともと合目的的とは言えない「国」を、企業やプロスポーツチームのような合目的的な組織に変革しようと試みたのだ。
>>>>>

孔子と韓非の組織観

>>>>>
孔子の組織観は「性善説」という考え方を基にしているようにも見えるが、孔子は必ずしも人を「性善説」でみているわけではなかった。
人はよほどの天才と、よほどの愚か者以外は、教育によって良くも悪くもなる存在だ、と考えていた。
ちなみに、孔子のいう教育とは、知識の習得ばかりでなく、人柄や行動、態度、対人関係やリーダーシップを磨くことにも大きな比重が置かれている。
孔子の組織観とは
「良い組織を作りたければ、ひとまず人を信頼すべきだ」
ということ。
「信頼は信頼を生む」「人は成長できる」
これが孔子の組織感を支える二つの確信であった。
一方、よく「性悪説」と言われる韓非の人間観を一言で言えば、
「人は状況の申し子である」
ということ。

孔子が、人は教育によって良くも悪くもなる、としたのに対し、韓非は、人は置かれた状況によって良くも悪くもなる、と考えた。
二つをあえて一つにするとすれば「性弱説」
人の本性は弱さにある。 地位も名誉も欲しいが、面倒くさいことはしたくないし、辛い思いもしたくない。利益を見ればそちらになびきたくなる。状況が酷くなれば、あっさり悪の方へ落ちていくし、良い状況が続けば堕落していく。。

「しかしその弱さをはねのけ、憧れる力や、師匠からの感化力によって、人は志を持てるし、学ぶことによって成長することができる」 と、人の内面に寄り添う形で考えたのが孔子。
「状況次第で、多くの人は自分の弱さに抗えなくなる。ならば、逆にその性質を利用して、組織や国が回るシステムを作ってしまえ」 と、統治する側の上から目線で考えたのが韓非、ということになる。
>>>>>


『法治』的組織と『徳治』的組織

>>>>>
『韓非子』(『法治』)的な組織。
これを構築・維持したければ「目標を達成したなら、その分増える賞の源泉」が基本的に必要となる。
このためには「パイが拡大している環境」にいるのが、最も簡便な道だ。
しかし、それが難しくなり「賞」の源泉が頭打ちになってしまった場合、『論語』的、ないしはローマ的な精神的・抽象的な「賞」をあてがうことで、維持が可能になる場合がある。
ちなみに、金銭などの物理的な「賞」で人を釣るにしても、もしパイが半永久的に拡大し続けて、利の源泉が尽きなければ、それは原理的にいつまでも可能になるはずだ。
実は、こうした価値観が根強く残っているのがアメリカなのだ。
人種の坩堝と言われる多様な文化的背景を持つ人々をまとめるために、金銭という最も分かりやすい価値観が非常に重視されている点も『韓非子』と酷似する。

『論語』(『徳治』)的な組織。
こちらを構築・維持したければ、根底の制度設計は性悪説においておき、いざという時問題や禍根を取り除けるようにしなければならない。そしてその運用は性善説に基づいて行うことを基本とする。
ただし、そのためには「覚悟」を持った人間が有事の際に上に立ったり、「二重人格」的な人物が普段から(制度を運用する際に)問題の芽を摘み取ったりしておくことが必要になる。
>>>>>
著者はどちらが優れているということではなく、どちらも重要であり、どちらに軸足を置くべきかはその環境によるとしている。
「覇王の道」(覇道=「法治」と王道=「徳治』は両立させる必要がある)
「寛猛、中を得る」(国を治める道とは、寛大さと厳しさ、その中庸をとることにある)



「会社も老化する」であったように組織が老化して来ると「前例踏襲」「減点主義」がはびこって来る。
そうすると、「責任を負わないこと」に対して、権勢(地位に付随する権力)が使われることとなる、という見方も言い得て妙であった。

その他にも、中国という国(王朝)の歴史を紐解いて、その基本理念となるものが、韓非の考案した「法治」であり、それは秦への導入から始まっている、というのも面白い。
丁度流行っている漫画「キングダム」の時代を詳述していることもあり、楽しく読めた。


2017年1月3日火曜日

『会社の老化は止められない。』

フェルミ推定の重要性を指摘した細谷功氏の著作。
会社と人間の老化に関するメタファーをもとに、組織も老化現象を起こすのが必然であるということを述べた本。
「会社あるある」が著書内の至る所で論理的に語られている。
「あるある」で済んでいるうちはいいのだが、経営者とするとこの「組織の老化」をどうしていったらいいのかを真剣に考える必要がある。
そんな答えが簡単に出るようなら苦労はしないのだが、それを導く一助になる本。


「老化」とは

>>>>>
「老化」を「後戻りのできない『不可逆プロセス』の進行」と定義する。
それは「数が増える」「均質化する」「複雑化する」ことで劣化する現象で、具体的には以下のようなことが起こる。
・ルールや規則の増加 ・部門と階層の増殖
・外注化による空洞化
・過剰品質化
・手段の目的化
・顧客意識の希薄化と社内志向化
・「社内政治家」の増殖
・人材の均質化・凡庸化
・性悪説化(加点主義→減点主義)
・形式主義化(中身重視→形式重視)

これらは不可逆プロセスで、人間も組織も決してこのプロセスを後戻りして「若返る」ことはない。
人間ではあまりに当たり前のこの法則が、会社という組織体では当たり前ではなく、すべての会社は永遠の命を持っていて成長し続けるという前提で動いているように見えるのは何とも不思議である。
この幻想の原因は一言で言えば「資産の負債化に気づかない」ことである。

もちろんここでいう不可逆プロセスは悪いことばかりではない。「成長」というのも、まさに後戻りしない不可逆プロセスだからだ。
実は「成長」と「老化」という不可逆プロセスは紙一重で、端的に言えば、「完成されるまでの不可逆プロセス」が成長であり、「完成後の不可逆プロセス」が老化である。
>>>>>


不可逆プロセスのメカニズム

>>>>>
不可逆プロセスの「メカニズム」は、会社という組織に内在する様々な「非対称性」によって生じる。
「非対称性」を時間軸に適用したものが「不可逆性」、つまり後戻りができないということ。
さらに元をたどれば、その非対称性は人間が持つ心理的特性と自然界が持つ物理的特性からきている。
心理的特性とは、「見えないものより見えるものに重きを置く」「以前にやったことを繰り返そうとする」「何かを得ることへの期待より、失うことへの恐れの方が大きい」という誰もが避けることのできない性質である。
また、物理的特性とは、会社を一つの大きな集団として見た場合に複雑さや乱雑さが増し、均質化されてくることである。(一般に「エントロピー増大の法則」と言われる)
>>>>>


エントロピー増大の法則

>>>>>
物理における普遍的なルールである万有引力の法則や、量子力学、あるいは相対性理論といったものは、基本的には時間を逆戻しにしても成立する。
これに対して、時間に対する不可逆性を表現しているのが熱力学の第二法則、一般に「エントロピー増大の法則」と言われるものである。
エントロピーは、元は熱力学の世界を説明するために導入された物理量である。熱エネルギーから力学的エネルギーへの不可逆性(力学的エネルギーは100%熱エネルギーに変えられるが、逆は真ではなく、熱エネルギーを力学的エネルギーに変換する際には必ずロスが発生することを指す)を説明するためにも用いられる。
またごく乱暴に定性的な表現をすれば「乱雑さ」を表現する量であると言われている。
このエントロピーという物理量が、物質もエネルギーも出入りしない閉じた一つの系(孤立系)においては時間とともに減少することはなく、増加の一方をたどる、というのが「エントロピー増大の法則」である。
つまり、ある閉じた世界の乱雑性は、時間とともに必ず増大していくことを意味する。

熱力学でエントロピーというと、外部とエネルギーや物質の出入りがない状態(孤立系)での乱雑さの度合いを指しているが、組織の場合、「成果につながらないエネルギー」とも定義できる。
部門間の対立、誤った判断、不満を抱く従業員、器量の足りないリーダー、歯車が狂った組織、現実にそぐわない制度、時代遅れの戦略、不安に覆われた企業文化。。。これらは全て企業のエントロピーを増大させる。言い換えれば秩序を乱すのだ。

「エントロピー増大の法則」の一つの側面には「乱雑性が増大していく」ことがあげられる。
この「乱雑性が増える」とは、一人一人の従業員の方向性がバラバラになることを意味する。
>>>>>


悪貨は良貨を駆逐する

>>>>>
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則と同様に、
「ルーティンワークはクリエイティブワークを駆逐する」
その理由①規則の増加は止められない、②柔らかいクリエイティブワークはかたいルーティンワークに追いやられる、③組織内の評価のされ方で、ルーティンワークをサボれば明確な減点だが、クリエイティブワークをやらなくても減点にはなりにくい
クリエイティブワークにおいては、作業リストを用意するのが難しく、いわば「頼まれもしない仕事をいかに能動的かつ個性的にやるか」が勝負。
クリエイティブワークは、「やるべきことをやっていない」を可視化するのが非常に難しい性質を持っている。
同様に「かたいものはやわらかいものを駆逐する」。
大企業病の例としてよくあげられる「減点主義」こそ、ルーティンワーク増加の原因であり、また結果でもあると言ってもいいだろう。
>>>>>


ブランド

>>>>>
ブランド力を高めることが「会社の老化」に貢献してしまっている。
それは社員の「依存心の増加」である。
「ブランドを築くために」働くのと、「出来上がったブランドの下で」働くとでは、ほぼ正反対の意識になる。
依存心の強い社員が増えれば経費を水膨れさせるばかりか、イノベーションを阻害するようになる。
「大学生の人気就職先ランキングの上になったらその会社はもう落ち目だ」と言われることがあるが、その原因の一つがブランドのジレンマにあると言っていい。
>>>>>
ブランドが老化の促進になるとはびっくり。
よく会社は神輿に喩えられる。2割の社員が実質支えているというような話もまことしやかに語られる。ブランドをつくる(もしくは維持する)意識を持つ(神輿を担ぐ)社員と、ブランドに依存する(神輿にぶら下がる)社員との違いだとも言えるが、ブランドがその依存を強める方向に働くという観点はなかった。


外注化

>>>>>
外注化の動きも(ゆっくりとではあるが確実に)会社の老化に貢献している
単なる「作業」、いわゆる「手足を動かす」だけの業務が真っ先に外注化の対象に選ばれる。要するに「口は出すが手足は動かさない」という方向にどんどん進んでいく。
これはまさに「人間の老化過程」と同じである。
それでも、それで浮いた時間を付加価値の高い仕事に振り向けられていれば救いはあるが、実際は「外注管理」という名の思考停止に陥ってしまう。
単なる手配師となり、コアの業務もいつの間にか外注先に移っているという悲劇も他人事ではない。
このようにすっかり「空洞化」してしまった会社や事業部に配属になった新卒社員などはさらに悲劇である。先述の「ブランドによる勘違い」とは別の意味での「勘違い」が起こる危険性がある。
自らのコアスキルが全くない状態で、発注先の関連会社に対しての「管理」が求められ、会社の看板だけで権威づけをした状態で、実際には何倍も仕事のことを知っている多数の外注先を管理しなければならなくなる。
このような状況でも外部サプライヤーからは、顧客としての一応の敬意を払われるから、「勘違い」モードに入る危険性があることは容易の予想される。
大企業で伝統的な事業を担当している「花形部門」に配属された若手が辿る道は、業界が違っても似たようなものだろう。
これは本人の自覚もさることながら、職場としても、育成計画やローテーションを考える上で十分に留意する必要がある。
>>>>>
まさにこれは会社のあるあるネタである。
とはいえ、業務進捗に際してはついついやってしまうことでもある。
常にハンズオンの意識を持って業務を進めることが必要だということだと思っている。


ソリューションサービスビジネス

>>>>>
「ソリューションビジネス」とは、真に顧客の視点に立って(「提供者側の論理」ではなく)顧客の課題を解決するというアプローチ。
「物売り」の延長に「ソリューション売り」があるというのは大きな誤解。
物売りとソリューションビジネスには、基本的なところでの価値観の相違があり、ソリューションビジネスが成長するにつれてどのビジネスでも一つの大きな壁に突き当たる。それは「自社製品をどこまで『売り付けるか』」ということである。
これは製造業のみならず、パッケージソフトウェアでも金融商品でも「自社商品」を持っている全ての会社が直面している生々しい課題と言える。
製造業において、「ソリューションビジネス」が利益を上げて独り立ちしていくことはできないということをリサーチデータから示したのが、ジェームズ・A・アレキサンダーとマーク・ホーデスで、著書”S-Business”の中で、そのギャップを示している。
製品販売中心から、サービスに「軸足を移せていない」限りは新しいビジネスモデルへの転換は起こせない。基本的にカニバリズム(共食い)という利益相反が起こるからである。
>>>>>
「サービス産業化」というテーマは旬なテーマなので、どの会社においても検討されている内容であろう。
「自社製品を売りつける」という発想があるうちは、真のソリューションサービス化(サービスにて利益を出すこと)は難しいというのが結論だ。
では、どうすればいいのか。
著者は、「新しいコンセプトを持った船を用意する」ことでリセットをかける、ということを挙げているが、そう簡単にはいかない話だ。
これもいろいろな方法論(成功実績)が出てくると、それだけでコンサルテーマとなりそうなネタだ。

閉じた系「日本」

>>>>>
「閉じた系」である日本は「成長」も奇跡的に早かった代わりに「老化」も急速に進んでいる
人材についても、これまでの日本の成功パターンを支えてきたのは大量かつ均質なレベルの高い「オペレーション型人材」であった。
「与えられた枠の中を最適化する」ことにかけて、日本は圧倒的な実力を持っていると言っても良い。
ところが「資産の負債化」が起こっている。
「枠内の最適化能力」という知的資産は「枠そのものを再定義する」というニーズに対しては、枠を破る発想ができないという点でむしろ負債に働くことが多いのだ。
人々に特徴がなくなって平均化し、尖った人が少なくなり、リーダーも「誰がやっても同じ」という雰囲気が蔓延し、複雑な規制にがんじがらめにされて、批判ばかりで有効な代案が少なく、何事にも「分かりやすさ」が求められる。
>>>>>
日本は確かに海外の国に比べると「閉じた系」である。言語(日本語)の壁もそうだし、組織的にも良きにつけ悪しきにつけ「ムラ社会」がベースとなっている。
「成長」も早かったが、放っておくと「老化」も早いというのは非常に説得力がある。
成長は早く、老化を遅くするための手段を考える必要があるということだ。
やはり日本は「課題先進国」、と妙に納得。


思考停止

>>>>>
「思考停止」とは何だろうか。
ここでは、「上位概念で考えられなくなること」と定義する。逆に言えば、「考える」という行為は「上位概念」を扱う思考であるということだ。
老化に拍車をかける要因の一つが「思考停止」である。
自分を客観的に見られなくなり、手段が目的化し、部分最適に陥り、表面事象だけに目を奪われる。思考停止すれば老化が進み、老化が進めばさらに思考停止するという悪循環に陥る。
逆に言えば、「考える」ことによって老化の速度を抑制することができる。社員の思考力を向上させ、考える組織にすることが、老化を遅らせながら世代交代をうまく行う上で必須である。
>>>>>


加点主義と減点主義

・「多様な評価指標」+加点主義人材の多様化
・「多様な評価指標」+減点主義人材の凡庸化



この本の内容は色んな業界の人から「当社(うちの業界)のことですか?」と聞かれたそうだ。
まさにどの会社にもあるあるネタなのであろう。
会社の寿命は30年などとまことしやかに言われるが、会社(組織)も世代交代を行わないと、いずれ滅びるというのはその通りだろう。
頭を使って考え、対応することで老化現象を食い止めつつ、次の世代の主力となる事業を育てるためにはどうしたらいいのか。
大いなる実証実験。やってみたいものだ。

今年の抱負

昨年の抱負として挙げた文字は「拡」であった。
1年前にやっていた業務においては、”軸”はできたので、それを拡げるという趣旨であった。
ところが、4月の異動で新設部署で新業務を行うことになった。
異動先では新しい業務を、新しいメンバーとともに遂行するという非常にパワーを要する状況であった。
また、プライベートにおいても家族が色々と負荷のかかる状況であり、正直よくこなしていると思える環境、近年稀に見る修羅場であった。

今年になったからと言ってその状況は変わっていない。
どうせ公私共々困難な状況であるならば、原理原則に忠実に、迷わず、一歩一歩進んで行くという趣旨で
「貫」
というのを今年の抱負としたい。

貫けなかったら砕けるだけ。倒れるんなら前のめり(笑)
さて、どうなることやら
to be continued

2017年1月1日日曜日

『「いい質問」が人を動かす』

弁護士の谷原誠氏の著作。
「質問すること」の力を再認識させられる。

質問をされると、①思考し、②答えてしまう。
まるで強制されるように思考し、答えてしまう。
人を動かすには、命令してはいけない。質問をすることだ。
人をその気にさせるには質問をすること。
また、人を育てるには質問をすること。

「Why」の使い方

「Why」の使い方には注意が必要。
「なぜ?」と質問されると「なぜなら〜」と答えるように、答えに論理性を求めてしまい、相手が「苦痛」を感じる可能性がある。苦痛を感じてしまうと、相手の気分を害する場合がある。
「なぜ?」を使わないためには、「なぜ」を「何」や「どのように」に置き換えるとよい。
逆に、「なぜ」を繰り返していくと、論理的に考え、次第に問題の核心に迫っていくことができる。特にビジネスで部下に対して質問する場合や、自分で問題を突き詰めて考えるような場合に有効。

「仮にクエスチョン」

「仮に○○だったら、どうですか?」というように、仮定の話をして、相手のニーズを引き出そうとするテクニック。
仮定の話なので、自分の事情は一切話をする必要がない。自分側の事情は一切話さず、相手の情報だけを獲得できる魔法のテクニック。

人を育てる質問の注意ポイント

1 相手の意見を肯定する
2 相手の立場に立ち、どうすれば相手が望む結果が得られるかを考える
3 相手に答えを出させる

自己正当化に邪魔をされずに相手の行動を変えるにはコツがある。それは、相手の自尊心を傷つけないこと。
1 相手の過去の行動を正当化すること。
2 過去の行動の理由とは関係ない理由によって行動の変更を迫る質問をすること。
  (この時、一時的な変更ではなく、永続的な変更を求めることが重要)
3 相手が行動を変更したら、それを賞賛し、今後も継続するよう期待をかけること。

ソクラテスの議論

ソクラテスの議論は質問によって成り立っている。
ソクラテスは、相手に質問することにより、相手の言質を取り、その言質と矛盾するような結論に追い込んでいく質問を繰り出していく。
相手は質問に答えることにより、その答えと矛盾することを言えない立場に追い込まれてしまっているので、ソクラテスの質問術の術中にはまってしまう。
質問する方は、自分の立場を明らかにする必要がない。自分の立場を明らかにしなければ、その論理の矛盾を攻撃されることもなく、黙ってしまうこともない。ただ相手の論理の欠陥を見つけるべく質問をしていればよい。
つまり、質問をする者というのは、自分は安全な立場にいて、相手を攻撃する立場にある者のこと。だから、質問をし続けるソクラテスは議論に負けることがなかった。

そもそも流議論術

弁護士が得意とする論法に「そもそも流議論術」がある。
1 そもそも・・・(価値観)
2 ところで・・・(判断基準)
3 だとするならば・・・(結論)


質問の力が強力であるという認識があるが故に、自分に対しても、他人に対しても、クエスチョンはポジティブであるべきだというのが著者の主張。
あらゆるネガティブ・クエスチョンは、ポジティブ・クエスチョンに変換できるし、変換するべき。
なぜなら、質問には思考を強制するパワーがある。否定的な質問をすれば、相手は否定的に考え、肯定的な質問をすれば肯定的に考える。

人を育てる質問の流れなど、実生活でも活用できる内容が多い。
実践あるのみ。