精神科医の斎藤環さんが惚れ込んだフィンランドの治療方法の紹介本。
タイトルだけ見るとワークショップ系の内容かと思うが、実は統合失調症などの精神疾患患者に対する治療方法がメインの主題。
でも、その手法の背景にある様々な理論がすごく学びにつながる。社会構成主義からヴィゴツキーまで出て来るランナップ。
別に精神科医ではないが非常に参考になった。
2 家族とネットワークメンバーが参加する
3 開かれた質問をする
4 クライアントの発言に応える
5 今この瞬間を大切にする
6 複数の視点を引き出す
7 対話において関係性に注目する
8 問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9 症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10 ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11 透明性を保つ
12 不確実性への耐性
この治療法を導入した結果、西ラップランド地方において、統合失調症の入院治療期間は平均19日間短縮された。
薬物を含む通常の治療を受けた統合失調症患者群との比較において、この治療では、服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査で82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまり(対照群では50%)、障害者手当を受給していたのは23%(対照群では57%)、再発率は24%(対照群では71%)に抑えられていた。
これは、関係者から見ると「魔法のような治療」でないとできない数字らしい。
統合失調症いう疾患は、その病理を簡単に説明するのは極めて難しいのだが、あえて一言で言えば「自分と他者の境界が曖昧になる病気」と考えられる。
自分の考えたことが”だだ漏れ”になったり、他人の考えがどんどん入り込んでくるような感覚を訴えることがよくある(思考伝播、思考吹入)。
某有名漫画の影響で、これを「サトラレ」と呼ぶ人もいる。心の声が外から聞こえてくれば「幻聴」という症状となる。
この状態は、普段は自分を守るためにある他者との間の壁が壊れてしまい、外からのノイズを含む様々な刺激が、心の中にどんどん入り込んでくるような状態にたとえることができる。神田橋條治先生は、この状態を”開いている”と表現した。
他者に向けて開かれた状態においては「有害な」他者の被害を受けやすくなる分、「有益な」他者の受け入れも容易になる。
その意味でオープンダイアローグとは、有益な他者の受け入れを容易にするための技術なのかもしれない。
「対話主義」。これはバフチンのアイディア、すなわち「言語とコミュニケーションが現実を構成する」という社会構成主義的な考え方に基づいている。
この視点から考えるなら、精神病は単なる脳機能の障害ではない。それは、共有し伝達することが可能な現実からの疎外、一過性ではあっても根源的でおそるべき疎外を指している。
そうなると、人はまるで”孤島”に島流しになったようなもの。この時人は、耐えがたい経験を語るための声や言葉と言った、一切の媒介を奪われてしまうのだ。
統合失調症の人は、はじめから幻覚や妄想を経験しているわけではない。発症したての初期において彼らを圧倒するのは、むしろ世界観の根本的な変化とでも言うべきもの。
「身体が全く鳴りを潜め、この奇妙な静けさを背景とする知覚過敏(外界のこの世ならぬ美しさ、深さ、色の強さ)、特に聴覚過敏、超限的記憶力増大感(読んだ本の内容が表紙を見ただけでほとんど全面的に想起できる確実感)と共に、抵抗を全く伴わず、しかも能動感を全く欠いた思路の無限延長、無限分岐、彷徨とを特徴とする一時期がある。」
このような、どこへ連れて行かれるかわからない体験は、それが幻覚や妄想という形式に落とし込まれることで、幾分受け止めやすくなる。
そう、正体のわからない恐怖よりは、正体を言葉で言いあらわせる恐怖の方がマシなのだ。
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バベルの塔を作って神々の世界に到達しようと試みた不遜な人間たちに対して、神々が行ったことは、コミュニケーションが取れないように言葉をバラバラにしたことだ。
それだけでバベルの塔はもろくも崩壊してしまった。
コミュニケーションの媒介(言葉)がなくなった時の孤独感たるや、いかがなものだろうか。
そう言った患者のための手法としてオープンダイアローグがある。
オープンダイアローグの背景には、「言葉」に対する強固な信頼がある。 それは言い換えるなら「言葉こそが現実を構成している」という社会構成主義的な信念でもある。
だからこそ、「言葉の回復」こそが「現実の治療」をもたらしうる。
理屈・理論だけでなく、実際に成果を出しているというのがすごいと思う。
そして、このケロプダス病院は「スタッフが辞めない職場」らしい。
対話の持つ正常化の力は、患者だけでなく職員にも作用しているのかもしれないと著者は考察している。
「対話」の重要性を再認識した次第。
定年を迎えて引退したらカウンセラーの手伝いをやるのも良い、などと思い妻に話してみたところ
「あなたには向いていない」
とバッサリ。
左様でございますか。
タイトルだけ見るとワークショップ系の内容かと思うが、実は統合失調症などの精神疾患患者に対する治療方法がメインの主題。
でも、その手法の背景にある様々な理論がすごく学びにつながる。社会構成主義からヴィゴツキーまで出て来るランナップ。
別に精神科医ではないが非常に参考になった。
<オープンダイアローグ実践のための12項目>
1 ミーティングには2人以上(3人がベスト?)のセラピストが参加する2 家族とネットワークメンバーが参加する
3 開かれた質問をする
4 クライアントの発言に応える
5 今この瞬間を大切にする
6 複数の視点を引き出す
7 対話において関係性に注目する
8 問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9 症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10 ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11 透明性を保つ
12 不確実性への耐性
この治療法を導入した結果、西ラップランド地方において、統合失調症の入院治療期間は平均19日間短縮された。
薬物を含む通常の治療を受けた統合失調症患者群との比較において、この治療では、服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査で82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまり(対照群では50%)、障害者手当を受給していたのは23%(対照群では57%)、再発率は24%(対照群では71%)に抑えられていた。
これは、関係者から見ると「魔法のような治療」でないとできない数字らしい。
<統合失調症について>
>>>>>統合失調症いう疾患は、その病理を簡単に説明するのは極めて難しいのだが、あえて一言で言えば「自分と他者の境界が曖昧になる病気」と考えられる。
自分の考えたことが”だだ漏れ”になったり、他人の考えがどんどん入り込んでくるような感覚を訴えることがよくある(思考伝播、思考吹入)。
某有名漫画の影響で、これを「サトラレ」と呼ぶ人もいる。心の声が外から聞こえてくれば「幻聴」という症状となる。
この状態は、普段は自分を守るためにある他者との間の壁が壊れてしまい、外からのノイズを含む様々な刺激が、心の中にどんどん入り込んでくるような状態にたとえることができる。神田橋條治先生は、この状態を”開いている”と表現した。
他者に向けて開かれた状態においては「有害な」他者の被害を受けやすくなる分、「有益な」他者の受け入れも容易になる。
その意味でオープンダイアローグとは、有益な他者の受け入れを容易にするための技術なのかもしれない。
「対話主義」。これはバフチンのアイディア、すなわち「言語とコミュニケーションが現実を構成する」という社会構成主義的な考え方に基づいている。
この視点から考えるなら、精神病は単なる脳機能の障害ではない。それは、共有し伝達することが可能な現実からの疎外、一過性ではあっても根源的でおそるべき疎外を指している。
そうなると、人はまるで”孤島”に島流しになったようなもの。この時人は、耐えがたい経験を語るための声や言葉と言った、一切の媒介を奪われてしまうのだ。
統合失調症の人は、はじめから幻覚や妄想を経験しているわけではない。発症したての初期において彼らを圧倒するのは、むしろ世界観の根本的な変化とでも言うべきもの。
「身体が全く鳴りを潜め、この奇妙な静けさを背景とする知覚過敏(外界のこの世ならぬ美しさ、深さ、色の強さ)、特に聴覚過敏、超限的記憶力増大感(読んだ本の内容が表紙を見ただけでほとんど全面的に想起できる確実感)と共に、抵抗を全く伴わず、しかも能動感を全く欠いた思路の無限延長、無限分岐、彷徨とを特徴とする一時期がある。」
このような、どこへ連れて行かれるかわからない体験は、それが幻覚や妄想という形式に落とし込まれることで、幾分受け止めやすくなる。
そう、正体のわからない恐怖よりは、正体を言葉で言いあらわせる恐怖の方がマシなのだ。
>>>>>
バベルの塔を作って神々の世界に到達しようと試みた不遜な人間たちに対して、神々が行ったことは、コミュニケーションが取れないように言葉をバラバラにしたことだ。
それだけでバベルの塔はもろくも崩壊してしまった。
コミュニケーションの媒介(言葉)がなくなった時の孤独感たるや、いかがなものだろうか。
そう言った患者のための手法としてオープンダイアローグがある。
オープンダイアローグの背景には、「言葉」に対する強固な信頼がある。 それは言い換えるなら「言葉こそが現実を構成している」という社会構成主義的な信念でもある。
だからこそ、「言葉の回復」こそが「現実の治療」をもたらしうる。
理屈・理論だけでなく、実際に成果を出しているというのがすごいと思う。
そして、このケロプダス病院は「スタッフが辞めない職場」らしい。
対話の持つ正常化の力は、患者だけでなく職員にも作用しているのかもしれないと著者は考察している。
「対話」の重要性を再認識した次第。
定年を迎えて引退したらカウンセラーの手伝いをやるのも良い、などと思い妻に話してみたところ
「あなたには向いていない」
とバッサリ。
左様でございますか。
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