2017年1月9日月曜日

『韓非子』

『孫子の兵法』の著者でもある守屋淳氏の著作。

『韓非子』というタイトルではあるが、孔子の『論語』と韓非の『韓非子』との比較論という整理の方がわかりやすい。
『論語』と『韓非子』という対照的な思想を両極とした軸として考えることで、「そもそも成果の出せる組織とは」といった問いを考える上での原理原則や、思考の物差しを探るために格好の素材としている。

孔子

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成果のあがる理想的な組織、という問いに対して、孔子は「よき家庭」を雛形とした組織を描いてみせた。
「上下、同僚間を問わずお互いがお互いを信頼し、自分の得意とするところで力を発揮している。しかも、間違っていることは間違っていると指摘し合う関係を築いている。さらに、助け合い、育みあい、活かし合うような組織」
孔子にとっては、そもそも多くの家庭の寄り集まったものが国であったし、よき家庭の在りようをそのまま拡大したものが、理想的に統治された国でもあった。
家庭が政治体制の雛型であり、基盤である以上、孔子の中では「よき家庭を作ること」と「政治を行うこと」がそのまま直結していた。

戦後の日本の会社というのは、『論語』の価値観とかなり重なり合うような組織を作ってきた。これを「日本型経営システム」と呼んだりもする。
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韓非

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韓非は、韓という国の王族の一員であった。
自国が弱体化するのを食い止めようと、王にその原因を度々具申していたが、その内容は次のようなものであった。
①法制を明確にしようとしない
②権力で臣下をコントロールしようとしない
③富国強兵に努め、人材を求めて賢者を登用しようとしない
④うわべを取り繕って国を蝕む人物を、本当に功績ある者の上に置いてしまう
①と②は『論語』的な「徳治」に起因する問題だ。

韓非はもともと合目的的とは言えない「国」を、企業やプロスポーツチームのような合目的的な組織に変革しようと試みたのだ。
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孔子と韓非の組織観

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孔子の組織観は「性善説」という考え方を基にしているようにも見えるが、孔子は必ずしも人を「性善説」でみているわけではなかった。
人はよほどの天才と、よほどの愚か者以外は、教育によって良くも悪くもなる存在だ、と考えていた。
ちなみに、孔子のいう教育とは、知識の習得ばかりでなく、人柄や行動、態度、対人関係やリーダーシップを磨くことにも大きな比重が置かれている。
孔子の組織観とは
「良い組織を作りたければ、ひとまず人を信頼すべきだ」
ということ。
「信頼は信頼を生む」「人は成長できる」
これが孔子の組織感を支える二つの確信であった。
一方、よく「性悪説」と言われる韓非の人間観を一言で言えば、
「人は状況の申し子である」
ということ。

孔子が、人は教育によって良くも悪くもなる、としたのに対し、韓非は、人は置かれた状況によって良くも悪くもなる、と考えた。
二つをあえて一つにするとすれば「性弱説」
人の本性は弱さにある。 地位も名誉も欲しいが、面倒くさいことはしたくないし、辛い思いもしたくない。利益を見ればそちらになびきたくなる。状況が酷くなれば、あっさり悪の方へ落ちていくし、良い状況が続けば堕落していく。。

「しかしその弱さをはねのけ、憧れる力や、師匠からの感化力によって、人は志を持てるし、学ぶことによって成長することができる」 と、人の内面に寄り添う形で考えたのが孔子。
「状況次第で、多くの人は自分の弱さに抗えなくなる。ならば、逆にその性質を利用して、組織や国が回るシステムを作ってしまえ」 と、統治する側の上から目線で考えたのが韓非、ということになる。
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『法治』的組織と『徳治』的組織

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『韓非子』(『法治』)的な組織。
これを構築・維持したければ「目標を達成したなら、その分増える賞の源泉」が基本的に必要となる。
このためには「パイが拡大している環境」にいるのが、最も簡便な道だ。
しかし、それが難しくなり「賞」の源泉が頭打ちになってしまった場合、『論語』的、ないしはローマ的な精神的・抽象的な「賞」をあてがうことで、維持が可能になる場合がある。
ちなみに、金銭などの物理的な「賞」で人を釣るにしても、もしパイが半永久的に拡大し続けて、利の源泉が尽きなければ、それは原理的にいつまでも可能になるはずだ。
実は、こうした価値観が根強く残っているのがアメリカなのだ。
人種の坩堝と言われる多様な文化的背景を持つ人々をまとめるために、金銭という最も分かりやすい価値観が非常に重視されている点も『韓非子』と酷似する。

『論語』(『徳治』)的な組織。
こちらを構築・維持したければ、根底の制度設計は性悪説においておき、いざという時問題や禍根を取り除けるようにしなければならない。そしてその運用は性善説に基づいて行うことを基本とする。
ただし、そのためには「覚悟」を持った人間が有事の際に上に立ったり、「二重人格」的な人物が普段から(制度を運用する際に)問題の芽を摘み取ったりしておくことが必要になる。
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著者はどちらが優れているということではなく、どちらも重要であり、どちらに軸足を置くべきかはその環境によるとしている。
「覇王の道」(覇道=「法治」と王道=「徳治』は両立させる必要がある)
「寛猛、中を得る」(国を治める道とは、寛大さと厳しさ、その中庸をとることにある)



「会社も老化する」であったように組織が老化して来ると「前例踏襲」「減点主義」がはびこって来る。
そうすると、「責任を負わないこと」に対して、権勢(地位に付随する権力)が使われることとなる、という見方も言い得て妙であった。

その他にも、中国という国(王朝)の歴史を紐解いて、その基本理念となるものが、韓非の考案した「法治」であり、それは秦への導入から始まっている、というのも面白い。
丁度流行っている漫画「キングダム」の時代を詳述していることもあり、楽しく読めた。


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