2012年8月26日日曜日

秋田旅行2012 その4

自宅へ帰還の日。なるも午前中は男鹿を堪能。

八望台からの景色。この日も快晴で絶景。
写真は二ノ目潟と戸賀湾。反対方向には一ノ目潟が見える。










男鹿真山伝承館、なまはげ館で、昨晩観た「なまはげ」を左脳で理解。
真山伝承館のシアターは、「なまはげ」行事の本当のところがリアルに映し出されていて、関心するとともに子供達の反応に爆笑。

お昼は福の家のハタカバ丼(ハタハタの蒲焼き丼?)を頂く。










帰りはまっすぐ自宅を目指したが、お盆週の土曜日にも関わらずさほどの渋滞には巻き込まれずに帰ることができた。

男鹿を中心に東北を堪能した4日間であった。

秋田旅行2012 その3

父母と合流した男鹿2日目は、天気予報では曇り後雨だったのだが、結果としては快晴。
晴れ男がいるらしい。
この頃になると熱を出した長男はほぼ復活。

戸賀の所から出ている海底遊覧船に乗ったのだが、全く海底の素敵な風景はみれず。
もっぱら船頭さんの話を聞いて、カモメに餌をやる感じなのだが、結構それはそれで楽しめた。(とはいえ、海底をみるつもり満々で来た家族にとっては不満が溜まるはずなので、目的を周辺遊覧ということで説明した方がベター。)










その後、男鹿水族館GAOへ。
ハタハタを漬けてしょっつる作るチャレンジをしてみたり、緑ブリコの掛け合わせを試してみたりと色々チャレンジングな取り組みを行っていて面白かった。
アシカショーをみれる設備を増築していたり、積極投資も行っており、シロクマ豪太の子供が生まれるとまた話題になるのではないか。
写真の「男鹿の海」を一番最初に持ってきて度肝を抜く演出も非常に良かった。










桜島のホテルきららかで昼食。360度のビューは絶景。
この日は雨だとあきらめていたので、素晴らしいビューに感動。










それからゴジラ岩へ。
ゴジラ岩は最初どれがそうなのか、わからず。(これに限らないが、男鹿の観光は今ひとつ観光客に優しくない気がする)
それとは関係なく、磯遊びができるので、子供達は大はしゃぎで楽しんでいた。
(ここを磯遊びの名所にするにはトイレが必要不可欠か。)










寒風山の展望台から周囲を展望してから、男鹿セイコーグランドホテルへ帰還。










夜のなまはげ太鼓ショーが圧巻。
(近くに座っていたよその子供大泣き。子供には結構怖いかも。)

秋田旅行2012 その2

二日目、長男坊の熱も37度台に下がって(薬で下げて?)、田沢湖周辺で山のはちみつ屋へ。
いろいろな蜂蜜を試食する。
中でもプロポリスの液を水に数滴入れたものを試飲したのだが、ウコンを初めて飲んだ時のような衝撃。こんなに美味しくないものが世なのかにあるのかという感じ第2弾であった。











一路男鹿半島を目指す途中で、お昼を角館で。
桜の里で、「究極の親子丼」を食す。










角館では佐藤養助でご近所へのお土産の稲庭うどんを購入。
角館は既に3回来ているが、桜の季節に来たことがない。
すごい人ごみで嫌になるらしいが、それでも一度はしだれ桜の響宴をみてみたい。












この日は男鹿温泉郷入りして、男鹿セイコーグランドホテル、男鹿観光ホテル、男鹿ホテルの温泉巡りを堪能。
(でも外の風景は夜真っ暗でよくわからず。。)

秋田旅行2012 その1

お盆の週に夏休みをとって秋田に旅行に行った。
事前に既に今年11年目の車検となる愛車のガイアをメンテして(エンジンオイル、オートマティックフルード交換などなど合計5万円弱)、1,450km超の長旅に挑んだ。

初日は常磐道→東北道というルート。朝4時に家を出て昼頃盛岡インターを降りて昼食。
ぴょんぴょん舎本店で冷麺。










その後一路田沢湖へ。
田沢湖では人生初の湖水浴。田沢湖は日本一の水深とのことだったが、湖水浴の場所は遠浅なエリア。水は冷たくてとても泳げる感じではなかったけど、子供達は喜んで湖水浴を楽しんでいた。










足漕ぎボートで沖へ出てみると、深いあたりは碧翠色の湖水。深い方がより深い青だった。

昼間頭痛を訴えて食欲がなかった長男坊が、夜になって38度の発熱。

2012年8月14日火曜日

『フォーカス!』

1997年にアル・ライズ氏が著した古典的名著を2007年にリバイズした本。
「すべての企業は、二つの機能しか持っていない。マーケティングとイノベーションである」
というピーター・ドラッカーの言葉と
「経営者とは何なのか。財務諸表を読みこなせるマーケターである」

という著者の考えから始められている。

この本の中ではいろいろな業種の企業がフォーカスを失って失敗する事例が出てくるが、その事例の一つに航空業界が挙げられている。
アメリカ航空業界
航空会社は何らかの岐路に立つたびに「二兎」を追ってきた。
最初の岐路は「旅客をとるか、貨物をとるか」
「考えるまでもない。客室の下に空きスペースがあるじゃないか。」
→貨物に特化したフェデックスは237億ドルの貨物売上。そして8億3800万ドルの黒字。
次の岐路は「ビジネス客をとるべきか、観光客をとるべきか」
その次の岐路は「国内線にとどめるべきか、国際線も手がけるべきか」
さらに迎えた岐路は「ファーストクラス、 ビジネスクラス、エコノミークラスのうち、どのサービスを手がけるべきか」
→サウスウェスト航空はビジネス関連路線のみ。座席はエコノミークラスのみ。国内線のみ。食事のサービスもなく、ペットの搭乗もお断り。事前の座席指定や航空会社間の荷物のやり取りといったサービスも一切ない。

各社が「二兎を追う戦略」に走るのには理由がある。短期的には売上も利益ものびるからだ。
しかし、この「二兎を追う戦略」は崩壊する運命にある。時間の経過とともに、業界内にフォーカスを絞った競合社が必ず現れるからだ。

フォーカスしたサウスウェスト航空は、スケジュール管理やメンテナンスが格段に容易になった。整備工も担当する機体がボーイング737型だけなので、集中してより充実した仕事ができるようになった。同社は創業以来31年間、一度も死亡事故を起こしていない。



グローバル化の流れが進むこの時代において「フォーカス」が必要な理由を著者はある比喩を用いてわかりやすく説明している。
例えば、あなたが人口50人の町に住んでいるとしよう。そこにはどんな小売店があるだろうか。もちろん、何でも売っている「雑貨店」だ。
では、人口800万人のニューヨーク市ではどんな小売店があるだろう?もちろん、専門店だ。
専門化は、マーケットが大きくなればなるほど進んでいく。逆に小さくなればなるほど総合化が進む。だから世界がグローバル経済へ向かえば、企業はどんどん専門化せざるを得ない。

世界へうって出るには、FOCUSしなければならないのだ。
国内で「総合○○」で売ってきた企業ほど、海外進出時には何を売りにするのかFOCUSしなければならいないということだ。
(残念ながら実は我が社もこの「総合○○」に完全に合致している!)


著書は人材登用についても一言述べている。
フォーカスを失った会社が抱える最も重大な経営課題は昇進システムだ。
昇進させる人物を選ぶ際、社長が犯しがちな古典的ミスが二つある。「数字で判断する」「人格で判断する」だ。どちらもまずうまくいかない。
リーダーを選ぶには「数字」でも「人格」でもない第三の方法がある。それは、部下たちに「この事業に最もふさわしいリーダーは誰か?」と尋ねる方法だ。
人気投票をせよといっているのではない。今既にリーダーシップを発揮している人物を選び出せばうまくいく、といいたいのだ。
生まれつきのリーダーというものは、自ずと早くからリーダーシップを発揮するものだ。

偉大なリーダーは、外向的というよりむしろ内省的な人が多い。周囲の状況は観察するが、それに左右されることはない。彼らはうちなる情熱に駆り立てられているかのように見えるが、この情熱が、偉大なリーダーに必要な「ひとつにフォーカスできる」という能力を生み出すのだろう。



そして「品質」信仰についても述べている。
誰もが品質のこだわるが、その実、違いは分かっていない。
実際には「品質」ではなく、「好み」で選んでいるのだ。
消費者もまたよりよい商品が勝つと信じているので、「一番売れている商品は、よりよい品質に違いない」となる。
現実には、評判、すなわちイメージこそすべてだ。
ビジネス界を動かす真の推進力は品質ではない。品質に対するイメージなのだ。
評判が浸透するには時間がかかる。


面白かったのが、「多角化」による買収事例が失敗に終わり売却されるまでに一定の周期があるというもの。
買収・売却事例を研究していくと、7年目ならぬ「6年目の浮気」という周期が確認できるのだそうだ。
6年も経てば、不良品をつかまされたと認めざるを得ない。加えて、買収の際に約束した「素晴らしいシナジー」のことを、投資した人たちが忘れる頃でもある。
PR担当者が「基本に戻る」と売却発表を首尾よく運べば、買収のときと同様、好意をもって受け止めてもらえるという寸法だ。


最後に著者は「フォーカスを成功させる15の秘訣」というものをまとめている。
「フォーカス」はトップが意識的に努め続けないとエントロピーの法則によりすぐにフォーカスが失われる方向へと進むということだ。

2012年8月12日日曜日

『デファクト・スタンダードの競争戦略』

日本が弱いとされるデファクト・スタンダード作り。
その基本が書かれている本。原理原則が最初と最後に書かれており、間に事例が載っているという形で非常に分かりやすく書かれている。

「標準化機関の承認の有無にかかわらず、市場競争の結果、事実上市場の大勢を占めるようになった規格」をデファクト・スタンダード(de facto standard)と呼ぶ。
de fact は英語のin fact。
一方、従来の公的な標準をデジュリ・スタンダード(de jure standard)と呼ぶ。
de jure(デジュールとも。ラテン語で「プロセスに正統性がある」という意味)

デジュリ・スタンダードなるものは言葉すら知らなかった。


<規格競争と製品ライフサイクル論とのギャップ>
規格競争が発生する消費財においては、従前の製品ライフサイクル論と違った傾向を示すものが多い。①製品ライフサイクル論によれば、市場の導入期においては競合企業はほとんどなく、競合は成長期から増えてくるはずであるが、規格競争では競争が最も激しいのは開発期(上市前)から導入期。(プレ・コマーシャル競争)
②製品ライフサイクル論によれば、企業の撤退が始まるのは成熟期以降。ところが規格競争においては、市場が立ち上がった直後の導入期に撤退が始まる。
③製品ライフサイクル論では、成熟期にリーダー企業のキャッシュフローは最大になるはずだが、規格競争においては、成熟期にキャッシュが回収できない状態が多発している。
(撤退前に低価格競争が始まり、成熟期に関しても利益が上げられない状態が多発)



規格の絡まない普通の製品の場合には、機能的に優れた製品を開発し、それをなるべく早期に市場に導入し、他社の模倣を防ぎながら市場を支配することが優れた戦略である。
しかし、規格が絡む製品では、「ネットワーク外部性(network externalities)」と呼ばれる性質があるために、どれだけ多くのユーザーが自分と同じ規格を使っているかが重要となるため、この考え方がそのまま当てはまらない場合が多い。



<メカトーフの法則>
ネットワークの効用を表す指標はnC2で表され、計算式 n(n-1)/2 で表される。
電話会社A 55万人と電話会社B 45万人のネットワークの総和を比較すると、電話会社Aは約1500億本、電話会社B は約1000億本となり、わずか10万人多いか少ないかが、何と1.5倍の効用になって表れる。

新しい規格を発売する場合には、市場導入後早期に優位に立つことが、規格競争において重要であるということが出来る。とはいえ、これを突き詰めていくと最初に1台を出したメーカーが優位に立つということになってしまうが、現実は必ずしもそうではない。では、いつの時点で優位に立っていることが必要なのだろうか。
日本における家庭用VTRやビデオディスクの事例からは、世帯普及率2〜3%の時に優勢であった規格が結果的に勝利を収めている。
普及率2〜3%とは、他者の購買に影響を与えるオピニオン・リーダーであるアーリー・アダプターが購入し始める時期に相当する。すなわち、イノベーターではなく、オピニオン・リーダーに支持された規格が、デファクト・スタンダードになる可能性が高いのである。

ロジャースの普及理論(diffusion theory)によると、更に製品化して受け入れられるまでにアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間にもキャズムがあるとされているので、製品がブレイクするまでにはいろいろな壁があると思ってよい。


規格を構成する技術が自社内で未充足であるが、大きな市場で売上アップを狙うなら協調路線(open戦略)、規格を構成する技術が自社内で充足しており、限られた市場で利益率を狙うなら競争路線(proprietary戦略)が望ましいといえる。
これは協調路線で利益率を下げてでもシェアアップを目指すか、シェア拡大が遅れてでも利益率を重視するかということであり、囲碁における、地をとるか、厚みをとるかというバランス感覚を彷彿させる。



規格とはとって変わられることが多い。規格が変わる時の与件とはなんであろうか。
<世代間規格競争で旧規格を代替するための3要件>
①桁違いの優位性
②含みの多い技術

・規格を定めるということは、その時点で技術革新を止めてしまうことになる。含みの多い技術とは、「規格の将来の発展への可能性の大きさ」と言い換えられる。③キラー・アプリケーションの発見
・キラー・アプリケーションとは、デスクトップ・パブリッシングをやりたいからMacintoshを買い、「脳トレ」をやりたいからニンテンドーDSを買う。VHSがアメリカでデファクト・スタンダードになった理由の一つに、「アメリカンフットボールを終わりまで録画できる」ことが鍵となった。アメリカで家庭にパソコンが普及した理由は、ほとんどのビジネスマンが確定申告をしており、そのためにパソコンと表計算ソフトが非常に便利だったから。

面白かったのが、融通の利かなさが売りとなったCD-Rの事例。
・追記できないCD-R
CD-Rは「1回しか記録できない」ため発売当初は用途を見つけられず低迷していた。
しかし、「1回しか記録できず、後から改ざんできない」という融通の効かない特徴が見直され、公的文書の正式記録メディアとして正式に採用されるようになった。

すぐにはがれてしまう糊が、使い方を換えてポストイットとして大ブレイクしたのと似た事例だ。

後半は製品ライフサイクル論にのっとって、開発期、導入期、成長期、成熟期と時期を分けてリーダーとチャレンジャー各々の側の戦略について記載されている。
事例編を読むと、1990年代のメーカーの苦悩がよくわかる。
歴史を振り返って講釈をたれるのは簡単だが、当事者として見えない未来に思いを馳せながらの決断がどのようになっていくのか。
歴史はある意味冷徹である。
そして歴史は繰り返す。
我々は先人が血のにじむような思いで行った決断からいろいろ学ばなければならないと感じた。