2015年4月12日日曜日

『アブダクション 仮説と発見の論理』

PSJ 中西紹一先生による『イノベーション道場』という講座が社内であり、そこで紹介された本。
米盛裕二氏の著作で、記号論理学の創設者チャールズ・S・パースによる「アブダクション(もしくはリトロダクション)」と呼ばれる推論手法について書かれたものである。

中西先生の講義はその「アブダクション」について、より実践的、実務的に説明されたものであった。

では本書で説明されている、ちょっと学問的な「アブダクション」の概略について書こう。

<そもそもアブダクションとは>
パースによるアブダクションの推論の形式を書くと

驚くべき事実Cが観察される、
しかももしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう、
よって、Hが真であると考えるべき理由がある。

驚くべき事実C:我々の疑念と探究を引き起こすある意外な事実または変則性のこと
H:「驚くべき事実C」を説明するために与えられた「説明仮説」

これを難しい記号で書くと
C,H⊃C/∴H
となるらしい。(正直訳が分からん)

具体事例で述べると、
「陸地のずっと内側で魚の化石のようなものが見つかった」(←驚くべき事実C)
しかし、もしこの「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えれば当然の事柄であろう。
よって「この一帯の陸地はかつては海であった」と考えるべき理由がある。
と考える推論の仕方だ。

この手法で推論され、当時見つかってなかった海王星が実際に発見されている。


<推論3種>
パースによると推論は3種類に分類される。

推論(inference)— 分析的推論(analytic or explicative inference)—演繹(deduction)   
          — 拡張的推論(ampliative inference)— 帰納(induction)
                            — アブダクション(abduction)

分析的推論と拡張的推論の違い
(1)分析的推論は推論の内部における前提と結論の論理的な含意関係の分析にのみかかわるのであり、外的な経験的事実の世界には関わらない。なので分析的推論は経験的事実による反証にさらされることがなく、いわば経験から独立に成り立つ推論。一方拡張的推論は経験に基づく推論であり、経験的事実の成果に関する知識や情報を拡張するために用いられる推論。
(2)分析的推論では、前提から結論に至る過程において前提の内容を超える知識の拡張はない。一方、拡張的推論の結論は、前提以上のことを主張する、つまり前提の内容を超えて、前提に含まれていない新しい知識や情報を与える。
(3)分析的推論の場合は、前提の内容の中に結論が含意されているので、前提が真であれば結論も真でなくてはならないという必然性の関係が成立する。一方拡張的推論は、その本性上、蓋然的な推論である。つまり拡張的推論の場合は、前提が真であっても結論は偽であるということがあり得る。


では次に、拡張的推論が帰納とアブダクションに別れるその2つの違い。
パースによると、帰納は観察データに基づいて一般化を行う推論であり、これに対し、アブダクションは観察データを説明するための仮説を形成する推論。
「帰納と仮説の大きな違い(the great deference between induction and hypothesis)は、前者の場合は我々が事例の中に観察したものと類似の現象の存在を推論するのに対し、仮説は我々が直接観察したものとは違う種類のなにものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、という点にある。」

帰納的飛躍(inductive leap)…我々が事例の中に観察した着目現象はそれらの事例と同種の事象のクラス全体においても存在するという風に、既知の部分からその部分が属する未知のクラスへの飛躍であり、それはつまり同種の観察可能な事業のクラス内における一般化の飛躍。
仮説的飛躍(abductive leap)…我々が直接観察したものとは違う種類の何ものか、そして我々にとってしばしば直接には観察不可能な何ものかを仮定する、いわば創造的想像力による推測の飛躍。
従って、帰納とアブダクション(仮説)の推論の可謬性には明白な違いがある。アブダクションは帰納よりもいっそう過謬的な弱い種類の推論である。

説明されてもちょっと分かりづらい。
これはこれでおいておいて、使われ方の面から説明を受けた方が違いが分かりやすい。

パースによると、科学的探究の過程は三種類の推論(演繹、帰納、アブダクション)から成り立っており、これら三種類の推論は科学的探究の過程における三つの段階を形成している。
その第一段階はアブダクションであり、第二段階は演繹であり、第三段階が帰納。
アブダクションで仮説を考えだし、演繹で(その仮説から必然的かつ確率的に導かれる)諸帰結を追求し、帰納で仮説をテストする。
だから、帰納とアブダクションは探究の過程においてそれらが占める位置も、それらが果たす機能も違う。
アブダクションは探究の最初の段階(発見の文脈)において仮説を形成する推論であり、 帰納は探究の最後の段階(正当化の文脈)において仮説がどれだけ経験的事実と一致するかを確かめ、仮説を確証ないし反証する操作である。
アブダクションは理論を求める。帰納は事実を追求する。
アブダクションが取り扱う事実は、説明を要する事実。だからアブダクションが行う観察「アブダクティブな観察(abductive observation)」は仮説や理論を発案する、いわば着想のための観察。
これに対し、「帰納は事実を追求する」。
帰納の役割はアブダクションによって提案された仮説や理論を実験的にテストするのに必要な実証的諸事実を追求し、それらの事実を出来るだけ多く集めることである。つまり帰納が行う観察「帰納的観察(inductive observation)」は仮説や理論の確証ないし反証を行うための実験的実証的観察なのである。

要するに、仮説を立てるために使われる推論の手法がアブダクションで、それを実証するために使われる推論が帰納。どっちも演繹とことなって論理に跳躍(leap)があるんだけど、その確からしさは異なる(アブダクションは帰納より可謬的)ということだ。

著者によると、帰納主義者のフランシス・ベーコンや、ジョン・スチュアート・ミルらは、仮説がある前提での帰納がベースとなっており、仮説がどのように導かれたかについての考察はない。
二人とも仮説の提案が必要であり、帰納的探究は仮説によって導かれるという仮説の概念認識が欠如していた。


確かに、会社でも常に「仮説と検証を」「PDCAを回せ」と言われ続けているが、仮説やPLANをたてる方法論というものについては特になく、「現場百回」とか「観察して洞察せよ」とか概念的なものだけで、後は「ひらめき」のようなものに期待するということしかなかった。
「イノベーション」という、「改善」とは異なり、不連続を期待されるものをどのようにして発想して仮説をたてるのかということについての方法論は論じられてなかったし、まさにひらめきに期待する以外の方法論をもっていなかった。
それを今回中西先生の「イノベーション道場」ではパースのアブダクションをベースとした方法論を教示いただいた次第である。

科学的探究の過程になぞらえて、企業における業務推進の過程を考えてみると
アブダクション(マーケット・ターゲットの仮説の策定)→演繹(実践し、その実績をベースとしたルール化・必勝法の確立)→帰納(必勝法に基づいた実践、横展開)
という感じになろうか。
そう考えると、帰納<演繹<アブダクションという順に難易度が高く高次な業務ということになるのではないか。
よく社内で「ルール通りに仕事をするだけ(帰納)ならアルバイトで足りる。ルールを変えるの(演繹)が社員の仕事」と言われる。
さらに上をいくスーパー社員を目指すには「仮説の策定(アブダクション)」というところまで要求されるということか。
その仮説の立て方を「ひらめき」のようなものに依存するのではなく、一定の手法として論法化しているところが中西先生の実践的でスゴいところだと感服した。

理屈は教わったので、後は実践あるのみ。


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