立教大学 異文化コミュニケーション研究科 特任准教授中西紹一先生による第7回「つなぐLab」。
今回のテーマは「アートでつながる瞬間」。
昨年度の六本木アートナイトで作品を出展した西尾美也氏のアート作品(アートプロジェクト)について、その製作参加者の意見も聞きながら洞察を深めるというものだった。
今回テーマとなった西尾氏のアート作品は、人間の家[スカート]、花柄/花、ボタン/雨と3つあるのだが、いずれも2800着の古着を集めて、総勢50名のボランティアスタッフによる約3ヶ月弱の製作期間を経た作品だ。
https://www.youtube.com/watch?v=oKAbZKcvzOU
西尾美也氏本人によるアートの意図の概要説明があった。
「服」というものは実は初見の先入観につながったりするので、深いところで実は分断する要素になっている。 その「服」という要素を使って「つながり」を表現したかったとのこと。
最初にボランティアの人たちから、アートプロジェクトに参加して何が変わったかを各々聞いた。
・今回参加の3/8の人が離職してしまった。(覚悟を持てて、仕事を辞めることができた)
・他のアート作品に対する見方が変わった。(アート作品そのものだけでなく、作品が作られた背景やプロセスなども気になるようになった)
・自分で購入する服が変わった。
・コミュニケーション能力がUPした(それまで、自分は「モノづくりの人」でコミュニケーションは正直苦手だった)
その後何組かに分かれて、参加していたボランティアの話を聞いたのだが、その気づきが面白い。
・途中からでも、すっと入れる雰囲気があった。
・ディレクターからのディレクションに「入りやすさ」の要素が埋め込まれていた。
(「自分がやっても良い」という安心感がある)
・しばらくすると作品作りではなく、人との対話、自分との対話になっていった。
・いつ来てもいいというゆるさもあるが、ボランティアをやめてしまった人はいない。
・ある瞬間から自分事化した(ダイブの瞬間)。
(でもこの「瞬間」は人によって異なる)
・実はこのチームの人間関係のつながりも西尾作品の一部と聞いてハッとした。
話を聞いていて、最初は入り易く、どこかで自分事化する瞬間がある(「ダイブする瞬間」という表現だったが)というのは正統的周辺参加のデザインと似ているのではないかと勝手に感じた。
たまたま法政大学社会学部 土橋先生と同じ組になれたので、このアートプロジェクトに対する土橋先生の見方を知ることができた。
曰く、
最もプライバシー性の高い私的所有物である「服」にハサミを入れ「解体」することで、私的所有を放棄しそれを公共空間に放り込む。
それがまた多くの人(ボランティア)の手によってアート作品となり、再び公共空間へ戻る。
プライベートで参加したボランティアが、「アトリエ」という場所に集うことでアトリエがパブリックな空間になっていくことと二重にシンクロしているアートプロジェクトである、とのこと。
社会学の先生の抽象化のスゴさにちょっとビックリした。
「まず切らないとつなげられない」ということを表現しているとの話もあった。
最後に、中西先生より、今回のテーマをアルフレッド・ジェルのアートネクサス論的に解説してもらったのだが、今ひとつ理解できずにモヤモヤ感が残る。
このモヤモヤ感こそがワークショップの醍醐味だったりもするのだが、このモヤモヤ感がスッキリ腑落ちするようまた精進せねば。
今回のテーマは「アートでつながる瞬間」。
昨年度の六本木アートナイトで作品を出展した西尾美也氏のアート作品(アートプロジェクト)について、その製作参加者の意見も聞きながら洞察を深めるというものだった。
今回テーマとなった西尾氏のアート作品は、人間の家[スカート]、花柄/花、ボタン/雨と3つあるのだが、いずれも2800着の古着を集めて、総勢50名のボランティアスタッフによる約3ヶ月弱の製作期間を経た作品だ。
https://www.youtube.com/watch?v=oKAbZKcvzOU
西尾美也氏本人によるアートの意図の概要説明があった。
「服」というものは実は初見の先入観につながったりするので、深いところで実は分断する要素になっている。 その「服」という要素を使って「つながり」を表現したかったとのこと。
最初にボランティアの人たちから、アートプロジェクトに参加して何が変わったかを各々聞いた。
・今回参加の3/8の人が離職してしまった。(覚悟を持てて、仕事を辞めることができた)
・他のアート作品に対する見方が変わった。(アート作品そのものだけでなく、作品が作られた背景やプロセスなども気になるようになった)
・自分で購入する服が変わった。
・コミュニケーション能力がUPした(それまで、自分は「モノづくりの人」でコミュニケーションは正直苦手だった)
その後何組かに分かれて、参加していたボランティアの話を聞いたのだが、その気づきが面白い。
・途中からでも、すっと入れる雰囲気があった。
・ディレクターからのディレクションに「入りやすさ」の要素が埋め込まれていた。
(「自分がやっても良い」という安心感がある)
・しばらくすると作品作りではなく、人との対話、自分との対話になっていった。
・いつ来てもいいというゆるさもあるが、ボランティアをやめてしまった人はいない。
・ある瞬間から自分事化した(ダイブの瞬間)。
(でもこの「瞬間」は人によって異なる)
・実はこのチームの人間関係のつながりも西尾作品の一部と聞いてハッとした。
話を聞いていて、最初は入り易く、どこかで自分事化する瞬間がある(「ダイブする瞬間」という表現だったが)というのは正統的周辺参加のデザインと似ているのではないかと勝手に感じた。
たまたま法政大学社会学部 土橋先生と同じ組になれたので、このアートプロジェクトに対する土橋先生の見方を知ることができた。
曰く、
最もプライバシー性の高い私的所有物である「服」にハサミを入れ「解体」することで、私的所有を放棄しそれを公共空間に放り込む。
それがまた多くの人(ボランティア)の手によってアート作品となり、再び公共空間へ戻る。
プライベートで参加したボランティアが、「アトリエ」という場所に集うことでアトリエがパブリックな空間になっていくことと二重にシンクロしているアートプロジェクトである、とのこと。
社会学の先生の抽象化のスゴさにちょっとビックリした。
「まず切らないとつなげられない」ということを表現しているとの話もあった。
最後に、中西先生より、今回のテーマをアルフレッド・ジェルのアートネクサス論的に解説してもらったのだが、今ひとつ理解できずにモヤモヤ感が残る。
このモヤモヤ感こそがワークショップの醍醐味だったりもするのだが、このモヤモヤ感がスッキリ腑落ちするようまた精進せねば。
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