自己啓発のイデオロギーへの違和感から生まれた、という橘玲氏の本。
高度化した資本主義社会では、論理・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達したひとだけが成功できる。
こうした知能は遺伝的で、意識的に”開発”することはできない。
ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなに認知されたときだけだ。
都市化と産業化によって、伝統的な愛情空間や友情空間(政治空間)は貨幣空間に浸食されて来た。
でもその代わり、情報テクノロジーの発達によって、貨幣空間が”友情化”してきた。フリーで効率的な情報社会の到来は、すべてのひとに自分の得意な分野で評判を獲得する可能性を開いた。
だったら、幸福への近道は、金銭的な報酬の多寡は気にせず好きなことをやってみんなから評価してもらうことだ。
能力があろうがなかろうが、誰でも好きなことで評判を獲得することはできる。
必要なのは、その評判を収入につなげるちょっとした工夫だ。
ロングテールもフラクタル(全体と部分が自己相似になっている図形)の一種だ。
だから
「伽藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」
というのがまとめ。
○ハワード・ガードナーによる「多重知能(MI=Multipule Intelligences)の理論」
○心理学研究者 ジュディス・リッチ・ハリスの「集団社会化論」
○社会学者 ロバート・D・チャルディーニ の『影響力の武器』
○リーナス・トーバルズ の「リーナスの法則」
など、興味深い理論や実験を紹介しながらの論理展開は、さすが橘玲氏である。
まとめに至るまでに色々な理論や実験が紹介されていてスゴく面白いのだが、(著者も認識はしているようだが)無理に「自己啓発が無意味である」ということをベースにしなくても良かったし、しない方が納得感があったのではないか。
最後に、
『「好き」を仕事にしたいのなら、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計しなくてはならない。』
とあるのだが、この”設計”をするためには能力が必要であり、そのためには自己啓発が必要だったりするのではないか?などと考えてしまうのは、ひねくれ者の発想であろうか。
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