2014年8月30日土曜日

『謎の独立国家 ソマリランド』

E社の齋藤社長から紹介された本第3弾。

ソマリランド共和国。場所はアフリカ東北部のソマリア共和国内。
ソマリアは内戦というより無政府状態が続き「崩壊国家」という奇妙な名称で呼ばれている。
国内は無数の武装勢力に埋め尽くされ「リアル北斗の拳」の様相を呈しているらしい。
陸が「北斗の拳」なら海は海賊が跋扈する「リアルONE PIECE」。
そんな崩壊国家の一角に、そこだけ十数年も平和を維持している独立国家があるという。
それがソマリランドだ。
ただ、情報自体が極端に少ないので全貌はよくわからない。
まさに謎の国。未知の国家。地上の「ラピュタ」だ。

ということで冒険・謎好きの著者、高野秀行氏が実際にソマリランドに行ってその謎解きをした紀行である。

複雑な(そして日本の常識とはかけなはれた)状況を非常に分かりやすく説明している。
ソマリには大きく5つの氏族がある。その中で歴史的にも、今の政治状況でも非常に有力な氏族が3つある。イサック、ダロッド、ハウィエだ。現在、旧ソマリアは「三国志」状態に陥っているが、この三氏族がそれぞれ「国」の中心を成している。
ソマリランド・・イサック中心の国
プントランド・・ほぼダロッドの国
南部ソマリア・・ハウィエを中心に戦乱が続いている地域
この氏族いがいにも分家、分分家、分分分家・・・と訳がわかならくなりそうなところを、敢えて分かりやすく、「イサック奥州藤原氏」「ダロッド平氏」「ハウィエ源氏」と日本人にイメージが湧きやすい名前をつけて記載されている。
著者も認識しているが、こういうやり方は変な先入観を与えるというデメリットはあるものの、何と言っても頭に入りやすい。
日本の常識からかけ離れたイスラム社会の国を記述するにはこの「メタファー」を活用した表現は非常に頭に入りやすい。そして著者は比喩が非常にうまい。

高野氏がソマリランド(そしてソマリア全土)に行って見聞きした内容を、ほぼ時系列で描写していくため、読んでいると一緒に旅をしているような気分になってくる。著者のドキドキ感を共有し、気づいたことを同時に発見した気分になる。非常に感情移入しやすく、500ページ超の結構分厚い本なのだがすんなりと読むことが出来る。

おそらく高野氏は非常に教え方もうまい人なのだろう。
まずは面白いと思わせておいて、それから勉強となる知識編を盛り込んでいる。
ちょっと長くなるが、ソマリア内戦の歴史について記述されている部分をほぼそのまま記載してみたい。
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ソマリア内戦も応仁の乱も共通しているのは、戦争の中心地が都だったことだ。普通、ある場所で戦争が行われた場合、そこが荒廃すれば舞台は他の地域に移る。でも都が主戦場になると、いくらそこが荒廃してもどちらかが完全制圧するまで舞台が移らない。「都を支配するもの=勝者」だからである。

アイディード義経がバーレ清盛を倒し、さらに平氏の残党を西で壊滅させたが、その間、モガディショ京都ではアリ・マハディ頼朝が源氏の有力者に巧みに根回しし、自分が「大統領」に収まった。
アイディード義経率いる義経系ハバル・ギディル分家の民兵は頼朝系アブガル分家の人間を女子供を含めて見境なく虐殺した。
激怒したより友系アブガルも同様に報復。たった3ヶ月で何万人もの人が殺された。(1991年)
多くの人が、この義経系ハバル・ギディルの最初の無差別殺人こそ、南部ソマリアが「北斗の拳」と化した直接の原因と考えている。
アイディード義経とアリ・マハディ頼朝は互いに一歩も引かず、モガディショ京都の中で対峙し続けた。

アリ・マハディ頼朝が「私が正しい。私こそ大統領だ。アメリカよ、支援してくれ」と呼びかけたので、丁度ソ連が崩壊し唯一の超大国として得意の絶頂にあり「世界の警察」を自任していたアメリカが、国連軍という名目でソマリアに介入した。
義経系ハバル・ギディルは国連軍兵士を殺害し、アメリカは激怒、アイディード義経に懸賞金をかけ、彼を暗殺しようと何度も試みる。

しかし、アメリカはソマリの事情におそろしく無知だった。
米軍が雇った膨大な現地人員には、義経系ハバル・ギディルの人々もたくさん紛れ込んでいた。 彼らは当然、自分が所属する氏族の方が大事だから、知り得た情報は全てアイディード義経に流す。米軍の極秘作戦はほぼ全て筒抜けだった。

米軍はここでものすごい失敗を犯す。
「アイディード義経がいる」という情報をもとに、義経系ハバル・ギディルの長老が集まる会議を武装ヘリで襲撃したのだが、アイディード義経はいなかった。代わりに義経系ハバル・ギディルの長老70名を殺害してしまった。
これで義経系ハバル・ギディルの怒りは頂点に達した。

そして、映画にもなった「ブラックホーク・ダウン」の事件が起きる。 再度、アイディード義経を捕えようと、彼らの支配区に武装ヘリと地上部隊を同時に投入したが、またもやアイディード義経の殺害に失敗。
武装ヘリ「ブラックホーク」は義経系の民兵に撃墜され、米兵13名が殺害された。
(実はこの時、米軍は義経系の人間を千数百人も殺している。ほぼ「虐殺」である)
ブラックホークに乗務していた米兵は殺された後、裸に剥かれ、路上を引きずり回された。
その一部始終がアメリカのニュースで放映された。
ショックを受けたアメリカはソマリアからの米軍の撤退を余儀なくされる(1993年)。
唯一の超大国アメリカが敗退。以後、ソマリアは誰も手出しができない、完全に「アンタッチャブル」の場となり、リアル北斗の拳が決定づけられた。

さて、96年、アイディード義経がバナナ輸出権益を巡って宿敵アリ・マハディ頼朝と戦っている最中に死亡。義経系ハバル・ギディルはあわてて、彼の息子を跡継ぎに仕立てた。 アイディード義経ジュニアは非常に数奇な人生を経た人である。
アイディード義経は、バーレ清盛に迫害されていたとき、家族をアメリカに移住させた。 だから、アイディード義経ジュニアもアメリカ国民として育った。そして成人してからは米軍の海兵隊に入隊。米軍がソマリアに侵攻したとき、なんとジュニアも通訳として参戦した。 アイディード義経は当時、親子で戦っていたのだ。
なのに父親が死ぬと、氏族に呼ばれてすぐソマリアに戻り後を継いでしまう。めちゃめちゃである。
アイディード義経ジュニアは98年についにアリ・マハディ頼朝と和平を結ぶことになる。 2000年、ソマリアをなんとかしようという試みが久しぶりに国連やEU、アラブ諸国の介入で行われた。各氏族の代表者をジブチに呼んで会議を開いた。ここで、ソマリランドが発案し、プントランドが発展させた「氏族比例代表制」を導入することになった。

とりあえず議会をつくり、その議員たちによる投票で大統領を選出することになった。
アイディード義経なき今、ついに俺の天下だと思ったアリ・マハディ頼朝だったが、意外にもアブディカシム・サラド・ハッサンという人物に敗れてしまう。彼はなんとアイディード義経の従兄弟だった。
つまり、新しく発足した暫定政権(略称TNG)は義経系ハバル・ギディルに握られたわけだが、この政府はモガディショ京都の一部を治めることすらままならず二年あまりで自然消滅した。

数年後、国連とEU、それにアメリカは性懲りもなく、新たに強引な暫定政権作りを画策する。
今度はアラブ諸国ではなく、エチオピアとケニアというキリスト教主体の隣国が強力に関与することになった。
2006年、地域大国エチオピアをバックにつけ買収合戦に勝ったのは、なんとアブドゥラヒ・ユスフ時政。そう、プントランド建国の祖にして同国の現職大統領である。
謀略の天才アブドゥラヒ・ユスフ時政が参戦し、突然、平氏がまたトップに返り咲いてしまった。これが暫定連邦政権(TFG)である。
だが、現実には南部ソマリアはざっと7割をハウィエ源氏の武装勢力が支配する源氏の世界。頼朝系と義経系は犬猿の仲だが、それでも互いに平氏よりはマシだと思っている。
ダロット平氏が長を務める二番目の暫定政権はモガディショ京都に入ることもできず、地方都市バイドアを仮の首都とするしかなかった。

そしてここでソマリア内戦史上、最大のねじれが始まる。イスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合」が台頭してきたのだ。この辺はアフガニスタンでタリバンが台頭してきた状況に酷似している。
イスラム法廷連合が従来の戦国武将と根本的に異なるのは、源氏、平氏、奥州藤原氏を含めた全ての氏族が参加していたということだ。 彼らはイスラム主義を掲げるため、アメリカやエチオピアといったクリスチャン主体の国家による介入を嫌がり、それをバックにつけるアブドゥラヒ・ユスフ時政の政府も嫌った。
要するに、ここでソマリア内戦の対立軸が氏族から「イスラム原理主義VS世俗主義+アメリカ、エチオピア」に変わった。少なくとも表向きはそのように見えた。

アメリカはアメリカで、また下手をうつ。 ダロッド平氏主体で南部ソマリアでは力を持たないアブドゥラヒ・ユスフ時政の政府を見限り、モガディショ京都の各地域を支配する戦国武将達にカネを出し、「反テロ同盟」なるものを結成、イスラム主義者に対抗させようとしたのだ。
ところがモラルが低下していた武将同盟はイスラム法廷に呆気なく破れ、モガディショ京都はついにイスラム主義者の手に落ちる。

「こりゃ、まずい」と思ったアメリカ、エチオピアとアブドゥラヒ・ユスフ時政の連合体は、もはや禁じ手を繰り出すしかなかった。エチオピア軍の出動である。
エチオピアの大軍は国境を越えてソマリアに侵攻、イスラム法廷を蹴散らした。米軍も直接戦闘機を出し空爆を行った。アブドゥラヒ・ユスフ時政はモガディショ京都に入城、まるでかつてのバーレ清盛のように、抵抗するハウィエ源氏を市民もろとも無差別に攻撃した。この時、彼は自分の意のままになるプントランド軍(マジェルテーン北条氏の軍)を使ったとされる。
イスラム法廷の残党はケニアやジブチ、湾岸諸国などに逃れた。

戦争には勝ったアブドゥラヒ・ユスフ時政だが、海外軍勢を利用したこのやり方の副作用は大きかった。
ソマリは氏族社会である。そしてソマリランドに反対する人が言うように「ソマリは一つ」なのだ。 エチオピア軍を引き込んだことで、アブドゥラヒ・ユスフ時政はダロッド平氏以外のほぼ全ての人々からあまりに深い恨みを買ってしまった。
結局、翌2007年にアブドゥラヒ・ユスフ時政は大統領を辞任。

そしてまたかという感じだが、国連やアメリカ、アフリカ諸国、湾岸諸国が集まって開いた和平会議で新たに任命されたのは、イスラム法廷連合の元議長、シェイク・シャリフだった。
シェイク・シャリフはイスラム法廷連合のトップとしてエチオピア軍と戦って敗れた当事者である。戦争に負けた後、和平会議で大統領に選ばれた人は史上初ではないか。
これには訳がある。 イスラム法廷連合はエチオピアに敗れる前から二つに分裂していた。 一つはシェイク・シャリフ率いる穏健派。もう一つはアウェイスという人物をカリスマと崇め、オサマ・ビン・ラディンのアル・カイダとも関係を持つ過激派「アル・シャバーブ」。 アル・シャバーブがあまりに過激なので、前々からシェイク・シャリフ達執行部と対立していたのが、エチオピア軍に敗北してからは完全に分裂。結局シェイク・シャリフたちはアラブ諸国の仲介で、暫定政権側に戻った、というのが一般的な説明。
だが実際は氏族対立。 シェイク・シャリフは頼朝系アブガルで、なんとアリ・マハディ頼朝の甥なのだ。そして、アル・シャバーブ側のアウェイスは義経系ハバル・ギディル。 元々イスラム法廷の軍事部門は義経系ハバル・ギディル主体だったから、軍事的に非主流派である頼朝系アブガルのシェイク・シャリフが離脱したとも言える(シェイク・シャリフは以降シェイク・シャリフ実朝と呼ぶ)
アメリカを中心とする国際社会側も南部ソマリアでいまだに最大勢力であるハウィエ源氏の実力者をトップに据えるしかないと認識した。穏健派とはいえ、イスラム原理主義者であるシェイク・シャリフ実朝をトップに据えれば「イスラム対アメリカ」という構図を避けることが出来る。

その後、義経系ハバル・ギディルを核とするアル・シャバーブは破竹の進撃を続け、南部ソマリアの大部分とモガディショ京都の三分の二を支配下に治めた。シェイク・シャリフ実朝の暫定政権はモガディショのたった三分の一しか支配できないという、超弱小政権となった。

そこで国際社会(アメリカ、EU、アラブ諸国、アフリカ諸国)はアフリカ連合ソマリア・ミッション(アミソム)というアフリカ連絡による軍隊をソマリアに派遣し、アル・シャバーブという怪獣と戦わせることにした。ウルトラセブン(アメリカやEU)が直接出動できないので、代わりにカプセル怪獣ミクラスを投入したようなものだ。
アミソムは一応、装甲車や銃火器を豊富に持ち、軍備ではアル・シャバーブより勝っているが、いかんせん、状況をよく飲み込めないまま戦地に投げ出されているカプセル怪獣である。アル・シャバーブによる首都の完全制圧を食い止めるので精一杯だ。

そんな2011年7月、アル・シャバーブによる「ラマダン攻勢」が始まった時に、私はモガディショに突入していかなければならなくなった。
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この内戦の歴史を普通に教科書的に記載されていたら5分と読み進められないであろう。
上の文章でも相当??と思われた方も多いと思うが、著者と一緒にバーチャルな旅を続けてきた読者にはスンナリと入ってくる記述なのだ。


イスラム原理主義というものについても勉強になる。
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一言で言えば、イスラム原理主義は「ワッハーブ派」というイスラム法学の一派に由来する。これは非常に極端な考えなので、今現在、公的に採用している国はサウジアラビアのみ。つまり、サウジは原理主義国家というわけだ。
女性の社会参加を厳しく制限する。酒を絶対に認めない。鞭打ちの刑を行っている。不倫は処刑。。といったことを国家の法律として定めているのはサウジだけである。

原理主義者の目的は大きく三つあると思われる。
・世界をイスラムで統一する。
・社会をシャリーア(イスラム法)で統治する。
・ウンマ(イスラム共同体)を再統一し、カリフ(予言者の後を継ぐ者、ウンマの代表者)を復活させる。

現実面では、最大のスポンサーはサウジアラビアであろう。サウジアラビアによるワッハーブ思想の輸出が大きい。
サウジの人間はオイル・マネーで潤っている。世界中にワッハーブ派のモスクやマドラサ(イスラム学校)を建てまくっている。

ここで重要なのは、サウジ的な「原理主義」は「穏健派」ということだ。
過激派の思想は20世紀、エジプトで生まれた。イスラム圏の為政者は宿命的にイスラムを抑圧もしくは弾圧する。弾圧される中で、イスラムが逆に先鋭化したのである。
サイイド・クトゥブというエジプト人のイスラム思想家は考えた。
「イスラムの思想を妨げる者はムスリムであっても本当のムスリムではない。ファーキル(不信心者)だ。だから異教徒と同様、殺してもいい」
これで体制に対するテロを正当化した。

もし不信心者を殺す時、他の信者が巻き添えになってしまっても、「イスラムの大義のためにやむを得ない。それに彼ら信心を持つ者は天国にいけるからよい」とした。
これで無差別テロが正当化された。
ここまでくれば「自分が爆弾を抱えて不信心者を殺し、天国へ行く」までは簡単である。 これで、イスラムでは本来絶対に許さない「自殺」が可能となり、自爆テロも正当化された。

皮肉なことに、かつてのムスリム同胞団やアル・カイダのような過激派の最大のスポンサーにして、彼らに非常に悩まされているのはサウジなのである。
サウジは原理主義の国だが、深く追求していけば矛盾が多々ある。
最大の矛盾は「なぜサウジ家という単なる一家族が国民を支配しているのか、イスラム的に説明できない」というところだ。もう、これはイスラム国家永遠の課題である。

異教徒である日本人にはピンと来ないが、実はイスラムほどイスラム諸国の支配者を脅かす者はない。
イスラム諸国の近現代史はイスラム弾圧の歴史でもある。それはイスラム原理主義的な体制であるスーダンやサウジアラビアでも同様だ。

覚醒植物カートは80年代になってから禁止された。一つは当時カートはもっぱらエチオピアから入ってきていたが、輸入に携わっていたのが主に反政府ゲリラだったので、その資金源を断つという目的があった。
もう一つはカート宴会が反政府集会につながりやすいという恐れである。 独裁政権というのはただでさえ、民衆が集まるのを嫌がる。「五人以上の集会の禁止」などはアジアや中東諸国の独裁国家では珍しくなかった。
為政者にとって「我らが信じる者は大統領にあらず、アッラーのみ!」となりやすいカート宴会は非常に危険なものである。
なぜなら「信じる者はアッラーのみ!」ということは、全ムスリムにとって絶対の真実であり、誰もそれを理屈で否定できないからだ。
そもそもコーランでは、世界を治めるのはウンマ(ムスリムの共同体)が選んだカリフのみとしている。なのに何故軍人上がりの奴や欧米の大学を出た奴が人々の上に君臨しているのか。そこに権力の正統性は何一つない。
だからこそ、イスラム圏の権力者はイスラムを声高に主張する者を非常に警戒し、厳しく取り締まるのだ。
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なるほど「信じる者はアッラーのみ」という教義と国の支配体制というのに常に矛盾を抱えているので、イスラム圏では内戦が多いということか、というのが非常に分かりやすい。

奇跡の国ソマリランドはどのようにして統治されているのか。
何故隣国のソマリア、プントランドと異なり内戦が終結したのか。
そのインフラ(電気、水道、交通網等)はどのようにして運営されているか。
それについては、是非本書をお読みいただきたい。



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