2013年12月22日日曜日

『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』

ダン・アリエリーの3冊目の著作。
この人の実験は、視点が非常に面白い。「数字探し課題」という発展性もある基本実験をベースに、色んな仮説を科学的に証明できる仕掛けを考える発想がすごい。
今回は、誰もがもっているちょっとした「ずる」についての考察。

我々は、自分を正直で立派な人物だと思いたい(心理学でいう「自我動機」)。
その一方では、ごまかしから利益を得て、出来るだけ得をしたい。
では、ごまかしから利益を確実に得ながら、自分を正直で素晴らしい人物だと思い続けるには、一体どうすればいいのだろうか。そこで「認知的柔軟性」の出番となる。
両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、「つじつま合わせ仮説」と呼ばれる仮説の根幹である。


結論は最後にまとめるが、その中にでてくる「自我消耗」という概念は面白い。
<シャイ・ダンジガー(テル・アビブ大学准教授)、ジョナサン・レバブ(スタンフォード大学准教授)が行った研究>
イスラエルで行われた多数の仮釈放決定を調べた結果、仮釈放審査委員会が仮釈放を許可することが最も多いのは、一日の最初の審問と、昼食休憩直後の審問だった。
仮釈放審査委員会にとって標準的な決定は、仮釈放を認めないこと。 判事が元気を回復したとき、つまり朝一番か、食事をして休憩を取った直後は、標準的な決定を覆して、より大きな努力を要する決定を行い、仮釈放を認める能力が高まっていたようだ。
しかし、一日のうちに多くの困難な決定を下し、認知負荷が高まるにつれて、仮釈放を認めないという単純で標準的な決定を選ぶようになった。

我々は人間であり、誘惑に屈しやすい。
一日中複雑な決定を下し続けていると、衝動と理性の葛藤を生むような状況に何度もとらわれる。
重要な決定(健康、結婚など)になると、葛藤は輪をかけて激しくなる。皮肉なことに、衝動を抑えようとする単純で日常的な努力が、自制心の在庫を減らしていき、その結果ますます誘惑に駆られやすくなる。
自分が一日中誘惑にさらされっぱなしだということ、また時間の経過とともに抵抗が積み上がっていくうちに、誘惑に抗う力が弱まることを自覚する必要がある。
消耗を理解することで、自制が必要な状況(たとえば職場での退屈きわまりない仕事など)には、まだ消耗していない日中の早い時間に(出来る限り)向かうべきだ。
誘惑にさらされると、背を向けるのが難しいとわかっているなら、近づきすぎて身動きが取れなくなる前に、欲求の引力から抜け出すのが得策だ。

この知見を日常の業務に活かそうとすると、上司の裁可を得るのに、標準的な内容の決裁であれば夕方(抗う意志が消耗している時)、決断が必要な内容であれば、朝一か昼一番(消耗しておらず元気な時)がいいということか。
退屈極まりない仕事は消耗してない時じゃなくても出来る気がする。


対外シグナリングという概念も非常に面白い。
対外シグナリングとは、我々が身につけるものを通して、自分が何物であるかを他人に知らせる方法のこと。
時をさかのぼって古代ローマの法には、奢侈禁止令という一連の規制があった。それはその後数世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国に浸透した。
この法では何よりもまず、身分や階級によって、誰が何を着て良いかが決められていた。法は驚くほど詳細に及んでいた。(最貧層は、たいがい法から除外されていた。カビ臭い麻布や毛織物、馬の尾の毛でできたシャツなど規制したところで仕方がないからだ)
一部の集団は「堅気」の人たちと間違えられることのないよう、さらに区別されていた。 例えば、売春婦が「不純さ」をシグナリングするために縞模様の頭巾の着用を強いられたり、異教徒が火あぶりの刑に処せられる可能性、または必要があることを示すために、薪の印をつけるよう強制されることもあった。
「身分を越えた身なりをする」者は、周りに対してもの言わずに、だがあらかさまに、嘘をついていた。 身分を越えた身なりをするのは死罪に値するような罪ではなかったが、法を破るものは罰金などの処分を受けることが多かった。
こうしたルールは、上流階級のばかばかしいまでの強迫症のように思えるかもしれないが、実は世間の人たちが自らシグナリングした通りの身分であることを保証するための策だった。つまり、無秩序と混乱を排除するためのしくみだ。
現代の衣服の階級制度は、昔ほど硬直的ではないが、成功と個性をシグナリングしたいという欲求は、かつてないほど高まっている。

著者が行った実験では「身なりは人をつくる」という諺の示す通り、ニセモノを身につけることは、倫理的判断に確かに影響を及ぼすという結果が出ている。
さらに、人は偽造製品のせいで、自分自身が不正直な行動をとるようになるだけでなく、他人のこともあまり正直でないと見なすようになることが実験で分かった。
つまり、偽造品を利用することで代償を払うのは、高級ブランド企業だけではない。
たった一つの不正行為をきっかけに、それ以降の行動が一変することがある。
おまけに、その不正行為を始終思い出させるようなものが身近にあれば(グッチの偽サングラスなど)、長期にわたって深刻な波及効果が続く。
要するに、究極的には誰もが「道徳通貨」建てで、偽造品の代償を払わされるということだ。

嘘をつくことの最大の問題点は、他人も嘘をついていると思ってしまうというカルマに囚われるという事だというのを何かで読んだことがある。
同様に、ニセモノを身につけるということは、結局他人も同様に不正直だと判断を誤らせるカルマに囚われるということか。


人は何かの「ふりをする」と、自分の行動と自己イメージ、それに周りの人たちに対する見方が変わるのだ。
どんなものであれ、不正行為をとるに足らないものと片付けるべきではない。
初犯は大抵の場合、初めてのことだし誰にでも間違いはあると言って大目に見られることが多い。
だが、初めての不正行為は、その後の自分自身や自分の行動に対する見方を形成するうえで、特に大きな意味をもつことも忘れてはならない。
だからこそ、最も阻止すべきは最初の不正行為なのだ。一見無害に思われる、単発の不正行為の数を減らすことこそが重要だ。

という訳で、NYで実践されて効果が出たと言われている「割れ窓理論」は非常に重要だということだ。


色々な実験によるまとめは以下の通り。
<不正をつくる要因のまとめ>
【不正を促す要因】
正当化の能力
利益相反
創造性
一つの反道徳的行為
消耗
他人が自分の不正から利益を得る
他人の不正を目撃する
不正の例を示す文化
【影響なし】
不正から得られる金額
つかまる確率
【不正を減らす要因】
誓約
署名
道徳心を呼び起こすもの
監視

割愛したが、「創造性」が不正を促す要因となっているというのも面白い(自己肯定する物語を創ってしまうということらしい)。
誓約、署名などが不正を減らす要因に挙げられているが、誘惑の瞬間に道徳心を呼び起こすのは驚くほど効果の高い方法であることが実験から分かっている。


最後に。
不正には「どうにでもなれ」効果というものがあるらしい。
しばらくはあまりごまかしをしないようにして、正直者という自己イメージを保ちながら、ごまかしから利益を得ようとする。
このような「バランスのとれた」ごまかしはしばらく続くが、ある時点で「正直の閾値」に達すると、それ以降は前よりもずっと頻繁にごまかしをするようになる。
興味深いことに、道徳的指針をリセットし、「どうにでもなれ」効果を阻止するために、特別に設計されたかのような社会的機構が、現に数多く存在する。
例えば、カトリックの懺悔やユダヤ教のヨム・キプル(贖罪の日)、イスラムのラマダン(断食月)、毎週の安息日といったリセットの儀式がそうだ。
これらはどれも自制心を取り戻し、堕落を食い止め、改心する機会を与えてくれる。
こんな感じで、宗教にはちゃんと「リセット」を許す仕掛けが盛り込まれているという。
(信仰をもたない人は、新年の抱負や、誕生日、転職、失恋などを「リセット」の機会と考えるといい)

著者は、不正に対抗するための、より効果的で実践的な方法を考えだすためには、まずそもそも何故人は不正な行動をとるのかを理解することが必要だと述べている。
理解が進んだからといって、人間が不正をしなくなるとは考えにくいが、正直者が馬鹿をみない、不正をしにくい世の中というのは目指していくべきである。




0 件のコメント: