2013年12月7日土曜日

『フレーミング』


タイラー・コーエン氏の著作。

行動経済学者らは、人間を「フレーミング効果」に影響されるものだと表現することがある。フレーミング効果とは、選択肢の提示が人の選択を左右することだ。
例えば全く同じ機会でも、何かを獲得する機会として示されると、何かを失う機会として示された場合よりも、無難な選択をしがちになる。
一般的な行動経済学では、「フレーミング効果」は人の決定を歪めるものだとされているが、多くの状況において、フレーミング効果は生活を一層現実的で生き生きとした意義あるものにする助けになる。

著作のタイトルからして、行動経済学上の「フレーミング」についての本かと思いきや、自閉症者の認知についての知見が多く書かれており、自閉症者の認知についての本かと思ったくらいであった。

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自閉症の大きな特徴の一つは、整理、系統立て、区分、収集、暗記、類別、リスト化などの行動によって、情報をさらに体系化しようとする傾向があることだ。
自閉症者は極度の情報好きで、非常に熱心に情報に関わろうとする。自分の関心のある分野において、自閉症者はまさに、情報食(インフォボア)になる。
自閉症者は心のないゾンビのように描かれることもあるが、実のところ、彼らは、意味を表す人間の記号体系に極めて強い関心を持つ人々なのだ。「喜び」「情熱」「自閉症」という三つの言葉を一緒に見かけることはあまりないだろうが、これらはたいてい密接に繋がり合っている。

私は、学校を、人が認知力の面でやや自閉症的になるように教えるところだと考えている。実際、極めて多くの学校では、集中することや、認知力の専門化、脳内整理を奨励している。
自閉症者は、非自閉症者よりも空想(内向きの休息的思考)に耽ることが少ないとみられる。 教育は社会的な影響力を用いて、自閉症的な認知力を育成しているのだ。
いくつかの事実が示しているのは、自閉症者は非自閉症者よりも、物語の形で考えることや、物語ベースの非常に鮮明な夢を見ることが少ないということだ。
自閉症者は情報を独特の形で脳内整理していると見られ、その整理作業は専門性が高く徹底的だが、物語はあまり重視しないようだ。

自閉症者は認知面で強みを持つ。
自閉症者は、対象物や芸術作品の美しさを評価するのに、文化的な基準を必要としないことが多い。
自閉症者には、非自閉症者が一般に芸術作品と呼ぶ媒体なしで、そうした対象の美しさの質を部分的に評価出来る面もあるようだ。
自閉症者は、形や色、触感などの根源的な美を探り当てるのに、自分自身と関心対象の質との間に、社会的に作られた一般的な関係性を必要としない。
こうした自閉症者は、楽しく充実した芸術的世界に暮らしているが、彼らの楽しみは、社会的な媒体や、型通りの思考基準や解釈にはあまり依存していないため、他者はこの楽しみに気付きにくい。
このギャップは、「自閉症者対非自閉症者」といった単純なものではない。自閉症者の知覚力も極めて多様であることを思い出して欲しい。だから、たとえ他に同様の人がいなくても、自閉症者はそれぞれ自分の美的思考に基づいて、様々な対象に没頭する傾向があるのだ。
非自閉症者の文化的基準と比べられるような「自閉症者の文化的基準」は存在しない。こうした基準がないことは弱点のように見えるかもしれないが、強みと捉えることも出来る。
自閉症者は必ずしも基準というレンズを通じて美を評価する必要がない。
文化的基準とは、多くの自閉症者が全く必要としない、一種の知覚的な支え、つまりフレーミングの道具であるとも考えられる。
自閉症者はこの点で、一部の仏教思想により近い立場にある。彼らは全世界の美を、極めて小さな、または極めて特殊な対象物の中に見いだすことができる。
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自閉症者は認知のプロセスにおいて「フレーミング」効果を受けにくい。非自閉症者が一定の文化における「物語」を通じて認知をする傾向があるのに対し、そういったコンテキスト(文脈)を無視して一つ一つの情報を脳内整理し認知するのが自閉症者のやりかた、ということか。


ポスト工業化時代においては、価値を生み出す作業の多くは、個人個人の心の中で行われるようになった
「生産物」は工場の床に積まれるものではなく、人間の心の内面へと変わってきている。 大手メディア会社が映像をつくり出したとしても、それを見たり聞いたりする側が頭の中を整理することで意味や解釈が生まれているのであり、価値のほとんどはそこに存在する。
「価値」は人の心の中(認知のされ方)によって大きくも小さくもなるということだ。
では、その認知され方にはどのような傾向があるのか。
だんだん「フレーミング」というタイトルっぽい話題となっていく。

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アクセスが簡単であれば、我々は短く、快く、小さいものを好み、アクセスが困難であれば、大規模な制作物や派手なもの、傑作などを求める傾向がある。
こうしたメカニズムを通じて、アクセスのコストは人間の内面の活動に影響する。
我々の手に入る文化は、たいてい「小さなピース」と「大きなピース」の二種類からなる。
アクセス・コストが高いと、小さいピースははじき出され〜選ぶに値しないのだ〜結果的に大きなピースに目が向けられる。
アクセス・コストが低ければ、大小様々なピースが選択可能になるが、どちらかといえば小さいピースの方が好まれる。

文化のピースが短くなってくると、新しいことに挑戦しやすくなる。
様々な物事をほんの少しずつ取り入れることで、何かを試してみたいという願望が満たされやすくなるのだ。
web上の基本的な通貨とは、お金ではなく、喜びや落胆の小さな爆発だと言えるだろう。 人は、楽しさの小さな爆発を、最初からすぐに、たくさん与えてくれるウェブサイトや文化的メディアを好む傾向がある。
クリックの回数が満足感と失望感の分かれ目になるのは、非常によくあることだ。
何かを始め、終わらせる喜びを得たいという気持ちも、文化の小さなピースを求める動機になる。

現在の文化は、かつてなく小さく多量のピースによって形成されるようになったが、「情報や知識の供給過多の時代になった」ということなのだろうか。
外部者から見て、それぞれのテーマがバラバラのようであっても、その流れの大半は、その人の情熱や関心、所属、そして全体のまとまりに関連しているということで一貫性がある。
根本的にはすべて自分に関することであり、これこそ多くの人々が好むテーマなのだ。 現在では、外の世界から得た情報のピースを組み合わせ、操作し、それを再び個人的な関心事に結びつけることがかつてなく容易になっている。

多くの批評家は、マルチタスキングによって我々の効率性が落ちていると批判する。
だが、文化の小さなピースを楽しみ、組み合わせることに関しては、マルチタスキングは非常に効率的である。
マルチタスキングは、(人間の内的な)生産活動の主要な手段であることが極めて多い。 マルチタスキングは、自分の興味を持続させる方策の一つでもあるのだ。
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情報取得のアクセス・コストが低くなった昨今においては、小さなピースの情報が好まれる。大河ドラマのような物語は、アクセス・コストがかかる場合のみに選択されるようだ。
小さなピースは、紡がれて全体を構成するわけだが、この小さなピースの選び方が既に一定のテーマに基づいた一貫性のあるものになっているはずだというわけだ。
自閉症者は、テーマに一貫性がなくてものめり込むことが出来るのに対し、非自閉症者はテーマに一貫性がないと小さなピースを集めることに興味が湧かなくなってくるということか。

だから認知における脳内整理の仕方というのが非常に重要なものとなってくる。
経済学者らは、我々人間を経済人(ホモ・エコノミクス)として研究してきたが、数十年前に社会科学者らが、遊戯を楽しむ人間の性質を調査し、遊戯人(ホモ・ルーデンス)という言葉が生まれた。 そして現在では、新しい種類の人間が、その頭の中で自分だけの経済を創造している。整理人(ホモ・オルド)の時代がやってきたのだ。


多様化の時代について、情報認知面での傾向についても記載されている。
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「違いが災いのもとではなく恵みになるのは、交換によってである」
この考え方のもとで、経済学、神経学、そしてウェブは一体になる。この交換についての考えは、ウェブが極めて重要になる理由のひとつである。 そう考えることで、特に自閉症者にとって交換が極めて重要なことや、自閉症者とのやり取りによって、非自閉症者が自閉症的な認知面の強みから利益を得られることも説明しやすくなる。

現実の世界で出会うフレーミングは、一般に自分の選択を示しており、その選択の裏には何らかの理由がある。フレーミング効果に関する行動学的研究のほとんどは、市場経済の最も基本的な特徴である競争(この場合はメッセージ間の競争)を排除している。
自分が非合理的な決定をしたのは、おそらくそれが自分の現実に、ひいては自分だけの経済をフレーミングする、自分で選んだ方法に合っていたからなのだ。

この考え方のもとで、経済学、神経学、そしてウェブは一体になる。この交換についての考えは、ウェブが極めて重要になる理由のひとつである。
そう考えることで、特に自閉症者にとって交換が極めて重要なことや、自閉症者とのやり取りによって、非自閉症者が自閉症的な認知面の強みから利益を得られることも説明しやすくなる。

安く簡単に手に入る文化の世界では、伝達の媒体はかつてないほど大きな重要性をもつ。媒体は情報をどう整理するか、また何を整理するかを左右するのだ。

コミュニケーション手段をどう決定するかは、あなたの人生で実現する、最高に豊かな経済を創造するにあたっての、基本的な選択なのである。
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これだけメディアが多数あり情報入手が簡単な世界においては、どのフレームを選択するかも自ら選んでいるといえる、ということ。情報をとる前から、「どのメディアで情報をとるかの選択」が実は個々人の「フレーミング」であるということ。
こういった話しになると、何故か攻殻機動隊を思い出してしまう。。

自閉症者の有名人としてシャーロック・ホームズ先生が出てきたり、実は文化の多様性にゆかりのある地域を巡って世界を旅するなら、真っ先に東京に行くべし(ちなみに次はフィンランドらしい)という記載があったりして非常に馴染み深い記載も多かった。

自閉症者の話しが多くタイトルとの差異に若干の違和感を覚えたが、読み解いていくと内容的には脳内認知というテーマを色々な切り口から述べられた良書であった。

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