過去、現代ほど効率化が求められ、専門化が進んでいた時代はなかったのではないだろうか。
その現代の”細分化された専門化集団”を「サイロ」と呼び、サイロの弊害、リスク、そしてそのサイロのリスクヘッジの仕方について述べた本である。
とは言え、著者の立場は「反サイロ」ではない。 むしろ現代社会にはサイロが必要であるという認識から出発している。
少なくともサイロがスペシャリストの集まった部署やチームや場所を意味するのなら、間違いなく必要なものだ。
理由は明白である。我々はひどく複雑な世界で生きており、この複雑さに対応するためには何らかの「体系化」が必要だ。しかも、データ量、組織の規模、技術の複雑性が増す中、その必要性は高まるばかりだ。
サイロの危険を完全に払拭することはできない。サイロを克服するのは終わりなき戦いである。
というのも、我々を取り巻く世界は常に変化し、二つの逆方向の力が働いているからだ。 複雑な世界にはスペシャリストや専門家集団が必要だが、それと同時に統合的な、柔軟な視点で世界をみる必要もある。
サイロを克服するには、この両極の間の細い道をうまく渡っていかなければならない。これは容易ならざる作業だ。
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サイロの事例として
NY市、シカゴ警察、UBS、SONY、クリーブランド・クリニックなど沢山の成功および失敗の事例が出てくる。
サイロのリスクをヘッジする手法として、著者が推薦しているのが人類学の手法だ。
人類学者の視点は、サイロを理解するのにも役立つ。
突き詰めるとサイロは文化的現象であり、我々が世界を様々な区分に分類し、整理するためのシステムの産物である。
サイロのリスクをヘッジする。
この難しい課題に取り組む第一歩は、まずサイロの存在を認めること。
続いてその影響についてしっかり考えることだ。
サイロに関する文献は二つの視点から書かれるものが多い。
一つは「どうすればより良い組織の構造をつくれるか」という経営コンサルタント的視点。
もう一つは、我々の心理に着目する心理学者的視点である。
しかし、サイロはそもそも文化現象である。
サイロは社会集団や組織が世界をどのように区分するかについて固有のしきたりを持っているために生まれる。
我々が世界を区分する際のしきたりは、正式に定義あるいは明文化されていないことも多い。そうではなく、無意識のうちに自らを取り巻く環境から吸収する、複雑に入り組んだ規範、伝統、慣習などから生まれるのだ。
つまり、我々が世界を分類する際に使うパターンの多くは文化的に継承するものだ。それらは意識的思考と本能の境界上にある。
文化が我々にとって「普通」であるのと同じように、こうしたパターンも自然なものに思える。あまりに自然であるために、その存在に気づくことも、また自らの世界観を規定するような公式および非公式な区分法があるという事実を意識することさえ滅多にない。
一方こうした分類システムについてとことん考え抜くのが人類学者だ。
それは分類のプロセスが人間文化の根本を成すものであることを知っているからだ。
ある意味では分類法そのものが文化なのだ。
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では色々な事例から演繹されたサイロのリスクヘッジの方法とは・・・?
サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
ただ分類システムが過度に硬直化し、サイロが危険なまでに強固に根を張ると、我々にはリスクだけでなく魅力的なチャンスも見えなくなってしまう。
サイロは様々な組織で問題を引き起こしてきた。Microsoft、ゼネラル・モーターズ、ホワイトハウス、イギリスの国民保険サービス、BBC、BPなど挙げていけばきりがない。
ではこの問題を防ぐために、できることはあるのか。私はあると考える。
しかし、サイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だ。
一つ目の教訓は、Facebookがしたように、大規模な組織においては部門の境界を柔軟で流動的にしておくのが好ましいということだ。
ハッカー期間制度を通じて社員を異動させることには意義がある。
ハッカソンやオフサイトミーティングのような異なる部門の社員が出会い、絆を深められるような場所や制度を設けておくのも良い。
社員を同じスペースに誘導し、常に意外な出会いがあるように建物の物理的デザインを工夫するのも有効だ。クリーブランド・クリニックの通路やFacebookの広場は、そうした機能を非常によく果たしている。
いずれにせよ組織のメンバーが内向きになったり、守りの姿勢になるのを防ぐには、交わる機会を増やす必要がある。
二つ目の教訓は、組織は報酬制度やインセンティブについて熟慮すべきだということだ。
各自の所属するグループの業績だけに基づいて報酬が決まり、しかもグループ同士が社内で競争関係にあると、お金をかけてオフサイトを何回開こうが、オープンオフィスのレイアウトを採用しようが、グループ同士が協力する可能性は低い。
集団としてのモノの考え方を促したければ、クリーブランド・クリニックやブルーマウンテン・キャピタルが採用しているような協調重視の報酬制度をある程度採りいれなければならないだろう。
三つの目の教訓は、情報の流れも重要であるということだ。
UBSやSONYの例からは、各部門が情報を抱え込むととてつもないリスクが蓄積される可能性があるのがわかる。
これに対する一つの解は、全員がより多くのデータを共有するようにすることであり、現代のコンピューティング技術をもってすればそれは容易に実現できる。
重要なのは誰もが自分なりに情報を解釈し、そうして生まれる多様な解釈に組織が耳を傾けるようにすることだ。組織内で自分達にしか分からないような複雑な専門用語を多用し、代替案をハナから拒否するような専門家のチームが幅を利かせていると中々実現は難しい。
大企業に本当に必要なのはスペシャリストのサイロの間を行き来し、個々のサイロの内側にいる人々に他の場所では何が起きているかを伝える「文化の翻訳家」なのかもしれない。
とはいえ、組織のメンバー全員が文化の翻訳家である必要はない。10%位でいいだろう。ほとんどの人は得意分野の異なるスペシャリストであっていい。それでも大規模な組織には複数の専門領域に通じた翻訳家が必要だ。
経済学者、トレーダー、あるいは他の職種の専門用語など、異なる「言語」を尊重する姿勢も重要だ。
「これは認識論、すなわち何を知識と見做すべきかの問題だ。他の人が自分と異なる言語を話すからと言って、それを無視して良いことにはならない」
四つ目の教訓は、組織が世界を整理しているのに使っている分類法を定期的に見直すこと。
願わくは代替的な分類システムを試すことができれば、大きな見返りがあるということだ。
我々は大抵承継した分類システムを無批判に受け入れる。だがそうしたシステムが理想的なものであることはまずない。時代遅れになっていたり、特定の利益集団の役にしかたたないこともある。
パターンを変えるだけでイノベーションが生まれることもある。少なくとも人々の視野は拡がるはずだ。
五つ目の教訓は、サイロを打破するにはハイテクを活用するのも有効である、ということだ。
コンピュータの利点は、消去できない心理的バイアスを生まれつき持ち合わせていないことだ。プログラムを変更すればそれまでとは違った方法で情報を整理したり、新しい分類法をテストすることも出来る。
今日のコンピューティング・システムのデータ処理能力をもってすれば、人間の思考方法を変えるよりコンピュータのデータを組み直す方がずっと速く簡単だ(そしてデータは人間と違って命令に抗ったり、対応を遅らせたりはしない)
しかし、データの分類方法が自動的に変わることも、サイロがおのずから崩壊することもない。
何より重要なのは、これでもかというぐらいの人間の想像力なのだ。
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この想像力を得るための手法として人類学者の手法が活きると著者は言う。
ではサイバースペースや現実世界で既存の分類システムに疑問を持つのに不可欠な想像力はどうすれば手に入るのか。
一つの選択肢は、人類学の基本的考え方を拝借することだ。人類学とはモノの考え方あるいは世界の見方であり、いくつかの明確な特徴がある。
第一に、人類学者は人々の生活をボトムアップの視線で見ようとする。研究室を出て、現場で生活を経験することを通じてミクロレベルのパターンを理解し、マクロ的全体像をつかもうとする。
第二に、人類学者はオープンマインドで物事を見聞きし、社会集団やシステムの様々な構成要素がどのように相互に結びついているかを見ようとする。壁にとまっているハエのように、静かに周囲の様子を観察する。
第三に、研究対象の全体を見ようとし、その社会でタブーとされている、あるいは退屈だと思われているために人々が語らない部分に光をあてる。社会的沈黙に関心をもつのだ。
第四に、人々が自らの生活について語る事柄に熱心に耳を傾け、それと現実の行動を比較する。人類学者は建前と現実のギャップが大好きだ。
第五に、人類学者は異なる社会、文化、システムを比較することが多い。最大の理由は比較することで異なる社会集団の基礎となるパターンの違いが浮かび上がるからだ。
別の世界に身を投じてみると、「他者」について学べるだけでなく、自らの生き方を新しい目で見直すことができ、視界が開けてくる。こうしてインサイダー兼アウトサイダーになるのだ。
第六の、そして最も重要な特徴は、人類学は人間の正しい生き方は一つではない、という立場をとることだ。
人類学者は、我々が世界や頭の中を整理するために使っている分類システムが、およそ必然的なものではないことをよく分かっている。それは通常、生まれつき持っているものではなく、後天的に身につけるものだ。
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サイロのリスクをヘッジするためには、”インサイダー兼アウトサイダー”の視点が有効という。
現代の社会にサイロは不可欠だ。だがサイロの弊害に囚われるのを避ける方法はある。
人類学者に倣って「インサイダー兼アウトサイダー」の視点から自分達が世界をどう分類しているかを見直すのは、リスクに抗う方法の一つだ。
インサイダー兼アウトサイダーになると、柔軟さを失った境界の危険性を認識できるようになる。境界を自在に引き直したり、全く違う世界を思い描いたり、分類システムや組織の「縁(へり)」でイノベーションを生み出したりする想像力が湧いてくる。
もちろんこの目標を追求しようとすると、大きな問題に少なくとも一つは突き当たる。
予想もしない人やモノとの出会いを受け入れ、世界を旅し、インサイダー兼アウトサイダーの視点を獲得するには、時間と労力がかかるのだ。
サイロの中にとどまること、継承した境界を無批判に受け入れることの方が一見ずっと楽だ。
組織の経営者は無駄を省き、できるだけ効率を高めなければならないというプレッシャーに晒されている。
現代社会においては専門化と集中が好ましいとみられている。
そんな中で他部門の人々との交流、部門間の人事異動、社員をイノベーションの旅に送り出すといった時間のかかる、目先の利益につながらない活動を正当化するのは難しい。
だが忘れてはならない。我々の世界は効率化を追求し過ぎるとかえってうまく機能しなくなるのだ。
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この半年間の業務では自分がいかに”サイロ”の中にいて、知っているつもりで知らないことが多かったかを認識させられた。
それを打破するための手法を学ぶために、この本を読むに至った。
学んだことは実践せねば。
以下本書に記載されている名言を。
「何故我々は時として自分に何も見えていないことに気づかないのか」
心理学者ダニエル・カーネマン
「確立された秩序というものは、どこまでも恣意的なシステムでありながら、どこまでも自然にみえる」
ピエール・ブルデュー 〜フランス、近代人類学の創始者の一人
「IBMでの経験を通じて、文化が勝負の一要素などではないことに気づいた。文化こそが本丸だった」
ルイス・ガースナー
「専門家に聞けば何んでもわかる。正しい質問をすれば、だが」
クロード・レヴィ=ストロース
「未来を見ながら点と点を結びつけることはできない。つながりは過去を振り返ったとき初めてわかるものだ。だから点と点がいつかどこかで結びつくと、信じるしかない」
スティーブ・ジョブズ
「イノベーションはたいてい境界で生まれる。新しいタイプのチャンスや課題の存在を示唆するパターンが見つかるのもそこだ」
ジョン・シーリー・ブラウン 〜科学者・組織理論学者
その現代の”細分化された専門化集団”を「サイロ」と呼び、サイロの弊害、リスク、そしてそのサイロのリスクヘッジの仕方について述べた本である。
とは言え、著者の立場は「反サイロ」ではない。 むしろ現代社会にはサイロが必要であるという認識から出発している。
【サイロ】
>>>>>>少なくともサイロがスペシャリストの集まった部署やチームや場所を意味するのなら、間違いなく必要なものだ。
理由は明白である。我々はひどく複雑な世界で生きており、この複雑さに対応するためには何らかの「体系化」が必要だ。しかも、データ量、組織の規模、技術の複雑性が増す中、その必要性は高まるばかりだ。
サイロの危険を完全に払拭することはできない。サイロを克服するのは終わりなき戦いである。
というのも、我々を取り巻く世界は常に変化し、二つの逆方向の力が働いているからだ。 複雑な世界にはスペシャリストや専門家集団が必要だが、それと同時に統合的な、柔軟な視点で世界をみる必要もある。
サイロを克服するには、この両極の間の細い道をうまく渡っていかなければならない。これは容易ならざる作業だ。
>>>>>>
サイロの事例として
NY市、シカゴ警察、UBS、SONY、クリーブランド・クリニックなど沢山の成功および失敗の事例が出てくる。
サイロのリスクをヘッジする手法として、著者が推薦しているのが人類学の手法だ。
【人類学者の視点】
>>>>>人類学者の視点は、サイロを理解するのにも役立つ。
突き詰めるとサイロは文化的現象であり、我々が世界を様々な区分に分類し、整理するためのシステムの産物である。
サイロのリスクをヘッジする。
この難しい課題に取り組む第一歩は、まずサイロの存在を認めること。
続いてその影響についてしっかり考えることだ。
サイロに関する文献は二つの視点から書かれるものが多い。
一つは「どうすればより良い組織の構造をつくれるか」という経営コンサルタント的視点。
もう一つは、我々の心理に着目する心理学者的視点である。
しかし、サイロはそもそも文化現象である。
サイロは社会集団や組織が世界をどのように区分するかについて固有のしきたりを持っているために生まれる。
我々が世界を区分する際のしきたりは、正式に定義あるいは明文化されていないことも多い。そうではなく、無意識のうちに自らを取り巻く環境から吸収する、複雑に入り組んだ規範、伝統、慣習などから生まれるのだ。
つまり、我々が世界を分類する際に使うパターンの多くは文化的に継承するものだ。それらは意識的思考と本能の境界上にある。
文化が我々にとって「普通」であるのと同じように、こうしたパターンも自然なものに思える。あまりに自然であるために、その存在に気づくことも、また自らの世界観を規定するような公式および非公式な区分法があるという事実を意識することさえ滅多にない。
一方こうした分類システムについてとことん考え抜くのが人類学者だ。
それは分類のプロセスが人間文化の根本を成すものであることを知っているからだ。
ある意味では分類法そのものが文化なのだ。
>>>>>>
では色々な事例から演繹されたサイロのリスクヘッジの方法とは・・・?
【サイロに対応する教訓】
>>>>>>サイロを専門家集団と定義すれば、その存在は必然である。
ただ分類システムが過度に硬直化し、サイロが危険なまでに強固に根を張ると、我々にはリスクだけでなく魅力的なチャンスも見えなくなってしまう。
サイロは様々な組織で問題を引き起こしてきた。Microsoft、ゼネラル・モーターズ、ホワイトハウス、イギリスの国民保険サービス、BBC、BPなど挙げていけばきりがない。
ではこの問題を防ぐために、できることはあるのか。私はあると考える。
しかし、サイロをコントロールするという戦いに終わりはない。常に進行中の作業だ。
一つ目の教訓は、Facebookがしたように、大規模な組織においては部門の境界を柔軟で流動的にしておくのが好ましいということだ。
ハッカー期間制度を通じて社員を異動させることには意義がある。
ハッカソンやオフサイトミーティングのような異なる部門の社員が出会い、絆を深められるような場所や制度を設けておくのも良い。
社員を同じスペースに誘導し、常に意外な出会いがあるように建物の物理的デザインを工夫するのも有効だ。クリーブランド・クリニックの通路やFacebookの広場は、そうした機能を非常によく果たしている。
いずれにせよ組織のメンバーが内向きになったり、守りの姿勢になるのを防ぐには、交わる機会を増やす必要がある。
二つ目の教訓は、組織は報酬制度やインセンティブについて熟慮すべきだということだ。
各自の所属するグループの業績だけに基づいて報酬が決まり、しかもグループ同士が社内で競争関係にあると、お金をかけてオフサイトを何回開こうが、オープンオフィスのレイアウトを採用しようが、グループ同士が協力する可能性は低い。
集団としてのモノの考え方を促したければ、クリーブランド・クリニックやブルーマウンテン・キャピタルが採用しているような協調重視の報酬制度をある程度採りいれなければならないだろう。
三つの目の教訓は、情報の流れも重要であるということだ。
UBSやSONYの例からは、各部門が情報を抱え込むととてつもないリスクが蓄積される可能性があるのがわかる。
これに対する一つの解は、全員がより多くのデータを共有するようにすることであり、現代のコンピューティング技術をもってすればそれは容易に実現できる。
重要なのは誰もが自分なりに情報を解釈し、そうして生まれる多様な解釈に組織が耳を傾けるようにすることだ。組織内で自分達にしか分からないような複雑な専門用語を多用し、代替案をハナから拒否するような専門家のチームが幅を利かせていると中々実現は難しい。
大企業に本当に必要なのはスペシャリストのサイロの間を行き来し、個々のサイロの内側にいる人々に他の場所では何が起きているかを伝える「文化の翻訳家」なのかもしれない。
とはいえ、組織のメンバー全員が文化の翻訳家である必要はない。10%位でいいだろう。ほとんどの人は得意分野の異なるスペシャリストであっていい。それでも大規模な組織には複数の専門領域に通じた翻訳家が必要だ。
経済学者、トレーダー、あるいは他の職種の専門用語など、異なる「言語」を尊重する姿勢も重要だ。
「これは認識論、すなわち何を知識と見做すべきかの問題だ。他の人が自分と異なる言語を話すからと言って、それを無視して良いことにはならない」
四つ目の教訓は、組織が世界を整理しているのに使っている分類法を定期的に見直すこと。
願わくは代替的な分類システムを試すことができれば、大きな見返りがあるということだ。
我々は大抵承継した分類システムを無批判に受け入れる。だがそうしたシステムが理想的なものであることはまずない。時代遅れになっていたり、特定の利益集団の役にしかたたないこともある。
パターンを変えるだけでイノベーションが生まれることもある。少なくとも人々の視野は拡がるはずだ。
五つ目の教訓は、サイロを打破するにはハイテクを活用するのも有効である、ということだ。
コンピュータの利点は、消去できない心理的バイアスを生まれつき持ち合わせていないことだ。プログラムを変更すればそれまでとは違った方法で情報を整理したり、新しい分類法をテストすることも出来る。
今日のコンピューティング・システムのデータ処理能力をもってすれば、人間の思考方法を変えるよりコンピュータのデータを組み直す方がずっと速く簡単だ(そしてデータは人間と違って命令に抗ったり、対応を遅らせたりはしない)
しかし、データの分類方法が自動的に変わることも、サイロがおのずから崩壊することもない。
何より重要なのは、これでもかというぐらいの人間の想像力なのだ。
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この想像力を得るための手法として人類学者の手法が活きると著者は言う。
【人類学者の手法】
>>>>>>ではサイバースペースや現実世界で既存の分類システムに疑問を持つのに不可欠な想像力はどうすれば手に入るのか。
一つの選択肢は、人類学の基本的考え方を拝借することだ。人類学とはモノの考え方あるいは世界の見方であり、いくつかの明確な特徴がある。
第一に、人類学者は人々の生活をボトムアップの視線で見ようとする。研究室を出て、現場で生活を経験することを通じてミクロレベルのパターンを理解し、マクロ的全体像をつかもうとする。
第二に、人類学者はオープンマインドで物事を見聞きし、社会集団やシステムの様々な構成要素がどのように相互に結びついているかを見ようとする。壁にとまっているハエのように、静かに周囲の様子を観察する。
第三に、研究対象の全体を見ようとし、その社会でタブーとされている、あるいは退屈だと思われているために人々が語らない部分に光をあてる。社会的沈黙に関心をもつのだ。
第四に、人々が自らの生活について語る事柄に熱心に耳を傾け、それと現実の行動を比較する。人類学者は建前と現実のギャップが大好きだ。
第五に、人類学者は異なる社会、文化、システムを比較することが多い。最大の理由は比較することで異なる社会集団の基礎となるパターンの違いが浮かび上がるからだ。
別の世界に身を投じてみると、「他者」について学べるだけでなく、自らの生き方を新しい目で見直すことができ、視界が開けてくる。こうしてインサイダー兼アウトサイダーになるのだ。
第六の、そして最も重要な特徴は、人類学は人間の正しい生き方は一つではない、という立場をとることだ。
人類学者は、我々が世界や頭の中を整理するために使っている分類システムが、およそ必然的なものではないことをよく分かっている。それは通常、生まれつき持っているものではなく、後天的に身につけるものだ。
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サイロのリスクをヘッジするためには、”インサイダー兼アウトサイダー”の視点が有効という。
【インサイダー兼アウトサイダー】
>>>>>>現代の社会にサイロは不可欠だ。だがサイロの弊害に囚われるのを避ける方法はある。
人類学者に倣って「インサイダー兼アウトサイダー」の視点から自分達が世界をどう分類しているかを見直すのは、リスクに抗う方法の一つだ。
インサイダー兼アウトサイダーになると、柔軟さを失った境界の危険性を認識できるようになる。境界を自在に引き直したり、全く違う世界を思い描いたり、分類システムや組織の「縁(へり)」でイノベーションを生み出したりする想像力が湧いてくる。
もちろんこの目標を追求しようとすると、大きな問題に少なくとも一つは突き当たる。
予想もしない人やモノとの出会いを受け入れ、世界を旅し、インサイダー兼アウトサイダーの視点を獲得するには、時間と労力がかかるのだ。
サイロの中にとどまること、継承した境界を無批判に受け入れることの方が一見ずっと楽だ。
組織の経営者は無駄を省き、できるだけ効率を高めなければならないというプレッシャーに晒されている。
現代社会においては専門化と集中が好ましいとみられている。
そんな中で他部門の人々との交流、部門間の人事異動、社員をイノベーションの旅に送り出すといった時間のかかる、目先の利益につながらない活動を正当化するのは難しい。
だが忘れてはならない。我々の世界は効率化を追求し過ぎるとかえってうまく機能しなくなるのだ。
>>>>>>
この半年間の業務では自分がいかに”サイロ”の中にいて、知っているつもりで知らないことが多かったかを認識させられた。
それを打破するための手法を学ぶために、この本を読むに至った。
学んだことは実践せねば。
以下本書に記載されている名言を。
「何故我々は時として自分に何も見えていないことに気づかないのか」
心理学者ダニエル・カーネマン
「確立された秩序というものは、どこまでも恣意的なシステムでありながら、どこまでも自然にみえる」
ピエール・ブルデュー 〜フランス、近代人類学の創始者の一人
「IBMでの経験を通じて、文化が勝負の一要素などではないことに気づいた。文化こそが本丸だった」
ルイス・ガースナー
「専門家に聞けば何んでもわかる。正しい質問をすれば、だが」
クロード・レヴィ=ストロース
「未来を見ながら点と点を結びつけることはできない。つながりは過去を振り返ったとき初めてわかるものだ。だから点と点がいつかどこかで結びつくと、信じるしかない」
スティーブ・ジョブズ
「イノベーションはたいてい境界で生まれる。新しいタイプのチャンスや課題の存在を示唆するパターンが見つかるのもそこだ」
ジョン・シーリー・ブラウン 〜科学者・組織理論学者