2015年2月15日日曜日

『2018年までのマンション戦略バイブル』

あまり不動産関連の本って買わないのだが、ついつい気になることが書いてあるので購入して読む。
色々知らないビックリなことも書いてあって、恥ずかしながら非常に勉強になった。


基本的には日本の不動産を巡る7つのメガトレンドを示した上で、
「不動産投資は自宅で」「買うなら湾岸タワー」というのが著者の主張。

<7つのメガトレンド>

①デフレからインフレへ
これから数年は不動産でどう資産を形成するかを考える時期だと言える。
②人口増加から減少へ
今後、郊外では住宅に買い手がつかない状況となるだろう。
③相続対策需要の増加
東京都心部では、今から30年は続く「相続税対策特需」がある。
④資金の出し手の国際化
円安も進行し、外国人投資家の目からみれば、東京の不動産はまさにお買い得。
⑤不動産評価方法の変化
取引事例比較法から収益還元法へ。
⑥新築購入リスクの増加
これから数年間、新築で売り出されるマンションは、中古物件になったとき大きく値下がりする可能性が高い。
⑦自宅購入者の情報力向上
売る側と買う側の情報格差が縮小。

まぁ、正直このあたりは知ってるよ〜(もしくは言ってることは分かるよ〜)、という感じだが、相続対策需要の増加などは数字で説明されるとなるほどという感じ。

<相続対策需要の増加>

◯日本国民の個人金融資産を保有年代別に分けると、60歳以上は1000兆円以上を保有している。この1000兆円が保有者の死亡に伴う相続により、1世代およそ30年間をかけて次世代に移転されることになる。それだけで毎年33兆円。不動産を合わせると年間50兆円にも達する。 この巨大マネーの流れが相続対策用不動産の需要を生む。
◯国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」における推計では、現在およそ130万人の年間死亡者数は今後年を追って増加し、2040年頃に168万人〜165万人でピークを迎える。その後は漸減するものの、2060年になっても150万人を超えている。
2014年現在を上回る相続需要がこの先、30年以上続くのだ。

某高額物件仲介会社さんのチラシだと「相続税圧縮率」という指標が案件ごとに記載されていてビビったが、それも上記のような世の中の流れを捉えての話ということだ。

<不動産アービトラージ>

アービトラージとは「サヤ抜き」という意味。
【不動産アービトラージその1】
賃貸に出ている物件を入居者がいる状態で売却することを「オーナーチェンジ」と呼ぶ。 オーナーチェンジの場合、買い手は投資家となるため、利回りだけが注目され、価格は完全な収益還元法で決まる。
しかし賃貸物件ではあっても、ファミリーユースの場合、入居者が引っ越すのを待ってから空き家の状態で売れば、自宅用として購入する買い手が出てくる。多くの場合その方が高値がつく。
この投資用の収益物件と実需用のファミリーユース物件の価格差はアービトラージの代表例と言える。
投資用と実需用のアービトラージを利用して、オーナーチェンジ物件を買って空きになるまで待ち、入居者が出て行ったら売る、という売買を繰り返して利益を上げ成長したのが、ジャスダックに上場しているスター・マイカ株式会社である。同社はこの独自の視点による運用で時価総額120億円まで成長したが、その後ビジネスモデルを真似されて伸び悩んでいる。

【不動産アービトラージその2】
「タワーマンションの高層階の北向き物件は、中古になった時に値上がりする傾向が強い」
 2006年〜2010年の東京23区の中古マンション販売事例6万8683戸を調べ、方角別に中古騰落率を調査したところ、結果は北向きが11.0%値上がりしているのに対し、南向きは1.9%値下がりしていた。南北の騰落率差は12.9%に達しており、北向き物件を購入した方が1割以上お得だったのである。
新築時には、実物を見る前に購入を検討する。北向き物件は「日照ゼロ」ということで敬遠されることになり、デベロッパーは売りやすくするために「南北格差」を10〜20%設定する。
一方、中古物件の購入は実物を内覧した上で判断される。その際、北向き物件は開口部の間口が違う。
スタイルアクトのデータベースをもとに、75㎥の間取りの場合の主開口部の長さを方角別に算出すると、南向き物件の7.1m(7m×11m)に対し、東と西は7.9m、北向き物件は9.1m(9m×8m)と突出していた。これはデベロッパーが単価を高く設定できる南向き住戸を少しでも増やそうとした結果である。

うーん、北向き住戸の値付けについては認識していたけど、正直間口の広さにまで考えが及んでなかった。やられた感あり。


その他に、恥ずかしながらとても勉強になったこと。
賃料の下落率はざっくり10年で10%程度。
首都圏の家賃は過去20年間ほとんど横ばいで推移している。
本来統計上、家賃は消費者物価に連動することが判明しており、給与水準との間にも連動性が見られる。近年の日本で家賃が変わらなかったのは、過去20年間、消費者物価も給与水準も変わらなかったためと考えられる。

◯東京に人が集まるのは、そこに職があるから。大学生は3年で就職活動を行うので、大学3年時点で企業がどれだけの数、社員を募集するかで、卒業後に東京に流入してくる新卒の数が決まってくる。このため、大卒に対する有効求人倍率は、その2年後の流入人口の多寡に直結している。
大卒の有効求人倍率が、2年後の単身者向け賃貸市場の需給の指標となる

不動産価格と明確に連動している金融的な指標がある。市場のお金の量を示す、マネーストック(名目貨幣残高)である。
日銀短観(全国企業短期経済観測調査)の中の「貸出態度指数」というデータは、スタイルアクトで作成している「新築マンション価格インデックス」とほぼ連動している。
要は金融が緩和され、市場のマネーの量が増えると、不動産価格は上がるということだ。

「マンションは、エリア・価格帯に関わらず、坪当たり年に4万円値下がりする」
この法則は、過去20年のマンションデータ1万8千棟のデータを集計してマンションの値下がりの傾向を分析たものとのこと。
不動産会社の中でも中古案件の下落率ってよく分からない世界だったので、一つの指標(法則)を示されて目から鱗。


「湾岸タワーを自宅として転売を続けるべし」という結論に対しては異論がなくもないが、全体的に一般個人にも分かりやすいように書かれていて面白い。
実際にどうするかはやはり個人の価値観の違いということか。


不動産アービトラージの項で、著者が述べている内容に対してはちょいと耳が痛い。
「タワーマンション高層階の北向き物件についてのアービトラージは今後もしばらく続くだろう。なぜなら値付けを行うデベロッパーの担当者は、このことに気がついていない可能性が高いからだ。これが業界の実態である。不動産業界はいまだに「経験と勘と度胸」の世界なのだ。

「士別れて三日なれば刮目して相待つべし」と言えるよう頑張ろう。

2015年2月1日日曜日

『村上式 シンプル仕事術』

グーグル日本法人の社長を務めた村上憲郎氏の本。
実は相当前(4年位前?)に購入して面白いのでまとめようと思ってとっておいた本。
村上氏の『村上式シンプル英語勉強法』も読んで感化され、英語の勉強に踏ん張った時期は既に5年近く前だ。

この本は実は仕事術のことはあまり書いていない(最初の2割位)。
むしろ、グローバル社会で西欧の人間とコミュニケーションを取るにあたり理解しておくべきキリスト教から仏教のこと、哲学のことが書かれている。
これが良くまとまっていて面白い。


<キリスト教について>

アメリカ人は自分の年俸や年収を堂々と包み隠さずに話す。
彼らの価値観では「背が高い」「学歴が高い」「年収が高い(多い)」ということは第一義的な価値ではないからだ。
彼らの価値の基準は「神様と直面した時にどうなるのか、どうするのか」にある。
キリスト教は形而上学だ。形而上学とは、我々の経験では確かめようのない言説のこと。確かめようがないから「信じるしかない」。
形而上学としてのキリスト教の本質を、手っ取り早く理解するには、旧約聖書と新約聖書を手元に置くこと。

まとめると、キリスト教における神とは、「唯一の時間的・空間的に無限の意識存在であり創造主」である。
「神による創造」について概要を述べる。
キリスト教の空間概念や宇宙観の底辺には、まず無限界がある。
「天」は「天国」ともいわれ、無限界の中に神が創った有限の時空間で、選ばれた存在だけが住むことの出来る神の国のこと。
「宇宙」は「世」ともいわれ、「天」の中に神が創った「天」とは違う、もうひとつの有限の時空間のこと。
「地」は「地球」のことで「世」の中に存在する、としている。

無限の過去(永遠の昔)から、すでに神だけの無限界があった。

1.神が、天(神の国=天国)を創った。

2.天(神の国=天国)が聖霊(神の霊)で満たされた。

3.天(神の国=天国)に、神の名が置かれた。

4.神が天使を創って、神の名を礼拝させた。

5.天使の一部が、悪魔に変容した

6.悪魔の仕業を打ち壊すため、無限界に神の子『イエス』が出現した。

7.イエスが天(神の国=天国)に入って世(宇宙)を創造し、そこに悪魔を落とし込んだ。

8.6日間で人間を含む創造がなされ、7日目が安息日となった。

9.アダムとイブが創られ、「いのちの息」を吹き込まれた。

10.アダムとイブは、エデンの園で、「いのちの息」によって、神との協和の中に生きていた。ところが悪魔(蛇)の誘惑によって、神から禁じられていた「善悪の木の実」を食べたことで自分で善悪の判断を始め、「いのちの息」が部分的に損なわれ、神との協和が崩れてしまった。それにより、アダムとイブは(神の国=天国)の雛形であったエデンの園から追放された。

11.神の子イエスは処女マリアの無原罪のお宿り(処女懐妊)を経て、ヒトの形となって地(地球)に現れ、言葉で「善悪の木の実」で損なわれている「いのちの補充」を施した。
さらにイエスは、十字架上の死によって、自分を信ずる者に無限の「いのち」を分け与えて「いのちの補充」(=救い)を行い、天(神の国=天国)に住まわせようとしているという福音が伝えられる。
<<この段階が時間的には「今現在」>>

ちなみに、神の名は唱えることができないとされており、ヘブライ文字の子音4文字で「YHWH」と表記された。しかしユダヤ教徒が、どうしても神の名を読む必要に迫られたときは「わが主」という意味の「adnay(アドナイ)」と読んだ。 それをキリスト教徒が間違えて、「adnay」の母音だけを「YHWH」と組み合わせ「YaHoWaH(エホバ)」と読んだと言われている。

『創世記』で注意すべきは、人間が2回にわたって創られているということ。「アダムとイブ」は最初の人間ではなく、実は2回目に創られた人間。
聖書考古学的に言うと『創世記』では、第2章4節を境に、その前までは「司祭文書」と呼ばれ、それ以降は「ヤハウェ文書」と呼ばれている。
1回目に創られた人間と、2回目に創られたアダムとイブには違いがある。それは、アダムとイブには「いのちの息」(=理性)が吹き込まれているという点。その「いのちの息」によってアダムとイブは神との協和の中に生きることができたのだ。
後にノアの洪水が起こり、アダムとイブの子孫であるノアの家族だけが生き延びることになる。つまり『創世記』第1章で最初に創られたほうの人間の子孫は、全く生き延びることが出来ず、今生きている人間はすべて、アダムとイブの子孫ということになる。
神によってアダムとイブには「いのちの息」(=理性)が吹き込まれ、後に「善悪の木の実」によって部分的に損なわれることになる。

さて、「神による創造」の続き。これからは未来編。

12.この先の将来、あるとき地(地球)にイエスが再臨し、天使に命じて悪魔を封じ込め、1000年にわたって地(地球)を支配する(千年王国)。
その後に悪魔を開放して、世(宇宙)を焼き尽くす。そして、これまでのアダムとイブの子孫がすべて新しい体を持って復活し、天に受け入れられる者と地獄行きの者とに分ける「最後の審判」を受ける。

13.イエスはすべての仕事を終え、無限界に帰る。

というわけで、キリスト教徒にとって、「3高」のような「この世」のことは些細なことで、彼らの最大の関心事は、「最後の審判で救われる側に選んでもらえるかどうか」なのだ。


グローバリズムにのってマネー資本主義を主張するウォール街に代表されるような西欧人にとって、本当に現世の収入など些細なことで、「最後の審判」でどちらに回るかが最大の関心事なのかどうかははななだ疑問だが、そういうことが一般の敬虔なキリスト教徒の思想の根源にあるということは押さえておくべきだろう。


<仏教について>

仏教とはブッダが悟ったこと、またその教えで、それは「原始仏教」のこと。
原始仏教は、極論すれば哲学としってもいいもので、キリスト教のような形而上学的な思考法は慎重に避けられている。
葬式などで遭遇する日本の仏教は、いわゆる「大乗仏教」で、これはブッダの説いた教えではない。「仏教=ブッダの教え」とするならば、大乗仏教は仏教ではない。
大乗仏教の経典にある教えは、原始仏教の哲学に迫るような内容ではなく、他の宗教が大衆の信仰を獲得し始めることに対抗して「信じれば救われる」という形而上学的要素を大幅に取り入れて大衆化された、ある意味での「新興仏教」といえる。

ブッダの教え
教え①四苦八苦—「人生は苦である」
1.生まれる、つまり、苦である人生をもう一度始めなければならないという苦しみと、もっと端的には、産道を通る苦しみ(生)
2.老いる苦しみ(老)
3.病気になる苦しみ(病)
4.死ぬ苦しみ(死)

次に怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、愛別離苦(あいべつりく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)
1.嫌な人に会う苦しみ(怨憎会苦)
2.求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)
3.好きな人と別れる苦しみ(愛別離苦)
4.五蘊(身体と、知覚・識別・想起・判断といった心の働き)は苦(五蘊盛苦)

お釈迦様曰く、
「楽しいこと」は長続きしません。「楽しいこと」を得ようとしたり、持続させようとすることは苦ですよ。
「楽しいこと」を得ようとして得られない、持続できずに失うことは苦ですよ。
だから「楽しいこと」も結局は苦ですよ。
って、お釈迦様って相当な悲観論じゃだったのね。

教え②四諦(四聖諦)ー「人生が苦なのは執着があるから」
1.苦諦(くたい)ー「生きることは苦である」と思い知る
2.集諦(じったい)ー「生きることが苦なのは、執着があるから」と思い知る
生きることが苦であるのには原因がある。それは、根本的には生存し続けたいという『執着』である、と。
3.滅諦(めったい)ー「この執着がなくなれば苦はなくなる」と思い知る
4.道諦(どうたい)ー「この執着をなくす八正道(八聖道)という道がある」と思い知る

教え③八聖道(はっしょうどう)ー「どうすれば執着を克服できるか」
お釈迦様は、そのためには、次の8つのこと(八正道)を行えば良い、とした。
1.正しいものの見方をする。
2.正しい思考をする。
3.正しい言葉使いをする。
4.正しい行いをする。
5.正しい生活をする。
6.正しい努力をする。
7.正しい教えをしっかり記憶にとどめる。
8.正しい思考の瞑想をする。

教え④五蘊非我(ごうんひが)ー正しい思考=五蘊非我を瞑想する」
五蘊(身体と、知覚・識別・想起・判断といった心の働き)は「我」ではない。体や心の働きが「我」のもののように思えるのは錯覚に過ぎないことを瞑想せよ、とした。
よく瞑想というと無念無想の境地とされるが、ここでいう「瞑想」はそうではない。
中国生まれの禅宗における坐禅と呼ばれる瞑想は「徹底思考」ではなく「無念無想を目指す」瞑想。
原始仏教でも、この無念無想を目指す瞑想を否定しているわけではなく、心を落ち着ける方法として推奨もしている。しかし「この瞑想では悟れない」と明確に述べている。
この無相無念を目指す瞑想の最高の境地は、「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」と言われている。分かりやすく言うと「思考も感情も停止した境地」。
お釈迦様は出家してすぐにこの境地に達してしまうが、この境地から戻ると元の木阿弥で、悟る(生存したいという執着を克服する)ことができない。
「この瞑想では悟れない」と気づいたお釈迦様は、最終的には徹底思考の瞑想によって、ようやく悟る。
これは現代風に言うと「徹底的に考え抜いてメタ認知せよ」ということか。

五蘊非我は実は五蘊無我ではないか、という説があり、仏教哲学における最大の問題として今も研究がなされている。
「五蘊非我」は、五蘊は「我」ではないが、「我」というものは存在するという考え方。対して「五蘊無我」は、五蘊は「我」ではないとするだけではなく、「我」自体存在しないという考え方。
村上氏は「五蘊無我」と考えているとのこと。
攻殻機動隊でもあるように、「一体何が自分なのか」という問いにつながる哲学的な話だ。

というわけで、「信じる者は救われる」とするキリスト教に対して「信じる必要はない。考えて納得すればよい。納得できなければ、さらに考えればよい」というのが原始仏教の姿勢。これがキリスト教と異なるというのが村上氏の分析だ。


<西洋哲学について>

「西洋哲学」とは古代ギリシャのプラトンに始まる哲学。プラトン以降の西洋哲学は、実はすべてプラトン哲学の脚注に過ぎないという見方で構わない。
西洋哲学=プラトンの哲学の解釈。
プラトンの哲学とは、つまるところ『イデア論』。
イデア論とは、簡単に言うと、「一方にイデアという完璧なものがあり、もう一方に不完全なものがある」という二項対立の発想のモデル。

例えば「紙に書いた三角形は、どんなに正確に書いても厳密な三角形ではない。それが三角形として認識されるのは、どこかに三角形というイデアがあるから」という考え方がイデア論であり、プラトニズム(プラトン主義)。
完璧な三角形というコンセプトが存在するのは、イデア界という完璧な世界であり、我々はその対岸にある現実界に生きている。これがイデア論=二項対立の発想であり、プラトニズムと呼ばれる考え方。
プラトンはこれを「形相(けいそう)と質量」とも言った。

プラトン以後、
・アリストテレスの「可能態と現実態」(可能態がイデアで現実態が不完全なもの)
・キリスト教神学(スコラ哲学)の「天と地」
・デカルトの「思いと我」
・カントの「物自体と現象」(あるいは「物自体と純粋理性」)
・ヘーゲルの「絶対精神と現実」
というように変遷するが、その根本はプラトニズム、つまり二項対立と同じ考え方にある。
その後、ニーチェやハイデガー、そして彼らの影響下にある最近のポストモダン派が、「プラトンに始まる二項対立的発想は間違いで、西洋文明の行き詰まりの原因だ」として、その発想の克服を目指しているが、いずれも二項対立そのものを否定しているではない。
そういう意味で、「西洋哲学とは、完全なものと不完全なものとの二項対立という考え方を本質に持つプラトン哲学の変奏曲」という解釈で何ら問題はない。



村上氏は、理系になるなら「量子力学」をやれ、経済学やるならマンキューを学べ、ということでこれらについても紙幅を割いている。

村上氏は原理論者である。
様々なテーマに原理原則を見つけて(定めて)、それを実践することで成果を出すタイプの経営者のようだ。
本のタイトルともなっている仕事術についても「仕事における7つの原理原則」というのを書いている。

原理その1 会社の仕組みを知る
原理その2 財務・簿記の基本知識を身につける
原理その3 疑問はその日に解決する
原理その4 仕事の目的は顧客満足にある
原理その5 仕事のプライオリティ(優先度)をつける
原理その6 アイデアは頭で考えない
原理その7 デール・カーネギーに学ぶ

この原理原則、ちゃんとMECEになっているのかとか色々考えたりしてしまうが、思い込みであれ何であれ、自分の仕事のやり方の原理原則はこれだ!と言い切れるというのはスゴいことだ。
振り返って、自分の仕事のやり方の原理原則を挙げられるかどうか。
そろそろ自分の原理原則を整理してもいいのかもしれない。