色々とポイントポイントでは知っている経営戦略だったり、フレームワーク。
それを経営戦略史としてまとめた大作。
この本を読み解くのにここ2ヶ月近く要したので、他の本が全く手付かずになったという個人的にもガッツリ取り組んだ本である。
まとめてしまうと著者が本の前段と後段でまとめているのがあるので、それを読むのが分かりやすいのだが、何せ20世紀初頭から100年を概観し、延べ人数132名の経営戦略論を歴史的な流れとともに書いているので、何ともボリューミー。
内容もこれでもか、という位分かりやすく書かれているのだが、それでもボリューミー。
という訳で今回の投稿はボリューミーである。
この数十年間の経営戦略史をもっとも簡潔に語れば、 「60年代に始まったポジショニング派が80年代までは圧倒的で、それ以降はケイパビリティ(組織・人・プロセスなど)派が優勢」 となる。
ポジショニング派(マイケル・ポーターなど)は「外部環境が大事。儲かる市場で儲かる立場を占めれば勝てる」と断じ、ケイパビリティ派(ジェイ・バーニーら)は「内部環境が大事。自社の強みがあるところで戦えば勝てる」と論じた。
この二者の戦いは、別の側面を持っていた。大テイラー主義とも言われる「定量分析」と、大メイヨー主義と仮に名付ける「人間的議論」の戦いでもあった。 フレデリック・テイラーらを祖とする、定量的分析や定型的計画プロセスを信奉していた大企業群が、1973年のオイルショック前後の大不況に沈む。
一方、人間関係論の始祖ジョージ・エルトン・メイヨーの流れをくむケイパビリティ派(の半分ほど)は「企業活動は人間的側面が重く、定性的議論しか馴染まない」と考える。
でも、ポーターはつぶやく。 「戦略の開発には、何らかの分析技法が望ましい」 分析できないものを、大企業内でどう納得を得よというのか。逆説的だが、人間関係論による経営戦略は、独裁者によってのみ可能なのかもしれない。
スーパージェネラリストのヘンリー・ミンツバーグは唱える。「全ては状況次第。外部環境が大事な時にはポジショニング派的に。内部環境が大事な時にはケイパビリティ派的にやればよい」
21世紀に入って、経済・経営環境の変化、技術進化のスピードは劇的に上がり、今までのポジショニングもケイパビリティも、あっという間に陳腐化する時代になった。 そこで出てきたのが、アダプティブ戦略。「やってみなくちゃわからない。どんなポジショニングでどのケイパビリティで戦うべきなのか、ちゃっちゃと試行錯誤して決めよう」というやり方。
さぁ、これだけで「フムフムなるほどね」という人はもうこの本を読む必要はないのだが、大抵の人は何を言っているのか分からないだろう。
でも多くの人が知っているSWOT分析とか、PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)とか、バリューチェーンとか、CRMとかブルーオーシャン戦略とか。
どんな歴史の流れの中で生まれてきたのか、そして今はどのようなものが最先端の経営戦略となっているのか、みたいなものが概観できるのがこの本のスゴいところ。
もうちょっと詳しく見てみよう。(これも著者が後段でまとめているのをほぼそのまま)
【経営戦略まとめ】
[経営という山をつくった人々]
・「経営」を工場や現場の科学的管理だとして、その生産性向上とともに作業者の働きがいアップを図ったのがフレデリック・テイラーだった。「科学的管理」という名の現代的経営論の源流。
・そこにホーソン工場実験で有名なエルトン・メイヨーが「人の生産性は労働条件やプロセス改善だけでは決まらない」として「人間関係論」を打ち立てた。賃金や労働条件だけではないソフトな「やる気」が大切だと。
・「経営」とはもっと広く、企業活動の統制(administration)が中核だと、その諸活動の定義とともに明らかにしたのがフランス人経営者のアンリ・フェイヨルだった。20世紀初頭の話しである。
・しばらく下って1929年、アメリカに端を発した世界恐慌が企業に「経営」の大切さを痛感させる。「豊かな大衆」による市場の拡大に頼った、成り行き任せの経営ではまずいと悟ったのだ。経営という名の山は、高く険しいのだとチェスター・バーナードは経営者たちに語りかけた。
・そしてピーター・ドラッカーはその山を「マネジメント」と呼び、その山の未来について数々の予言を残した。
[「登りやすい道を探せ」とポジショニング派は言った]
・まず「経営戦略はアートだ」としながらも一定の分析方法や構築手法を示したのがイゴール・アンゾフ(「アンゾフ・マトリクス」で成長ベクトルを示した)やアルフレッド・チャンドラー(「組織は戦略に従う」)、ケネス・アンドルーズ(「SWOT分析」を広めた)達だった。
・その後1960年代になって経営戦略に特化したコンサルティング会社BCGが生まれ、戦略オタク、ブルース・ヘンダーソンのもと、「経験曲線」や「成長・シェアマトリクス(PPM)」、「持続可能な成長の方程式」などの経営・事業分析・管理ツールを生み出した。数字や事実に基づいた極めて分析的な手法で、後のその姿勢は「大テイラー主義」とも呼ばれた。
・その「事業環境分析」部分を「5力分析」で強化し、企業活動を「バリューチェーン」で再定義したのが、HBSのチャンピオン、マイケル・ポーターだった。経済学の手法を(かなり無理矢理)、経営学に取り入れたことが勝因だった。1980年代のことである。
・経営戦略とは「儲かりうる市場」を選んで、そこで「儲かる位置取り」をすること(ポジショニング)で、組織や人はそれに合わせて強化すべき、とするポジショニング派がここまで優勢だった。経営という山を登るには、適度な山を選び、登りやすい道を探すのが一番だと。
[「登りやすい方法で登れ」とケイパビリティ派は言った]
・そうやってつくった経営戦略による「優位性」が、すぐ消えてしまうことに皆気がつき始めた。ホンダ、トヨタ、キャノンといった日本企業のせいだ。みな、難攻不落のはずの城壁を越え、アメリカ企業(ゼロックス、GMなど)の牙城を浸食し始めた。 そこでできてきたのが、経営戦略を「自分の企業能力上の強み」に立脚してつくろうというケイパビリティ派の面々だった。
・ケイパビリティ(企業能力)と言っても色々。それを表現したのがマッキンゼーの「7S」だったが、その考えを基にトム・ピーターズらが『エクセレント・カンパニー』を書き、競争力の源泉がポジショニングだけでないと、皆が認識した。
・ゲイリー・ハメルらによる『コア・コンピタンス経営』(1994)は、さらに様々なケイパビリティ派が咲き誇る1990年代の先駆けだった。
・「破壊せよ」と叫んだマイケル・ハマーの『リエンジニアリング革命』も、BCGの生産オタク、ジョージ・ストークらによる『タイムベース競争戦略』も測定可能なケイパビリティ戦略だった。
・90年は野中郁次郎の『知識創造の経営』がでた年でもあった。『学習する組織』のピーター・センゲとともに、組織と人の学習、「ラーニング」の価値や仕組みを広めた。
・学問上、これらをまとめたのがRBV(Resource Based View:資源ベース戦略)という考え方で、その中心はジェイ・バーニーだった。
・ポジショニング派とケイパビリティ派は、お互いの考え方を譲らず、「ポジショニングが先」「ケイパビリティが先」という論争が続いた。
[「手を携えて一緒にやれば」とコンフィギュレーション]
・論争を続けながらもお互い高め合い、山の中腹を過ぎた頃、やはりどちらも必要だということになった。コンフィギュレーションという考え方である。カナダのマギル大、ヘンリー・ミンツバーグの主張である。状況に合わせて戦略論を組み合わせていけばいい。いや、組み合わせなければダメだというのが『戦略サファリ』の主張。
・初の欧州発大ヒット戦略論となったチャン・キムとレネ・モボルニュによる『ブルー・オーシャン戦略』もその1種。
・それをその22年前に極めて体系的に整理していたのが、経営戦略の父イゴール・アンゾフだった。オイルショックに揺れた1970年代に書かれた『戦略経営論』(1979)は、外部環境の変化レベル(乱気流度合い)によって、ポジショニングのあり方も、ケイパビリティのあり方も変わる、と看破していた。
・ヘンリー・ミンツバーグはしかし、もっと過激に言った。経営戦略とは芸術であり、手芸品(クラフト)である。計画的につくれるものではなく、創発的にしか、価値ある戦略は築き得ない!と。
[そんなことよりイノベーション]
・90年代も後半になると、ポジショニングとケイパビリティのどちらが先かとか、計画の立て方は、などというそんな悠長なこと自体が言っていられなくなった。イノベーション時代の到来である。
・古くは大経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが20世紀初頭に「イノベーションこそが経済発展の原動力だ」「その中心となるのは資本家でも労働者でもなく企業家なのだ」と主張していた。経済学上は異端(数式化できなかったから)だったこの考えを経営学に取り入れ広めたのはかのピーター・ドラッカーであり、マッキンゼーのリチャード・フォスターだった。1970〜1980年代のこと。
・そしてITやハイテクの加速的進歩が、イノベーションの重要性を急速に引き上げていった。クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』(1997)に始まる大イノベーション時代がやってきた。
・21世紀は新興国を舞台とするグローバル化の時代でもある。そこでも新興国を起点にした『リバースイノベーション』がビジャイ・ゴビンダラジャン(VG)によって唱えられ、社会的イノベーションの重要性が示された。
・ラーニングやリーダーシップ、組織の各階でもイノベーションがテーマとなった。
・経営戦略という登山は、最後、同じ頂上(イノベーション)に辿り着いた。やってみなくちゃ、わからない。「試行錯誤型」経営が最後の答え
・どう上手く素早く「やってみるか」、そしてそこから素早く「学んで修正して方向転換するか」という力こそが全てだ、ということになった。高速試行錯誤の力である。
ちょっと気になったのが、既に山に登りきっちゃったという著者の姿勢で、まだまだ経営戦略についても伸びしろがあるのではないかという気がしている。
音楽でも「ベートーベン以降は全て既存の音楽のマイナーチェンジでしかない」という議論もあるけれど、時代時代に合わせて音楽も進化してきている(ベートーベン時代では初音ミクは考えられなかったはず)ことを考えると、出きったと思える経営戦略についてもまだまだ新しい展開があるように思う。
とは言いながら、著者は自身の提唱するB3Cフレームワークというのを最後に提案していて、自らもまだまだ発展させようという気概は持ち続けているようだ。
新規事業を担当したため読むこととなった『アントレプレナーの教科書』『リーン・スタートアップ』が実は一般的にも最新の経営戦略の一つであることを知ってちょっとビックリした。
この本、経営戦略史から脱線する「恐竜は何故滅びたか」「『失敗の本質』など日本軍、アメリカ軍の失敗の歴史」などのコラムの内容も非常に面白い。
コンサル会社勤務でなくても、企業において戦略立案を担当するようになったら一読をお勧めする良書である。
それにして、すごく平易に書かれているのに、飲み込むのに非常に時間がかかった。
取っ付き易いんだけど、奥が深い。
良書というものはそういうものかもしれない。
それを経営戦略史としてまとめた大作。
この本を読み解くのにここ2ヶ月近く要したので、他の本が全く手付かずになったという個人的にもガッツリ取り組んだ本である。
まとめてしまうと著者が本の前段と後段でまとめているのがあるので、それを読むのが分かりやすいのだが、何せ20世紀初頭から100年を概観し、延べ人数132名の経営戦略論を歴史的な流れとともに書いているので、何ともボリューミー。
内容もこれでもか、という位分かりやすく書かれているのだが、それでもボリューミー。
という訳で今回の投稿はボリューミーである。
この数十年間の経営戦略史をもっとも簡潔に語れば、 「60年代に始まったポジショニング派が80年代までは圧倒的で、それ以降はケイパビリティ(組織・人・プロセスなど)派が優勢」 となる。
ポジショニング派(マイケル・ポーターなど)は「外部環境が大事。儲かる市場で儲かる立場を占めれば勝てる」と断じ、ケイパビリティ派(ジェイ・バーニーら)は「内部環境が大事。自社の強みがあるところで戦えば勝てる」と論じた。
この二者の戦いは、別の側面を持っていた。大テイラー主義とも言われる「定量分析」と、大メイヨー主義と仮に名付ける「人間的議論」の戦いでもあった。 フレデリック・テイラーらを祖とする、定量的分析や定型的計画プロセスを信奉していた大企業群が、1973年のオイルショック前後の大不況に沈む。
一方、人間関係論の始祖ジョージ・エルトン・メイヨーの流れをくむケイパビリティ派(の半分ほど)は「企業活動は人間的側面が重く、定性的議論しか馴染まない」と考える。
でも、ポーターはつぶやく。 「戦略の開発には、何らかの分析技法が望ましい」 分析できないものを、大企業内でどう納得を得よというのか。逆説的だが、人間関係論による経営戦略は、独裁者によってのみ可能なのかもしれない。
スーパージェネラリストのヘンリー・ミンツバーグは唱える。「全ては状況次第。外部環境が大事な時にはポジショニング派的に。内部環境が大事な時にはケイパビリティ派的にやればよい」
21世紀に入って、経済・経営環境の変化、技術進化のスピードは劇的に上がり、今までのポジショニングもケイパビリティも、あっという間に陳腐化する時代になった。 そこで出てきたのが、アダプティブ戦略。「やってみなくちゃわからない。どんなポジショニングでどのケイパビリティで戦うべきなのか、ちゃっちゃと試行錯誤して決めよう」というやり方。
さぁ、これだけで「フムフムなるほどね」という人はもうこの本を読む必要はないのだが、大抵の人は何を言っているのか分からないだろう。
でも多くの人が知っているSWOT分析とか、PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)とか、バリューチェーンとか、CRMとかブルーオーシャン戦略とか。
どんな歴史の流れの中で生まれてきたのか、そして今はどのようなものが最先端の経営戦略となっているのか、みたいなものが概観できるのがこの本のスゴいところ。
もうちょっと詳しく見てみよう。(これも著者が後段でまとめているのをほぼそのまま)
【経営戦略まとめ】
[経営という山をつくった人々]
・「経営」を工場や現場の科学的管理だとして、その生産性向上とともに作業者の働きがいアップを図ったのがフレデリック・テイラーだった。「科学的管理」という名の現代的経営論の源流。
・そこにホーソン工場実験で有名なエルトン・メイヨーが「人の生産性は労働条件やプロセス改善だけでは決まらない」として「人間関係論」を打ち立てた。賃金や労働条件だけではないソフトな「やる気」が大切だと。
・「経営」とはもっと広く、企業活動の統制(administration)が中核だと、その諸活動の定義とともに明らかにしたのがフランス人経営者のアンリ・フェイヨルだった。20世紀初頭の話しである。
・しばらく下って1929年、アメリカに端を発した世界恐慌が企業に「経営」の大切さを痛感させる。「豊かな大衆」による市場の拡大に頼った、成り行き任せの経営ではまずいと悟ったのだ。経営という名の山は、高く険しいのだとチェスター・バーナードは経営者たちに語りかけた。
・そしてピーター・ドラッカーはその山を「マネジメント」と呼び、その山の未来について数々の予言を残した。
[「登りやすい道を探せ」とポジショニング派は言った]
・まず「経営戦略はアートだ」としながらも一定の分析方法や構築手法を示したのがイゴール・アンゾフ(「アンゾフ・マトリクス」で成長ベクトルを示した)やアルフレッド・チャンドラー(「組織は戦略に従う」)、ケネス・アンドルーズ(「SWOT分析」を広めた)達だった。
・その後1960年代になって経営戦略に特化したコンサルティング会社BCGが生まれ、戦略オタク、ブルース・ヘンダーソンのもと、「経験曲線」や「成長・シェアマトリクス(PPM)」、「持続可能な成長の方程式」などの経営・事業分析・管理ツールを生み出した。数字や事実に基づいた極めて分析的な手法で、後のその姿勢は「大テイラー主義」とも呼ばれた。
・その「事業環境分析」部分を「5力分析」で強化し、企業活動を「バリューチェーン」で再定義したのが、HBSのチャンピオン、マイケル・ポーターだった。経済学の手法を(かなり無理矢理)、経営学に取り入れたことが勝因だった。1980年代のことである。
・経営戦略とは「儲かりうる市場」を選んで、そこで「儲かる位置取り」をすること(ポジショニング)で、組織や人はそれに合わせて強化すべき、とするポジショニング派がここまで優勢だった。経営という山を登るには、適度な山を選び、登りやすい道を探すのが一番だと。
[「登りやすい方法で登れ」とケイパビリティ派は言った]
・そうやってつくった経営戦略による「優位性」が、すぐ消えてしまうことに皆気がつき始めた。ホンダ、トヨタ、キャノンといった日本企業のせいだ。みな、難攻不落のはずの城壁を越え、アメリカ企業(ゼロックス、GMなど)の牙城を浸食し始めた。 そこでできてきたのが、経営戦略を「自分の企業能力上の強み」に立脚してつくろうというケイパビリティ派の面々だった。
・ケイパビリティ(企業能力)と言っても色々。それを表現したのがマッキンゼーの「7S」だったが、その考えを基にトム・ピーターズらが『エクセレント・カンパニー』を書き、競争力の源泉がポジショニングだけでないと、皆が認識した。
・ゲイリー・ハメルらによる『コア・コンピタンス経営』(1994)は、さらに様々なケイパビリティ派が咲き誇る1990年代の先駆けだった。
・「破壊せよ」と叫んだマイケル・ハマーの『リエンジニアリング革命』も、BCGの生産オタク、ジョージ・ストークらによる『タイムベース競争戦略』も測定可能なケイパビリティ戦略だった。
・90年は野中郁次郎の『知識創造の経営』がでた年でもあった。『学習する組織』のピーター・センゲとともに、組織と人の学習、「ラーニング」の価値や仕組みを広めた。
・学問上、これらをまとめたのがRBV(Resource Based View:資源ベース戦略)という考え方で、その中心はジェイ・バーニーだった。
・ポジショニング派とケイパビリティ派は、お互いの考え方を譲らず、「ポジショニングが先」「ケイパビリティが先」という論争が続いた。
[「手を携えて一緒にやれば」とコンフィギュレーション]
・論争を続けながらもお互い高め合い、山の中腹を過ぎた頃、やはりどちらも必要だということになった。コンフィギュレーションという考え方である。カナダのマギル大、ヘンリー・ミンツバーグの主張である。状況に合わせて戦略論を組み合わせていけばいい。いや、組み合わせなければダメだというのが『戦略サファリ』の主張。
・初の欧州発大ヒット戦略論となったチャン・キムとレネ・モボルニュによる『ブルー・オーシャン戦略』もその1種。
・それをその22年前に極めて体系的に整理していたのが、経営戦略の父イゴール・アンゾフだった。オイルショックに揺れた1970年代に書かれた『戦略経営論』(1979)は、外部環境の変化レベル(乱気流度合い)によって、ポジショニングのあり方も、ケイパビリティのあり方も変わる、と看破していた。
・ヘンリー・ミンツバーグはしかし、もっと過激に言った。経営戦略とは芸術であり、手芸品(クラフト)である。計画的につくれるものではなく、創発的にしか、価値ある戦略は築き得ない!と。
[そんなことよりイノベーション]
・90年代も後半になると、ポジショニングとケイパビリティのどちらが先かとか、計画の立て方は、などというそんな悠長なこと自体が言っていられなくなった。イノベーション時代の到来である。
・古くは大経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが20世紀初頭に「イノベーションこそが経済発展の原動力だ」「その中心となるのは資本家でも労働者でもなく企業家なのだ」と主張していた。経済学上は異端(数式化できなかったから)だったこの考えを経営学に取り入れ広めたのはかのピーター・ドラッカーであり、マッキンゼーのリチャード・フォスターだった。1970〜1980年代のこと。
・そしてITやハイテクの加速的進歩が、イノベーションの重要性を急速に引き上げていった。クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』(1997)に始まる大イノベーション時代がやってきた。
・21世紀は新興国を舞台とするグローバル化の時代でもある。そこでも新興国を起点にした『リバースイノベーション』がビジャイ・ゴビンダラジャン(VG)によって唱えられ、社会的イノベーションの重要性が示された。
・ラーニングやリーダーシップ、組織の各階でもイノベーションがテーマとなった。
・経営戦略という登山は、最後、同じ頂上(イノベーション)に辿り着いた。やってみなくちゃ、わからない。「試行錯誤型」経営が最後の答え
・どう上手く素早く「やってみるか」、そしてそこから素早く「学んで修正して方向転換するか」という力こそが全てだ、ということになった。高速試行錯誤の力である。
ちょっと気になったのが、既に山に登りきっちゃったという著者の姿勢で、まだまだ経営戦略についても伸びしろがあるのではないかという気がしている。
音楽でも「ベートーベン以降は全て既存の音楽のマイナーチェンジでしかない」という議論もあるけれど、時代時代に合わせて音楽も進化してきている(ベートーベン時代では初音ミクは考えられなかったはず)ことを考えると、出きったと思える経営戦略についてもまだまだ新しい展開があるように思う。
とは言いながら、著者は自身の提唱するB3Cフレームワークというのを最後に提案していて、自らもまだまだ発展させようという気概は持ち続けているようだ。
新規事業を担当したため読むこととなった『アントレプレナーの教科書』『リーン・スタートアップ』が実は一般的にも最新の経営戦略の一つであることを知ってちょっとビックリした。
この本、経営戦略史から脱線する「恐竜は何故滅びたか」「『失敗の本質』など日本軍、アメリカ軍の失敗の歴史」などのコラムの内容も非常に面白い。
コンサル会社勤務でなくても、企業において戦略立案を担当するようになったら一読をお勧めする良書である。
それにして、すごく平易に書かれているのに、飲み込むのに非常に時間がかかった。
取っ付き易いんだけど、奥が深い。
良書というものはそういうものかもしれない。
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