兄から富士登山に誘われた。
いつのまにやら既に10回も登っている「富士登山通」になっているらしい。
というわけで、うちの次男坊を連れて3人で富士登山に挑戦することとした。
行く前は「初めての富士登山、楽しみだね〜」などと気軽に考えていたのだが、これがまさか身の危険を感じるような事態につながるとは、つゆ思うこともなく富士登山は始まっていった。
初めての場合、須走口か富士宮口がいいということで、須走口を選定。
登山は10時半から。
最初は意気揚々と登っていったのだが、7合目を過ぎた当たりで豪雨が。
(後で知ったが、この日は関東圏でも豪雨だったらしい。。天気予報ではちょい雨くらいのイメージだったんだけどね)
【一つ目の想定外『豪雨』】
・ジップロックに入れたはずの携帯電話類が浸水。結局いまだiPhoneの画面が立ち直らず。
・次男坊が、雨が降り出した当初レインスーツの下を着けずに「平気だ」とのたまうのでそのままにさせたところ、高度が上がり気温が下がることでずぶ濡れ状態に耐えられず。(当たり前だ!)
・ザックの中のものは全てビニール袋等でカバーしておけ、という教えを次男坊が守っておらず、用意した着替え一式がずぶ濡れ。
・とはいうこちらも豪雨にも関わらず、ちゃんとレインスーツの手首足首をしばらなかったので後で山小屋で気がついたら結構雨が侵入。
・同様にザックのレインカバーもきっちり絞りきれておらず、出し入れしやすいよう下部にいれておいた軍手はあっという間に使用不能に。
・ゴアテックスの靴も豪雨には耐えきれず浸水。途中からアンクルウェイトを着けながら登山しているような状況に。
・登山道も途中で豪雨のため、水道(みずみち)ができて流れていた。あたかも白神ラインでみたような感じの水道の縮小版。
ちょっと遠くを見回すと、50mほど向こうでスゴい鉄砲水。それはそれは恐ろしい勢いで、きっとあれはそういうことが登山道で起きないように敢えて(鉄砲)水道をつくっているのだと思い込む。(とてもじゃないが映像を撮る余裕なし)
【二つ目の想定外『高山病』】
・8合目を過ぎたあたりでも素手だったこともあり(持っていった軍手は既に濡れ濡れで使用不能)、手が真っ白くなり、寒さのためか手がかじかむ感じで感覚が無くなり、栄養補給のため持っていった塩キャラメルの袋が開けられず。
今思えば高山病のためか、最後は牛歩のような足並みでなんとか登頂。
そう、山小屋に辿り着けば、濡れたギアは乾かせて、温かい場所で寝ることができる、体力回復ができるはずだという望みだけを胸に、雨と寒さの中で登頂を果たした。
が、それは甘い希望であった。。
(でも何度も富士登山をしている兄は知っていたはずだったのだが)
結局16時半頃、山小屋 山口屋に到着。
【三つ目の想定外『山小屋』】
・濡れたギアと寒さによる疲労を回復する期待をしていた山小屋だったが、到着直後に「濡れたものはそのままビニール袋に入れて枕元において下さい」との指示。その瞬間、明日も濡れたギアでの出発が確定。希望が打ち砕かれる。
・寝る場所を案内されるとなんと、幅40cm程度で枕が敷き詰められている場所で、「荷物は自分の頭の上の部分において下さい。あ、濡れたものはここで御願いします」と頭の上に置かされる。濡れた次男の着替えで埋もれたザックの下部に入った諸々(一応寝酒でウィスキー持ってきたんだけど・・)は出すことすら能わず。
・着替え部屋に案内されて、「ここで着替えをして下さい」。その際、次男坊が着替えるはずの服は全て豪雨によりびしょ濡れ。本来自分が着るはずだったフリースとUNIQLOのヒートテックを貸与。自分は長袖シャツ1枚のみという体たらく。。
さすがにズボンの替えがないと言ったら山小屋の人が、ズボンを貸してくれた。
(でもなんか布団を濡らされないようにするため感が強く、あまり感謝の念が湧いてこなかった。感謝せないかんね。)
・山小屋で唯一の補給食であるカレーを食べている隣で、20代と思われる若者二人が話している。一方は今回の富士登山を誘った側、もう一人は誘われた側らしい。
「俺、、本当申し訳ないけどさぁ、次富士山誘われてもこんなんじゃぁ、行くとは言えないわ。次はないわ」
とか言っている。全く同じ気分でいたけど、ここで言ってても始まらないと思いながら苦笑い。
・18時頃カレーを食べて、そのまま就寝。 とは言っても、狭いこともありぐっすり眠れずに1時間毎に目が覚めるのを繰り返す。
・夜は、うめき声を上げる人とか、隣の兄の寝息が「クプッ」という音になってビビったりとかを繰り返す。隣の人間の動きが(寝返りなんかはできない)幸か不幸か分かるのでゆっくり眠ったりはできない。
夜中は身動きできない状態で、高山病と思われる頭痛がしてくるし、
「本当に自分はこのまま高熱を発して無事の帰還はできず、体調を壊してブルドーザーとかに乗せられて下山するのではないか」
などという恐怖の妄想が襲ってくる。
「水の値段とか考えると、下界の3〜4倍位。一泊一食付き7,000円という値段も同じ比率だとすると下界の2,000円位のイメージ。だとすると山谷のような寝床(泊まったことないけど)でも妥当なのかも。基本的に、山の人が自分でテントの中でビバークする代わりに、温かい寝床と(美味しいかどうかは別として)温かい食事を出してくれる、と考えればありがたい存在なのかも」
などという前向きな発想は全て下山してから。
その時には「あかん、これは無事では帰れない。このまま凍え死ぬのではないか」という妄想が頭をよぎる。
でも、最初もぐりこんだ布団が人肌で温かくなってたりとか、保温という意味では確保できていたし、頭痛も薬を飲んだら良くなった。
3時頃には体調も大分復活した感じがあって、外を見に行く余裕も出た。
朝は4時半に下山開始。なんと体調は復活。
御来光も雲海も見れて、それはもう最高!!
昨日の疲れも吹っ飛び、気分も高らかに下山。
下りは登りの半分の3時間程度で、7時半には5合目のバス停までおりる。
御胎内温泉に浸かって、それから近くの有名店「魚啓」へ。11時前には行列。 特上海鮮丼@2,160円也を3人で注文。かき揚げについてはおばちゃんから「座布団の大きさが2枚でますよ」を言われて怯む。そんなん誰が食べるんじゃ。
12時過ぎに魚啓を後にし、帰途へ。
次男坊は「また来たい。富士山の4登山道を全て制覇したい。エベレストにも登りたい」など宣っていた。
まずはちゃんと言われたことやらんかい!
いつのまにやら既に10回も登っている「富士登山通」になっているらしい。
というわけで、うちの次男坊を連れて3人で富士登山に挑戦することとした。
行く前は「初めての富士登山、楽しみだね〜」などと気軽に考えていたのだが、これがまさか身の危険を感じるような事態につながるとは、つゆ思うこともなく富士登山は始まっていった。
初めての場合、須走口か富士宮口がいいということで、須走口を選定。
登山は10時半から。
最初は意気揚々と登っていったのだが、7合目を過ぎた当たりで豪雨が。
(後で知ったが、この日は関東圏でも豪雨だったらしい。。天気予報ではちょい雨くらいのイメージだったんだけどね)
【一つ目の想定外『豪雨』】
・ジップロックに入れたはずの携帯電話類が浸水。結局いまだiPhoneの画面が立ち直らず。
・次男坊が、雨が降り出した当初レインスーツの下を着けずに「平気だ」とのたまうのでそのままにさせたところ、高度が上がり気温が下がることでずぶ濡れ状態に耐えられず。(当たり前だ!)
・ザックの中のものは全てビニール袋等でカバーしておけ、という教えを次男坊が守っておらず、用意した着替え一式がずぶ濡れ。
・とはいうこちらも豪雨にも関わらず、ちゃんとレインスーツの手首足首をしばらなかったので後で山小屋で気がついたら結構雨が侵入。
・同様にザックのレインカバーもきっちり絞りきれておらず、出し入れしやすいよう下部にいれておいた軍手はあっという間に使用不能に。
・ゴアテックスの靴も豪雨には耐えきれず浸水。途中からアンクルウェイトを着けながら登山しているような状況に。
・登山道も途中で豪雨のため、水道(みずみち)ができて流れていた。あたかも白神ラインでみたような感じの水道の縮小版。
ちょっと遠くを見回すと、50mほど向こうでスゴい鉄砲水。それはそれは恐ろしい勢いで、きっとあれはそういうことが登山道で起きないように敢えて(鉄砲)水道をつくっているのだと思い込む。(とてもじゃないが映像を撮る余裕なし)
【二つ目の想定外『高山病』】
・8合目を過ぎたあたりでも素手だったこともあり(持っていった軍手は既に濡れ濡れで使用不能)、手が真っ白くなり、寒さのためか手がかじかむ感じで感覚が無くなり、栄養補給のため持っていった塩キャラメルの袋が開けられず。
今思えば高山病のためか、最後は牛歩のような足並みでなんとか登頂。
そう、山小屋に辿り着けば、濡れたギアは乾かせて、温かい場所で寝ることができる、体力回復ができるはずだという望みだけを胸に、雨と寒さの中で登頂を果たした。
が、それは甘い希望であった。。
(でも何度も富士登山をしている兄は知っていたはずだったのだが)
結局16時半頃、山小屋 山口屋に到着。
【三つ目の想定外『山小屋』】
・濡れたギアと寒さによる疲労を回復する期待をしていた山小屋だったが、到着直後に「濡れたものはそのままビニール袋に入れて枕元において下さい」との指示。その瞬間、明日も濡れたギアでの出発が確定。希望が打ち砕かれる。
・寝る場所を案内されるとなんと、幅40cm程度で枕が敷き詰められている場所で、「荷物は自分の頭の上の部分において下さい。あ、濡れたものはここで御願いします」と頭の上に置かされる。濡れた次男の着替えで埋もれたザックの下部に入った諸々(一応寝酒でウィスキー持ってきたんだけど・・)は出すことすら能わず。
寝る部屋はこんな感じ。 |
分かりづらいけど、白い枕の部分が一人分の幅。 その頭の上部と棚の上が荷物置き場でそれで全て。 |
2階の寝室。 この日はキャンセルが多かったみたいで、向こうはガラガラだった。 |
さすがにズボンの替えがないと言ったら山小屋の人が、ズボンを貸してくれた。
(でもなんか布団を濡らされないようにするため感が強く、あまり感謝の念が湧いてこなかった。感謝せないかんね。)
・山小屋で唯一の補給食であるカレーを食べている隣で、20代と思われる若者二人が話している。一方は今回の富士登山を誘った側、もう一人は誘われた側らしい。
「俺、、本当申し訳ないけどさぁ、次富士山誘われてもこんなんじゃぁ、行くとは言えないわ。次はないわ」
とか言っている。全く同じ気分でいたけど、ここで言ってても始まらないと思いながら苦笑い。
・18時頃カレーを食べて、そのまま就寝。 とは言っても、狭いこともありぐっすり眠れずに1時間毎に目が覚めるのを繰り返す。
・夜は、うめき声を上げる人とか、隣の兄の寝息が「クプッ」という音になってビビったりとかを繰り返す。隣の人間の動きが(寝返りなんかはできない)幸か不幸か分かるのでゆっくり眠ったりはできない。
夜中は身動きできない状態で、高山病と思われる頭痛がしてくるし、
「本当に自分はこのまま高熱を発して無事の帰還はできず、体調を壊してブルドーザーとかに乗せられて下山するのではないか」
などという恐怖の妄想が襲ってくる。
「水の値段とか考えると、下界の3〜4倍位。一泊一食付き7,000円という値段も同じ比率だとすると下界の2,000円位のイメージ。だとすると山谷のような寝床(泊まったことないけど)でも妥当なのかも。基本的に、山の人が自分でテントの中でビバークする代わりに、温かい寝床と(美味しいかどうかは別として)温かい食事を出してくれる、と考えればありがたい存在なのかも」
などという前向きな発想は全て下山してから。
その時には「あかん、これは無事では帰れない。このまま凍え死ぬのではないか」という妄想が頭をよぎる。
でも、最初もぐりこんだ布団が人肌で温かくなってたりとか、保温という意味では確保できていたし、頭痛も薬を飲んだら良くなった。
3時頃には体調も大分復活した感じがあって、外を見に行く余裕も出た。
御来光を見るために夜中に登山してきた人たち。 |
夜中に登山してきた人たちへの食事。 朝の3時半の様子です。 |
朝は4時半に下山開始。なんと体調は復活。
御来光も雲海も見れて、それはもう最高!!
御来光。 |
下山する人々。雲海が美しい。 |
雲の合間から光がさす、天使の降臨。 |
昨日の疲れも吹っ飛び、気分も高らかに下山。
下りは登りの半分の3時間程度で、7時半には5合目のバス停までおりる。
御胎内温泉に浸かって、それから近くの有名店「魚啓」へ。11時前には行列。 特上海鮮丼@2,160円也を3人で注文。かき揚げについてはおばちゃんから「座布団の大きさが2枚でますよ」を言われて怯む。そんなん誰が食べるんじゃ。
魚啓の特上海鮮丼。酢飯と普通のご飯と選べる。 |
12時過ぎに魚啓を後にし、帰途へ。
次男坊は「また来たい。富士山の4登山道を全て制覇したい。エベレストにも登りたい」など宣っていた。
まずはちゃんと言われたことやらんかい!
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