2012年2月26日日曜日

『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』

チンパンジーの祖先と分岐してから、いつ頃どのように人類が進化し、そして日本人になっていったのかを分かりやすく示した本。

我々の祖先は、1000万年〜700万年前のいつの頃か、チンパンジーの祖先と分岐して猿人となり、人類としての進化の道を歩み出した。
直立歩行によって、人類は手の自由を獲得し、その結果として発達した大きな脳を獲得し、言語も獲得した(言語については、体の直立に伴って咽頭の構造が変わり、複雑な音声を操れれるようになったのではないかと考えられている)
あわせて直立二足歩行により、口を手や道具の代わりとして使う必要がなくなり、顎や歯(特に犬歯)が次第に小さく華奢になっていった。
必要最小限の材料を使って、最大限の効果が得られるように形づくられる」という適応戦略が生物には働く。(「ルーの法則」)
犬歯が華奢になっていったのものこの戦略による。こういったケースを「退化」という言い方をするが、本来は「縮小的進化」と呼ぶべき。


自然淘汰は「何に適応するか」によって命運を分ける。
 パラントロプス(260万年前〜100万年前)の 顎と臼歯は、アウストラロピテクスよりもはるかに大きく、頭蓋の頭頂部には、矢状隆起と呼ばれる鶏のトサカのような出っ張りまである。これは、顎の骨に比 例して大きくなった顎の筋肉をしっかりつ頭蓋に付着させるために、付着部の表面積が大きくなるように発達してできた構造だとされている。
パ ラントロプスの食物に対するこの適応は、この時点では成功し、パラントロプスは160万年もの間、生息し続ける。ただし、栄養価の低い食物から必要なエネ ルギーを得るには、ほとんどの時間を食べることに費やさざるを得ないため、パラントロプスの生活は、その頑丈な顎を使って一日中何かを食べているというも のだったはず。
一方、同時代を生きていたアウストラロピテクスなどは、肉を食べることを覚えた。肉という栄養価の高い食物を食べるようになった者には一日中何かを食べ続ける必要がなくなり、時間的な余裕ができ、このことが両者の命運を分けた。
時間的な余裕ができたことで、食べること以外に脳を使うようになり、脳が発達し、彼らは次なる進化の階段を登り始めた。しかし、パラントロプスは食べること だけに時間を費やしたために脳が発達せず、おそらくは新たな環境の変化に遭遇したとき、生き延びることができなかったのであろう。
いわば、栄養価の低い”粗食”に完璧なまでに適応してしまったがゆえに、パラントロプスは生存競争に敗れてしまった。


イスラエルのカフゼーに現れたホモ・サピエンスは、3万5千年前までにはヨーロッパに到達していた。ただし、ヨーロッパに現れたホモ・サピエンスが、イスラエルにいた人類の末裔かというと、それははっきりしない。
というのも、8万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降5万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからである。
当時は2万年前に迎えた寒さのピークに向けて気温が全体としては下がり続けていた時期。アフリカから出てきて体が寒冷地適応していなかった我々の祖先は、イスラエルには寒くて住めなかったと考えられている。
一 方、ヨーロッパに棲息していたホモ・ハイデルベルゲンシスが進化して誕生したと言われる、いわば北方起源のネアンデルタール人は、熱を放出しにくい体形を しており、体が寒冷地適応していた。そのため氷期でもヨーロッパで暮らせたはずだが、氷期の中でも特に寒くなった時期にイスラエルの当りまで南下したと考 えられている。もしも両者が出会ったならば食料をめぐる争いもあったであろうし、ホモ・サピエンスは自発的に南へ移住したのではなく、ネアンデルタール人 に滅ぼされたと考えることも出来る。
何故3万5千年前頃になってホモ・サピエンスがヨーロッパに姿を見せたのか。
化石現生人類であるクロマニョン人は、精巧な石器を作って動物を狩り、石を並べた炉をつくり、象牙や動物の角や骨で装飾品や縫い針を作り、皮をなめし衣服やテントを作っていた。つまり、道具を発達させたことで寒い地域で生きることが可能になったのだ。
ヨー ロッパから西アジアにかけてもともと棲息していたネアンデルタール人と、後からやってきたホモ・サピエンスは、数千年間共存していたが、知能の差により、 やがてネアンデルタール人は海辺や山中などの辺境へと追いやられた。一部では両者が交配した事実があったとしても、ネアンデルタール人が再び勢力を盛り返 すことは無理だったと考えられている。
頑丈型の猿人、パラントロプスが、栄養価の低い”粗食”をたべることに完璧に適応してしまったが故に滅びたように、ネアンデルタール人もまた、寒冷な気候に脳ではなく、体で適応してしまったが故に滅びたのかも知れない。



厳しい環境の中、何に適応すべきかによって生き延びるのか滅びるのかが分かれる。 
パラントロプスが一日中食べることだけに時間を費やす一方、時間的な余裕をつくることでアウストラロピテクスが脳を発達させ生き残ったことは非常に示唆深い。
利益を上げること(食べること)だけに時間を費やす企業は滅び、時間的な余裕をつくり、その余力をもって次への進化のために時間を費やす企業が生き残るということではなかろうか。

また、環境の激しい変化にハード(肉体)で対応してしまったパラントロプス、ネアンデルタール人が滅び、ソフト(脳を発達させ、道具を使えるようにした)で対応したものが生き残ったというのは現代の企業においてもそのまま当てはまるのかもしれない。


日本人のルーツであるが、縄文人と弥生人は別のルーツであることが色々な研究結果から分かってきている。
人 骨の頭蓋データの分析により、東日本の古墳時代人は男女とも東日本の縄文人と西日本の弥生人に、同程度似ている。しかし、西日本の古墳時代人は男女とも、 西日本の縄文人よりも、西日本の弥生人にはるかに似ている。
つまり、古墳時代になっても、東日本では、縄文人の特徴と弥生人の特徴が半々に残っていたのに 対し、西日本では縄文人の特徴は失われ、ほとんどが弥生人の特徴になっていたということで、西日本の方が早く弥生人化したといえる。
西日本の弥生人は、男性は縄文・弥生時代に相当する時期の、中央アジアや北アジアの人々と非常によく似ている。(シベリアあるいはバイカル湖起源説を裏付ける)
しかし、西日本の弥生時代の女性は、男性とは異なり、同じ西日本の縄文人に最も似ていた。
これは日本に渡来してきた人々がほとんど男性で、かつ、渡来が一度きりではなく連続的であったとすれば、必ずしも矛盾なくこの結果を説明できる。


縄文人と弥生人の関係については
①置換説
②混血説
③変形説
があるが、現在では「置換に近い混血説」が主流となっている。


その他にも、ヒトが直立二足歩行により進化した結果、体毛が薄くなった理由とか、唇が生殖器の、乳房は臀部の擬態を行っている話しとか、霊長類も含めて一重瞼なのは北&東アジア人だけとかの豆知識も満載。
面白い本である。
 

2012年2月12日日曜日

『アイデアの99%』

アイデアが実行されるために、どうしたらよいのか。
「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である」とはかのトーマス・エジソンの言葉だが、アイデアを実現するには、1%の発想力と99%の実行力が必要という考えのもと書かれたハウツー本。
対象としてクリエイターやアーティストをイメージしているようで、最初の「発想力」については記載されていない。


アイデア実現力=発想力+整理力+仲間力+統率力 
どんなプロジェクトもたった3つのことに落とし込むことができる。
「やるべき作業(アクション・ステップ)」
「参考資料(レファレンス)」
「後回しにすること(バックバーナー)」
これらの物事に優先順位をつけ、エネルギーと注意力を正しく配分することが実現力につながるとしている。


創造的譲歩
アイデアの実現を支える手法は、たいてい直感とは対極にある。アイデアを実現するための規律と自制は、時にクリエイターとしての本質を曲げることのように感じられるかもしれない。信念や芸術性を曲げる必要性はないが、自らの破壊的な傾向を戒める必要がある。
・・
これは実体験からも非常に納得することができる。
建築家とアーティストのコラボレーションを行った時に、双方の「直感」を摺り合わせるのに非常に時間がかかった。途中プロジェクトそのものが頓挫するかと思われた瞬間もあったが、結局双方が自らの信念や芸術性を曲げることなくプロジェクトを推進してくれて、双方にとって今までにないものを作ることができた。
これぞ、著者の言う「創造的譲歩」だったのだと思う。


アクション・ステップについては
①すべてのアクション・ステップは動詞で表す
②そして短い文章にする。
とか、
実行力を高める秘訣は簡単なこと。せっつく
というありがたい教えも非常に実践的である。

また、
「行動する前に考えよ」但し「確信がなくても動け」
 というのも言い得て妙である。これは結局バランス感覚の問題か。


実行力がないチームにあり勝ちなこととして、実行段階に入り根気のいる実践段階、いわゆる『プロジェクトの踊り場』で新しいアイデアに飛びついてしまうことを挙げている。


これを防ぐためには、新しいアイデアに飛びついてしまわないようにする『免疫システム』が必要である。
著者は、
新しいアイデアを放棄する能力は、生産性の向上と既存プロジェクトの拡大に欠かせない。
懐疑派(アイデアに飛びつかず、まず疑ってかかる人達)はチームにとっての白血球。
懐疑派が我々の機能を正常に保ち、本筋にとどめてくれる。」
として懐疑派の人を必要不可欠だとしている。


組織的なネガティブチェックのやり方として、ディズニーの映画制作手法が紹介されている。
第1の部屋:どんな制約もなく自由にアイデアを発言することが許される。本来の意味でのブレインストーミングが行われ、そこに疑いが挟まれることはない。
第2の部屋:第1の部屋からの突飛なアイデアが集められ、整理される。それが出来事を時系列にまとめた筋書きや、キャラクターの人物像などになる。
第3の部屋:別名「冷や汗部屋」。クリエイティブチームの全員が、なにものにも縛られずにプロジェクトを批判的に評価する場所。個々人のアイデアは予め第2の部屋でまとめられているので、第3の部屋での批判は個人攻撃ではなく、プロジェクトの要素に向けられることになる。
アイデアをめった切りにする第3の部屋も、突飛な考えを生みだす第1の部屋と同じ位重要。


そして、実現しつづけるためには、まとめたものがどんなものであれ発送(発信)することが重要である。
これをためらうと、いつまでたっても何もやっていないのと同じことになる。
批判的なフィードバックを恐れてはいけない。


フィードバックを自ら進んで取り入れる人々は、他人の意見を資産、つまり、ある意味でお金によらない報酬だとみなしている。
「すべきこと」「やめるべきこと」「続けるべきこと」という形でまとめるのは非常に有益な手法。
アイデア実現の過程で知見を集めるのに役立つだけでなく、協力者やクライアントといったコミュニティに、あなたがフィードバックを取り入れ、向上し、積極的に学ぼうとしているという信号を送ることにもなる。
フィードバックの共有は、効果的な自己マーケティングの一種であり、プロジェクトの中身を変容させる役割をもつ。


また、合意に達するまで議論するが、合意に縛られないことも重要。
共同作業によるプロジェクトの究極の課題は、全員から最良の意見を引き出しながら、同時に最大公約数的な落としどころに落ち着かないようにすること。
コンセンサスにこだわると、結局誰も怒らせず、誰も喜ばせない平凡な結果につながることは少なくない。
広告業界のクリエイティブチームの多くは「多数から情報を収集し、少数が決める」戦略をとっている。


クリエイター向けということで、いかに実行するかというビジネスマンには当たり前のことにフォーカスされているが、非常に実践的な手法が多い。
公式の「発想力」、すなわちアイデア自体をどうやって生むのかということもあるが、これについては、昔と違って、ネットの世界にパクれるアイデアはたくさんある気がする。 
コンピューター・ネット社会においては、アイデアの素晴らしさよりも、実現力(そしてそのスピード!)の方が重要であることを考えると非常に大切な部分にフォーカスをあてた本であると言える。
 

2012年2月5日日曜日

『恋するオスが進化する』

いや〜、仕事と全く関係の無い本で久しぶりにハマってしまった。
色んな生物の性に関する話しが、具体事例を伴って理論とともに書かれている。
いわゆる生物における「性的対立」について書かれた本だが、雑学除いても面白い。
ちなみに、著者は昆虫においても「交尾」といわず「セックス」という表現を用いている(だから擬人的で一層面白いのかも)ので、それに倣って以下表記していく。

<性の始まり>
この世の最初に性はなかった。太古、生物は全て無性生殖(単為生殖)で増えることができた。(今でも酵母菌やヒドラなど、無性生殖を行う生物は多い)
性を伴う有性生殖は無性生殖から生まれている。あるとき生殖細胞がX染色体とY染色体に分かれた。これが性の始まり。
こ の二つの生殖細胞、つまり配偶子(繁殖に特化した細胞)は最初、同じ大きさだった。だが、あるとき、一方の配偶子に栄養を多く持つものが、より繁殖力の高 い配偶子になるという現象が生じた。そうすると栄養を持った配偶子の間で競争がおき、少しでも多くの栄養素をもった、より大きな配偶子が生存競争で有利に なる。こうして一つの配偶子のタイプはどんどん大きくなっていったと考えられる。
資源を多く持った者が出現すると、その資源にあやかろうとするパラサイトが生じてくるのが生物の常である。配偶子の進化も全く同じで、資源を多く持った者が現れると、一方では自分自身に栄養を投資せず、少しでも小さくなった方が有利だというタイプの配偶子が現れた。
いったんこの二極化が始まると、進化は行きつく所まで止まらない。
中途半端に資源を持っていたり、中途半端に寄生するタイプは生存競争に負けてしまうのだ。その結果、一方の配偶子は最小限の情報であるDNAと、自分が寄生する相手(大きな配偶子)にたどり着くために鞭毛だけをもつ存在に化してしまった。
つまりオスはその起源から、メスのパラサイト、つまりヒモとしてこの世に出現した性なのだ。


<有性生殖の「2倍のコスト」と呼ばれる問題>
増殖スピードからみれば、性が二つある状態は全く効率的ではない。
有性生殖というシステムが維持され続けるためには、2倍のコストを上回る利点が存在しなければならない。
この疑問にはいくつもの仮説が提唱されている。

『レッド・クイーン仮説(赤の女王仮説)』
有性生殖はウィルスなどの病原体や、急激な環境変化に対抗するために進化したとする説。
ウィルスなどは世代時間が極端に短く、次々と突然変異を起す。このような不安定な環境に対して、自分たちも変化することで対応していくためには、無性生殖は非常に不利である。
一方の有性生殖ではセックスによって常に遺伝子の組み替えが生じる。一部に免疫を持った個体が現れればその遺伝子が子孫に伝わり、無事生き延びていく。つまりオスとメスの遺伝子を組み換えることで、環境の不安定さに素早く適応する力が得られる。
進化とは、世代を経て生じる遺伝子頻度(特定の形質を表す遺伝子の割合)の変化を指す。
極 端に世代時間の短いウィルスの素早い進化に対抗するには、世代交替期間の長い生物だけで世代を重ねてもそのスピードには追いつけない。生物にとって環境あ たる寄生者がどんどん変わり続けているのだから、生物がその環境に留まるためにはできるかぎり早く変わり続けなければならない。
鏡の国のアリスの赤の女王の国で「その場に留まりたければ、全力で走り続けなければならない」とアリスに言ったことに由来。この状況が、寄生するウィルスの早い進化と、寄生される生物の素早い適応の関係に似ているため。
このために性があるのであれば、なかでも寄生的なオスという性は、病気と対抗するためにこの世に作り出された性だということもできる。

『望ましくない突然変異を修復するため』説
無性生殖を行う生物だと、一度生じた遺伝子のエラーによる有害性は、自己増殖によってそのまま次の世代に引き継がれていく。そんな有害な突然変異が染色体のあちこちで生じ、蓄積してしまう。(「マラーのラチェット」)
有性生殖だと特定の遺伝子の場所でコピーのエラーが生じ、塩基が置き換わっても、別親由来の染色体の同じ場所にもエラーが生じている確率(近親婚ではこの確率が高くなる)はほとんどなく、有害な染色体を修復することができる。
こちらの説だと、オスがいないと多くの生物は存在できないということになる。

<自然選択>
自然淘汰、つまり自然選択によって生物が進化する仕組みは意外に簡単。
①ある形質には、個体によってバラつきがある(変異)
②その形質が生存にとって有利であれば生き残って子孫を残すことができる(選択)
③その形質は遺伝というメカニズムにしたがって、後世に伝えられる(遺伝)

<性選択>
性選択の仕組みは選ぶ側が「環境」ではなく、「性」であるという点を除けば、自然選択と同じ。つまり、
①ある性の、とある形質にはバラつきがある(変異)
②その形質を持つ個体は別の性の個体に選り好まれ、もしくは同じ姓との競争の結果、他の個体より子供を残すことができる(選択)
③その形質の少なくとも一部は親から子に遺伝する(遺伝)
ということ。

性選択には2種類ある。
一つは、オス同士が互いに戦い、戦いに勝ったオスがより多くのメスとセックスできる。だからオスにはたくましい武器が発達する進化がおきるのだとする「同性内性選択」。
もうひとつは、オスがグッピーやクジャクのようにおしゃれを競い合い、メスに選んでもらってセックスに至る「異性間性選択」。
異性間選択にも二つある。
『フィッシャーのランナウェイ(共進化)
『ライス教授の「チィスアウェイ」(拮抗進化)
共進化(ランナウェイ)では右肩上がりに形質がエスカレートするのに対し、拮抗進化(チェイスアウェイ)では円を描くように対立が深まる。
この二つのプロセスで決定的に違うのが、セックス自体がメスにとってコストであるか否か。 
セックス自体がメスにとってコストならば対立による軍拡競争(拮抗進化:チェイスアウェイ)が生じるし、交尾自体がメスにとって利益であれば(選り好みをするコストが多少含まれても構わない)メスとオスの協調による共進化(ランナウェイ)が生じる。
乱暴な比喩でいうと、エッチが好きな女性が多い社会では男はおしゃれになり、貞淑な女性ばかりだと男は暴力的になる、ということだろうかと著者は述べているが、これは、女性が楽チンにセックスできる社会では男はおしゃれになり、女性がらくちんにセックスできない社会だと男は暴力的になるということではなかろうか。(本題とはちっとも関係のないどうでもいい部分なのだが。。)

以上の議論はどれも、メスの方がオスよりもセックスに対するコストが高い前提。
なのでメスがオスを選択することが前提となっている。
だが、生物によってはオスの方がセックスに対するコストが高い(すなわちオスの希少性が高い)ものもおり、その場合にはオスにメスの選択権があるということになる。
最近の日本の男子は、お弁当を作るのに夢中になったり子育てに時間を割いたり、以前と比べて圧倒的にマイホームパパが増えている。
そんな男子が増えた日本で、自分からガツンと男に告白する女子が増えているというのは当然の結果かも知れない。そのうち、子育て上手な男を巡って女性達が戦い出すのではなかろうか、というのは著者の見解。 

ちょっと真面目な話しに戻ると、性というものができたのは「進化の早いウィルスに対抗するため」もしくは「多様性によりエラーを複製しないため」ということであった。
環境が安定していて病気もない場合には、無性生殖をした方が有利である。
一時的にオスが出現せず、メスだけで世代をつないでいく生物は案外多い。
アブラムシは環境がいい春から夏にかけては、翅をもたないメスだけで増え続ける。冬が近くなると翅を持つ個体が現れるようになり、その中にオスも現れる。
ミジンコでも、好適条件ではメスが単為生殖でメスだけをどんどん生むことが知られている。これによって個体数は非常に素早く増えることができる。生息密度が 上昇するとオスが生まれるようになり、セックスによる受精を経て卵が作られる。厚い殻をもち、乾燥によく耐えるこの卵はただちに休眠に入り、生育密度が低 くなるなど、新たに条件が良くなった時点で孵化してくる。

変異や選択というメカニズムはとても単純なもの。
心地いいからある行動を選ぶとか、ある振る舞いを行った方が適応的だという目的意識をもって生物は行動している訳ではない。
ある振る舞いをとる個体の遺伝子が「単に」生き残った結果にすぎない。
すなわち、性が現在あるのは、2倍のコストをかけてでも対応してきたからで、コストをかけなかったものはこの世から種として退場した(簡単にいうと「滅んだ」)ということだ。

企業も寿命が30年などと言われるが、皆どの企業も生き残りをかけて「無駄」を省いている。
生物的に見ると、この無駄を省く方向は環境が安定していて、脅威が存在しない場合には有効ということになる。
しかし、長い生物の進化の歴史の中で、結局生き残っているのは2倍のコストをかけた有性生殖が大半である。
グローバリズムにより、世界の激しい変化に巻き込まれずに存続することは、現在はどの企業であっても難しい。
強いものではなく、変化に対応できたものが生き残るのだとすると、コストを削減し、一見無駄にみえる「のりしろ」と呼ばれる部分を削減していく今の企業の方向性とは本当に正しいのだろうか。
生物の場合目的意識をもって対応しているわけではない。長い期間をかけて、適応的に反応した生物が生き残ることで進化してきたということだ。これはすなわち、適応できなかった数多の生物が滅んだ結果ということだ。
人間の営む企業においては、目的意識をもって対応することができる。
目的意識をもって対応しないと、コスト削減に励み「無駄」そして「遊び」のない企業が滅ぶという高い勉強代を払わないと、環境の変化に対応するための多様性の重要性が分からないということになる。
既にリーマンショック、ユーロ危機などで資本主義の限界と言われるような環境の変化が全世界を覆っている。環境の変化が起こるとき、どの企業も例外ではなく飲み込まれるということだ。
企業が存続するGoing Concern であるとき、どのように目的意識をもって経営を行っていくべきか。これこそが壮大なる社会進化実験なのかもしれない。

2012年2月4日土曜日

グリーンパラソル

柏の葉に「男性だけではいけないカフェがある」と聞いて妻と行ってみた。
なんと場所は馴染みある元パークシティ柏の葉一番街の販売センターの隣。
こじんまりとしているが、調度品も素敵だし、庭の植栽も非常に手入れが行き届いていてみていて楽しい。
何より出てくるランチのヘルシーメニューが美味。
雰囲気を大事にするため、男性団体のみならず、子供やペットも不可とのこと。
今年10周年を迎えるということだったが、穴場である。
時々(一人では行けないので)妻と一緒にいくことにしよう。
これにサムゲタンスープがついて1,200円也。

チーズケーキをつけるとプラス300円。チーズケーキはボリュームたっぷりでレモンの香りがふんわり。

富山紀行2

雪の降りしきるなか、よせばいいのにウロウロして短い時間ではあったが市内を徘徊した。
雪の富山城。一時期、佐々成政が治めていたのね。

雪国ならではの「愛と汗のひとかき運動」。バス停の脇にスコップ設置。

「歩行者は民地側」っていう表現は色々考えた結果なんだろうな。

レンタル自転車『シクロシティ』好きな場所でレンタルして好きな場所で返却可能。環境モビリティはLRTだけではないのが富山のすごいところ。

交差点につぶつぶが。。

よく見るとゴム状のものがアスファルトに埋め込まれている。恐らく凍結時のスリップ防止かと。




雪国ならではの工夫が色々見れて楽しかった。
しかし、羽田空港について思ったが、やはり日本海側の冬は空の光がまず太平洋側とは違う。雪国の人達はその冬の空の下で長い冬を越すことを繰り返してきたわけだ。人の性格にも当然違いを及ぼすであろうなどと考えながら帰途についた。

富山紀行1

富山に出張してきた。
今年は雪が例年にないほどに降るということで、当初飛行機が飛ぶのかあやぶまれたが、いざ当日になってみるとちゃんと降り止んで無事富山の地を踏むことができた。

富山というと、富山湾でとれた魚介類。
夜は地元の某企業さんに『御料理まつざわ』に連れていってもらった。
刺身に始まる魚介類料理のオンパレード。そして日本酒。地元のにごり酒(なんとまだ発酵中なのでふたに穴が空いていて、空気が抜けるよう横にするの厳禁というもの)がなんとも美味い。
ちなみに、冬の富山では回転寿しでも東京の普通の寿司やより美味いネタが出てくるのだそうだ。
コンブを器にした白子とホタテの小鍋。地元の三笑楽酒造の日本酒がまた美味い。

 
締めの氷見うどん。モッチリしていて甘味系のつけだれと相性ばっちり。


B級グルメ系では、富山ブラック。
元祖の大喜の富山ブラックはしょっぱ辛すぎて美味しいものではないというコメントを様々なブログで見て、どうしようかと思ったが、一度は元祖の味を味わっておく必要がありと判断し、大喜の駅前店へ。
今日は昨日と違って朝から雪。

「中華そば」は量の違いはあっても1種類のみ。大喜のお客さんは皆『富山ブラック』を食べにきているのだ。

メンはもっちり系。やはりしょっぱ辛くて、ポジティブに表現すると『飲むお水を美味しくするラーメン』

最後は富山ならではの味「白えび」。
駅前の『白えび亭』。一見駅の立ち食いそば屋のような出で立ち。
730円の白えび天丼を注文。
昨晩は白えびを刺身でいただいたが、天ぷらにするのも口の中にささる感じがまたよし。

冬の富山のグルメ紀行。
正統派からB級まで、また行きたいと思わせるラインナップであった。











2012年2月1日水曜日

『100円のコーラを1000円で売る方法』


とある会社ではこの本が必読課題図書となっているという話しを聞いて早速読んでみた。
 
「顧客が望んでいて」「競合他社が提供できない」「自社が提供できる」価値を提供すべきという『バリュープロポジッション』という考え方や『カスタマー・マイオピア』(Customer Myopia:目の前の顧客の行っていることだけを鵜呑みにして、その全てに対応しようとしてしまい、本当に顧客が必要としていることに対応できておらず、長期的には顧客が離れていってしまう状態のこと)、『キャズム』といったマーケティングの考え方が小説形式で語られている。
各々詳細について知りたいということになると物足りない部分もあるが、小説形式ということもあり、面白くて一気に読めてしまう。

企業は「プロダクト」ではなく「バリュー」を顧客に提供するということが 根本の部分であることを改めて認識させられる。