いや〜、仕事と全く関係の無い本で久しぶりにハマってしまった。
色んな生物の性に関する話しが、具体事例を伴って理論とともに書かれている。
いわゆる生物における「性的対立」について書かれた本だが、雑学除いても面白い。
ちなみに、著者は昆虫においても「交尾」といわず「セックス」という表現を用いている(だから擬人的で一層面白いのかも)ので、それに倣って以下表記していく。
<性の始まり>
この世の最初に性はなかった。太古、生物は全て無性生殖(単為生殖)で増えることができた。(今でも酵母菌やヒドラなど、無性生殖を行う生物は多い)
性を伴う有性生殖は無性生殖から生まれている。あるとき生殖細胞がX染色体とY染色体に分かれた。これが性の始まり。
こ の二つの生殖細胞、つまり配偶子(繁殖に特化した細胞)は最初、同じ大きさだった。だが、あるとき、一方の配偶子に栄養を多く持つものが、より繁殖力の高 い配偶子になるという現象が生じた。そうすると栄養を持った配偶子の間で競争がおき、少しでも多くの栄養素をもった、より大きな配偶子が生存競争で有利に なる。こうして一つの配偶子のタイプはどんどん大きくなっていったと考えられる。
資源を多く持った者が出現すると、その資源にあやかろうとするパラサイトが生じてくるのが生物の常である。配偶子の進化も全く同じで、資源を多く持った者が現れると、一方では自分自身に栄養を投資せず、少しでも小さくなった方が有利だというタイプの配偶子が現れた。
いったんこの二極化が始まると、進化は行きつく所まで止まらない。
中途半端に資源を持っていたり、中途半端に寄生するタイプは生存競争に負けてしまうのだ。その結果、一方の配偶子は最小限の情報であるDNAと、自分が寄生する相手(大きな配偶子)にたどり着くために鞭毛だけをもつ存在に化してしまった。
つまりオスはその起源から、メスのパラサイト、つまりヒモとしてこの世に出現した性なのだ。
<有性生殖の「2倍のコスト」と呼ばれる問題>
増殖スピードからみれば、性が二つある状態は全く効率的ではない。
有性生殖というシステムが維持され続けるためには、2倍のコストを上回る利点が存在しなければならない。
この疑問にはいくつもの仮説が提唱されている。
『レッド・クイーン仮説(赤の女王仮説)』
有性生殖はウィルスなどの病原体や、急激な環境変化に対抗するために進化したとする説。
ウィルスなどは世代時間が極端に短く、次々と突然変異を起す。このような不安定な環境に対して、自分たちも変化することで対応していくためには、無性生殖は非常に不利である。
一方の有性生殖ではセックスによって常に遺伝子の組み替えが生じる。一部に免疫を持った個体が現れればその遺伝子が子孫に伝わり、無事生き延びていく。つまりオスとメスの遺伝子を組み換えることで、環境の不安定さに素早く適応する力が得られる。
進化とは、世代を経て生じる遺伝子頻度(特定の形質を表す遺伝子の割合)の変化を指す。
極 端に世代時間の短いウィルスの素早い進化に対抗するには、世代交替期間の長い生物だけで世代を重ねてもそのスピードには追いつけない。生物にとって環境あ たる寄生者がどんどん変わり続けているのだから、生物がその環境に留まるためにはできるかぎり早く変わり続けなければならない。
鏡の国のアリスの赤の女王の国で「その場に留まりたければ、全力で走り続けなければならない」とアリスに言ったことに由来。この状況が、寄生するウィルスの早い進化と、寄生される生物の素早い適応の関係に似ているため。
このために性があるのであれば、なかでも寄生的なオスという性は、病気と対抗するためにこの世に作り出された性だということもできる。
『望ましくない突然変異を修復するため』説
無性生殖を行う生物だと、一度生じた遺伝子のエラーによる有害性は、自己増殖によってそのまま次の世代に引き継がれていく。そんな有害な突然変異が染色体のあちこちで生じ、蓄積してしまう。(「マラーのラチェット」)
有性生殖だと特定の遺伝子の場所でコピーのエラーが生じ、塩基が置き換わっても、別親由来の染色体の同じ場所にもエラーが生じている確率(近親婚ではこの確率が高くなる)はほとんどなく、有害な染色体を修復することができる。
こちらの説だと、オスがいないと多くの生物は存在できないということになる。
<自然選択>
自然淘汰、つまり自然選択によって生物が進化する仕組みは意外に簡単。
①ある形質には、個体によってバラつきがある(変異)
②その形質が生存にとって有利であれば生き残って子孫を残すことができる(選択)
③その形質は遺伝というメカニズムにしたがって、後世に伝えられる(遺伝)
<性選択>
性選択の仕組みは選ぶ側が「環境」ではなく、「性」であるという点を除けば、自然選択と同じ。つまり、
①ある性の、とある形質にはバラつきがある(変異)
②その形質を持つ個体は別の性の個体に選り好まれ、もしくは同じ姓との競争の結果、他の個体より子供を残すことができる(選択)
③その形質の少なくとも一部は親から子に遺伝する(遺伝)
ということ。
性選択には2種類ある。
一つは、オス同士が互いに戦い、戦いに勝ったオスがより多くのメスとセックスできる。だからオスにはたくましい武器が発達する進化がおきるのだとする「同性内性選択」。
もうひとつは、オスがグッピーやクジャクのようにおしゃれを競い合い、メスに選んでもらってセックスに至る「異性間性選択」。
異性間選択にも二つある。
『フィッシャーのランナウェイ(共進化)』
『ライス教授の「チィスアウェイ」(拮抗進化)』
共進化(ランナウェイ)では右肩上がりに形質がエスカレートするのに対し、拮抗進化(チェイスアウェイ)では円を描くように対立が深まる。
この二つのプロセスで決定的に違うのが、セックス自体がメスにとってコストであるか否か。
セックス自体がメスにとってコストならば対立による軍拡競争(拮抗進化:チェイスアウェイ)が生じるし、交尾自体がメスにとって利益であれば(選り好みをするコストが多少含まれても構わない)メスとオスの協調による共進化(ランナウェイ)が生じる。
乱暴な比喩でいうと、エッチが好きな女性が多い社会では男はおしゃれになり、貞淑な女性ばかりだと男は暴力的になる、ということだろうかと著者は述べているが、これは、女性が楽チンにセックスできる社会では男はおしゃれになり、女性がらくちんにセックスできない社会だと男は暴力的になるということではなかろうか。(本題とはちっとも関係のないどうでもいい部分なのだが。。)
以上の議論はどれも、メスの方がオスよりもセックスに対するコストが高い前提。
なのでメスがオスを選択することが前提となっている。
だが、生物によってはオスの方がセックスに対するコストが高い(すなわちオスの希少性が高い)ものもおり、その場合にはオスにメスの選択権があるということになる。
最近の日本の男子は、お弁当を作るのに夢中になったり子育てに時間を割いたり、以前と比べて圧倒的にマイホームパパが増えている。
そんな男子が増えた日本で、自分からガツンと男に告白する女子が増えているというのは当然の結果かも知れない。そのうち、子育て上手な男を巡って女性達が戦い出すのではなかろうか、というのは著者の見解。
ちょっと真面目な話しに戻ると、性というものができたのは「進化の早いウィルスに対抗するため」もしくは「多様性によりエラーを複製しないため」ということであった。
環境が安定していて病気もない場合には、無性生殖をした方が有利である。
一時的にオスが出現せず、メスだけで世代をつないでいく生物は案外多い。
アブラムシは環境がいい春から夏にかけては、翅をもたないメスだけで増え続ける。冬が近くなると翅を持つ個体が現れるようになり、その中にオスも現れる。
ミジンコでも、好適条件ではメスが単為生殖でメスだけをどんどん生むことが知られている。これによって個体数は非常に素早く増えることができる。生息密度が 上昇するとオスが生まれるようになり、セックスによる受精を経て卵が作られる。厚い殻をもち、乾燥によく耐えるこの卵はただちに休眠に入り、生育密度が低 くなるなど、新たに条件が良くなった時点で孵化してくる。
変異や選択というメカニズムはとても単純なもの。
心地いいからある行動を選ぶとか、ある振る舞いを行った方が適応的だという目的意識をもって生物は行動している訳ではない。
ある振る舞いをとる個体の遺伝子が「単に」生き残った結果にすぎない。
すなわち、性が現在あるのは、2倍のコストをかけてでも対応してきたからで、コストをかけなかったものはこの世から種として退場した(簡単にいうと「滅んだ」)ということだ。
企業も寿命が30年などと言われるが、皆どの企業も生き残りをかけて「無駄」を省いている。
生物的に見ると、この無駄を省く方向は環境が安定していて、脅威が存在しない場合には有効ということになる。
しかし、長い生物の進化の歴史の中で、結局生き残っているのは2倍のコストをかけた有性生殖が大半である。
グローバリズムにより、世界の激しい変化に巻き込まれずに存続することは、現在はどの企業であっても難しい。
強いものではなく、変化に対応できたものが生き残るのだとすると、コストを削減し、一見無駄にみえる「のりしろ」と呼ばれる部分を削減していく今の企業の方向性とは本当に正しいのだろうか。
生物の場合目的意識をもって対応しているわけではない。長い期間をかけて、適応的に反応した生物が生き残ることで進化してきたということだ。これはすなわち、適応できなかった数多の生物が滅んだ結果ということだ。
人間の営む企業においては、目的意識をもって対応することができる。
目的意識をもって対応しないと、コスト削減に励み「無駄」そして「遊び」のない企業が滅ぶという高い勉強代を払わないと、環境の変化に対応するための多様性の重要性が分からないということになる。
既にリーマンショック、ユーロ危機などで資本主義の限界と言われるような環境の変化が全世界を覆っている。環境の変化が起こるとき、どの企業も例外ではなく飲み込まれるということだ。
企業が存続するGoing Concern であるとき、どのように目的意識をもって経営を行っていくべきか。これこそが壮大なる社会進化実験なのかもしれない。
色んな生物の性に関する話しが、具体事例を伴って理論とともに書かれている。
いわゆる生物における「性的対立」について書かれた本だが、雑学除いても面白い。
ちなみに、著者は昆虫においても「交尾」といわず「セックス」という表現を用いている(だから擬人的で一層面白いのかも)ので、それに倣って以下表記していく。
<性の始まり>
この世の最初に性はなかった。太古、生物は全て無性生殖(単為生殖)で増えることができた。(今でも酵母菌やヒドラなど、無性生殖を行う生物は多い)
性を伴う有性生殖は無性生殖から生まれている。あるとき生殖細胞がX染色体とY染色体に分かれた。これが性の始まり。
こ の二つの生殖細胞、つまり配偶子(繁殖に特化した細胞)は最初、同じ大きさだった。だが、あるとき、一方の配偶子に栄養を多く持つものが、より繁殖力の高 い配偶子になるという現象が生じた。そうすると栄養を持った配偶子の間で競争がおき、少しでも多くの栄養素をもった、より大きな配偶子が生存競争で有利に なる。こうして一つの配偶子のタイプはどんどん大きくなっていったと考えられる。
資源を多く持った者が出現すると、その資源にあやかろうとするパラサイトが生じてくるのが生物の常である。配偶子の進化も全く同じで、資源を多く持った者が現れると、一方では自分自身に栄養を投資せず、少しでも小さくなった方が有利だというタイプの配偶子が現れた。
いったんこの二極化が始まると、進化は行きつく所まで止まらない。
中途半端に資源を持っていたり、中途半端に寄生するタイプは生存競争に負けてしまうのだ。その結果、一方の配偶子は最小限の情報であるDNAと、自分が寄生する相手(大きな配偶子)にたどり着くために鞭毛だけをもつ存在に化してしまった。
つまりオスはその起源から、メスのパラサイト、つまりヒモとしてこの世に出現した性なのだ。
<有性生殖の「2倍のコスト」と呼ばれる問題>
増殖スピードからみれば、性が二つある状態は全く効率的ではない。
有性生殖というシステムが維持され続けるためには、2倍のコストを上回る利点が存在しなければならない。
この疑問にはいくつもの仮説が提唱されている。
『レッド・クイーン仮説(赤の女王仮説)』
有性生殖はウィルスなどの病原体や、急激な環境変化に対抗するために進化したとする説。
ウィルスなどは世代時間が極端に短く、次々と突然変異を起す。このような不安定な環境に対して、自分たちも変化することで対応していくためには、無性生殖は非常に不利である。
一方の有性生殖ではセックスによって常に遺伝子の組み替えが生じる。一部に免疫を持った個体が現れればその遺伝子が子孫に伝わり、無事生き延びていく。つまりオスとメスの遺伝子を組み換えることで、環境の不安定さに素早く適応する力が得られる。
進化とは、世代を経て生じる遺伝子頻度(特定の形質を表す遺伝子の割合)の変化を指す。
極 端に世代時間の短いウィルスの素早い進化に対抗するには、世代交替期間の長い生物だけで世代を重ねてもそのスピードには追いつけない。生物にとって環境あ たる寄生者がどんどん変わり続けているのだから、生物がその環境に留まるためにはできるかぎり早く変わり続けなければならない。
鏡の国のアリスの赤の女王の国で「その場に留まりたければ、全力で走り続けなければならない」とアリスに言ったことに由来。この状況が、寄生するウィルスの早い進化と、寄生される生物の素早い適応の関係に似ているため。
このために性があるのであれば、なかでも寄生的なオスという性は、病気と対抗するためにこの世に作り出された性だということもできる。
『望ましくない突然変異を修復するため』説
無性生殖を行う生物だと、一度生じた遺伝子のエラーによる有害性は、自己増殖によってそのまま次の世代に引き継がれていく。そんな有害な突然変異が染色体のあちこちで生じ、蓄積してしまう。(「マラーのラチェット」)
有性生殖だと特定の遺伝子の場所でコピーのエラーが生じ、塩基が置き換わっても、別親由来の染色体の同じ場所にもエラーが生じている確率(近親婚ではこの確率が高くなる)はほとんどなく、有害な染色体を修復することができる。
こちらの説だと、オスがいないと多くの生物は存在できないということになる。
<自然選択>
自然淘汰、つまり自然選択によって生物が進化する仕組みは意外に簡単。
①ある形質には、個体によってバラつきがある(変異)
②その形質が生存にとって有利であれば生き残って子孫を残すことができる(選択)
③その形質は遺伝というメカニズムにしたがって、後世に伝えられる(遺伝)
<性選択>
性選択の仕組みは選ぶ側が「環境」ではなく、「性」であるという点を除けば、自然選択と同じ。つまり、
①ある性の、とある形質にはバラつきがある(変異)
②その形質を持つ個体は別の性の個体に選り好まれ、もしくは同じ姓との競争の結果、他の個体より子供を残すことができる(選択)
③その形質の少なくとも一部は親から子に遺伝する(遺伝)
ということ。
性選択には2種類ある。
一つは、オス同士が互いに戦い、戦いに勝ったオスがより多くのメスとセックスできる。だからオスにはたくましい武器が発達する進化がおきるのだとする「同性内性選択」。
もうひとつは、オスがグッピーやクジャクのようにおしゃれを競い合い、メスに選んでもらってセックスに至る「異性間性選択」。
異性間選択にも二つある。
『フィッシャーのランナウェイ(共進化)』
『ライス教授の「チィスアウェイ」(拮抗進化)』
共進化(ランナウェイ)では右肩上がりに形質がエスカレートするのに対し、拮抗進化(チェイスアウェイ)では円を描くように対立が深まる。
この二つのプロセスで決定的に違うのが、セックス自体がメスにとってコストであるか否か。
セックス自体がメスにとってコストならば対立による軍拡競争(拮抗進化:チェイスアウェイ)が生じるし、交尾自体がメスにとって利益であれば(選り好みをするコストが多少含まれても構わない)メスとオスの協調による共進化(ランナウェイ)が生じる。
乱暴な比喩でいうと、エッチが好きな女性が多い社会では男はおしゃれになり、貞淑な女性ばかりだと男は暴力的になる、ということだろうかと著者は述べているが、これは、女性が楽チンにセックスできる社会では男はおしゃれになり、女性がらくちんにセックスできない社会だと男は暴力的になるということではなかろうか。(本題とはちっとも関係のないどうでもいい部分なのだが。。)
以上の議論はどれも、メスの方がオスよりもセックスに対するコストが高い前提。
なのでメスがオスを選択することが前提となっている。
だが、生物によってはオスの方がセックスに対するコストが高い(すなわちオスの希少性が高い)ものもおり、その場合にはオスにメスの選択権があるということになる。
最近の日本の男子は、お弁当を作るのに夢中になったり子育てに時間を割いたり、以前と比べて圧倒的にマイホームパパが増えている。
そんな男子が増えた日本で、自分からガツンと男に告白する女子が増えているというのは当然の結果かも知れない。そのうち、子育て上手な男を巡って女性達が戦い出すのではなかろうか、というのは著者の見解。
ちょっと真面目な話しに戻ると、性というものができたのは「進化の早いウィルスに対抗するため」もしくは「多様性によりエラーを複製しないため」ということであった。
環境が安定していて病気もない場合には、無性生殖をした方が有利である。
一時的にオスが出現せず、メスだけで世代をつないでいく生物は案外多い。
アブラムシは環境がいい春から夏にかけては、翅をもたないメスだけで増え続ける。冬が近くなると翅を持つ個体が現れるようになり、その中にオスも現れる。
ミジンコでも、好適条件ではメスが単為生殖でメスだけをどんどん生むことが知られている。これによって個体数は非常に素早く増えることができる。生息密度が 上昇するとオスが生まれるようになり、セックスによる受精を経て卵が作られる。厚い殻をもち、乾燥によく耐えるこの卵はただちに休眠に入り、生育密度が低 くなるなど、新たに条件が良くなった時点で孵化してくる。
変異や選択というメカニズムはとても単純なもの。
心地いいからある行動を選ぶとか、ある振る舞いを行った方が適応的だという目的意識をもって生物は行動している訳ではない。
ある振る舞いをとる個体の遺伝子が「単に」生き残った結果にすぎない。
すなわち、性が現在あるのは、2倍のコストをかけてでも対応してきたからで、コストをかけなかったものはこの世から種として退場した(簡単にいうと「滅んだ」)ということだ。
企業も寿命が30年などと言われるが、皆どの企業も生き残りをかけて「無駄」を省いている。
生物的に見ると、この無駄を省く方向は環境が安定していて、脅威が存在しない場合には有効ということになる。
しかし、長い生物の進化の歴史の中で、結局生き残っているのは2倍のコストをかけた有性生殖が大半である。
グローバリズムにより、世界の激しい変化に巻き込まれずに存続することは、現在はどの企業であっても難しい。
強いものではなく、変化に対応できたものが生き残るのだとすると、コストを削減し、一見無駄にみえる「のりしろ」と呼ばれる部分を削減していく今の企業の方向性とは本当に正しいのだろうか。
生物の場合目的意識をもって対応しているわけではない。長い期間をかけて、適応的に反応した生物が生き残ることで進化してきたということだ。これはすなわち、適応できなかった数多の生物が滅んだ結果ということだ。
人間の営む企業においては、目的意識をもって対応することができる。
目的意識をもって対応しないと、コスト削減に励み「無駄」そして「遊び」のない企業が滅ぶという高い勉強代を払わないと、環境の変化に対応するための多様性の重要性が分からないということになる。
既にリーマンショック、ユーロ危機などで資本主義の限界と言われるような環境の変化が全世界を覆っている。環境の変化が起こるとき、どの企業も例外ではなく飲み込まれるということだ。
企業が存続するGoing Concern であるとき、どのように目的意識をもって経営を行っていくべきか。これこそが壮大なる社会進化実験なのかもしれない。
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