チンパンジーの祖先と分岐してから、いつ頃どのように人類が進化し、そして日本人になっていったのかを分かりやすく示した本。
我々の祖先は、1000万年〜700万年前のいつの頃か、チンパンジーの祖先と分岐して猿人となり、人類としての進化の道を歩み出した。
直立歩行によって、人類は手の自由を獲得し、その結果として発達した大きな脳を獲得し、言語も獲得した(言語については、体の直立に伴って咽頭の構造が変わり、複雑な音声を操れれるようになったのではないかと考えられている)。
あわせて直立二足歩行により、口を手や道具の代わりとして使う必要がなくなり、顎や歯(特に犬歯)が次第に小さく華奢になっていった。
「必要最小限の材料を使って、最大限の効果が得られるように形づくられる」という適応戦略が生物には働く。(「ルーの法則」)
犬歯が華奢になっていったのものこの戦略による。こういったケースを「退化」という言い方をするが、本来は「縮小的進化」と呼ぶべき。
自然淘汰は「何に適応するか」によって命運を分ける。
パラントロプス(260万年前〜100万年前)の 顎と臼歯は、アウストラロピテクスよりもはるかに大きく、頭蓋の頭頂部には、矢状隆起と呼ばれる鶏のトサカのような出っ張りまである。これは、顎の骨に比 例して大きくなった顎の筋肉をしっかりつ頭蓋に付着させるために、付着部の表面積が大きくなるように発達してできた構造だとされている。
パ ラントロプスの食物に対するこの適応は、この時点では成功し、パラントロプスは160万年もの間、生息し続ける。ただし、栄養価の低い食物から必要なエネ ルギーを得るには、ほとんどの時間を食べることに費やさざるを得ないため、パラントロプスの生活は、その頑丈な顎を使って一日中何かを食べているというも のだったはず。
一方、同時代を生きていたアウストラロピテクスなどは、肉を食べることを覚えた。肉という栄養価の高い食物を食べるようになった者には一日中何かを食べ続ける必要がなくなり、時間的な余裕ができ、このことが両者の命運を分けた。
時間的な余裕ができたことで、食べること以外に脳を使うようになり、脳が発達し、彼らは次なる進化の階段を登り始めた。しかし、パラントロプスは食べること だけに時間を費やしたために脳が発達せず、おそらくは新たな環境の変化に遭遇したとき、生き延びることができなかったのであろう。
いわば、栄養価の低い”粗食”に完璧なまでに適応してしまったがゆえに、パラントロプスは生存競争に敗れてしまった。
イスラエルのカフゼーに現れたホモ・サピエンスは、3万5千年前までにはヨーロッパに到達していた。ただし、ヨーロッパに現れたホモ・サピエンスが、イスラエルにいた人類の末裔かというと、それははっきりしない。
というのも、8万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降5万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからである。
当時は2万年前に迎えた寒さのピークに向けて気温が全体としては下がり続けていた時期。アフリカから出てきて体が寒冷地適応していなかった我々の祖先は、イスラエルには寒くて住めなかったと考えられている。
一 方、ヨーロッパに棲息していたホモ・ハイデルベルゲンシスが進化して誕生したと言われる、いわば北方起源のネアンデルタール人は、熱を放出しにくい体形を しており、体が寒冷地適応していた。そのため氷期でもヨーロッパで暮らせたはずだが、氷期の中でも特に寒くなった時期にイスラエルの当りまで南下したと考 えられている。もしも両者が出会ったならば食料をめぐる争いもあったであろうし、ホモ・サピエンスは自発的に南へ移住したのではなく、ネアンデルタール人 に滅ぼされたと考えることも出来る。
何故3万5千年前頃になってホモ・サピエンスがヨーロッパに姿を見せたのか。
化石現生人類であるクロマニョン人は、精巧な石器を作って動物を狩り、石を並べた炉をつくり、象牙や動物の角や骨で装飾品や縫い針を作り、皮をなめし衣服やテントを作っていた。つまり、道具を発達させたことで寒い地域で生きることが可能になったのだ。
ヨー ロッパから西アジアにかけてもともと棲息していたネアンデルタール人と、後からやってきたホモ・サピエンスは、数千年間共存していたが、知能の差により、 やがてネアンデルタール人は海辺や山中などの辺境へと追いやられた。一部では両者が交配した事実があったとしても、ネアンデルタール人が再び勢力を盛り返 すことは無理だったと考えられている。
頑丈型の猿人、パラントロプスが、栄養価の低い”粗食”をたべることに完璧に適応してしまったが故に滅びたように、ネアンデルタール人もまた、寒冷な気候に脳ではなく、体で適応してしまったが故に滅びたのかも知れない。
厳しい環境の中、何に適応すべきかによって生き延びるのか滅びるのかが分かれる。
パラントロプスが一日中食べることだけに時間を費やす一方、時間的な余裕をつくることでアウストラロピテクスが脳を発達させ生き残ったことは非常に示唆深い。
利益を上げること(食べること)だけに時間を費やす企業は滅び、時間的な余裕をつくり、その余力をもって次への進化のために時間を費やす企業が生き残るということではなかろうか。
また、環境の激しい変化にハード(肉体)で対応してしまったパラントロプス、ネアンデルタール人が滅び、ソフト(脳を発達させ、道具を使えるようにした)で対応したものが生き残ったというのは現代の企業においてもそのまま当てはまるのかもしれない。
日本人のルーツであるが、縄文人と弥生人は別のルーツであることが色々な研究結果から分かってきている。
人 骨の頭蓋データの分析により、東日本の古墳時代人は男女とも東日本の縄文人と西日本の弥生人に、同程度似ている。しかし、西日本の古墳時代人は男女とも、 西日本の縄文人よりも、西日本の弥生人にはるかに似ている。
つまり、古墳時代になっても、東日本では、縄文人の特徴と弥生人の特徴が半々に残っていたのに 対し、西日本では縄文人の特徴は失われ、ほとんどが弥生人の特徴になっていたということで、西日本の方が早く弥生人化したといえる。
西日本の弥生人は、男性は縄文・弥生時代に相当する時期の、中央アジアや北アジアの人々と非常によく似ている。(シベリアあるいはバイカル湖起源説を裏付ける)
しかし、西日本の弥生時代の女性は、男性とは異なり、同じ西日本の縄文人に最も似ていた。
これは日本に渡来してきた人々がほとんど男性で、かつ、渡来が一度きりではなく連続的であったとすれば、必ずしも矛盾なくこの結果を説明できる。
縄文人と弥生人の関係については
①置換説
②混血説
③変形説
があるが、現在では「置換に近い混血説」が主流となっている。
その他にも、ヒトが直立二足歩行により進化した結果、体毛が薄くなった理由とか、唇が生殖器の、乳房は臀部の擬態を行っている話しとか、霊長類も含めて一重瞼なのは北&東アジア人だけとかの豆知識も満載。
面白い本である。
我々の祖先は、1000万年〜700万年前のいつの頃か、チンパンジーの祖先と分岐して猿人となり、人類としての進化の道を歩み出した。
直立歩行によって、人類は手の自由を獲得し、その結果として発達した大きな脳を獲得し、言語も獲得した(言語については、体の直立に伴って咽頭の構造が変わり、複雑な音声を操れれるようになったのではないかと考えられている)。
あわせて直立二足歩行により、口を手や道具の代わりとして使う必要がなくなり、顎や歯(特に犬歯)が次第に小さく華奢になっていった。
「必要最小限の材料を使って、最大限の効果が得られるように形づくられる」という適応戦略が生物には働く。(「ルーの法則」)
犬歯が華奢になっていったのものこの戦略による。こういったケースを「退化」という言い方をするが、本来は「縮小的進化」と呼ぶべき。
自然淘汰は「何に適応するか」によって命運を分ける。
パラントロプス(260万年前〜100万年前)の 顎と臼歯は、アウストラロピテクスよりもはるかに大きく、頭蓋の頭頂部には、矢状隆起と呼ばれる鶏のトサカのような出っ張りまである。これは、顎の骨に比 例して大きくなった顎の筋肉をしっかりつ頭蓋に付着させるために、付着部の表面積が大きくなるように発達してできた構造だとされている。
パ ラントロプスの食物に対するこの適応は、この時点では成功し、パラントロプスは160万年もの間、生息し続ける。ただし、栄養価の低い食物から必要なエネ ルギーを得るには、ほとんどの時間を食べることに費やさざるを得ないため、パラントロプスの生活は、その頑丈な顎を使って一日中何かを食べているというも のだったはず。
一方、同時代を生きていたアウストラロピテクスなどは、肉を食べることを覚えた。肉という栄養価の高い食物を食べるようになった者には一日中何かを食べ続ける必要がなくなり、時間的な余裕ができ、このことが両者の命運を分けた。
時間的な余裕ができたことで、食べること以外に脳を使うようになり、脳が発達し、彼らは次なる進化の階段を登り始めた。しかし、パラントロプスは食べること だけに時間を費やしたために脳が発達せず、おそらくは新たな環境の変化に遭遇したとき、生き延びることができなかったのであろう。
いわば、栄養価の低い”粗食”に完璧なまでに適応してしまったがゆえに、パラントロプスは生存競争に敗れてしまった。
イスラエルのカフゼーに現れたホモ・サピエンスは、3万5千年前までにはヨーロッパに到達していた。ただし、ヨーロッパに現れたホモ・サピエンスが、イスラエルにいた人類の末裔かというと、それははっきりしない。
というのも、8万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降5万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからである。
当時は2万年前に迎えた寒さのピークに向けて気温が全体としては下がり続けていた時期。アフリカから出てきて体が寒冷地適応していなかった我々の祖先は、イスラエルには寒くて住めなかったと考えられている。
一 方、ヨーロッパに棲息していたホモ・ハイデルベルゲンシスが進化して誕生したと言われる、いわば北方起源のネアンデルタール人は、熱を放出しにくい体形を しており、体が寒冷地適応していた。そのため氷期でもヨーロッパで暮らせたはずだが、氷期の中でも特に寒くなった時期にイスラエルの当りまで南下したと考 えられている。もしも両者が出会ったならば食料をめぐる争いもあったであろうし、ホモ・サピエンスは自発的に南へ移住したのではなく、ネアンデルタール人 に滅ぼされたと考えることも出来る。
何故3万5千年前頃になってホモ・サピエンスがヨーロッパに姿を見せたのか。
化石現生人類であるクロマニョン人は、精巧な石器を作って動物を狩り、石を並べた炉をつくり、象牙や動物の角や骨で装飾品や縫い針を作り、皮をなめし衣服やテントを作っていた。つまり、道具を発達させたことで寒い地域で生きることが可能になったのだ。
ヨー ロッパから西アジアにかけてもともと棲息していたネアンデルタール人と、後からやってきたホモ・サピエンスは、数千年間共存していたが、知能の差により、 やがてネアンデルタール人は海辺や山中などの辺境へと追いやられた。一部では両者が交配した事実があったとしても、ネアンデルタール人が再び勢力を盛り返 すことは無理だったと考えられている。
頑丈型の猿人、パラントロプスが、栄養価の低い”粗食”をたべることに完璧に適応してしまったが故に滅びたように、ネアンデルタール人もまた、寒冷な気候に脳ではなく、体で適応してしまったが故に滅びたのかも知れない。
厳しい環境の中、何に適応すべきかによって生き延びるのか滅びるのかが分かれる。
パラントロプスが一日中食べることだけに時間を費やす一方、時間的な余裕をつくることでアウストラロピテクスが脳を発達させ生き残ったことは非常に示唆深い。
利益を上げること(食べること)だけに時間を費やす企業は滅び、時間的な余裕をつくり、その余力をもって次への進化のために時間を費やす企業が生き残るということではなかろうか。
また、環境の激しい変化にハード(肉体)で対応してしまったパラントロプス、ネアンデルタール人が滅び、ソフト(脳を発達させ、道具を使えるようにした)で対応したものが生き残ったというのは現代の企業においてもそのまま当てはまるのかもしれない。
日本人のルーツであるが、縄文人と弥生人は別のルーツであることが色々な研究結果から分かってきている。
人 骨の頭蓋データの分析により、東日本の古墳時代人は男女とも東日本の縄文人と西日本の弥生人に、同程度似ている。しかし、西日本の古墳時代人は男女とも、 西日本の縄文人よりも、西日本の弥生人にはるかに似ている。
つまり、古墳時代になっても、東日本では、縄文人の特徴と弥生人の特徴が半々に残っていたのに 対し、西日本では縄文人の特徴は失われ、ほとんどが弥生人の特徴になっていたということで、西日本の方が早く弥生人化したといえる。
西日本の弥生人は、男性は縄文・弥生時代に相当する時期の、中央アジアや北アジアの人々と非常によく似ている。(シベリアあるいはバイカル湖起源説を裏付ける)
しかし、西日本の弥生時代の女性は、男性とは異なり、同じ西日本の縄文人に最も似ていた。
これは日本に渡来してきた人々がほとんど男性で、かつ、渡来が一度きりではなく連続的であったとすれば、必ずしも矛盾なくこの結果を説明できる。
縄文人と弥生人の関係については
①置換説
②混血説
③変形説
があるが、現在では「置換に近い混血説」が主流となっている。
その他にも、ヒトが直立二足歩行により進化した結果、体毛が薄くなった理由とか、唇が生殖器の、乳房は臀部の擬態を行っている話しとか、霊長類も含めて一重瞼なのは北&東アジア人だけとかの豆知識も満載。
面白い本である。
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