2013年11月4日月曜日

『ロスジェネの逆襲』

池井戸潤、半沢直樹シリーズ第3弾。テレビドラマの続きということで、読みたいと思っていたら会社のメンバーが貸してくれた。

>>>>>

1994年から2004年に亘る就職氷河期に世の中にでた若者たち。その彼らを後の某全国紙の命名により「ロスト・ジェネレーション」略してロスジェネ世代と呼ぶようになる。
身を削るような就職活動をくぐり抜けて会社に入ってみると、そこには大した能力もないくせに、ただ売り手市場だと言うだけで大量採用された危機感なき社員たちが中間管理職として幅をきかせていた。バブル入社組である。
大量採用のおかげで頭数だけはいるバブル世代を喰わすため、少数精鋭のロスジェネ世代が働かされ、虐げられている。

>>>>>
昭和63年に三菱銀行に入校した著者(まさにバブル世代)ならではの書きようだが、今回はロスジェネ世代が主人公とも言える。


相変わらずどんでん返しが続く展開だが、その要所要所で著者の池井戸潤の価値観が登場人物によって語られる。

大勝負が終わって沙汰を待つ段階で、半沢(バブル世代)が森山(ロスジェネ世代)に語るセリフ。
>>>>>
「世の中を儚み、文句をいったり腐してみたりする——。でもそんなことは誰にだって出来る。お前は知らないかも知れないが、いつの世にも、世の中に文句ばかりいている奴は大勢いるんだ。だけど、果たしてそれに何の意味がある。例えばお前達が虐げられた世代なら、どうすればそう言う世代が二度と出てこないようになるのか、その答えを探すべきなんじゃないのか」
「あと十年もすれば、お前達は社会の真の担い手になる。そのとき、世の中のあり方に疑問を抱いてきたお前達だからこそ、できる改革があると思う。その時こそ、お前達ロスジェネ世代が社会や組織に自分達の真の存在意義を認めさせるときだと思うね。
オレたちバブル世代は既存の仕組みに乗っかる形で社会に出た。好景気だったが故に、世の中に対する疑問や不信感というものがまるでなかった。つまり、上の世代がつくりあげた仕組みに何の抵抗も感じず、素直に取り込まれたわけだ。だが、それは間違っていた。そして間違っていたと気づいた時には、もうどうすることも出来ない状況に置かれ、追いつめられていた。」
「だが、お前たちは違う。お前たちには、社会に対する疑問や反感という、我々の世代にはないフィルターがあり根強い問題意識があるはずだ。世の中を変えていけるとすれば、お前たちの世代なんだよ。失われた十年に世の中に出た者だけが、あるいは、さらにその下の世代が、これからの十年で世の中を変える資格が得られるのかもしれない。ロスジェネの逆襲がこれからはじまるとオレは期待している。だが、世の中に受け入れられるためには批判だけじゃダメだ。誰もが納得する答えが要る」
「批判はもう十分だ。お前たちのビジョンを示して欲しい。なぜ、団塊の世代が間違ったのか、なぜバブル世代がダメなのか。果たしてどんな世の中にすれば、みんなが納得して幸せになれるのか?会社の組織も含め、お前たちはそういう枠組みが作れるはずだ」
>>>>>
半沢は、半沢が考える「枠組み」を聞かれ、「あるのは信念だけ」と答える。
「正しいことを正しいといえること。世の中の常識を組織の常識を一致させること。ただ、それだけのことだ。ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価される。そんな当たり前のことさえ、今の組織はできていない」


そして中野渡頭取の言葉。
>>>>>
「どんな場所であっても、また大銀行の看板を失っても輝く人材こそ本物だ。真に優秀な人材とはそういうものなんじゃないか」
>>>>>
これはドラマで半沢直樹自身が同期の近藤直弼に向かって同様の内容を言っていた。

手に汗握る展開の物語の内容についてはネタバレになるのでここでは割愛。
でも第3作も面白かった!


0 件のコメント: