2015年10月25日日曜日

『センスは知識からはじまる』

グッドデザインカンパニー代表、水野学氏の著作。
会社の先輩から、気軽に「面白いよ」と渡されたので気軽に読み始めたのだが、中々どうして、奥が深くて実務上も役に立ちそうな良書であった。

著者は講演等で「どうしたら水野さんのようなセンスを身につけられるのか?」という質問をよく受けるらしい。
そのための方法論を分かりやすく話しているつもりなのだが、最後には
「でも結局は生まれ持ったセンスの問題ですよね」
と言われてしまう経験からこの本を書いたとのこと。


企画とは、アイデアではなく「精度」こそが重要

◯「センスのよさ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力。
だから企業経営も同じ。企業の価値を最大化する方法の一つに、センスというものが挙げられる。それどころか、その会社が存続するか否かも決める。
◯センスがいい商品をつくるには、「普通」という感覚がことのほか大切。 それどころか、普通こそ、「センスのいい/悪い」を測ることが出来る唯一の道具。
普通とは「いいもの」がわかるということ。普通とは「悪いもの」もわかるということ。その両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということ。
「センスがよくなりたいのなら、まず普通を知る方がいい」
ただし、これは「普通のものをつくる」ということではない。「普通」を知っていれば、ありとあらゆるものがつくれるということ。
◯絵を描く。歌う。踊ったり体を動かしたりする。この3つは人間が原始的かつ生理的に求めてしまうものであり、美術、音楽、体育の三教科が当てはまる。
この三教科は、実技のみが重視されるため、子供の頃には慣れ親しんでいたものが、大半の人には縁のないものとして訣別の時を迎える。
本来は美術(三教科)は、学問であり、知識を蓄える「学科」と「実技」に分かれている。
歴史が、「知識を学んだ上で、今の時代で自分が何をすべきかという礎をつくる授業」であるなら、美術とは、「知識を学んだ上で、自分が何をつくったり、生み出したり、表現したりする礎をつくる授業」であるべき。
「歴史がうまいね。下手だね」と言わないのと同じように、美術にうまいも下手もない。


技術からセンスへの揺り戻し

◯安土桃山時代とは、技術からセンスへ移り変わった時代だった。 戦国時代という技術の時代が終わり、新しいセンスが必要となり、そこで千利休というクリエイティブディレクターが必要とされた。
◯人間というものは、技術がその時点の限界まで進歩すると、ノスタルジックな思いに身を寄せ、美しいものを求める傾向がある。「技術からセンスへの揺り戻し」である。大量生産が当たり前になると、人々の意識が変わる。そうすると「技術からセンスへの揺り戻し」が起こる。


いわゆる「市場調査」

◯日本企業を弱体化させたのは、市場調査を中心としたマーケティング依存。
この手の市場調査には二つの落とし穴がある。
一つは悪目立ちするものに目がいきがちであること。
二つ目は新しい可能性を潰してしまいがちなこと。
◯また、人材育成的にも危険。
第一に、調査だけに頼っていると、自分は何がいいと思い、何がつくりたいのか、自分の頭で考えなくなる。
第二に、「調査結果で決めた」となると、責任の所在が曖昧になる。


クリエイティブディレクター

◯企業の美意識やセンスが企業価値になる。これが今の時代の特徴。
クリエイティブディレクターは、センスで企業を治療する医者のような役割。
◯失敗を恐れず、縦割り構造の会社組織に横串をさせる人こそクリエイティブディレクターであり、それには三パターンある。
一つ目のパターンは経営者もしくは経営陣がクリエイティブディレクターになること。(ex:スティーブ・ジョブズ)
二つ目のパターンは、外部の人間がクリエイティブディレクターになること。(ex:佐藤可士和、水野学)
三つ目のパターンは、企業の中に特区をつくり、そこで働く人たちがクリエイティブディレクター的な役割を果たすこと。(ex:サムスン、資生堂)


ヒット商品

◯世の中には「誰も見たことのない、あっと驚く企画」というのは実はゴロゴロ転がっている。しかし、「あっと驚く企画」には二種類ある。
世の中で一番少ないのは、「誰も見たこのない、あっと驚くヒット企画」。イメージ2%程度。(☞未来のスタンダードはこれ)
次に少ないのが、「あまり驚かない、売れない企画」。イメージ15%。
次は、「あまり驚かないけれど、売れる企画」。これは意外に多くて、イメージ20%。
そして一番多いのは、「あっと驚く売れない企画」。イメージ残る63%。要は半分以上。
「あっと驚く売れない企画」の多さという現実の厳しさを知った所で、「あまり驚かないけれど売れる企画」に注目するのがヒット商品を狙う正解。
だから、過去に存在していたあらゆるものを知識として蓄えておくことが、新たに売れるものを生み出すには必要不可欠ということ。
◯「あっ!」より「へぇー」にヒットは潜んでいる。
あっと驚く心の裏には、恐怖も潜んでいる。
新しいものに接した時、過去のものや過去の知識に照らし合わせて考えるのが自然。
みんなが「へぇー」と思うものは、ある程度知っているものの延長線上にありながら、画期的に異なっているもの。「ありそうでなかったもの」。
ものをつくる人間は、新しさを追い求めながら、過去へのリスペクトを忘れないことが大切。


再び、「センス」を磨くには

◯よきセンスを持つには、知識を蓄え、過去に学ぶことが大切。同時にセンスとは、時代の一歩先を読む能力も指す。
◯知識にもとづいて予測することがセンス。
◯効率よく知識を増やす三つのコツ
①王道から解いていく。
「王道のもの」=「定番のもの」「一番いいとされているもの」「ロングセラーになっているもの」
王道のものは、言い換えるとすでに「最適化されている」と言える。
「王道」を探す過程で、センスアップに不可欠な「知識」の獲得を行っている。
②今、流行しているものを知る。
③「共通項」や「一定のルール」がないかを考えてみる。
◯「誰が、どんな時に、どんな場所で使うのか」、対象物を具体的に思い浮かべることは、センスを最適化するために最も必要な三原則である。
センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。 逆に言うと、不勉強と思い込み(主観)はセンスアップの敵。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスは良くならない。
◯センスを磨くには知識が必要だが、知識を吸収し自分のものとしていくには、感受性と好奇心が必要。
幼児性が創造力や発想につながっていく大きな理由は、感受性と好奇心が並外れて大きいから。
「感受性+知識=知的好奇心」


「精度」とは

◯ありそうでなかったものをつくり出す時、しばしば「差別化」という言葉が使われる。これは本来、「ほんの少しの差」を指すのではないか。ただし、単に「ほんの少し違う」だけでは駄目で、その先に求められるのが「精度」。
◯もしもあなたが仕事でデザイナーと関わることがあれば、「これはどうしてこういうデザインなんですか?」と質問をすること。
それはアウトプットの精度を高めること、売れる商品をつくることにつながっていく。
◯僕は自分の感覚というものを基本的に信用していないので、「この感覚はどこからやってきているんだろう?」という確認作業をすることにしている。


「センス」という暗黙知をどのように伝承していけばよいのか、その方法論として非常に明確で分かりやすい。
まずは知識をベースとするべく広く情報を集め、その上で精度を高める。
今やっている商品企画にもつながる話しだ。

2015年9月13日日曜日

『世界のトップを10秒で納得させる資料の法則』

ソフトバンク社長室で孫正義さんの薫陶を受けた著者の資料作りの法則。
「今更資料の作り方など…」と思いつつも、孫正義クラスの人がどういう視点で仕事をしているかが多少でも推し量れればということで読んでみた。

10種類の資料について、ポイントを述べる形の流れとなっている。

①業務処理報告書
・「群管理」を行う。
・累積棒グラフでは本質がつかめない(累積は問題を内包する)。
・「群」の内数を時系列変化でみることで、ボトルネックを発見する。

②売上報告書
・売上を継続性(一時的な売上か、継続的な売上か)の観点で分けて認識する。

③要因分析レポート
・積み上げ面グラフで要因を探る。

④プロジェクトマネジメント型会議議事録
・議事録は読まれてなんぼ。
・A4サイズにフォーマット化
・議題をテーマごとに構造化して、縦線を揃える。
・報告事項なのか、決議事項なのかをはっきりと区別。
・責任者、納期、アウトプットを明確に決める(良い会議議事録は逃げ道を断つ)。

⑤プロジェクトマネジメントシート
・アウトプット(資料をつくるというだけでなく、了承を取るというところまで)を明確にして定義する。
・担当者は一人に絞り必ず明記する。

⑥パレート図

⑦回帰分析
ソフトバンクは2001年から孫社長が「これから回帰分析をしないヤツの話しは一切聞かない」と言い出した。「最終的にはフォースで分かるようになれ!」と(笑)
・R−2乗値…決定係数。決定係数が1に近いほど実際の分布に当てはまっている。0.5以上であれば精度は高い。0.5以下の場合には、他の要素が関係している可能性がある。

⑧プロセス分析シート
フローの段階移行時の歩留まりを確認する。

⑨プレゼンテーション
・プレゼンテーション資料と企画書は違う。不特定多数を前に行うプレゼンテーションの主役はあくまで話し手。企画書の主役は企画書そのもの。一人歩きをすることを前提としてつくられている。
企画書とプレゼンテーションのスライドでは、見る人との距離も違う。企画書は読む人との距離が近い。文字が沢山出ているモノは手元に置いて読むのが一般的だ。積極的に情報をつかもう、把握しようという姿勢で企画書は読まれる。
パワーポイントでつくったスライドはそうではない。距離をおいて見るように設計されている。映し出された内容を聴衆が離れた位置でみることを前提としている。だから情報を詰め過ぎると見ている方はついていけない。
・ワンスライド・ワンメッセージ・ワンイメージが原則。
・スライドに書くも字数も、20文字前後がマックス。努力せずに、ぱっと見て頭にすんなり入ってくる文字数としては「20前後」が限界。
・メッセージで大切なのは「解釈」。ただ事実をありのままに述べるのではなく、その事実にどういう価値があるのか、数字を入れて翻訳する。この行為がプレゼンテーションの価値を高める。
・ページ番号の表示を忘れない。時間の調整を図れる。
・概ね1枚の資料につき3分の時間。(著者の場合)
・1つのスライドにつき、話す内容を3つ程度決めておく。

⑩企画書
・企画書は「つかみ」で勝敗が決まる。
・数字の表現は1桁でシンプルに。言いたいことは何かを明確にして絞る。
・クオリティの高いイメージ画像を貼る。
・箇条書きはせいぜい5つまで。


面白かったのが、プレゼンテーション資料と企画書の違いのところで述べられていた、テレビとインターネットに関する考察。
「企画書とプレゼンテーションのスライドでは、見る人との距離も違う」とあったが、これと似ているのがテレビとインターネットの関係だというもの。
テレビをインターネットに接続し、双方向で利用してもらおうと、これまで業界では様々なキャンペーンが実施され、それが可能な製品も発売されてきたが、全く普及していない。
これは「距離」が影響しているのではないかという仮説。
デバイスによって、使用するときの体の姿勢や距離は異なる。
「距離」と言っても物理的な距離とは限らないので、心理的距離と言ってよかろう。
「ながらテレビ」はあっても「ながらインターネット」がないのと同じ理由か。
これが「インターネットは入力作業があるから」という理由だけだとすると、声入力が一般的になってくれば課題は解消される理屈となる。
声入力が一般的となった時に、テレビとインターネットは融合できるのか、はたまた我々の脳が両者(手元にあるネットと離れているテレビ)を違うものとして認識し二つの用途は分かれたままなのか、今後の行方を見守りたい。



「定義付けは大切」ということで「蝶と蛾」のエピソードが述べられていた。
日本では、蝶と蛾は別々の昆虫だと見做している。しかし、蝶と蛾の区別なく、両者を一括して「蝶」としている国がある。フランスだ。
フランスでは蝶も蛾も「パピヨン」と呼ぶ。蝶と蛾に異なった定義がないということは、蝶と蛾の区別がつかないということだ。
日本人は、昼間に活動し、羽根を立てて止まり、幼虫が青虫である昆虫を「蝶」とみなし、それ以外は「蛾」だと考えているが、実は、この2つに生態上のはっきりとした区別がある訳ではない。両者はどちらも同じ「鱗翅目」であり、はっきりと区別が出来ないものなのだ。
これは、フランス、日本どちらが正しいという話しではなく、いったん物事をはっきり定義しておけば、その定義で我々は認識し、行動するようになるということだ。

日本では「雨」についても色々な表現がある。
「小雨」「春雨」「秋雨」「時雨」「氷雨」「五月雨」など。これは明確な定義ではなかったりもするが「言葉」をつくることで細やかな雨の状態を認識しようという日本人の叙情力が表出した一例だろう。
企業でも、違いを認識をさせたければ、新たな言葉をつくって「定義」すべきであるというのは全くその通りだと思う。


一通り読んで、復習的な内容も多かったが、
「数字に対する評価がない資料は資料と言えない。」
というのは大切なリマインドとなった。
また明日からの業務に活かしていきたい。


2015年9月5日土曜日

『国家の盛衰』

渡部昇一、本村凌二、両先生による対談形式の覇権国家の入れ替わりの歴史を繙く本。
世界史をいい加減にしか学んでいないので、知らないことも多かったりして勉強になる。

ローマ→スペイン→イギリス→アメリカ→中国
そして振り返って今後という流れで両先生の対談は進んでいく。

かいつまんで書く。

<ローマ>

ローマが長期的に繁栄(1200年にわたり帝国を維持)した背景には、 ローマ人の敬虔さとまじめさ、分割して統治せよという統治術、父祖の遺風、寛容の精神などいくつもの要素があるが、法の前の平等こそ、特に重要。

何故繁栄を誇ったローマが衰退したのか。その理由はローマ軍が弱くなったからという一言に尽きる。
主力が傭兵化し、ゲルマン人などの傭兵がローマ軍に組み込まれ、将校クラスにもゲルマン人が増加した結果、軍隊の質が低下した。
また、ローマ人は当初、それほど違和感を持たずに傭兵を受け入れていたが、三世紀後半から四世紀あたりになると、「お前達は本物のローマ人ではない」と言った差別意識が出てきた。
ローマ人は元来、人種差別は少なく、異民族にも寛容だった。
エイミー・チュアは『最強国の条件』の中で、世界帝国と言われる国家が長期的かつ安定的に繁栄する時、寛容の精神があり、それは洋の東西を問わず共通している、と記している。
中央の軍事統率力が衰えて、属州に散らばるレックス(軍団長)に権力が移っていった。 さらにウィルトゥースも軍隊の中で薄れ、ローマの美徳を持った兵士がいなくなっていった。

ローマ帝国滅亡の外的要因はゲルマン民族の南下の影響。(エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』)
ではローマ帝国滅亡の内的要因とは何か。その一つはキリスト教の拡大・台頭。
「それまでなら、ローマ帝国の中枢に行くべき連中が、教会に行ったことがローマの衰退のひとつの原因だ」(イタリアの歴史学者アルナルド・モミリアーノ)
また、唯一絶対神を信じるキリスト教徒の増加により、ローマ皇帝の相対的な地位が下がったり、軍人皇帝時代の混乱を経て、皇帝への求心力が失われたりしたことも内的要因の一つと言えるだろう。
ローマ人の子孫が堕落したから、インフラが老朽化したから、気候変動をいう学者もいれば、出生率の低下を挙げる学者もいる。 ローマ帝国衰亡論を数えると210ほどあり、滅亡の原因は学者の数ほどあると言われる。

ローマ文明は衰退したのではなく、キリスト教文明に変質した。 つまり、ギリシアから受けついだ多神教思想に基づく、ローマのクラシカルな文明が、一神教の文明に徐々に取り込まれていった。


<スペイン>

スペインが海に乗り出したのは、国民の自信が芽生え、意気が高揚していたから。
そのきっかけのひとつになったのがレコンキスタ(国土回復運動、異教徒の国外排斥)に成功したこと。
同時にスペインは、ナスル朝の首都グラナダを二年間の戦闘で陥落させたり(1492年)、その後のオスマン帝国とのレパントの海戦(1571年)にも勝利を収めたりするなど華々しい成果を挙げていく。 そしてたまたま造船技術が高くなったので、大海に乗り出して行った。
海外に広大な植民地を経営したスペインだが、貿易では決して成功していない。
スペインには産業を興し、植民地と貿易して利益を上げるという発想も力もなかった。自ら貿易の形式を創造していく力があったオランダやイギリスに比べると、スペインは相対的に低下していかざるを得なかった。

大帝国と言われたスペインも、実質的に繁栄したのはイサベルとフェルナンドが王位に就いた十五世紀半ばから、フェリペ二世の統治までの約150年間。
スペイン衰退の理由は、国家機構の弱体化、産業の後進性、巨額の対外債務、慢性的な財政危機、人口の減少、根強い封建的伝統などさまざまな要因が指摘されているが、真犯人は1480年から始まった宗教政策。
スペインは自らの国名を「カトリック王国」とし、レコンキスタでイスラム教徒を追い出し、様々な技術や資産を持つユダヤ教徒を迫害し、民衆に王室と同じ信仰を強制しようとしたことが大きな禍根を残した。


<イギリス>

大航海時代に乗り遅れた十六世紀のイギリスは、ヨーロッパの後進国に甘んじていた。
女王のエリザベス一世(在位1558年〜1603年)は、「私掠免許(民間の船が他国船を攻撃したり、拿捕したりすることを認める)」を海賊たちに与える。そして、海賊達はスペイン船やオランダ船に略奪行為を働き、奪った金品が国家財政を支えた。
英蘭戦争はいわば海賊同士の戦いだが、海賊的な戦法をとったイギリスの前にオランダは屈する。オランダは数度の激戦の末、英仏海峡の制海権を失い、18世紀末期には、オランダの国力が疲弊すると共に海上貿易における優位性も完全に手放すこととなった。

イギリスの隆盛は、スペインとのアマルダの海戦に勝利を収めるところから始まった。 それまでは、イギリスから海賊船が出撃し、大西洋などでスペイン船を襲っていたが、業を煮やしたスペインが本気になってイギリスを潰そうとしたら返り討ちにあってしまった。
この時、ガレオン船という大型帆船を主軸としたスペイン海軍に対し、イギリス海軍は小型帆船を中心に戦った。
「無敵艦隊」と世界中から畏怖されていたスペイン海軍を破ったことは、ヨーロッパ中にイギリス海軍の勇名を轟かせ、国内的には「イギリスは世界の一流国だ」という自信を国民に植え付けた。
その後イギリスは、第一次世界大戦に連合国側として参戦し勝利する。同大戦最大の海戦であり、水上艦どうしの海戦としては史上最大の海戦であるユトランド沖海戦(1916年)でイギリスはドイツに勝利を収める。実は損害はイギリスの方が大きかったのだが、制海権を渡さず、ドイツはこの後潜水艦に頼らざるを得なくなる。

アマルダの海戦から第一次世界大戦終結までの330年間、イギリスはなぜ世界に覇権を唱えることができたのか。 それは、産業革命を成功させ、国内の工業が隆盛し、海外に植民地を建設するというイギリス人の野望が結実したからに他ならないが、その背景にはエネルギーの心配をする必要がなかったことが大きい。
イギリス本土には石炭が豊富にある上に、イギリス人は初めて効率的な石炭の使い方を世界に普及させた。18世紀にコークス(石炭から生産される固形燃料)を改良し、より効率的なエネルギー源としたのだ。
コークスは石炭の直焚きや木炭よりも高い温度で燃焼するため、鉄を大量に精製できる。ここに着目したニューコメンは蒸気ポンプを製作(1712年)、それがワットによる蒸気機関の開発(1769年)につながり、産業革命を推進した。
軍艦も帆船から蒸気機関に急激にシフトしていく。石炭はイギリスの覇権を支え、経済を発展させる”黒いダイヤモンド”だったのだ。
ではなぜ蒸気機関をはじめとする多くの機械がイギリスで実用化されたのか。それはイギリスが地政学的に他の国々よりも有利だったからではないか。
大陸の国々は、隣国と戦争を行う危険性を絶えず内包している。そのため、陸軍の充実は不可欠で、莫大な軍事費が必要となる。
イギリスは島国で、沿岸防備のための海軍があればいい。海軍は陸軍に比べてその人員は圧倒的に少なくて済む。
イギリスは「島国の帝国」と呼ばれた。イギリスに限らず、スペインやオランダなどの国々は、ローマ時代に比べ格段に進歩した造船技術と航海術により、自国の周囲に植民地を持つ必要がなかった。

歴史を眺めると、どの覇権国家も一番繁栄している時期にその衰退の兆しが見えてくる。イギリスも例外ではなく、最盛期であるヴィクトリア朝末期の19世紀末に既に凋落の兆候が現れ衰退の足音は聞こえていた。
二度にわたるボーア戦争(1880年〜1881年、1899年〜1902年)では、第一次が敗北、第二次は長期化のうえ、最終的に勝利したものの多大な戦費と威信を失った。
これによりイギリス自体が植民地支配の難しさを痛切に感じた。
イギリス衰退のもうひとつの大きな理由がエネルギーのパラダイムシフト。石炭から石油への移行。産業の基幹エネルギーが石油に代わり、内燃機関や電気動力になると、蒸気機関で産業革命を興して世界をリードしたイギリスの優位性は基本から崩れていった。


<アメリカ>

アメリカは歴史上初めて出現した「実験国家」。「大陸国家にして海洋国家」「陸軍国であり海軍国」。
「アメリカには中世がない」by 20世紀初頭のイギリス人ジャーナリスト セシル・チェスタトン
アメリカは元来、中世を軽蔑する人々が建設した国家。イギリスからメイフラワー号に乗って移民してきたピルグリム・ファーザーズはプロテスタントのピューリタンで、最も過激な反カトリックのカルバン派。

世界史的に見て、奴隷制が存在したのは、古代のギリシア・ローマと近代のアメリカだけ。それ以外では小規模で存在していても大規模に発展したことはない。

現代の覇権国家アメリカは戦争をきっかけに隆盛した。
第二次世界大戦は実はアメリカの一人勝ちであり、世界唯一の超大国としての地位をアメリカにもたらした。
戦前のアメリカは最大の産油国であり(戦後は輸入国)、戦争中は重工業をはじめとする製造業の無限の需要に沸き返った。これが現在まで続く「パクス・アメリカーナ」の礎となったことは間違いない。

アメリカの覇権を支える源泉が突出した軍事力にあることは間違いがない。
世界の軍事費支出の40%以上をアメリカ一国が占め、核兵器はもちろん、ハイテク兵器、宇宙開発技術を背景にした陸海空三軍と海兵隊の戦力は他国の追随を許さない。

オバマ大統領は、初代大統領ジョージ・ワシントン(在位1789〜1797年)の大統領就任からちょうど220年後に大統領に就任した。ローマに、アフリカ属州出身で異民族の皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193年〜211年)が登場するのも、初代皇帝アウグストゥスから数えて丁度220年後。人間の意識として、異民族がトップに立つことに対する違和感が減少するまで、ローマ人もアメリカ人も同じ年数が必要だったと言えるのではないか。


<その他>

歴史的に見ると、ユダヤ人を抱き込んだ国のほとんどは強国になり、ユダヤ人を追放した国は衰退している。
当時の国境を越えるインテリジェンスはローマ教皇庁とユダヤ人社会しかなかった。ローマ教皇庁にインテリジェンス(情報)はあってもミッション(使命)を送るぐらいで、領土拡大や貿易には結びつかなかったが、ユダヤ人は経済力と結びついた情報網を世界中に広げていた。


海戦で負けた国が発展することは歴史上ない。海外への進出が国力拡大に不可欠だった時代にあって、海上覇権を敵国に握られて貿易が封鎖されれば経済的にも行き詰まるし、国民の士気は下がり、国際間で侮られる。
軍事力は国を隆盛させるためにも覇権を支えるためにも絶対不可欠。マハンが述べた海上覇権の重要性は正しい。


世界史には「辺境革命論」という理論がある。
覇権を唱える国があると、周囲の国々はその国にしばらく従っているが、そのうち力を蓄えて台頭あるいは反抗するということ。
オリエントの辺境ギリシアが発展すると、その周辺にあるローマが台頭・発展し、さらに地中海の周辺に位置するスペインやフランスなどのヨーロッパ勢がその後の主導権を握り、その後、ヨーロッパの中でも辺境にあったイギリスが近代になると主導権を握った、という流れ。
さらに、イギリスが主導権を握れば、その周囲のドイツやヨーロッパ大陸の周辺にあたるアメリカが国力を伸長させる。
また、戦後の日本の繁栄が終わると、その周囲の中国やインドが台頭するといった図式。


国が繁栄すると人口は都市に集中し、中流階級(中間層)が増える。しかし、貴族と庶民がはっきり分かれていた時代と違って、中間層が増える時代を経験した国は、最終的に活力をなくしていく。




まとめ系の話しでは渡部先生はちょっと右利きっぽいのでそこはさっ引いて考える必要があるが、両先生とも
「武装中立」ならまだしも、「非武装中立」は21世紀の現段階では困難で、平和を担保するだけの軍事力は必要、という考え方は共通。

こうやって覇権国家の歴史を俯瞰すると、エネルギーをいかに確保するのかは国家の最重要戦略ファクターであり、そのためには海上覇権を握った国が覇権国として君臨するのが歴史のようだ。
いままではエネルギーは海上輸送だったのでエネルギー流通路である海上の覇権が必要であったが、もし宇宙で太陽光発電したものを地上に伝送できるようになると海上覇権ではなく、宇宙覇権を握ることが肝要となろう。


2015年8月7日金曜日

山口紀行 その5

いよいよ山口紀行のラストに向けて、気がついたこと等をおさらい。

<タクシーの運転手との会話>
・新幹線が通ってから、下関が単なる通過駅になってしまった。日本水産、マルハニチロなどは元々下関発祥の企業なのに、今では本社はおろか、支社も撤退している。
・実は下関市は山口県最大の都市(下関市26万人、山口市19万人。ちなみに萩市は5万人)。
・安倍首相も下関市出身。(でも小学校から大学まで成蹊なので、下関にいたのはちょっとだけ)
・下関では「ふぐ」ではなく「ふく」(「ふぐ」だと「不具」につながり、「ふく」だと「福」につながるから)


・運転してると気づくが、山口県のガードレールは黄色。これは昭和38年に行われた国体の景観整備の一環で、山口県特産の「夏みかん」の色に統一したもの。
 確かに運転していると、センターラインの黄色と相まって中々悪くない。(メンテナンスは大変そうだけど)
・萩のお母さんNPOの人たちもそうだったけど、自分でPOPとかつくってアピールしちゃう文化がある。その分、「◯◯発祥の地」とか「◯◯記念の地」とか観光場所がすごく多い気がする。
・九州圏で醤油が甘いので、イカを食べても甘く感じる(柔らかいだけでなく甘く感じるので「イカが美味い!!」となりやすい)


いやいや人生初山口だったが、非常に楽しく勉強になりました。


千畳敷の空に浮かぶ岬のカフェ、
カントリーキッチン


有名な塩キャラメルクレープ



東後畑の棚田。
美しいのは5月〜6月とあったが、8月も青々。
でも写真とってみて思ったけど、
田んぼの切れ目が見えた方がキレイなので
稲が育ち過ぎてない5月〜6月がいいのかも。
カメラマンの皆様へ。
「農家の方に指示や注文はしないで下さい」
きっといたんだな、注文するカメラマン。


CNNの「日本の最も美しい場所31選」に選ばれたという
元乃隅稲荷神社。
先端の「竜宮の潮吹」を見に行ったんだけど
それは北風が強くて並の高い日しかみれないらしい。
でもこの稲荷さん、お賽銭箱が面白いところに。



なんと鳥居の上。
みんな運動会よろしくお賽銭を投げまくっていた。









山口紀行 その4

金子氏のアトリエ。
ナビ入れても最初迷っちゃって、
金子さんから「迷ってませんか」と折り返し電話きちゃう。
金子司さんという作家の作品が色んな萩焼のお店においてある。
スポイトでつくる作風で、他の萩焼とは一線を画したデザインなので、作家名が出ていなくても誰の作品かすぐ分かる。
萩焼会館という所に寄って萩焼のことを学ぼうかと思ったけど、そういう場所でもなかったみたいでよく学べず。
(前日のお酒好きな某萩焼店店主の方が色々知っていて教えてくれた)
そんな中、移動途中にあるカネコツカサさんの工房(アトリエ)を尋ねることにした。

工房って言ってもショップ併設なんだろうと思って、観光ガイドに「要予約」とあったので念のため電話をすると、電話に出たのが何とご本人。
「今日今からなら時間ありますよ」
なんかイメージしていたのと違いそうだと思いつつ工房に伺うと、ショップなどというものはなく、完全な「工房」(一応、一室には作品が沢山置いてあって確かに購入できるんだけれども、そんなところを観光ガイドに出す編集はいかがなものかと思いつつ)
作家ご本人が、何故か時間を割いて色々教えてくれて、作り方まで見せてくれた。
(本当はビデオに収めたいくらいだったが、それやると機嫌を損ねてお話聞けなくなるリスクを考え記憶の中に)
1時間半くらい色々話しを聞き実際に見せてもらっただろうか、お忙しいだろうに非常に勉強になった。

その中での金子氏からの教えをいくつか。
・珈琲カップの色について。濃い色だと濃い味を想定するので、本当に濃い珈琲でないと薄味に感じる。逆に薄い色だと薄い味を想定するので、濃い味だとより濃く感じる。
良いカップは珈琲が(黒ではなく)赤く見える。
・勾玉の狭い部分は切れることを暗示する。そこからお酒を注ぐのは縁起が悪いので、徳利は口のない部分から注ぐ。だから自分は徳利でも瓶子のように口をつくらないのが多い。そうすると花瓶にも使える。
・お猪口は肘を上げながら奥側を上から持つのが正式(平盃で飲む感じ)。時代劇でもそういう細かい所作を大切に撮影している。
・お酒を飲む姿が様になる(口を迎えに行くのではなく、呑む時に手首を返して呑む)ように、お猪口はあえて下を重くなるよう作っている。(バカラのグラスをイメージされたし)
・長い首形状は「鶴首」と言われる。六角の「亀」と合わせると縁起が良い。竹も持ってくると縁起物三点セットになるが、竹モチーフをもう一つもってくると逆の意味合いになる。竹は2本で節が合うと「ふしあわせ」になると言われている。(実際的には建築的に節が合わない方が強度が出るため?)
・韓国では、取り皿という概念がない。(というより「個人の取り皿」というのは日本独自)。
・韓国では、自分だけに取るという考えにつながるとして「取り皿」の概念がない。食器も金物のモノが多く、韓国の焼き物作家は自国内に需要が無くて苦労している。
・元々焼き物は韓国から来たが、韓国から来ている焼き物の素晴らしいものは何万も作ったうちの良い一枚。
・皿を手に持って食べる文化も日本独自。西洋では大皿が置いてあって皿の上に皿を置いたりする。だから日本の皿は端が高く、惣菜等が盛りやすくなっているのに対し、西洋の皿は端が低く、大判で安定している。(ナイフで皿の上で切り分けたりするため)


お話を聞いて、金子さんワークショップやったりしているし、キノコの焼き物のアートなんかを見ると、萩焼名人というよりは、萩焼をベースとしたアーティストだ。
まだまだ若い方(45歳前後?)なのでこれからが楽しみ。
(萩焼職人としては、50歳代はまだ若手らしい。by昨日ヒアリングした某萩焼店店主)
人柄も素晴らしいし陰ながら応援しよう。

アート作家の生活ってどんな感じかと興味本位で聞いてみた所、
「昼は色々事務をこなしたり人と会ったり。夜は5時間睡眠とるようにして、その他の時間は製作に費やす。個展の前だったりすると18時間近くやり続けたりする。」
とのこと。人と接する以外は萩焼と向き合っている感じがする工房であった。




山口紀行 その3

萩の町並み。
なまこ塀が続いていたり、昔の町並みが残っている。
続いて萩の町観光。
萩と言えば吉田松陰をはじめとする幕末の志士達所縁の地。
色々と考えることがありました。


吉田松陰と久坂玄瑞と高杉晋作。
多分等身大なんだけど、昔の人は身長が低かったらしい。


松下村塾。ここからたくさんの志士が輩出された。

萩城(別名指月城)。
明治になって山口に県庁が移って萩は衰退し始めた。


高杉晋作。生家も萩。
高杉晋作の生家に展示してある人相書。
西郷隆盛のもあるけど、
これじゃ捕まえられんでしょう。
旧久保田家住宅。
江戸、明治と続いた豪商の旧宅。
NPOのおばさまが懇切丁寧に説明してくれて
すごく勉強になった。
拝観料はたったの100円。

60cm×7mもの杉の一枚板。
説明されなければ
その貴重性は分からなかった。
お成り通りに面した格子。
向こうからは見えずに、こちらからは見えるよう
内側に削れた台形につくってある。
通りに面した扉。昼間は一間あき、
夜は潜り戸になるよう、二段構えの作りになっている。
そして、潜り戸は閉めると自動で鍵がかかる
自動オートロックになっている。スゴい知恵。
石も山から採れた石と海から採れた石や
珪化木(石化した木)を使っている。
山から採れた石は苔むすが、
海から採れた石は苔むさない。
でも、よく考えると吉田松陰って、シビアに見ると何も成し遂げずに30歳でこの世を去っている。
実はコトを成し遂げたのはその教え子達。
ちょっと成果盛り過ぎ?って気がしなくもないが、そういう名前の遺し方(人を育てたという成果)もあると思った。

山口紀行 その2

続いて秋芳洞・秋吉台へ。
秋芳洞は、聞きしに勝る鍾乳洞。
場所ごとにまったく違った趣きを見せてくれる自然のテーマパークだ。
洞の中は気温17度ということでヒンヤリ。

秋芳洞入口。ここに至るまでのお土産通りも楽しい。
鍾乳洞に入るまでの緑陰がまた素晴らしい。










「10億年タイムトンネル」
この謎のトンネルも趣向として面白い。

秋吉台。
風と緑が心地よい。

秋吉台の中の長者ヶ森。
ここだけこんもりと林になっている、
パワースポット。

というわけで山口紀行まだ続く。