2013年10月14日月曜日

『覚悟の磨きかた』

吉田松陰の「超訳」。
現代語版になっているので分かりやすい。

教育者であり、実践者であった吉田松陰という人の考え方がよく現れている。

吉田松陰は、長州 松下(まつもと)村にて松下村塾を開く。十畳と八畳の二間しかない塾。 当時、長州藩には「明倫館」という藩校があり優秀な武士の子供達はそちらで学び、松下村塾へは下級武士の子供が集まった。
松下村塾で松陰が教えた期間はわずか2年半である。
そんな松下村塾から、高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎(内務大臣)、山形有朋、山田顕義(国学院大学と日本大学の創設者)を送り出した。
結果的には、総理大臣2名、国務大臣7名、大学創設者2名というとんでもない数のエリートが「松下村塾出身」となった。こんな塾は世界でも類を見ない。

松陰は「いかに生きるかという志さえ、立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じていた。
だから、一人一人を弟子ではなく友人として扱い、お互いの目標について同じ目線で真剣に語り合い、入塾を希望する少年には
「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」
と話したという。
教育は、知識だけを伝えても意味はない。
教えるものの生き方が、学ぶものを感化して、はじめてその成果が得られる。
そんな松陰の姿勢が、日本を変える人材を生んだ。
ご存知のように、吉田松陰は30歳でその生涯を閉じる。
若すぎる死。一方で、松陰の志は生き続けた。

「今ここで海を渡ることが禁じられているのは、たかだか江戸の250年の常識に過ぎない。今回の事件は、日本の今後3000年の歴史に関わることだ。くだらない常識に縛られ、日本が沈むのを傍観することは我慢ならなかった」

この超訳を読むと、吉田松陰という人物の考え方が非常によく分かる。
以下まとめつつも全176テーマのうち、好きなものをピックアップ。

【自らのあり方について】
<自分はどうあるべきか>
反求諸己。
「すべての問題の根本は自分の中にある」
どれだけ大きな計画であっても、物事を動かす基本はここにあります。
計画がうまくはかどらずに悩んだときは、外部に答えを求めることなく、
「まず自分はどうあるべきなのか」
雑音から距離をおいて、一人静かに考えてみましょう。

<不安のない生き方>
「先行きの不安」に心を奪われないようにするためには、あれこれ目移りすることなく、自分という人間を鍛えることに集中して、
「全力を出し切りますので、あとは天命にお任せします」 という心構えでいるのが、良いと思います。

<また会いたくなる人>
毎日、少しずつ「いいこと」を積み重ねていると、本人も知らないうちに、身のこなし方が洗練されていき、顔とか背中から存在感があふれてくるもの。
どれだけ外見に気をつけたところで、この魅力に及ぶものではありません。

<流れを変えるのは自分の行動>
幸運とか不運というものは、天から無差別に降ってくるものではなく、すべて自分のほうから求めているものなんです。
そのことを思い出すことができれば、他人のせいにしたり、組織のあり方に腹を立てたりすることなく
「自分の行動を変えよう」
という発想に行きつくことが出来るはずです。


【実践者として】
<夢を引き継ぐもの>
「自分が実現させたいこと」について、何度も考えて、考えて、考え尽くすこと。
人と話すときは、その会話のはしっこでもいいから、「自分が実現させたいこと」について語ること。
平和や安定を愛しながらも、いつまでも続く平和や安定はない、という事実を、つねづね自分に言い聞かせること。
誰かが問題や事件に巻き込まれたとき、無関心でいたり、口を出すだけで済ませたりすることなく、その解決のために積極的に動くこと。
そうすれば、仮に「自分の実現させたいこと」が、断念せざるを得ない状況になったとしても、誰かがその夢を受け継いでくれることでしょう。

<失敗の定義は無数>
失敗した。大変だ。 どうすればこの失敗の埋め合わせはできるのだろうか。
その方法をあわてて探すよりも、
「この失敗の一体何が問題なのか」
よくたしかめてから、対応に動くべきです。

<やればわかる>
行動を積み重ねましょう。
必要な知識や言葉は、やっているうちに身につきます。

<行動力を生む心がけ>
未知なるものを知ろうとすること、本質を見抜こうとすること。
その意識が一番、行動につながります。

<ひとつのことに狂え>
「私は絶対こうする」という思想を保てる精神状態は、ある意味、狂気です。おかしいんです。
でもその狂気を持っている人は、幸せだと思うんです。

【教育者として】
<胸躍らせる存在>
この世界には、とんでもない才能が無数にあふれている。
その言葉に勝る、励ましの言葉はありません。

<壁を楽しめるかどうか>
生まれつき才能をもった人はたくさんいます。
子供の頃は、その才能が自然に輝いています。
ですが、その才能を磨き続けられる人は本当に少ないのです。 多くの人が 「才能さえあれば、途中で行き詰まることはないだろう」 と勘違いするからです。
才能はあったとしても、なかったとしても、行き詰まるものです。
ただ行き詰まったときに、「面白い」と思えるかどうかによって、その後が決まってくるのです。

<集団の中で生きる>
清廉。どんな人といても、自分を失わない。 協調。どんな人といても、その人に調子を合わせて楽しめる。 この清廉と協調というのは、バランスが難しいものです。
清廉でいようとすれば、世界が広がらないし、協調ばかりしていると、自分を見失いやすい。 どっちがいいのでしょうか。正解はありません。
もし何かを学ぼうとするなら、清廉でも協調でも、自分の生き方に近い人物や本から学べばいいと思います。
ただ目指してほしいのは、他人の考えを尊重し認めながらも、自分の考えは周囲に流されず、はっきりと述べることができる、そういう生き方です。
そういう生き方ができれば、そこが今あなたにとって、居心地の悪い場所だったとしても、やがて心ある人物を味方につけることができるはずです。

<力が目覚めるとき>
自分の中に眠り、まだ日の目をみない人望と才能。
それを引き出してくれるのは、ほぼ例外なく自分の仲間になる人か、自分の師匠にあたる人物です。
だからこそ品格が高い人ほど、「誰と付き合うか」をいつも真剣に考え、厳しく選んでいるんです。

<人に教えるイメージ>
綿を水でひたす感じ。
赤ちゃんにおっぱいを飲ませる感じ。
お香を焚いて、香りを服や布にしみこませる感じ。
土器をかまどで焼き固める感じ。
人を導いていくときも、こんな風に自然に。


【リーダーとは】
<やる勇気よりもまかせる勇気>
まじめな人なんていくらでもいます。
しかし大事な場面で、大胆なことを実行できる人はほとんどいません。
そういう人の、細かい欠点をいちいち挙げているようでは、優れた人材をえることなんてできません。

<人物>
私が尊敬するのはその人の、 能力ではなく、生き方であって、 知識ではなく、行動なんです。

<人をみきわめる>
自分の生きる道を知る人は、いつも地道でありながら、その行動には迷いがないものです。
そして自分の言葉で、自分の行動をごまかすことを最低の恥とします。

<リーダーをきわめる道>
リーダーをきわめる道はふたつあります。
一つは知識の豊富な人や、才能のある人たちと交流すること。
もう一つは、世界中のさまざまな分野の本を読むことです。
ですが、仕事が忙しくて、それほど多くの人に会ったり、本を読んだりする時間はないとおっしゃるならば、次の六つのことを習慣にしてみてはいかがでしょうか。
一 そもそもこの組織は「何のために存在しているのか?」を考えること。
二 今、自分が与えれられている役割の中で「最も重要な果たすべき責任は何か?」を考えること。
三 「この組織が大好きで、尽くしてくれる人」が成長できるチャンスをつくること。
四 「最近うまくいっている事例」を情報収集すること。
五 何者かが自分たちの領域を侵さぬよう、外の動静を見張ること。
六 いつでも、従業員とお客さんを愛すること。それを第一に考えること。

<熱い生き方>
立場的に弱い人、うまくいっていない人にやさしくする。
両親や上司をはじめ、お世話になっている人たちに、なにかにつけ感謝の気持ちを表す。 学ぶことと実践すること、どちらも同じくらい時間を費やす。
憧れのあの人をいつか超えてやると、燃えている。
そうやって生きていれば、いつか皆に慕われる人物になることでしょう。

<腹が据わっている人のおまじない>
「一生やり続ける」 すごくシンプルですが、これほど多くを語る言葉もありません。
みだらな誘惑、未知の物事に対する恐怖、手軽な安心感、どれも乗り越えることができるのは、「一生やり続ける」
この言葉が背骨に叩き込まれている人だけです。

<ミスを認め、失敗を責める>
失敗しないことは、自慢になりません。 何も失敗していないということは、何もやっていないということだからです。
自分の立場を守ろうとしないで、あれは失敗だったと潔く認めましょう。
どんな大きな失敗でも、次に改めれば決して無駄にはなりません。

<使える部下がいないという勘違い>
リーダーは忘れてはいけません。
才能のある部下がいないのではなく、部下の才能を引き出せる人物が、まだこの場にいないだけだということを。


【死生観】
<人が動物と違う理由>
人には「五倫」、つまり”踏みにじってはいけないもの”が五つあります。
一つは、親子の愛情、一つは自分を大切だと思う人の気持ち、それから夫婦の役割を認めあう心、年上を尊敬する心、そして仲間との信頼関係です。
人が人である理由は「心」にあります。 そして、人は、人の心に触れることによってのみ、そこに進むべき道を見つけることができます。
動物には絶対に得られない、人であることの最上の喜びは
「尽くしたいもののために尽くせること」
です。

<死を想え>
「自分の命は今日で終わり」
そう思ったとたん、視界から余計なものがきれいさっぱりと消えて、 自分がこれからどこへ向かうべきか、目の前に太くて真っ平らな道が、一本伸びているんです。

<自分はどこからやってきたのか>
自分のこの身の、原点は一体どこにあるのか。
はるか昔までゆっくりと思いを馳せていくと、突如、感激の心が涌き起こり、
「よし、やってやろう」という決意が生まれます。

<大切な人のために今日できること>
今日という日は二度ときません。
死ねば、再びこの世に生まれることはありません。
だから大切な人を喜ばせるために、少しの時間も無駄にしちゃいけないんです。



松陰が理想としたのは武士の生き方だった。
士農工商という制度に守られていた武士は、何も生み出さずとも禄(給料)があったが、その代わり、四六時中「生きる手本」、ロールモデルであり続けなければいけないというのが松陰の考えだった。

武士は日常から無駄なものを削り、精神を研ぎ澄ました。
俗に通じる欲を捨て、生活は規則正しく、できるだけ簡素にした。
万人に対して公平な心を持ち、敵にすらもあわれみを欠けた。
自分の美学のために、自分の身を惜しみなく削った。
目の前にある安心よりも、正しいと思う困難をとった。
そのように逆境や不安に動じることなく、自分が信じている生き方を通すことこそが、心からの満足を得られる生き方だと、松陰は固く信じていた。
新渡戸稲造の『武士道』にも通じる考え方ではないだろうか。

松陰の言葉の中で、非常に芯を喰っている言葉をひとつ。
「物事を成就させる方法はただひとつ。 それは「覚悟すること」だと思います。」

髙橋歩の大好きな名言
『必要なのは、勇気ではなく、覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める。』
に通じる。

自らも匹夫の勇を誇るのではなく、実践者の覚悟をもって日々精進したい。







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