2017年1月9日月曜日

『韓非子』

『孫子の兵法』の著者でもある守屋淳氏の著作。

『韓非子』というタイトルではあるが、孔子の『論語』と韓非の『韓非子』との比較論という整理の方がわかりやすい。
『論語』と『韓非子』という対照的な思想を両極とした軸として考えることで、「そもそも成果の出せる組織とは」といった問いを考える上での原理原則や、思考の物差しを探るために格好の素材としている。

孔子

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成果のあがる理想的な組織、という問いに対して、孔子は「よき家庭」を雛形とした組織を描いてみせた。
「上下、同僚間を問わずお互いがお互いを信頼し、自分の得意とするところで力を発揮している。しかも、間違っていることは間違っていると指摘し合う関係を築いている。さらに、助け合い、育みあい、活かし合うような組織」
孔子にとっては、そもそも多くの家庭の寄り集まったものが国であったし、よき家庭の在りようをそのまま拡大したものが、理想的に統治された国でもあった。
家庭が政治体制の雛型であり、基盤である以上、孔子の中では「よき家庭を作ること」と「政治を行うこと」がそのまま直結していた。

戦後の日本の会社というのは、『論語』の価値観とかなり重なり合うような組織を作ってきた。これを「日本型経営システム」と呼んだりもする。
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韓非

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韓非は、韓という国の王族の一員であった。
自国が弱体化するのを食い止めようと、王にその原因を度々具申していたが、その内容は次のようなものであった。
①法制を明確にしようとしない
②権力で臣下をコントロールしようとしない
③富国強兵に努め、人材を求めて賢者を登用しようとしない
④うわべを取り繕って国を蝕む人物を、本当に功績ある者の上に置いてしまう
①と②は『論語』的な「徳治」に起因する問題だ。

韓非はもともと合目的的とは言えない「国」を、企業やプロスポーツチームのような合目的的な組織に変革しようと試みたのだ。
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孔子と韓非の組織観

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孔子の組織観は「性善説」という考え方を基にしているようにも見えるが、孔子は必ずしも人を「性善説」でみているわけではなかった。
人はよほどの天才と、よほどの愚か者以外は、教育によって良くも悪くもなる存在だ、と考えていた。
ちなみに、孔子のいう教育とは、知識の習得ばかりでなく、人柄や行動、態度、対人関係やリーダーシップを磨くことにも大きな比重が置かれている。
孔子の組織観とは
「良い組織を作りたければ、ひとまず人を信頼すべきだ」
ということ。
「信頼は信頼を生む」「人は成長できる」
これが孔子の組織感を支える二つの確信であった。
一方、よく「性悪説」と言われる韓非の人間観を一言で言えば、
「人は状況の申し子である」
ということ。

孔子が、人は教育によって良くも悪くもなる、としたのに対し、韓非は、人は置かれた状況によって良くも悪くもなる、と考えた。
二つをあえて一つにするとすれば「性弱説」
人の本性は弱さにある。 地位も名誉も欲しいが、面倒くさいことはしたくないし、辛い思いもしたくない。利益を見ればそちらになびきたくなる。状況が酷くなれば、あっさり悪の方へ落ちていくし、良い状況が続けば堕落していく。。

「しかしその弱さをはねのけ、憧れる力や、師匠からの感化力によって、人は志を持てるし、学ぶことによって成長することができる」 と、人の内面に寄り添う形で考えたのが孔子。
「状況次第で、多くの人は自分の弱さに抗えなくなる。ならば、逆にその性質を利用して、組織や国が回るシステムを作ってしまえ」 と、統治する側の上から目線で考えたのが韓非、ということになる。
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『法治』的組織と『徳治』的組織

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『韓非子』(『法治』)的な組織。
これを構築・維持したければ「目標を達成したなら、その分増える賞の源泉」が基本的に必要となる。
このためには「パイが拡大している環境」にいるのが、最も簡便な道だ。
しかし、それが難しくなり「賞」の源泉が頭打ちになってしまった場合、『論語』的、ないしはローマ的な精神的・抽象的な「賞」をあてがうことで、維持が可能になる場合がある。
ちなみに、金銭などの物理的な「賞」で人を釣るにしても、もしパイが半永久的に拡大し続けて、利の源泉が尽きなければ、それは原理的にいつまでも可能になるはずだ。
実は、こうした価値観が根強く残っているのがアメリカなのだ。
人種の坩堝と言われる多様な文化的背景を持つ人々をまとめるために、金銭という最も分かりやすい価値観が非常に重視されている点も『韓非子』と酷似する。

『論語』(『徳治』)的な組織。
こちらを構築・維持したければ、根底の制度設計は性悪説においておき、いざという時問題や禍根を取り除けるようにしなければならない。そしてその運用は性善説に基づいて行うことを基本とする。
ただし、そのためには「覚悟」を持った人間が有事の際に上に立ったり、「二重人格」的な人物が普段から(制度を運用する際に)問題の芽を摘み取ったりしておくことが必要になる。
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著者はどちらが優れているということではなく、どちらも重要であり、どちらに軸足を置くべきかはその環境によるとしている。
「覇王の道」(覇道=「法治」と王道=「徳治』は両立させる必要がある)
「寛猛、中を得る」(国を治める道とは、寛大さと厳しさ、その中庸をとることにある)



「会社も老化する」であったように組織が老化して来ると「前例踏襲」「減点主義」がはびこって来る。
そうすると、「責任を負わないこと」に対して、権勢(地位に付随する権力)が使われることとなる、という見方も言い得て妙であった。

その他にも、中国という国(王朝)の歴史を紐解いて、その基本理念となるものが、韓非の考案した「法治」であり、それは秦への導入から始まっている、というのも面白い。
丁度流行っている漫画「キングダム」の時代を詳述していることもあり、楽しく読めた。


2017年1月3日火曜日

『会社の老化は止められない。』

フェルミ推定の重要性を指摘した細谷功氏の著作。
会社と人間の老化に関するメタファーをもとに、組織も老化現象を起こすのが必然であるということを述べた本。
「会社あるある」が著書内の至る所で論理的に語られている。
「あるある」で済んでいるうちはいいのだが、経営者とするとこの「組織の老化」をどうしていったらいいのかを真剣に考える必要がある。
そんな答えが簡単に出るようなら苦労はしないのだが、それを導く一助になる本。


「老化」とは

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「老化」を「後戻りのできない『不可逆プロセス』の進行」と定義する。
それは「数が増える」「均質化する」「複雑化する」ことで劣化する現象で、具体的には以下のようなことが起こる。
・ルールや規則の増加 ・部門と階層の増殖
・外注化による空洞化
・過剰品質化
・手段の目的化
・顧客意識の希薄化と社内志向化
・「社内政治家」の増殖
・人材の均質化・凡庸化
・性悪説化(加点主義→減点主義)
・形式主義化(中身重視→形式重視)

これらは不可逆プロセスで、人間も組織も決してこのプロセスを後戻りして「若返る」ことはない。
人間ではあまりに当たり前のこの法則が、会社という組織体では当たり前ではなく、すべての会社は永遠の命を持っていて成長し続けるという前提で動いているように見えるのは何とも不思議である。
この幻想の原因は一言で言えば「資産の負債化に気づかない」ことである。

もちろんここでいう不可逆プロセスは悪いことばかりではない。「成長」というのも、まさに後戻りしない不可逆プロセスだからだ。
実は「成長」と「老化」という不可逆プロセスは紙一重で、端的に言えば、「完成されるまでの不可逆プロセス」が成長であり、「完成後の不可逆プロセス」が老化である。
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不可逆プロセスのメカニズム

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不可逆プロセスの「メカニズム」は、会社という組織に内在する様々な「非対称性」によって生じる。
「非対称性」を時間軸に適用したものが「不可逆性」、つまり後戻りができないということ。
さらに元をたどれば、その非対称性は人間が持つ心理的特性と自然界が持つ物理的特性からきている。
心理的特性とは、「見えないものより見えるものに重きを置く」「以前にやったことを繰り返そうとする」「何かを得ることへの期待より、失うことへの恐れの方が大きい」という誰もが避けることのできない性質である。
また、物理的特性とは、会社を一つの大きな集団として見た場合に複雑さや乱雑さが増し、均質化されてくることである。(一般に「エントロピー増大の法則」と言われる)
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エントロピー増大の法則

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物理における普遍的なルールである万有引力の法則や、量子力学、あるいは相対性理論といったものは、基本的には時間を逆戻しにしても成立する。
これに対して、時間に対する不可逆性を表現しているのが熱力学の第二法則、一般に「エントロピー増大の法則」と言われるものである。
エントロピーは、元は熱力学の世界を説明するために導入された物理量である。熱エネルギーから力学的エネルギーへの不可逆性(力学的エネルギーは100%熱エネルギーに変えられるが、逆は真ではなく、熱エネルギーを力学的エネルギーに変換する際には必ずロスが発生することを指す)を説明するためにも用いられる。
またごく乱暴に定性的な表現をすれば「乱雑さ」を表現する量であると言われている。
このエントロピーという物理量が、物質もエネルギーも出入りしない閉じた一つの系(孤立系)においては時間とともに減少することはなく、増加の一方をたどる、というのが「エントロピー増大の法則」である。
つまり、ある閉じた世界の乱雑性は、時間とともに必ず増大していくことを意味する。

熱力学でエントロピーというと、外部とエネルギーや物質の出入りがない状態(孤立系)での乱雑さの度合いを指しているが、組織の場合、「成果につながらないエネルギー」とも定義できる。
部門間の対立、誤った判断、不満を抱く従業員、器量の足りないリーダー、歯車が狂った組織、現実にそぐわない制度、時代遅れの戦略、不安に覆われた企業文化。。。これらは全て企業のエントロピーを増大させる。言い換えれば秩序を乱すのだ。

「エントロピー増大の法則」の一つの側面には「乱雑性が増大していく」ことがあげられる。
この「乱雑性が増える」とは、一人一人の従業員の方向性がバラバラになることを意味する。
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悪貨は良貨を駆逐する

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「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則と同様に、
「ルーティンワークはクリエイティブワークを駆逐する」
その理由①規則の増加は止められない、②柔らかいクリエイティブワークはかたいルーティンワークに追いやられる、③組織内の評価のされ方で、ルーティンワークをサボれば明確な減点だが、クリエイティブワークをやらなくても減点にはなりにくい
クリエイティブワークにおいては、作業リストを用意するのが難しく、いわば「頼まれもしない仕事をいかに能動的かつ個性的にやるか」が勝負。
クリエイティブワークは、「やるべきことをやっていない」を可視化するのが非常に難しい性質を持っている。
同様に「かたいものはやわらかいものを駆逐する」。
大企業病の例としてよくあげられる「減点主義」こそ、ルーティンワーク増加の原因であり、また結果でもあると言ってもいいだろう。
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ブランド

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ブランド力を高めることが「会社の老化」に貢献してしまっている。
それは社員の「依存心の増加」である。
「ブランドを築くために」働くのと、「出来上がったブランドの下で」働くとでは、ほぼ正反対の意識になる。
依存心の強い社員が増えれば経費を水膨れさせるばかりか、イノベーションを阻害するようになる。
「大学生の人気就職先ランキングの上になったらその会社はもう落ち目だ」と言われることがあるが、その原因の一つがブランドのジレンマにあると言っていい。
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ブランドが老化の促進になるとはびっくり。
よく会社は神輿に喩えられる。2割の社員が実質支えているというような話もまことしやかに語られる。ブランドをつくる(もしくは維持する)意識を持つ(神輿を担ぐ)社員と、ブランドに依存する(神輿にぶら下がる)社員との違いだとも言えるが、ブランドがその依存を強める方向に働くという観点はなかった。


外注化

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外注化の動きも(ゆっくりとではあるが確実に)会社の老化に貢献している
単なる「作業」、いわゆる「手足を動かす」だけの業務が真っ先に外注化の対象に選ばれる。要するに「口は出すが手足は動かさない」という方向にどんどん進んでいく。
これはまさに「人間の老化過程」と同じである。
それでも、それで浮いた時間を付加価値の高い仕事に振り向けられていれば救いはあるが、実際は「外注管理」という名の思考停止に陥ってしまう。
単なる手配師となり、コアの業務もいつの間にか外注先に移っているという悲劇も他人事ではない。
このようにすっかり「空洞化」してしまった会社や事業部に配属になった新卒社員などはさらに悲劇である。先述の「ブランドによる勘違い」とは別の意味での「勘違い」が起こる危険性がある。
自らのコアスキルが全くない状態で、発注先の関連会社に対しての「管理」が求められ、会社の看板だけで権威づけをした状態で、実際には何倍も仕事のことを知っている多数の外注先を管理しなければならなくなる。
このような状況でも外部サプライヤーからは、顧客としての一応の敬意を払われるから、「勘違い」モードに入る危険性があることは容易の予想される。
大企業で伝統的な事業を担当している「花形部門」に配属された若手が辿る道は、業界が違っても似たようなものだろう。
これは本人の自覚もさることながら、職場としても、育成計画やローテーションを考える上で十分に留意する必要がある。
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まさにこれは会社のあるあるネタである。
とはいえ、業務進捗に際してはついついやってしまうことでもある。
常にハンズオンの意識を持って業務を進めることが必要だということだと思っている。


ソリューションサービスビジネス

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「ソリューションビジネス」とは、真に顧客の視点に立って(「提供者側の論理」ではなく)顧客の課題を解決するというアプローチ。
「物売り」の延長に「ソリューション売り」があるというのは大きな誤解。
物売りとソリューションビジネスには、基本的なところでの価値観の相違があり、ソリューションビジネスが成長するにつれてどのビジネスでも一つの大きな壁に突き当たる。それは「自社製品をどこまで『売り付けるか』」ということである。
これは製造業のみならず、パッケージソフトウェアでも金融商品でも「自社商品」を持っている全ての会社が直面している生々しい課題と言える。
製造業において、「ソリューションビジネス」が利益を上げて独り立ちしていくことはできないということをリサーチデータから示したのが、ジェームズ・A・アレキサンダーとマーク・ホーデスで、著書”S-Business”の中で、そのギャップを示している。
製品販売中心から、サービスに「軸足を移せていない」限りは新しいビジネスモデルへの転換は起こせない。基本的にカニバリズム(共食い)という利益相反が起こるからである。
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「サービス産業化」というテーマは旬なテーマなので、どの会社においても検討されている内容であろう。
「自社製品を売りつける」という発想があるうちは、真のソリューションサービス化(サービスにて利益を出すこと)は難しいというのが結論だ。
では、どうすればいいのか。
著者は、「新しいコンセプトを持った船を用意する」ことでリセットをかける、ということを挙げているが、そう簡単にはいかない話だ。
これもいろいろな方法論(成功実績)が出てくると、それだけでコンサルテーマとなりそうなネタだ。

閉じた系「日本」

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「閉じた系」である日本は「成長」も奇跡的に早かった代わりに「老化」も急速に進んでいる
人材についても、これまでの日本の成功パターンを支えてきたのは大量かつ均質なレベルの高い「オペレーション型人材」であった。
「与えられた枠の中を最適化する」ことにかけて、日本は圧倒的な実力を持っていると言っても良い。
ところが「資産の負債化」が起こっている。
「枠内の最適化能力」という知的資産は「枠そのものを再定義する」というニーズに対しては、枠を破る発想ができないという点でむしろ負債に働くことが多いのだ。
人々に特徴がなくなって平均化し、尖った人が少なくなり、リーダーも「誰がやっても同じ」という雰囲気が蔓延し、複雑な規制にがんじがらめにされて、批判ばかりで有効な代案が少なく、何事にも「分かりやすさ」が求められる。
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日本は確かに海外の国に比べると「閉じた系」である。言語(日本語)の壁もそうだし、組織的にも良きにつけ悪しきにつけ「ムラ社会」がベースとなっている。
「成長」も早かったが、放っておくと「老化」も早いというのは非常に説得力がある。
成長は早く、老化を遅くするための手段を考える必要があるということだ。
やはり日本は「課題先進国」、と妙に納得。


思考停止

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「思考停止」とは何だろうか。
ここでは、「上位概念で考えられなくなること」と定義する。逆に言えば、「考える」という行為は「上位概念」を扱う思考であるということだ。
老化に拍車をかける要因の一つが「思考停止」である。
自分を客観的に見られなくなり、手段が目的化し、部分最適に陥り、表面事象だけに目を奪われる。思考停止すれば老化が進み、老化が進めばさらに思考停止するという悪循環に陥る。
逆に言えば、「考える」ことによって老化の速度を抑制することができる。社員の思考力を向上させ、考える組織にすることが、老化を遅らせながら世代交代をうまく行う上で必須である。
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加点主義と減点主義

・「多様な評価指標」+加点主義人材の多様化
・「多様な評価指標」+減点主義人材の凡庸化



この本の内容は色んな業界の人から「当社(うちの業界)のことですか?」と聞かれたそうだ。
まさにどの会社にもあるあるネタなのであろう。
会社の寿命は30年などとまことしやかに言われるが、会社(組織)も世代交代を行わないと、いずれ滅びるというのはその通りだろう。
頭を使って考え、対応することで老化現象を食い止めつつ、次の世代の主力となる事業を育てるためにはどうしたらいいのか。
大いなる実証実験。やってみたいものだ。

今年の抱負

昨年の抱負として挙げた文字は「拡」であった。
1年前にやっていた業務においては、”軸”はできたので、それを拡げるという趣旨であった。
ところが、4月の異動で新設部署で新業務を行うことになった。
異動先では新しい業務を、新しいメンバーとともに遂行するという非常にパワーを要する状況であった。
また、プライベートにおいても家族が色々と負荷のかかる状況であり、正直よくこなしていると思える環境、近年稀に見る修羅場であった。

今年になったからと言ってその状況は変わっていない。
どうせ公私共々困難な状況であるならば、原理原則に忠実に、迷わず、一歩一歩進んで行くという趣旨で
「貫」
というのを今年の抱負としたい。

貫けなかったら砕けるだけ。倒れるんなら前のめり(笑)
さて、どうなることやら
to be continued

2017年1月1日日曜日

『「いい質問」が人を動かす』

弁護士の谷原誠氏の著作。
「質問すること」の力を再認識させられる。

質問をされると、①思考し、②答えてしまう。
まるで強制されるように思考し、答えてしまう。
人を動かすには、命令してはいけない。質問をすることだ。
人をその気にさせるには質問をすること。
また、人を育てるには質問をすること。

「Why」の使い方

「Why」の使い方には注意が必要。
「なぜ?」と質問されると「なぜなら〜」と答えるように、答えに論理性を求めてしまい、相手が「苦痛」を感じる可能性がある。苦痛を感じてしまうと、相手の気分を害する場合がある。
「なぜ?」を使わないためには、「なぜ」を「何」や「どのように」に置き換えるとよい。
逆に、「なぜ」を繰り返していくと、論理的に考え、次第に問題の核心に迫っていくことができる。特にビジネスで部下に対して質問する場合や、自分で問題を突き詰めて考えるような場合に有効。

「仮にクエスチョン」

「仮に○○だったら、どうですか?」というように、仮定の話をして、相手のニーズを引き出そうとするテクニック。
仮定の話なので、自分の事情は一切話をする必要がない。自分側の事情は一切話さず、相手の情報だけを獲得できる魔法のテクニック。

人を育てる質問の注意ポイント

1 相手の意見を肯定する
2 相手の立場に立ち、どうすれば相手が望む結果が得られるかを考える
3 相手に答えを出させる

自己正当化に邪魔をされずに相手の行動を変えるにはコツがある。それは、相手の自尊心を傷つけないこと。
1 相手の過去の行動を正当化すること。
2 過去の行動の理由とは関係ない理由によって行動の変更を迫る質問をすること。
  (この時、一時的な変更ではなく、永続的な変更を求めることが重要)
3 相手が行動を変更したら、それを賞賛し、今後も継続するよう期待をかけること。

ソクラテスの議論

ソクラテスの議論は質問によって成り立っている。
ソクラテスは、相手に質問することにより、相手の言質を取り、その言質と矛盾するような結論に追い込んでいく質問を繰り出していく。
相手は質問に答えることにより、その答えと矛盾することを言えない立場に追い込まれてしまっているので、ソクラテスの質問術の術中にはまってしまう。
質問する方は、自分の立場を明らかにする必要がない。自分の立場を明らかにしなければ、その論理の矛盾を攻撃されることもなく、黙ってしまうこともない。ただ相手の論理の欠陥を見つけるべく質問をしていればよい。
つまり、質問をする者というのは、自分は安全な立場にいて、相手を攻撃する立場にある者のこと。だから、質問をし続けるソクラテスは議論に負けることがなかった。

そもそも流議論術

弁護士が得意とする論法に「そもそも流議論術」がある。
1 そもそも・・・(価値観)
2 ところで・・・(判断基準)
3 だとするならば・・・(結論)


質問の力が強力であるという認識があるが故に、自分に対しても、他人に対しても、クエスチョンはポジティブであるべきだというのが著者の主張。
あらゆるネガティブ・クエスチョンは、ポジティブ・クエスチョンに変換できるし、変換するべき。
なぜなら、質問には思考を強制するパワーがある。否定的な質問をすれば、相手は否定的に考え、肯定的な質問をすれば肯定的に考える。

人を育てる質問の流れなど、実生活でも活用できる内容が多い。
実践あるのみ。

2016年12月31日土曜日

『頭を下げない仕事術』

石川県羽咋市の職員さん時代に、ローマ法王に羽咋市で取れた米を食べてもらって「神子原米」ブランドとして売り出したり、NASAから月の石やルナ/マーズ・ローバー(月火星面探査車)を100年間借受けることに成功して「コスモアイル羽咋」を創設したりした、異色の市役所員、高野誠鮮氏の著作。
タイトルだけ見ると不遜な感じを受けるが、書かれている内容は全く逆。

利他の精神こそ重要という観点で、
「重要な交渉であればあるほど、相手をどうしても説得したい時ほど、人は頭をさげるが、それは失敗の道。 本当に相手のためを思う。利他の心で仕事をすれば、自ずと頭は下がらなくなる。」
というのが本書タイトルの趣旨。

そして、陽明学ではないが、「やってみること」の重要性を説いている。
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○「戦略」をたてる際には「やったことのない人」(予言者)の言葉に惑わされないこと。 「戦略」を考える際、そのアクションを実際にとったことのある人の「体験談」は大いに参考になるが、何もやったことがない人の話は「雑音」以外の何物でもない。
○「予言者」タイプの人には、本当にギリギリの選択が迫られるようなシビアな判断を下すことはできない。経験がないから、「戦略」というものが理解できず、目の前にあることをなんとなく「知っているつもり」で処理していくことしかできないからだ。
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そして、やってみること、自分ごととして判断することを国として実行できている国としてアメリカを挙げている。
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○アメリカは近代以降、常に世界の先頭を走ってきた国。緻密に張り巡らされた戦略があり、それを実行してきたからこそ世界のリーダーという実績に結びついてきた。その意味で「最も経験のある国」。
しかも、この国が素晴らしいのは、そんな過去の戦略を惜しげもなく公開していることだ。こんな「経験のある国」が書いたものは、仕事を成功に導くヒントが随所に潜んでいる「宝の山」以外の何物でもない。
○1953年に開催された「ロバートソン査問会」はCIAが、どうしたら大衆が動くのか、人がなびくのかという戦略を話し合った会合。そのレポートは、当時のアメリカ中の叡智がまとめた。国防総省のトップや、ノーベル賞をとった物理学者、天文学者など、皆口や論理だけではなく「自ら経験した人」たち。
そのレポートによると、人は目と耳に自然と流れ込んだ情報により、最も強力に扇動されるという。
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そして、このアメリカが生き残るために最も参考にすべき国・民族として挙げたのがなんと日本ということ。日本人はもっと自信を持っていい。
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○コミュニティの中にいると、内部の悪いことしか見えてこず、中々良いところには気づかないもの。日本人は特にその傾向が強い。
自分の子供は悪いところがよく見えて叱るが、他人の子供はいいところがよく見えたりする。それと一緒。
○1968年のNSA(国家安全保障局)の草案。地球外の行動な知的生命体(宇宙人)と公式に交流しなければならなくなった場合に、何を参考にすればいいのかというレポート。
地球人が高度な文明、科学力を持つ宇宙人と接触し、交流を重ねていくことを想定した場合、地球上で最も参考にすべきケーススタディとされた国と民族、それが日本であり、日本人とされている。
○日本は長い鎖国の後、自分たちよりも科学技術が優れた西洋文明と出会いながらもそれに呑まれることなく、独自性を保ち、やがては西洋列強と並ぶまでに成長した。
○その日本民族分析の一部を抜粋。
①他民族(宇宙人の想定)よりも劣っている自らの特質は全面的かつ率直に認める。
中略
③無理強いされてもやむを得ない状況にある相手側との交渉においては、相手側に有利な行動のみをとるなど、極力、自制する。
④相手側に対しては品行方正かつ有効的な態度をとる。
⑤相手側の技術的、文化的強さ及び弱さの全てを可能な限り(地球の)全民族が一致して熱心に学び取る。
○こうした民族性があるから日本人は、文化や科学の水準が高い民族と出会っても生き残ってきた。彼らはそう客観的に分析している。
○サバイバルのモデルは「日本民族」であるという考察を紹介。
「もしUFOの一部が彼らの乗り物であるとするならば、彼らの方が我々よりはるかに行動な文明を有していると考えられる。地球上の歴史を見ると、技術的に進んだ文明を送れた文明が遭遇した場合、技術的に進んだ文明の方が概して攻撃的であり、技術的に遅れた文明は、制服されるか絶滅するといった運命を辿ってきた。したがって、UFOが地球以外の知的生命体の産物であるとするならば人類にとって脅威である。遅れた文明が、進んだ文明に遭遇した際にとるべき生存のための方策は、いくつか考えられる。一番良い方法は、かつて日本民族が成功したように、自己の独自性が失われないうちに大至急進んだ文明の技術的文化的な強さの秘密をできるだけ早く学び取ることである。できれば選りすぐった人たちをその世界に送り込んで生活させ、進んだ文明の長所・短所を学び取る必要がある。できる限り素早く、可及的速やかに学び取ることだ。」
○「富国強兵」のため、日本の官僚たちは輸出産業の強化を目指した。 当時、欧州では紅茶が人気だった。紅茶の輸出元といえば、スリランカ、やインド、中国などが有名だが、実は日本でも官僚が主導して、四国の四万十や九州の島原などで紅茶を生産、輸出していた。
紅茶など、当時の日本では誰も飲んだことがなかった。しかし、欧州などに留学経験があった当時の高級官僚は、これが世界の「戦略農産品」だということを肌身で感じていたのだ。
まさしく彼らは「役人」として日本の役に立つことを真剣に考え、死に物狂いで西洋の戦略を取り入れていたのだ。
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仕事をしていくにあたって、やってはいけない心得について。
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○一言で言うと「金色夜叉」。これは貫一・お宮の小説で知られる言葉。
もともと、「金色」は金欲、そして「夜叉」とは権力欲を表している。
仕事をしていく上で、「金色夜叉」にとらわれれてしまうのは、間違いなく破滅の道。
○日蓮聖人『開目抄』に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」とある。
徳の低い人から褒められるのは、自らの徳の低さを示す、ということ。
○「金色夜叉」、「褒められたい」という煩悩以外にもう一つ、破滅の道へと導くものがある。それは「セクショナリズム」(セクト主義)。
「セクショナリズム」というのは、結局は自分自身を殺すような愚かな行為。
「セクショナリズム」のことを考えるといつも「がん」が頭に浮かぶ。
「がん」がなぜできるか。がん細胞というのは周囲の細胞と比較してもセルフィッシュ(利己主義)、つまり「自分だけ生きたい」という力が強いため、周囲の細胞を殺し、やがて全身を蝕み、殺してしまう。
○このように愚かなことであるにも関わらず、世の中のほとんどの人は無意識にセクショナリズムに囚われてしまっているという厳しい現実がある。
それを象徴するものの代表格が「企業秘密」。
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BREXIT、トランプ大統領など今年の想定外は全て「ナショナリズム」の傾向を示している。ナショナリズムとはすなわち「自国最適」と言うことだ。ある意味セクショナリズムとも言える。
「自国だけが栄えれば良い」と言う発想が強くなりすぎると、その国は地球の中での「癌細胞」となってしまうのではないだろうか。


本当の自然由来のものは「腐らない」。「枯れる」のみ。
と言うのも新鮮だった。
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○青森県で完全無農薬のリンゴ栽培(奇跡のリンゴ)に成功した農業家の木村秋則(あきのり)さん。
「あのね、高野さん。自然栽培でつくったものは枯れるの。腐るのは、そこに余計なものが入っているからなの
○木村さんの農法で作ったリンゴは腐らない。枯れる。
人間の手を加えられず、自然のままに育ったものは、本来腐らない。
腐っている山菜はない。腐っている山野の木もない。自然の中にある植物というのはすべからく「枯れる」。
木村さんが実践している自然栽培で作られた野菜・果実の最大の特徴は「腐らない」ということ。
○なぜ、スーパーで売っているような野菜は腐るのか。これは化成肥料や未完熟な有機肥料という余計なものを使っているから。
○自然栽培と有機農法は天と地ほどの違いがある。そもそも、近年うたわれている有機農法は有機ですらない。
昔は有機肥料を作るのに4〜5年間の時間をかけていた。発酵したキノコの臭いや土臭い香りがしてくるまで完熟させ、ようやくはじめて肥料として使えたわけだ。
しかし今は効率化のため、ほとんどの場合においてこれを強引に時短させ、わずか1年で有機肥料をつくってしまう。
江戸時代には、有機肥料を作るのが火薬奉行だった。古来、成熟1年程度の有機肥料は、火薬の原料だった。火縄銃や大砲の火薬を作るため、糞尿、枯葉を用いて、 1年ほどで硝酸カリウムの濃度をピークにまでもっていって結晶化する。そしてこれに硫黄と炭とを混ぜて黒色火薬をつくっていた。
しかし、この「1年もの」は、火薬にこそ適しているものの、肥料として使うには大変危険なもの。火薬の元となる成分(硝酸塩)を人が食べると、胃酸と反応してニトロソ化合物が生成され、危険な発がん性物質になる。
○こういった中途半端な有機肥料を用いた野菜はよく虫に食われる。
「うちの大根は虫に食われているからうまいぞ」なんてこともよく聞く。
でも違う。本当は逆で、自然界にある野菜は虫に食べられない。
腐ったものにハエがたかるように、腐敗臭が虫を惹きつける。腐ったものは人は食べられない。それを虫は我々に教えてくれる。警告者のような役割を実は虫たちは担っている。
○この自然の摂理は、仕事においても全ての根幹をなす原理原則。
会社のためを考え、相手が喜ぶようなことを考えて仕事に取り組んできた人は、皆に惜しまれながら定年退職をする。これは、サラリーマンの「枯れる」姿。
我欲という「余計なもの」を心に入れず、「滅私奉公」で勤め上げてきた人間というのは枯れていく。
しかし、自らの金欲や出世欲のためだけに働いていた人間は、決して枯れない。
「余計なもの」で心が満たされているから、腐る。
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「枯れる」サラリーマン。。個人的にもテーマとなりそうな内容だ。

地域活性化に関する著者の意見。
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○我々は「身体」という優れたものから大いに学び、模倣すべき。
例えば、身体は必要な場所に必要な量の血液しか流さない。
経済において、貨幣は血液にたとえられる。必要な場所に、過不足のない正しい量が流されれば、細胞は健全に成長し活動する。そしてその血液(=貨幣)は適切に消費されたのちに静脈に戻っていく。
この理想的な循環システムを経済は模倣すべき。
○地域の活性化にも言える。
人体の部位をずっと動かさずに放置するとどんどん痩せていく。「身体」は「痩せるのは動かさないから」という真理を我々に教えてくれる。
地域において「動かさない」というのは、経済活動がないということ。人は来ないし、お金も落としてもらえない。商店街はシャッターの降りた店ばかり。
これはその地域が痩せ細っている状態。だったら手当てをしなければならないが、ここで勘違いをしてはいけない。
「頭」で考えると「痩せるのは栄養が足りないせいだ」という理屈から、痩せた地域にじゃぶじゃぶと、ひたすら税金という栄養を送り込みさえすればいいと勘違いしてしまう。
廃れていくのはお金がないからではない。
「動いていない」ことが問題なのだ。 地域を活性化するのに本当に必要なのは「動かす」こと。
組織や地域社会を闊達に動かす。
もし限界にまで達しているような集落ならば、まずは全体のリハビリ運動から。
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その昔学生時代に、手賀沼の「富栄養化」について調査した時、
「”栄養化”っていいことじゃないの?」
と思ったことを思い出す。
手賀沼の場合、富栄養化により、アオコなどの植物性プランクトンが増殖しすぎて、水中の酸素が欠乏し、魚の棲まない死の沼となるということ。(実際当時の手賀沼は日本で一番水質の悪い湖沼として名を馳せていた)
簡単にいうとバランスが取れている生態系にとっては、プラスに振れようが、マイナスに振れようが、どちらであっても大きくブレることはサステナブルではなくなるということ。
地方活性化においても、いきなり税金投入ではなく、まずは「動かす」ことを重点的にやるべきだというのが著者の考え方だ。
地方で実績を残してきた人の考え方だけに重みがある。


著者はいろんな実績を実際に残している訳だが、それを実現するためのコツを他にも披露している。
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○交渉では「お願い」ではなく、情報を伝え、「相手の事情」を尋ねる
仕事で誰かの協力を得たいときは、「お願い」ではなくて「質問」をする。この大切な考え方は、神奈川大学名誉教授の、宇宙物理学の世界的権威、桜井邦朋先生から教えられたもの。
情報は「遠方」から流す
日本人には近い存在のものを過小評価する傾向がある。情報というのは、雪山を転がる雪玉のように、長い距離を転がるほど大きくなり、勢いが増すもの。
今いる場所からできるだけ距離が離れた遠方に飛ばした方が勢いをもって戻ってくる。
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著者は日本の「戦略的農産物」に関する提案もしている。
宇宙、地球、国、地域、生物といったことを同じメタファーとして捉えられる人は色んなことを考えることができるようだ。

タイトルだけ見ると記載されている内容を曲解しそうな本だが、非常に良書。
読みやすいし、色んな人にオススメ。



2016年12月10日土曜日

『住友銀行秘史』

イトマン事件で独自で奔走し、大蔵省とマスコミに「内部告発状」を送った國重氏の曝露本。
國重氏の当時のメモを補完する形で時間軸に沿って書き進められているので、全体像が分からない推理小説のような面白みがある(読者は著者と同じ情報しかない中で読み進めることになる)。
そして恥ずかしながら、イトマン事件についてもよく知らなかった(推理小説における結末も知らなかった)ので、非常にドキドキと楽しめた。

現場と離れた大組織のトップの世界においては保身が横行し、やるべきことをやる人、言うべきことを言う人が動かないことで組織がおかしくなっていくと言う現実を垣間見た感じだ。

今、自分の業務でもそういった世界を垣間見ているので(レベル感は当書の内容と大違いだが)、國重氏の悩みや、憤りは非常に共感できた。

ただし、外部圧力(マスコミやら監督官庁)を使うために「告発状」を送付すると言うのは、一つ間違えると会社そのものをおかしくする可能性もある「不可逆な行動」であるので、いい意味でも悪い意味でも、たった一人の個人の考えでよく動けたものだと思った。

コトの大小はともかく、こういったことは星の数ほど繰り広げられているのであろう。
自分が仕事をするにあたって、誰か関係者が後に曝露本を書いても恥じることのないように生きていきたいものだ。

2016年11月6日日曜日

『超・箇条書き』

本屋でたまたま見つけた本だが、久しぶりに「使える本」を見つけた感じ。

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日本以外の多くの国においては、議論する中で、ある程度は意見が衝突した方が成果は生まれる。
しかし、日本では意見の衝突は他国に比べて少ししか許容されず、それを超えて意見をぶつけ合うと成果が失われる。日本では他国よりも、「意見と人格が同一視されがちだから」という理由だ。
議論において、意見の衝突や否定が続くと、日本では意見を否定された人は、自らを否定されたように感じ、相手を遠ざける。
立場が逆でも同じようなことが起こる。意見を否定した人は、その相手自体を遠ざけるようになる。
このため、日本では一般的に率直な意見は好まれないし、成果につながりにくい。
率直な意見が成果を生み出さない社会においては、箇条書きは場合によっては「伝わり過ぎる」面がある。だから、日本では箇条書きを使わないことが、ある程度は合理的だった。
だが時代は変わった。これからの社会は情報過多の社会だ。「情報量に対して人間の情報処理能力が足りていない」という時代の流れがある。
このような情報過多の時代だから、「短く、魅力的に伝える」こと、つまり情報を選別し、少なくすることの価値が増えている。
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世界的には「ビュレット ポイント(Bullet Point)」という「箇条書き」であるが、これをさらに一工夫して「理解しやすく、共感を得やすく、行動を誘発する」技術が『超・箇条書き』である。


『超・箇条書き』は、普通の箇条書きの「羅列化」の他に、3つの技術的要素が加わる。
<3つの技術的要素とそのポイント>
「構造化」:相手が全体像を一瞬で理解できるようにする→レベル感を整える
 ・自動詞と他動詞を使い分ける
 ・直列と並列を意識する
 ・ガバニングを効かせる
「物語化」:相手が関心をもって最後まで読みきれるようにする→フックをつくる
 ・イントロで引き込む
 ・MECEはあえて崩す
 ・固有名詞を使う
「メッセージ化」:相手の心に響かせ行動を起こさせるようにする→スタンスをとる
 ・隠れ重言を排除する
 ・否定を巧みに使う
 ・数字を入れる


言ってしまうと本書の内容はまとめてしまうとこれだけ。
この内容が各ポイントごとに分かりやすく事例を用いて書かれている。

個人的に非常に勉強になったのは相手の理解を助けるための「自動詞と他動詞の使い分け」の以下の部分。
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相手の理解を楽にするグルーピング 最初におさえておくべきポイントは、「状態・現象」(静止画)を伝える文と「行為」(動画)を伝える文を分けること。

ある瞬間の静止画、すなわち「そのときの状態」を伝えたければ、1つ一つの文に「自動詞」を使う。
ある瞬間の動画、すなわち「誰かが何かに影響を与える行為(あるいはその行為による因果関係)」を伝えたければ、1つ一つの文に「他動詞」を使う。
つまり、「自動詞を使った状態・現象を伝えるグループ」と「他動詞を使った行為を伝えるグループ」に分けるのだ。

同じ動作を伝えるにしても、自動詞を使い「状態」として伝えると、因果関係を曖昧にできるので、責任逃れができる。
日本語は、英語に比べて主語や目的語を消して、自動詞を使うことが多い。
例えば日本語では「驚いた」のように主語や目的語を入れずに「自動詞を使って状態を表現する」ことが多い。
一方英語では、「He surprised me」のように、主語や目的語を入れ、「他動詞を使って行為を表現する」ことが多い。
理論言語学を研究する畠山雄二氏(東京農工大学准教授)によると、この違いは文化的なものだという。責任を曖昧にする文化のために、日本語は「自動詞を使って表現する」ことが多い。

ベタ書きの長文なら問題にならないが、箇条書きの特徴は、情報処理の負荷を減らすために、情報量を削っていることにある。その中で自動詞と他動詞の使い方を誤ると、正しく意味が伝わらないことがある。

体言止めで書くと、状態なのか行為なのか、そしてそれぞれ過去なのか、現在なのか、未来なのかという6通りの意味の可能性が出てくる。体言止めというのは、多義的であり、曖昧なのだ。
本来動詞であったところを名詞にして体言止めするのは、全体像の理解を妨げる。
このため『超・箇条書き』では体言止めはご法度なのだ。
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う〜ん、なるほど意識したこともなかった自動詞と他動詞の使い分けにも奥が深い文化レベルの違いがあったのか。

あえてMECEを崩して表現し「物語化」するというのも、今の業務をやっていてちょっと疑問に思っていた点を見事に解説してもらった感じ。

常日頃から利用する「箇条書き」。
自分の箇条書きは日々活用している。人と比べてもよく使う方だ。
今日からは「超・箇条書き」に進化できるよう実践していきたい。