2009年9月26日土曜日

千葉大学 柏の葉カレッジリンク・プログラム記念シンポジウム

柏の葉アーバンデザインセンター(UDCK)で行われた「千葉大学 柏の葉カレッジリンク・プログラム記念シンポジウム」に参加してきました。
千葉大学前学長、古在豊樹特任教授の「すごいスピードで時代が動いていて、頭では付いていっているつもりでも、身体はその流れについていけていない。心と身体のバランスが大切な時代になっている」という基調講演からはじまりました。

村田アソシエイツの村田裕之代表からは、アメリカのカレッジリンク型シニア住宅の事例紹介、それから従来の”大学における地域交流”とカレッジリンクの大きな違いは「組織単位でコミットメントを行っているものであるかどうか」であること、カレッジリンクといわゆる”カレッジタウン”との手法における違いなどについての講演がありました。
村田さんのお話の中で「人間にとって最も知的な楽しみは”学び”である」というお話があっていたく共感しました。
『地縁、社縁から「知縁」へ』『カレッジリンクを発展させて「カレッジリンクコミュニティ」へ』というようなお話もでて、「カレッジリンク」の概念がよくわかりました。

続いて、三輪正幸先生から「柏の葉はちみつクラブ」の報告がありました。
「市民科学という大命題もさることながら、興味のある好きなことをやる、楽しんでやるという2点が満たせないと、続けていくことはできない。その点で柏の葉はちみつクラブは会員も順調に集まり、今年の会員募集はストップするくらいうまくいっている」というお話がありました。

その後、カレッジリンク概論コース修了生の人達から、カレッジリンクを実際に実践してみての感想やら、千葉大におけるグリーンフィールド構想についての説明がありました。

参加してみて、カレッジリンクの趣旨、思想、魅力についてはよくわかりましたが、良い取り組みであるこのカレッジリンクを如何に普及させていくのかについてが今後の課題なのかなと思いました。


2009年9月23日水曜日

『単純な脳、複雑な「私」』

池谷裕二氏の脳科学本。
前回の「進化し過ぎた脳」に引き続き、高校生への講義というカタチをとって最新の脳科学についてまとめた本です。

今回びっくりだったのは、動作を行うときのプロセス。
認知レベル  ○動かそう
       ○動いた
脳活動レベル ○準備
       ○指令
がどのような順番で行われるのか、ということです。
普通に考えると ○動かそう⇒○準備⇒○指令⇒○動いた ですが、
実際に4つの順番は ①準備⇒②動かそう⇒③動いた⇒④指令 なのだそうです。 
なんと、本人が「動かそう」と意図したときには、脳はすでに0.5〜1秒前に動かす「準備」を始めているのだとか。

この真実を考えると、そもそも我々が自由意志だと思っているものはなんなのか、ということに話が発展します。
「自由」を感じるための条件を
①自分の意図が行動結果と一致する。
②意図が行動よりも先にある。
③自分の意図のほかに原因となるものが見当たらない。
とすると、上記のプロセスでも①②は満たしており、③については”自分の脳”を”自分の意図のほか”と見なすかどうかというリカージョン(入れ子構造)になってきてしまいます。
結局、作者は「自由意志の「存在」よりも自由意志の「知覚」がポイントであり、他者に制御されているのを知らなければ、それは「自由」である。」と述べています。
我々人間にある「自由」は、自由意志(free will)ではなく、自由否定(free won't)で、準備されたものをやめるのは我々の”意志”といえなくはありませんが、それも”ゆらぎ”と呼ばれるノイズによるものだそうです。

なぜこのような一見おかしな順序のプロセスになっているのか、と言う点についての考察もあります。
「体性感覚野を刺激してから0.5秒経たないと「触られた」と感じない。でも実際に手を触れられたときには0.1秒後にはもう「手に触れられた」と感じる。神経伝達のプロセスは時間がかかるから、いま感覚器で受容したことをそのまま感じると、情報伝達の分だけ常に遅れて感知されてしまう。結局人間は常に「過去」を生きていることになってしまう。ということで、脳は感覚的な時間を少し前にずらして補正している。」
すなわち、脳は経験に基づき予測し、時間を補正して活動するので、人間は常に”未来”を知覚してしまうようになったとのことです。
ナチスの怖いエピソードで、本当に胴を切断しなくても、切断されたと思い込むだけで死んでしまうというのを思い出しました。
池谷さんは「“知覚”されたものは脳にとっては全て”事実”である。」と述べています。

もう一つのこの本の柱は、生命活動の複雑さが実は少数の単純なルールに従ってプロセスを繰り返すことで表すことができるのではないか、ということです。
このようにして、本来は想定していなかった性質を獲得することを”創発”と言います。
そのための重要な概念が”ゆらぎ”といわれるノイズです。ノイズは通常よからぬものとして扱われますが、ノイズは創発の原料になっていると言えます。
ただし、ノイズが機能するためには、相応しい構造をもった回路でつながっていることが必要不可欠です。
回路の構造+ノイズ→機能、ということですが、これが機能することによって再び構造を書き換えるというのが生命の柔らかさであり、脳の可塑性の基盤になっているそうです。

「遺伝子」はよく生命の設計図と言われますが、たった2万2000個の情報では人体は組み立てられません。
そこで作者は、遺伝子は設計図ではなくてシステムのルールの一部ではないか、と考えています。
そのルールに基づいて、生物の材料達がせっせと単調な作業を繰り返している。すると物質から生命体が生まれてくる。だからわずか2万個そこそこの遺伝子で事足りているのではないかという仮説です。
コホーネンの自己組織化マップを見ると、人体の組織が機能分化していくのも実は”暴露”などの簡単なルールに基づいているのかも知れないと思わせます。

「脳には驚くべき単純性と、そこから創発される複雑性が共存する。」

脳の研究は終わることの無い、再帰的な学問なのかもしれません。



すずめ庵

流山ICから自宅に帰る途中にあるおそば屋さん。
遅い昼ご飯だったので、ちょっと軽く夕飯済ませたいということで、寄ってみました。
駐車場が広くて30台以上あるので、車で行くのに便利です。
味は本格派で、生粉(きこ)打ちそば 890円也はそばの腰もよし、つゆの味もよしで◎でした。
お店の人の感じもよく、穴場のお店を発見した感じです。
そば打ち教室もやっているとのこと。
夜は8時までですが、高速からの帰り道ということもあり、これからも利用したいお店のひとつとなりました。

2009年9月20日日曜日

運動会にて思ったこと

小学生の子供の運動会に行ってきた。
朝3時から並んだというような話もある中、開会式ぎりぎりの時間にいそいそと出かける感じだから熱意は推してしるべしである。
こういう行事の時、得てして父親は記録係を仰せつかる。
我が家も他聞にもれず、自分が記録係である。

今年は運動会を見ていて、子供の出ない学年、すなわち記録係のお役御免で見学した方が感動することが多いのに気がついた。
記録係となると、ビデオカメラで記録するので、自然と子供の演技・活躍を液晶フィルターを通して眺めることになる。
更には、子供に焦点をあてて記録するため、自然と子供がアップとなり、全体を見ることが無くなる。

全体で見られるように構成されている「組体操」や「踊り」では、感動がうすくなるのも当然と思われるが、それだけではなく、フィルターを通して見るということは、外界からの刺激を低減して伝えるようにできているのではなかろうか。

最近読んだ山崎啓支氏の『「人」や「チーム」を上手に動かすNLPコミュニケーション術』によると
「人間は出来事そのものに影響を受けるのではなく、出来事にまつわるイメージに影響を受ける。
イメージの背景を変えてみたり、フレームをつけてみる。イメージの中の対象の「位置」「距離」「動画、静止画」「音」を変えてみる。
色々変えてみると、どこかの時点で大きく変化するポイントがある。
印象が大きく変わるポイントを発見したら、そのポイントを変えるだけで状態を変化させることができるようになる。
このように五感の質を変化させることをNLPでは「サブモダリティー・チェンジ」と呼ぶ。」
とある。
イメージを変える大きなポイントは人それぞれなのだろうが、『フィルターを通して見る』という行為はほとんどの人において、外界からの刺激(感動、痛みなどを発生させるもの)を低減させる効果があるのではないだろうか。
心の中に、こういった「フィルター」をいくつも作って強化してしまったものが多重人格(解離性同一性障害)なのではないか、などと考えてみた。
前述の山崎氏によると「どのような手法を用いると見た際のイメージに対する効果が高いのか」についての洞察について、非常に優れているのは映画監督だそうである。
確かに映画監督は、そもそも(感動の低減する)「フィルター」を通してみる”映画”というもので勝負していて、その中で本物以上の感動を与えられるような切磋琢磨を日々しているのだから、さもありなんと思う。

というわけで、運動会の楽しみ方として一番いいのは、素直にそのまま観戦することである。
しかしながら、記録係としての責務を放棄して、それを提案しても受け入れられようはずもない。
来年も「フィルター」を通す堰堤で、如何に感動できるか、映画監督に学ぶ方が現実的である。

2009年9月13日日曜日

『貧乏はお金持ち』

マイクロ法人をつくることで
①法人で生活費を損金とし、個人で給与所得控除を受けることで、経費を二重に控除する。
②家族を役員や従業員にして、役員報酬や給与を法人の損金にしつつ給与所得控除を得る。
③自営業者や中小企業向けに日本国が用意した優遇税制を活用する。
ということが実現できる、という橘玲氏のノウハウ本です。
脱線して述べられるテーマのひとつひとつが面白いのが橘氏の面目躍如という感じです。

>>
かつてこの国では、サラリーマンは「社畜」と呼ばれていた。
ところが今やリベラル派の人達が「非正規社員を正規社員にせよ」と大合唱している。
驚くべきことにこの国では、いつのまにか社畜=奴隷こそが理想の人生になってしまったのだ。
>>
というシニカルな言い回しにより、昨今の非正規社員問題についてメスを入れます。
年功序列の企業社会を”「年功序列とともに」という上映時間40年という長尺映画を上映している「終身雇用劇場」という映画館”というメタファーで描き、アメリカでは全就業者数の1/4、約3300万人の「フリーエージェント」(会社に雇われない生き方を選択した人達)がいて、1300万社のマイクロ法人があり、11秒に一社の割合で自宅ベースのミニ会社が生まれているという事実が紹介されます。
日本でもクリエイティブクラスの人達がもっと独立してもいいのではないか、ということです。

次いで「法人とは」というテーマに移り、法人擬制説と法人実在説について述べられます。
世界における株式会社の歴史、それから日本における商法改正の歴史、株式会社と有限会社のとらえられ方の変遷、2005年の商法改正でできた”合同会社”がアメリカと異なりパススルー課税が認められないため、実際には株式会社とかわらないものとなってしまった話などが分かり易く書かれています。

企業統治における日米の差異、スターウォーズになぞらえた「エンロン」という帝国の物語、西原理恵子の脱税物語など、脱線しつつもテーマにひとつ筋が通っている感じがするのはさすがです。
後半は簿記やら不動産証券化の内容やらもでてくるのですが、わかりやすい事例なのでとても理解しやすいものとなっています。

○日本の株式市場における、時価よりも低い価格での第三者割り当て増資は究極のインサイダー取引である。
○税の世界では、節税と脱税の境界がしばしば問題になる。善意と悪意の差は説明可能性(アカウンタビリティ)にあることになる。
○内部留保とは、経営者が株主にかわって株主のお金を運用することに他ならない。ファイナンス理論の原則からは、会社はすべての利益を株主に還元する(配当性向100%)か、全額を内部留保する(配当性向0%)のいずれかになる。
など、曖昧な日本の制度についてバッサリやっているのも、実務をあまり知らない立場からすると成る程という感じです。

大学の講義においても、脱線の仕方で教授の力量がわかったりしますが、この脱線力は中々のものです。

『今日もていねいに。』

「暮らしの手帳」編集長の松浦弥太郎さんのエッセーです。
”暮らしのなかの工夫と発見ノート”と副題にあるように、日々を楽しく暮らす工夫が満載です。
この本は我が家のトイレにおいてあったので、ついつい毎日用を足しながら読んでしまいました。

というわけで自分が気に入って買って来た訳ではないのですが、
・毎日が「自分プロジェクト」
・自分の使い道
・壊れた時がスタート
・腕を組まない
・面倒くさいと言わない
などなど、共感できる考え方がとても多くてびっくりしました。

自分も毎日、『ていねいにチャレンジ』していこうと思わせる本です。

レゴ エデュケーション カンファレンス2009

先週レゴ エデュケーション カンファレンス2009に行ってきました。
本当は学校・教育関係者しか参加できないらしいのですが、企業のCSR担当ということで参加させてもらいました。
基調講演は「今の小学生の半分は、社会に出たとき、今存在しない会社に勤めるといわれている。だから21世紀型のスキルを身につけるため、Hands Onの体験型学習が必須となってくる。」というレゴエデュケーション日本代表 樺山資正さんの話から始まりました。
その後、産業技術総合研究所 比留川博久さんによる産業ロボットの現状の話がありました。
日本で水揚げされるイカは95%が自動イカ釣りシステムによるものなので、我々が食べているイカはほぼロボットが釣っているんだそうです。また、有名なアシモをはじめ、ロボットが産業用として実用化するにはまだまだ越えなければならないハードルが高いという現状を現場実態として述べておられました。

その後、実際にレゴを用いて授業を行っている先生方の事例発表がありました。
先生方の話を聞くと、
①レゴの教材を入手するのに(相当な)ひと苦労
②50分枠という授業の枠におさめる形でワークショップをすすめるのにひと苦労
という制約があるようで、最後の意見交換会でもその2点に関する質問がでていました。
どちらも普通になるとうまくいかないので、①については、ソフトに関する補助金申請にてハードも一緒に購入してしまう。②については、事業時間を組み替えて2コマ連続とする、もしくは夏期休暇中の課外授業として実施する、などの経験談が裏技として披露されていました。
感心したのは、実際に授業で用いている先生方が共通して「レゴを用いた学習を行うことで”人間関係力”の育成につながる」とおっしゃっていたことです。
空間把握能力であるとか、創造力というのはよくわかるのですが、”人間関係力”(言い換えると”対話力”でしょうか)が伸びるというのはちょっとビックリでした。
実はレゴサイドもその点には工夫をこらしているようで、一人だけでなく、チームのメンバーとコミュニケーションをとりあわなければならないように設計図があえて分割して書かれていたりしました。
(レゴの設計図はカラフルなだけでなく、わかりにくい部品は原寸大の大きさで指示があるのでとても分かりやすいものとなってます)

実際のレゴ教材を用いたワークショップもあり、先生方も童心に返って製作に励んでいました。
このカンファレンス、毎年行われているのかと思いきや、実は今年初めての試みだったそうです。
来年もあるようであれば参加したいと思います。

2009年9月1日火曜日

『CIA秘録』

その昔観たアメリカ映画ではCIAとFBIは大抵仲が悪く描かれていたが、その違いっていうのはよくわかっていなかった。
CIAはアレン・ダレスが諜報活動を目的としてつくった組織である。
映画の中のイメージでは万能の諜報機関として描かれることの多かったCIAがいかにいきあたりばったりの機関であったかが、これでもかというくらいに描かれている。
実際莫大な予算を投入して、実際に国家の一大事件に対し不意をつかれたり予測を間違えたりすることが多々あったようだ。
このような、何にお金を投じているかが不明瞭な諜報機関は、トップすなわち大統領が諜報活動に対してどのように捉えているかによって、天国にも地獄にもなる。
そのため、歴代CIA長官は組織運営よりも、時の大統領の歓心を買うことに必死になる。
意外なのはクリーンなイメージの強いJFK政権は実はCIA秘密工作に取り付かれた政権のひとつであることだ。JFK暗殺は、CIAによるカストロ暗殺失敗の報復であったということが暗に語られている。
その昔、元CIA局員の暴露本を読んだことがあったが、CIAがエージェントの教育と称して如何に無駄な研修を行っているかが述べられていた。

戦国時代の大名は多かれ少なかれ”忍び”やら”草”と呼ばれる諜報網を使ったらしい、と歴史物では書かれているが、実際のところどの程度効果があったのだろうか。
莫大な予算を投じて当たるも八卦当たらぬも八卦だとすると、諜報機関としては存在意義が無いということになる。
そもそも絶対的な諜報機関というもの自体が、夢、幻であるのかもしれない、などと思わせる本である。