2009年9月23日水曜日

『単純な脳、複雑な「私」』

池谷裕二氏の脳科学本。
前回の「進化し過ぎた脳」に引き続き、高校生への講義というカタチをとって最新の脳科学についてまとめた本です。

今回びっくりだったのは、動作を行うときのプロセス。
認知レベル  ○動かそう
       ○動いた
脳活動レベル ○準備
       ○指令
がどのような順番で行われるのか、ということです。
普通に考えると ○動かそう⇒○準備⇒○指令⇒○動いた ですが、
実際に4つの順番は ①準備⇒②動かそう⇒③動いた⇒④指令 なのだそうです。 
なんと、本人が「動かそう」と意図したときには、脳はすでに0.5〜1秒前に動かす「準備」を始めているのだとか。

この真実を考えると、そもそも我々が自由意志だと思っているものはなんなのか、ということに話が発展します。
「自由」を感じるための条件を
①自分の意図が行動結果と一致する。
②意図が行動よりも先にある。
③自分の意図のほかに原因となるものが見当たらない。
とすると、上記のプロセスでも①②は満たしており、③については”自分の脳”を”自分の意図のほか”と見なすかどうかというリカージョン(入れ子構造)になってきてしまいます。
結局、作者は「自由意志の「存在」よりも自由意志の「知覚」がポイントであり、他者に制御されているのを知らなければ、それは「自由」である。」と述べています。
我々人間にある「自由」は、自由意志(free will)ではなく、自由否定(free won't)で、準備されたものをやめるのは我々の”意志”といえなくはありませんが、それも”ゆらぎ”と呼ばれるノイズによるものだそうです。

なぜこのような一見おかしな順序のプロセスになっているのか、と言う点についての考察もあります。
「体性感覚野を刺激してから0.5秒経たないと「触られた」と感じない。でも実際に手を触れられたときには0.1秒後にはもう「手に触れられた」と感じる。神経伝達のプロセスは時間がかかるから、いま感覚器で受容したことをそのまま感じると、情報伝達の分だけ常に遅れて感知されてしまう。結局人間は常に「過去」を生きていることになってしまう。ということで、脳は感覚的な時間を少し前にずらして補正している。」
すなわち、脳は経験に基づき予測し、時間を補正して活動するので、人間は常に”未来”を知覚してしまうようになったとのことです。
ナチスの怖いエピソードで、本当に胴を切断しなくても、切断されたと思い込むだけで死んでしまうというのを思い出しました。
池谷さんは「“知覚”されたものは脳にとっては全て”事実”である。」と述べています。

もう一つのこの本の柱は、生命活動の複雑さが実は少数の単純なルールに従ってプロセスを繰り返すことで表すことができるのではないか、ということです。
このようにして、本来は想定していなかった性質を獲得することを”創発”と言います。
そのための重要な概念が”ゆらぎ”といわれるノイズです。ノイズは通常よからぬものとして扱われますが、ノイズは創発の原料になっていると言えます。
ただし、ノイズが機能するためには、相応しい構造をもった回路でつながっていることが必要不可欠です。
回路の構造+ノイズ→機能、ということですが、これが機能することによって再び構造を書き換えるというのが生命の柔らかさであり、脳の可塑性の基盤になっているそうです。

「遺伝子」はよく生命の設計図と言われますが、たった2万2000個の情報では人体は組み立てられません。
そこで作者は、遺伝子は設計図ではなくてシステムのルールの一部ではないか、と考えています。
そのルールに基づいて、生物の材料達がせっせと単調な作業を繰り返している。すると物質から生命体が生まれてくる。だからわずか2万個そこそこの遺伝子で事足りているのではないかという仮説です。
コホーネンの自己組織化マップを見ると、人体の組織が機能分化していくのも実は”暴露”などの簡単なルールに基づいているのかも知れないと思わせます。

「脳には驚くべき単純性と、そこから創発される複雑性が共存する。」

脳の研究は終わることの無い、再帰的な学問なのかもしれません。



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