2011年12月31日土曜日

『坂の上の雲』

以前も大連出張の前に司馬遼太郎の本を読み返してこのブログに記載したことがあるが、今回はNHKのテレビドラマを観てである。

<感想その1>
以前も思ったことであるが、今享受している日本人としての歴史は先人が血をもってしても現在に引き継いでくれたものである。
先人の偉業に感謝しなければならない。
逆に言うと、我々は次の世代にこの日本の文化を伝えていかなければならないということだ。
そのために我々にできることは何か。
もちろん、昔とは時代も違えば、ライフスタイルも違う。昔のままではいられない。
何を変えて、何を変えてはいけないのか。日本人とは何かという本質を捉えることが要求される。

<感想その2>
当時の人達は「日本」という国家の存亡ということを本当に考えながら生きていた。江戸時代から明治になり初めて「国民」という概念ができたが、国民が総じて国家の存亡について考えていたように思う。
だからこそ、女達も男が戦争に行った家を窮乏の中、守っていたのである。
203高地における乃木希典の陸軍第3軍においては色々言われることも多いが、それでも国の存亡を考えながら現地で対応していたということだ。(そのやり方については色々言われてしまうが、結果は結果。敗軍の将は兵を語るべきではない)
振り返って現在の日本であるが、国家GNPの倍近くの負債を抱え、更には原発事故を終息させなければならない枷を背負いながら、誰も国が滅びるとは真剣に考えていないのではないか。
戦争と言うショック療法的なことが起こらない現在、徐々に負債が増え、気がついたら国家財政破産という「ゆでがえる」状態になっているのに、危機感を持っている日本人(特に政政治家、財界人、官僚)は何人いるのだろうか。
自分たちの時代を切り抜ければいいのであればそれでもいいのかもしれないが、次世代、次次世代へ引き継いでいくことを考えたら、プライマリーバランスが成り立っていないような状況は一刻も早く脱け出さなければならないのは自明の理である。
不要に国民をおびえさせる必要はないが、まずいことはまずいと誰かがはっきりと示し実行しないと、刹那的なショック療法(すなわち戦争)を望む輩が増えることとなる。
(太平洋戦争では「輩」どころか、一級の知性ですらそれをやむなしとしたのが日本の歴史である)

日清戦争、日露戦争とも、勝ち目のないと言われた相手に対して、正直敵失により勝利した(勝利してしまった)経験が太平洋戦争の過ちにつながったと言う言われ方をするが、それは太平洋戦争時点での判断をしっかりしていれば良かった話しであると思う(というより、太平洋戦争に突入する判断が本当に間違っていたのかは、別の議論が必要。結果を見れば失敗かも知れないが、その失敗を活かしたからこそ現在の日本があるという見方もできる)。
現在も後からみて「何故あの時点で判断できなかったのか。それ故○○が起きてしまった」と言われないようにしたいものである。
我々の時代は我々しか判断できないのであるから。一隅を照らしていきたい。

0 件のコメント: