2012年4月30日月曜日

韓国紀行

出張で生まれて初めて韓国に行ってきた。

所感を含めて書き留め。
・韓国は中国よりあきらかに日本に近い雰囲気。ただし、言語はハングルなので中国語以上に分からず。
・言葉が全くわからない中、個人行動で地下鉄乗り継いだりした。ハングルが全く分からない中で痛感したことは、数字というのは世界共通の言語であるということ。(地下鉄では降りる駅を数字で認識した)
・徴兵制の関係と思われるが、若い警官が多い。また、地下鉄にガスマスク置き場があって(日本のAEDの感覚)リスク感度は日本よりはるかに高いと感じた。
・エスカレーター並ぶのは右側(いわゆる関西方式)。よく考えると韓国では車も左ハンドル右側通行だから、抜く側が左というのは自然。右ハンドル左側通行なのに左から抜いていく関西の感覚がおかしいということ?
・韓国の料理店ではメインディッシュ以外にたくさんの付け合わせが出てくるが、実はその付け合わせはほとんどフリーで料金はメインディッシュのみ。
・日本の缶ビール3,000ウォン(約210円)に対し、マッコリのペットボトル(500ml)が1,350〜1,600ウォン(約95円〜112円)。そりゃ断然マッコリでしょ。(泊まったホテル近くのセブンイレブン調べ。ちなみに韓国ではコンビニはセブンイレブンが多い)

<不動産事情編>
・韓国では日本のデベロッパーのような独立したデベロッパーがない。韓国は各財閥お抱えのGCがあり、そのGCに仕事を提供するためのお抱えデベロッパーが主流。なので「仕事をとってくる」ことに主眼がおかれているため、「賃貸」で持ち続けるという発想がなかった。
故に、ショッピングセンターでも今までは所有型か百貨店型しか存在していなかった。近年ようやく日本のようなモール型のショッピングセンターが出てきて結果を出し始めているとのこと。
・同様の理由で、住宅においても「賃貸」という概念はあまり普及していなかった。その代わり韓国では「預け金制度」なるものが普及していた(預託金を預け、光熱費相当分程度しかランニングを支払わない。退去するときには預託金が戻ってくる。)が、近年の利率低下により地主に預け金制度のメリットがなくなり、少なくなっているとのこと。
・韓国の住宅においては南向き指向が絶対。寒いからか、開放型の外廊下というものがない。
・地震は中国並みに少ないらしい。


2泊2日という強行軍だったので、大変だったが勉強になった。
お隣の国だし、アカスリしなかったので、また行こう。

『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』

『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』の著者、水野和夫氏の著作。
実はこの2ヶ月くらい、この本とガップリ付き合っていたので、他の本のアップが遅れていた。
内容は、16世紀の状況と現在の状況が見方を変えると非常に似かよっていることを指摘したもの。世界史弱者の自分にとって非常に時間のかかる本であったが勉強にもなった。


近代においては、「成長」がすべてを解決する時代だった「大きな物語」
しかし、「成長の時代」(=近代)は終了する。
 (「成長」は中心領域ではなくなった)

21世紀は「陸と海のたたかい」である。
カール・シュミットがいう「陸の国に対する海の国のたたかい」は16世紀〜17世紀における「陸の国」スペイン(ローマ・カトリック)に対する「海の国」英国(英国教会)の戦いが宗教改革を通じて行われたことをいう。
20世紀〜21世紀においては、「海の国」米国に対する「陸の国」EU、ロシア、中国の戦いである。

<利子率革命>が起こっている。
16〜 17世紀の「利子率革命」は、1555年に始まって1621年に終わった。
ジェノバに銀と金が殺到した時期にあたり、この時代には銀と金は投資の手段を見 出すのが困難であり、資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであり、実は並々ならぬ革命であった。
魅力的な投資先がみつからないという16〜17世紀と同じことが、20世紀末から21世紀の初めの現在において生じている。


資本主義が依って立つ原理とは、安い移動コスト、エネルギーコストを与件として、「もっと遠く」へ行くことによって利潤を極大化することである。
しかし、資源を有する「陸の国」が成長するために自国の貴重な財産である資源を高く売るようになると「もっと遠く」に行くほどコスト増となって(限界費用逓増)、利潤が増えるどころか減少するようになった。

成熟化とは、経済的側面から捉えれば、実物投資に対する利潤率が低下することに他ならない。


利潤率の趨勢的低下という限界を打ち破るものとして期待されたのが、新自由主義だった。
すなわち、これまでの「実物投資空間」が広がらなくなると、欧米の金融資本は新たな「電子・金融空間」を創出することで利潤極大化を目指した。




1970 年代半ば以降、先進国の成熟化を原因として21世紀の「利子率革命」が始まり、90年代半ば以降になると、原油に象徴される資源価格が高騰し、交易条件の 悪化を通じて先進国の低利潤率化に拍車がかかった。そして株主重視の経営がもてはやされ、一定の利益率の確保が要求されるようになると、人件費が変動費化 するようになった。所得が恒常的に増えなくなれば、消費支出が伸びなくなるのは当然。


1970年代半ば以降、先進国が成熟化して利潤率が上がらなくなったので、利潤を再び極大化させようとしてグローバリズムが新たな「空間」を創造していった。その一つは「電子・金融空間」であり、もう一つは「新興国市場」という「陸の空間」である。


1990年代半ば以降、グローバリズムは新興国・資源国の台頭、すなわち「陸の国の海の国に対するたたかい」を引き起こした。(原油価格を代表とする資源および食糧価格の高騰)
そして、資本が労働に対して優位に立つことによって初めて、原油価格高騰による追加支払い代金を人件費の削減で相殺できるようになった。
そのことで必然的に、中産階級は不安に陥る。その不安を除去するために新自由主義と新保守主義が必要とされた。すなわち、中産階級から落ちこぼれないように「努力すれば報われる」と説き、道徳的価値観を重視している新保守主義は、不満を抱いた白人労働者階級に広まった。

「もっと速く、もっと遠くへ」が近代社会の基本理念であり、それに基づいて利潤を極大化させるための前提条件が、安価なエネルギー、具体的には豊富でタダ同然の化石燃料の存在だった。資本主義はその誕生からして「グローバル指向」なのである。

グローバリズム、「海に対する陸のたたかい」、人件費の変動費化、はいずれも21世紀の「利子率革命」を如何に克服するかを共通課題として生じたのであり、これら3つは「利子率」すなわち資本の利潤率を再び引き上げようとする反「利子率革命」として捉えることが出来る。

グローバリズムとは、英米の「電子・金融空間」で、そして同時に新興国における「実物投資空間」で、利潤を極大化するためのイデオロギーである。
「海に対する陸のたたかい」は具体的には誰が資源を支配するかのたたかいだが、資源ナショナリズムを背景に陸の国が有利にたたかいを進めていくことが予想される。
さらに、長期的視点からみれば、脱化石燃料社会をどの国が築くかにかかっている。
資源価格が高騰している間、新興国の「実物投資空間」で利潤を極大化するために、先進国企業は人件費を変動費化することになる。




1996年〜1997年を境に、企業の売上高は増加しているにもかかわらず、雇用者報酬が減少するようになって、景気(資本)と所得(国民)が離婚した。
16世紀に国家と資本(家)が結婚して近代資本主義が始まったが、20世紀になって両者の蜜月関係は終わった。
 


色々なことをスパイラルに記載するため、どれが原因でどれが結果なのかが非常に分かりづらい。(経済の実態がそうなのかもしれない)
が、独断でまとめてみると
成熟化⇒「近代」(=成長の時代)の終了

利子率革命

反利子率革命その1
 バブルの物語(失敗)
「電子・金融空間」において巨額のマネーが短期間で生み出されたことは、所得増から生まれる従来のマネー(貨幣)とは異質であるという点で「貨幣革命」とも言える。

反利子率革命その2
①グローバリズム(「電子・金融空間」および新興国における「実物投資空間」の創出)
②海に対する陸のたたかい(資源支配に関するイニシアチブの取り合い。価格革命=非連続な価格の高騰)
③人件費の変動化 (資本と国家との決別。利潤革命=賃金革命。資本至上主義)


といった感じか。




新自由主義の基本は「市場が決めることは正しい」ということであり、新自由主義が「利潤革命」と結びつけば、バブルを未然に防ぐという選択肢は最初から排除されている。市場で決まる価格が極限まで到達しないと、利潤が極大化したかどうかが分からないからである。
米国が日本の1990年代から教訓として学んだのは、バブルを発生させないことではなく、バブル崩壊後にいかに被害を極小化するかということだった。

「利潤革命(賃金革命)」の実体は、資本と労働の成果として生み出される付加価値を全て資本側に回すことにある。

ROE=15%を達成しようとすると、28年度の人件費は10年度を100として46.3になる。人件費が半減しないと、ROEが15%にならないのである。
先進国で所得水準が半減するなどというのは非現実だと思えるかも知れないが「長い16世紀」には、このような悲劇が先進国・イタリアや新興国・英国で起きていた。
この悲劇的な状況から脱出する方法は二つしかない。一つは売上を増やすこと。二つ目は、売上高変動比率が上がらないように、脱化石燃料社会を構築すること。現実には、この二つの組み合わせで、所得半減のリスクを回避することが望ましい。 


16世紀との符合性についての記載はほとんど省略したが、世界史を広く知っている人にはその方も面白いと思われる。
今後の方策として、海と陸のたたかいに関するイニシアチブをとり、中産階級の没落を避けるために、著者は売上を増やすことと、脱化石燃料社会を構築すること、を挙げている。
『脱化石燃料社会構築』とはすなわち、「スマートシティの構築」だと考えると現在進むべき方向性がみえてくる。
1990年代後半にREITを創設して「金融空間」と不動産の一体化を目指してきた不動産業界の次なる方向性はスマートシティなのかもしれない。
 


2012年4月29日日曜日

『上司は仕事を教えるな!』

この4月からグループ員の人数が倍増したので、正直昨年度のマネジメントでは回らないと言う危機感もあり、マネジメントについての本を読んでいる。
本の帯に「なでしこ佐々木監督のマネジメント手法」というコピーがあり、魅かれて購入した。

人間特性的な弱みは、実は強みと表裏一体。人物的特性をいまさら変える必要はない。これは個人の特徴の一つであり、多分にもって生まれた資質だから。
だが、スキルの弱みは別物。スキルは鍛錬によって磨かれる。
☞マネジメントに適した言動を「スキル」と整理する、ということであると思う。マネジメントに適した言動の部分についても「人物的特性」という風に整理すると間違いである。たとえばパワハラギリギリの言動というのを「人間的特性だから、持って生まれた資質なのでしょうがない」ということだとするとそれは大きな勘違い。

外資系では上司が平気で部下に泣き言を言う。
但し、ここで言う「泣き言」とは「泣きたくなるような気持ちの吐露」であり、愚痴や恨み、つらみではない。
そして、上司の泣き言は、事象や問題そのものに対してであり、他者に対してのものではないということ。
愚痴とは、言っても仕方が無いことを口にして嘆くこと。仏教の世界では、人間の諸悪、苦しみの根源と考えられている三毒のひとつであり、別名を無明(むみょう)という。
かたや泣き言は、泣きたくなるような胸の内。泣いた後には、取り組む術という光に向かって歩き出せる。
☞「泣き言」と「愚痴」の違いが分かりにくいが、「泣き言」は「”困った”を部下と共有すること」と整理すると腑に落ちる。

成果達成の期待こそが、上司の上司たる理由。
☞マネージャーは全員会社から「成果達成を期待されている」ということだ。

1500社のトップが語る「一番大切な力」とは何か。この問いも本の帯に載っていたコピーの一つだ。
かつて『フォーチュン』誌が世界のトップ1500社のCEOに対して、トップに一番大切な力を問いかけた所、78%のトップが「コミュニケーション能力」と答えた。
☞コミュニケーション能力が重要であることを認識する会社は多いが、社員のコミュニケーション能力をアップするために資源を投入している会社は少ない気がする。GEのジャック・ウェルチがクロトンビルで行ったリーダー研修にかけた情熱と同様に、企業はコミュニケーション能力のアップのための仕掛けを用いるべきなのではないか。

各々の部下に対して以下の6つについて答えられるか、というのが問われている。
①強み
②弱み
③やる気のもと
④プレッシャー
⑤上司であるあなたへの期待
⑥一年後、五年後、十年後の部下の目指す姿
☞①〜④は個人のSWOT分析ともいえる。 SWOTは現在の分析なので、それに加えて将来的に自分への期待とマネージャーへの期待を加えて6項目ということか。

プランド・ハプンスタンス理論
スタンフォード大学のジョン・D. クランボルツ教授が提唱したキャリア理論。(キャリアデザインの世界でいう「計画された偶然理論」)
偶然の出来事は人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいものであるという考え方。
キャリアとは、意図したものではなく、偶然の出来事から影響を受け、結果として望ましいものになっているというもの。
しかし、偶然の出来事を望ましい結果に変えていく人々には共通項がある。
・好奇心:関心を持ち拡げる
・持続性:失敗に負けずに努力し続ける
・楽観性:ポジティブに考える
・冒険心:失敗を恐れず行動を起す
・柔軟性:変化に対応する という行動と思考のパターンをもっている。
☞「セレンディピティ」の考え方に近い。セレンディピティも、結果的に当初想定したのとは別の利益を得ると言うものだが、ただ「果報は寝て待て」ではなく、ある方向に向けて一歩踏み出すことが大切とされている。

さて、お待ちかねの女性のマネジメントについて。
女性には男性とは異なるコミニュケーション特性がある。
キーワードは三つ。
①同じ・・限定された範囲での「同じ」が大切。上司が自分自身を開放することが大切。隙をつくって歩み寄ってもらう。
②認める・・承認欲求はあるが、周囲にわかるような特別扱いをするのはアウト。”少しだけ”特別扱いをするのがポイント。
③感覚的・・男性は出来事に関心を寄せるのに対し、女性は感情に関心を寄せる。
なでしこジャパンの佐々木監督が「鼻毛に注意した」のは有名な話し。
奥様の上司が仕事はできるのに、鼻毛に気を遣っていなかったために、女性陣から信頼されなかったことから気をつけるようになったとのこと。
女性は感覚的なので、連鎖的に判断してしまう。鼻毛一つから連想により仕事においても信頼できないイメージを連鎖的にもつ。
女性に対しては一事が万事となる。
☞キーワードがわかっても運用では微妙なバランスが必要というのだと、分かっていても中々実践できる自信がない。
連鎖的なイメージについても、何がどうイメージの連鎖を呼ぶのかわからないと単にビクビクしながら接することになってしまう。
いずれにせよ鼻毛には気をつけよう。

最後に部下に見切りを付ける場合について。
人材育成は、こいつは「もう、いい(無理)」と思った瞬間に終わる。
見切りをつける判断基準はただ一つ。
「これ以上、目の前の部下に関わり続けると、組織の他のメンバーにマイナスになってしまう」かどうか。
☞逆にいうと、それまでは面倒くさくても育成をし続けるということだ。

当初の佐々木監督の件は、記載が少なくてちょっと残念だが、他にも色々あたらしことが分かって良かった。 これもセレンディピティならぬプランド・ハプンスタンスか。

2012年4月23日月曜日

『チームで最高の結果を出すマネジャーの習慣』

早稲田のラグビー部からJTBに入社し、その後プルデンシャル生命に転職、5年で営業マン最高位のエグゼクティブ・ライフプランナーになった小林一光氏の著作。
プルデンシャルの中で、トップ営業マンにしてトップ営業マネジャーという偉業を成し遂げた秘訣は何か。知りたくて購入した。

著者曰く、マネジャーの役割は二つあるという。
第一に「チームのサポーターであること」
第二に「会社のタテ系統の中で上と下をつなぐこと」
大切なのはこの順番。あくまでチームのサポーターの役割が一番という。

結果を出しているマネジャーにはある行動習慣がある。
それは
○メンバー同士の比較を完全に排除
○根拠のない目標はたてない
○「強み」ベースの役割分担
○効率より質を重んじる
○メンバーの見込み客数を詳しく把握する
というもの。


個人の「目標」「期中の達成度」は、チームで共有した方がいいというのが、小林氏の意見。
メンバー個人毎の目標を、全員で共有すべきかどうか悩んでいたので、一つの指針にさせてもらおうと思った。
そして、マネジャーにとって、目標設定の次の仕事はメンバーの「行動管理」。
できるようになるまで関与し続ける必要がある。



具体的なミーティングの仕方についても述べられている。
効果の高いミーティングを行うには
①ミーティングの性格付けを行う。
②事前に、メンバーの情報を吸い上げておく。
③価値の高い情報を選んで発表してもらう。
※そして当然、全員参加を義務づける。

予定表、結果表はマネジャーとメンバーをつなぐ重要なツール。
<予定表>
・何日の何時から何時まで
・誰に(顧客の名前)
・何の目的で会うか
<結果表>
・誰と合って
・どんな話しをしたのか
※そして、結果表に書き込まれた情報はデータ化して管理する。「初めて会った人が何人いたのか」「プレゼンまで進んだ人は何人いたのか」「顧客から紹介された人は何人いたのか」といった数字をエクセルで管理する。
当たり前のようだが、予定表、結果表はマネジャーは真剣に読んで、ちゃんと声をかけることが重要。

初期教育が重要なのは「最初」と「結果がでないとき」
バック・トゥ・ザ・ベーシック。これはメンバーを指導するうえでマネジャーが意識しておくべき大切なポイント。マネジャーも常に現場にでて、「最新の基礎」を学ぶことを心がける必要がある。
社内で出来ないことは社外でもできない。習慣化されていないことは、社外でミスする可能性が高い。

結果が出なくなった社員に対する接し方についての見識も勉強になる。
自信がなくなると自分のフォームが崩れる。行動がブレてくるとさらに結果も出なくなる。無理に動いても空回りして、この悪循環を繰り返すことになる。
だから結果が出ていない人に結果を求めてはいけない。
じっくり話しをきくだけでも効果がある。そのとき、注意して耳を傾けたいのは、そのメンバーの中にある「トラウマ」と「成功体験」。

心理的に追いつめられたメンバーは通常なら簡単な行動さえも実行できなくなることが多い。
①ひとまず売上のプレッシャーから開放する。
②確実にできる、基礎中の基礎、小さな行動を繰り返せる。
③「自分はできる」という意識が生まれて自信を取り戻す。
という流れを経ることで再度戦力となってくれる。


諸々、実績を伴った知見なので、非常に説得力がある。

何やら物わかりのよいマネジャー像な気がするが、やはり現実はそう甘くはない。
著者曰く、
「効率のいい仕事」とは結局の所「質のいい仕事」。そして「質」というのは「量」をこなしていく中からしか生まれない。




宮本武蔵ではないが、「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。」は今も真実ということか。
保険の営業という仕事がベースとなっているが、色んな業種に適応できる原則が多く非常に勉強になった。

2012年4月22日日曜日

『2022ーこれから10年、活躍できる人の条件』

神田昌典先生の新刊。
神田さん、最近本を書かないと思っていたら、実は癌を克服するという偉業を成し遂げていた。
内容は癌の克服の話しが本論ではなく、これから明治維新、太平洋戦争敗戦並みのパラダイムシフトが起こり、今までの常識が全く役に立たなくなる世の中がやってくる、という啓発本。
普通の人が書いたら「またまた、そんなこと言っちゃって」となるところ、神田さんが書くと信憑性があるから不思議だ。
神田さんの根拠は70年周期説なのだが、これは神田さんが自ら種明かしをしているように60年でも84年でもそれらしき周期になるらしい。
でも、それは何年であっても大差はない。ここ数年でパラダイムシフトが起こり、価値観の180度転換が行われるということだ。
何となく「あるかも」と思わせる点は、昨今の世の中の閉塞感であろう。このまま更に圧迫されるとどこかで弾けるような気がする。その「弾け」がパラダイムシフトにつながるのではないか。

ジャレド・ダイアモンド教授が『文明崩壊』という著書で「存続した文明」と「崩壊した文明」の違いは何かを著している。
それは、歴史が大きなターニングポイントに差し掛かったときに、「引き継ぐべき価値観」と「捨てるべき価値観」を見極められたかどうか、らしい。
パラダイムシフトが迫っているとすると、我々日本人は「引き継ぐべき価値観」と「捨てるべき価値観」を見極められるのだろうか。


過去に日本人は、どう時代の転換期を乗り越えたのか。
一つ目の方法は、戦争。太平洋戦争の時には人口7200万人中、300万人が犠牲となった。
このように「強制的リセット」がかけられるまで暴走を続けるのが、組織寿命の末期の典型的な症状だ。
旧来の価値観によって築かれたシステムを,新しい価値観に基づくシステムに切り替えることは、そもそも組織が成立している収益基盤(=権益)を失うことである。つまり組織にとっては自殺行為となるから、旧来の価値観と食い違う分子を徹底的に退ける。
ど ちらも国や組織のことを真剣に思い、使命感をもっているからこそ、足を引っ張り合い、全ての変化を先延ばしにしていく。そのプロセスでは、最も能力があり 献身的な変革者が、最も批判され軽蔑された挙げ句、首をすげ替えられる。その繰り返しを、組織は財政的に破綻するまで続ける。その結果外部にコントロール を奪われ、強制的にリセットされる。

もうひとつの方法。
明治維新では戊辰戦争のとき総死者約1万3千人。西南戦争のとき1万2千人。
フランス革命、ロシア革命がそれぞれ死者200万人以上、アメリカ・南北戦争の死者62万人ということを考えると比較にならないほど静かな革命だった。
これは「おかげまいり」という祭りを利用すればいいと考えた黒幕がいたのではないか。(神田さんによる推測)
「おかげまいり」は60年毎に行われた、伊勢神宮へ参拝しにいく風習。
1830年、文政の「おかげまいり」では当時の人口3200万人のうち、500万人が参拝した。
なんと6人に1人が日本国中から伊勢神宮に終結。江戸から片道15日かかることを考えると、まさに60年毎の民族大移動。
「ええじゃないか」この大狂乱は1867年8月から始まり、12月に王政復古がなされると急速に収束した。本来60年毎に行われていた「おかげまいり」が37年しか経たずに始まったので「ええじゃないか」は作為的であったといわれている。
破壊がないと創造なされないと考えてしまうが、実際には破壊は必要ない。
破壊は、古い価値観に基づくシステムや習慣を手放さないから必然となる。
変化のタイミングが来たことに気づいて、自ら手放せば、破壊は必要ない。
破壊は必然ではなく、選択である。


「祭り」に関しては神田さんは具体的なアイデアを出している。防災に関する転換の仕方である。
一般的に、防災は資金がかかり、利益を生まない。
「祭り」は、「資金がかかり、利益を生まない防災」を「資金がかからず、利益を生む活動」に変えることができるのではないか、というもの。

神田さんはこの本で色々なことを予言しているのだが、その一つに2024年頃に「会社」というものがなくなる、というものがある。
何故か。すでに「会社」に壁があるからだそうだ。その3つの壁とは
①会社では社員が育たない。
社員が育つ前に、事業が歳をとってしまう。(今や事業の寿命は6年とさえいわれている)
6 年で導入期→成長期→成熟期と分けるとそれぞれ2年。人を多く採用し始める成長期が2年間しか続かないとすると、人を育てている時間がない。結局、事業を 立ち上げた人が全部仕事をして、あとの人は手足のように振り回されておしまい。中間管理職は必要なく、ブレーン(頭脳)+オペレーター(手足)の集団に会 社はなりがち。
優秀な社員は、人が育つ必要のない仕組みをITを使って作り上げる。
②会社では、無から有を生み出す経験が積めない
事業のライフサイクルが短くなってくると、長期にわたるライフサイクルの長い事業を優先する、大企業にいるビジネスパーソンは事業立ち上げの経験が積みにくくなる。
大事業になる見込みがなければ参入しないというのは賢く聞こえる。しかし現実には、ライフサイクルが短い事業に参入することにより、初めて大きな事業の糸口を見つけることが出来る。
③一部の仕事をしている社員が抜けると、会社には何も残らない
事業立ち上げ経験を通じて、手足ではなく、頭として活躍できるようになった社員は、その気になれば、いつでもフリーエージェントとして働くことができる。
以前であれば、会社に属すことで影響力を持てた。有能な人材と仕事ができた。給与が増えた。会社に行かなければ仕事にならなかった。
今、唯一、会社が提供できることは経験となった。いまや、経験は有能なビジネスパーソンにとって、お金よりも価値をもつ。

実は、神田さんだけでなく、ピーター・ドラッカーも、2002年『ネクスト・ソサエティ』で、「NPOが社会の中核的組織になっていく」と予言していたらしい。
自らを成長させる手法として、神田さんは「読書会」を勧めている。
<読書会がもたらす4つの成長ステージ
Information:個人にフォーカス。個人能力、スキルアップ

Interformation:身近なチーム、自分で自分を知る

Exformation:自分の世界を外に創り始める

Transformation:それぞれが世界観を持っている人とつながる

江戸時代末期、松下村塾、適塾以外にも名前を挙げられるだけで70を超える私塾が全国で開催されていた。その私塾で何が行われていたかというと、まさに読書会だ。
松蔭曰く、「顧ふ(おもふ)に人読まず。即し(もし)読むとも行わず」
松陰先生は幕末に「本を読まない奴が多いし、読んでも実行しやしない」 とぼやきながら私塾で教えていたということだ。


神田さんは、現在の組織が硬直する理由についても分かりやすく理論化している。
<組織が硬直する理由>
Efficiency:経営の効率性
Hospitality/Intimacy:顧客との親近感
Innovation:商品/サービスの革新性
会社の競争力を作る文化は大きく分けて3つある。そしてこの3つの文化は互いに衝突することが多い。
いままでの経営の常識では、全て強化しなければならないと考えられていた。
これが辛うじて可能だったのは、衝突し合う文化を背景に持った人々が、お互い調和するための十分な時間があったから。
現 在は、終身雇用が崩れ、共同体意識が薄れた。対面ではなくネット上での文面でのコミュニケーションが多くなったために、異なる価値観を持った人同士は、何 度メールをやり取りしても理解できない。それぞれ自分の価値観に基づき、会社のために頑張ろうとすればするほど感情がもつれ、爆発するのは時間の問題。

実は、この3つの文化。まさに我が社のインナースローガンに重なるので、ちょっとびっくり。
クロネコヤマトの小倉昌男さんが、「経営とは優先順位付け。利益も安全もなどと言っているうちは経営者としては二流である」 と喝破していた。
確かに3つとも目指すのかも知れないが、いずれ相反する場面が出てくる。その時に現在は「これを優先しろ」ということが明確だと、社員は3つの歯車のうち、会社としてどこから回し始めるのか悩むことなく実践することができる。
神田さん曰く、2012年よりはっきり時流が変わり、「経営の効率性」から「顧客との親近感」が求められる市場に変わってくる、とのこと。


「デフレの正体」で藻谷浩介さんも述べているように、これからの日本は労働者人口が減り、国内の産業衰退は避けられない、というのが通常の見立てである。
神田さんはその人口論信奉者でありながら、日本は10年後アジアの盟主としてアジアを引っ張っているはずだ、と明るい予言もしてくれている。
それが贔屓目ならぬ祈りの要素が入っているとしても、それを信じて自分のできることを最大限実践していきたいと思わせる良書であった。

2012年4月15日日曜日

『ポーツマスの旗』

叔父に勧められた本。日露戦争終結時のポーツマス条約を締結した外相、小村寿太郎の話しである。
日露戦争については,昨今『坂の上の雲』が流行ったこともあり有名になっているが、その後のポーツマス条約の件については詳細については知らなかった。
日露戦争は、日本とすると短期決戦で決めるべき戦争であり、各部隊が前線で勝っているうちに講和へもちこむことが最大の戦略であった。
そのような厳しい状況については上層部しか認識しておらず、国民は前線での勝利宣言に湧いている(特に史上まれに見る完勝となった「日本海海戦」)ような状況であった。
そんな中で、小村寿太郎は全権委任を受け、日本国代表としてロシアとの契約締結に望むのであるが、そもそも上層部が勝ち取れれば100点満点という条件は、日本常勝という情報しか入っていない国民からすると納得しかねる内容であった。
そんな中で、悲壮感漂う覚悟のもと、全権委任団は海を渡っていく。
ギリギリの交渉を重ねてロシアのウィッテと条約締結にこぎ着けるのであるが、帰国する全権委任団を待っていたのは国民の厳しい怒りの評価であった。

小村寿太郎は飫肥藩の出身であり、薩長土肥の主要藩ではなかった身でありながら外相まで上り詰める。結婚生活はボロボロ,家庭は借金だらけであり、最後、小村の妻はほとんど半狂乱となって亡くなる。
叔父からは、交渉するにあたっての用意周到な準備の必要性が認識できる、といういわれ方で勧められたのだが、その点以上に、歴史上の人物の歴史には出てこない人物像を描いているのが新鮮で面白かった。


2012年4月8日日曜日

ここのところ

ここのところ、ちっともブログをあげれていない。
本も読んでいるし、結構色々な場所にも行っているのだが、年度末のバタバタで時間がない。
このひと月位の間に合ったことと言えば、
①長男の高校受験結果確定。同中学卒業式、同高校入学式。それに伴うお祝い会。
②妻の実家へ。長男の高校入学祝いをしてもらう。
③弟が柏の葉へ引っ越し。
④柏の実家へ、祖父母の遺影・位牌を移転。
⑤柏の葉で上田先生、ベネッセスタッフのレッジョエミリア&しまじろう展打ち上げパーティ参加
⑥新年度体制の件で休日出勤
⑦契約社員の任期切れに伴う歓送会
⑧人間ドック再検査、特に問題なしと判明
⑨新体制の歓送迎会
などなどたくさんのイベントがあり、
また本も結構読んだのだが、残念ながら大作のまとめに時間がかかりアップできず。

新年度ということもあり、心機一転頑張りたい。